2024年6月24日月曜日

0489 償いのフェルメール (ハーパーBOOKS)

書 名 「償いのフェルメール」
原 題 「Collector」2023年
著 者 ダニエル・シルヴァ    
翻訳者 山本 やよい    
出 版 ハーパーコリンズ・ジャパン 2024年6月
文 庫 568ページ
初 読 2024年6月24日
ISBN-10 4596637202
ISBN-13 978-4596637208
読書メーター 
https://bookmeter.com/reviews/121477812

 せっかく、シャムロンが引き留めるのを振り千切り、〈オフィス〉を引退して速攻ヴェネツィアに移住したのに。やっと家族との生活と心の平穏を取り戻し、オリジナルの絵を描く才能さえ取り戻しつつあったというのに!(ほぼ自主的に!)また諜報の世界に引き戻されたガブリエルである。分かってたけどね、こうなるコトは。
 だいたい、いくら少数精鋭とはいえガブリエルの部下は数が少なすぎる。エリ・ラヴォンやミハイルや、ダイナが定位置から動いただけで、もはやロシア側に察知されるのでは? ガブリエルがヴェネチアの修復現場から数日以上姿を消しただけで、影で何らかの動きがあると見做されるのでは? どうしてガブリエルの挙動がロシア側にバレないのか、それが不思議でしょうがない。だけど、そこに引っかかると全てが面白くなくなるので、敢えて気にしないことに。
 内容も、大いなるマンネリの域に達したと言えなくもない。なにしろ今回もまた、有能な女性をスカウトして、対ロシア諜報戦だ。だがしかし。そんなささやかな不満(?)を吹き飛ばす終盤のスリルたるや、大したもの。いやあ、今作も面白かった。

 さて、あらすじである。以下ネタバレ。
 ヴェネツィアで、キアラや子供達と穏やかにすごすガブリエル。聖堂で絵の修復に取り組む彼のもとに、おなじみカラビニエリの美術班を統率するフェラーリ将軍が訪れる。有る場所で見つかった盗難絵画の鑑定を依頼したい、と。なにか裏がありそうだと思いつつ、ガブリエルが伴われた場所は殺人現場。そして美術館から盗まれて行方が知れなかった有名なゴッホ自画像の隣には、空の額縁とキャンバスが剥がされた木枠が残されていた。ガブリエルは、その盗まれた絵を取り戻すよう、フェラーリ将軍から依頼される。

 だが、盗難絵画を追いかけるうち、殺された絵画の所有者がかつて南アフリカで核開発に関係していたこと、そして〈オフィス〉協力者であったことを知る。そして、南アフリカが開発した旧式の核弾頭が、絵画の盗難に隠れて、ロシアの手に渡ったと思われることも判明。

 ウクライナ戦争を決定的な勝利で終わらせるために、ロシアが戦術核を用いるのではないか、と西側(米国)は怖れている。ロシアが秘密裏に入手した旧式の核弾頭が「ウクライナからロシアに対する」先制核攻撃に使われること(もちろんロシア側の偽旗作戦として)を察知したガブリエルは、ふたたび〈オフィス〉に戻り、オフィスの人員・技術と、自分が持つ人脈を集結して、ロシアと対決することを決意。

 と、まあそんな話。

 それにしても、今作は“コマノフスキー”が最高に格好良かったです。後半、ドキドキして、イヤな予感しかしなくて、読み進むのが辛かったわ。

 ガブリエルはもう70歳です。以前も書いたが、ハリー・ボッシュと同じ歳です。ボッシュだって、白血病だの、人口膝関節だの言っているというのに、ガブリエルときたら頑健すぎていささか不気味だ。キアラともまだまだお熱いみたいだし。

 今回、過去の登場人物も沢山でてきて、いったいいつの話なんだか、いささか混乱してきたので、人物リストを作っておく。常連の主要人物は省略で。


イングリッド・ヨハンセン………フリーランスのITスペシャリスト 
アストリッド・ソーレンセン……イングリッドの変名
マルティン・ランデスマン………過去作『報復のカルテット』に登場した、スイスの大富豪で投資会社の経営者。
セルゲイ・モロソフ………………過去作『赤の女』イスラエルに拉致された元SVR工作員。イスラエルの収容所で捕虜生活を継続中。
マウヌス・ラーセン………………〈ダンスクオイル〉のCEO  

グリゴーリー・トポロフ…………ロシア対外情報庁(SVR)の暗殺者  
ニコライ・ペトロフ………………ロシア連邦安全保障会議 書記。ワロージャの側近  
ゲンナージー・ルシコフ…………ロシアのトベリ銀行頭取(過去作に登場していたかは思い出せない)
ワロージャ/ウラジーミル・ウラジーミロヴィチ…………ワロージャはウラジーミルの愛称。言わずとしれた恐ロシアの独裁者。ウラジーミル・ウラジーミロヴィチ・プーチン。

ラース・モーデンセン……………デンマーク国家警察情報局(PET)の長官 
エイドリアン・カーター…………CIA長官。ついに!エイドリアンが長官に昇進!長い道のりだった。
ポール・ウェブスター……………CIAコペンハーゲン支局長
テッポ・ヴァサラ…………………フィンランドの保安情報機関の長官

2024年6月23日日曜日

美術修復師ガブリエル・アロン シリーズ (2024.6.20更新:祝!新刊『償いのフェルメール』2024年6月18日邦訳刊行)

ガブリエル・アロンについての考察はこちら(年表付きです。)


『告解』でガブリエルが手がけている
祭壇画 サン・ザッカリア教会

1【報復という名の芸術】(The Kill Artist 2000年)
1999年。 1,991年1月にガブリエルがウィーンで幼い息子を失ってから9年近くが過ぎていた。シャムロンに逢うのは事件のあとテルアビブで〈オフィス〉の仕事を辞めると伝えた時以来。ガブリエルが隠棲していたのは、イギリス、コーンウォールの海辺のコテージ。かつてはガブリエル専属の支援者(サイアン)だったイシャーウッドとは、本当の画商と絵画修復師の関係となっていた。そんなイシャーウッドからガブリエルの居場所を聞き出して、シャムロンが新たな「復讐」を携えてやってくる。それは、ウィーンでガブリエルの車に爆弾を仕掛け、彼から家族を奪った男への報復だった。
  
2000年頃? この作中で彼は50歳。スイス在住のある資産家が、ガブリエルに接触を図る。その男が秘匿していたのは、かつてナチスがユダヤ人から略奪しした絵画の数々だった。この絵画を巡り、ナチの残党との死闘が始まる。スイスが未だ隠し持つ、かつてのユダヤ人の財産。ヨーロッパ諸国とナチスとの関係は、歴史の暗部となって未だ各国にわだかまっている。ナチスはユダヤ人の財産を奪った、というアロンに対して、ユダヤ人はパレスチナ人から土地を奪った。動産より不動産の方が罪が重い、と論じるスイス人。ユダヤ人とユダヤ人国家にまつわる問題は一筋縄でいくものではないが、だからといってナチスの罪が薄れるわけではない。それに協力した人間の罪も、である。

2001年冬 ガブリエル51歳になったばかり。ベネツィアのサン・ザッカリア教会で祭壇画の修復を手がけていると、シャムロンからの呼び出しが。かつての盟友がドイツで殺害された。調査を始めると、今度はガブリエルが何者かに追跡される。親友だったベンジャミンが追っていたのは、第二次対戦時のナチスとヴァチカンの関係だった。法王庁とローマ・カトリックの権威を至上とするヴァチカンの秘密組織が、ガブリエルと彼が掴んだ証拠を抹殺しようとする。時を同じくして新教皇は、ユダヤ人との和解のための一歩を踏み出そうとしていた。教皇にも危険が迫り、ガブリエルは新教皇を守るために接触を図る。 
 
『さらば死都ウィーン』で
修復を手がけている祭壇画
サン・ジョヴァンニ・クリソストモ教会
ジョバンニ・ベッリーニ作
『聖クリストフォロス,聖ヒエロニムスと
ツールーズの聖ルイス


時期的には2002年か2003年、またしても冬。雪のちらつくウイーンは、ガブリエルにとっては不吉の象徴。親友であり、戦友のエリ・ラヴォンがウイーンで運営していた戦争犯罪調査事務所が爆破される。スタッフは死亡、エリは重体。ガブリエルは追跡調査を開始するが、すぐに命を狙われることになる。エリが追っていたのは、身分を偽装してオーストリアで社会的にも大成功を収めていた元SS将校。その男の成功の原資となったのはユダヤ人から略奪された資産であり、また、その男はガブリエルの母とも因縁があった。ガブリエルは、ヤド・ヴァシェムに残された母の証言書を読み、初めて母の苦難と向き合うことに。

5(Prince of Fire 2005年)未訳
ガブリエルに関する秘密文書が暴露され、ヴェネツィアにいられなくなったガブリエルはキアラを伴いやむを得ずイスラエルに帰国する。キアラとの生活を準備するが、イギリスの病院に入院させていたリーアが誘拐されて・・・・・。紆余曲折ありキアラが1人でヴェネツィアに去る。
 
6(The Messenger 2006年)未訳
ローマ法王パウロ7世がテロの標的に。ガブリエルが法王を守る。法王の計らい(?)でベネツィアにキアラを訪れ、関係復活。『教皇のスパイ』で触れているエピソードがこれ。
 
7(The Secret Servant 2007年)未訳

8(Moscow Rules 2008年)未訳
ガブリエルがモスクワに潜入。 
 
9(The Defector 2009年)未訳

10(The Rembrandt Affair 2010年)未訳

11(Portrait of a Spy 2011年)未訳
サウジアラビアに潜入。サウジ人女性ナディアを救出しようとするが、2人とも砂漠で殺されそうになる。結局ナディアが死に、ガブリエルは重傷。その後サウジ秘密警察に捕らえられ、過酷な尋問を受けて傷を悪化さる。米国CIAの介入で解放されるが、女性の死に責任を感じて深刻なPTSDを患い、イギリス・コーンウォールでキアラとアリに見守られて静養する。このときガブリエルを案じたサラ・バンクロフトの依頼でナディアの肖像画を描き、この絵を契機に精神的に復調するのだが、この絵がMoMA美術館のナディアコレクションの入り口に展示されている。これが、『過去からの密使』の下敷きとなっているエピソード。
12 (The Fallen Angel 2012年)未訳

13 (The English Girl 2013年)未訳

2014年春〜秋  ガブリエル64歳。キアラは妊娠中。ガブリエルは、カラビニエリの美術班、フェラーリ将軍の依頼により盗難にあったカラヴァッジョの《キリストの降誕》を探すため、盗難絵画のコレクターを釣る餌として、ゴッホの《ひまわり》を盗み出す。しかし、《ひまわり》の盗品売買の相手を追跡するうち、盗難絵画がシリアの独裁者の隠し財産の形成に利用されていることが分かり、事態は一転する。ガブリエル個人の請負仕事が、オフィスの大プロジェクトに展開。標的はシリアの独裁者の財産である。一連の事件終了後、ゴッホ美術館に盗まれた《ひまわり》が戻ってくるが、なぜか手入れをされて盗難前より状態が良くなっていた、ということだ。
 

