2025年3月10日月曜日

0551 帰還 ゲド戦記 4

書 名 「帰還」
原 題 「TEHANU」1990年
著 者 アーシュラ・K.ル=グウィン
翻訳者 清水 真砂子
出 版 岩波書店
 【岩波少年文庫版】
少年文庫版  400ページ 2009年2月発行
ISBN-10 400114591X
ISBN-13 978-4001145915
読書メーター 
 【ハードカバー版(初版)】
単行本 344ページ 1993年3月発行
初 読 1993年
ISBN-10 400115529X
ISBN-13 978-4001155297
 完結していたはずのゲド戦記3部作から時が経つこと、18年。1990年に刊行され、1993年に翻訳出版されたのがこの本。赤い表紙のハードカバー。表紙絵は、切り絵風から油彩風になって、中年になったテナーと、焚き火で焼かれた少女テルー、そして背景には巨大な竜が描かれている。奥の暗闇に輝くのは明星テハヌー。実は、背景が竜の頭だと、今回まじまじと見て初めて気がついた(マヌケ)。

 思うに、この一連の作品に登場する真正の賢者って、オジオンと大賢人ネマールだけのような気がする。

 『こわれた腕輪』の物語の直後の25年前に、突然、ゲドが10代半ばの女の子をル・アルビに連れてきて、オジオンに託していった。このオジオンの一番弟子、師匠を信頼しているが故とはいえ、けっこうあんまりだと思うよ。オジオンは困ったろうなあ(笑)。
 とはいえ、内に光と力を秘めていることは、同じ魔法使いであれば一目でわかる。オジオンはテナーを一生懸命育てようと、養女にしてとてもかわいがった。ゲドを育てるよりはだいぶ甘々だった気がする。なにしろ、世捨て人の賢者と少女の組み合わせだ。それだけでラノベなら何冊も物語が書けそうだ。
 しかし結局、テナーはなにか特別な力のある孤高の存在になりたいとは願わず、普通の世間並みの女として世の中に溶け込むことを望んだ。やがて、オジオンの庵を出て村に暮らし、農民の男と結婚。良い女房、良い母親、良い後家、身持ちの良い女として生きてきた。

 これが、ゲドの冒険の裏側で、ゴント島の一隅で起こっていたこと。そして、『さいはての島へ』で竜のカレシンとともにロークを去ったゲドが、オジオンの元に還ってきた。全ての力を失った、ただの傷つき、疲れはて、死にかけた男として。その数日前に、すでに高齢で死期を迎えていたオジオンは旅立っていた。これは単なる妄想だけど、オジオンは遠く離れたゴントから密かに死の世界で戦うゲドに、残った命の全てをかけて力を与えたのではないか。なんてね。

 この物語はそこから。「帰還」してのちの話だ。
 
 フェミニズム的な視野なんだろうな、とは思うのだけど、女性の扱われかたとか、ゴハの内心の葛藤とかは読んでいるこちらも、それなりにイライラした。
 また、王たるレバンネンに同行してゴントにやって来た風の長の、身に染みついた「女は取るに足らない」という感覚にもちょっとイラっと。
 思うに、この世界は、なんというか、社会全体の、敬意とか知識とか誠意とかの総量が足りないっていうかな。
 
 しかし、壮大な空中戦みたいだった前作までと違って、ついに地に足が付いた感じの今作。やっと落ち着くべきところに落ち着いた。テナーとゲドが夫婦になり、オジオンの家にこれから住まう。

 ゲドが全ての特別な力を失った無力な男として、喪失に向き合い、再生すること。
 テナーが、一度は望んで受け入れた「女」という理不尽で不自由な在り方に向き合い、ゴハという社会的な女から、テナーという個人に再生すること。
 暴力と性的な虐待を受け、肉体的に大きく損なわれた少女が、内なる本来の全き姿を取り戻すこと。三者それぞれの喪失と再生の物語だ。全体の生と死という極めて抽象的な物語から、個人の物語への回帰でもあった。
 もっと、深い読み方もできるんだろうけど、ひとまずはここまで。次巻からは、本当の初読なので楽しみ。

2025年3月5日水曜日

0550 さいはての島へ ゲド戦記 3

書 名 「さいはての島へ ゲド戦記 3」
原 題 「The Farthest Shore」1972年
著 者 アーシュラ・K.ル=グウィン
翻訳者 清水 真砂子
出 版 岩波書店
 【岩波少年文庫版】
少年文庫版  368ページ 2009年2月発行
ISBN-10 4001145901
ISBN-13 978-4001145908
読書メーター https://bookmeter.com/reviews/126459454
 【ハードカバー版(初版)】
単行本 319ページ 1977年8月発行
初 読 1982年〜83年頃?
ISBN-10 4001106868

