2024年8月25日日曜日

介護日記的な・・・閑話休題(母の日じゃないけど、カーネーション)


 私の周辺は、私と同年代かやや上くらいの女性が多いせいか、お互い介護の苦労話に事かかかない。
 お互いそんな話をしているとき、良くやってるわね〜、とか、まあ、お褒めの言葉を戴くことがある。
 だが、自分的には、母に「良くして」いる感覚はあまりないんだよな。

 多分、私は母と心情的にやや遠いのだ。
 母なるものに、思い出や思い入れや強い愛着がないので、母の現在の状況に対して、かなり客観的になれているんじゃないだろうか。それが、母の認知症の状態に私が曲がりなりにも冷静に対応している理由だと思う。
 
 私が物心ついた時には父は病後で虚弱で、子供心に「遠くないいつか父が死ぬ」ということを意識しつつ成長したように思う。
 父は父で、人の(自分の)生死については、かなり達観していた。
 そのような生育環境だったためか、私は人の死についてはかなりドライだ。

 母がこの先、認知症が進んで、いずれは死んでいく。そのことをほぼ無感動に自分の今後の予定に組み込んでいることを自覚している。こういうことについて、他の人がどうなのかは正直判らない。巷には、もっと悲喜交々で情感に溢れる介護記録や闘病録的な読み物が溢れているが、自分は多分、そこまで母の死を悲しまないだろう。
 
 子供のころ、私の日々の面倒を見るのは在宅の父だったので、私は父に思い入れが強いし、反面、母とは距離感がある。当の母はといえば、もちろん私を可愛がってくれていたが、第一優先は父だったので、なんとなく家の中は、母は父担当、父は私担当、という感じだったのではないか、と今振り返って思う。

 私の父は日々のケアが必要な人で、看護婦であった母は病院で、まさに看護婦と患者として父と出会ったらしい。父は極めて知的な人だったので、インテリに弱い母はイチコロだったんじゃないだろうか。以前に父は、二人が文通していたとき、自分が「人生とは・・・」なんて哲学的な内容の手紙を書いても、帰ってきた手紙は「今日のごはん・・・」みたいな内容だった、と笑っていた。そんな父母は結婚し、母は、毎夜、父のケアをしながら、看護婦として、のちには教師として働きながら、一家の家計を担ってきた。時代的にも、実際の生活においても、母の努力と奮闘は、それはそれは大したものだったと思う。

 だから私は、母と自分が「べったり」な親子関係では無かったにしろ、母の人生は異論なく尊敬に値するし、今後の人生の締めくくりにおいて、母は粗略にされるべきではない、と考えている。母が自分の収入で得た自宅に、できるだけ長く住んでもらいたいし、そのために出来るだけの配慮はしたい。

 今、こんなことを文字起こししているのは、日々、母のお惚けと付き合っていると、つい母を「粗略に」扱っちゃいそうだからだ。いかんいかん。と自戒を込めつつ、しかし、今後母の認知症がどういう局面を迎えていくのか、戦々恐々のスリルではある。

 そういえば、母は昨日、造花のクチナシに水をあげていたな。

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