2014年秋〜冬  亡者のゲームの三日後から。 
キアラの妊娠後期から出産まで。ガブリエルがロシアの策略で爆弾テロの標的にされる。
怪我の詳細の記載はないが全身打撲くらいはありそう。 一週間程度で復活している。ロシアが手先に利用したのは、英国人暗殺者との因縁も深い、IRA爆弾テロ犯だった。そしてこの男は、ガブリエルの家族を犠牲にしたウイーンの爆弾テロにも深い関わりが。MI6からの請負仕事だった事件が、復讐の色を濃厚に帯び、事態は逼迫する。今回は絵画修復のシーンはないが、事件終了後、出産間近なキアラが待つエルサレムに帰還し、自宅の子供部屋の壁にダニの顔を模した天使の絵を描いて涙ぐむガブリエルの姿が切ない。

2015年4月〜12月 ※2015年のISISの戦闘についてと、気候変動抑制に関する協定(パリ協定 2015年12月12日)が結ばれたことについて言及している。 ISISによるユダヤ人の組織を狙った大規模な爆弾テロがパリで起こり、ガブリエルはISISに潜入させる工作員とするため、フランス系ユダヤ人の女医ナタリーをリクルートする。前半はじっくりとスパイを養成するガブリエル。自分の子供時代のことを明かしながら、ナタリーとの信頼関係を築く。
 そして、潜入、テロ計画の始動。標的は、フランス大統領訪米中の合衆国だった。イスラエル、ヨルダン、フランス、イギリス、合衆国それぞれの諜報機関の長たちの協力関係も面白い。 この回でもガブリエルは爆弾テロの現場にいて被害にあう。



2016年2月〜11月 サラディンとの決戦。
 上巻冒頭で、エルサレムをイスラエルの首都と認め、「米国大使館」をテルアビブからエルサレムに移設する、 と発言した新しい米大統領の就任の話題があるが、トランプ就任は2017年1月なので、現実とは1年ずれた格好か。
訪問していたフランス秘密情報部のビルが自動車爆弾で爆破される。間の悪い時に間の悪い場所に居合わせるのがガブリエルの得意技。このときの怪我は爆風とがれきの下敷きになって、肋骨数カ所を骨折、腰椎2か所にひび、重度の脳震盪で一週間ほどダウン。だが復讐の炎が痛みをおしてガブリエルを突き動かす。そして、サラディンをおびき出す作戦が始動。  
 サラディンの収入源である麻薬取引をヨーロッパ側で仕切る男を攻略し、サラディンに繋がる細い道をこじ開ける。米国からの横やりを排除しつつ、CIA、MI6、フランス治安総局と協働し、作戦を遂行。このあたりのガブリエルの政治力も見物。さりげなく出てくるウージ・ナヴォトもなかなか渋い。そしてサハラでサラディンを追いつめるが、サラディンは欧米のどこかに潜伏しているテロリストに攻撃を命じた後だった。

2017年1月頃? 前作の爆弾テロの際の負傷の後遺症?で痛む腰をさすりながらのガブリエル登場である。おかげで若作りのガブリエルもだいぶ歳相応に見えてきた。良い記憶のあまりないウィーンでの作戦。例によって陣頭指揮を執っていたが、目の前で亡命させる予定だったロシアのスパイが殺害されてしまう。その上その場にガブリエルが居合わせたことを隠し撮り写真でマスコミにリークされて窮地に立たされる。
怒り心頭、恨み骨髄のガブリエルはそこから怒濤の諜報戦に突入するが、判明したのは、宿敵を絡め取ろうとするロシアの策謀が二重三重に張り巡らされていたこと、そしてある伝説の二重スパイの存在だった。



12歳の少女(サウジ皇太子の娘)が誘拐され、その父である皇太子が、敵であるはずのガブリエルに捜索と奪還を依頼する。中東との融和の糸口になれば、という思いと、ただ、何の罪もない少女を助けたいという思いで、捜索に協力するガブリエルだが、目の前で少女は爆殺されてしまう。少女の殺害とその父の失脚の裏にロシアの影を見たガブリエルは、復讐の反撃に出る。戦いはガブリエルの勝利に終わるが、少女を助けることができなかった悔恨がガブリエルを苦しめる。サウジ皇太子によるカショギ記者謀殺事件をモチーフに、ロシア、イギリスを絡めたシルヴァ風の一流のエスピオナージ
 。

2019年11月。長官に就任して以来、腰を負傷して自宅で療養した数日以外は一日も休まず働いていたガブリエルを見かねて、キアラが休暇を手配する。(なんと首相にまで手を回して!)旅行カバンを用意していたキアラに、「出て行くのかい?」と真顔で尋ねるガブリエル! 休暇の行き先はキアラの両親が暮らすヴェネツィア、仕事ひとすじで余暇の過ごし方など知らないガブリエルの為に、修復する絵まで用意する周到ぶり。そこに、ガブリエルの庇護者でもあった教皇パウロ7世崩御のニュースが。この時点で、彼の任期は2年と1ヶ月。
 

21【報復のカルテット】(The Cellist 2021年)
2020年3月〜2021年4月。世界はcovid(新型コロナウイルス)に支配されている。
 アロン家は人が多く、ロックダウン中のエルサレム市街の自宅から、故郷のイズレエル谷のラマト・ダヴィドに程近いナハラルに仮住まいしてコロナを避けている。双子たちは田舎暮らしで逞しく成長中。ガブリエルは新しく入手したガルフストリームに現金を詰め込み、人工呼吸器や検査薬や、医療用防護衣を世界中で買い付けて、国内の病院に配布。政治家への転身の準備か・・・との世間の噂も。そんな噂は歯牙にもかけず、ガブリエルはオフィスで諜報戦の陣頭指揮も執っている。そんな折、ガブリエルと旧知のイギリス在住のロシア人富豪が毒殺され、ガブリエルはおなじみMI6のケラーと動き出した。
 
22 【謀略のカンバス】(Portrait of an Unknown Woman 2022年)
 2021年12月〜。ガブリエルはついにオフィス長官を引退し、長年にわたる諜報の世界から身を引いた。カラビニエリのフェラーリ将軍の庇護のある古巣ヴェネツィアに家族と居を構え、キアラはティアボロの美術修復会社の経営に参画し、子ども達は地元の小学校に通っている。キアラの配慮の行き届いた落ち着いた生活で長年の疲労や苦悩が少しづつ薄れ、彼が本来の笑顔やユーモアを取り戻しつつあるころ、旧友のイシャーウッドが、ある絵画売買絡みのトラブルに巻き込まれる。穏やかな日常に少々退屈しつつあったガブリエルは、キアラの赦しをえて調査にのりだす。

23 【償いのフェルメール】(The Collector 2023年)
 2022年秋〜。ベネツィアで絵画修復に携わり、悠々自適・・・のはずのガブリエルは、またもフェラーリ将軍の訪問を受け、ある名画の鑑定を依頼される。しかし、有名なゴッホの盗難名画の横には、空の額縁とキャンバスを失った木枠があり。そのサイズから、ガブリエルはその絵が、これも盗まれたフェルメールだと直感する。フェラーリからの依頼を受け、絵画の追跡に乗り出すも、ロシアの暗殺者、南アフリカの核開発、そして宿敵ウラジーミル・ウラジーミロヴィッチの手先だった男・・・と、話は転がる雪だるまのように膨らんでいく。

2024年6月22日土曜日

ガブリエル・アロン来歴《美術修復師ガブリエル・アロンシリーズ》(2023.9.10更新)


《大天使ガブリエル》

 イスラエルの復讐の天使 ガブリエル・アロン
 ダニエル・シルヴァによる、美術修復師にしてイスラエル諜報機関の暗殺工作員(キドン)であり、やがては諜報機関、内部の人間の呼ぶところの〈オフィス〉の長官となるシリーズの主人公、ドイツ系ユダヤ人。
 画家として非凡な才能があったが、ドイツ語を母語とし複数のヨーロッパ言語に堪能だった彼は暗殺工作員として活動することを半ば強いられ、22歳で最初の暗殺を実行する。その後も極限の中で暗殺を重ね、結果として、絵を描く才能は損なわれてしまう。その後、ベネツィアで絵画修復師として修行を積み、独立後はこれを隠れ蓑にヨーロッパで工作員としての活動を継続することになる。

 容姿の形容は、身長175cmくらいで平均以下、自転車選手のような引き締まった体躯、暗色の髪はこめかみに白髪が交じり、知性を感じさせる広い額、面長の顔、目はアーモンド型で不自然なほど鮮やかな緑の瞳、高い頬骨、木彫りのような鋭い鼻の線、細い顎。ちなみに、私の脳内では、キアヌ・リーブスが近い。目の色以外はぴったりだと思っている。もし映画化されることがあるなら、主演は彼でお願いしたい。(正し、身長差はいかんともしがたいが。)

 犬が嫌い。(キアラに言わせると野生動物全般と相性が最悪らしい。たぶんガブリエルも動物に劣らずワガママだからだろうな。)
 ガブリエルの犬嫌いはスパイ業界では有名な話らしく、部下のミハイルによれば、犬とガブリエルは「ガソリンとライターのように危険な組み合わせ」なんだとか。元々好きではなかったらしいが、『イングリッシュ・アサシン』で逃走中にアルザス犬(=ジャーマン・シェパード)と闘う羽目になり、左腕を噛み砕かれたことがあって、以来、犬族全般に対して極めて険悪な感情を持っていると推察される。

 性格はやや神経質で寡黙で暗い。時間を掛けることも待つことも厭わないが、待たされることはあまり好きではない。待たされてイライラすると物や人に当たりちらすこともあり。情緒に乏しく傲慢で冷酷とは少年期の彼に与えられた評価だが、感情表現があまり豊かでないだけで、内実は愛情深く、恩義に厚い。

「・・・石灰岩の建物と、松の香りと、冬の冷たい風雨を愛している。教会と、巡礼の人々と、安息日に車を運転する彼をどなりつける超正統派ユダヤ教徒を愛している。旧市街の市場でアラブ人の露店の前を通り過ぎるとき、彼らの守護聖人たるテロリストを何人も排除してきたのが彼であることを知っているかのように、みんなが警戒の視線を向けてくるが、そんなアラブ人のことすらガブリエルは愛している。信心深い暮らしを送っているわけではないが、旧市街のユダヤ人地区に入って、嘆きの壁のどっしりした石組みの前に立つのを愛している。パレスチナと広いアラブ世界とのあいだに永続的な平和を確保するため、縄張りをめぐる譲歩を受け入れてはいるが、本音を言うなら、嘆きの壁だけは譲りたくないと思っている。エルサレムの中心部に国境が作られることが二度とあってはならないし、ユダヤ人が自分たちの聖地を訪れる許可を求めねばならないような事態を招くことも、二度とあってはならない。嘆きの壁は現在、イスラエルのものとなっている。この国が存在しなくなる日まで、そうありつづけるだろう。地中海沿岸のこの不安定な一帯で、いくつもの王国や帝国が冬の雨のごとく現れ、消えていった。現代によみがえったイスラエル王国もいずれは消えていくだろう。しかし、自分が生きているかぎり、そうはさせない。」ダニエル・シルヴァ. ブラック・ウィドウ 上  Kindle の位置No.945-957 