ISBN-13 978-4001106862
 エレス・アクベの二つに割れた腕輪が一つになって、ハブナーに還ってきてから、17、8年。ゲドは5年前に大賢人に選ばれて、いまはロークに腰を落ち着けていた。
 作中のゲドの口調がすっかり、大賢人というよりはむしろハイジのおじいさん調なのでイメージが混乱するが、この時点でゲドは立派な中年もしくは壮年。『こわれた腕輪』では若者よばわりだったので、今は40代半ばだろう。なにしろ、次の『帰還』では遅すぎた春もくるのだし・・・(っと、それはさておき。)

【ほぼ初読】
 私はこの本は多分、三十年ぶりくらいの再読で、初読の印象はほぼ、ゲドが若者アレンと最果てにいって、力尽きて戻ってきたんだよな、程度の記憶しか残っていなかった。なので、ほぼ初読と同じ感じで楽しめた。
【ジブリ『ゲド戦記』】
 スタジオジブリ宮崎吾郎監督の『ゲド戦記』(2006年)の原作となったことでこの本を知った人も多いだろうし、それよりずっと以前からこのシリーズを大切にしていた人達も多かったのではないか。私は後者であるが、ジブリアニメ化の際には盛大に期待を膨らませて公開を待ち、なにか変なものでも喰った気分で映画館を後にした一人である。あの『ゲド戦記』は惨憺たる評判だったと記憶している。棒読みとか酷評されていた気もするが、私はテルー役の手島葵さんの声は好きで、その後CDを購入したりもした。総じて、歌と音楽は良かった。(それよりもやっぱ、脚本がね・・・) しかし今改めてこうして原作となったこの本を読んでみると、それなりに原作に忠実にやろうとはしていたのかな、とは思った。当時も思ったのだが、この原作であのオヤジと比較されるんでは、吾郎ちゃんも分が悪いよな。ただ抽象度の高い死の世界を正面から描かず、あくまでも現実世界の騒乱として描いたことと、テハヌーの顔の火傷をきちんと取り扱わなかったことはダメだと思った。いきなりの父王殺しも物語としては破綻していたと思う。(作品を超えたメッセージ性は大いにあったがねえ。)
【そして、物語の感想】
 で、物語の方に戻るが、エレス・アクベの腕輪が戻り、アーキペラゴ(多島海)には平和が訪れ、ロークの賢者たちも、ゆるゆるとした時の流れに身を委ねていた。ところが、エンラッドの若き王子アレンが、ロークの賢人団に凶報をもたらす。世界の各地で、魔法が失われている。ゲドはいったんは取り戻せたと思った世界の安定と平和が失われつつあることを察知し、世界の均衡を取り戻すために、アレンを供に〈はてみ丸〉で船出する。
①アレンがちょっと辛い
 これが冒頭で、ゲドとアレンはあの島、この島と航海を重ねていく。その旅は行き当たりばったりだし、ずっと船の上だし、正直に白状すれば、感情が移ろいやすく、フラフラふわふわしている若造なアレンにはかなりイライラした。やっぱり王子様には賢くあってほしいし、真っ当に頑張って欲しいんだよな、とは、最近ラノベの読みすぎか。いやたぶん、アレンはちゃんと頑張っていた。たぶん年相応以上には。ちょっと華がなかったけど。
②死の世界のイメージが
 この巻だけでなく、これまでのゲド戦記全体が生と死の連環を取り扱っており、この「さいはての島へ」では生の何たるかや死の不可避性がテーマになっている。しかし、こうして今読み返してみると、ここで語られる「生」も「死」も非常に観念的で硬直したイメージを受ける。とくに「死」や「死者の国」のイメージが絶望的に暗く、なんの救いもない描かれ方なのに驚く。そりゃあ、死後の世界があんなんでは、だれも死にたくなくなるだろう。いったい、この死のイメージはどこから来るのだろう。ル=グウィンは、死というものに何を思っているのだろう?
 この作品の中では、誰もが「永遠の生」を求め、不死性を獲得することで「死の恐怖」からのがれようとし、その結果、人々は大切な「生」の意味そのものを失っていくのだが、作品に通底する生死感、というよりは生と死を包含する世界観はかなり独特だと思う。上手く言えないのだが、キリスト教的な軛から脱しようとして脱せていない苦しさがそのまま作品に反映されているような気がする。
③人はそんなに死にたくないものだろうか
「永遠に生きたいと願わないものがどこにいる?」
 とクモは問うのだが、しかし人は本当に、「永遠に生きたい」と一様に願うものだろうか。

