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2026年4月6日月曜日

0590 ダ・ヴィンチの密命 ガブリエル・アロンシリーズ

書 名 「ダ・ヴィンチの密命」
原 題 「AN INSIDE JOB」2025年
著 者 ダニエル・シルヴァ    
翻訳者 山本 やよい    
出 版 ハーパーコリンズ・ジャパン 2026年3月
文 庫 576ページ
初 読 2026年3月25日
ISBN-10 4302115939
ISBN-13 978-4302115938
読書メーター 
https://bookmeter.com/reviews/134486452

 この巻は、時期を推測する記述が乏しいが、事件の端緒となった水死体の発見・・・・・ヴェネツィアの運河に浮かんでいたところを、ガブリエルが発見・・・・が秋とのこと。前作のコーンウォールの事件が2023年の始めだったので、おそらくは、2023年秋〜翌年にかけての事件だと思う。
 
 冒頭、ガブリエルとキアラは、双子が通う公立小学校の校長室に呼び出されている。
 双子の片割れ、過激な環境保護主義者に育ちつつあるアイリーンが全校生徒をそそのかし、授業をボイコットして地球温暖化に反対するデモを企画している!とのことで、保護者が呼び出されたのだ。デモ行進のチラシを校内に張り出したアイリーンに、ガブリエルは教育的指導を行う。曰く「こちらの手の内を敵に知らせるなど、もってのほかだ」
 アイリーンの行動を大目に見る代わりに、校長先生は、小学校の生徒に美術の指導を行うことをガブリエルに要求。願ったり叶ったりのガブリエルは、しかつめらしく承諾。(本当は、美術教師をやってみたかったらしい)
 ・・・そんな、いささか大胆ながら、微笑ましい子育てをしつつ、やはり事件から絡んでくるのがガブリエルの新しい日常のようで、正体不明の女性の遺体の身元捜索から、新たに発見されたダ・ヴィンチの若い女性の肖像画の盗難事件へと話は進む。

 今回のモチーフとなった絵は、有名な右の素描で、作中では〈若き女性の頭部〉と言われているもの。〈岩窟の聖母〉に登場している大天使のための素描と言われていて、例えば〈モナリザ〉のような単独の肖像画は存在していない。この素描を元にした、若い女性の肖像画が、平凡な聖母子像の宗教画の下に隠されていたのを、イギリスからヴァチカンに研修にきていた若い修復師の女性が発見した。そしてその女性が水死体で発見される。発見したのはガブリエル。死んだ女性が働いていたのは、ヴァチカンの美術修復部。なぜ彼女は殺され、そして盗まれた絵はどこに行ってしまったのか。そして、事件はヴァチカンの深部の金満汚染へと繋がっていく。
 今回は、久しぶりの教皇ドナーティとガブリエルのタッグ。この二人の絡みが好きな人には良い一作である。
 そしてボーナスは、ついに双子の片割れラファエルが絵を描くことに目覚めたことかな。
 

2026年4月5日日曜日

美術修復師ガブリエル・アロン シリーズ

ガブリエル・アロンについての考察はこちら(年表付きです。)

『告解』でガブリエルが手がけている
祭壇画 サン・ザッカリア教会

1【報復という名の芸術】(The Kill Artist 2000年)
1999年。 1,991年1月にガブリエルがウィーンで幼い息子を失ってから9年近くが過ぎていた。シャムロンに逢うのは事件のあとテルアビブで〈オフィス〉の仕事を辞めると伝えた時以来。ガブリエルが隠棲していたのは、イギリス、コーンウォールの海辺のコテージ。かつてはガブリエル専属の支援者(サイアン)だったイシャーウッドとは、本当の画商と絵画修復師の関係となっていた。そんなイシャーウッドからガブリエルの居場所を聞き出して、シャムロンが新たな「復讐」を携えてやってくる。それは、ウィーンでガブリエルの車に爆弾を仕掛け、彼から家族を奪った男への報復だった。
  
2000年頃? この作中で彼は50歳。スイス在住のある資産家が、ガブリエルに接触を図る。その男が秘匿していたのは、かつてナチスがユダヤ人から略奪しした絵画の数々だった。この絵画を巡り、ナチの残党との死闘が始まる。スイスが未だ隠し持つ、かつてのユダヤ人の財産。ヨーロッパ諸国とナチスとの関係は、歴史の暗部となって未だ各国にわだかまっている。ナチスはユダヤ人の財産を奪った、というアロンに対して、ユダヤ人はパレスチナ人から土地を奪った。動産より不動産の方が罪が重い、と論じるスイス人。ユダヤ人とユダヤ人国家にまつわる問題は一筋縄でいくものではないが、だからといってナチスの罪が薄れるわけではない。それに協力した人間の罪も、である。

2001年冬 ガブリエル51歳になったばかり。ベネツィアのサン・ザッカリア教会で祭壇画の修復を手がけていると、シャムロンからの呼び出しが。かつての盟友がドイツで殺害された。調査を始めると、今度はガブリエルが何者かに追跡される。親友だったベンジャミンが追っていたのは、第二次対戦時のナチスとヴァチカンの関係だった。法王庁とローマ・カトリックの権威を至上とするヴァチカンの秘密組織が、ガブリエルと彼が掴んだ証拠を抹殺しようとする。時を同じくして新教皇は、ユダヤ人との和解のための一歩を踏み出そうとしていた。教皇にも危険が迫り、ガブリエルは新教皇を守るために接触を図る。 
 
『さらば死都ウィーン』で
修復を手がけている祭壇画
サン・ジョヴァンニ・クリソストモ教会
ジョバンニ・ベッリーニ作
『聖クリストフォロス,聖ヒエロニムスと
ツールーズの聖ルイス


時期的には2002年か2003年、またしても冬。雪のちらつくウイーンは、ガブリエルにとっては不吉の象徴。親友であり、戦友のエリ・ラヴォンがウイーンで運営していた戦争犯罪調査事務所が爆破される。スタッフは死亡、エリは重体。ガブリエルは追跡調査を開始するが、すぐに命を狙われることになる。エリが追っていたのは、身分を偽装してオーストリアで社会的にも大成功を収めていた元SS将校。その男の成功の原資となったのはユダヤ人から略奪された資産であり、また、その男はガブリエルの母とも因縁があった。ガブリエルは、ヤド・ヴァシェムに残された母の証言書を読み、初めて母の苦難と向き合うことに。

5(Prince of Fire 2005年)未訳
ガブリエルに関する秘密文書が暴露され、ヴェネツィアにいられなくなったガブリエルはキアラを伴いやむを得ずイスラエルに帰国する。キアラとの生活を準備するが、イギリスの病院に入院させていたリーアが誘拐されて・・・・・。紆余曲折ありキアラが1人でヴェネツィアに去る。
 
6(The Messenger 2006年)未訳
ローマ法王パウロ7世がテロの標的に。ガブリエルが法王を守る。法王の計らい(?)でベネツィアにキアラを訪れ、関係復活。『教皇のスパイ』で触れているエピソードがこれ。
 
7(The Secret Servant 2007年)未訳

8(Moscow Rules 2008年)未訳
ガブリエルがモスクワに潜入。 
 
9(The Defector 2009年)未訳

10(The Rembrandt Affair 2010年)未訳

11(Portrait of a Spy 2011年)未訳
サウジアラビアに潜入。サウジ人女性ナディアを救出しようとするが、2人とも砂漠で殺されそうになる。結局ナディアが死に、ガブリエルは重傷。その後サウジ秘密警察に捕らえられ、過酷な尋問を受けて傷を悪化さる。米国CIAの介入で解放されるが、女性の死に責任を感じて深刻なPTSDを患い、イギリス・コーンウォールでキアラとアリに見守られて静養する。このときガブリエルを案じたサラ・バンクロフトの依頼でナディアの肖像画を描き、この絵を契機に精神的に復調するのだが、この絵がMoMA美術館のナディアコレクションの入り口に展示されている。これが、『過去からの密使』の下敷きとなっているエピソード。
12 (The Fallen Angel 2012年)未訳

13 (The English Girl 2013年)未訳

 2014年春〜秋  ガブリエル64歳。キアラは妊娠中。ガブリエルは、カラビニエリの美術班、フェラーリ将軍の依頼により盗難にあったカラヴァッジョの《キリストの降誕》を探すため、盗難絵画のコレクターを釣る餌として、ゴッホの《ひまわり》を盗み出す。しかし、《ひまわり》の盗品売買の相手を追跡するうち、盗難絵画がシリアの独裁者の隠し財産の形成に利用されていることが分かり、事態は一転する。ガブリエル個人の請負仕事が、オフィスの大プロジェクトに展開。標的はシリアの独裁者の財産である。一連の事件終了後、ゴッホ美術館に盗まれた《ひまわり》が戻ってくるが、なぜか手入れをされて盗難前より状態が良くなっていた、ということだ。 

 2014年秋〜冬  亡者のゲームの三日後から。 
 キアラの妊娠後期から出産まで。ガブリエルがロシアの策略で爆弾テロの標的にされる。
 怪我の詳細の記載はないが全身打撲くらいはありそう。 一週間程度で復活している。ロシアが手先に利用したのは、英国人暗殺者との因縁も深い、IRA爆弾テロ犯だった。そしてこの男は、ガブリエルの家族を犠牲にしたウイーンの爆弾テロにも深い関わりが。MI6からの請負仕事だった事件が、復讐の色を濃厚に帯び、事態は逼迫する。今回は絵画修復のシーンはないが、事件終了後、出産間近なキアラが待つエルサレムに帰還し、自宅の子供部屋の壁にダニの顔を模した天使の絵を描いて涙ぐむガブリエルの姿が切ない。

 2015年4月〜12月 ※2015年のISISの戦闘についてと、気候変動抑制に関する協定(パリ協定 2015年12月12日)が結ばれたことについて言及している。 ISISによるユダヤ人の組織を狙った大規模な爆弾テロがパリで起こり、ガブリエルはISISに潜入させる工作員とするため、フランス系ユダヤ人の女医ナタリーをリクルートする。前半はじっくりとスパイを養成するガブリエル。自分の子供時代のことを明かしながら、ナタリーとの信頼関係を築く。
 そして、潜入、テロ計画の始動。標的は、フランス大統領訪米中の合衆国だった。イスラエル、ヨルダン、フランス、イギリス、合衆国それぞれの諜報機関の長たちの協力関係も面白い。 この回でもガブリエルは爆弾テロの現場にいて被害にあう。 

 2016年2月〜11月 サラディンとの決戦。
 上巻冒頭で、エルサレムをイスラエルの首都と認め、「米国大使館」をテルアビブからエルサレムに移設する、 と発言した新しい米大統領の就任の話題があるが、トランプ就任は2017年1月なので、現実とは1年ずれた格好か。
 訪問していたフランス秘密情報部のビルが自動車爆弾で爆破される。間の悪い時に間の悪い場所に居合わせるのがガブリエルの得意技。このときの怪我は爆風とがれきの下敷きになって、肋骨数カ所を骨折、腰椎2か所にひび、重度の脳震盪で一週間ほどダウン。だが復讐の炎が痛みをおしてガブリエルを突き動かす。そして、サラディンをおびき出す作戦が始動。  
 サラディンの収入源である麻薬取引をヨーロッパ側で仕切る男を攻略し、サラディンに繋がる細い道をこじ開ける。米国からの横やりを排除しつつ、CIA、MI6、フランス治安総局と協働し、作戦を遂行。このあたりのガブリエルの政治力も見物。さりげなく出てくるウージ・ナヴォトもなかなか渋い。そしてサハラでサラディンを追いつめるが、サラディンは欧米のどこかに潜伏しているテロリストに攻撃を命じた後だった。

