2025年12月14日日曜日

0572 抜け殻仮説への挑戦―認知症の人の「自律」の概念を考える― 新書 –

書 名 「抜け殻仮説への挑戦―認知症の人の「自律」の概念を考える― 新書 」
著 者 箕岡真子
出 版 三省堂書店/創英社 2022年6月
文 庫 148ページ
初 読 2025年11月05日
ISBN-10 4879231444
ISBN-13 978-4879231444
読書メーター https://bookmeter.com/reviews/131283560


著者の箕岡 真子 (みのおか まさこ) さんについて
 日本臨床倫理学会総務担当理事
 東京大学大学院医学系研究科医療倫理学分野客員研究員
 箕岡医院院長
【主な研究領域】終末期医療ケアの倫理・高齢者の介護倫理・認知症ケアの倫理


 認知症の母の在宅での見守り介護をまるまる3年間続け、母の施設入所の見極めや施設探しをするにあたり自分の判断を知見で底上げしたい、と思って手に取った数冊のうちの一冊。
 この本は、医療や看護の領域の臨床医、研究者、教育者である著者が、おそらくは医療分野の読者(学生?)に向けて平易に書かれた著作で、その向きの勉強には役に立つのだろうが、現に介護に向き合う家族にとって役に立つか、というと、まあ、ほぼ役に立たない本ではありました。・・・・目的外使用?って感じなので、文句いう筋合いではないです。

「患者の意志の尊重」というテーマに、これまでの医療界や医療者がどのように向き合ってきたのか、という点では、歴史的経緯やターニングポイントになった事件などがまとめてあって、いい勉強になった。

 タイトルの「抜け殻仮説」というのは、「認知症患者は脳神経細胞の病理学的変成によって人格は変化・崩壊し、“抜け殻”になってしまう」という考え(偏見)のこと。

 認知症患者は崩壊した自我の残滓を留めているのではなく、認知症になった後も一貫した「自我」を持っていることを認め、しかし、認知症であるがゆえに、本人の選択や判断による自己決定=自律は困難となっていく。それをどのように援助していくのか、ということについて、この本では「自律」の再定義を行いつつ、考察している。

 医療ケアに選択における意志決定について、これまでは本人に「意志決定能力がある」状態、すなわち
 ① 自分で選択して意思表明できる。
 ② 治療などに関する情報が理解出来る。
 ③ それを選択した場合、それが自分にどのような結果をもたらすのかを認識できる。
 ④ 決定内容が自分の価値観や治療目的と一致していること 

 の4つの構成要素を満たしている状態においてのみ、本人が自分のこと(治療方針や処遇方針について)自己決定できる、とし、そうでない状態においては、家族などの近親者が「代理決定」を行うという二択となっている、という現状をまず確認する。その上で、現実的には「本人による意志決定」(自律)から「家族による代理決定」の間には大きなグレーゾーンが広がっていること、これまで目が向けられていなかったこのグレーゾーン上にも、本人による自己決定が可能な領域が存在することを指摘する。
 そして、家族など周囲の人間が適切に本人の意志決定を支援すれば、より本人の自己決定の幅を広げることが可能で、ここで「自律」の概念を広げ、これまでの狭義の自律=個別的自律から、“他者の援助によって実現される自律”を広義の自律=関係性的自律に拡大することを提案する。
 これによって、「自己決定」と「代理判断」の間にあったグレーゾーンも、本人の意志に基づく「自律」的な決定が可能になる。

 この場合、本人の意志を知り、それを延長する形で決定につなげる第三者の支援が必要になるが、本書ではそれが可能な人について「本人が最も信頼できる「人」」であると言う。その第三者は自己の利益ではなく、本人の意志や願望を尊重し、選択を行う必要がある。それは、本人を良く知っている人である必要があり、本人との豊かな関係性を事前に築いている人で、本人を愛し、共感できる人なのだと。そういう人の共感を通じて、認知症になった人も自律を延長できる。・・・まあ、この通りの文字で関われているわけではないが、そういうことが論じられている。前段はともかく、ここまでくると、かなり馬鹿らしい感じがしてくる。

 認知症や深刻な病に陥った人を、心底大切に思っている家族がいれば、学者や医者が何を論じなくとも、その家族は、愛する人のために必死になって考え、最善を尽くすだろう。それは当たり前の光景であるが、かならずしも常にあるものでもない。

 この本において、例示される認知症のおじいちゃんを抱える家族において、主介護者である長男の妻は、おじいちゃんを深く愛して理解していたら、この家族が抱える介護の問題は解決されるのだろうか。そんなことはないだろう。

 この本は、サブタイトルのとおり、認知症の人の「自律」の概念を考える、というテーマに基づき、認知症の人の「自律」の概念について考えているが、考えた上で、なにか新しい視点に到達しているか、というとかなり疑問に感じる。認知症患者の自律と他律の間にもともと存在する家族の支援に、仰々しく「関係性的自律」と名付けただけのように思える。そして、「関係性的自律」が機能するために麗しい愛や理解が必要なのであれば、医療や介護の現実を変えることのためには、たいして役に立たないだろう。なぜなら、今もそれは、それがある場所では機能しているはずだからだ。
 

 

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