2025年3月10日月曜日

0551 帰還 ゲド戦記 4

書 名 「帰還」
原 題 「TEHANU」1990年
著 者 アーシュラ・K.ル=グウィン
翻訳者 清水 真砂子
出 版 岩波書店
 【岩波少年文庫版】
少年文庫版  400ページ 2009年2月発行
ISBN-10 400114591X
ISBN-13 978-4001145915
読書メーター 
 【ハードカバー版(初版)】
単行本 344ページ 1993年3月発行
初 読 1993年
ISBN-10 400115529X
ISBN-13 978-4001155297
 完結していたはずのゲド戦記3部作から時が経つこと、18年。1990年に刊行され、1993年に翻訳出版されたのがこの本。赤い表紙のハードカバー。表紙絵は、切り絵風から油彩風になって、中年になったテナーと、焚き火で焼かれた少女テルー、そして背景には巨大な竜が描かれている。奥の暗闇に輝くのは明星テハヌー。実は、背景が竜の頭だと、今回まじまじと見て初めて気がついた(マヌケ)。

 思うに、この一連の作品に登場する真正の賢者って、オジオンと大賢人ネマールだけのような気がする。

 『こわれた腕輪』の物語の直後の25年前に、突然、ゲドが10代半ばの女の子をル・アルビに連れてきて、オジオンに託していった。このオジオンの一番弟子、師匠を信頼しているが故とはいえ、けっこうあんまりだと思うよ。オジオンは困ったろうなあ(笑)。
 とはいえ、内に光と力を秘めていることは、同じ魔法使いであれば一目でわかる。オジオンはテナーを一生懸命育てようと、養女にしてとてもかわいがった。ゲドを育てるよりはだいぶ甘々だった気がする。なにしろ、世捨て人の賢者と少女の組み合わせだ。それだけでラノベなら何冊も物語が書けそうだ。
 しかし結局、テナーはなにか特別な力のある孤高の存在になりたいとは願わず、普通の世間並みの女として世の中に溶け込むことを望んだ。やがて、オジオンの庵を出て村に暮らし、農民の男と結婚。良い女房、良い母親、良い後家、身持ちの良い女として生きてきた。

 これが、ゲドの冒険の裏側で、ゴント島の一隅で起こっていたこと。そして、『さいはての島へ』で竜のカレシンとともにロークを去ったゲドが、オジオンの元に還ってきた。全ての力を失った、ただの傷つき、疲れはて、死にかけた男として。その数日前に、すでに高齢で死期を迎えていたオジオンは旅立っていた。これは単なる妄想だけど、オジオンは遠く離れたゴントから密かに死の世界で戦うゲドに、残った命の全てをかけて力を与えたのではないか。なんてね。

 この物語はそこから。「帰還」してのちの話だ。
 
 フェミニズム的な視野なんだろうな、とは思うのだけど、女性の扱われかたとか、ゴハの内心の葛藤とかは読んでいるこちらも、それなりにイライラした。
 また、王たるレバンネンに同行してゴントにやって来た風の長の、身に染みついた「女は取るに足らない」という感覚にもちょっとイラっと。
 思うに、この世界は、なんというか、社会全体の、敬意とか知識とか誠意とかの総量が足りないっていうかな。
 
 しかし、壮大な空中戦みたいだった前作までと違って、ついに地に足が付いた感じの今作。やっと落ち着くべきところに落ち着いた。テナーとゲドが夫婦になり、オジオンの家にこれから住まう。

 ゲドが全ての特別な力を失った無力な男として、喪失に向き合い、再生すること。
 テナーが、一度は望んで受け入れた「女」という理不尽で不自由な在り方に向き合い、ゴハという社会的な女から、テナーという個人に再生すること。
 暴力と性的な虐待を受け、肉体的に大きく損なわれた少女が、内なる本来の全き姿を取り戻すこと。三者それぞれの喪失と再生の物語だ。全体の生と死という極めて抽象的な物語から、個人の物語への回帰でもあった。
 もっと、深い読み方もできるんだろうけど、ひとまずはここまで。次巻からは、本当の初読なので楽しみ。

2025年3月5日水曜日

0550 さいはての島へ ゲド戦記 3

書 名 「さいはての島へ ゲド戦記 3」
原 題 「The Farthest Shore」1972年
著 者 アーシュラ・K.ル=グウィン
翻訳者 清水 真砂子
出 版 岩波書店
 【岩波少年文庫版】
少年文庫版  368ページ 2009年2月発行
ISBN-10 4001145901
ISBN-13 978-4001145908
読書メーター https://bookmeter.com/reviews/126459454
 【ハードカバー版(初版)】
単行本 319ページ 1977年8月発行
初 読 1982年〜83年頃?
ISBN-10 4001106868

ISBN-13 978-4001106862
 エレス・アクベの二つに割れた腕輪が一つになって、ハブナーに還ってきてから、17、8年。ゲドは5年前に大賢人に選ばれて、いまはロークに腰を落ち着けていた。
 作中のゲドの口調がすっかり、大賢人というよりはむしろハイジのおじいさん調なのでイメージが混乱するが、この時点でゲドは立派な中年もしくは壮年。『こわれた腕輪』では若者よばわりだったので、今は40代半ばだろう。なにしろ、次の『帰還』では遅すぎた春もくるのだし・・・(っと、それはさておき。)

【ほぼ初読】
 私はこの本は多分、三十年ぶりくらいの再読で、初読の印象はほぼ、ゲドが若者アレンと最果てにいって、力尽きて戻ってきたんだよな、程度の記憶しか残っていなかった。なので、ほぼ初読と同じ感じで楽しめた。
【ジブリ『ゲド戦記』】
 スタジオジブリ宮崎吾郎監督の『ゲド戦記』(2006年)の原作となったことでこの本を知った人も多いだろうし、それよりずっと以前からこのシリーズを大切にしていた人達も多かったのではないか。私は後者であるが、ジブリアニメ化の際には盛大に期待を膨らませて公開を待ち、なにか変なものでも喰った気分で映画館を後にした一人である。あの『ゲド戦記』は惨憺たる評判だったと記憶している。棒読みとか酷評されていた気もするが、私はテルー役の手島葵さんの声は好きで、その後CDを購入したりもした。総じて、歌と音楽は良かった。(それよりもやっぱ、脚本がね・・・) しかし今改めてこうして原作となったこの本を読んでみると、それなりに原作に忠実にやろうとはしていたのかな、とは思った。当時も思ったのだが、この原作であのオヤジと比較されるんでは、吾郎ちゃんも分が悪いよな。ただ抽象度の高い死の世界を正面から描かず、あくまでも現実世界の騒乱として描いたことと、テハヌーの顔の火傷をきちんと取り扱わなかったことはダメだと思った。いきなりの父王殺しも物語としては破綻していたと思う。(作品を超えたメッセージ性は大いにあったがねえ。)
【そして、物語の感想】
 で、物語の方に戻るが、エレス・アクベの腕輪が戻り、アーキペラゴ(多島海)には平和が訪れ、ロークの賢者たちも、ゆるゆるとした時の流れに身を委ねていた。ところが、エンラッドの若き王子アレンが、ロークの賢人団に凶報をもたらす。世界の各地で、魔法が失われている。ゲドはいったんは取り戻せたと思った世界の安定と平和が失われつつあることを察知し、世界の均衡を取り戻すために、アレンを供に〈はてみ丸〉で船出する。
①アレンがちょっと辛い
 これが冒頭で、ゲドとアレンはあの島、この島と航海を重ねていく。その旅は行き当たりばったりだし、ずっと船の上だし、正直に白状すれば、感情が移ろいやすく、フラフラふわふわしている若造なアレンにはかなりイライラした。やっぱり王子様には賢くあってほしいし、真っ当に頑張って欲しいんだよな、とは、最近ラノベの読みすぎか。いやたぶん、アレンはちゃんと頑張っていた。たぶん年相応以上には。ちょっと華がなかったけど。
②死の世界のイメージが
 この巻だけでなく、これまでのゲド戦記全体が生と死の連環を取り扱っており、この「さいはての島へ」では生の何たるかや死の不可避性がテーマになっている。しかし、こうして今読み返してみると、ここで語られる「生」も「死」も非常に観念的で硬直したイメージを受ける。とくに「死」や「死者の国」のイメージが絶望的に暗く、なんの救いもない描かれ方なのに驚く。そりゃあ、死後の世界があんなんでは、だれも死にたくなくなるだろう。いったい、この死のイメージはどこから来るのだろう。ル=グウィンは、死というものに何を思っているのだろう?
 この作品の中では、誰もが「永遠の生」を求め、不死性を獲得することで「死の恐怖」からのがれようとし、その結果、人々は大切な「生」の意味そのものを失っていくのだが、作品に通底する生死感、というよりは生と死を包含する世界観はかなり独特だと思う。上手く言えないのだが、キリスト教的な軛から脱しようとして脱せていない苦しさがそのまま作品に反映されているような気がする。
③人はそんなに死にたくないものだろうか
「永遠に生きたいと願わないものがどこにいる?」
 とクモは問うのだが、しかし人は本当に、「永遠に生きたい」と一様に願うものだろうか。