18【赤の女 上】【赤の女 下】(The Other Woman 2018年)
 2017年1月頃? 前作の爆弾テロの際の負傷の後遺症?で痛む腰をさすりながらのガブリエル登場である。おかげで若作りのガブリエルもだいぶ歳相応に見えてきた。良い記憶のあまりないウィーンでの作戦。例によって陣頭指揮を執っていたが、目の前で亡命させる予定だったロシアのスパイが殺害されてしまう。その上その場にガブリエルが居合わせたことを隠し撮り写真でマスコミにリークされて窮地に立たされる。
 怒り心頭、恨み骨髄のガブリエルはそこから怒濤の諜報戦に突入するが、判明したのは、宿敵を絡め取ろうとするロシアの策謀が二重三重に張り巡らされていたこと、そしてある伝説の二重スパイの存在だった。 

 12歳の少女(サウジ皇太子の娘)が誘拐され、その父である皇太子が、敵であるはずのガブリエルに捜索と奪還を依頼する。中東との融和の糸口になれば、という思いと、ただ、何の罪もない少女を助けたいという思いで、捜索に協力するガブリエルだが、目の前で少女は爆殺されてしまう。少女の殺害とその父の失脚の裏にロシアの影を見たガブリエルは、復讐の反撃に出る。 
 戦いはガブリエルの勝利に終わるが、少女を助けることができなかった悔恨がガブリエルを苦しめる。サウジ皇太子によるカショギ記者謀殺事件をモチーフに、ロシア、イギリスを絡めたシルヴァ風の一流のエスピオナージ 。

2019年11月。長官に就任して以来、腰を負傷して自宅で療養した数日以外は一日も休まず働いていたガブリエルを見かねて、キアラが休暇を手配する。(なんと首相にまで手を回して!)旅行カバンを用意していたキアラに、「出て行くのかい?」と真顔で尋ねるガブリエル! 休暇の行き先はキアラの両親が暮らすヴェネツィア、仕事ひとすじで余暇の過ごし方など知らないガブリエルの為に、修復する絵まで用意する周到ぶり。そこに、ガブリエルの庇護者でもあった教皇パウロ7世崩御のニュースが。この時点で、彼の任期は2年と1ヶ月。 

21【報復のカルテット】(The Cellist 2021年)
 2020年3月〜2021年4月。世界はcovid(新型コロナウイルス)に支配されている。 
 アロン家は人が多く、ロックダウン中のエルサレム市街の自宅から、故郷のイズレエル谷のラマト・ダヴィドに程近いナハラルに仮住まいしてコロナを避けている。双子たちは田舎暮らしで逞しく成長中。ガブリエルは新しく入手したガルフストリームに現金を詰め込み、人工呼吸器や検査薬や、医療用防護衣を世界中で買い付けて、国内の病院に配布。政治家への転身の準備か・・・との世間の噂も。そんな噂は歯牙にもかけず、ガブリエルはオフィスで諜報戦の陣頭指揮も執っている。そんな折、ガブリエルと旧知のイギリス在住のロシア人富豪が毒殺され、ガブリエルはおなじみMI6のケラーと動き出した。

22【謀略のカンバス】(Portrait of an Unknown Woman 2022年)
 2021年12月〜。ガブリエルはついにオフィス長官を引退し、長年にわたる諜報の世界から身を引いた。カラビニエリのフェラーリ将軍の庇護のある古巣ヴェネツィアに家族と居を構え、キアラはティアボロの美術修復会社の経営に参画し、子ども達は地元の小学校に通っている。キアラの配慮の行き届いた落ち着いた生活で長年の疲労や苦悩が少しづつ薄れ、彼が本来の笑顔やユーモアを取り戻しつつあるころ、旧友のイシャーウッドが、ある絵画売買絡みのトラブルに巻き込まれる。穏やかな日常に少々退屈しつつあったガブリエルは、キアラの赦しをえて調査にのりだす。
2022年秋〜。ベネツィアで絵画修復に携わり、悠々自適・・・のはずのガブリエルは、またもフェラーリ将軍の訪問を受け、ある名画の鑑定を依頼される。しかし、有名なゴッホの盗難名画の横には、空の額縁とキャンバスを失った木枠があり。そのサイズから、ガブリエルはその絵が、これも盗まれたフェルメールだと直感する。フェラーリからの依頼を受け、絵画の追跡に乗り出すも、ロシアの暗殺者、南アフリカの核開発、そして宿敵ウラジーミル・ウラジーミロヴィッチの手先だった男・・・と、話は転がる雪だるまのよう膨らんでいく。 

前作の直後から。2023年1月〜。コーンウォールで「斧男」といわれる連続殺人犯によると思われる殺人事件があり、かつてのティモシー・ピール少年(現在ではデヴォン&コーンウォール警察の刑事部の巡査部長になっている)が捜査に当たることに。ティモシーはある種の直感から、たまたまロンドンに滞在していたガブリエルに連絡を取る。そこから、巨匠絵画のブラックマーケットをめぐる怒濤と流転の展開に。イギリス政界を脅かす陰謀を、ガブリエルが執念で暴く。
 

今作は、時期を推測できる記述が少なかったが、事件の端緒となった、ガブリエルが女性の他殺体をヴェネツィアの運河で発見したのが秋。多分、コーンウォールの事件の後なので、2023年か24年と思われる。ヴァチカンから盗まれた、これまで未発見だったダ・ヴィンチの真作と思しき、若い女性の絵(おそらくは、ダヴィンチの世に知られた習作「若い女性の頭部」と同じ女性・構図の作品)を巡り、ヴァチカンに巣くう金の亡者と、イタリアマフィアの癒着を暴く。ガブリエルと教皇ドナーティの絡みが好きな人には満足な一作。

ガブリエル・アロン来歴《美術修復師ガブリエル・アロンシリーズ》(2026.4.5更新)


《大天使ガブリエル》

 イスラエルの復讐の天使 ガブリエル・アロン
 ダニエル・シルヴァによる、美術修復師にしてイスラエル諜報機関の暗殺工作員(キドン)であり、やがては諜報機関、内部の人間の呼ぶところの〈オフィス〉の長官となるシリーズの主人公、ドイツ系ユダヤ人。
 画家として非凡な才能があったが、ドイツ語を母語とし複数のヨーロッパ言語に堪能だった彼は暗殺工作員として活動することを半ば強いられ、22歳で最初の暗殺を実行する。その後も極限の中で暗殺を重ね、結果として、絵を描く才能は損なわれてしまう。その後、ベネツィアで絵画修復師として修行を積み、独立後はこれを隠れ蓑にヨーロッパで工作員としての活動を継続することになる。

 容姿の形容は、身長175cmくらいで平均以下、自転車選手のような引き締まった体躯、暗色の髪はこめかみに白髪が交じり、知性を感じさせる広い額、面長の顔、目はアーモンド型で不自然なほど鮮やかな緑の瞳、高い頬骨、木彫りのような鋭い鼻の線、細い顎。ちなみに、私の脳内では、キアヌ・リーブスが近い。目の色以外はぴったりだと思っている。もし映画化されることがあるなら、主演は彼でお願いしたい。(正し、身長差はいかんともしがたいが。)

 犬が嫌い。(キアラに言わせると野生動物全般と相性が最悪らしい。たぶんガブリエルも動物に劣らずワガママだからだろうな。)
 ガブリエルの犬嫌いはスパイ業界では有名な話らしく、部下のミハイルによれば、犬とガブリエルは「ガソリンとライターのように危険な組み合わせ」なんだとか。元々好きではなかったらしいが、『イングリッシュ・アサシン』で逃走中にアルザス犬(=ジャーマン・シェパード)と闘う羽目になり、左腕を噛み砕かれたことがあって、以来、犬族全般に対して極めて険悪な感情を持っていると推察される。

 性格はやや神経質で寡黙で暗い。時間を掛けることも待つことも厭わないが、待たされることはあまり好きではない。待たされてイライラすると物や人に当たりちらすこともあり。情緒に乏しく傲慢で冷酷とは少年期の彼に与えられた評価だが、感情表現があまり豊かでないだけで、内実は愛情深く、恩義に厚い。

「・・・石灰岩の建物と、松の香りと、冬の冷たい風雨を愛している。教会と、巡礼の人々と、安息日に車を運転する彼をどなりつける超正統派ユダヤ教徒を愛している。旧市街の市場でアラブ人の露店の前を通り過ぎるとき、彼らの守護聖人たるテロリストを何人も排除してきたのが彼であることを知っているかのように、みんなが警戒の視線を向けてくるが、そんなアラブ人のことすらガブリエルは愛している。信心深い暮らしを送っているわけではないが、旧市街のユダヤ人地区に入って、嘆きの壁のどっしりした石組みの前に立つのを愛している。パレスチナと広いアラブ世界とのあいだに永続的な平和を確保するため、縄張りをめぐる譲歩を受け入れてはいるが、本音を言うなら、嘆きの壁だけは譲りたくないと思っている。エルサレムの中心部に国境が作られることが二度とあってはならないし、ユダヤ人が自分たちの聖地を訪れる許可を求めねばならないような事態を招くことも、二度とあってはならない。嘆きの壁は現在、イスラエルのものとなっている。この国が存在しなくなる日まで、そうありつづけるだろう。地中海沿岸のこの不安定な一帯で、いくつもの王国や帝国が冬の雨のごとく現れ、消えていった。現代によみがえったイスラエル王国もいずれは消えていくだろう。しかし、自分が生きているかぎり、そうはさせない。」ダニエル・シルヴァ. ブラック・ウィドウ 上  Kindle の位置No.945-957 


