2022年8月14日日曜日

0381 身も心も〈伊集院大介のアドリブ 〉 (講談社文庫)

書       名 「身も心も〈伊集院大介のアドリブ 〉」 
著    者 栗本 薫    
出    版 講談社 単行本:2004年8月/文庫:2007年3月
文    庫 496ページ 
初       読 2022年8月14日
ISBN-10 4062756714
ISBN-13 978-4062756716

 伊集院大介、ジャズの貴公子矢代俊一に出会う。
 言わずとしれた(?)栗本薫の一大シリーズ「伊集院大介」の事務所に、「キャバレー」の矢代俊一が、事件の依頼に訪れる。最初の出版は2004年。東京サーガとしては、「朝日のあたる家」完結後、次に書かれた作品か。物語の時点は俊一39歳。
 作品世界の時期的には俊介氏の『嘘は罪』と同時期。ちなみにこの話には関係ないが、今西良は服役中。俊一を伊集院大介の元に手引きした竜崎晶は伊集院大介シリーズの準レギュラーなのかな?伊集院大介シリーズは、大昔に一冊くらい読んだ気もするが、以降まったく読んでいないので、登場キャラはよく分からない。なにはともあれ、薫サンが「東京サーガ」と大括りにしている作品世界の、「伊集院大介ブランチ」と「キャバレーブランチ」がこの作品でクロスする。

 ちなみに、伊集院大介は、痩せ型長身、低血圧、寝食にはあまり興味がないタイプのようで、これは栗本作品によく登場する類型。矢代も、透もおんなじタイプ。薫サンはこういうタイプの男性がひとつの理想なんだろう。(ひょっとすると薫サンのダンナ様もこのタイプではないか?と写真を拝見して想像しているのだが。)

 さて、矢代俊一が大介の事務所に持ち込んだトラブルは、脅迫・ストーカー案件。ライブの前になると必ず「〇〇を演奏するな」という脅迫が届くようになった、という。ストーカー慣れしている俊一も、時間が経つにつれだんだん気味が悪くなってきて、あげくにライブの最中に照明が落下し、ピアニストの高瀬が大怪我をするに及んで、さすがに看過できなくなった模様である。しかし、これまでの経験から警察が取り合ってくれるとも思えず、晶のつてで、「名探偵」のところに事件を持ち込んだ。と。

 事件としては、結構簡単だ。名探偵・伊集院大介でなくとも
✓犯人は、矢代のスケジュールを詳細に把握している。(外部に未公表な情報を把握)
✓矢代本人に対する強い執着がある。
 ってだけで、だいたいあたりがついてしまう。
✓照明器具への細工も、ちょっとプロっぽい、というか会場や設備を熟知していないとできなさそう。(ただし、本当に事件なのかどうかは、中盤すぎても不明)
って時点で、容疑者2〜3人に絞れちゃう。あとは、予想外の伏兵がいて大どんでん返しがあるかないか?
 
 あと、細かい表現について、薫サンにとやかく言っても詮無いのは分かってるんだけど、どうしても気になってしまったことがいくつか。
✓「〒ポスト」は、さすがに小説の文章として無いんじゃあないか?しかもこれは、マンションのエントランスなんかにある個人の郵便ボックスのことだ。道ばたにたたずんでいる赤いヤツのことではない。パソコンの予測変換にやられたか?
✓「エアージンなんてやったことあるのかなあ」とか俊一が言ってますが、数年後の岡山のライブで39度の熱をおしてステージにたってぶっ倒れたのは、この「エアージン」を演奏していたとき。結構演奏している風だったけど、これ以降第三次矢代俊一グループを結成して(まともなピアノとベースを入手できてから)レパートリーに加えたのかな?
✓俊一の天敵ジャズ評論家の「松本温」ずっと、なんて読むんだろうと思っていたら、冒頭の登場人物紹介で「温(おん)」とふりがながある。やっと分かった♪と思っていたら、作中で「あつし」とルビ。どっちだよ(怒)

 で、この本であるが、正直、伊集院大介の推理が光るミステリー、ではなく、ひたすら、矢代俊一のキャラクターを、伊集院大介や金井恭平が語り上げる、そっちのほうがメイン。大方のページ数はこれに費やしている。(推定九割!) 謎解きは一向にすすまず、そもそも大したことなさそうな予感すら漂う。要は矢代俊一賛美に、伊集院大介が駆り出されたかたち。こりゃあ、大介ファンは面白くないだろうなあ。それとね。

 中盤のカネさんのセリフ。
『あいつはもともと金持ちの坊ちゃまだったし、いろんなものを最初っから、持ちすぎてたんだよ。だから、カネも欲しくねえし、野望もない。ただ臨むものはもっともとてつもねえ野望———音楽とひとつになりてえ、っていう野望だけでさ。そのことがわからねえ俗世の人間は、本当は矢代俊一に近づかないほうがいい。たいてい、さいごのさいごにしっぺ返しをくらって、えらく裏切られたような気分になるからな。そのことで、とても怒る、それこそ激怒するやつもいるよ。そういうやつらは、矢代にだまされた、と思う。てめえらの強欲や、表面のうわっつらしか俊を見なかったことは棚にあげてな。————』

 なんとなく、薫サンは自分を重ねてるんだろうな、という気がする。“自分には才能がある。求めるものがある。それは凡俗とは違うんだ、だれも自分を理解してくれない、それは自分が悪いのではなくて、周りが俗だからなんだ”って自分を肯定したい気持ちが一杯、いっぱい、溢れてる。

 私の薫サンへの関心の一つは、「なぜ、それこそ小説家デビュー前から連れ添ってきた良ではなくて、俊一に乗り換えたのか」なんだけど、思えば『朝日のあたる家』で、良は自分が本当の歌手でないことに気づき、そして自分は本当の歌を歌いたい、と自覚して、自分の意志で、茨の道を進むことを選択するわけだ。良は、薫サンが連れ添うには厳しすぎる選択をしてしまったんだな。薫サンにはもはや、良は書けなかったんだろう。だから、薫サンは良をうっちゃって、「天才」って甘い夢を一緒に見続けることができる俊一にお乗り換えしたんだろうと思うよ。
 そう考えてみると、薫サンの描く主人公達はたいてい、溢れる異才を糧に生きてる人達なのかもしれない。だから、良が努力の道を選んだ瞬間に、もはや、良は薫サンに捨てられる運命だったんだろう。私はどっちかっていうと透押しで、良はどうでもいいのだけど、透のためにも、良をよい方向にもって行ってあげたかったと思う。
 
 いずれにせよ、この本は、矢代俊一をよいしょっともういちど表舞台に持ち上げるために、伊集院大介をダシにした。そんな話だと理解しておりますです。


0 件のコメント:

コメントを投稿