 永遠の生に対する渇望や死に対する恐れ、といった、この本の中で登場人物が共通して抱く想念には、どうもうまく共感できない。
 「死にたくない」という願望が、貴賤を問わず、魔法使いから市井まで、人々に通底する世界に共通する欲望として描かれているが、あまりにも単純化されていて、なんというか、納得がいかないのだ。市井の無学な人々はともかく、知識を極めたはずのロークの賢人団があれでいいのだろうか?
 死に対する恐怖の克服とは、文字どおり「死」を恐怖の対象としないことであり、「死」をなくすことではないんじゃないかと思うのだ。なぜなら、「死」がなくなったなら、恐怖の対象が目の前にないから恐れずに済むだけで、本当は「死」が恐ろしいままであるから。
 賢者といわれるような人々までが、「永遠に生きること」に取りつかれたようになることへの違和感がぬぐえないし、ましてや、「悪役」クモの動機の浅さは噴飯もので、これで世界が壊れるのでは、あまりにも世界そのものが脆弱ではないか、と思えてしまう。(そういう意味では、吾朗ちゃんの『ゲド戦記』は、案外、原作とはレベル感においていい塩梅だったのかも?いや、アニメのほうも詳細はあらかた忘れているんで、どうだか・・・・)

 たとえば現代医療においては、病気ではない「老衰死」が人間の生の最終到達地点になるだろうし、移植医療は「理不尽な死」を克服しようとする取り組みであって、「死」そのものをなくすためのものではないだろう。「死」において、人が耐え難いと思うのは、「理不尽さ」であって万人に等しく訪れる公平な「死」じゃないんではないだろうか? そしてその先にはさらに、「死の理不尽さも受け入れる」という境地もありそうな気がするが。

④この世界は一神教
 また、作品に通底する一神教的な視点に対する違和感もあった。
 クモが放つ、

「だが、おれは人間だ。自然よりもすぐれ、自然を支配する人間だ。」

 という言葉は、いかにも西洋的。

 死の国においても、「苦しみの山脈」に通った一本道を通ることは死者には「禁じられている」という。つまり、死者の国も、生者の国も超越して、命じることのできる絶対者がいることが前提なのだ。この世界ではその創造神はセゴイというのだが。

⑤西洋的なものと土着的なもの、その間で定まらない著者?
 こういった世界観は、私の(そして多分、多くの日本人の)世界観とは違っている。アーキペラゴの人々はネイティブアメリカンがモデルのようで、白人はカルガド帝国など一部にしかおらず、戦闘的で侵略的な人々として描かれている。しかし、非白人の精神性がきちんと描かれているかというと、そこまでは出来ておらず、たとえば、死後の世界とか輪廻転生的な東洋的な発想を取り入れようとする一方で、強烈な一神教的、父権的な価値観から逃れきれていない息苦しさが、そのまま作品世界に投影されているように感じる。
【まとめ】
 私がゲド戦記の世界観に感じる硬直感について思うことは、この本はハイ・ファンタジーであるとともに、ある種の思想書、しかもまだ成熟していない思想書なのだということ。この本についての考察を進めるのであれば、ゲド戦記やル=グウィンの思想を考察した評論なんかも読んでみたほうが良いと思うし、たぶんもっと調べていけば、ここまで書いた感想も、また違ったものになってくるだろうとは思うのだが、そこまで突き詰めるだけの意欲と集中した時間は今はもてないかな。

 しかし、そうはいっても、この本が若年の私に影響を与えた大切な本であることには変わりはない。むしろ、若いころにはこんなことをぐだぐだと考えずに、ゲドとアレンの冒険にのめり込めたと思うので、やっぱり本には読み時というものがあるし、この本はジュブナイル小説なんだろうな、と思う次第。

 やっぱり、これを読んだ十代そこそこの自分に感想を聞いてみたいものだ。

2025年3月2日日曜日

0549 空を駆けるジェーン

書 名 「空を駆けるジェーン」
原 題 「JANE ON HER OWN」1999年
著 者 アーシュラ・K. ル・グウィン
絵   D・S・シンドラ- 
翻訳者 村上 春樹    
出 版 講談社 2001年9月
単行本 54ページ
初 読 2025年03月02日
ISBN-10 406210895X
ISBN-13 978-4062108959
読書メーター https://bookmeter.com/reviews/126424231

 「どうして私達は翼をもっているんだろう?」小さなジェーンの疑問。それは空を飛ぶため! なんて簡単でシンプルな答え!
 翼は持っていないけど、彼らの仲間のアレキサンダーは、どうやらお父さん似ののんびりぐうたらで寝るのが大好きな成猫に育ったもよう。

 ジェーンは元気いっぱいな若猫そのもので、我が家の猫たちにも、「あと2年位したら、置物みたいになってくれるかしら」と遠い目になってたことを思い出す(笑)。さすがの運動量のうちのアビシニアンも、7歳になってさすがに置物に近くなってきたところ。やれやれ。(アビシニアンは、「イエネコ」というよりは小型のネコ科肉食獣って感じの、かなりハゲシイ猫なのです。)

 閑話休題。

 さて、前作で、私はきっとアレキサンダーとジェーンはカップルになるんだろうと思ったのだけど、大間違いでした。ジェーンはもっともっと、自立した(自立したい?)女でした。
 安全だけれど変化の少ない田舎を飛び出し、都会に単身飛び込む、現代っ子。もちろん、悪い男にも騙されたし、危険な目にも遭いましたが。
 そこで頼ったのは、実のお母さん。
 なんだかニンゲンも身につまされる話でした。なにはともあれ、都会の女ジェーンは、母と同居しながら、田舎とも行き来をし、アレキサンダーとも程良い距離を保ちながら、自由に暮らした模様。
 それにしても、翼の生えた黒猫じゃあ、悪魔狩りに遭わなくてよかった・・・と思います。

