原 題 「TEHANU」1990年
著 者 アーシュラ・K.ル=グウィン
翻訳者 清水 真砂子
出 版 岩波書店
【岩波少年文庫版】
少年文庫版 400ページ 2009年2月発行
ISBN-10 400114591X
ISBN-13 978-4001145915
読書メーター
【ハードカバー版(初版)】
単行本 344ページ 1993年3月発行
初 読 1993年
ISBN-10 400115529X
ISBN-13 978-4001155297
思うに、この一連の作品に登場する真正の賢者って、オジオンと大賢人オマールだけのような気がする。
少年文庫版 400ページ 2009年2月発行
ISBN-10 400114591X
ISBN-13 978-4001145915
読書メーター
【ハードカバー版(初版)】
単行本 344ページ 1993年3月発行
初 読 1993年
ISBN-10 400115529X
ISBN-13 978-4001155297
完結していたはずのゲド戦記3部作から時が経つこと、18年。1990年に刊行され、1993年に翻訳出版されたのがこの本。赤い表紙のハードカバー。表紙絵は、切り絵風から油彩風になって、中年になったテナーと、焚き火で焼かれた少女テルー、そして背景には巨大な竜が描かれている。奥の暗闇に輝くのは明星テハヌー。実は、背景が竜の頭だと、今回まじまじと見て初めて気がついた(マヌケ)。
思うに、この一連の作品に登場する真正の賢者って、オジオンと大賢人オマールだけのような気がする。
『こわれた腕輪』の物語の直後の25年前に、突然、ゲドが10代半ばの女の子をル・アルビに連れてきて、オジオンに託していった。このオジオンの一番弟子、師匠を信頼しているが故とはいえ、けっこうあんまりだと思うよ。オジオンは困ったろうなあ(笑)。
とはいえ、内に光と力を秘めていることは、同じ魔法使いであれば一目でわかる。オジオンはテナーを一生懸命育てようと、養女にしてとてもかわいがった。ゲドを育てるよりはだいぶ甘々だった気がする。なにしろ、世捨て人の賢者と少女の組み合わせだ。それだけでラノベなら何冊も物語が書けそうだ。
とはいえ、内に光と力を秘めていることは、同じ魔法使いであれば一目でわかる。オジオンはテナーを一生懸命育てようと、養女にしてとてもかわいがった。ゲドを育てるよりはだいぶ甘々だった気がする。なにしろ、世捨て人の賢者と少女の組み合わせだ。それだけでラノベなら何冊も物語が書けそうだ。
しかし結局、テナーはなにか特別な力のある孤高の存在になりたいとは願わず、普通の世間並みの女として世の中に溶け込むことを望んだ。やがて、オジオンの庵を出て村に暮らし、農民の男と結婚。良い女房、良い母親、良い後家、身持ちの良い女として生きてきた。
これが、ゲドの冒険の裏側で、ゴント島の一隅で起こっていたこと。そして、『さいはての島へ』で竜のカレシンとともにロークを去ったゲドが、オジオンの元に還ってきた。全ての力を失った、ただの傷つき、疲れはて、死にかけた男として。その数日前に、すでに高齢で死期を迎えていたオジオンは旅立っていた。これは単なる妄想だけど、オジオンは遠く離れたゴントから密かに死の世界で戦うゲドに、残った命の全てをかけて力を与えたのではないか。なんてね。
この物語はそこから。「帰還」してのちの話だ。
フェミニズム的な視野なんだろうな、とは思うのだけど、女性の扱われかたとか、ゴハの内心の葛藤とかは読んでいるこちらも、それなりにイライラした。
また、王たるレバンネンに同行してゴントにやって来た風の長の、身に染みついた「女は取るに足らない」という感覚にもちょっとイラっと。
思うに、この世界は、なんというか、社会全体の、敬意とか知識とか誠意とかの総量が足りないっていうかな。
しかし、壮大な空中戦みたいだった前作までと違って、ついに地に足が付いた感じの今作。やっと落ち着くべきところに落ち着いた。テナーとゲドが夫婦になり、オジオンの家にこれから住まう。
ゲドが全ての特別な力を失った無力な男として、喪失に向き合い、再生すること。
テナーが、一度は望んで受け入れた「女」という理不尽で不自由な在り方に向き合い、ゴハという社会的な女から、テナーという個人に再生すること。
暴力と性的な虐待を受け、肉体的に大きく損なわれた少女が、内なる本来の全き姿を取り戻すこと。三者それぞれの喪失と再生の物語だ。全体の生と死という極めて抽象的な物語から、個人の物語への回帰でもあった。
もっと、深い読み方もできるんだろうけど、ひとまずはここまで。次巻からは、本当の初読なので楽しみ。