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2025年12月14日日曜日

0572 抜け殻仮説への挑戦―認知症の人の「自律」の概念を考える― 新書 –

書 名 「抜け殻仮説への挑戦―認知症の人の「自律」の概念を考える― 新書 」
著 者 箕岡真子
出 版 三省堂書店/創英社 2022年6月
文 庫 148ページ
初 読 2025年11月05日
ISBN-10 4879231444
ISBN-13 978-4879231444
読書メーター https://bookmeter.com/reviews/131283560


著者の箕岡 真子 (みのおか まさこ) さんについて
 日本臨床倫理学会総務担当理事
 東京大学大学院医学系研究科医療倫理学分野客員研究員
 箕岡医院院長
【主な研究領域】終末期医療ケアの倫理・高齢者の介護倫理・認知症ケアの倫理


 認知症の母の在宅での見守り介護をまるまる3年間続け、母の施設入所の見極めや施設探しをするにあたり自分の判断を知見で底上げしたい、と思って手に取った数冊のうちの一冊。
 この本は、医療や看護の領域の臨床医、研究者、教育者である著者が、おそらくは医療分野の読者(学生?)に向けて平易に書かれた著作で、その向きの勉強には役に立つのだろうが、現に介護に向き合う家族にとって役に立つか、というと、まあ、ほぼ役に立たない本ではありました。・・・・目的外使用?って感じなので、文句いう筋合いではないです。

「患者の意志の尊重」というテーマに、これまでの医療界や医療者がどのように向き合ってきたのか、という点では、歴史的経緯やターニングポイントになった事件などがまとめてあって、いい勉強になった。

 タイトルの「抜け殻仮説」というのは、「認知症患者は脳神経細胞の病理学的変成によって人格は変化・崩壊し、“抜け殻”になってしまう」という考え(偏見)のこと。

 認知症患者は崩壊した自我の残滓を留めているのではなく、認知症になった後も一貫した「自我」を持っていることを認め、しかし、認知症であるがゆえに、本人の選択や判断による自己決定=自律は困難となっていく。それをどのように援助していくのか、ということについて、この本では「自律」の再定義を行いつつ、考察している。

 医療ケアに選択における意志決定について、これまでは本人に「意志決定能力がある」状態、すなわち
 ① 自分で選択して意思表明できる。
 ② 治療などに関する情報が理解出来る。
 ③ それを選択した場合、それが自分にどのような結果をもたらすのかを認識できる。
 ④ 決定内容が自分の価値観や治療目的と一致していること 

 の4つの構成要素を満たしている状態においてのみ、本人が自分のこと(治療方針や処遇方針について)自己決定できる、とし、そうでない状態においては、家族などの近親者が「代理決定」を行うという二択となっている、という現状をまず確認する。その上で、現実的には「本人による意志決定」(自律)から「家族による代理決定」の間には大きなグレーゾーンが広がっていること、これまで目が向けられていなかったこのグレーゾーン上にも、本人による自己決定が可能な領域が存在することを指摘する。
 そして、家族など周囲の人間が適切に本人の意志決定を支援すれば、より本人の自己決定の幅を広げることが可能で、ここで「自律」の概念を広げ、これまでの狭義の自律=個別的自律から、“他者の援助によって実現される自律”を広義の自律=関係性的自律に拡大することを提案する。
 これによって、「自己決定」と「代理判断」の間にあったグレーゾーンも、本人の意志に基づく「自律」的な決定が可能になる。

 この場合、本人の意志を知り、それを延長する形で決定につなげる第三者の支援が必要になるが、本書ではそれが可能な人について「本人が最も信頼できる「人」」であると言う。その第三者は自己の利益ではなく、本人の意志や願望を尊重し、選択を行う必要がある。それは、本人を良く知っている人である必要があり、本人との豊かな関係性を事前に築いている人で、本人を愛し、共感できる人なのだと。そういう人の共感を通じて、認知症になった人も自律を延長できる。・・・まあ、この通りの文字で描かれているわけではないが、そういうことが論じられている。前段はともかく、ここまでくると、かなり馬鹿らしい感じがしてくる。

 認知症や深刻な病に陥った人を、心底大切に思っている家族がいれば、学者や医者が何を論じなくとも、その家族は、愛する人のために必死になって考え、最善を尽くすだろう。それは当たり前の光景であるが、かならずしも常にあるものでもない。私だって、べつに母と深い愛情で結ばれているとは思わんが、母の送ってきた人生に敬意を持ち、母の考え方や生き方を思い、できうるかぎり母の気持ちに添った選択をしたいと苦心した。が、全ての介護者がそうだというわけではない。むしろだからこそ、介護の社会化が必要なのだ。
 本人にとっての医療や介護をよりよいものにしていくことを考えようとするときに、それを「その人を愛する家族」に帰結しようとする馬鹿らしさにこの著者は気付かないのだろうか?