 余談だけど、なぜこの本だけ、サイズが小さいんだろう・・・。本棚に収まりが悪いじゃないか。

0548  素晴らしいアレキサンダーと、空飛び猫たち

書 名 「素晴らしいアレキサンダーと、空飛び猫たち」
原 題 「WONDERFUL ALEXANDER AND THE CATWINGS」1994年
著 者 アーシュラ・K. ル・グウィン
絵   D・S・シンドラ- 
翻訳者 村上 春樹    
出 版 講談社 1997年6月
単行本 60ページ
初 読 2025年03月02日
ISBN-10 4062081504
ISBN-13 978-4062081504
読書メーター 
https://bookmeter.com/reviews/126422643

 なんと、イラストがオールカラーです。やった〜!
 空飛び猫の三冊目。主人公のアレキサンダーは、羽は生えてない普通の猫だった。お母さんは明るい茶色の長毛種(ペルシャのハーフ)で、アレキサンダーもふさふさのしっぽを受け継いでいる。お父さん猫はいつも寝ている(笑)。エネルギー過多で妹たちにもウザがられているようだけど、本人は無自覚。(こういう子っているよね。) ついに家族の家を飛び出して冒険に出てしまったアレキサンダーだが。
 道路でトラックに挽かれかけ、犬に追いかけられて逃げ、やみくもに逃げて木の梢に登って降りられなくなり!定番コースです。そこに助けにきてくれたのが黒猫ジェーン。子猫のときの恐怖体験のトラウマで失語症状態だったジェーンだったが、アレキサンダーはジェーンに怖かったことを話すように促し、彼女の回復を助ける。いずれはラブラブなカップルになる未来を感じさせたお話でした。

0547 帰ってきた空飛び猫

書 名 「帰ってきた空飛び猫」
原 題 「CATWINGS RETURN」1989年
著 者 アーシュラ・K. ル・グウィン
絵   D・S・シンドラ- 
翻訳者 村上 春樹    
出 版 講談社 1993年12月
単行本 59ページ
初 読 2025年03月02日
ISBN-10 4062058812
ISBN-13 978-4062058810
読書メーター https://bookmeter.com/reviews/126408087

 「帰ってきた」のは、元の都会の街へか、ジェーン・タビーお母さんのところへ、か読者の元へか。
『空飛び猫』の続刊です。今は田舎の農場で安全に、幸福に暮らす4匹の空飛び猫の兄妹たちですが、だんだん、元いた街で暮らしているはずのお母さんが気になり始めて。
 話し合いの末、ハリエットとジェームズの2匹が故郷の都会の街の「ゴミ捨て場」に戻ってみることになる。ところが、長旅の末戻ってみると、ゴミ捨て場は無くなり、下町の路地には再開発の波が押し寄せている!
 しかも、廃屋になったビルの屋根裏には、なんと子猫の空飛び猫が一匹、取り残されていた。もちろん、彼らの弟(もしくは妹)でした。ジェーン・タビーお母さんとも無事再会、妹もつれて、田舎の農場に戻ったのでした。羽を痛めたジェームズが大旅行が出来るまでに回復していて一安心。
 なお、この本は巻末の村上氏の翻訳話も面白いのだけど、「HATE! HATE! HATE!」という子猫の鳴き声を「嫌いだ!嫌いだ!嫌いだ!」と村上氏訳。個人的には、猫の鳴き声に寄せて「ヤ、ヤ、イヤー!」なんかでも良かったな。なんて、ちと図々しいか(笑)

2025年3月1日土曜日

2025年2月の読書メーター

 1月からこちら、ファンタジー月間継続中であるが、『沈黙の書』でちょっと気分が削がれ気味になったので、初心に帰るつもりで、かねてから再読しようと思っていた『ゲド戦記』を読み始めた。なお、『アースシーの風』と『ゲド戦記外伝(ドラゴンフライ)』はまだ読んでいないので今回読めれば初読になる。
 ゲド戦記については、初読は小6か中1くらいの頃のはずなのだが、今更ながら、「よく読んだな」というのが正直な感想。これ、けっこう重いぞ。私のファンタジーの世界観を決定付けた大切な本なのだが、一体私は、当時本当にこの本を理解していたのか・・・っていうか、どういう風に理解していたのか、当時の自分に聞いてみたい気がしている。現在、『さいはての島へ』を読んでいる途中だが、『影との戦い』も『こわれた腕輪』もそうだったが、エンタメ的要素は皆無なので、軟弱で楽しい読書に慣れ親しんだ身には辛いわ、重いわ・・・。(でも読む。)
 そんな読書の合間につい、読んでしまったのが、『捨てられ公爵夫人』と『ないもの探し』。どちらも相当面白いが、とくに『捨てられ公爵夫人』の農業全般・ビール醸造や砂糖精製などの蘊蓄がすごい。時代は中世後期〜近世くらいか? いったいこの話はどこまで転がっていくんだろう? これは最後まで追いかけねば。

2月の読書メーター
読んだ本の数:9
読んだページ数:2493
ナイス数:489

空飛び猫空飛び猫感想
にわかにル=グウィン月間になったので、以前から気になりつつ読んでいなかったこの本も読んだ。何しろ猫に羽が生えて生まれてきた!お母さんねこもビックリだ。だけど、何しろ自分の産んだ子猫だし、せっせと舐めて世話して、一人前になったと見極めたら世界に送り出す。お母さんねこアッパレ。個人的には彼らの羽に生えているのは羽根なのか、毛なのかが猛烈に気になる(笑)。フクロウに虐められたジェームズがなんとか飛べるまでに回復して良かった。村上春樹氏の翻訳には定評があるが、巻末の訳注も楽しいです。
読了日:02月25日 著者:アーシュラ・K. ル・グウィン

捨てられ公爵夫人は、平穏な生活をお望みのようです捨てられ公爵夫人は、平穏な生活をお望みのようです感想
なろうサイトで偶然に拾って・・・っていうか、『小説家になろう年間第1位』『2024年もっとも読まれた超人気作、遂に書籍化!』とのこと。転生令嬢もので、持って生まれたチートな知識をフル活用して農地改革・領地改革をしていく16歳〜18歳。いくら公爵令嬢とはいえ、これは少女の風格ではないぞ、と思わんでもないが、とにかく微に入り細を穿つ知識と人心掌握、優しさと心意気。すごく面白い。なろうサイトでどんどん読んでしまって、出版された分は読んじゃったが、Kindle版も購入したのは、番外編も読みたかったから。オススメ。
読了日:02月24日 著者:カレヤタミエ

ないもの探しは難しい (Ruby collection)ないもの探しは難しい (Ruby collection)感想
Xで、ドイツ語版が配信されているとの情報を拾い、海を渡っている日本BL(オメガバース)!!に好奇心爆発してDLして読みました。いや、文章のテンポがすごく良くて、気持ちいい。主人公の、健気だけど元気でめげない雑草のようなたくましさがとても好ましい。ろくに発情もしない薄いΩ設定なので、あまり濡れ場は濡れ濡れしていないというかあっさりめ。主を叱咤する執事のマシューさんの性格も好み。とても面白かった。
読了日:02月23日 著者:metta