 永遠の生に対する渇望や死に対する恐れ、といった、この本の中で登場人物が共通して抱く想念には、どうもうまく共感できない。
 「死にたくない」という願望が、貴賤を問わず、魔法使いから市井まで、人々に通底する世界に共通する欲望として描かれているが、あまりにも単純化されていて、なんというか、納得がいかないのだ。市井の無学な人々はともかく、知識を極めたはずのロークの賢人団があれでいいのだろうか?
 死に対する恐怖の克服とは、文字どおり「死」を恐怖の対象としないことであり、「死」をなくすことではないんじゃないかと思うのだ。なぜなら、「死」がなくなったなら、恐怖の対象が目の前にないから恐れずに済むだけで、本当は「死」が恐ろしいままであるから。
 賢者といわれるような人々までが、「永遠に生きること」に取りつかれたようになることへの違和感がぬぐえないし、ましてや、「悪役」クモの動機の浅さは噴飯もので、これで世界が壊れるのでは、あまりにも世界そのものが脆弱ではないか、と思えてしまう。(そういう意味では、吾朗ちゃんの『ゲド戦記』は、案外、原作とはレベル感においていい塩梅だったのかも?いや、アニメのほうも詳細はあらかた忘れているんで、どうだか・・・・)

 たとえば現代医療においては、病気ではない「老衰死」が人間の生の最終到達地点になるだろうし、移植医療は「理不尽な死」を克服しようとする取り組みであって、「死」そのものをなくすためのものではないだろう。「死」において、人が耐え難いと思うのは、「理不尽さ」であって万人に等しく訪れる公平な「死」じゃないんではないだろうか? そしてその先にはさらに、「死の理不尽さも受け入れる」という境地もありそうな気がするが。

④この世界は一神教
 また、作品に通底する一神教的な視点に対する違和感もあった。
 クモが放つ、

「だが、おれは人間だ。自然よりもすぐれ、自然を支配する人間だ。」

 という言葉は、いかにも西洋的。

 死の国においても、「苦しみの山脈」に通った一本道を通ることは死者には「禁じられている」という。つまり、死者の国も、生者の国も超越して、命じることのできる絶対者がいることが前提なのだ。この世界ではその創造神はセゴイというのだが。

⑤西洋的なものと土着的なもの、その間で定まらない著者?
 こういった世界観は、私の(そして多分、多くの日本人の)世界観とは違っている。アーキペラゴの人々はネイティブアメリカンがモデルのようで、白人はカルガド帝国など一部にしかおらず、戦闘的で侵略的な人々として描かれている。しかし、非白人の精神性がきちんと描かれているかというと、そこまでは出来ておらず、たとえば、死後の世界とか輪廻転生的な東洋的な発想を取り入れようとする一方で、強烈な一神教的、父権的な価値観から逃れきれていない息苦しさが、そのまま作品世界に投影されているように感じる。
【まとめ】
 私がゲド戦記の世界観に感じる硬直感について思うことは、この本はハイ・ファンタジーであるとともに、ある種の思想書、しかもまだ成熟していない思想書なのだということ。この本についての考察を進めるのであれば、ゲド戦記やル=グウィンの思想を考察した評論なんかも読んでみたほうが良いと思うし、たぶんもっと調べていけば、ここまで書いた感想も、また違ったものになってくるだろうとは思うのだが、そこまで突き詰めるだけの意欲と集中した時間は今はもてないかな。

 しかし、そうはいっても、この本が若年の私に影響を与えた大切な本であることには変わりはない。むしろ、若いころにはこんなことをぐだぐだと考えずに、ゲドとアレンの冒険にのめり込めたと思うので、やっぱり本には読み時というものがあるし、この本はジュブナイル小説なんだろうな、と思う次第。

 やっぱり、これを読んだ十代そこそこの自分に感想を聞いてみたいものだ。

2025年3月2日日曜日

0549 空を駆けるジェーン

書 名 「空を駆けるジェーン」
原 題 「JANE ON HER OWN」1999年
著 者 アーシュラ・K. ル・グウィン
絵   D・S・シンドラ- 
翻訳者 村上 春樹    
出 版 講談社 2001年9月
単行本 54ページ
初 読 2025年03月02日
ISBN-10 406210895X
ISBN-13 978-4062108959
読書メーター https://bookmeter.com/reviews/126424231