 普段はかなり無口で、几帳面で感情の起伏を表に出さないタイプだから、こんな想いを語られるとけっこう胸熱だ。  

以下作中から読み解く彼の来歴
 ※『ブラックウィドウ』を読んで、ガブリエルの生年を上方修正。1950年生まれだ。

◆ ガブリエル・アロンの家族の出身はドイツ、母方はベルリン。父方はミュンヘン。
 母方は一家全員がアウシュビッツに送られ、母のみ生還。母方祖父はヴィクトール・フランケルという名のドイツ印象派の高名な画家であったがアウシュビッツに到着した日に殺害されている。母も才能ある画家で、戦後イスラエルに逃れ、現代イスラエルを代表する抽象画家となったが、心を病み生涯アウシュビッツの記憶に苦しめられた。 父も腕に番号の入れ墨のあるアウシュビッツの生還者だ〔報復という名の芸術〕が、ハーパーブックス以降の巻では、ミュンヘン出身でユダヤ人虐殺が始まるまえにパレスチナに移住した、とされている。作品初期から設定が変わっているのか?それとも戦前のパレスチナへの移住者だが、捕らわれてアウシュビッツに送られるような経緯があったのか? いずれにせよ、ガブリエルは母から芸術家としての才能と、両親からアウシュビッツを生き抜いた強靱で不屈な精神を受け継いだ。
◆ ガブリエルは1950年(の多分冬。11月か12月頃)に、イスラエルのイズレル渓谷にあるラマト・ダヴィドという農業を中心とする入植地で生まれた。〔ブラック・ウィドウ〕
◆    1967年 父が第三次中東戦争(六日間戦争)で死亡。〔ブラック・ウィドウ〕
◆ 1968年 父の死の1年後、母が癌で死亡。〔イングリッシュ・アサシン〕
◆ 兵役(イスラエルのユダヤ教徒は男女とも皆兵。男子は18歳から36ヶ月の兵役を務める。 )ののち、ベツァレル美術学校(ベツァレル美術デザイン学院)に入学。イスラエルの学生は兵役があるため、普通大学に入学した時点で21歳くらいのはずだが、アロンは1972年に暗殺者となったとき20歳、との記載。〔英国のスパイ〕 若干計算が合わない気がしたが、『ブラック・ウィドウ』では「ミュンヘンオリンピックの後、22歳で復讐の天使になった」とのエリ・ラヴォンの言葉があり。そうであれば、1950年生まれで、ハリー・ボッシュと同じ歳(笑)である。これだと、計算があう。というわけで、ざっと年齢を修正。
◆ 在学中に最初の妻、リーアと結婚。
◆ パリに1年留学していた、との記載あり。〔報復という名の芸術〕
 留学、とはいうものの留学生の身分を偽装に利用して暗殺工作を展開するためだった可能性もある。
◆ 1972年のミュンヘンオリンピック事件(ブラックセプテンバー事件)直後の9月、ガブリエルの語学力、兵役時の銃器を扱う才能、偽装に使える画才等を見込んだシャムロンが彼を強引にスカウトし、シャムロン麾下の暗殺工作員(キドン)となる。〔イングリッシュ・アサシン〕 この時22歳。〔ブラック・ウィドウ〕その後3年間にわたって、ブラックセプテンバー事件への報復作戦である「神の怒り作戦」に従事。
◆ ブラックセプテンバー事件の実行犯・関係者12名を暗殺(銃殺もしくは爆殺)して「神の怒り作戦」におけるガブリエルの任務は終了する。ガブリエルはそのうち6名を直接殺害した、とされている。その際、ブラックセプテンバー事件の犠牲になったイスラエル選手団11名の報復として、可能な限り一人につき11発の銃弾を撃ち込んだ。これは、この後もガブリエルの暗殺のスタイルとなっている。
◆暗殺した6人の内のひとりが、マハムンド・アル=ホウラニだった。この男の弟のタリク・アル=ホウラニが、兄を殺された復讐のため後にガブリエルの妻子を爆殺する。〔報復という名の芸術〕
◆ ガブリエルは、3年間作戦に従事したのちイスラエルに帰還し、改めて画家としての活動を再開しようとしたが、キャンバスに向かうと自分が殺した相手の顔がちらついて、絵を描くことができなくなっていた。そこで、シャムロンの了解のもと、ベネツィアの美術修復士のもとに弟子入りし、絵画修復の道に入る。
◆ 1975年〜1977年頃までの3年間、ベネツィアで修行。
  絵画修復師として独り立ちした後は、この身分を隠れみのに、工作員としての活動を継続。
◆    1976年頃には、チューリッヒ在住のパレスチナ人劇作家、アリ・アブデル・ハミディを殺害。〔イングリッシュ・アサシン〕
◆ 1977年頃  シャムロンが修復師修行を終えたガブリエルをイシャーウッドに引き会わせる。
◆ 1988年頃 息子のダニエル・アロン誕生。(ガブリエルはこのとき38歳)
◆ 1988年4月のPLO幹部暗殺事件では、作戦に加わり、暗殺を実行している。
◆ 1991年1月 ウイーンでガブリエルの自動車に仕掛けられた爆弾により息子のダニ(当時2歳半)が死亡、妻リーアは全身大やけどを負い、精神に異常をきたす。〔報復という名の芸術〕
◆ 事件の後、ガブリエルは〈オフィス〉を辞め、イギリスのコーンウォール最南端のガンヴァロー海岸にあるコテージに隠棲。このコテージとアトリエは、こののち長い間彼の心の休息地となるが、『英国のスパイ』では殺戮の舞台となる。
◆ 1998〜1999年頃、イギリス・コーンウォールのヘルフォード川河口、ポート・ナヴァスの近くにあるコテージに移り住む。このコテージの隣家にピール少年が住んでおり、ガブリエルは亡くなった息子ダニエルと同じ歳のピールと交流する。〔報復という名の芸術〕
◆ 1998年頃は「この世界(諜報と暗殺)から遠ざかっていた」と本人の弁。〔英国のスパイ〕この頃はイシャーウッドからの絵画修復の依頼で生計を立て、精神病院に入院していたリーアの治療費を稼いでいた。
◆    1999年頃 シャムロンの要請で〈オフィス〉の現場に復帰。ニューヨークでパレスチナ人テロリスト(タリク・アル=ホウラニ)の銃撃を胸にうけて重傷。〔報復という名の芸術〕
◆ 2001年頃 ナチスによって奪われたユダヤ人が所有していた絵画を巡り、スイスの秘密組織に潜入するも捕らえられて拷問される。なお、この作戦の際、パリで爆弾テロの標的とされ、腕に大怪我もしている。(爆弾テロ1回目)〔イングリッシュアサシン〕
◆ 2001年〜2002年冬 サン・ザッカリア教会の祭壇画(ベッリーニ)の修復。
  盟友ベニがミュンヘンで謀殺される。
  ローマ教皇暗殺犯(ベニを殺した男)をバイクで追跡中転倒し重傷を負う。〔告解〕
◆ 2003年  聖クリストソモ教会の祭壇画(ベッリーニ)の修復。キアラとは恋仲になっている。SS将校であったラデックを捕らえてイスラエルに連行する。〔さらば死都ウィーン〕
【5作目から13作目 未読 ガブリエルがキアラと別れたりくっついたり、ローマ教皇を助けたり、ロシアに潜入して大怪我したり、サウジに潜入して捕まったり、イギリスの首相を助けたりしている。ああ、翻訳読みたい(泣)】
◆    2014年秋  サン・セバスティアーノ教会の祭壇画(ヴェロネーゼ)の修復。
◆ 2014年秋〜12月 英国人の殺し屋ケラーとともに元IRA爆弾テロリストとロシアのスパイを追う。ロンドンで爆弾テロの標的にされて負傷するが、この事件を逆手にとって死亡を装ってテロリストを追撃。
◆    2014年12月 妻キアラとの間に双子誕生。
  女の子をアイリーン(ガブリエルの母の名)、男の子をラファエル(ルネサンスの大画家より)と名付ける。〔ブラック・ウィドウ〕
  カラヴァッジョの祭壇画《キリストの降誕》の修復〔ブラック・ウィドウ〕
◆ 2015年4月〜ISISの爆弾テロ指導者〈サラディン〉を追う。この間、ワシントンで爆弾テロに巻き込まれる。〔ブラック・ウィドウ〕
◆ 2015年の末に 〈オフィス〉長官に就任(65歳)。双子1歳の誕生日。サラディンの追跡を継続。パリのヴォクソール・クロスでまた爆弾テロにあう。〔ブラックウィドウー死線のサハラ〕

◆ 2019年11月 ローマ教皇パウロ7世逝去。双子は4歳で、もうすぐ5歳。ガブリエルは69歳になったところ。ガブリエルの旧友でもあるドナーティが、新教皇に選出される。〔教皇のスパイ〕

◆ 2020年3月 新型コロナの流行。アロン家はナハラルのバンガローに仮住まい。ガブリエルの旧友であるロンドン在住のロシア人富豪が毒殺される。
◆ 2021年1月6日 米国でトランプ支持者による議会議事堂襲撃。 1月20日 大統領就任式の直後にQアノン支持者によるガブリエル暗殺未遂。生死を分ける一週間、さらに2週間の集中治療ののち、ガブリエルはイスラエルに帰国。その後、復帰までにはさらに数ヶ月の静養を要した。〔報復のカルテット〕

◆ 2021年末 オフィス長官辞任。ヴェネティアでついに引退生活に入る。

◆ 2022年春 旧友のイシャーウッドが贋作絵画売買の詐欺に巻き込まれる。1枚の絵の所有者が殺害され、イシャーウッドも狙われるに及んで、ガブリエルが調査に乗り出す。結果、全世界を股に掛けた巨大絵画投資詐欺グループを壊滅に追い込む。〔謀略のカンバス〕
◆ 2022年秋 〈オフィス〉長官引退後、ヴェネティアで絵画修復に励むガブリエルにフェラーリ将軍が巨匠絵画の盗難事件を持ち込む。ガブリエルは調査を請け負うが、それがウクライナ戦争での核使用を目論むロシアの陰謀に繋がり、ガブリエルは再び〈オフィス〉のメンバーを集め諜報戦を指揮することに。〔償いのフェルメール〕
◆ 2023年1月 修復を手がけたゴッホのお披露目の式典のためにイギリス、コートールド美術館を訪れていたガブリエルに旧知のティモシー・ピールから一本の電話が。〈斧男〉と呼ばれた連続殺人犯による殺人に見せかけた美術史家の殺害から、第二次大戦中にフランス在住のユダヤ人から奪われたピカソの作品を知り、事件を追いかけるうちに、ガブリエルはイギリス政界を揺るがす陰謀を暴く。双子は8歳になっている。〔コーンウォールに死す〕
◆ 2023年秋〜初夏頃? ガブリエルはヴェネツィアの運河で、若い女性の他殺体を見つける。女性は、イギリス人の美術修復師で、ヴァチカンで研修中の女性だった。彼女が発見したレオナルド・ダ・ヴィンチの作品を巡り、ガブリエルはヴァチカンの暗部を暴き出す。これまで数学にしか興味を示さなかった双子の片割れラファエルが遂に絵に目覚める。〔ダ・ヴィンチの密命〕

2025年8月13日水曜日

0562 コーンウォールに死す(ハーパーBOOKS)

書 名 「コーンウォールに死す」
原 題 「A DEATH IN CORNWALL」2024年
著 者 ダニエル・シルヴァ
翻訳者 山本 やよい
出 版 ハーパーコリンズ・ジャパン 2025年6月
文 庫 600ページ
初 読 2025年8月12日
ISBN-10 4596572216
ISBN-13 978-4596572219
読書メーター 
https://bookmeter.com/reviews/129618910 

 パレスチナの惨状で、この作品に対していささかの幻滅が伴っていないといったら嘘になる。
 ダニエル・シルヴァも、絶妙なタイミングでガブリエルを引退させたもんだ、と皮肉っぽくなったりもする。
 でも、ガブリエルが魅力的なことには変わりない。
 前作よりも大人しめで、スキャンダルも陰謀も、最近のこのシリーズからしたら、小ぶりではある。だが毎作、ワロージャと戦争するわけにもいくまいよ。それに(何回も書くが)ガブリエルはもはや70台半ばである。これも何回も書いてるが、ボッシュと同い年だからね。
 それにしては、ガブリエルは異様なくらいに頑健である。今回も殴り倒されてボコボコにされてるが、骨折の一つもせずに、ちゃんと生還。まあ、ジャンプヒーロー並みの生命力だよな。(笑)

