2025年2月20日木曜日

0541 こわれた腕環 ゲド戦記 2

書 名 「こわれた腕輪 ゲド戦記2」
原 題 「The Tombs of Atuan」1970年
著 者 アーシュラ・K.ル=グウィン
翻訳者 清水 真砂子
出 版 岩波書店
 【岩波少年文庫版】
少年文庫版 272ページ 2009年1月発行
再 読 2025年2月20日
ISBN-10 4001145898
ISBN-13 978-4001145892
読書メーター    
 【ハードカバー版(初版)】
単行本 227ページ 1976年12月発行
初 読 1982年〜83年頃?
ISBN-10 400110685X
ISBN-13 978-4001106855
 『影との戦い』から何年か後、5年か10年・・・は過ぎていないくらい。読んでいるとゲドの印象がすっかりおじさんなんだけど、どこか一箇所だけ、「若者」と形容されている。
 一巻でゲドが影を追っていたときに偶然手にした腕輪の半欠けは、世界に平和をもたらす『エレス・アクベ』の腕輪だった。腕輪が割れたときに、平和や統一を表す神聖文字も二つに割れ、それ以来世界は小国が分立し、対立と戦争が絶えない世になっていたのだ。ゲドは腕輪の半分を手に入れて壊れた腕輪を全き姿に戻すことで、世界に平和をもたらそうとしていた。

・・・・そんなゲドが登場するのは、物語も半ばに差し掛かってから。
 この物語は、カルガド帝国のアチュアンにある、暗黒神の墓所に仕える一人の少女の生い立ちから語りはじめられる。墓所の大巫女の生まれ変わりとして5歳で神殿に捧げられ、以来神殿の中で養育され、太古の神に仕えていた少女は、神殿の地下に広がる大迷宮の中でゲドと出会い、ゲドを生かす選択をしたことで、自分も人としての人生を取り戻す。大巫女アルハがゲドによって「テナー」という名前を取り戻し、いかめしい巫女から、だんだん柔らかい少女の心に戻っていく過程が、みずみずしく描かれている。 
 ゲドとテナーが地下迷宮から脱したことで、迷宮と暗黒神殿は崩落し、二人は、平和の腕輪を持ってハブナーに帰還する。

 この後のテナーの人生については、ゲド戦記三部作の後、十数年をおいて刊行された第四部『帰還』を待たなければならない。
 彼女に、「そして彼女は幸せに暮らしました。」的な素敵で幸せな人生が用意されていたわけではなく、やはり、自分の人生を自分の意志に従って切り開かねばならず、そしてその選択の結果も必ずしも順風満帆とはいかず、だからこそ、自分の意志で選択し、納得して歩んでいかなければならないのだ、と教えられるだろう。

 人が歩んでいく人生とはそういうものなのだ、真理ではあるが、つらいものである。喜びと苦しみと半々、いやむしろ、苦しみの方が多い。だが、日々の生活の中にささやかな光や希望があり、小さな喜びがある。テナーが自分で選んだのはそういう道なのだろう。その『帰還』を読むまえに、まずは『さいはての島へ』を読まねばならん。

 ———自由は、それを担おうとする者にとって、実に重い荷物である。勝手のわからない大きな荷物である。それは、決して気楽なものではない。自由は与えられるものではなくて、選択すべきものであり、しかもその選択は、かならずしも容易なものではないのだ。————

 この本に「自由」と言う言葉が出て来て、前に読んだ『レーエンデ物語』では「自由」というものが語られたときに強い違和感を感じたのを思い出した。
 この本『こわれた腕輪』では自由と言う言葉にさほど違和感はなく、違いは何だろう、と考えた。おそらくこちらの本には、「自由」という言葉を支えるこの世界なりの価値観や倫理観があり、この本の世界の中で意味が完結しているのに対し、『レーエンデ』の方には、現実の近代的な「自由」という概念が持ちこまれてしまっている、つまりハイファンタジーとしては未完成であるからだろうか。

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