 「どうして私達は翼をもっているんだろう?」小さなジェーンの疑問。それは空を飛ぶため! なんて簡単でシンプルな答え!
 翼は持っていないけど、彼らの仲間のアレキサンダーは、どうやらお父さん似ののんびりぐうたらで寝るのが大好きな成猫に育ったもよう。

 ジェーンは元気いっぱいな若猫そのもので、我が家の猫たちにも、「あと2年位したら、置物みたいになってくれるかしら」と遠い目になってたことを思い出す(笑)。さすがの運動量のうちのアビシニアンも、7歳になってさすがに置物に近くなってきたところ。やれやれ。(アビシニアンは、「イエネコ」というよりは小型のネコ科肉食獣って感じの、かなりハゲシイ猫なのです。)

 閑話休題。

 さて、前作で、私はきっとアレキサンダーとジェーンはカップルになるんだろうと思ったのだけど、大間違いでした。ジェーンはもっともっと、自立した(自立したい?)女でした。
 安全だけれど変化の少ない田舎を飛び出し、都会に単身飛び込む、現代っ子。もちろん、悪い男にも騙されたし、危険な目にも遭いましたが。
 そこで頼ったのは、実のお母さん。
 なんだかニンゲンも身につまされる話でした。なにはともあれ、都会の女ジェーンは、母と同居しながら、田舎とも行き来をし、アレキサンダーとも程良い距離を保ちながら、自由に暮らした模様。
 それにしても、翼の生えた黒猫じゃあ、悪魔狩りに遭わなくてよかった・・・と思います。

 余談だけど、なぜこの本だけ、サイズが小さいんだろう・・・。本棚に収まりが悪いじゃないか。

0548  素晴らしいアレキサンダーと、空飛び猫たち

書 名 「素晴らしいアレキサンダーと、空飛び猫たち」
原 題 「WONDERFUL ALEXANDER AND THE CATWINGS」1994年
著 者 アーシュラ・K. ル・グウィン
絵   D・S・シンドラ- 
翻訳者 村上 春樹    
出 版 講談社 1997年6月
単行本 60ページ
初 読 2025年03月02日
ISBN-10 4062081504
ISBN-13 978-4062081504
読書メーター 
https://bookmeter.com/reviews/126422643

 なんと、イラストがオールカラーです。やった〜!
 空飛び猫の三冊目。主人公のアレキサンダーは、羽は生えてない普通の猫だった。お母さんは明るい茶色の長毛種(ペルシャのハーフ)で、アレキサンダーもふさふさのしっぽを受け継いでいる。お父さん猫はいつも寝ている(笑)。エネルギー過多で妹たちにもウザがられているようだけど、本人は無自覚。(こういう子っているよね。) ついに家族の家を飛び出して冒険に出てしまったアレキサンダーだが。
 道路でトラックに挽かれかけ、犬に追いかけられて逃げ、やみくもに逃げて木の梢に登って降りられなくなり!定番コースです。そこに助けにきてくれたのが黒猫ジェーン。子猫のときの恐怖体験のトラウマで失語症状態だったジェーンだったが、アレキサンダーはジェーンに怖かったことを話すように促し、彼女の回復を助ける。いずれはラブラブなカップルになる未来を感じさせたお話でした。

0547 帰ってきた空飛び猫

書 名 「帰ってきた空飛び猫」
原 題 「CATWINGS RETURN」1989年
著 者 アーシュラ・K. ル・グウィン
絵   D・S・シンドラ- 
翻訳者 村上 春樹    
出 版 講談社 1993年12月
単行本 59ページ
初 読 2025年03月02日
ISBN-10 4062058812
ISBN-13 978-4062058810
読書メーター https://bookmeter.com/reviews/126408087