 この本において、例示される認知症のおじいちゃんを抱える家族において、主介護者である長男の妻は、おじいちゃんを深く愛して理解していたら、この家族が抱える介護の問題は解決されるのだろうか。そんなことはないだろう。

 この本は、サブタイトルのとおり、認知症の人の「自律」の概念を考える、というテーマに基づき、認知症の人の「自律」の概念について考えているが、考えた上で、なにか新しい視点に到達しているか、というとかなり疑問に感じる。認知症患者の自律と他律の間にもともと存在する家族の支援に、仰々しく「関係性的自律」と名付けただけだ。そして、「関係性的自律」が機能するために麗しい愛や理解が必要なのであれば、医療や介護の現実を変えることのためには、たいして役に立たないだろう。なぜなら、今もそれは、それがある場所では機能しているはずだからだ。

2021年12月12日日曜日

「米海軍で屈指の潜水艦艦長による「最強組織」の作り方」メモ

もっとも幸せな瞬間は、未来にある

リーダーシップとは、人が持つ価値と潜在能力を明確に伝え、本人がその存在に気付いて刺激をうけられるようにすることである。

◆著者マルケ氏の、人間(部下やそれ以外の人々)に対する優しさと公平さ
・会社に貢献する気持ちも、仕事に対する思い入れややりがいも失った社員は、組織の利益をむしばみ同僚のやる気をそぐ。確かに利益の損失も甚大だが、私の感覚としては、彼らが失った喜びや幸福巻の喪失の大きさは、その比ではないように思う。p.9 

・誰もが自分の仕事に満足している世界を思い浮かべてみてほしい。そこは、誰もが自分の知力を存分に発揮し、自分を高めたいという意欲に満ち溢れた世界だ。人間という種に授けられた認知の力を存分に使い、目の前に問題が現れるたびに解決していく姿がそこにはある。p.15

・乗員の稼ぎを増やすためにできることと言えば、昇進のチャンスを最大限に生かせるようにしてやることぐらいしかない。私はそのためにできることを必死でやった。p.228

・もう12月だが、評価表の提出期限は9月15日だった。昇進審議会が開かれても、彼のファイルが不完全であれば、昇進のチャンスはゼロになる。上等兵曹の評価ですらこの扱いなら、かれより立場の低い水兵はどんな扱いを受けているというのだ?p.49
①部下の昇進やキャリア形成に対する上司としての責任。
②人事にもとめられる公平性。
③業務手順を守ることが、組織としての信頼性を高める。
 
◆行動を変える/意識を変える
・問題解決の責任を各自に負わせることで、自分は欠かせない存在だと各自が意識するようになる。(ただし、責任転嫁ではなく、最終責任は上司が負う覚悟が必要だとは思う。)
・優れた成果をあげることよりもミスを犯さないことにエネルギーを注いでいないか?
・ミスについて深く理解することが優れた仕事につながる。ミスが起きた場合には、なぜ起きたのか原因を深く追求し、ミスを排除するために必要な措置を理解する。これは責任追及のために行うのではなく、これから先同様のミスを起こさないようにするために行う。
・決断を下す者が情報のある場所へ降りていく。
・これまでとは違う行動をとらせることから始める。そうすれば新しい考え方は後からついてくる。
・立場が下の者は、最初から「完璧」なものを上の者に見せようとする。そういう思いはそれまでの努力を無駄にしてしまいかねず、効率を悪くする。早めに見せて、目指すものとのズレが無いか確認をする。上の者の意志や、助言は早い段階で確認することで早めに小刻みに軌道修正をはかったほうが効率が良い。
・(上の者が)「早めに短く言葉を交わす」というのは、部下に命令するという意味ではなく、一足早く進み具合を報告をする機会を作っているのだ。そうすることで、引き続き部下の責任で問題解決にあたってもらえる。それに、そういう機会を通じて、成し遂げたいことを部下にはっきりと理解させることもできる。それで何時間もの時間を無駄にせずにすむ。