 普段はかなり無口で、几帳面で感情の起伏を表に出さないタイプだから、こんな想いを語られるとけっこう胸熱だ。  

以下作中から読み解く彼の来歴
 ※『ブラックウィドウ』を読んで、ガブリエルの生年を上方修正。1950年生まれだ。

◆ ガブリエル・アロンの家族の出身はドイツ、母方はベルリン。父方はミュンヘン。
 母方は一家全員がアウシュビッツに送られ、母のみ生還。母方祖父はヴィクトール・フランケルという名のドイツ印象派の高名な画家であったがアウシュビッツに到着した日に殺害されている。母も才能ある画家で、戦後イスラエルに逃れ、現代イスラエルを代表する抽象画家となったが、心を病み生涯アウシュビッツの記憶に苦しめられた。 父も腕に番号の入れ墨のあるアウシュビッツの生還者だ〔報復という名の芸術〕が、ハーパーブックス以降の巻では、ミュンヘン出身でユダヤ人虐殺が始まるまえにパレスチナに移住した、とされている。作品初期から設定が変わっているのか?それとも戦前のパレスチナへの移住者だが、捕らわれてアウシュビッツに送られるような経緯があったのか? いずれにせよ、ガブリエルは母から芸術家としての才能と、両親からアウシュビッツを生き抜いた強靱で不屈な精神を受け継いだ。
◆ ガブリエルは1950年(の多分冬。11月か12月頃)に、イスラエルのイズレル渓谷にあるラマト・ダヴィドという農業を中心とする入植地で生まれた。〔ブラック・ウィドウ〕
◆    1967年 父が第三次中東戦争(六日間戦争)で死亡。〔ブラック・ウィドウ〕
◆ 1968年 父の死の1年後、母が癌で死亡。〔イングリッシュ・アサシン〕
◆ 兵役(イスラエルのユダヤ教徒は男女とも皆兵。男子は18歳から36ヶ月の兵役を務める。 )ののち、ベツァレル美術学校(ベツァレル美術デザイン学院)に入学。イスラエルの学生は兵役があるため、普通大学に入学した時点で21歳くらいのはずだが、アロンは1972年に暗殺者となったとき20歳、との記載。〔英国のスパイ〕 若干計算が合わない気がしたが、『ブラック・ウィドウ』では「ミュンヘンオリンピックの後、22歳で復讐の天使になった」とのエリ・ラヴォンの言葉があり。そうであれば、1950年生まれで、ハリー・ボッシュと同じ歳(笑)である。これだと、計算があう。というわけで、ざっと年齢を修正。
◆ 在学中に最初の妻、リーアと結婚。
◆ パリに1年留学していた、との記載あり。〔報復という名の芸術〕
 留学、とはいうものの留学生の身分を偽装に利用して暗殺工作を展開するためだった可能性もある。
◆ 1972年のミュンヘンオリンピック事件(ブラックセプテンバー事件)直後の9月、ガブリエルの語学力、兵役時の銃器を扱う才能、偽装に使える画才等を見込んだシャムロンが彼を強引にスカウトし、シャムロン麾下の暗殺工作員(キドン)となる。〔イングリッシュ・アサシン〕 この時22歳。〔ブラック・ウィドウ〕その後3年間にわたって、ブラックセプテンバー事件への報復作戦である「神の怒り作戦」に従事。
◆ ブラックセプテンバー事件の実行犯・関係者12名を暗殺(銃殺もしくは爆殺)して「神の怒り作戦」におけるガブリエルの任務は終了する。ガブリエルはそのうち6名を直接殺害した、とされている。その際、ブラックセプテンバー事件の犠牲になったイスラエル選手団11名の報復として、可能な限り一人につき11発の銃弾を撃ち込んだ。これは、この後もガブリエルの暗殺のスタイルとなっている。
◆暗殺した6人の内のひとりが、マハムンド・アル=ホウラニだった。この男の弟のタリク・アル=ホウラニが、兄を殺された復讐のため後にガブリエルの妻子を爆殺する。〔報復という名の芸術〕
◆ ガブリエルは、3年間作戦に従事したのちイスラエルに帰還し、改めて画家としての活動を再開しようとしたが、キャンバスに向かうと自分が殺した相手の顔がちらついて、絵を描くことができなくなっていた。そこで、シャムロンの了解のもと、ベネツィアの美術修復士のもとに弟子入りし、絵画修復の道に入る。
◆ 1975年〜1977年頃までの3年間、ベネツィアで修行。
  絵画修復師として独り立ちした後は、この身分を隠れみのに、工作員としての活動を継続。
◆    1976年頃には、チューリッヒ在住のパレスチナ人劇作家、アリ・アブデル・ハミディを殺害。〔イングリッシュ・アサシン〕
◆ 1977年頃  シャムロンが修復師修行を終えたガブリエルをイシャーウッドに引き会わせる。
◆ 1988年頃 息子のダニエル・アロン誕生。(ガブリエルはこのとき38歳)
◆ 1988年4月のPLO幹部暗殺事件では、作戦に加わり、暗殺を実行している。
◆ 1991年1月 ウイーンでガブリエルの自動車に仕掛けられた爆弾により息子のダニ(当時2歳半)が死亡、妻リーアは全身大やけどを負い、精神に異常をきたす。〔報復という名の芸術〕
◆ 事件の後、ガブリエルは〈オフィス〉を辞め、イギリスのコーンウォール最南端のガンヴァロー海岸にあるコテージに隠棲。このコテージとアトリエは、こののち長い間彼の心の休息地となるが、『英国のスパイ』では殺戮の舞台となる。
◆ 1998〜1999年頃、イギリス・コーンウォールのヘルフォード川河口、ポート・ナヴァスの近くにあるコテージに移り住む。このコテージの隣家にピール少年が住んでおり、ガブリエルは亡くなった息子ダニエルと同じ歳のピールと交流する。〔報復という名の芸術〕
◆ 1998年頃は「この世界(諜報と暗殺)から遠ざかっていた」と本人の弁。〔英国のスパイ〕この頃はイシャーウッドからの絵画修復の依頼で生計を立て、精神病院に入院していたリーアの治療費を稼いでいた。
◆    1999年頃 シャムロンの要請で〈オフィス〉の現場に復帰。ニューヨークでパレスチナ人テロリスト(タリク・アル=ホウラニ)の銃撃を胸にうけて重傷。〔報復という名の芸術〕
◆ 2001年頃 ナチスによって奪われたユダヤ人が所有していた絵画を巡り、スイスの秘密組織に潜入するも捕らえられて拷問される。なお、この作戦の際、パリで爆弾テロの標的とされ、腕に大怪我もしている。(爆弾テロ1回目)〔イングリッシュアサシン〕
◆ 2001年〜2002年冬 サン・ザッカリア教会の祭壇画(ベッリーニ)の修復。
  盟友ベニがミュンヘンで謀殺される。
  ローマ教皇暗殺犯(ベニを殺した男)をバイクで追跡中転倒し重傷を負う。〔告解〕
◆ 2003年  聖クリストソモ教会の祭壇画(ベッリーニ)の修復。キアラとは恋仲になっている。SS将校であったラデックを捕らえてイスラエルに連行する。〔さらば死都ウィーン〕
【5作目から13作目 未読 ガブリエルがキアラと別れたりくっついたり、ローマ教皇を助けたり、ロシアに潜入して大怪我したり、サウジに潜入して捕まったり、イギリスの首相を助けたりしている。ああ、翻訳読みたい(泣)】
◆    2014年秋  サン・セバスティアーノ教会の祭壇画(ヴェロネーゼ)の修復。
◆ 2014年秋〜12月 英国人の殺し屋ケラーとともに元IRA爆弾テロリストとロシアのスパイを追う。ロンドンで爆弾テロの標的にされて負傷するが、この事件を逆手にとって死亡を装ってテロリストを追撃。
◆    2014年12月 妻キアラとの間に双子誕生。
  女の子をアイリーン(ガブリエルの母の名)、男の子をラファエル(ルネサンスの大画家より)と名付ける。〔ブラック・ウィドウ〕
  カラヴァッジョの祭壇画《キリストの降誕》の修復〔ブラック・ウィドウ〕
◆ 2015年4月〜ISISの爆弾テロ指導者〈サラディン〉を追う。この間、ワシントンで爆弾テロに巻き込まれる。〔ブラック・ウィドウ〕
◆ 2015年の末に 〈オフィス〉長官に就任(65歳)。双子1歳の誕生日。サラディンの追跡を継続。パリのヴォクソール・クロスでまた爆弾テロにあう。〔ブラックウィドウー死線のサハラ〕

◆ 2019年11月 ローマ教皇パウロ7世逝去。双子は4歳で、もうすぐ5歳。ガブリエルは69歳になったところ。ガブリエルの旧友でもあるドナーティが、新教皇に選出される。〔教皇のスパイ〕

◆ 2020年3月 新型コロナの流行。アロン家はナハラルのバンガローに仮住まい。ガブリエルの旧友であるロンドン在住のロシア人富豪が毒殺される。
◆ 2021年1月6日 米国でトランプ支持者による議会議事堂襲撃。 1月20日 大統領就任式の直後にQアノン支持者によるガブリエル暗殺未遂。生死を分ける一週間、さらに2週間の集中治療ののち、ガブリエルはイスラエルに帰国。その後、復帰までにはさらに数ヶ月の静養を要した。〔報復のカルテット〕

◆ 2021年末 オフィス長官辞任。ヴェネティアでついに引退生活に入る。
◆ 2022年春 旧友のイシャーウッドが贋作絵画売買の詐欺に巻き込まれる。1枚の絵の所有者が殺害され、イシャーウッドも狙われるに及んで、ガブリエルが調査に乗り出す。結果、全世界を股に掛けた巨大絵画投資詐欺グループを壊滅に追い込む。〔謀略のカンバス〕
◆ 2022年秋 〈オフィス〉長官引退後、ヴェネティアで絵画修復に励むガブリエルにフェラーリ将軍が巨匠絵画の盗難事件を持ち込む。ガブリエルは調査を請け負うが、それがウクライナ戦争での核使用を目論むロシアの陰謀に繋がり、ガブリエルは再び〈オフィス〉のメンバーを集め諜報戦を指揮することに。〔償いのフェルメール〕

2024年6月15日土曜日

0488 レーエンデ国物語

書 名 「レーエンデ国物語」
著 者 多崎 礼 
出 版 講談社 2023年6月
文 庫 496ページ
初 読 2024年6月14日
ISBN-10 4065319463
ISBN-13 978-4065319468
読書メーター 
https://bookmeter.com/reviews/121302449

  「革命の話をしよう」

 という序章で、この物語は始まる。
 「レーエンデ国物語」、と言いながら、この巻ではレーエンデという地方は登場しても「国」は存在しない。
 そのことからも、後世に登場する「レーエンデ国」の伝説若しくは年代記として、この本は語られるのだろうか、と予想する。
 序章によれば、この物語は「革命」の話であり、レーエンデの歩んだ苦難の道のりであり、物語の起点となる“レーエンデの聖女”と呼ばれたある女性の物語であると。
 そして終章、この巻の主人公の一人、宿痾に冒された弓兵トリスタンの、その銀呪に侵された死にゆく目に、壮大なレーエンデの未来が映る。そして、ここが終わりではなく、始まりなのだ、とトリスタンは知る。

