2021年8月11日水曜日

0287 もう耳は貸さない (創元推理文庫)

書 名 「もう耳は貸さない」 
原 題 「RUNNING OUT OF ROAD」2020年
著 者 ダニエル・フリードマン 
翻訳者 野口 百合子  
出 版 東京創元社 2021年2月 
文 庫 343ページ 
初 読 2021年8月12日 
読書メーター https://bookmeter.com/reviews/100323060  
ISBN-10 4488122078 
ISBN-13 978-4488122072
 バルーク・シャッツ 89歳、元刑事。刑事引退後35年も経ってから巻き込まれた殺人事件で犯人に襲われ、撃たれ、骨折したのが前々巻、87歳の時の出来事。
 それが原因で歩行器が手放せなくなり、日常生活にも介助が必要になったため、一生を過ごすつもりだった自宅を手放し老人ケア施設〈ヴァルハラ・エステート〉に妻のローズと共に入居した。住み慣れた、長年かけて手入れをし愛着のあった自宅や家財を手放さなければならなかった痛手は、もちろん専業主婦だった妻ローズの方が大きい。それでも70年連れ添った頑固な夫の為に、必要な判断は果断と下すローズは影の主役とも言っていい。一方のバックにとっては、家庭とはローズそのもの。そのローズが癌に冒されていると判明するところから。

 どうしてもローズが癌である、という情報が頭に入らない。アルツハイマー性痴呆の進行かと思いきや、妻の病気、そして近い将来妻に先立たれる、という事実を気持ちが受け入れるのを拒否しているから、のよう。イヤな事は早く忘れてるのは人間の脳の機能だし、絶対イヤなことは意地でも聞かなかったことにしてしまう老いた脳がなにやら愛おしくもある。
 自分自身が、だんだん老いた先のことがリアルに考えられるようになってきて、この話は身につまされる。なによりバックの進行する老化がリアルで、やがて自分もこうなっていくのか、と読んでいてなんだか気分が暗くなる。住み慣れた大切な家や親から引き継いだ家具や、愛着のある食器を全て売り払って(老人ホームに持ち込めないから)も、そのホーム2ヶ月分の家賃にもならなかった、というのが現実的すぎる。自分にもそんな日が来るんだろうか、そもそも、そこそこ世話の行き届いた有料老人ホームに入居することすら叶わない可能性の方が高いのでは?(特養に入る段になったら、もはや愛着などといっている余裕はきっと無いだろう。) それでも、自分が信念を貫いてきたという確固たる記憶と自信があれば、バックのように毅然と(←本人としては)、超絶傲慢・頑固に(←周りから見たら)していられるだろうか。

 さて、話は、バックが若い頃の連続女性殺人事件にさかのぼる。
 バックがかつて逮捕した因縁の殺人犯(シリアルキラー)が、あと数週間で死刑執行される。
 州で選択している処刑方法は致死薬。
 あるラジオ・ジャーナリストが、この死刑囚に目をとめ、彼の「冤罪」の主張と死刑制度の是非を連続番組で取り上げる。
 ラジオのインタビューの書き起こし(犯人側と死刑制度廃止論者の意見)と、バックがこのことで助力と頼んだ孫のテキーラに聞かせる導入からの1950〜70年代のバックの事件捜査が交互に差し込まれた構成がけっこう面白い。バックはたしかに行き過ぎなところがあるが、やはりいい刑事だった。人種や境遇にかかわらず、女性、セックスワーカー、社会的弱者の犯罪被害者に心を寄せ、人種差別やユダヤ人への偏見渦巻く市警の中で筋を通し、ユダヤ人として嫌がられながらも、その捜査姿勢を市警の中で認められてきていた。
 バックの代わりにジャーナリストと渡りあうテキーラもなかなかのもの。こいつは良い弁護士になりそうだ。
 結局、体制(資本主義)とそこに発する社会悪が個人の犯罪の根源で、犯罪者も体制の被害者であり、体制(=世の中)が改まれば全てが解決する、と主張するジャーナリストと、体制も悪いかもしれんが、悪を為すのは個人で、そのような個人は裁かれなければ被害者は報われない、と主張するバックの主張が歩み寄ることはないが、薬物による処刑の問題性(非人道性)は、当のシリアルキラーが死刑執行に失敗し、延々苦しみながら(自業自得、というか因果応報)死んでいく姿をさらすことで逆説的に読者に投げかける。
 ジャーナリスト側は、死刑廃止論と真性のシリアルキラーの冤罪の訴えを混同して取り扱ったのが敗因。
 悪は図らずもがっつり罰せられ、死刑廃止論、というよりも残虐な刑罰の是非を読者に投げかけ、バックは頑固ながらも嫌々老いを迎えいれ妻ローズの病気に向き合う、というなかなか良く出来たストーリーだった。これまでシリーズ現3冊の中では、一番良いと思う。

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