権限を委譲する/委ねるリーダーシップ
・権限の委譲の背後にはトップダウン構造が潜んでいる。その行為の中核には、部下に権限を「譲ってやる」という考え方があり、リーダーには部下に権限を委譲できる権力や能力があると暗示している。

●「視認責任」の導入
 現場で行われる活動の一つ一つを中間職のリーダーがその場に立ち会って自分の目で確認し
上官への説明責任を果たすしくみを作る。
●具体的な決定権限を下ろす。(休暇に関する稟議の決定権者を下ろすことによって、関連する諸々の服務関連の把握を現場の長がおこなうように変更)
●計画書に現場の責任者の記名欄を設け、全ての活動に現場で権限と責任を持つものを表示。

自発性を高める言葉の力
・「これから〜をします」という言い方の導入。指示待ちにせず、自分の責任において為すべきことを考え、進言し、上司の承認を取る。
 【上司に従うだけの言い方】      【権限が自分にある言い方】
   ●〜の許可をお願いしたいのですが    ●これから〜をします
   ●〜できればと考えています       ●私の計画では〜
   ●何をすべきか教えてください      ●〜をするつもりです
   ●どうすべきだとお考えですか      ●〜をしましょう
   ●何ができるでしょうか 

・部下の当事者意識や責任者意識を損なわせるメッセージを無意識に発していないか。

委ねるために(委ねられるために)技能(技術)を高める
・権限を下に委譲するにつれ、あらゆるレベルの乗員に技術的な知識があることが重要になる
・物事を判断する力を高めたいなら、判断の基となる確かな技術的知識が必要になる。p.177
常に学ぶ
・私は、「いつどこでも学ぶ者でいる」と意識するようになったことで、精神的に安定し、ものの見方が広がった。p.185

繰り返し伝える
・大事なメッセージは、しつこいほど繰り返し伝える必要がある
・すぐに受け入れられる人もいれば、受け入れに時間がかかる人もいる

目標設定/目標を正しく共有/信頼
・目標を定めるときには、成果が測れるかどうかを意識するとよい。p.243
・将来のビジョンを同僚や部下とともに描くときには、具体的で成果が数値でわかる目標を定めることが重要。
・部下の目標について話し合うときは、相手が抱える問題に親身になって相談にのる必要がある。個人的に支援する姿勢を示せば、部下のことを考えて行動し、彼らが達成したいことをつねに頭に描いているのだと分かってもらえる。

行動指針/判断の基準
・たとえば、査定をするときや報告を書くときは、行動指針にある言葉を積極的に使わせた。「M軍曹は、勇気と積極性を持って報告し・・・」p.236
・行動指針を判断の基準とすることは、組織の正しい理解につながる。p.237

委ねる(委ねられる)ために必要なもの。知識と技術。そして学び続ける。
・本当に必要なのは、命令系統からの解放、すなわち自由である。自由というのは、人が生まれ持った才能やエネルギー、創造性を認め、それを存分に発揮させることを意味する。
・自ら判断して行動出来る環境が整い、高い技能と正しい理解が備わったとき、自由が生まれる。自由な状態で仕事をしているとわかれば、権限を委譲する必要はなくなる。というよりも、上の立場の人間の力を頼りにしなくなったのだから、権限を委譲するということ自体ができなくなるのだ。p.275 

・決断を下すうえで、彼らに何が必要になるかを理解する。何かと接するときは、的確な専門的知識、組織の目標に対する深い理解、決断を下す権限、状況に応じた決断を下す責任が必要になる、と覚えておくとよい。p.266

・私は組織にはそれぞれ個性があり、一つとして同じものはないのだと知った。組織で働く人の育った環境も、権限を許容するレベルも、自由に対する感じ方も、人によって異なる。p.279

・結局のところ、誰よりも支配しないといけない相手は自分自身である。p.280 

委ねるリーダーシップ
 【部下に命じる構造の打開策の成功例】
●作業を細かく見るのではなく、作業をする人を細かく観察した。
●報告の数や確認する箇所は増やさず、むしろ減らした。
●リーダーシップを振りかざして命令に従うだけの「フォロワーシップ」を助長させず、自分が一歩下がることであらゆるレベルでリーダーシップを発揮させた。 p.262 