こわれた腕環: ゲド戦記 2 (岩波少年文庫 589 ゲド戦記 2)こわれた腕環: ゲド戦記 2 (岩波少年文庫 589 ゲド戦記 2)感想
初読の時には暗く重い印象が残っていたが、再読すると、テナーの若木のようなみずみずしさと、しなやかな強さがこれまた印象的だと思う。ゲドはまだこの巻では若者なんだけど、すっかりおじさん的な風格をまとっている。派手に呪文を唱えたり魔法が迸ったりはしないのだけど、暗黒の神々の膝元でゲドが黙々と全力で戦ったのだ、と納得。こののちのテナーの物語は、18年後?に執筆された『帰還』につながっていく。
読了日:02月20日 著者:アーシュラ・K. ル=グウィン

13言語対応! 語彙力が上がる! 異世界ファンタジー・ネーミング辞典13言語対応! 語彙力が上がる! 異世界ファンタジー・ネーミング辞典感想
本のタイトルこそ「ネーミング辞典」ですが、様々な名詞や単語を日本語、各ヨーロッパ言語、アラビア語、ヘブライ語、中国語で横並び表記したもの。気に入った意味と音をアナグラムにしたりすると、たしかにネーミングが楽になるかもですが。巻末付録に、トールキンのエルフ語辞典も載ってます。これはなかなか面白い。こういう雑学系の本は好きです。
読了日:02月20日 著者:幻想世界研究会

影との戦い: ゲド戦記 1 (岩波少年文庫 588 ゲド戦記 1)影との戦い: ゲド戦記 1 (岩波少年文庫 588 ゲド戦記 1)感想
通読では四半世紀ぶりの再読。よくこの本10代そこそこで読んだな、と今更ながら感心する。大きな冒険ではなく、ひたすらゲドが自分自身と向き合い続ける。オジオンの庵での語らい、エスタリオルとの再会。ノコギリソウと彼女の小さな竜と竈を囲んでパンで手を温めながらのシーンはほのぼのと小麦の薫りが漂ってきそうな幸せなひととき。このゲドが19歳だというのにまた驚く。生と死を自分の中に一つとした全き存在。「生を全うするためにのみ己の生を生き、破滅や苦しみ、憎しみや暗黒なるものに、もはやその生を差し出すことはないだろう。」
読了日:02月16日 著者:アーシュラ・K. ル=グウィン

沈黙の書 (創元推理文庫)沈黙の書 (創元推理文庫)感想
これまでに読んだ乾石智子氏の物語の中では、一番消化不良気味。自分のイメージ力の貧困さにも泣く。人間の残虐さをリアルに描くと同時に、とてもメルヘンな神話的・童話的世界も描かれる。これが頭の中でハレーション。言葉が人間の絆となり平和の礎になる、というメッセージは分かるが、北の蛮族の描かれ方がどうなんだろう?言葉が通じない異民族や文明を持たない蛮族は、薙ぎ払い、一顧だにしないのか。と、とてもモヤってしまった。
読了日:02月09日 著者:乾石 智子

オーリエラントの魔道師たち (創元推理文庫)オーリエラントの魔道師たち (創元推理文庫)感想
単行本から『紐結びの魔導師』を抜いて、『陶工魔導師』が追加されている。お話としては酸いも甘いも噛み分ける『陶工魔導師』が一番好きだが、まったくもって救いのない『黒蓮華』が黒々としているのにとても心惹かれた。(ラストにちょっと救われるけど。)『闇を抱く』は女たちの自衛の魔術アルアンテス。そしてもう一人の〈夜の写本師〉、イスルイールのやや若い頃のお話。イスルイールはやっぱり魅力的だった。にゃんこを蹴るのは人間だけ。至言。
読了日:02月05日 著者:乾石 智子

紐結びの魔道師 (創元推理文庫)紐結びの魔道師 (創元推理文庫)感想
紐結びの魔導師リクエンシスの短編連作。情景を語るのが凄く上手い作家さんだけど、この本は、すごく季節感や気候を感じる。にしても、こんなに安心して読める本は何冊ぶりのことか?それもひとえにエンスの人柄ゆえ。エンスが大好きになること請け合い。魔導師が長命であることはこの物語世界の基本設定だけど、この本は、そこに焦点を当てている。掌編の『形見』がとてもよいと思う。『夜の写本師』に登場する指なしカッシが指を失う経緯がこんなに間抜けで可愛いお話だったとは。
読了日:02月01日 著者:乾石 智子

読書メーター

2025年2月24日月曜日

0546 捨てられ公爵夫人は、平穏な生活をお望みのようです(単行本)

書 名 「捨てられ公爵夫人は、平穏な生活をお望みのようです」
著 者 カレヤタミエ
出 版 TOブックス 2025年1月
単行本 352ページ
初 読 2025年2月22日
ISBN-10 4867944211
ISBN-13 978-4867944219
読書メーター
 https://bookmeter.com/reviews/126248779

 「小説家になろう」年間第1位(2024年4月~10月現在)。ついに書籍化! とのこと。
 私は、「小説家になろう」のサイトを徘徊していて、ちょっと気になって読み始めて、あまりに面白いので一気読みした。これだけ面白くて力のある著者さんであれば、それ相応の敬意を表すべき!と思って書籍版も購入。(ちょっと勘違いして(?)、Kindle版もDLした。)

 最近、ぽつぽつとライトノベルを読むようになったが、これは面白い。蘊蓄もなかなかのもの。

 攻略ゲームの中に日本人の女子高生が転生、って設定はあまりにも「なろう系」だし、タイトルも書店の本棚に並んでいたら絶対に他の本と区別がつかないと確信が持てるけど、こういう宝石が埋まってるんだな、あの界隈には!との認識を新たにした。
 侯爵家の令嬢に生まれながら、出生に疑念も持たれて疎まれつつ育ち、結婚年齢に達したとたん公爵家に嫁がされたのに、初対面で「お前を愛するつもりはない」と言い渡される。結婚生活も営むつもりはないから、ほどほどに贅沢して体面を保って勝手に社交でもしながら生活しろ、と夫となった公爵アレクシスに言い放たれるメルフィーナ。そこは絶望するところだが、アレクシスから辺境の領地の領有権をもぎ取り、翌日には領地に向かって出立。荒れた開拓地と貧しい領民を目の当たりにし、持ち前の知識で領地開発と農業改良に乗り出す。
 もちろん、まるで経験のない女子が知識だけで農業はじめて、あまりにもトントン拍子なのは否めないが、メルフィーナの行動力と優しさと、豊富な知識と、内面の深さ、お付きの二人や公爵アレクシス、公爵の護衛騎士のオーギュストなどなど、登場するキャラクターがそれぞれに個性が立っていて、非常に物語を面白くしている。なにしろ、主人公メルフィーナが、公正で真摯で尊い。
 転生ものって、こんなに面白くなるんだ! と目からウロコが落ちた。