 レーエンデの誇りのために戦う女がいた。(第二部 月と太陽)
 弾圧と粛清の渦中で希望を歌う男がいた。(第三部 喝采か沈黙か)
 夜明け前の暗闇に立ち向かう兄と妹がいた。(第四部 夜明け前)
 飛び交う銃弾の中、自由を求めて駆け抜ける若者達がいた。(第五部 未刊)

 これらの物語が、この後に続く巻で、語られていく。

 とても壮大で緻密な物語世界を構築している。まさに、ハイ・ファンタジー。
 そのことに疑いはないのだけど、物語の舞台には、冒頭からどことなく既視感を感じる。なんとなく『もののけ姫』の世界観との共通性を感じるからだろうか。時代的にも中世→近世といったところ。周囲はだんだん文明化しつつある。よそ者の侵入を嫌う異形の古代樹の森とか、宿痾を背負った青年(トリスタン/アシタカ)とか。作中に登場する泡虫は『もののけ姫』の「こだま」と同じような役回りを果たす。
 また、残念なことに、『指輪物語』のような大叙事詩的なスケールの大きさを感じさせる世界なのに、全体的に台詞回しが軽い。テンポの良い会話は面白くはあるのだけど、軽いノリや語彙が非常に現代っぽく、中世的な情景に相応する情感とは雰囲気が添わない。そのせいで登場人物の情緒もいまいちチグハグな印象を受ける。
 また、もう一つ違和感が拭えなかったのは、「革命」「自由」といった言葉がどうも上滑りしていること。(もっとも、後世に書かれた、という体裁であるから、描かれた時代(この巻の年代)にはない概念が「作品」に持ち込まれているのだ、と考えられなくもない。)
 「自由に生きる」「個人の幸福」「自分の人生を自分で選択する」といったテーマはとても近代的なものなので、太古の森で、ドレスを纏ったお姫様が、「自由意志による選択」について苦しむ、ということに時代的なミスマッチを感じてしまう。自我の獲得ともいうべきとても近/現代的なテーマは、あたかもとってつけたように感じられ、違和感があるのだ。16歳のユリアが、自分の父より高齢で好色な領主の後添えに嫁ぐことを伯父に強要される。そのことにユリアが嫌悪を示すのは良いし、苦悩するのも当然なのだが、その葛藤を「自由に生きる」という言葉に置き換えてしまうと、とたんに「なにか違う」ものになってしまう。

 また、「悪魔」という言葉は、どうしてもキリスト教的意味合いを強く感じるので、別の言葉を当ててくれるとよかったのにな、と思う。ローマ・カトリック教会に近い雰囲気を醸し出している「クラリエ教」の教義や伝承の中にこの言葉が出てくるのであればたぶんすんなりと馴染むが、クラリエ教に圧迫される側の少数民族の古くからの伝承の中に「悪魔」とか出てくると、違和感が強い。

 さらにどうしても気になってしまったのが、「木炭高炉に石炭が必須」というセリフ。
 木炭高炉で製鉄するなら、必要なのは木炭であって石炭ではないのでは?石炭で製鉄するにはさらに時代が下がってコークスの登場を待たねばならないし、そうなったらそれはすでに「木炭高炉」ではないのでは?

 いやほんと、お前は本を楽しむ気があるのか!と叱られそうなレビューで申し訳ないとは思いつつ、一応気になった点は記録しておく。しかし文句は多いが、十分に楽しんで読んだ。一巻目で感じた違和感のうちのいくつかは、後続の巻を読めば解消しそうな気もする。

 なにしろ、トリスタンが最後に悟ったように、これは「終わりではなく始まり」
 レーエンデは揺籠
 エールデは胚子
 誕生したまま、ついに登場しなかったエールデは、今後、物語の中でどのような役割を果たすのか。
 トリスタンが言ったように、トリスタンは霊魂となってエールデのそばに留まるのか。
 やはりユリアが言ったように、ユリアはリリスと、時代を経てなんらかの再会を果たすのか。
 始原の海とはなんなのか
 銀呪病の正体はなんなのか・・・・

これらの謎が明らかにされることを大いに期待して、続刊に臨みたい。

2024年6月7日金曜日

番外 異国日記(4)〜(11)


(4)朝ちゃん「なんでこんなこともできないの」って禁句だからね、と思った。できない人はできないんだよ。「ふつうのこと」は、言われても傷ついちゃいけない、ってのも強者の、もしくは多数者の傲慢だよな〜。そういう傲慢は、幼かったり、若かったりすることで、周囲から許されるもの。愛されてきたであろう朝の無自覚な傲慢は、ところどころで棘のように痛い。
 そして笠町くん。頑張った。



(5)自分の中の当たり前や常識が砂上の楼閣のように崩れて、残ったのはお腹の中の命だけだったとき、実里さんにはその命を愛することは当然のことだったのか。実里さんは何を日記に書き残そうとしたのかな。
 高校生の頃、学校サボってぶらぶらするのは当たり前だったな。あの当時の形容しがたいやり切れなさは、学校という集団の中ではやり過ごすことができなかったので。幸いだったのは、そういういい加減さが許される学校だったこと。多分生徒たちを、馬鹿なことはしても、愚かなことはしない、と信頼してくれていたんだろうと思う。
 それにしても槙生さんの小説を読んでみたい。俺の竜のエイマールが死んでしまった、なんて、そこだけでも物語が怒涛のように押し寄せてきて泣けそうだ。

(6)「死ぬ気で、殺す気で、書く」「死ぬ気で、打ち、鍛え、研いで、命をかけて殺す」という作業。文章を書く極意を言語化するも、朝には「わかんない」。若いし、未熟だし、未熟だってことは恥ずかしいこと。まさに黒歴史。私はどうにも朝に共感しきれなくて。幼くて、知識も経験も足りないことにある意味あぐらをかく、というか、だから自分は許される、とどこかで思っているところが・・・・・多感なのに鈍感で、言葉を選ばないし、平気で人を傷つけるし。そんな未熟な朝を、きちんと愛する槙生さんがすごいと思うよ。もっとも槙生さんは絶対に「愛する」とは言わないのだが。
 笠町くんと、ジュノさんと、エミリのそれぞれの来訪が、同時並行で描かれていて、きっと槙生さんの頭の中はこんな感じにごちゃごちゃしているんだと思った次第。

(7)朝ちゃんが、すこし大人にちかくなって、世界と噛み合うようになってきたかな。世界と噛み合うとは、朝ちゃんの力が世界に及ぶということ。たとえば十年後の誰かの思い出のように!?
 そういえば、「自分のなりたいものになりなさい」って教育は本当にクソだと思う。自分が何者かもわからん子供に、自分がなりたいものになることが尊いのだ、と教育して、何%が成功して何%が挫折するのか、エビデンスがあるのか? それよりも、自分でメシが喰える人になりなさい。と教えてほしいよ。(と、大いに脱線。)

(8)えみりのカミングアウト。朝の「父親さがし」。数々のインタビューの中で、一番心に残ったのが、笠町くんの「年上の男性はいまだに苦手」。男の人でもそうなるのか、とこれまた男性差別的な視線で恐縮だが、そう思ってしまった。女の子だろうが男の子だろうが、高圧的な父親だったらそうなるよね。思春期の反抗期ごろに親子の関係性を転覆できなければ、そうなる。そして、親に愛されていなくても自分が価値のない人間ではない、という笠町くんの言葉。これは、真実だけど、自分の中で真実になるまでに何回も何回も反芻され、言い聞かされ、それでも頼りなく、自分を支えるものはそれしかないとしても、細く弱く頼りない。あなたはここにあるだけで価値がある、と槙生さんなら怒りながら言ってくれると思うが。

(9)7巻くらいから?判然としないけど、だんだん、構成が朝がもっと大人になってから記憶を辿って書いている日記の体裁になってきた。
そして、「やめる人とやめない人」。同じ文脈で「努力できるひとと努力できない人」という言い方をする人もいる。努力し続けることが才能だ。と。それもまた、一つの真理だけど。私にとっては、「努力し続ける」ことができる能力は、才能というよりは、恩寵、かな。自らに内在するもの、というよりは、自分の意思には無関係に与えられたり、与えられなかったりするもの。私の絵を描く友人はかつて「描き続けることを選択してきた」と。人生のさまざまな選択の場面で、「描くこと」につながる方を常に選択し続けることもまた、力であり才能。

(10)「父親探し」も一区切りついたか、気持ちも生活も受験が多くを占めるようになる高2の後半〜。姉の急死と姪の朝を引き取ることがなければ、きっと変化すこともなく、ただ硬化していっただろう姉との関係も、朝を通じて、槙生の中で変化していくのか。子育てって、自分の思い通りにはならない他者が自分の生活の中にいる、ってことだけでも、人間を成長させると思うなあ。なんとかそういう生活に適応する努力をしている槙生さんもえらいが、「努力」できている時点で、槙生さんの「生きにくさ」とはなんなんだろうなあ、とは思う。仲の良い友人がいて、仕事仲間もいて、子育て仲間もいて、ちゃんとコミュニケートできている。槙生ちゃん、ちゃんとできてるよ。

(11)了。様式美的ではあるが。予定調和的ではあるが。ほんと、こうだい槙生の作品を読みたくなる。

 総じて、自分の学生時代のこと、自分と親のこと、自分の子育てのこと、自分自身のこと、いろいろと思い出し、身につまされた。そういう意味では疲れる読書だった。

2024年6月2日日曜日

番外 違国日記(1)〜(3)



 私の内面の、苦さ(くるしさ、とは書きたくないので、「にがさ」で。)とか、生きにくさ/やりにくさ、とか、人との関係の取り方の難しさとか、などは、決して外側からは見えないし、そんなものが存在することすら傍目には理解できないし、私がそのようなものを抱えながら毎日を生きているなどとは想像もつかないことだろうと思う。

 はばかりながら50年以上を生きてきて、人との付き合い方も、職場での振る舞いかたも、そこそこ身についている。ただ、自分の主観として、楽ではないだけだ。

 おそらくは、そこはかとなくアタッチメントに問題があるのだろうと思う。
 病的なほどではない。ただ、「傾向」として、ややそういうところがあるだけだ。

 致し方ない事情で、0歳児の頃に3〜4回、養育者が変わっている。基本的な愛着関係や言語を習得する時期なので、それなりにダメージがあったと我ことながら想像する。
 その後は、ずっと保育園で集団生活の中で育ったので、集団の中で身を処す方法は身についたが、それが自分の「気持ち」ときちんとリンクしているわけではない。

 自分の周囲で、自分以外の人が仲良く話をしているときなどに、なんの脈絡もなく、疎外感を感じる。この疎外感と自己同一化するといろいろと駄目になるので、自分の意識をちょっと遠くにおき、周囲の状況と、その環境下で自分の中に醸される感情を俯瞰することが習慣づいている。
 自分の感情と、自分のマインドを切り離して冷静に自分を観察するのは、例えば瞑想などとも関連する方法だが、四六時中そういうことをしているのはメンタル的に疲れるし、本来なら仕事などに回せる自分の脳内のリソースを余計なことに使っている。