 そんなこのシリーズも、今作で24作目。ガブリエルは73歳。双子達は8歳。
 娘のアイリーンは環境問題に敏感で、グレダちゃんみたいになりつつある。
 息子でガブリエルに激似のラファエルは、その才能を美術ではなく、数学方面に発揮しており、ガブリエルはラファエルに絵に興味を持ってもらいたいとの切望を隠しもしていない。
 今回は、前作でガブリエルが修復したゴッホが、イギリスのコートールド美術館でお披露目されるあたりからスタート。ガブリエルの携帯に、コーンウォールに住む旧知の人物からの連絡が入る。・・・・・改めて、振り出しに戻って考えれば、正直いって地元の(ローカルな)殺人事件にすぎないことで、ピール青年(元少年)がガブリエルに連絡を入れることが、一番あり得ないんじゃないか、と思わないでもない。この点が今作一番の無理筋。それ以降は、いつも通りのガブリエルである。

 殺されたのは、女性の美術史家。連続殺人の犠牲者に見せかけた殺人の背景に浮かび上がったのが、かつてユダヤ人が所有していたピカソ作の女性の肖像画。その来歴は、ナチス占領下のフランスで起こったユダヤ人の災禍で所有者から違法に詐取されたもの。この絵を発見した良心的な美術史家が惨殺されたことで、ガブリエルが調査に乗り出す。

 巨額絵画を隠れみのにした資金洗浄と絵画のブラックマーケットは、このシリーズで繰り返しテーマになっているもの。おなじみのガブリエルの模造絵画の作成風景も、今作はあっさり目ながら、読者の楽しみの一つ。話はどんどん流転して、結局英国の首相候補の野心とその妻の欲望に帰結し、犯罪行為に犯罪行為で対抗する手段ゆえに、あちこち結果オーライで、犯罪者は真っ当な法の裁きによることなく、社会的リンチの餌食になった。

 まあ、一時ほどの盛り上がりはないにせよ、ガブリエル・アロンのファンとしては、彼がとりあえず元気でいてくれれば、と思う。ガブリエルが不幸になる姿は絶対に見たくない。 もはや、彼の年齢的にも、シリーズ的にも、毎作がボーナストラックみたいなもんなので、今作もその点では十分に満足に値する。・・・・・ていうか、面白かったよ! ちょっと冗長かな、と思わないでもないけど、全部が全部、ガブリエルで満ちてるから、それだけで読む価値アリでした。
 ガブリエルがコーンウォールに三度目の拠点をもつことになったのも良し。地元住民から愛されているのも良し。
 以前のガンワロー岬のヴィラは、惨劇の舞台になっちゃってたからね。

 巻末の著者ノートは必読。ダニエル・シルヴァが作品を通じて言いたいことは、ここに凝縮している。世界の富の不均衡。貧しいものはより貧しく、富めるものは、いっそう富を集積。その金はどこにあって、何をしているのか。世界はどこに向かっているのか。
 世界の歪んで濁った姿がガブリエルを通じてプリズムを通った光のように分光し、人々の目により分かり安く提示されているように感じる。

2024年6月24日月曜日

0489 償いのフェルメール(ハーパーBOOKS)

書 名 「償いのフェルメール」
原 題 「Collector」2023年
著 者 ダニエル・シルヴァ    
翻訳者 山本 やよい    
出 版 ハーパーコリンズ・ジャパン 2024年6月
文 庫 568ページ
初 読 2024年6月24日
ISBN-10 4596637202
ISBN-13 978-4596637208
読書メーター 
https://bookmeter.com/reviews/121477812

 せっかく、シャムロンが引き留めるのを振り千切り、〈オフィス〉を引退して速攻ヴェネツィアに移住したのに。やっと家族との生活と心の平穏を取り戻し、オリジナルの絵を描く才能さえ取り戻しつつあったというのに!(ほぼ自主的に!)また諜報の世界に引き戻されたガブリエルである。分かってたけどね、こうなるコトは。
 だいたい、いくら少数精鋭とはいえガブリエルの部下は数が少なすぎる。エリ・ラヴォンやミハイルや、ダイナが定位置から動いただけで、もはやロシア側に察知されるのでは? ガブリエルがヴェネチアの修復現場から数日以上姿を消しただけで、影で何らかの動きがあると見做されるのでは? どうしてガブリエルの挙動がロシア側にバレないのか、それが不思議でしょうがない。だけど、そこに引っかかると全てが面白くなくなるので、敢えて気にしないことに。
 内容も、大いなるマンネリの域に達したと言えなくもない。なにしろ今回もまた、有能な女性をスカウトして、対ロシア諜報戦だ。だがしかし。そんなささやかな不満(?)を吹き飛ばす終盤のスリルたるや、大したもの。いやあ、今作も面白かった。

 さて、あらすじである。以下ネタバレ。
 ヴェネツィアで、キアラや子供達と穏やかにすごすガブリエル。聖堂で絵の修復に取り組む彼のもとに、おなじみカラビニエリの美術班を統率するフェラーリ将軍が訪れる。有る場所で見つかった盗難絵画の鑑定を依頼したい、と。なにか裏がありそうだと思いつつ、ガブリエルが伴われた場所は殺人現場。そして美術館から盗まれて行方が知れなかった有名なゴッホ自画像の隣には、空の額縁とキャンバスが剥がされた木枠が残されていた。ガブリエルは、その盗まれた絵を取り戻すよう、フェラーリ将軍から依頼される。

 だが、盗難絵画を追いかけるうち、殺された絵画の所有者がかつて南アフリカで核開発に関係していたこと、そして〈オフィス〉協力者であったことを知る。そして、南アフリカが開発した旧式の核弾頭が、絵画の盗難に隠れて、ロシアの手に渡ったと思われることも判明。

 ウクライナ戦争を決定的な勝利で終わらせるために、ロシアが戦術核を用いるのではないか、と西側(米国)は怖れている。ロシアが秘密裏に入手した旧式の核弾頭が「ウクライナからロシアに対する」先制核攻撃に使われること(もちろんロシア側の偽旗作戦として)を察知したガブリエルは、ふたたび〈オフィス〉に戻り、オフィスの人員・技術と、自分が持つ人脈を集結して、ロシアと対決することを決意。

 と、まあそんな話。

 それにしても、今作は“コマノフスキー”が最高に格好良かったです。後半、ドキドキして、イヤな予感しかしなくて、読み進むのが辛かったわ。

 ガブリエルはもう70歳です。以前も書いたが、ハリー・ボッシュと同じ歳です。ボッシュだって、白血病だの、人口膝関節だの言っているというのに、ガブリエルときたら頑健すぎていささか不気味だ。キアラともまだまだお熱いみたいだし。

 今回、過去の登場人物も沢山でてきて、いったいいつの話なんだか、いささか混乱してきたので、人物リストを作っておく。常連の主要人物は省略で。


イングリッド・ヨハンセン………フリーランスのITスペシャリスト 
アストリッド・ソーレンセン……イングリッドの変名
マルティン・ランデスマン………過去作『報復のカルテット』に登場した、スイスの大富豪で投資会社の経営者。
セルゲイ・モロソフ………………過去作『赤の女』イスラエルに拉致された元SVR工作員。イスラエルの収容所で捕虜生活を継続中。
マウヌス・ラーセン………………〈ダンスクオイル〉のCEO  

グリゴーリー・トポロフ…………ロシア対外情報庁(SVR)の暗殺者  
ニコライ・ペトロフ………………ロシア連邦安全保障会議 書記。ワロージャの側近  
ゲンナージー・ルシコフ…………ロシアのトベリ銀行頭取(過去作に登場していたかは思い出せない)
ワロージャ/ウラジーミル・ウラジーミロヴィチ…………ワロージャはウラジーミルの愛称。言わずとしれた恐ロシアの独裁者。ウラジーミル・ウラジーミロヴィチ・プーチン。

ラース・モーデンセン……………デンマーク国家警察情報局(PET)の長官 
エイドリアン・カーター…………CIA長官。ついに!エイドリアンが長官に昇進!長い道のりだった。
ポール・ウェブスター……………CIAコペンハーゲン支局長
テッポ・ヴァサラ…………………フィンランドの保安情報機関の長官

2023年6月20日火曜日

0433 謀略のカンバス(ハーパーBOOKS)

書 名 「謀略のカンバス」
原 題 「Portrait of an Unknown Woman」2022年
著 者 ダニエル・シルヴァ    
翻訳者 山本 やよい    
出 版 ハーパーコリンズ・ジャパン 2023年6月
文 庫 648ページ
初 読 2023年6月19日
ISBN-10 4596774781
ISBN-13 978-4596774781
読書メーター 
https://bookmeter.com/reviews/114433241

 2021年12月。ガブリエル71歳。
 ガブリエルは、長年身を捧げてきたイスラエルの諜報機関「オフィス」の長官を引退した。幸いにして、1年弱前の暗殺未遂事件による負傷は、大きな後遺症を残さなかったようだ。キアラの敷いた計画どおり、退任したその日にはエルサレムを離れて、古巣ともいえるヴェネツィアに移住した。この地は、若い日に、画家になることを断念したガブリエルが美術修復師になるための修行を積んだ街であり、その後長年にわたって身元を偽って、数々の絵画修復を手がけたガブリエルの第二の故郷であり、そしてキアラの両親が暮らす街でもある。
 双子のアイリーンとラファエルは家から近い公立の小学校に通い、登下校の送り迎えはガブリエルがしている。
 キアラの監督(監視?)の元、ゆっくりと休息をとり、長年の苦労と疲労を落としたガブリエルは1人の画家、もしくは美術修復師として生まれ変わったように・・・・というよりはガブリエル本来のものであったはずの笑顔やユーモアを取り戻しつつある。
 まあ、たまにカラビニエリのフェラーリ将軍が厚情でつけた護衛を、尾行者と間違えてうっかり叩きのめしたりはしているが。
 で、そんな穏やかな新しい生活に、ガブリエル本人がいささか退屈も感じ始めたころ、旧友の画廊経営者であるイシャーウッドが偽造絵画売買に関わるトラブルに巻き込まれてしまう。ガブリエルはキアラの赦しを得て、フランスに出向き、調査に乗り出す。

