2024年6月2日日曜日

番外 違国日記(1)〜(3)



 私の内面の、苦さ(くるしさ、とは書きたくないので、「にがさ」で。)とか、生きにくさ/やりにくさ、とか、人との関係の取り方の難しさとか、などは、決して外側からは見えないし、そんなものが存在することすら傍目には理解できないし、私がそのようなものを抱えながら毎日を生きているなどとは想像もつかないことだろうと思う。

 はばかりながら50年以上を生きてきて、人との付き合い方も、職場での振る舞いかたも、そこそこ身についている。ただ、自分の主観として、楽ではないだけだ。

 おそらくは、そこはかとなくアタッチメントに問題があるのだろうと思う。
 病的なほどではない。ただ、「傾向」として、ややそういうところがあるだけだ。

 致し方ない事情で、0歳児の頃に3〜4回、養育者が変わっている。基本的な愛着関係や言語を習得する時期なので、それなりにダメージがあったと我ことながら想像する。
 その後は、ずっと保育園で集団生活の中で育ったので、集団の中で身を処す方法は身についたが、それが自分の「気持ち」ときちんとリンクしているわけではない。

 自分の周囲で、自分以外の人が仲良く話をしているときなどに、なんの脈絡もなく、疎外感を感じる。この疎外感と自己同一化するといろいろと駄目になるので、自分の意識をちょっと遠くにおき、周囲の状況と、その環境下で自分の中に醸される感情を俯瞰することが習慣づいている。
 自分の感情と、自分のマインドを切り離して冷静に自分を観察するのは、例えば瞑想などとも関連する方法だが、四六時中そういうことをしているのはメンタル的に疲れるし、本来なら仕事などに回せる自分の脳内のリソースを余計なことに使っている。

 自分がどんな環境が一番好きかというと、たとえば、人の気配のする家の中でひとりでシンとしているのが好きだ。家族が寝静まった深夜の家の中などは、かなり好きだ。

 職場にいる時や、何かの会合に出ているときの自分はかなりテンションが高いが、周囲からはおそらくエネルギーのある元気者だと思われている。

 しかし、家に帰ると、スイッチが切り替わるので、一気にエネルギーは枯渇する。

 とても、疲れる。

 私もきっと「違国」の住人なのだと思う。

 だけど、きっと私一人がそうなのではない。皆、一人一人が、何かしらの難しさや生きにくさを抱えながら、「社会」や「世の中」に自分を合わせて、沿わせて生きている。そもそも、人は一人一人の能力にも差があり、なんとか円満に育ったとしても、この世は決して生きやすくないのだ。

 そんなことをつい、考えさせられた、「違国日記」。

(1)槙生さん、勢いと道義心の発露で、若犬(朝、15歳、女の子、姉の子)を引き取る。
 しかし、槙生さんは、人間関係全般がNGで、孤独を友とする人だった。親を失ったばかりの多感な15歳の存在に怯えつつも、なんとか関係を構築しようと模索する。あなたの感情はあなた自身のものであって、他人がそれをとやかくいえるものではない。当たり前のことだが、人は自分とは違う「他人の感じ方/考え方」を否定しがちだ。それこそ、「えー、うそー?(笑)」みたいな簡単な言葉で。「15歳の子供は、もっと美しいものを受けるに値する」「私はけっしてあなたを踏みにじらない」、日記の書き方のすすめが良し。

(2)主人を失った家の片付け。当然に続いていたはずのものが、突然断ち切られることを受け止めるのは難しい。自分にとっては敵も同然だった姉の生活をのぞく。いなくなった母のことなのに、現在形で話してしまう朝ちゃん。英文法の時制の話になぞらえて、受け止め方/考え方を教える槙生さんはとても知的で、優しい。自分と朝の「おかーさん」の話は、「過去完了形」。
 笠町くんはいい男だ。こういう男って、漫画の中にしか存在しないよな、とちと思った。
 なんで槙生の姉さんは、あんなに言葉で妹を切り刻んだんだろうな。姉というのは、それが許されると誤解していた? ただ、この場合姉の言葉は槙生の主観/記憶であって、実際はもうちょっとそうでなかった可能性もある。だが、そうだとしても、槙生の感じ方もまた、真実。
 いちいち槙生ちゃんと自分と引き比べてしまう。少なくとも、私は自分の生に疑問を持ったことはなかった。親に愛されていないと感じたことだけはなかった。それは間違いなく親に感謝できることだ。ついでに、自分の子育てをつい、振り返ってしまう。私は自分の娘にどう関わってきたか(かなり放任した自覚もあるが)。なんか、身につまされることが多すぎる。

(3)朝ちゃん、高校の入学式。一人で出席する朝に、親友えみりの母が怪訝な顔。ここにも社会常識という善意の塊。
 槙生が最初に借りたアパートは近くに学校があって、チャイムの音やプールの声が離れて聞こえてくる。緩やかに干渉はされずに、人の気配がして繋がっている感じ。これは理解できる。わたしにとっての夜中の家の中、と同じ感覚だ。
 無条件に子供を受け入れる、そうありたいと思っていたけど、実際のところ子供から見た私は「無条件」だったろうか。もしかしたら「無関心」だったのでは?
 そういえば、娘がこっちが返答に困るようなことを言ってきたときに、ひとまずそれを飲み込んで、どんな返事がいいか、と考えるんだけど、私の沈黙が長すぎて、娘は無視されている、と思っていた。べつに無視しようと思ったわけじゃないんだけどね。返答が難しかっただけだよ。もう、何を聞かれたかも忘れてしまったけど。

弁護士の塔野さん、いい味出してる。本人に自覚があるかどうかはともかくこの人も「違国」の住人か。でもこのかたはきちんと現実社会に着地していそう。
ライバル登場だ。頑張れ笠町くん。

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