2021年12月4日土曜日

0310 米海軍で屈指の潜水艦艦長による「最強組織」の作り方

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書 名 「米海軍で屈指の潜水艦艦長による「最強組織」の作り方」 
原 題 「Turn the Ship Around!」2012年
著 者 L・デビッド・マルケ 
翻訳者 花塚 恵 
出 版 東洋経済新報社 2014年6月 
単行本 285ページ 
初 読 2021年12月15日    
ISBN-10 4492045325 
ISBN-13 978-4492045329 
読書メーター   https://bookmeter.com/reviews/102854935
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 自分が仕事ができていると感じているときの充足感、自分がきちんと業務にひいては社会にコミットしている、と思えたときの健全な満足感は、人が仕事をして、それによって長い人生を生きていく上でとても大切で、必要なものだ。

 この本は、組織を構成する一人ひとりがそのような状態になることを、リーダーとしてどうやって意識的に作っていくことができるかを、潜水艦というある意味特殊で閉鎖された環境のなかで実践したことの、記録、というか報告のようなもの。
 潜水艦で、という環境が面白い。
 原子力潜水艦は、一度出航したら何ヶ月も母港に戻らず、浮上すらしないまま長時間の航海が可能で、100名程度の乗員は、狭い艦内で、極めて緊密な関係のなかで缶詰になる。
そのため、組織運営に不確定な要素をもたらす外的な刺激はかなり単純化されていると思える。
・業務は高度に組織化されていて、出来・不出来は一目瞭然。
・ついでにいうと、そのような環境で長時間能力を維持することを求められる乗員は、海軍でも「エリート」に属し、精神的にも安定して強靱で、他者との協調性が高く、意欲的な人物が選抜されているとみてよい。

 そのようなエリート集団であっても、軍組織という上意下達、上官には絶対服従、しかも艦内(艦長の権限は極めて強大)という環境で、専制的でダメなトップのもとでは腐ってしまうのだ。自分の仕事が評価されない。自分が組織の中で役に立っていると思えない。自分が十分に能力を発揮できていない、という思いは、簡単に人間を腐らせ、本来の能力まで奪ってしまう。
 この本は、そのような状態に陥っていた米攻撃型原子力潜水艦〈サンタフェ〉(ロサンゼルス級)の艦長に任じられた著者のマルケ(当時大佐)が、部下に権限を委譲するなかで、部下一人ひとりの責任と判断を尊重し、部下のやる気と充足感を高め、その結果一隻の潜水艦の能力を飛躍的に向上させた実践を簡潔にまとめたものである。
 組織のメンバーが有機的に結びつき、エネルギーが正しく流れるときの無駄のない業務の進行と、それに関わるメンバーの健全な人間関係は、ひとことで言ってしまえばとても“気持ちの良い”ものだ。それを、自分の部下に味あわせることは、いわば組織の上に立つものの責務ではないだろうか。今の自分にそれができているだろうか。という反省も浮かんでくるが、これもまた、健全な反省であるべきだ。
 この本(最強組織の方)を、単に読み物として楽しむもよし、我が身にあてはめて、工夫のヒントとするもよし、何回でも手にとって楽しめそうな、珍しくも有用なハウツー本、ビジネス本だと思う。

 ちょっと脱線するが、H・ポール・ホンジンガーの『栄光の旗のもとに』は、まさに〈サンタフェ〉と同じ状況で新艦長に引き継がれた駆逐艦〈カンバーランド〉を、新任艦長が乗員の自信を回復して最優秀艦に育てる話でもある。この「最強組織」が2012年刊、「栄光の」が2012年に書かれ、2013年に刊行されたのは偶然かな? 真っ黒な円筒型のステルス宇宙艦は、駆逐艦とはいえど、ほぼ潜水艦のようなもの。全長、艦内の構造、乗員数も原潜と似たりよったりだ。リーダーシップを試行して、結果を確認するのに丁度良い規模と環境である、とも言える。


 これは余談。表紙の写真は、ロサンゼルス級原潜〈サンタフェ〉ではない。S112ってどこの艦だろう?国旗はギリシャに見えるけど。せめて米原潜の写真が使えればよかったのにねえ。
 さらに余談。各見開きページの左上のイラスト表示の潜水艦の艦影が第二次世界大戦の頃の姿だ。現代の潜水艦はもっと丸い。
 このあたりのビジュアルにもっと凝ってくれたらよかったのに。。。。。(ちょっと残念。)