 前作に引き続き、かつてのガブリエルの恋人だったアンナ・ロルフが登場。イシャーウッド、サラ・バンクロフト、ケラー、オルサーティ、占い師の老女、おまけに邦訳されていないシリーズ8作目『Moscow Rules』で登場したフィレンツェのヴィラまで登場。(ガブリエルがモスクワに潜入し、ルビヤンカの地下で殴られて目を負傷したのち、脱出してこのヴィラで治療を受け、静養した、、、んだったと思う。たしか。)前作でも思ったが、旧作の登場人物を次々と登場させるあたり、シリーズ総まとめに入っているんだろうか?と感じる。
 おまけに今回は美術界の贋作売買の一大ネットワークを巡る事件なので、ガブリエルの絵画に関する蘊蓄や制作シーンがふんだんに描かれている。ついでに、愛するキアラとの熱々な昼下がりまで、サービス満点。
 絵画と諜報という二大得意分野の合わせ技で、その才能に並ぶものなはなし、各国・各界に助力を惜しまない協力者がいるガブリエルは向かうところ敵なしで、まさに余裕綽々と言ってよく、中盤までの危なげない様子はむしろ退屈と言えなくもない。しかし、終盤に至って、元CIAのきたない金で動く民間警備会社やらが登場し、ガブリエルの計画の進行が怪しくなったあたりからは、いくつかのどんでん返しも仕掛けられてかなり面白かった。総じて、ガブリエルがこんな老後(?)にたどり付けて本当に良かった・・・・・というのが正直なところの感想。
 あと何年・・・・いや、何作続くかわからないけど、本当にもう、これ以上は怪我させないでほしい。

2022年5月1日日曜日

0342 報復のカルテット  (ハーパーBOOKS)

書   名 「報復のカルテット」
原   題 「The Cellist」2021 年
著   者 ダニエル・シルヴァ
翻 訳 者 山本 やよい
出   版 ハーパーコリンズ・ ジャパン  2022年4月
初   読 2022年4月25日
文   庫 600ページ
ISBN-10  4596429251
ISBN-13  978-4596429254
読書メーター https://bookmeter.com/reviews/106114147

 2020年3月〜2021年4月。
 世界はcovid(新型コロナウイルス)に支配されている。

 ガブリエルは、故郷のイズレエル谷のラマト・ダヴィドに程近いナハラルのコテージをオフィスから適正価格以上(←ここ、ポイント!)で賃貸し、妻と子ども達とともに、エルサレム旧市街の自宅からコロナを避けて仮住まいしている。
 双子たちは5歳になり、田舎暮らしで日焼けして、人間の友達とは遊べなくとも羊や牛やひよこを友として逞しく成長中。一方のガブリエルは新しくオフィスが入手したガルフストリームに現金入りのスーツケースを乗せ、人工呼吸器や検査薬や医療用防護衣を世界中で買い付けて、国内の病院に配布。ガブリエルの行動に、政治家への転身の準備か・・・とのマスコミの噂も。
 当のガブリエルはそんな噂は歯牙にもかけず、コロナ対策の傍らオフィスでイランの核開発関連施設の破壊や要人謀殺の陣頭指揮も執っている。
 そんな折、ガブリエルの命の恩人でもある旧友のイギリス在住のロシア人富豪が毒殺される。
 今はMI6のケラーと恋仲になり、イシャーウッドの画廊の後継者として地場を固めつつあるサラ・バンクロフトも事件に巻き込まれ、事態を看過できないガブリエルはMI6のグレアム・シーモアやケラーと協力して動き出す。

 殺されたヴィクトル・オルロフが追っていたのは、ロシア大統領(ウラジーミル・ウラジーミロヴィチ(プーチン、と書かないのは“フィクション”の体裁を維持するため?)が西側に不正に蓄財した財産とその違法な手段。ロシア国庫から莫大な資金を不正に海外に持ち出し、西側の悪徳金融機関を通じて大規模なマネーロンダリングを行い、不動産投資や様々な方法で蓄財している、その資金洗浄ネットワークにいかにして潜入し、機構に打撃を与え、その金を奪い獲るか。これまでもガブリエルが血で血を洗う闘争を繰り広げてきたロシア大統領との戦い再び、である。


 しかし、あまりにも規模が大きい話になっているためか、物語中盤に到るまで解説的な文章が続いて大きな動きがなく、かなり地味な印象。それに、ちょっとストーリー展開が安直な気もしないでもない。過去のガブリエルの恋人アンナ・ロルフ(第2作『イングリッシュ・アサシン』)や、他にも過去作に登場した人物が再登場し、なんとなくオールスター登場のサービス回っぽい感じもあって、いよいよシリーズもグランドフィナーレかな、という感じもする。


 イギリスパートには必ず登場する、ダートムーアのワームウッド・コテージのおなじみの面々も登場。執事のパリッシュも相変わらずのご様子なのが嬉しい。パリッシュの有能な相棒のミズ・コヴェントリーは、これまでただの料理番の役どころだったが、じつはロシア語も堪能な元諜報部員であった。ケラーがお気に入りの彼女は、彼が滞在するときには必ず特製のコテージパイを用意する。食材に豚肉は避けるようにと言われて、パリッシュは客人にイスラエル人の友人が含まれていることを察する。ここは、『英国のスパイ』で爆弾テロの標的となったガブリエルが担ぎ込まれて、治療を受けたりもしたMI6の隠れ家である。


 そして、もう一つ、ラストに大きな山場がある。そう、アメリカ大統領選挙だ。
 ロシアとの真っ黒な関係が取り沙汰されていたトランプ氏であるが、あの選挙選最中のQAnon絡みの騒動は日本人の記憶にも新しい。と、いうか件のQからの情報発信が日本発祥の巨大匿名掲示板(2ちゃんねる)の関係者が米国で運営する4chanと8chanで行われていた事実にはちょっと驚く。2ちゃんねるなんて、ネットリテラシーをわきまえた大人の遊び場くらいに思っていた身としては、これが大衆扇動の凶器になりうるという事実に,認識の甘さを突かれた思いだ。
 作中でガブリエルは、これがアメリカを混乱に陥れ、アメリカ民主主義を根底から脅かすロシアの情報戦略であること、そして大統領就任式に企図された大統領暗殺計画を把握し、これを未然に防ぐ為に大統領候補の元に飛ぶ。しかし、ロシアの本当の狙いは大統領ではなかった・・・・・
ダニエル・シルヴァが参考にした、オラツィオ・
ジェンティレスキ作『リュートを弾く女』

 今回シルヴァは、米大統領選の混乱とホワイトハウスへの暴徒の乱入、というアメリカ民主主義の危機を目の当たりにして、後半を大幅に書き直したという。あらためてWikiでQAnon関連のコンテンツを読んだが、人はいかに簡単に荒唐無稽な話を信じることができるのか、また『信じ』たが最後、どこまで愚かな行動に走ることができるのか、とこれまた暗澹となる。今、コロナで学校でもオンライン授業が大規模に導入され、国のICT計画で、小学生まで一人一台タブレットが用意される時代となった。


 ネットリテラシー教育が追いついていくのか、情報弱者や判断能力の低い層が喰いものにされないように、どのように防御していくことができるのか、決して人ごとではない。人は、信じたいものを簡単に信じてしまい、そして一度信じたら、なかなか意見を変えることができない存在だ。そして、「仲間」がいないと生きていけない生き物でもある。様々な理由から分断され、孤独感を味わっている人々が、ネットの裏に潜む悪意からどのように身を守っていけるのか、これからの社会のあり方を方向付ける上で、非常に重要な課題であると感じている。


 それにしても、これまでダニエル・シルヴァのプーチン&ロシア嫌いは偏執的な域なんじゃないかと感じたりしていたのだが、こと、現実がウクライナで示されているのを見ると、いやはや、と驚き・・・・というか嘆息。シルヴァの情報筋のアドバイザーは当然ながら明かされていないが、いつものことながら、この巻末ノートを世に出すために小説を書いているのではないかという気すらする。なにはともあれ、巻末は必読。


アルテミジア・ジェンティレスキ作
『リュートを弾く自画像』
【追伸】 
 前にもどこかで書いたけど、ダニエル・シルヴァは人体の強度については少し考えを改めたほうが良いと思うよ。ガブリエル、これまでにも肺を損傷するような銃創2回、爆弾テロに遭遇すること3回・・・いや、4回か。(イングリッシュ・アサシン、英国のスパイ、ブラックウィドウ、灼熱のサハラ)、シェパード犬に噛まれて左手を骨折し、爆弾テロのガラスの破片で腕の腱を痛め、ボコボコに殴られて、全身打撲と顔面骨折と100針縫う大怪我・・・・。翻訳されているだけでコレだからね。(あ、いや、サウジで胸を撃たれた話は翻訳されてないや。)そういやあ、バイク事故で石畳みで背中をすりおろしたこともあったっけ(『告解』)。あのときは頭蓋骨骨折もしていた。それ以外にも、ルビヤンカで殴られて眼窩を骨折して失明の危機、とか、階段から突き落とされたらしいとか、未訳本の方にもいろいろ。おまけに、今回は文字通り瀕死の重傷。
 ガブリエル、若作りに見えるけど、もう70歳だからね。労ってあげようよ。ジャンプヒーローはもう卒業させてあげて!
 ほんと、スパイ小説のヒーローは数あれど、ガブリエルほど、穏やかな引退生活を送らせてあげたいと願うキャラクターはいない。大好きなベネツィアで、愛する妻子に囲まれ絵筆を握り、老後の穏やかな時間を過ごさせてあげたい。ガブリエル引退まで、あと1作か2作だろうか。もう、祈るような気持ちだ。


 ガブリエル・アロンシリーズ。次作は『Portrait of an Unknown Woman』 2022年7月刊行予定です。さて、ガブリエル引退まであと7ヶ月。しかし、タイトルからしてまた女絡みだなあ。


2021年3月27日土曜日

0263 過去からの密使  (ハーパーBOOKS)

書 名 「過去からの密使」 
原 題 「The New Gir」2019年 
著 者 ダニエル・シルヴァ 
翻訳者 山本 やよい 
出 版 ハーパーコリンズ・ ジャパン  2020年4月 
初 読 2021年3月28日 
文 庫  616ページ 
ISBN-10 4596541345 
ISBN-13 978-4596541345

 いやあ、面白かった!『教皇のスパイ』と読む順番が逆になったが、扱うテーマがまったく違ったので、とくに問題はなし。とはいえ、KMBがどうなったのか、知りたかったというのはあったが。
 最新作『教皇のスパイ』が『告解』の作風への回帰だとすれば、この『過去からの密使』は、まさに“アロン長官”の物語。相変わらずの全方位の活躍ぶりで、今回は、ロシア相手に全面勝利。現実のサウジ皇太子がアレでなければ、きっとこの作品のラストは違うものになっていたのだろうなあ。
 今作でも、ガブリエルの我が身を削るような奮闘ぶりで、あのラストは切なくもある。
 話中、ポロニウム210に類似した暗殺用放射性物質が登場するが、若干訳語?の使い方が気になった。被爆よりは被曝のほうが良いような気がするし、放射線被曝と、放射性物質汚染、放射線と放射能がごっちゃになっているような気がする?
 とはいえ、読むのに差し障りがあるほどではないし、私も専門家ではないので用語に詳しい訳ではないので、こちらの気のせいである可能性も大いにあり。
 ポロニウム210は、極めて線量が高く毒性が強いが、ほとんどアルファ線しか出さないため、透過性が著しく低いので紙一枚でも遮蔽できる。そのため、運搬者にはほぼ害を与えず、摂取した者を確実に害せる、ということは理解した。もっとも、ダニエル・シルヴァは、ポロニウム210に類似した放射性物質、としか書いていない。


ところで、“同僚の多くと違って、彼は裕福な家庭の生まれではない。ノッティング・ヒルやハムステッドのようなおしゃれな地区は、給料だけで暮らしている男にとっては金がかかりすぎる。”とはいかに?
 これは、あれか?我らが警視殿への当てつけだろうか???