 自分がどんな環境が一番好きかというと、たとえば、人の気配のする家の中でひとりでシンとしているのが好きだ。家族が寝静まった深夜の家の中などは、かなり好きだ。

 職場にいる時や、何かの会合に出ているときの自分はかなりテンションが高いが、周囲からはおそらくエネルギーのある元気者だと思われている。

 しかし、家に帰ると、スイッチが切り替わるので、一気にエネルギーは枯渇する。

 とても、疲れる。

 私もきっと「違国」の住人なのだと思う。

 だけど、きっと私一人がそうなのではない。皆、一人一人が、何かしらの難しさや生きにくさを抱えながら、「社会」や「世の中」に自分を合わせて、沿わせて生きている。そもそも、人は一人一人の能力にも差があり、なんとか円満に育ったとしても、この世は決して生きやすくないのだ。

 そんなことをつい、考えさせられた、「違国日記」。

(1)槙生さん、勢いと道義心の発露で、若犬(朝、15歳、女の子、姉の子)を引き取る。
 しかし、槙生さんは、人間関係全般がNGで、孤独を友とする人だった。親を失ったばかりの多感な15歳の存在に怯えつつも、なんとか関係を構築しようと模索する。あなたの感情はあなた自身のものであって、他人がそれをとやかくいえるものではない。当たり前のことだが、人は自分とは違う「他人の感じ方/考え方」を否定しがちだ。それこそ、「えー、うそー?(笑)」みたいな簡単な言葉で。「15歳の子供は、もっと美しいものを受けるに値する」「私はけっしてあなたを踏みにじらない」、日記の書き方のすすめが良し。

(2)主人を失った家の片付け。当然に続いていたはずのものが、突然断ち切られることを受け止めるのは難しい。自分にとっては敵も同然だった姉の生活をのぞく。いなくなった母のことなのに、現在形で話してしまう朝ちゃん。英文法の時制の話になぞらえて、受け止め方/考え方を教える槙生さんはとても知的で、優しい。自分と朝の「おかーさん」の話は、「過去完了形」。
 笠町くんはいい男だ。こういう男って、漫画の中にしか存在しないよな、とちと思った。
 なんで槙生の姉さんは、あんなに言葉で妹を切り刻んだんだろうな。姉というのは、それが許されると誤解していた? ただ、この場合姉の言葉は槙生の主観/記憶であって、実際はもうちょっとそうでなかった可能性もある。だが、そうだとしても、槙生の感じ方もまた、真実。
 いちいち槙生ちゃんと自分と引き比べてしまう。少なくとも、私は自分の生に疑問を持ったことはなかった。親に愛されていないと感じたことだけはなかった。それは間違いなく親に感謝できることだ。ついでに、自分の子育てをつい、振り返ってしまう。私は自分の娘にどう関わってきたか(かなり放任した自覚もあるが)。なんか、身につまされることが多すぎる。

(3)朝ちゃん、高校の入学式。一人で出席する朝に、親友えみりの母が怪訝な顔。ここにも社会常識という善意の塊。
 槙生が最初に借りたアパートは近くに学校があって、チャイムの音やプールの声が離れて聞こえてくる。緩やかに干渉はされずに、人の気配がして繋がっている感じ。これは理解できる。わたしにとっての夜中の家の中、と同じ感覚だ。
 無条件に子供を受け入れる、そうありたいと思っていたけど、実際のところ子供から見た私は「無条件」だったろうか。もしかしたら「無関心」だったのでは?
 そういえば、娘がこっちが返答に困るようなことを言ってきたときに、ひとまずそれを飲み込んで、どんな返事がいいか、と考えるんだけど、私の沈黙が長すぎて、娘は無視されている、と思っていた。べつに無視しようと思ったわけじゃないんだけどね。返答が難しかっただけだよ。もう、何を聞かれたかも忘れてしまったけど。

弁護士の塔野さん、いい味出してる。本人に自覚があるかどうかはともかくこの人も「違国」の住人か。でもこのかたはきちんと現実社会に着地していそう。
ライバル登場だ。頑張れ笠町くん。

2024年5月の読書メーター

 5月もあまり読書は進まず、読了冊数の寂しさについ、コミックで水増しした。
 オノ・ナツメさんのバードンが9巻で完結。どこまでも、スペクタクルにもアクションにもならず、渋ーい大人の物語でした。 公安Jの「オリエンタル・ゲリラ」は70年代安保闘争から新左翼が国際ゲリラ化した流れを辿る。ほんと、日本の暗部やら恥部やらをえぐるのが上手な作家さんだ。で、読みたい本が多すぎるだけでなく、読もうと思った本が本棚で行方不明になること多発。いずれ読もうと思っていた70年代関連書籍が見つからない。散々探して、よーく、よーーーく考えると、さすがにもう読まないだろうと思って古本屋に売っぱらったようなおぼろげな記憶があるような、ないような。こういう風に、突然読みたくなるんだから、やはり、本は手放してはいけない、と反省した。

5月の読書メーター
読んだ本の数:6
読んだページ数:1392
ナイス数:536

BADON(9)(完) (ビッグガンガンコミックス)感想
完結。一巻から追いかけてきたんだよなあ、とちょっと感無量。大人の話だ〜。それなりに大きな事件があり、関係者がそれぞれに揺られるけど、狼狽えない。たじろがない。力を合わせて乗り越える。煙草は吸わないけど、つい嗜んでみたくなってしまう。でも私にはハチクマのシガレットチョコの方が合うな、きっと。
読了日:05月31日 著者:オノ・ナツメ

警視庁公安J オリエンタル・ゲリラ (徳間文庫)警視庁公安J オリエンタル・ゲリラ (徳間文庫)感想
えらく時間をかけて読了。純也の心情に入り込めないのが、ストーリーにのめり込めない原因か。女性の造形はチープだと思う。なんだよ美魔女って(笑)。この男性作家さんも女性を魅力的にかけないタイプか? どうにも女性キャラが男の幻想の魔物の域から出てこない。70年代の社会運動の記録は、歴史的・日本の精神史的な側面からぜひ一度取り組みたいテーマなので、この本に触発されて、数冊の本を読みたくなった。なお、例の合言葉の意味は早い段階で気づいたが、ローの正体は流石に意外だった。氏家さんがどんどん良い人になってきたな
読了日:05月29日 著者:鈴峯 紅也

海賊王子と初恋花嫁 (Ruby collection)海賊王子と初恋花嫁 (Ruby collection)感想
疲れた心に優しいお話です。癒されたい人と癒されたい時に最適だ。砂漠の帝国のハーレムの一角で忘れられたような17番目の皇子と海洋都市国家(生業は海軍。傭兵+海賊)の首領の息子。10歳と12歳から始まる幼い友情と恋愛。17と15で再会して、海賊王子のカイが、初恋の相手で幼馴染みのイシュルをひたすらに口説いている。同時に手も出てる。カイはいい男だし、イシュルはただただ健気だが、心が強いのが良き。BL描写は極控えめ。船のイメージは帆付きのガレー船のイメージで読んだ。
読了日:05月21日 著者:須王 あや

違国日記 1 (フィールコミックス FCswing)違国日記 1 (フィールコミックス FCswing)感想
生きづらさを抱えながらも、自分の居場所を守りつつ、そこに、苦手としりつつ親戚の子供を引き取って・・・。槙生さんの生活はちょっとうらやましくもある。一人で引きこもって生きていくことに憧れてしまう。 私も、ラストからでも本を読める人なので、そこはちょっと共通点があって嬉しい。
読了日:05月18日 著者:ヤマシタトモコ

OBLIVION<矢代俊一シリーズ25>OBLIVION<矢代俊一シリーズ25>感想
《毒を喰らわば皿まで》検証『トゥオネラの白鳥』の展開には合理性があるのか!?《補遺》。矢代俊一シリーズ最後の本。未完。薫サン2008年12月の筆。翌年の2009年5月に死去された。今更だが故人の冥福を祈る。矢代俊一グループは、富士河口湖畔のホテル兼スタジオを貸し切って新アルバムの収録に臨む。収録にはコアメンバー5人の他にピアニストの松本弓彦、和太鼓の社中なども参加し、俊一の父も参加する予定。新アルバムは『雨月物語』をテーマに、人間の業と救済を描く。そしてそのホテルで心霊現象に遭遇したところで・・・未完。
読了日:05月04日 著者:栗本薫

五歳で、竜の王弟殿下の花嫁になりました3【電子書籍限定書き下ろしSS付き】 (Celicaノベルス)五歳で、竜の王弟殿下の花嫁になりました3【電子書籍限定書き下ろしSS付き】 (Celicaノベルス)感想
 3巻目が発売したので、読む。もはや私の心の包帯と化している。今作はレティシアの幸福を阻まんとする悪い策謀に対して、フェリス様の怒りが爆裂。レティシアの前では優しい猫をかぶってるフェリスの黒い面も堪能。白フェリスと黒フェリスの塩梅が絶妙です。ラノベとはいえ侮れん。この人文章うまいな〜と思いながら読みました。なお、男前?な王太后様がすんばらしかった。見直したよ。
読了日:05月03日 著者:須王あや

読書メーター

2024年5月31日金曜日

0487 警視庁公安J オリエンタル・ゲリラ (徳間文庫)

書 名 「警視庁公安J オリエンタル・ゲリラ 」 
著 者 鈴峯紅也
出 版 徳間書店 2017年11月
文 庫  5
51ページ
初 読 2024年5月29日
ISBN-10 
4198942145
ISBN-13 
978-4198942762
読書メーター

 セリフで遊びすぎていて読者の側に置いてきぼり感があるのはいつものことなのだが、なかなかストーリーに入り込めないところが難だ。
 あと、女性の形容がステレオタイプでつまらんよ〜。なんだよ、熟女って、美魔女って。(~_~;)
それはせめてアラフィフの女性に使って欲しいよな、などと思いながら読んでいるからか、なかなか進まない。どうにもペースに乗れず、つい、軽く楽しく幸せに読める読書に関心が流れて流れて、読了までになかなか時間がかかってしまった。

 甘粕製薬の御曹司の双子、1人は出来が良く、東大ストレート合格、もう1人がどっちかっていうと頭は悪いが行動力があるタイプ。悪くいえば粗暴。そして海外で1人が事故死、となればこれはもう、入れ替わりのフラグでしかない。
 で、ネタバレであるが、「腹腹時計」である。ひょっとしてローは「狼」だろう? メッシは滅私だろうなあ、と思っていた。そのうちに話中でネタバレされるけど。
 70年代の熱と、それ以降の暴力と殺人の狂気に興味関心はあれど、知識はまるでなかったので、いちいちwikiで調べながら読んでいるうちに、三菱重工爆破事件、法政大学、東アジア反日武装戦線、Lクラス・・・ と繋がって「腹腹時計」に辿りついてしまった。なるほど教科書は、爆弾作成の教本だったと。ハラハラ時計は時限爆弾。滅私が付く爆弾は自爆テロの指南だった。