 なお、番外編の2本も良し。おちゃらけた見かけのオーギュストが良い味出してるのよね。こういうキャラは大好きだ。(グレイマン・シリーズのザックっぽい。)
 今年中に続刊も出るようなので、(すでに読んでしまってはいるが)楽しみにしている。
 ラノベらしく結構イラストが挿入されているけど、文章そのものにイメージ喚起力があるので、挿絵は自分の中のイメージとぶつかってしまった。もともと、なろうサイト内の作品には挿絵はないので、文書だけで勝負するのも良いのではないかと思う。
 なお、後書きによると、著者のペンネームの「カレヤタミエ」は かれや・たみえでもなく、かれやた・みえ、でもなく「かれやたみえ」なんだそう。読み方ムズいぞ。

0545 ないもの探しは難しい (Ruby collection)

書 名 「ないもの探しは難しい」
著 者 metta
出 版 KADOKAWA 2025年1月
文 庫 304ページ
初 読 2025年2月22日
ISBN-10 4041138531
ISBN-13 978-4041138533

読書メーター https://bookmeter.com/reviews/126236959

 X(旧ツイッタ−)で、仁茂田もにさんのリポストで、この本のドイツ語版が配信されているとの情報を得、海を渡っている日本BL!(オメガバース)に好奇心が爆発してDLして読みました。
 冒頭から、文章のテンポがすごく良くて、気持ちいい。主人公の、健気だけど湿っぽくはなく、元気でめげない雑草のようなたくましさがとても好ましい。ろくに発情しない薄いΩであるとの設定なので、あまり濡れ場は濡れ濡れしていないというかあっさりめ。イラストは概ね好みだけど、読んでいると主人公の片割れアルファのダリウス卿は、大柄でガタイが良くて厳ついイメージを抱いていたので、この表紙のダリウスさんは、ちょっと線が細くて優し過ぎかも?
 それはさておき、タイトルどおり「ないもの」を探すのほど難しいものはなく。
 さしたる特徴もない普通の人が、細心の注意を払って身を隠したらどうなるのか。
 それを探し出すのは、もはや番アルファの執念しかない。
 途中で和解する兄や、主を叱咤する執事のマシューさんの性格も好み。とても面白かったデス。彼らのムスメのシグリットのまったく秘めてない恋と執着の行方も、なかなか楽しみではあるね。

0542 空飛び猫

書 名 「空飛び猫」
原 題 「CAT WINGS」1988年
著 者 アーシュラ・K.ル=グウィン   
翻訳者 村上 春樹    
出 版 講談社 1993年3月
単行本 50ページ
初 読 2025年02月24日
ISBN-10 4062058804
ISBN-13 978-4062058803
読書メーター https://bookmeter.com/reviews/126276547


 2月半ばから、にわかにル=グウィン月間に突入したので、以前から気になりつつ読んでいなかったこの本も入手。絵が素敵な本はやっぱり文庫本よりは大型の本よね、と思い、マケプレで状態の良い単行本を探した。
 こういう、状態の良い古書を手に入れやすくなったのは、Amazonの恩恵だと思う。
 いろいろと書店業界の現状に思うところはあれど、Amazonについては現状ではありがたさの方が勝ってるかな。もちろん街の書店さんも大事にしている。ちなみに、マケプレ出店しているオンライン古書店では、一番信頼が置けるのがバリューブックスさん、絶対に使わないのはブックオフ。ブックオフの『非常に良い』はバリューブックスさんの『良い』か『可』ぐらいのレベル感である。・・・とは話が逸れすぎだ。

 背中に羽が生えた子猫が生まれてきた! お母さんねこもビックリである。だけど、何しろ自分の産んだ子猫だし、せっせと舐めて世話して、一人前になったと見極めたら世界に送り出す。母の愛は偉大だ。 個人的には彼らの羽に生えているのは羽根なのか、毛なのかが猛烈に気になる(笑)。フクロウに虐められたジェームズがなんとか飛べるまでに回復して良かった。村上春樹氏の翻訳には定評があるが、巻末の訳注も楽しい。
 今作は、羽の生えた子猫たちが、ニンゲン(世の中では下僕とも呼ばれているが。)に出会うところまで。空飛び猫たちの次なる冒険が楽しみだ。

2025年2月20日木曜日

0541 こわれた腕環 ゲド戦記 2

書 名 「こわれた腕輪 ゲド戦記2」
原 題 「The Tombs of Atuan」1970年
著 者 アーシュラ・K.ル=グウィン
翻訳者 清水 真砂子
出 版 岩波書店
 【岩波少年文庫版】
少年文庫版 272ページ 2009年1月発行
再 読 2025年2月20日
ISBN-10 4001145898
ISBN-13 978-4001145892
読書メーター    
 【ハードカバー版(初版)】
単行本 227ページ 1976年12月発行
初 読 1982年〜83年頃?
ISBN-10 400110685X
ISBN-13 978-4001106855
 『影との戦い』から何年か後、5年か10年・・・は過ぎていないくらい。読んでいるとゲドの印象がはすっかりおじさんなんだけど、どこか一箇所だけ、「若者」と形容されている。
 一巻でゲドが影を追っていたときに偶然手にした腕輪の半欠けは、世界に平和をもたらす『エレス・アクベ』の腕輪だった。腕輪が割れたときに、平和や統一を表す神聖文字も二つに割れ、それ以来世界は小国が分立し、対立と戦争が絶えない世になっていたのだ。ゲドは腕輪の半分を手に入れて壊れた腕輪を全き姿に戻すことで、世界に平和をもたらそうとしていた。

・・・・そんなゲドが登場するのは、物語も半ばに差し掛かってから。

 この物語は、カルガド帝国のアチュアンにある、暗黒神の墓所に仕える一人の少女の生い立ちを通じて語られる。墓所の大巫女の生まれ変わりとして5歳で神殿に捧げられ、以来神殿で養育され、太古の暗黒の神に仕えていた少女は、神殿の地下に広がる大迷宮の中でゲドと出会い、自分の人としての人生を取り戻す。大巫女アルハがゲドによって「テルー」という名前を取り戻し、いかめしい巫女から、だんだん心の柔らかい少女に戻っていく過程は、みずみずしく描かれている。 

 ゲドとテルーが暗黒の神殿と地下迷宮から脱したことで、地下の迷宮と暗黒神殿は崩落し、平和の腕輪はハブナーにもたらされる。

 この後のテルーの人生については、ゲド戦記三部作の後、十数年をおいて刊行された第四部『帰還』を待たなければならない。ル=グウィンらしく、「そして彼女は幸せに暮らしました。」的な素敵で幸せな人生が用意されていたわけではなく、やはり、自分の人生を自分の意志に従って切り開かねばならず、そしてその選択の結果も必ずしも順風満帆とはいかず、だからこそ、自分の意志で選択し、納得して歩んでいかなければならないのだ、と教えられるだろう。
 人が歩んでいく人生とはそういうものなのだ、真理ではあるが、つらいものである。喜びと苦しみと半々、いやむしろ、苦しみの方が多い。だが、日々の生活の中にささやかな光や希望があり、小さな喜びがある。テナーが自分で選んだのはそういう道なのだろう。その『帰還』を読むまえに、まずは『さいはての島へ』を読まねばならん。

 ———自由は、それを担おうとする者にとって、実に重い荷物である。勝手のわからない大きな荷物である。それは、決して気楽なものではない。自由は与えられるものではなくて、選択すべきものであり、しかもその選択は、かならずしも容易なものではないのだ。————