あと、こんなシーンも。“ヘスターがカウチに寝そべり、白ワインの大きなグラスをそばに置いて、リーバス警部シリーズの新作を読んでいた。” こっちはリスペクト?

ダニエル・シルヴァ、面白い人だなあ。

前作・・・・だったか(?)では、ガブリエルが帰宅すると、キアラが「良心のある殺し屋」が出てくるアメリカのスパイ小説を読んでいるくだりもあった。キアラに「あなたにちょっと似てるかな」と言わせたその良心のある殺し屋のスパイは、もしかしてコートランド・ジェントリーか?全然キャラが違うような気もするが、巻き込まれ型なところと、間の悪いところに居合わせるのが得意技なところと、負傷が多いところは・・・・・・そっくり?

 今回は、中東の細かい国家間の軋轢にもさりげなく触れられていて、グレイマンシリーズで「アメリカとサウジは同盟国で仲良し」ぐらいの知識しか持っていない身には、いろいろと勉強になった。
 パレスチナ出身の女性記者から、辛辣なイスラエル批判を聞かされて、じっとこらえるガブリエルだが、それでもドイツ語で語気鋭く詰られるのがユダヤ人としては堪える、というのがすごくリアルだ。このハニファ、夫が殺されたのは自分のせいだし、娘を見殺しにされたKBMの方にも、復讐する権利がありそうな気がするのだが、そうでもないのだろうか。いずれにせよ、このハニファに対してもレベッカに対しても、ガブリエルは甘いよなあ、と思う。どうしても女性を守りたくなってしまうのが、ガブリエルの甘さであり、良さなんだろう。
 さて、これで既刊のガブリエルシリーズは踏破した。次は、7月に米国で新刊発売の予定。翻訳を読めるのは来春だろうか?
楽しみがあって幸せ。

2021年3月20日土曜日

0262 教皇のスパイ  (ハーパーBOOKS)

書 名 「教皇のスパイ」 
原 題 「The Order2020 
著 者 ダニエル・シルヴァ
翻訳者 山本 やよい 
出 版 ハーパーコリンズ・ ジャパン  2021年3月 
初 読 2021年3月20日 
文 庫  584ページ 
ISBN-10  4596541507
ISBN-13  978-459654150

 2018年11月。
 オフィスの長官に就任して以来、ガブリエルは働きづめだった。休んだと言えるのは、パリで爆弾テロに巻き込まれた時に腰椎の怪我でやむを得ず自宅で数日静養した時だけで、それ以外は半日の休みもなく働き続けていた。夫の心身を案じたキアラは、一計を講じる。
 夫に内緒で密かに国外での休暇を手配。ウージ・ナヴォトを味方に引き入れ、首相にも根回しし、才能豊かなくせに何の趣味もない夫が退屈しないように、休暇先で夫が修復する絵まで手配する念の入れよう。
 ある日、帰宅したガブリエルが目にしたのは、準備万端の旅行カバンの数々。彼の口から出たセリフは、
「きみ、出て行くのか?」
 ついに、若く美しい妻に愛想を尽かされたと思ったか(笑)
 行き先は、キアラの両親が暮らす懐かしのヴェネツィア。双子が祖父母の家を訪れるのは初めてのことである。その双子ももうすぐ4歳で、いつまでも壮年のような雰囲気を漂わせているガブリエルもそろそろ老いと向かい合いつつある。(ちなみにガブリエルは68歳になるかならないか)
 そして、ヴェネツィアで休暇を開始した数日後、ガブリエルの旧友であったローマ教皇パウロ7世崩御のニュースが世界を駆け巡る。ガブリエルは、教皇の側近だったルイジ・ドナーティ大司教から求められ、ローマに向かう。

 まるで、読者へのプレゼントのように、ガブリエルシリーズの素敵なところがぎっしり詰まっている。双子とガブリエルの睦まじい関わり。キアラとのラブラブな会話。絵画修復にいそしむガブリエル。テーマが久しぶりのユダヤ人迫害とキリスト教の問題なので、これだけだと陰鬱になってしまうが、ガブリエルの家族との幸せエピソードがそれを和らげてくれる。キアラとのペアで、一工作員だった頃のように身軽に調査にうごきまわるのも久しぶりの光景。ガブリエルがナチュラルに妻を礼賛している。旧友ドナーティとの隠密行、ユダヤ人とローマ教会の暗黒史。ドナーティがもう一人の主役である。雰囲気的には、『告解』からストレートにつながる感じだ。コレ一冊で、ユダヤ人とキリスト教の関係をそれこそ紀元30年代からおさらいできる。
 そして、キアラとガブリエルは、長官退任後の残りの人生の計画を立て、一部行動に移したりも。これ、フラグじゃないのか?本当に幸せになれるのか?・・・と夢の老後の先取りをする二人に、読者の私の方が不安でいっぱいだ。(笑)

 『告解』では、ピエトロ・ルチェッシと読みが当てられていたパウロ7世だが、こちらではピエトロ・ルッケージ。なんとなくルチェッシのほうがイタリア人名っぽい?ような気もするが、実際の発音は知らないのでどちらが近いのかは不明。 『さらば死都ウイーン』で「草原」(笑)と訳されているレストラン前の広場は、以下のような描写。〈リストランテ・ピペルノ〉はそこから少し南へいったところにあり、テヴェレ川に近い静かな広場(カンポ)に面している。そうだよねえ。

 さて、ストーリーの話題に戻って、この本のテーマは、イエスの死の責任をユダヤの民に負わせるキリスト教の正典、福音書の記述は真実なのか。とくにマタイ福音書の中のキリストを処刑に至らしめる裁判で、ピラトがユダヤ人の群衆の前で手を洗って言う。「この人の血について、わたしには責任がない。お前たちの問題だ」民はこぞって答えた。「その血の責任は、我々と子孫にある」──『マタイによる福音書』二十七章二十四─二十五節

 これが、以後2000年にわたり、キリスト教がユダヤ人を神の殺害者として迫害し、ついには民族を絶滅させる規模の大虐殺を引き起こし、かつそれをローマカトリックが是認(もしくは黙認)した根源である。この記述は真実なのか。
 多くの研究者が、これは事実ではなく、キリスト教がローマの国教となる過程においてローマ人を取り込む必要性から、キリストの死の責任を、ローマ支配とローマ人であるユダヤ属州総督ピラトからユダヤ人に意図的に歪曲した、と見る。
 イエスは、過越祭の最中に騒ぎを起こした為に捕らえられ、おそらく裁判に掛けられることもなく、そのほかの大勢のユダヤ人とともに、無造作に処刑された。ユダヤの律法を守っていた最高法院が過越祭の最中の深夜に裁判を行うだろうか? あり得ないことだ。と作中でジョーダン神父は語る。この記述はユダヤ教の文化に疎いローマのキリスト教徒による創作だ、と。
 エンタメの体裁をとっているが、キリスト教が、ユダヤ人迫害に関して歴史的に果たした役割と罪を、深く、鋭く指摘している。現代のヨーロッパの移民問題はユダヤ人迫害をも悪化させた。その上コロナ禍で迫害に拍車が掛かり、ユダヤ人の安全は、第二次大戦後、最悪の状況を迎えている。著者はどうしてもこの作品を書く必要があったのだろう。
 母の死、祖父母の死、多くの死んだ、または今生きているユダヤ人の運命、自分の人生、そして自分を見上げる幼い娘の瞳。自分が望むと望まざるとに関わらず、その多くを背負ってきたガブリエルが、静かに涙を流す。

【余談ながら】
「これ、わたしが世界でいちばん好きなベンチかもしれない」キアラが言った。「あなたが意識をとりもどして、家に連れて帰ってほしいとわたしに頼んだ日に、あなたがすわっていたベンチよ。覚えてる、ガブリエル?ヴァチカンが攻撃を受けたあとのことだった」「どっちがひどかったのか、わたしにはわからない。ロケット推進式の手榴弾と自爆テロ犯か、それとも、きみの看護か」「自業自得でしょ、お馬鹿さん。もう一度会うことに同意しなければよかった」『教皇のスパイ』p.36-37

 ガブリエルが意識不明になるような惨事があったのかと気になって気になって(笑)、いろいろ探してしまったが、これ、状況としては多分こっちじゃないかな↓。
「あなたが正気にかえって、よりを戻したいって私に懇願した日に、あなたが座っていたベンチよ。覚えてる?ガブリエル。ヴァチカンが攻撃された後の事だったわね。」
「どちらが酷かったのか解らないな。ロケット推進の手榴弾や自爆テロ犯と、あの時のきみの私への態度と」

さて、何があったのか。。。。(笑)
ガブリエルとキアラは結婚の約束をして、ガブがエルサレムのナルキス通りのアパートを手に入れて、キアラは二人で暮らすために自分好みの内装までしたのだが、結局ガブリエルがリーアを見捨てられなかったため、キアラと破局する。そしてキアラがベネツィアに帰ってしまった、というのが『Prince of Fire』ラストのエピソード。その次の『The Messenger』で、ヴァチカンと教皇を狙った爆弾テロがあってガブが教皇を助けたのだが、その後、教皇がガブに「キアラがヴェネツィアで君が来るのを待っている」と嘘をいう。まさかガブリエルをキアラの元に行かせるために教皇が嘘をついた、とは思わないガブは素直にヴェネツィアを訪れ、キアラに冷たく「そこのベンチに座って待ってろ」と言われた挙げ句、「何しにきた」と怒られた、というのが、くだんの“惨事”であった。教皇パウロ7世。お茶目な人でした。きっとその後、ドナーティ相手に「神父さま、私は親しい友を欺きました」って告解している図まで目に浮かぶわ。白くて、小さくて、善良だったパウロ7世に合掌(←ダメか?)

