2023年9月23日土曜日

介護日記的な・・・その2 認知症の愉快な日々と読書

 だいたい毎週末に、飯炊きその他もろもろのため、2時間弱かけて母の家(自分の実家)に行くことにしている。
 金曜日の仕事を夜の7時か8時に切り上げて、週末のベッドタウンに向かう帰宅ラッシュに紛れて、重たい荷物を肩に提げていけば、翌日土曜日の夕刻から夜には自分の家に帰ってこれて比較的日曜日にゆっくりできるし、土曜日の午前中に行けば、日曜日も忙しないけれど、土曜日の朝はゆっくりと迎えられる。まあ、この1年続けて、なんとなく習慣化している。
 月に1回は認知症外来への通院。先日は突然の関節炎でいきなり母が歩けなくなり、整形外科の通院やら、デイサービスの調整やら、ばたばたと。幸い、数日で症状が好転して、事なきを得た。
 とにかく、短期記憶が長期記憶に保存されることがないので、母にとっては日々刻々が新しいことだらけである。事前に予告しておいても、尋ねて行けばびっくりするし、泊まれば、翌朝私がいることにびっくりするし、1年通院を続けていても、まったく通院していることが記憶に残らないし、デイサービスのお迎えも、ホームヘルパーさんも、毎日が初対面。な、だけなら良いが、うっかりすると不審者扱いなので、ヘルパーさんにも気の毒である。(だが、プロなんだから頑張って母に取り入ってくれ!と内心願っている。)

 先日、母を定期的に見守ってくれているご友人に会ったのだが、母は、「娘は仕事が忙しいからこちらには全然帰ってこない」 冷蔵庫に保存してるご飯パックは「自分がやってるのよ」あれもこれも、「全部自分でやっている」と、ずっと言っていたそうで、ご友人は、親子関係はそれぞれだとはいえ、認知症の親を放っておくここの家の娘はいったいどうなっているんだろう?と疑惑を抱いていたとか。

 いえ、母はもうご飯は炊けません。炊事は一切ムリ。出来るのはお湯を沸かすことと、電子レンジの温めスタートだけです。
 毎週私がかよって、ご飯を炊いて、一週間分をパックにして保存しています。
 お惣菜も冷蔵庫に買い置きしているのは私です。一口で食べられる果物なんかも用意しています。
 見守りカメラで常時監視(失礼!)してます。なんなら、皆様がお出での時も、カメラで見えてます。
 毎日、電話で朝起こしたり、薬飲んだか確認したりもしています。

「えええ〜〜〜〜!そうだったの?!お母様全部自分でやってるって言ってたわよ! ゴメンなさいね〜〜!あなたの事、誤解してたワよ!」

 と、愉快な会話を繰り広げたのだった。別に母に悪気はない。他意もない。素で、自分でやっていると思っているのだ。ご飯がパックされている→あら、私がやったのね。と。

 さて、そんな母であるが、身辺にはいつも本がある。
 私は、母が読書家だと思ったことはなかったのだが、あらためて見ると、まあ、本は読んでいる方だと思う。
 新聞も毎日丹念に目を通しており、赤鉛筆でラインを引きながら、丁寧に読み、気になった記事は切り抜きをし、新聞の連載記事や小説も切り抜いて、番号順に全部保存している。
 日曜版に掲載されている数独も必ず解いている。

 正直、母を見ていて、数独も読書も、認知症予防にはならないのだ、と知った。
 
 私は自分の読書寿命をどれだけ保てるか、今から恐々としているのだが、毎日時間があれば、新聞や本を読んでいる母をみて、これは「読書」と言えるのだろうか?とつい、考えてしまう。
 おそらく、5分前に読んだことは覚えていない、と思う。
 テーブルの上に本があっても、それが昨日自分が読んでいた本だとは判らず、「なんでこの本がここにあるのかしら?」と不審そうな顔をする。
 
 ううむ。それでも、読んでいる間は刹那的に楽しいのだろうか?
 少なくとも、私が望んでいる老後の読書ではないことは、間違いない。

 なんにせよ、体は動くほうが良いし、認知症にならずにすむのなら、そのほうが良い。
 明日の我が身を見るようで、老後の心配がひしひしと身に迫る、今日この頃である。


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