 この本に「自由」と言う言葉が出て来て、前によんだ『レーエンデ物語』で「自由」というものが語られたときに強い違和感を感じたのを思い出した。
 この本『こわれた腕輪』では自由と言う言葉にさほど違和感はなく、違いは何だろう、と考えた。おそらく自由と言う言葉に付与されている概念の違いなんだろうな、とは思う。

2025年2月16日日曜日

0540 影との戦い ゲド戦記1

書 名 「影との戦い ゲド戦記1」
原 題 「A Wizard of Earthsea」1968年
著 者 アーシュラ・K.ル=グウィン
翻訳者 清水 真砂子
出 版 岩波書店
 【岩波少年文庫版】
少年文庫版 320ページ 2009年1月発行
再 読 2025年2月16日
ISBN-10 400114588X
ISBN-13 978-4001145885
読書メーター 
https://bookmeter.com/reviews/126083295   
 【ハードカバー版(初版)】
単行本 278ページ 1976年9月発行
初 読 1982年〜83年頃?
ISBN-10 4001106841
ISBN-13 978-4001106848

 ここしばらく、乾石智子氏の《オーリエラント》のシリーズを読み込んできたので、ちょっと小休止して、原点回帰。
 
 初読は小学生の頃だったはず。でも良く考えて見ると、この本が収蔵されていた図書室のあった地域の施設がオープンしたのが、小6の夏だったか、秋だったか? それ以前にミヒャエルエンデの『果てしない物語』や『モモ』なども読んでいた気がするが、しかし『はてしない物語』の国内初版って1982年だった?なんだか微妙に記憶と合わない気がしてきた。
 
 まあ、それはともかくとして、とにかくハイ=ファンタジーと呼ばれているジャンルの本を読んだ、最初の一冊だったのだ。それ以来、自分の中でのファンタジーの基準軸になっている作品なのだ。これまでに何回も再読しているけど、ここ20年位は通しでは読んでいないし、シリーズ外伝や『アースシーの風』はまったく読んでいなかったので、改めて手にとる次第である。なお、子供の頃は、ル=グウィンを児童文学作家だと思い込んでいた。むしろ『闇の左手』などを書いているSF作家なんだと、かなり遅くに知った時には大いに驚いた。だいたい、日本で『児童文学」として紹介されている海外小説って、実際のところ児童向けに書かれたのかは非常にアヤシイと気付いたのも、大人になってから。この『ゲド戦記』は清水真砂子さんの翻訳であまりにも定着しているけど、もう少し大人向けに翻訳されたらどんな本になるのかな、と興味があったりもする。ってか、そういう翻訳があったらぜひ読んで見たい。いや、この本だって十分大人が読むに耐える翻訳だけど、ちょっと台詞回しだけはもうすこし大人っぽくてもいいかな、と思ったりはする。(いや、それよりも原著で読んでみろって・・・・・?)で、それもさておき。

 ゲドと師匠のオジオンとの関係がすごく好きだ。ゲドのイチイの木の杖はオジオンが手作りしたものだったのか。影についての考察は、すでにいろいろな識者がされているので、私がアレコレいうのもなんだけど、形而上ではあるものの、本来は個人と強固に結びついていなければならないはずの無意識下の集合意識が、個人から切り離されて世間を彷徨うようになってしまったら、あのような存在になるのだろうか。そしてそれは、神や聖霊のように光り輝く高次のものではなくて、やはり暗黒に近い存在なのだろうか。
 人の生は死によって完成する。むしろ、人の生は、長い長い死の瞬間なのかもしれない。その死を恐怖の対象とし、生を否定するものとしてとらえることは、人の生そのものを否定することに他ならない。そのような生は、どうしてもいびつになってしまうだろう。

 影から逃げるのを止めて影に向き合いはじめたとき、影にも変化が現れて、形のない黒いもやもやだったものが、ゲドの姿を取り始める。向き合うことで、だんだん恐怖の対象だったものが理解の対象になってくることの現れだろうか。

 影と向き合おうとしているゲドは19歳。その若さに慄く。18歳や19歳というのは、現実社会においても、まだ世間を知らず、己を知らず、未熟な上に未熟なのにもかかわらず、一人で世間に出ていかなければならない年頃であり、その運次第で、良きものにも悪いものにも出会う年齢なのだ。
 自分がこの本を最初に読んだの10代初めに、自分が何をこの本から受け止めたのかは、もはや記憶の彼方だけれど、この本がその時から生涯の愛読書になったことは事実だ。

「生を全うするためにのみ己の生を生き、破滅や苦しみ、憎しみや暗黒なるものに、もはやその生を差し出すことはないだろう。」

 でも、初読の時も今回も、一番好きなシーンは、エスタリオルとゲドの再会のシーンと、
 そして、エスタリオルの妹、ノコギリソウと彼女の小さな竜と、竈でパンを焼きながらの語らいのシーン。
 ハレキ(竜)がパンを一個盗み、ゲドもかまどから熱々のパンをつまみ食い。それにノコギリソウもご相伴。

「ーーーさてと、じゃあ、わたしも兄の分を一つ減らしておきましょうかね。兄もひもじさにおつきあいできるように。」「均衡とは、こうして保たれるんだな。」

2025年2月10日月曜日

0539 沈黙の書 (創元推理文庫)

書 名 「沈黙の書」
著 者 乾石 智子    
出 版 東京創元社 2017年7月
文 庫 373ページ
初 読 2025年2月15日
ISBN-10 4488525075
ISBN-13 978-4488525071
読書メーター https://bookmeter.com/reviews/125941006

 きっと私の心が荒んでいるからに違いない。なんというか、最後のほうまで、物語が自分の中にしっくり馴染まなかった、ような気がする。
 寓話的・神話的な部分と、生々しい人間の欲望や戦乱の部分、これがどうしても、一本の綱のように寄りあわないまま終章まで。そもそも物語の中に沢山の「星」が出てくるんだけど、自分の中のイメージがまんま黄色い「🌟彡」になってしまって、自分のイメージ力の貧困さに泣く。八つの星を支えている竜のエピソードなどは特にイメージがメルヘンで、脳内の絵柄が童話絵本みたいになっちゃって、それなのに、全般的に語られるのはそれはそれは赤黒い人間というよりは動物的な残虐さだったりして、読んでいる最中から頭の中がしっちゃかめっちゃかだ(絶望)

 オーリエラントの始まりの書。人々を繋ぐもの、平和の礎となるのものは言葉である、という確固たる思いが伝わる一方で、言葉が相容れない相手は蹂躙するのか、自分の平和を守る為であれば、異民族を駆逐するのは良しとするのか、(攻め込んで来たのは相手方だとしても)そこに流れる血はやむを得ないもの・当然のものとするのか、という別のメッセージも受け取ってしまう物語だった。それが著者が意図したものかどうかはともかくとして。「北の蛮族」とはなんなのだろう? 私にとってはそれが不可解なものとしてわだかまってしまう物語だった。
 たとえば、ジーン・アウルの「大地の子エイラ」シリーズでは、音声言語を持たないネアンデルタール人の氏族の豊かな精神文明が描かれていたのが、いまだに印象に残っている。この物語では寓話的に描かれてはいても、「北の蛮族」にも実りの少ない北の大陸に大きな人口を成せるだけの文化があるはずでは、とか、そもそも他の作品からして北の大地は白夜のツンドラのはずで、そこに農耕が成立しているのか、とかいろいろな疑問が頭を離れなかった。
 (意思疎通できる)言葉を有することが協力や思いやりや平和を築く礎とするならば、「言葉を持たない」ことが異民族を駆逐する理由ともなり、大抵の民族間・部族間闘争は合理化できてしまうのではないか?
 例えば、『沈黙の書』が聖書だったとしたら? というイメージが沸いてしまうのだ。あまねく言葉(=聖書)が布教された「平和な」世界。言葉が通じない(=異教の)異民族は排斥する、っていう一神教的な世界観につながるものを、作品から言外に感じてしまう。物語が喚起する神話的イメージとは別に、勝手に自分の中に想起されるイメージがそんな感じなので、いろいろと折り合いがつかず、だいぶ消化不良気味な読書になった。