  


2021年3月12日金曜日

0256 赤の女 上  (ハーパーBOOKS)

書 名 「赤の女 上
」 
原 題 「The Other Woman2018年
著 者 ダニエル・シルヴァ
翻訳者 山本 やよい 
出 版 ハーパーコリンズ・ ジャパン  2019年5月 
初 読 2021年2月5日 
文 庫  344ページ 
ISBN-10  4596541124 
ISBN-13  978-4596541123

2017年1月頃〜 
 前作の爆弾テロによる負傷の後遺症で痛む腰をさすりながらガブリエルが登場する。おかげでガブリエルもだいぶ歳相応に見えてきた。ウイーンの美術館で展示を見ているガブリエル。背後にはやきもきしている若い警備担当のチーフ。ガブリエルが若い警護担当相手に、歳相応、立場相応に偉そうに、重々しい物言いをしているのがなにげにおかしい。
 心配する警護係を追っ払って一人で歩いていった先は、過去の苦しい記憶の現場。甦る記憶に体が硬直し、天を仰いで涙をこらえる。やっぱりガブリエルはガブリエルだ。

 良い記憶のない雪のちらつく冬のウィーンでの作戦指揮。
 例によって陣頭指揮を執っていたが、亡命させる予定だったロシアのスパイがガブリエルの目の前で殺害されてしまう。その上その場にガブリエルが居合わせたところを写した隠し撮り写真がマスコミにリークされて窮地に立たされ、怒り心頭・恨み骨髄のガブリエルは〈オフィス〉の総力を挙げて怒濤の諜報戦に突入する。簡単ななずだった作戦の大失敗の原因は、情報の漏洩としか思えない。〈オフィス〉でなければ、共同作戦を張っていたMI6か? 友人であるはずの「C」との熾烈なやり取りに息がつまる。やがて判明したのは、宿敵ロシアの策謀がガブリエルを絡めとるべく二重三重に張り巡らされていたこと、そしてある伝説の二重スパイの存在だった。
 上巻は、ロシアの裏に潜む伝説の二重スパイの存在が明かになるまで。事が動くのは下巻から。

0261 赤の女 下  (ハーパーBOOKS)

書 名 「赤の女 下」 
原 題 「The Other Woman2018年
著 者 ダニエル・シルヴァ
翻訳者 山本 やよい 
出 版 ハーパーコリンズ・ ジャパン  2019年5月 
初 読 2021年2月5日 
文 庫  328ページ 
ISBN-10  4596541132 
ISBN-13  978-4596541130

 上巻で、はじ
めは楽勝かと思われた作戦が大失敗に終わった挙げ句、人殺しの汚名を着せられた〈オフィス〉長官ガブリエル。実はロシアに手玉に取られていたと分かり、巻き返しを図るため、MI6に喰い込んでいるロシアSVRの二重スパイのあぶり出しに掛かる。
 現代のMI6に影を落とすのは、MI6現長官グレアム・シーモアの父の時代の「ケンブリッジ・ファイブ」、世紀の二重スパイ、キム・フィルビーだった。
 フランスで人知らず育っていたフィルビーの婚外子を、ソ連に亡命していたフィルビーが密かにスパイに育てあげた、というあらすじはいささか荒唐無稽な感じを受けなくもないが、そこは、ガブリエルの緻密な捜索と作戦展開でぐいぐいと読者を惹きつけてストーリー展開の中に連れていかれる。

 その二重スパイをこれまで取り立ててきたのは他ならぬ現長官シーモアであり、ガブリエルの盟友でもあるシーモアは事の責任を問われて失脚しかねない。保身の為か及び腰になるシーモアのやり方に腹を立てつつも、友の立場を守るため、ひいてはそれが母国の為になると信じて敢えて煮え湯を飲むガブリエルである。
 今回はロシアの勝ちなのか。これまで文字通り満身創痍で戦いながら米英の諜報機関との関係を深めてきたガブリエルにとっては苦い結末である。

 なお、今回ガブリエルの射撃の腕前が珍しく披露されている。
 実はシリーズ中、ここに至るまで、ガブリエルが射撃の名手だということを信じきれていなかった。これまでに見た彼の射撃は、例の暗殺スタイル———ベレッタ9mmを構えた姿勢で標的に近寄りつつ全弾連射、というやつ———しかなかったが、今回初めてSVRの凄腕工作員相手に抜き撃ちで二人倒す、ということをやってのけた。ガブリエル、出来る子だったのね。

【覚え書き】後書き代わりの『著者ノート』が強烈である。
ダニエル・シルヴァはこの『著者ノート』に自己の信条を語るために、この長大なエンタメスパイ小説を書いて世に出しているのではないか、と思うほどだ。それほどまでに、ロシアに対する危機感が大きい。世界が平和ではないことを、はっきりと認識している人がここに居る、ということだ。日本の中にいるとなかなか実感できないことだが。

2021年1月27日水曜日

0254 死線のサハラ 下  (ハーパーBOOKS)

書 名 「死線のサハラ 下」 
原 題 「House of Spies」2017年 
著 者 ダニエル・シルヴァ
翻訳者 山本 やよい 
出 版 ハーパーコリンズ・ ジャパン  2018年7月 
初 読 2021年1月29日 
文 庫  384ページ 
ISBN-10  459655093X 
ISBN-13  978-4596550934

 サラディンのテロ活動を支える莫大な収入源である、モロッコからヨーロッパに流入する麻薬取引。
 そのヨーロッパ側の受け口となり、マネーロンダリングを受け持つのがジャン・リュック・マルテルだった。この男を支配下に置くために、ガブリエルは大がかりな偽装作戦を展開。まずはマルテルの愛人であるオリヴィアを攻略した。そしてマルテルを脅迫して強引にサラディンに繋がる細い道をこじ開ける。時はすでに夏になっていた。
 マルテルから得た情報で、サラディンの麻薬密輸船を3隻拿捕し、大損害を与え、サラディンが動かざるをえない状況を作り出す。しかし、その作戦で思わぬ展開が生じる。
 押収した船の積み荷から、大量の麻薬だけではなく、高純度の放射性セシウム(塩化セシウム)粉末が発見されたのだ。これが示すところは、今後の欧米での自爆テロに、放射性物質が使用され、ヨーロッパの主要都市が放射能で汚染されるということだった。

 サラディン阻止の重要性が飛躍的に高まり、合衆国も静視していられなくなる。
 ガブリエルが立案実行している作戦に米国が介入を、というか横取りを仕掛けてくるが、ここで政治的手腕も発揮して自分の戦場を守り、かつ米国のテクノロジーを利用できるように交渉し、かつ、米国CIA内で地位を失いつつあった盟友のエイドリアン・カーターの失地回復まで手を回す。このあたりの丁々発止もかなり面白い。

 舞台は、モロッコに移り、潜伏するサラディンを追いつめる。
 前線においた作戦本部で直接指揮を執るガブリエルだが、誰がどう考えても自分でサラディンに手を下すことしか考えていない模様。本人以外の全員が、内心、長官が前線で危険な作戦に身を晒すことにいささか閉口しているが、まったく意に介する様子もなく。
 サラディンの爆弾テロ活動は、そもそもがガブリエルの親しい友人であった女性を殺害されたことに端を発し、すでに2回もガブリエル自身が爆弾テロの巻き添えを食っている。イスラエル諜報機関の現役最古参に違いない暗殺工作員(キドン)の怒りは静かに深く、激しい。

 今回は、美術修復のシーンがなく、絵画絡みの場面が少ないのが残念ではあるが、ジャン・リュック・マルテルの記憶から、ガブリエルがサラディンの似顔絵を描きおこすシーンがでてくる。その後の閣議でも退屈のあまり、ノートに似顔絵をいたずらがきしているガブリエルである。そうか〜、退屈するといたずら描きしちゃうのかあ、とおもわずクスリとなる。
 ガブリエルの長官執務室と、生まれ故郷のイズレイル渓谷にほど近い隠れ家に飾られた絵の中にも、ガブリエル自身の作品があるようで、それにもなんだかうれしさを感じる。

 ラストはその年の11月。婚約指輪をして幸せ一杯のナタリー、シャムロン邸で行われたのはナタリーとミハイルの婚約記念パーティーか?
 大勢の客人を室内に残し、静かなバルコニーで、シャムロンとガブリエルが言葉少なく語り合う。

「子供のころのわたしは」やがてシャムロンが言った。「いくつも夢を持っていた」
「わたしもそうでした」ガブリエルは言った。「いまも夢を持っています」
 西からそよ風が吹いてきた。古の戦場だったヒッティーンの方角から。
「あれが聞こえるか?」シャムロンが訊いた。
「何が?」
「剣のぶつかる音、死にゆく者の悲鳴」
「いえ、アリ、音楽しか聞こえませんが」
「幸運な男だ」 
「ええ」ガブリエルは言った。「わたしもそう思います」

 ガブリエルが、穏やかにシャムロンと語りあい、イスラエルとアラブを巡る国際情勢に心を配り、自分を「幸運な男」と表現する時が来たのか、と感慨深いラストだった。

0253 死線のサハラ 上  (ハーパーBOOKS)

書 名 「死線のサハラ 上」 
原 題 「House of Spies」2017年 
著 者 ダニエル・シルヴァ 
翻訳者 山本 やよい 
出  版 ハーパーコリンズ・ ジャパン  2018年7月 
初 読 2021年1月26日
文庫  376ページ 
ISBN-10  4596550921 
ISBN-13  978-4596550927

 ガブリエルの〈オフィス〉長官就任から2ヶ月。時は2016年2月、冬の終わりの頃。(だと思われ。)
 米国では、新政権が誕生している。(トランプ政権誕生が2017年1月。おっと、現実世界と1年ズレたか?)
 
 ワシントンに誕生した新政権が、親イスラエルであることを、歓迎すべきかどうか。

 “前大統領との関係は最悪だった。新大統領はワシントンとイスラエルの絆を強めると約束し、さらには、アメリカ大使館をテルアビブからエルサレムに移すとまで言っている。そうなれば、アラブとイスラム世界に激しい抗議の炎が燃えあがるだろう。”

 イスラエル国内には、新しい米大統領の強引なイスラエル寄り路線を歓迎する向きもあるが、ガブリエルはそれに対するアラブ世界の反発を警戒している。油断すればアラブの反動の中にイスラエル一国が取り残されることになる。
 新長官となってまだ2ヶ月。決して穏やかとは言えない航路を、ガブリエルは慎重に舵取りしなければならない。毎日深夜になるそんな彼の帰りを、エルサレムのフラットで妻のキアラがカウチで小説を読みながら待っている。

“キアラがカウチの端にすわっていた。開いた本が膝にのっている。ガブリエルは彼女の手からそっと本をとりあげて表紙を見た。イタリア語に翻訳されたアメリカのスパイ小説だった。
「こういうのは現実の人生だけで充分じゃないのかい?」
「小説のほうが現実よりはるかに魅力的だわ」
「主人公はどんな男?」
「良心を備えた殺し屋よ。あなたにちょっと似てるかな」

キアラ、それはもしや“グレイマン”という通り名の殺し屋が出てくる小説ではないか? ガブリエルにちょっと似ているかどうかは置いとくとして。

 そういえば、今回多分これまで読んだ中で初めて、ガブリエル自身の作品が登場した。もっとも美術学校時代に描いた絵のようだけど。母やリーアの作品に交じって、自分が描いた絵も長官室に掛けてあって、なんだか嬉しい。

 前回の作戦でサラディンを取り逃がし、欧州各国ではテロへの恐怖と緊張が続いている。そんな中、次に狙われたのはロンドンの繁華街。千人以上の犠牲を出す同時多発テロが発生する。複数の犯人は逃走もしくは爆死。手がかり皆無な中、ガブリエルは英国、次にフランスに出向き、再度サラディンを捉えるための共闘を持ちかけるが。またしても爆弾テロである。
 今度狙われたのはフランス諜報機関の〈アルファ・チーム〉の本拠地ビル。おりしもガブリエルはそこで、〈アルファ・チーム〉のチーフ、ルソーと作戦協議中だった。3巻連続で爆弾テロに遭遇するガブリエルである。
 今回は肋骨を数カ所折り、腰椎にヒビが入る重傷。本当に怪我が多い人だ。やり過ぎじゃないか、シルヴァ? しかし、復讐心に燃えるガブリエルは痛みに耐えて行動を開始する。
 シリアの独裁者から盗んだ金を豊潤に使い、大規模な偽装作戦を仕掛ける。
 だがしかし、一つ気になるのは、ガブリエルの手駒の少なさ。
 役者はいつもの顔ぶれだ。ナタリーなんて、完全に面が割れているのではないだろうか?エリ・ラヴォンなんて、ガブリエルとは40年来のおしどり夫婦なみ。その他の面々も度々作戦に顔をだしている。ほんとうにこれで目ざとい敵を欺けるのか? ガブリエルの負傷の多さと相まって、若干リアリティに欠けるような気がするのが残念ではある。
 でもまあ、ガブリエルが素敵なので不問に処す。以下下巻へ。