2021年9月14日火曜日

0294 コロナの時代のわれら(単行本) 

書 名 「コロナの時代のわれら」 
原 題 NEL CONTAGIO」2020年
著 者 パオロ・ジョルダーノ 
翻訳者 飯田 亮介 
出 版 早川書房 2020年4月 
単行本 128ページ 
初 読 2021年5月15日 
読書メーター    
ISBN-10 4152099453 
ISBN-13 978-4152099457

 以前、前任者からBCP(事業継続計画)の策定ができていない、と課題として引き継いだ。東日本大震災の教訓として、早急に定める必要があったが、多忙を極める職場で、代々問題意識だけを後任に渡してきていた。私も結局BCPの策定には手が出せなかったのだが、関連資料を集めながら、地震などの自然災害だけでなく、いずれ流行する可能性の高い高病原性新型インフルエンザの対策も必要であることを意識した。とにかく災害備蓄食料を見直して整備するところまではなんとかこぎつけた。というのが前々職場で5年位前の話。
 その頃、自分の自宅は、これも東日本大震災の教訓として、すでに災害対策の諸々の備蓄をしていたが、これに加えて最低一ヶ月は自宅に籠城できる食料備蓄(コメやミソ、保存のきく粉もの類や缶詰など)、飲料水、ポカリスエットの素、ビタミン剤、総合ミネラル剤などに加えて、一家4人×一日1枚×2ヶ月分のサージカルマスクも少しずつ買い足しながら備蓄に加えた。マスクは花粉症持ちが家にいるので、常時需要はあった。(トイレットペーパーはもともとネットで大箱買いしていたので、2ヶ月分位の備蓄がだいたいいつもあった。)
 中国で新型肺炎が流行している、とマスコミで話題になり始めたとき、これは始まるな、と予感がして、まだ店頭に溢れていた不織布マスクをさらに買い足した。翌週にはマスクが街から消えたが、トイレットペーパーまで無くなるのはちょっと予想外だった。家には買い置きが沢山あったが、質の高いマスクがいつ、再度店頭で手に入るようになるかわからない不安から、半年ほどは、不織布マスクを洗濯して再利用もしていた。(ちなみに我が家で備蓄していたのは3Mのサージカルマスクだった。これは未だにネットでも手に入らない。)
 そんな感じだったので、マスクが手にはいらなくて困っている友人に、数箱づつ分けたりする余裕があったのはよかった。

 この本が2020年4月に世にでてから、ちょうど1年と半年が経過したが、いまだこの本の中身は過去のものではない。ウイルスという新たな脅威に直面したとき、人々はどのように困惑し、拒否し、見当違いのものに縋り付き、時間を無駄にし、その結果死者を増やすのか。
 日本の国内でも、多くの人が淡々とワクチン接種を遂行し、うがい手洗いマスクを励行し、他人との接触を避け、自分も他人も害さないように注意深く辛抱強く日常を送っている一方で、いまだにワクチン懐疑派や、イベルメクチン信奉者、NOマスク活動家、コロナは陰謀派などの魑魅魍魎がうごめいている。もともとナチュラルでスピリチュアルなワクチン拒否派は一定数いたので、それが核になっているようにも、取り込まれているようにも見える。

 新型感染症の流行自体は予測可能なもので、問題はそれがどれだけ人間に悪さをするかということだろう。たとえば、2009年には豚由来のインフルエンザウイルスA(H1N1)pdm09世界的に流行したが、同年秋までには当初怖れていたほどの致死性はないことが判明し、季節性インフルエンザと同様の扱いとなった。今、最も怖れられている高病原性インフルエンザの致死率は20%程度と見込まれていて、もしこれが流行したら、犠牲者はいまの新型コロナの比ではない。ただし希望もある。昨冬、コロナ対策による三密防止を徹底していた日本では、インフルエンザの流行はほぼゼロだった。つまり、コロナ対策はインフルエンザにも通用するということだろう。私が当初から新型コロナにあまりパニクっていないのは、もともと強毒性新型インフルの出現を怖れていたからだ。
 昨日の統計で、日本のワクチン接種率はアメリカに並んだ。しかし当初80%の人が免疫を持てば社会免疫を獲得する、と言われてきたのに、伝播性の強いデルタ株の登場のおかげで、80%では流行を抑制できないらしい。接種率90%以上が望ましいが、それは難しいので85%を目指し、生活様式による予防と組みあわせる、というのが東京の方針のようだ。東京は第5波をついにやり過ごしたところだが、冬場に訪れるであろう第6波に向けて、さらにワクチン接種を進める必要がある。でも、急激な第5波の収束を目の当たりにして、もしかしたら来春には、コロナは『ただの風邪』の仲間入りができるのではないか?という期待も持ちつつある。変異株との戦いはまだまだ続くが、これが新しい、コロナと共存する時代につながっていく。それまでは、自分が感染しないように気をつけながら、新しい生活様式を受け入れて生きていくことを一人でも多くの人と共有したいと思う。