 「帰ってきた」のは、元の都会の街へか、ジェーン・タビーお母さんのところへ、か読者の元へか。
『空飛び猫』の続刊です。今は田舎の農場で安全に、幸福に暮らす4匹の空飛び猫の兄妹たちですが、だんだん、元いた街で暮らしているはずのお母さんが気になり始めて。
 話し合いの末、ハリエットとジェームズの2匹が故郷の都会の街の「ゴミ捨て場」に戻ってみることになる。ところが、長旅の末戻ってみると、ゴミ捨て場は無くなり、下町の路地には再開発の波が押し寄せている!
 しかも、廃屋になったビルの屋根裏には、なんと子猫の空飛び猫が一匹、取り残されていた。もちろん、彼らの弟(もしくは妹)でした。ジェーン・タビーお母さんとも無事再会、妹もつれて、田舎の農場に戻ったのでした。羽を痛めたジェームズが大旅行が出来るまでに回復していて一安心。
 なお、この本は巻末の村上氏の翻訳話も面白いのだけど、「HATE! HATE! HATE!」という子猫の鳴き声を「嫌いだ!嫌いだ!嫌いだ!」と村上氏訳。個人的には、猫の鳴き声に寄せて「ヤ、ヤ、イヤー!」なんかでも良かったな。なんて、ちと図々しいか(笑)

2025年3月1日土曜日

2025年2月の読書メーター

 1月からこちら、ファンタジー月間継続中であるが、『沈黙の書』でちょっと気分が削がれ気味になったので、初心に帰るつもりで、かねてから再読しようと思っていた『ゲド戦記』を読み始めた。なお、『アースシーの風』と『ゲド戦記外伝(ドラゴンフライ)』はまだ読んでいないので今回読めれば初読になる。
 ゲド戦記については、初読は小6か中1くらいの頃のはずなのだが、今更ながら、「よく読んだな」というのが正直な感想。これ、けっこう重いぞ。私のファンタジーの世界観を決定付けた大切な本なのだが、一体私は、当時本当にこの本を理解していたのか・・・っていうか、どういう風に理解していたのか、当時の自分に聞いてみたい気がしている。現在、『さいはての島へ』を読んでいる途中だが、『影との戦い』も『こわれた腕輪』もそうだったが、エンタメ的要素は皆無なので、軟弱で楽しい読書に慣れ親しんだ身には辛いわ、重いわ・・・。(でも読む。)
 そんな読書の合間につい、読んでしまったのが、『捨てられ公爵夫人』と『ないもの探し』。どちらも相当面白いが、とくに『捨てられ公爵夫人』の農業全般・ビール醸造や砂糖精製などの蘊蓄がすごい。時代は中世後期〜近世くらいか? いったいこの話はどこまで転がっていくんだろう? これは最後まで追いかけねば。

2月の読書メーター
読んだ本の数:9
読んだページ数:2493
ナイス数:489

空飛び猫空飛び猫感想
にわかにル=グウィン月間になったので、以前から気になりつつ読んでいなかったこの本も読んだ。何しろ猫に羽が生えて生まれてきた!お母さんねこもビックリだ。だけど、何しろ自分の産んだ子猫だし、せっせと舐めて世話して、一人前になったと見極めたら世界に送り出す。お母さんねこアッパレ。個人的には彼らの羽に生えているのは羽根なのか、毛なのかが猛烈に気になる(笑)。フクロウに虐められたジェームズがなんとか飛べるまでに回復して良かった。村上春樹氏の翻訳には定評があるが、巻末の訳注も楽しいです。
読了日:02月25日 著者:アーシュラ・K. ル・グウィン

捨てられ公爵夫人は、平穏な生活をお望みのようです捨てられ公爵夫人は、平穏な生活をお望みのようです感想
なろうサイトで偶然に拾って・・・っていうか、『小説家になろう年間第1位』『2024年もっとも読まれた超人気作、遂に書籍化!』とのこと。転生令嬢もので、持って生まれたチートな知識をフル活用して農地改革・領地改革をしていく16歳〜18歳。いくら公爵令嬢とはいえ、これは少女の風格ではないぞ、と思わんでもないが、とにかく微に入り細を穿つ知識と人心掌握、優しさと心意気。すごく面白い。なろうサイトでどんどん読んでしまって、出版された分は読んじゃったが、Kindle版も購入したのは、番外編も読みたかったから。オススメ。
読了日:02月24日 著者:カレヤタミエ

ないもの探しは難しい (Ruby collection)ないもの探しは難しい (Ruby collection)感想
Xで、ドイツ語版が配信されているとの情報を拾い、海を渡っている日本BL(オメガバース)!!に好奇心爆発してDLして読みました。いや、文章のテンポがすごく良くて、気持ちいい。主人公の、健気だけど元気でめげない雑草のようなたくましさがとても好ましい。ろくに発情もしない薄いΩ設定なので、あまり濡れ場は濡れ濡れしていないというかあっさりめ。主を叱咤する執事のマシューさんの性格も好み。とても面白かった。
読了日:02月23日 著者:metta