2021年1月24日日曜日

0252 ブラック・ウィドウ 下 (ハーパーBOOKS)

書 名 「ブラック・ウィドウ 下」 
原 題 「The Black Widow」2016年 
著 者 ダニエル・シルヴァ 
翻訳者 山本 やよい 
出 版 ハーパーコリンズ・ ジャパン  2017年7月 
初 読 2021年1月24日
「ラッカ?何をとち狂ってるんだ?」

 静的な上巻にくらべて、にわかに事態が動き出す下巻。
 急遽ガブリエルが飛んだワシントンで面会したCIA作戦本部長のエイドリアン・カーターが毒づく。
 ISISに潜入したナタリーを守るため、毎日ラッカに対して行われている米軍と有志連合による空爆を控えて欲しいと要請する。カーターは、若干恨みがましく米国への連絡が最後になったことに苦情を呈するものの協力を約束し、今後は情報を逐一米国にも寄越すよう要請。
 シリーズ最初から登場しているカーターは、ガブリエルとは古い友人でもあり、何回も協力してきている。いざとなれば捨て身で相手の為に尽力するガブリエルを信頼しており、見返りを求めず行動するガブリエルの性格が、返って大きな見返りとして現在、各国情報機関間の信頼と協力関係をもたらしている。
 そんな友人の言葉。
   「子供たちは元気か?」いきなり訊いた。 
   「さあ、どうかな」 
   「大事に育てろよ。きみの年じゃ、これ以上子供を作るのは無理だ」 
   ガブリエルは微笑した。 
   「いいか、わたしは十二時間のあいだ、きみは死んだものと本気で思ってたんだぞ。あんなまねをするなんて、あんまりじゃないか」 
「ああするしかなかったんだ」 
「それはわかる。だが、次のときは、わたしに断ってからにしろ。わたしは敵ではない。きみの力になりたくてここにいるんだ」

 ガブリエルは・・・・・65歳か? そういうエイドリアンは何歳なのか知らないが、65歳という年は、荒事に手を染める現役工作員としては年が行きすぎているし、これから彼が乗り出す政治の世界では、まだまだ若輩、と言えなくもない。

 ナタリーは潜入したシリアで、米軍の爆撃により重傷を負ったサラディンの治療を行うことになる。この辺りの展開が意外だが、敵にも人格を与えることでリアリティと緊迫感が高まる。最初の接触を終え、無事にフランスに戻った後は、数ヶ月にわたる待機。さすがのガブリエルも焦りが出てくるが、やがてナタリー=ライラが動き出す。行き先は米国。サラディンは、フランス大統領訪米に合わせて9.11後最大のテロを合衆国に仕組んでいた。
 そして、ガブリエル達の努力も空しく、攻撃は実行に移される。最初の標的に選ばれたのは、ガブリエル達が詰めている「国家テロ対策センター(NTCT)」だった。
ピアノを弾くマルグリット・ガジェ

 それにしても、ここでまたしても爆弾テロの現場に居合わせるガブリエル。この次の『死線のサハラ』でもそうだからね。未訳部分も含めてシリーズ中何回爆弾テロに居合わせるのかしらんが、「○回爆弾テロに遭って死ななかった男」としてギネスブックに載るだろう。
 自爆ベストを着せられたまま行方を追えなくなったナタリーの救出と、さらなるテロの阻止、しかし、肝心の米国側組織はテロの波状攻撃で大混乱中。結局最後に現場に立つのはガブリエルとその腹心たちとなる。今作は「英国人」の出番がないかわりに、ミハイルが滅法格好よい。テロは阻止できなかったがたった一人の女は救い出す。

 すっきり悪を倒して一件落着しないのがこのシリーズで、今回はサラディンの勝ち。しかし、正体を見破られて処刑直前だったナタリーは辛うじて救出した。作戦自体は苦い結末だが、少なくともガブリエルは子供達の元に戻ることができたし、遂にオフィスの長官の座に上る日が来る。就任の日の祝賀パーティーは、双子達の満1歳の誕生日祝いも兼ねていた。また、精神病院に入院したままの最初の妻リーアにも子供達を面会させた。ラファエルを膝にのせ、火傷でねじれ固まった手で抱きしめるリーアを見つめるガブリエルの目が涙で曇る。子供達が生まれ、新しい家族とどんなに幸せな生活があろうとも、リーアとダニの悲劇はそのままだし、自分だけが幸せになる罪悪感が薄れることもない。

 ちなみに、後書きによるとゴッホの「鏡台のマルグリット・ガジェ」は存在しないとのこと。替わりに実在する「ピアノを弾くマルグリット・ガジェ」をアップしておく。時価1億ドル以上のこの遺贈品を、ガブリエルはイスラエル博物館に寄贈する。条件はだたひとつ。イスラエル博物館が存在する限り、所有し続けること。イスラエルが永続する願いが込められているように思えてならない。
 

 
 


2021年1月20日水曜日

0251 ブラック・ウィドウ 上 (ハーパーBOOKS)

書 名 「ブラック・ウィドウ 上」
原 題 「The Black Widow」2016年 
著 者 ダニエル・シルヴァ 
翻訳者 山本 やよい 
出 版 ハーパーコリンズ・ ジャパン  2017年7月 
初 読 2021年1月20日 
 

 パリで頻発するユダヤ人迫害事件に抵抗して、一人のユダヤ人女性が講演会を企画した。講演会の当日、彼女は会場ビルで会の出席者もろとも爆弾テロの犠牲になる。
 殺されたユダヤ人女性はかつて、ガブリエルの作戦に協力したことがあり、身よりのない彼女は自分の所蔵するゴッホ(時価1億ドル相当)の相続人に、ガブリエル・アロンを指名していた。
 犯人を追跡し、さらなるテロを防ぐため、フランス情報部のチームリーダー、ポール・ルソーは〈オフィス〉に協力を要請する。ゴッホと引き換えに名指ししたのはガブリエルだった。
 当のガブリエルは、自分の「死後」表舞台から退き、4ヶ月の間、エルサレムの自宅で最愛の妻キアラと生まれたばかりの双子アイリーン、ラファエルとの束の間の家庭生活を送る一方(本人の言うとことの育児休暇)、イスラエル博物館の保存修復ラボで、ローマ法王庁から委託された例のカラヴァッジョ《キリストの降臨》の修復作業に没頭していた。そして、やっとカラヴァッジョの修復が終わったかと思えたその日、ウージ・ナヴォトに召喚される。なかなか現場を引かせてもらえないガブリエルは、友人であった女性と彼女のゴッホのために、フランスとの共同作戦を引き受けることに。

 ガブリエルは部屋の入り口に立ち、片方の肩をドアの枠にもたせかけて、壁面にゆっくりと視線を走らせた。どの壁にも絵がかかっている。ガブリエルの祖父の作品が三点。その三点だけがようやく見つかったのだ。それから母親の作品が数点。また、若い男性を描いた肖像画の大作もある。こめかみに早々と白髪が交じり、疲労のにじむやつれた顔に死の影がつきまとっている。・・・・・・子供たちがいつの日か、この肖像画に描かれている苦悩を湛えた若い男性のことを、そして絵を描いた女性のことを尋ねるだろう。

 度々作中に登場する、ガブリエル自宅の寝室の壁の 絵の描写である。
 ガブリエルの祖父はドイツで高名な画家だったが、ナチスの迫害でその作品はほとんどが破壊されて失われた。肖像画は「神の怒り作戦」直後のガブリエル、描いたのは最初の妻リーアである。私としては、ガブリエル自身の作品がないのが残念。ガブリエルは自分が描かれた肖像画を見ながら物思いに沈む。

 子供たちは自分を憐れむだろうか。怖がるだろうか。怪物、殺人鬼だと思うだろうか。・・・・・この絵は本当の父さんじゃない————子供たちにはそう答えることにしよう。こういう人間にならざるをえなかったんだ。父さんは怪物でも殺人鬼でもない。おまえたちがこの場所で暮らせるのも、今夜、この国で平和に眠っていられるのも、父さんみたいな人々がいるおかげなんだ。

 再び父親となった感慨からか、若い工作員を育てているからか、この巻ではガブリエルの記憶が語られるシーンが多い。そしてそのどれもが苦い。 

 ISISへ潜入させる工作員としてガブリエルがスカウトしたフランス系ユダヤ人のナタリーに、自分の少年時代を語るシーンがある。(父については、どこかでアウシュビッツの生還者だと読んだ気がしていたが、ここでは違う説明になっている。)父に対して思慕が感じられないのはなぜだろう。一方、母についての思い出も心温まるものではない。ガブリエルの口から、アウシュビッツでの体験からイスラエル移住後も心の平穏を得ることができなかった母の思い出が語られる。母はほとんど笑うことがなかった。気持ちの浮き沈みが激しく、鬱を繰り返していた。一度だけガブリエルが母に戦争の時のことを尋ねたら早口で曖昧な言葉でアウシュビッツ時代の事を話したが、そのあと何日も寝込んで重度の鬱状態になった。それ以降、家で二度と戦時中の話はしなかった。「悪魔を起こさないよう、母の前では静かにしていなくてはならないことを、わたしは子供のころに学んでいた。 」自分もおのずと内向的で孤独な人間になった。。。。。等々

 これまで、イスラエルという国家をどう捉えるべきか、考えあぐねていたが、そして今でもこの地域の混沌をどのように見るべきか、迷いつつ読んでいたりするのだけど、ホロコーストを経験したユダヤ人が、自分たちを自分たちで守ることができる民族国家、主権国家をどれほど切望しただろうか、ということは、日本にいる限り絶対に理解がおいつかないだろうと思う。国や家族を守る為には殺人も行う、やられれば復讐する、というガブリエルの切実かつ強烈な意志に圧倒される。かつてイギリスの三枚舌外交に翻弄され、今はアメリカに翻弄されているとしか見えない民族と土地と聖地に、これ以上の血と混乱がもたらされないようにするにはどうしたらよいのだろう。

 さて、私は人物を読むのが好きなので、ついガブリエルの心情に目がいってしまうのだが、作品自体は立派なエスピオナージ物なので、ちゃんと諜報戦をやっている。

上巻は、自身で“ブラック・ウィドウ(黒衣の未亡人)=テロリストに仕立て上げられた、異教徒との戦いで愛する恋人や夫を失った敬虔なイスラム女性”となる潜入工作員に育て上げる訓練過程と、遂にISISの本拠地ラッカにナタリー=ライラが入り込むところまで。そして、ガブリエルは合衆国へ向かう。