 70年安保から続く組織内の殺人とテロリズムをどのように「総括」するのか。彼らの「社会主義」とはいったいなんだったのか。それに対する意見は人それぞれだとは思うが、純也の言い放つ「ただの犯罪者」というのはまさにその通りだと思う。当時のあの昂りを同時代人は青春と思うか、暗黒史と考えるかは、それこそその人が生きた時間や場所や、たまたまその時に立った場所のほんの偶然、運命のイタズラにすぎない。しかし、もう若くないんだと長髪を切って七三に整え、有名企業に就職したり、官僚になったりして、若き情熱の日々を懐かしむようなことはやはり、勘弁して欲しいと思ってしまう。しかしそれよりも、いい歳になってもそこから抜け出せず「階級闘争」を続けているような人間は、もっと勘弁してほしい。そういう人間には、そうそうお目にかかれるものではないのだけど、もし会ったなら、つい、クシャクシャっと丸めてポイと捨てたくなってしまうだろう。 その点については、なんだか作者と同じ価値観を持っているような気がする。あのような時代に何かの象徴的な文字を当てるとしたら、「未熟」とするだろう。未熟の上に、より良い社会は建たない。人も社会も成熟しなければ。

 で、もって、ローの正体については、流石に騙された。なるほどねえ。
 そして、その事実を、純也は知り、飲み込み受け止めていくのか。
 母の死の原因となったもの、自分のかつての小日向和臣の次男としての「まっとうな」人生を破壊したものの真実、そして、純也が殺害せざるを得なかった存在のこと。
 この、底冷えするような冷徹が純也のキャラクターではあるけれど、この寄せ付けなさゆえに、この話にのめり込めないんだよなあ。と少し残念ではある。純也がほんの少しだけ、甘さを見せる造形だったら、多分私の嗜好にクリーンヒットしたので。

2024年5月26日日曜日

日々雑感ーーー漏水と新刊とお菓子

昨日収穫した新刊の文庫たち

 もうそろそろ2年に近くなるが、認知症を発症した実母の介護・・・というか、メシ炊きと身辺整理と見守りのため、片道2時間弱の実家に週末に通っている。一泊もしくは日帰り。
行って、ゴミ出し、薬と生活費の補充、デイサービスの連絡帳のチェックと記入、冷蔵庫の食料品のチェック、買い物に行って消耗品と冷蔵庫のお惣菜の買い置き、一週間分のご飯をたいて小分けパック保存、その他、郵便物や支払い関係のチェックなどなど・・・

 母は究極の片付け魔なので、室内は四角いものは四角く、丸いものも四角く、きちんと、一見整理されているように見える。一見さんには、とてもとても、認知症高齢者の家には見えない。しかし、短期記憶が壊滅しているので、片付け方に前後の脈絡がなく、いろいろなものの場所が変わってしまう。家の中のものが、「散らかっていて見つからない」のではなく、「どこかに仕舞われてしまって、見つからない」ということが頻発する。たとえば、ご飯を炊こうとしたときに、まず、炊飯器のコードを探す必要がある。

 おまけに漏電火災が怖いらしく、コンセントというコンセントを抜いてしまう。エアコンのコンセントは抜けないように細工したが、うっかりするとコンセント周りを破壊されかねない。いつしかテレビの電源も抜かれ、テレビも見れなくなった。冷蔵庫のコンセントまでは抜かれないのが幸い。

 侵入恐怖や視線恐怖があるようで、昼間でもカーテンを引きたがるし、換気で窓を開ける側から閉められてしまう。ドアガードをかけられてしまうと緊急時に家の中に入れなくなるので、シリンダー錠以外の内側から引っ掛けるタイプのガードは外してしまった。
 
 それでも、とりあえず、長年身についた生活習慣を頼りに、母は日々の一人暮らしを営んでいる。ほぼ何一つ記憶に残らないのに、毎日、新聞を読み、読書をしているのを見ていると、つい、人が生きている意味とか、読書の意味とか、どうしょーもないことも考えてしまう。母には、認知症を発症して以来の時間の積み重ねは、ないに等しいので。

 ああ、なんだか愚痴めいてきた。

 で、先週のことだが、定例の週末訪問で、洗面所の天井からの漏水に気づいた。
 慌てて、上階の家と、管理組合とに連絡をして、ひとまず管理組合の維持管理担当の方が現況確認にきてくれたのが、先週日曜日。そして、手配の業者さんが上階の配管の修繕に入ったのが、昨日土曜日。上階もこちらも、週末しか都合がつかぬ、ということで、工事は毎週末に入ることとなり、まずは上階の問題解決、次が、うちの内装補修なので、まだまだ時間がかかる。洗面所の異変に母がパニックを起こしていないのが幸いだ。

 昨日は、月一の診療内科(認知症)の受診もあり、もろもろあって疲れ果てた。夕刻、母と食事を取り、新宿のブックファーストに寄って帰ろうと、帰路を選択。だんだん、家に帰ろうとしているのか、本屋にゆこうとしているのかわからなくなってきた。

 おりしも、読書メーターで読み友さんの新刊レビューを読んでしまった。

 疲労困憊して思考力は低下し、頭の中は、成城石井で甘いお菓子を買うことと、本屋で新刊文庫を買うことでイッパイに(笑)

 成城石井で買ったのは抹茶のポルボローネ、ピーカンナッツチョコキャラメル、水羊羹、ざぼんの蜜漬け(甘納豆)、ココナッツとバナナのパウンドケーキ・・・・・・この統一感の無さが、脳ミソ停止しているのを表しているな・・・・・・
 ブックファーストでの戦利品は
 「炒飯狙撃手」「バッドカンパニー」「戦士強制志願」「能面検事」(冒頭)・・・・・・こちらも統一感はない。

 家に帰って、とりあえずお茶と甘味でゆっくりしよう・・・・・・と、這うような心持ちで家に帰ったら、家族が使った台所が散らかっていて、脳内で何かがバースト。怒りながらシンクとガス台とその周りを磨き上げてしまった。結局、家に帰ってから最初に椅子に座ったのは2時間後。疲れていたからこうなったのか、こうなったから疲れたのか。しかし何はともあれ今日は日曜日。

 今日はともかく、戦利品とまったりするのだ。

昨日収穫したピーカンナッツチョコキャラメルと
今お気に入りのウエッジウッド「ブルーエレファント」

 ちなみに、最近本の収集(もはや「読書」とは言いづらくなっている。)のほかにハマっているのが、食器の収集。狩場は主にオークションサイトとメルカリ。若いころから憧れていた英国食器や漆器、絵付け綺麗な和食器などを収集中。これらの収集品も、もし首都直下型地震でも起きた日には、粉々になってしまうんだろうか、と戦々恐々している今日この頃である。

2024年5月21日火曜日

0486 海賊王子と初恋花嫁 (Ruby collection)

書 名 「海賊王子と初恋花嫁」
著 者 須王 あや   
出 版 KADOKAWA  2019年2月
単行本 400ページ
初 読 2024年5月20日
ISBN-10 4041076951
ISBN-13 978-4041076958
読書メーター  

 先日読んだ『五歳で竜の王弟殿下の・・・』の須王あやさんの商業デビュー作・・・だろうか?
 全編、海賊王子のカイが、ひたすらに初恋の相手で、幼馴染みのイシュルを口説いている。カイはいい男だし、イシュルはただただ健気で、儚げだが、儚いだけではなく、心の強さがあるし、柔軟で折れないのが良い。とにかくしあわせになりたい人と、幸せになりたい時に最適な読書。敢えて難癖つけるとしたら、ちょっと海が凪すぎてるのでは、と思ったが、そこは風の精やら海の乙女が守護してるので、荒れようもない。海洋冒険小説好きにしてみると、ありえないほど海が穏やかだ♪
 船については、帆船というよりは、帆付きのガレー船のイメージで読んだ。
 あと、砂漠の国の皇子様のイシュルの肌が白いので、とっても日焼けが心配で(笑)。日除けのベールとか被せてあげたくなります。

2024年5月6日月曜日

0485 BLの教科書 有斐閣(その1 第一部)※ まだ未読了

書 名 「BLの教科書」
著 者 堀 あきこ/守 如子 編     
出 版 有斐閣  2020年7月
単行本(ソフトカバー) 306ページ
初 読 2023年1月9日
ISBN-10 4641174547
ISBN-13 978-4641174542

読書メーター https://bookmeter.com/books/15988418   

 2022年ごろから、突然BLを読み始めまして。
 それまで、全く未経験ってわけでもなく、今にしてこの本などを紐解くと、キャプ翼同人からいわゆる「やおい」が派生して、隆盛を極めたころと、自分が一時期コミケという文化に首を突っ込んだのがピンポイントで同時期。もっとも自分は比較的早く冷めてしまって(熱しやすく冷めやすい)、それでもまあ、そういう世界は知っていた。その後、私が“そういう世界”から遠ざかっている数十年の間に、なんとなく退廃的で仄暗く、耽美な匂いも纏っていたJUNEっぽい世界から、やおい文化はBL(ボーイズラブ)としてスクスク育ち、なんとも明るく健康的な商業BLから、現在はなろうやらNoteやら、pixivなどのネット界に広く深く花開いているようだ。
 「攻め」とか「受け」とかリバとか、私が知らなかった用語ができていたり、海外で派生したオメガバースとかDom/Subなんていう世界観が輸入されたり、現況、なんとも不思議で浅くも深くも、めくるめく二次元世界が構築されている。
 同じく、海外ではM/Mというジャンルで花開いているなんていうのも、この1、2年で知った知識。
 いい歳ぶっこいて(!)再びBLなんぞを読み始めた当初は、なんだか小っ恥ずかしくて、なぜ自分がBLを読むのか、とか言い訳っぽく考察していたが、さすがに最近は慣れてきて、楽しければいいじゃん、という気分になってきた。とはいえ、なんでしょうね、自分は恋愛ものは苦手、という意識があるのだが、確かに女×男は、得意ではない。っていうか、男女の恋愛もので、女に感情移入できたためしがない。女性が書いた小説でも、男性が書いた小説でも、そこで描かれる女性性(ジェンダー)にすんなり馴染めなかったりするのだが、その点、男同士っていう設定だと、自己投影をする必要がないので、自分とは無関係に純粋にLoveを楽しめるような気がしているような。その辺りの機微は、いまだに自分でもよくわからないが、それが自分がBLやらM/Mを読む理由かもしれない。
 ただ、いずれにせよ、仕事で追い詰まったり煮詰まったり、過労死直前に追い込まれたりしていると、重めの小説が読めなくなるので、最近はBL系に逃避している時が多いかな、という気はする。
 そんなこんなで、自分とBLの馴れ初めやら付き合いやらを振り返るために、この本を入手。これはこれで、勉強になる。