こわれた腕環: ゲド戦記 2 (岩波少年文庫 589 ゲド戦記 2)こわれた腕環: ゲド戦記 2 (岩波少年文庫 589 ゲド戦記 2)感想
初読の時には暗く重い印象が残っていたが、再読すると、テナーの若木のようなみずみずしさと、しなやかな強さがこれまた印象的だと思う。ゲドはまだこの巻では若者なんだけど、すっかりおじさん的な風格をまとっている。派手に呪文を唱えたり魔法が迸ったりはしないのだけど、暗黒の神々の膝元でゲドが黙々と全力で戦ったのだ、と納得。こののちのテナーの物語は、18年後?に執筆された『帰還』につながっていく。
読了日:02月20日 著者:アーシュラ・K. ル=グウィン

13言語対応! 語彙力が上がる! 異世界ファンタジー・ネーミング辞典13言語対応! 語彙力が上がる! 異世界ファンタジー・ネーミング辞典感想
本のタイトルこそ「ネーミング辞典」ですが、様々な名詞や単語を日本語、各ヨーロッパ言語、アラビア語、ヘブライ語、中国語で横並び表記したもの。気に入った意味と音をアナグラムにしたりすると、たしかにネーミングが楽になるかもですが。巻末付録に、トールキンのエルフ語辞典も載ってます。これはなかなか面白い。こういう雑学系の本は好きです。
読了日:02月20日 著者:幻想世界研究会

影との戦い: ゲド戦記 1 (岩波少年文庫 588 ゲド戦記 1)影との戦い: ゲド戦記 1 (岩波少年文庫 588 ゲド戦記 1)感想
通読では四半世紀ぶりの再読。よくこの本10代そこそこで読んだな、と今更ながら感心する。大きな冒険ではなく、ひたすらゲドが自分自身と向き合い続ける。オジオンの庵での語らい、エスタリオルとの再会。ノコギリソウと彼女の小さな竜と竈を囲んでパンで手を温めながらのシーンはほのぼのと小麦の薫りが漂ってきそうな幸せなひととき。このゲドが19歳だというのにまた驚く。生と死を自分の中に一つとした全き存在。「生を全うするためにのみ己の生を生き、破滅や苦しみ、憎しみや暗黒なるものに、もはやその生を差し出すことはないだろう。」
読了日:02月16日 著者:アーシュラ・K. ル=グウィン

沈黙の書 (創元推理文庫)沈黙の書 (創元推理文庫)感想
これまでに読んだ乾石智子氏の物語の中では、一番消化不良気味。自分のイメージ力の貧困さにも泣く。人間の残虐さをリアルに描くと同時に、とてもメルヘンな神話的・童話的世界も描かれる。これが頭の中でハレーション。言葉が人間の絆となり平和の礎になる、というメッセージは分かるが、北の蛮族の描かれ方がどうなんだろう?言葉が通じない異民族や文明を持たない蛮族は、薙ぎ払い、一顧だにしないのか。と、とてもモヤってしまった。
読了日:02月09日 著者:乾石 智子

オーリエラントの魔道師たち (創元推理文庫)オーリエラントの魔道師たち (創元推理文庫)感想
単行本から『紐結びの魔導師』を抜いて、『陶工魔導師』が追加されている。お話としては酸いも甘いも噛み分ける『陶工魔導師』が一番好きだが、まったくもって救いのない『黒蓮華』が黒々としているのにとても心惹かれた。(ラストにちょっと救われるけど。)『闇を抱く』は女たちの自衛の魔術アルアンテス。そしてもう一人の〈夜の写本師〉、イスルイールのやや若い頃のお話。イスルイールはやっぱり魅力的だった。にゃんこを蹴るのは人間だけ。至言。
読了日:02月05日 著者:乾石 智子

紐結びの魔道師 (創元推理文庫)紐結びの魔道師 (創元推理文庫)感想
紐結びの魔導師リクエンシスの短編連作。情景を語るのが凄く上手い作家さんだけど、この本は、すごく季節感や気候を感じる。にしても、こんなに安心して読める本は何冊ぶりのことか?それもひとえにエンスの人柄ゆえ。エンスが大好きになること請け合い。魔導師が長命であることはこの物語世界の基本設定だけど、この本は、そこに焦点を当てている。掌編の『形見』がとてもよいと思う。『夜の写本師』に登場する指なしカッシが指を失う経緯がこんなに間抜けで可愛いお話だったとは。
読了日:02月01日 著者:乾石 智子

読書メーター