 なお、例の黒いヤツはこの本にも登場した。
 ゲルダの館(砦)の情景は、なんとなく邪馬台国を連想。一国の女王だった巫女の館はこんな女の砦だったのかもね、と思ったり。
 なるほど、陸橋や海峡が海になったのはそういう伝承となるのか。巨人、デカいな。小石のくせに(笑)

 で、このオーリエラントのシリーズにはそれぞれ巻頭に地図が付されているのだけど、ついつい、その地形が気になってしまって、やってしまった。こういうの、やり過ぎないほうが良いとは思ってはいるのだが、ガマンできなかった。。。。
 この沈黙の書と、『夜の魔導師』その他の地図の比較。オレンジでマークした地名が同じ「テクド島」や、北の大陸との陸橋、海峡、大きな湾、墜神の湖を指標にして重ねてみたさ。
ちなみに、《沈黙の書》時代の地図は縦横比を少し変えて横に伸ばし、強引に地図を重ねた。

 たとえば、『沈黙の書』の時代が氷河期の直後ぐらいで、海水面が上がったとしたら、こんな感じだろうか。いや、あまり厳密に考えちゃだめだとは思うけど。といいつつ、それだとフォトとかエズキウムの当たりは隆起したことになるので、ううむ。ナランナ海は内陸に入り込んできているから、沈降・・・?まあ、魔導師が落っこちて火山を作ったりもしてるしな。・・・魔導で地殻変動が・・・?  あと、ヒーバは海水面が上がって島になってヒバル島になったのかな?とか想像すると少し楽しい。べつに測量した地図があるわけでもなし、大陸を俯瞰できるのはそれこそ風の魔導師くらいのものだし。細かいところを突き詰めるのは御法度として、とりあえずやってみて、気分的には満足した。
 

2025年2月5日水曜日

0538 オーリエラントの魔導師たち

書 名 「オーリエラントの魔道師たち(単行本)」
著 者 乾石 智子         
出 版 東京創元社 単行本2013年6月
単行本 246ページ
初 読 2025年02月04日
ISBN-10 4488027156
ISBN-13 978-4488027155
【収録作品】
◆紐結びの魔導師
◆闇を抱く
◆黒蓮華
◆魔導写本師 

書 名 「オーリエラントの魔道師たち(創元推理文庫)」 2016年6月        
単行本 267ページ
初 読 2025年02月04日
ISBN-10 4488525059
ISBN-13  978-4488525057
読書メーター 
https://bookmeter.com/reviews/125856221
【収録作品】
◆陶工魔導師
◆闇を抱く
◆黒蓮華
◆魔導写本師 

 どちらの表紙も美しい。やっぱり単行本の表紙も眺めたい。というのと、単行本と文庫本で収録作品が違っているので、それもご紹介。
 単行本に収録されていた短編の『紐結びの魔導師』は、文庫本化されるときにこの本からは除かれて、リクエンシスを主人公とした短編連作として、『紐結びの魔導師』を本のタイトルとして別途文庫本化された。文庫本の『オーリエラントの魔導師』にはあらたに「陶工魔導師」が収録されている。
 「紐結びの魔導師」はこのあと3部作シリーズ化(赤銅、白銀、青炎)されているのでそちらも大いに楽しみにしている。

◆陶工魔導師
 コンスル帝国歴800年代。「にゃんこを蹴飛ばすなんて人間じゃねえ」とはウィダチスの魔導師ギャラゼの台詞。それに対して陶工魔導師ヴィクトゥルスは「猫を蹴飛ばすのは人間だけだ」。いずれにせよ、にゃんこを蹴飛ばした奴には相応以上の罰があたる、という話。

◆闇を抱く

 女たちが自衛のために身に付けたイスリルの古い魔法。アルアンテス。アルタと呼ばれるリーダーを頂点に、全体を統括するカサン、実際に魔力を行使するカシヤナ、魔法による助力を必要とする女性をカシヤナに引き合わせる仕事をするカスク、というメンバーで構成される地下の魔女組織。彼女たちの密やかな抵抗。

◆黒蓮華
 村をコンスル兵に襲撃されて親兄弟、村人を皆殺しにされた少年は魔導師となり、孤独と憎しみに胸の中に黒い華を咲かせながら、おのずと身についたプアダンの魔術でコンスル人に仕返しを重ねる。
 黒々としたストーリなのに、清々しく、美しくも感じるのはなぜだろう。

◆魔導写本師
 「夜の写本師」カリュドウの師であるイスルイールの比較的若い頃のお話。写本師の魔導のありようが良くわかる。そして、やっぱりイスルイールは魅力的だ。

2025年2月2日日曜日

0537 紐結びの魔道師 (創元推理文庫)

書 名 「紐結びの魔道師」
著 者 乾石 智子         
出 版 東京創元社 文庫版2016年11月
文 庫 267ページ
初 読 2025年1月31日
ISBN-10 4488525067
ISBN-13 978-4488525064
読書メーター 
https://bookmeter.com/reviews/125766907

 紐結びの魔導師リクエンシスの短編連作です。情景を語るのがものすごく上手い作家さんだけど、この本は、とりわけ、気候や季節感を感じる。冬の匂いがする。
 にしても、こんなに安心して読める本は何冊ぶりのことか? それもひとえにエンスの人柄ゆえ。とはいえ、長命故に気鬱になったり、長じるにつれ、いろいろな物事にも心が動かなくなってきて。ケルシュとの偶然の邂逅にまた元気付けられもして。まあ、ケルシュ=キルアスも、相当に明るい人格ではあるが。 魔導師が長命であることはこの物語世界の基本設定だけど、この本は、そこに焦点を当てている。掌編の『形見』がとてもよいと思う。『夜の写本師』に登場する指なしカッシが指を失う経緯がこんなに間抜けで可愛いお話だったとは。
この物語世界で銀戦士の存在感が思いのほか大きいのがなんとなくイヤ(笑)。あの教祖に教団を背負って立つのは無理なんじゃないかと。。。(苦笑)

オーリエラント世界の登場人物たち(ネタバレあり・自分用忘備)