第1部 BLの歴史と概論
 第1章 少年愛・JUNE/やおい・BL
  • 1970年代「少年愛」の誕生———“花の24年組” 大泉サロンが大きな役割を果たした。
  • 竹宮惠子『サンルームにて』(改題「雪と星と天使と・・・』)→『風と木のうた』
  • 萩尾望都『11月のギムナジウム』→『トーマの心臓』→『ポーの一族』 
  • 1978年「JUNE」創刊。 
  • 木原敏江『茉莉と新吾』、山岸凉子『日出づるところの天子』
  • 小学館「少女コミック」や白泉社「LaLa」「花とゆめ」、新書館「Wings」「サウス」など、一般商業誌での少年愛や男同士の深い友情を取り扱った作品の連載。そーいやあ、『ツーリング・エクスプレス』とかは、何の違和感もなく楽しく読んでいた。
  • 初耳だったのは「やおい」の起源というか、この言葉の初出が波津彬子さんが主宰する同人誌「らっぽり」の「やおい特集号」であったこと。なんと波津彬子さん起源!?意外すぎた。
 その後1980年代後半にコミケ等の同人誌即売会で「キャプ翼」の“やおい”作品が爆発的に人気を博し、おぼろげな私の記憶ではこの時期、地方コミケ全盛期から全国版コミックマーケットに同人活動が大きく移行した。(ただしこれは神奈川の事情、というか当時の同時代的実感。)“やおい”は「山なしオチなし意味なし」という表向きの意味から、男子同士の性表現に対する隠語となった。(「やめて・おねがい・いやー!」の意とかなんとか。)キャプ翼同人から高河ゆんがプロデビューしたのもこの頃。
 こうしてあらためて自分の黒歴史込みで概観してみると、自分がかなり同時代的に関わっていたのだとあらためて気付く。自分がコミケに行ったのは比較的短い期間でで85年〜86年。それ以降は全国コミケ主流となり開催規模が大きくなりすぎて、下手くそ素人が頑張ってやっていくのが面倒になった。リアルの学校生活が忙しくなってしまった。一緒にやっていた仲間が見事に進学先がばらけたことで、 私自身のコミケ熱はあっという間に鎮火した。そもそも常軌を逸した人混みが嫌いだった。並ぶのも嫌いだった。さて、そして1990年代。商業BLジャンル確立。(以下続く)

第2部 さまざまなBLと研究方法

第3部 BLとコンフリクト

2024年5月5日日曜日

0482〜84 五歳で、竜の王弟殿下の花嫁になりました1〜3 (Celicaノベルス)

書 名 「五歳で、竜の王弟殿下の花嫁になりました」
著 者 須王 あや     
出 版  TOブックス 2023年7月
単行本(ソフトカバー)400ページ
初 読 2024年3月23日
ISBN-10 4866998911
ISBN-13 978-4866998916
読書メーター https://bookmeter.com/reviews/119719650

「王弟殿下におかれましては、ご機嫌うるわしう・・・」
 なんと哀れな姫君。
 両親を失って、後ろ盾もなく、たった五歳で、十二歳も年上のディアナの王弟殿下に腰入れなどと・・・。 

 最初の3行で、掴みも最高です。一気に世界に引き込まれます。須王あやさん、文才あるわ。
 1000年前に竜王神が顕現して、当時の王女とともに国を興した大国ディアナ。その竜王陛下の直系子孫で、先祖返りみたいに竜王陛下に生き写しなのに、そのために義母である王太后に疎まれて、とかく生きにくさを抱えて生きてきた王弟殿下のフェリスと、その義母の「陰謀」でフェリスに輿入れすることになった隣国サリアの先王の娘レティシア。5歳と17歳の歳の差婚。歳の差は政略結婚にはありがちだとしても、流石に5歳の花嫁は規格外。おまけにその5歳の中の人は現代日本で27歳で事故死した娘で、17歳の王弟殿下の方は、竜王譲りの美貌と魔力と知性と幼少時からの苦労で老成しまくってる。そんな二重三重のミスマッチがきちんとこの歳の差カップルの中に収まって、レティシアの可愛さに氷と称される鉄壁のガードが崩れて笑い転げるフェリスの喜びや、そんなフェリスが大好きになったレティシアの幸福感が読者に伝染して、なんとも幸せな気持ちになる。いやこれ、かなりの拾い物です。

 初対面で、レティシアに優しくしてくれたフェリスに、

 いい人だ。
 私も、この優しい王弟殿下をお守りしよう。 

 と、心に誓うレティシア。やさしさが溢れて、泣きそうだ。


書 名 「五歳で、竜の王弟殿下の花嫁になりました2」
著 者 須王 あや     
出 版  TOブックス 2023年11月
単行本(ソフトカバー)400ページ
初 読 2024年3月24日
ISBN-10 4866999969
ISBN-13  978-4866999968
読書メーター https://bookmeter.com/reviews/119740245  

 街に流布された悪意ある噂が王太后の逆鱗にふれて、謹慎蟄居を命じられてしまったフェリス。国王陛下の差配でその日のうちに謹慎蟄居は撤回されるも、これを機に、とレティシアを伴って自領にひっこんだ。おりしもフェリスの自領のシュヴァリエは特産の薔薇の盛りで「薔薇祭」が開催され、土地の人々が敬愛する領主の婚姻で祝祭ムードに溢れている。
 そのフェリスのお膝元の街にも、なにやら異国の異分子が紛れ込み、不穏な策動が・・・
 ちょこっと黒フェリスが顔を出して荒事っぽいことも起こったりして、幸福感を扱いあぐねて笑いころげてるばかりでないのもよし。
 レティシアが奪われてしまった愛馬を取り戻せたこともよし。
 この巻も、優しさと労わりと愛情と真心にあふれてます。

書 名 「五歳で、竜の王弟殿下の花嫁になりました3」
著 者 須王 あや     
出 版  TOブックス  2024年5月
単行本(ソフトカバー)400ページ
初 読 2024年5月3日
ISBN-10 4867941719
ISBN-13 978-4867941713
読書メーター https://bookmeter.com/reviews/120499141

3巻目発売。もはや私の心の包帯と化しているこのお話。
 今作はレティシアの幸福を阻まんとする母国サリアの叔母王妃が、よくない企みを発動する。レティシアの愛馬のサイファをサリアに迎えにきたフェリスに対面したサリア王妃は、ろくな知識もないままに厄介者の冷や飯食いの王弟だと思い込んでいたフェリスが、美形で有能な王子だと知る。とたんにレティシアに与えるのが惜しくなって、自分の娘とレティシアの交換を画策。だがしかし、この悪い策謀に対して、伴侶をこよなく愛するディアナ王家の気質を遺憾なく発揮しているフェリス様の怒りが爆発。

「それを書面にせよ。そちの裏切りを、サリアとディアナに知らしめよ。書けぬと言うなら、首は落として、腕だけ残して、腕に命じる」

 もう、このセリフに惚れ惚れしましてん。「腕だけ残して、腕に命じる」ですよ!冷酷これに極まれり。これもまたフェリス様の本性の一部ですよ! 首を落とした後、腕一本だけ残す間に残った部分はきっと粉砕されちゃうんだ。とか書いてないことまで想像してその黒さにぞくぞくしますわ。
 この巻、レティシアの前では優しい白猫をかぶってるフェリスの黒い面も堪能できる。白フェリス?と黒フェリスの塩梅が絶妙です。須王あやさん、上手いよな〜と思いながらしっかり緩急を堪能。なお、男前?な王太后様がすんばらしかった。見直したよ。

何と了見のおかしなサリアの王室よ。  

そもそもディアナの王弟相手に、現王女でなく、やっかい者の姫を寄越そうなんて政治センスのない王室だ。 

もともと常識がないのであろう。 

「……どのみち、もうフェリスはあの娘を気に入った。ディアナの王族が誰かを気に入ったら、それを奪うことなど、サリアの王妃ごときに出来ぬ」

 日頃、なにかと目障りな恋敵の息子に嫌がらせの手を緩めない王太后様だが、さすがの生粋のディアナ娘は、ディアナ王族の特質を見切っている。そして、ディアナの王家としての気概も見せる。フェリスに対してはかなり変な行動をとりがちだが、きちんと賢い王族でもあるところに、初めて高感度がアップした。

2024年5月4日土曜日

0485 OBLIVION<矢代俊一シリーズ25>

読書メーター https://bookmeter.com/reviews/120522799   

Amazonより・・・「矢代俊一が渾身の力を込める新アルバムのレコーディング合宿が河口湖のスタジオで開始された。しかし、俊一の父は合宿所に何者かがいるといい始め、その夜にはさらに奇怪な現象が発生するが……明け方に目覚めた俊一は取り憑かれたように曲を書き始める。著者逝去により中断した表題作を収録した矢代俊一シリーズ最終の第25巻。栗本薫が生前に自分の作品をもっとも理解していると信頼していた円城寺忍による解説付き。」

 矢代俊一シリーズ最後の本である。
 薫サン2008年12月の筆。翌年の2009年5月に死去。1章から7章まで、未完。
 なにはともあれ、故人の冥福を祈る。 
 
 矢代俊一グループは、新しいアルバムの収録に富士河口湖畔のホテル兼スタジオを貸し切って臨む。収録にはコアメンバー5人(俊一、サミー、英二、晃市、木村)の他にピアニストの松本弓彦、和太鼓の社中なども参加し、純一の父も参加する予定になっている。新アルバムは『雨月物語』をテーマに、人間の業と救済を表現する。そしてそのホテルで心霊現象に遭遇・・・で、ここからというところで断筆。

 おそらくシリーズ中、もっとも読みやすい普通の文章。どうした薫サン、なにか憑き物でもおちたんだろうか、ってくらい普通の文だ。それが曲がりなりにも小説家に対する褒め言葉か、と思うとなんとも言えん気分になるが、事実だ。
 おそらく前巻でついに金井とキレて、変に俊一に絡みつく男どもがいなくなっているせい。透はついに良に捨てられ、いまや俊一への愛に生きているし。ひっそりと完璧に日陰の身を演じて、すくなくとも修羅場を演じて俊一をかき乱すことはしないし。透の変遷についても、言いたいことは山ほどあったような気もするけれど。これで決別である。

 ついでながら、透について言えば、個人的には、『嘘は罪』に2回ほど出てきたときの透ちゃんが、自分の中では一番だった。あそこが透の最高到達点。まあ、『ムーン・リヴァー』は別格として、こちら、矢代俊一シリーズに登場する透は、薫サンにおもちゃにされた哀れなキャラとしか思えない。今西良もしかり。まあ、外伝の方は読んでないのだけどね。
そんなこんなで、まあ。お疲れ様でした。

栗本薫〈矢代俊一シリーズ1〜25〉総評


最初に、1冊目の『YOU DON'T KNOW WHAT LOVE IS 恋の味をご存じないのね』の冒頭に配された、栗本薫の御夫君であり、以前はS-Fマガジンの編集長でもあった今岡清氏の前書き 「矢代俊一シリーズ電子版刊行にあたって」から抜粋。

栗本薫の個人レーベル(同人誌)である天狼叢書の出版について、今岡氏は以下のように語っている。
・・・また、『真夜中の天使』、『キャバレー』などの作品が、作家としてデビューする以前に出版するあてもなく、書きたいという衝動だけにせかれて書かれていたことへの回帰ということもあったのでしょう。編集者の意向や読者の要望などに影響されずに、思うがままに書いていきたいという気持ちから書き始められたのが『YOU DON'T KNOW WHAT LOVE IS』以降の矢代俊一シリーズの作品でした。

シンプルな表紙を取ったとこについては、
・・・いつまでも語り継がれるよう、矢代俊一シリーズの表紙はずっと変わらずにいるようにとあえてこの形をとりました。最後に、電子版配信にあたって天狼叢書として出版された版と多少の違いがあることをお断りしておきます。まず、編集者としての私から見て明らかな矛盾や事実誤認については訂正をしました。もちろん内容や表現に関する部分には、一切手を加えてはいません。訂正は、栗本薫に納得してもらえると私に確信の持てる部分に限っています。