『このように感染症の流行は、集団のメンバーとしての自覚を持てと僕たちに促す。平時の僕らが不慣れなタイプの想像力を働かせろと命じ、自分と人々のあいだにはほどくにほどけぬ結びつきがあることを理解し、個人的な選択をする際にもみんなの存在を計算にいれろと命ずる。感染症の流行に際して、僕たちは単一の生物であり、ひとつの共同体に戻るのだ。』p.42


 

2020年4月11日土曜日

0196 多分そいつ、今ごろパフェとか食ってるよ。

書 名 「多分そいつ、今ごろパフェとか食ってるよ。」 
著 者 Jam 
出 版 サンクチュアリ出版 (2018/7/7) 
初 読 2020/04/11 


  職場のビルで営業している本屋さんの、入り口正面の棚に平置きで鎮座しているこの本。やるな、本屋さん。そして気晴らしに本屋に入る度に立ち読みするワタシ。もう買っちゃえよ。とささやくワタシの中の本の虫。「恋するように嫌なヤツのことを考えるのやめよう・・・・」至極名言。そうだよ、そんなこと、そんなヤツのためにワタシの貴重な時間を費やすくらいなら好きな本でも読もうぜ? でも、ネットでお仕事されている方なので、“嫌なこと”が弱冠SNSに偏ってるかな。離れるという選択は、逃げじゃなくて知恵。これも名言。猫絵がかわいい。

2019年1月29日火曜日

0161 なぜ人と人は支え合うのか 「障害」から考える

書 名 「なぜ人と人は支え合うのか 「障害」から考える」 
著 者 渡辺 一史 
出 版 筑摩書房 (2018/12/6) 
初 読 2019/01/29 

 人の本質は、助け合って感謝の気持ちを交わしたり、もっと深いところで心を揺り動かされるところにある。人と人が助け合うためには、困っている人と助けてあげられる人の両方が必要で、その意味では人に助けてもらうしかない障害者も確かに世の中の役に立っているのだ。
 屋久島の縄文杉も富士山もそれはそれとしてただそこにあるだけ。それから生きる勇気をもらったり、神々しい美を感じたりするのは、人間の側の営み。人間の共感する力の発露である。
 障害者だって同じ。寝たきりの障害者を前にして、それが意思の疎通もできない無価値なものにじるというなら、それはそう感じる本人の共感力や人間性の欠如を告白するものでしかない。

 相模原のやまゆり園事件を導入に、障害者という存在を通じて人と人のあり方を問う。沢山の示唆があり、考えさせられた。

2019年1月19日土曜日

0160 [愛蔵版]いまはダメでも、きっとうまくいく。

書 名 「[愛蔵版]いまはダメでも、きっとうまくいく。」 
著 者 川北 義則 
出 版 PHP研究所 (2018/11/20) 
初 読 2019/01/19 

 職場のビルに入っているコンビニで、ついうっかり購入。マイナスの気持ちを前向きに切り替えるコツの1つ。なんでも「現在進行形で考える」。今お金に困っているとして、「自分は豊かだ」とは思えなくても「自分が豊かになりつつある」と考えることは出来る。好ましい未来の姿に向けて自分の理性と感情を一致させる。未来は今の積み重ね。苦しさを積み重ねても幸せには辿りつかない。

2018年11月18日日曜日

0149 働く女子の運命

書 名 「働く女子の運命」 
著 者 濱口 桂一郎 
出 版 文藝春秋 (2015/12/18) 
初 読 2018/11/18 

 この著者の本を3冊続けて読んだが、同じジョブ型、メンバーシップ型雇用を取り扱いながら、若者、中高年、女性と切り口を変え、それぞれ新しい発見があった。3冊分のまとめとしてかなり長いが考えをまとめておく。

