母がグループホームに入居して、当面の主の留守中に私がしたかったこと。それは大掃除。
なにしろ、母は窓を開けたがらない、カーテンは締めっぱなしになりがちだった。なにかしらの恐怖観念があったようだ。
とくに、母の寝室は空気の入れ換えもままならず、常に湿度が高い状態で、おそらくダニなども発生していた。(たまに、母がかゆがっていた。)
母の寝室だけでなく、押し入れで捜し物をした折は、私もダニに喰われたので、とにかく全面的な掃除・除虫は必須な状況だった。
そして、母はため込み系の「片付け魔」だった。
一見して、室内はキレイそのもの。きちんと整理整頓されている。だがしかし、今回、母の入居準備でシーツやタオルや、着替えなど押し入れの中を色々と探したが、60年は前のシーツが糊とアイロンが掛かった状態で保管されていたり、いろいろと、さすがにこれはもう、捨てたほうがよいだろう、というアレコレを発見。
大切に使っている飛騨の家具の応接セットは、座面のゴムが経年劣化で断裂しているし、父の大切にしていたスピーカーは、ウレタンが劣化してボロボロになっている。修理に出したかったが、母は私があちこちいじることに難色を示した。いろいろと判らないことが増えてきていたのに、いじられてもっと判らなくなったら、と不安だったのだと思う。私は、いつかちゃんと修理に出そうと、虎視眈々だった。
その他、母がため込んだ新聞・雑誌の切り抜き、プリントアウトしたメール、手紙、写真、昔の書類のあれこれ。手芸や洋裁の好きな母がため込んだ、大量の着分の毛糸、あまり糸、洋裁用具、着尺の高級ウール、昔仕立てた洋服の端切れ、一時期はまったパッチワーク用の用具、大量のパッチワーク用布、キルト綿、洋裁本、編み物本、レース本、パッチワーク本・・・・・
これも一時期母が熱中した書道用具、大量の反故紙、お手本・・・・・
なにより、もう着ない大量の服。
家具の修理を手配し、壊れた家具や、使用しない大型家具、なぜかリフォームの際に処分せずに取ってあった建具などを、2回にわけて粗大ゴミで出し、とにかくゴミ・不要品を排出。
基本母のものなので、極力捨てない方針で臨んだものの、最終的には、45リットルゴミ袋40袋以上を消費。新聞回収袋4袋分の紙類。不要衣類・シーツ・布類は45リットルで6袋。 燃やすゴミ、プラスチックゴミ、陶器・ガラス・金属・ビン・カンに分類し、1週間でそれぞれのゴミ回収日に効率よく排出。古本買い取りに3箱。
ベッドを移動し、本棚を移動しながら、掃除・除虫を繰り返し、毎日何回も掃除機かけても、なぜか掃除機のゴミカップが一杯になるホコリ。
もう、気がふれたように掃除し、片付けた。一週間みっちり。朝から晩まで。
まだ、出し切れていない資源ゴミが残っているし、写真と手紙類は丁寧に見ようと思って、今だ、居間の真ん中に小山になっている。
それでも、室内は「キレイ」な状態に現状復帰したし、細かいところは私の趣味で古すぎる台所用品なんかは多少、買い換えた。
過重労働のおかげで、右手の肘を筋と手指の関節を痛めて、いまだにあちこち痛いけど、ひとまず、私と母の在宅介護はこれにておしまい。今後は、母の家を維持しつつ、面会にいって、母の入居生活を後方支援していく。
あとは、この2ヶ月ほぼ放置状態だった、自分ちの掃除片付けだな。そんなこんなで、自宅に戻ったのは先週だったのだけど、本日は一日掃除に勤しみ、腕の痛みがまた、悪化しましたとさ。
そうそう、母宅にいるあいだに、読書が出来ないならなにか一つくらいは終わらせよう、とちくちく修理していたウォルドルフ人形は、こんな感じになりました。
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