 シリーズが巻数を重ねるにつれて趣味的要素が強くなりすぎ、読者が減っていったこと、プロの編集者の目から見て、(編集・出版の)プロの目が介在しなかったことによる瑕疵が気になるところでもあった、と今岡氏は語るのだけど、それは薫サン自身が望んだことなんだよね。他者の意見を聞き入れる精神を持ち得なくなった作家が、周囲の批判や意見から耳を塞いで居心地のよい環境に逃げ込んだだけにしか思えず、そのような創作環境を、プロの編集者の目をもつ夫の今岡氏はどのように受け止めていたのか、とか、考え始めるといろいろと気になってしまう。それでも、今岡氏は「いつまでも語り継がれる」価値があるとは考えているわけだ。(だからこそ、この電子書籍シリーズが今も刊行中なわけだけど。)

 先に、電子全集に『トゥオネラの白鳥』が収録されてしまったがために、『東京サーガ』の行き着く先が、栗本薫の同人レーベル非読者にも明かされてしまったのは、私にとっては、不幸な出来事だった。少なくとも私の心中には、とんだ東京焼け野原が出現することになってしまったが、しかしあの『トゥオネラの白鳥』に含まれる、〈毒〉はいったい何なのだろう。その〈毒〉ゆえに、栗本薫は闇落ちした、と私は確信したのだが、そんな薫サンの軌跡をたどる、同人レーベル〈矢代俊一シリーズ〉正伝25巻、外伝18巻(未完作品を含む)を、いまから辿ってまいりますよっと。


◆「東京サーガ/矢代俊一ブランチ 作品一覧」◆
角川書店 「野性時代」1983 年掲載
角川書店 1983年
角川文庫 1984年
角川春樹事務所/ハルキ文庫 2000年

『死はやさしく奪う』(矢代俊一シリーズの登場人物金井恭平のエピソード)
角川文庫 1986年
カドカワノベルズ 1990年

『黄昏のローレライ キャバレー2』
角川春樹事務所/ハルキ・ノベルス 2000年

『身も心も 伊集院大介のアドリブ』(伊集院大介シリーズに矢代俊一登場)
講談社 2004年
講談社文庫 2007年

『流星のサドル』
成美堂出版/クリスタル文庫 2006年

以下は天狼プロダクション刊 〈矢代俊一シリーズ〉
  1. 『YOU DON'T KNOW WHAT LOVE IS 矢代俊一シリーズ1』 2007
  2. 『朝日のように爽やかに Softly,As In A Morning Sunrise 矢代俊一シリーズ2』 2008 
  3. 『CRAZY FOR YOU 矢代俊一シリーズ3』  2008 
  4. 『NEVER LET ME GO 矢代俊一シリーズ4』 2009 
  5. 『BLUE SKIES    矢代俊一シリーズ5』 2009
  6. 『ROUND MIDNIGHT    矢代俊一シリーズ6』   2009
  7. 『THE MAN I LOVE    矢代俊一シリーズ7』   2010
  8. 『WHAT ARE YOU DOING THE REST OF YOUR LIFE   矢代俊一シリーズ8』 2010
  9. 『GENTLE RAIN    矢代俊一シリーズ9』2010
  10. 『CARAVAN    矢代俊一シリーズ10』  2011
  11. 『亡き王女のためのパヴァーヌ    矢代俊一シリーズ11』 2011
  12. 『LOVER FOR SALE    矢代俊一シリーズ12』2011
  13. 『SUMMERTIME    矢代俊一シリーズ13』   2012
  14. 『SOUL EYES    矢代俊一シリーズ14』 2012 
 で、ここまで(14冊目まで)の感想だが、失礼ながら、以外にも、面白かった。
 やはり好きなものを、好きなように書いているからだろうか。エロ描写がふんだんに散りばめられているためか、脳内流出ぐだぐだトークが相対的に少なくなっていて、比較的読みやすいし、展開がスピーディーだ。『キャバレー』の矢代俊一がこうなり、『死はやさしく奪う』の金井がああなる。そしてその二人がそうなる。この点のみ、ぐっと飲み下すことができれば、このシリーズは読める。少なくともここまでは。キャラ劣化の兆しは見えてはいるものの、まだ、そう酷くはない。しかし、たとえば黒人キャラクターに与えた役割や、HIV感染の話など、センシティブな事柄に対する無神経な取り扱いにはドン引きする。実在のタレントを彷彿とさせる当て字で、あそこの穴がゆるゆる、とかやるのも勘弁してほしい。こういう思慮のなさは、もともとの薫サンなんだろう。
 透はやっと13作目での登場だが、なにやら婉容なセックスマシーンみたいなキャラになっているが、まあ、私的にはまだ、許容の範囲内。このあとの続刊を坐して待つ。

【以下、追記】

◆ 2022.7.30 15冊目の『WILLOW WEEP FOR ME 』が刊行されたので、レビューを追加。
 執筆時期の薫サンの体調の影響か、はたまた、他の活動の影響か、作品の質にかなりのバラツキを感じるのは気のせいかな。15冊目はなんだか俊一の方向性というか、姿が定まらない感じで心許ない。
◆ 2022.9.22 16冊目の『SKY LARK 』が刊行されたので、レビューを追加。
 透の人物像に相当な劣化を感じるようになった。また、アクションパートが終了したため、全体的に、薫サンの〈脳内ダダ漏れぐだぐだトーク〉と私が形容している、冗長で繰り返しの多い無駄な文章が増え、目が滑る率が高まる。どの登場人物も同じような言葉回しをするため、セリフによる各人物の書き分けが曖昧。小説の質的な劣化が見られる。
 しかし、『テンダリー』を三分割して、61ページ分を550円、91ページ分を770円で頒布する、という価格設定は暴利というか無謀ではないか?同人誌価格なのか?さすがに私は買わないよ、これ。
◆ 2022.11.30 17冊目の『IT AIN'T NECESSARILY SO』刊行
  結構、読むのがツラい代物になってきた。透が完全に闇落ちしましたね。もやは、『朝日のあたる家』や『嘘は罪』や『ムーン・リヴァー』の透とは別人に成り果てました。
◆ 2023.2.20 18冊目『MORE THAN YOU KNOW』 刊行。
 薫サンの脳に沸きいずる言葉をただただ、だらだらと書き綴ったのだな。ひたすら俊一が己の二股の恋を思い悩む。そうはいっても、そんなに深いものにはなりようがない。残り、本編6冊。
◆ 2023.4.20 19冊目 『ボレロ』刊行
  待ちに待った、俊一と父、万里小路俊隆の父子リサイタル。薫サンの音楽描写は悪くないと思っているし、クラシックを織り交ぜたコンサートの構成とか、それを薫サンがどのように描写するか、とかそれなりに(結構に)楽しみにしていたんだよね。でもって、期待値を上げすぎて惨敗する、という、なんだろう、己に負けたような残念感だったりして。詳細は個別のレビューのほうへどうぞ。
◆ 2023.6.20  20冊目 『DEVIL MAY CARE』刊行
 もはや期待のひとかけらも持たずに。それでも発売日に惰性でダウンロード。スマホの画面を10回スライドさせて1行読むくらいのペースで読み飛ばした。その程度で十分な希薄さなのだ。読むべきものも、評価すべきものもないと思う。
◆ 2023.9.1   21冊目     『AS TIME GOES BY』刊行
 惰性であることは重々理解しているが、とりあえず、隔月で出るので、いちおう目を通す。出だしは悪くないかも?と思ったのだけど、すぐに俊一がグダグダしだして、ウンザリ。この巻はステージもないので、ほんと、金井と寝て、英二と寝て、透に犯されて、寝込む。だけ。それが大ステージ控えたプロのミュージシャンのやることか? 深海より深く反省しやがれ。
◆ 2023.10.22   22冊目 『SENTIMENTAL JOURNEY』刊行
 前々から決まっていた全米ツアーの一部始終。俊一を嫌う在米の日本人ジャズピアニストが寄ってきて、つまらぬ嫌がらせの数々。俊一は英二に焼き餅をやき、痴話喧嘩の一方で、やはりニューヨークに来た金井と寝るし、風間を全力で誘惑するし。でもまあ、ステージの描写は悪く無かった。  
◆ 2023.10.22   23冊目 『ANGELEYES』刊行 
 ニューヨークから帰国したのちも、晃市の音楽性問題は継続中。金井が交通事故で重症を負う。金井と俊一の関係を案じ、また透の先行きも案じる風間は、俊一と透の関係は知らぬまま、俊一の愛人として、透を勧める。 
◆ 2024.2.25  24冊目 『MY ONE AND ONLY LOVE』刊行  
 ピアニストの松本弓彦(ユミー)が登場。晃市のピアノ問題の音楽性の問題は継続中。金井が交通事故で足を骨折したあと、仕事もできず九州で困窮しているとの黒田からの連絡があり、ついに俊一は金井にまとまった金を渡して決別することを決意。 
  透は手紙で良から、出所したらイギリスにいって永住するかもしれない。透の所には戻らない。と別れを告げられ、いよいよ俊一に傾倒。
◆ 2024.4.25  25冊目『OBLIVION(未完)』刊行 
 2008年の年末に書かれた章で、絶筆。びっくりするほど、読みやすい。金井との二股が解消し、透との秘めた恋愛は、透がすっきりと影に潜んでいるので俊一を悩ませることはなく、この最後の巻は音楽性の話題と、心霊現象のみ。俊一の内心の一向に進歩のないぐだぐだトークがないだけで、これほど文章がすっきりするのかと。
 薫サンが亡くなったのが2009年5月。なにはともあれ、故人の冥福を祈りたい。

◆ 『トゥオネラの白鳥       矢代俊一シリーズ未完作品集2』   2016(栗本薫・中島梓傑作電子全集28【JUNE Ⅱ】収録)


《矢代俊一シリーズ 外伝》
  1. 『テンダリー』 2009(晃一)
  2. 『明るい表通りで』 2009(晃一)
  3. 『酒とバラの日々』 (金井)
  4. 『SMILE――獣人の恋――』 (黒田)
  5. 『GEE BABY,AIN'T I GOOD TO YOU 』 2010(渥美) 
  6. 『聖夜—サイレントナイト』 2010(金井×俊一)
  7. 『VERY SPECIAL MOMENT』 2010(俊一×メンバー)
  8. 『Bei Mir Bist Sheon—素敵な貴女—』 2011(風間・黒田)
  9. 『EIJI29歳』 2011(俊一×英二)ニューヨーク後
  10. 『ラ・ヴィ・アン・ローズ』 2013(透)
  11. 『悪魔を憐れむ歌』 2014(銀河)
  12. 『レイジー・アフタヌーン』 2014(透)
  13. 『夜のタンゴ』 2015(透)
  14. 『タンゴ碧空』 2015
  15. 『アリヴェテルチ・ローマ』 2015
  16. 『牧神の午後への前奏曲』 2015
  17. 『BLACK ROSES』 2016
  18. 『ブルーレディに赤いバラ』 2016
※なお、『栗本薫・中島梓傑作電子全集28【JUNE Ⅱ】』に収録されている、矢代俊一年譜から書き起こした東京サーガ年譜はこちらへ。