《夜の写本師》コンスル歴1800年代 コンスル帝国滅亡後
*基準点(いちおう)
カリュドウ夜の写本師 
エイリャカリュドウの育ての親の女魔道師  。アンジストに殺害される。
フィンカリュドウの幼なじみの少女 。アンジストに殺害される。
アンジスト エズキウムの魔道師長 
セントン魔導師。エズキウムの副魔道師長。四大魔道師 
カッシ魔導師。エズキウムの副魔道師長。四大魔道師 
グルース魔導師。エズキウムの副魔道師長。四大魔道師 
ケルシュ 魔導師。エズキウムの副魔道師長。四大魔道師 。1000年前のキアルスの転生。
セフィヤ ガエルクの弟子 。カリュドウの魔導の失敗で死に、カリュドウに大きな教訓を残す。
ラームガエルクの弟子 
ティモナガエルクの弟子 
イスルイール パドゥキアの写本工房を仕切る親方 。〈夜の写本師〉
ハールイエズキウムの写本工房の元締 
ガースエズキウムの写本師の親方 
ワイバン ガース親方の弟子 
ジグエスガース親方の弟子 
ヴェルネガース親方の弟子 
ルッセオ ガース写本工房の雑用係の少年 。写本師見習いの卵
*100年前
ルッカード パドゥキアの少女。ガエルクの弟子。 
アンジスト エズキウムの魔道師長 
ケルシュ 魔導師。キアルスの転生。
ガエルク パドゥキアの魔道師 。シルヴァインの兄ブリュエの転生。
*500年前
エムジスト エズキウムの魔道師長 アンジストの五百年前の名前
イルーシア マードラ国一の魔道師 
*1000年前
アムサイスト コンスル帝国から来た魔道師 アンジストの千年前の名前 
シルヴァインオイル領主の娘 
ブリュエ シルヴァインの兄 
キアルス シルヴァインとブリュエの友人。祐筆 
「写本魔導師」《オーリエラントの魔導師たち》コンスル帝国歴1800年代
「闇を抱く」《オーリエラントの魔導師たち》コンスル帝国歴1800年代
「魔導師の憂鬱」《紐結びの魔導師》 コンスル帝国歴1788年頃  
ニーナエンスの恋人。
ケルシュエズキウムの魔導師。
「子孫」《紐結びの魔導師》 コンスル帝国歴1785年
リクエンシスエンス 紐結びの魔導師
ニーナエンスの恋人
「形見」《紐結びの魔導師》 コンスル帝国歴1703年 早春
リクエンシスエンス 紐結びの魔導師
《太陽の石》 コンスル帝国歴1699年 コンスル帝国末期
デイス   主人公。十六歳の少年 
ネアリイ  デイスの姉。門前に捨てられていた赤子のデイスを拾った。
ビュリアン デイスの幼なじみ。喧嘩友達。悪友。親友
ザナザ   イスリルの魔道師。300年前のイスリル大戦の際、敵方でイザーカト兄弟と戦った。
【イザーカト兄弟】※デイスやネアリイの時代より300年前〜
ゲイル   長男。大地と火の魔道師。若干ぼんくら風味だが、真面目で公正で面倒見がよい。
テシア   長女。大地と火の魔道師。
ナハティ  次女。大地と火の魔道師。魔力は兄弟の仲でも抜きん出ているが、兄弟の仲でつねに疎外感を
味わっており、僻みと恨みが黒い奴と親和した。
カサンドラ 三女。水の魔道師。リンターと年子で特に仲がよかった。リンターはカサンドラを崇拝してい
たが、それがナハティの恨みを招いた。ナハティに惨殺された。
リンター  次男。大地と火の魔道師 300年前、ナハティと最後の死闘を繰り広げ、その結果火山の下
で長らく休眠することになった。
ミルディ  四女。水と土と風の魔道師 イスリル大戦での9人兄弟の唯一の戦死者。ザナザの火球に打た
れて死ぬ。兄弟崩壊のきっかけとなる。
ヤエリ   五女。雷と稲妻の魔道師  美しいものが大好きで、潔癖症。かなり軽薄。ナハティ側につい
て、漁夫の利を得る。
イリア   三男。風と水と嵐の魔道師  300年前の兄弟喧嘩の後、潜伏していた。
デイサンダー 末っ子。植物と生命の魔道師  300年前の兄弟喧嘩の際、ナハティに消滅させられそう
だったが、赤ん坊返りにとどまり、どうにかして300年後にネアリイに拾われる。
「水分」《紐結びの魔導師》 コンスル帝国歴1500年頃? 
リクエンシスエンス 紐結びの魔導師
リコ(グラーコ)80歳過ぎ
「紐結びの魔導師」《紐結びの魔導師》 コンスル帝国歴1457年
リクエンシスエンス 紐結びの魔導師
リコ(グラーコ)エンスの相棒。同居人。エンスの魔法をせっせと記録している。
カッシ貴石占術師。エンスの魔法にひっかかって指を二本失う。
「冬の孤島」《紐結びの魔導師》 帝国歴1448年
リクエンシスエンス 紐結びの魔導師
神が峰の神官戦士団設立される 帝国歴1383年
※1300年代ごろ、イザーカト9兄弟の兄弟喧嘩はこのあたり。
《魔導師の月》コンスル帝国歴857年〜(シルヴァインが殺されて3ヶ月後〜)
キアルス魔導師。ギデスディン魔法(書物を使った魔法)の創始者。
レイサンダーコンスル帝国皇帝の甥ガウザス付きの魔導師。(地の魔法)
カーランキアルスが一時身を寄せたイラネス神殿の管理官。
ハルルカーランのチョウゲンボウ
ジアトルスキアルスガ雇った写本師兼雑用係
エブンキアルスが買い取った奴隷の少年
テューブレンコンスル帝国の皇帝。華美を嫌い、ヒバル島に隠棲しながら帝国を支配。
ガウザスコンスル帝国皇帝の甥。皇位継承者。
コリウスレイサンダーの親友で軍人。ガウザス配下
ムラカン近衛副隊長
コンパルクスムラカンの部下
トリエウスムラカンの部下
ソール皇帝付きの魔導師。石の魔導師。
*さらに400年前 帝国歴450年頃
テイバドールティル、テイバルとも。〈グリルの民〉の少年。タージの歌謡集の収集者。星読み
タゼン星読み。テイバドールの師匠
コノークルコノル。 グリルの族長の息子
ルネルカンドルードとも。コノルの配下
ファイドールテイバドールの父。グリルの族長。故人。ヒダルの民との部族闘争で落命した。
アーチェテイバドールの姉。部族間闘争で攫われる。
セイランセールアーチェの息子。
ネフルテイバドールの次姉
ユーロウテイバドールの犬
オルクレキルナダの大地の魔導師
イスランオルクレの長女。大地の魔導師。強い。
リルルオルクレ次女。大地の魔導師。強い。
アレギウスコンスル帝国第七軍団の司令官。
ホリエウスアレギウスの副官。テイバドールに竪琴を習い、師と敬う。
「陶工魔導師」《オーリエラントの魔導師たち》コンスル帝国歴800年代の始め頃
ヴィクトゥルス陶工魔導師。
ギャラゼウィダチスの魔導師。黒猫姿で登場。
ロウヴィクトゥルスの弟子
クリアルヴィクトゥルスの弟子
「闇を抱く」《オーリエラントの魔導師たち》コンスル帝国歴?年代
オルシア織工見習いの少女。
ロタヤ・クピヤ・マンダ フェデルの名家の奥方
リアンカ織物工房の女主人
カリナアルアンテスの魔術の使い手(カシヤナ)
「黒蓮華」《オーリエラントの魔導師たち》コンスル帝国歴397年
〈耳男〉〈白花〉はロウイと呼びかけた。アブリウスの奴隷
〈白花〉ファーリ。奴隷の女。
〈煙男〉アブリウスの使用人
〈暑がり〉アブリウスの使用人