① 世界標準の職務給ではない家族給・生活給という給与形態を日本の産業界と労働運動が手を携えて成立させてきた過程と、日本の雇用の姿(その中で女性の労働がどのように変遷してきたか)を確認。こうして戦前から現在に至る雇用の形や法制を見ると5年10年単位で世の中の意識が結構ダイナミックに変わっていくものなのだと知った。

② 生活給としての年功序列賃金が戦前の国家社会主義の勤労報国の形を雛形としているとか、日本のマルクス主義経済学と生活給の怪しい関係とか、日本の労働運動がむしろ女子差別と表裏の関係にある年功賃金を助長する働きをしてきたとか。社会主義ならぬ会社主義とかバッカジャネーノ?また70年代以降の知的熟練論についてはその論客である小池氏の理論があまりにも馬鹿っぽいが、原文に当たらずに批判をするのは他人のふんどしで相撲取るようなものなので控えておく。それにしても気持ち悪い歴史が盛りだくさんだ!

③ 80年代以降は自分の記憶にも残っている。90年代、平成不況到来で非正規化する男性労働者が増大して非正規雇用の問題が拡大する一方で、これまでの「一般職(=職場の花)」は募集そのものが無くなり、その業務は安価な派遣社員に移行。少子化ショックが育児休業充実の原動力となるが、なし崩し的に問題が少子化や非正規雇用問題に遷移する一方で、働きつづける女性の出産年齢の上昇も課題。

 最後に著者からの問いかけ、「マタニティという生物学的な要素にツケを回すような解が本当に正しい解なのか」に対する、私の回答は以下のとおり。 

 ジョブ型への移行は、社会保障のあり方と表裏一体であること。
 同一労働同一賃金を実現するためには、給料から生活給の部分をそぎ落とし、職務給として純化していく必要があるが、その為には次世代育成すなわち中長期的な社会の維持発展に要する費用を給料から切り離す必要がある。これらの費用は公的に負担され、その社会のメンバー(もちろん会社も含む)が税金という形で公平に分担することになる。(著者が引き合いに出すEUなどでは、むろん、子育て手当や教育無償化は充実している。) 
 健全な次世代の育成は社会が維持発展するために必須であり、その負担は社会全体で賄う必要がある。この点を明確に要求して実現させるのとセットにしない限り、今の日本の社会システムの中では、ジョブ型や職務給導入の議論は意味不明なものになりかねないだけでなく、単純な低賃金化や労働強化に繋がりかねない。
 ごく単純に考えて、子育てと教育に要する負担が社会化されれば、あとは自分の再生産費だけを稼ぎ出せば良いので、同一労働だろうが同一労働力だろうが、同一賃金を導入できるし、そのときには、女性はもっと働きやすくなるだろう。

2018年11月15日木曜日

0148 日本の雇用と中高年

書 名 「日本の雇用と中高年」 
著 者 濱口 桂一郎 
出 版 筑摩書房 (2014/5/7) 
初 読 2018/11/15 

 自分が労働環境や条件に希求するものが、おおよそ日本の労働行政(国)が進もうとしているものと時代的にも内容的にも軌を一にしていたことに、軽く衝撃を覚えた。
 前著「若者と労働」で縦型「メンバーシップ型」と横型「ジョブ型」の労働類型を分かり易く説明してくれたが、今著では、特に中高年に焦点を当てつつメンバーシップ型の弊害を読み解いていく。
 自分が居心地が良いと感じさえする会社のありようが本質的に過酷なものであることを、噛んで含めるように、教え諭すような本。
 取り敢えず読んでみてくれ、と特に同年代に勧めたい。
 長く生き、長く働くには、どうしたら良いのか。
 メンバーシップ型の無軌道な服従の要請に応え続けることはせず、右肩上がり賃金にはある程度のところで見切りをつけ、ワーク・ライフバランス重視の生活を取り戻し、などなど。
36協定よりも11時間インターバルの方が大事。60歳で定年したのち低賃金で継続雇用するよりは、中高年でももっと若く、柔軟性もあるうちに、働き方を変えて70までは働く。どれもとても重要なことに思える。

2018年11月3日土曜日

0147 若者と労働 「入社」の仕組みから解きほぐす

書 名 「若者と労働 「入社」の仕組みから解きほぐす」 
著 者 濱口 桂一郎 
出 版 中央公論新社 (2013/8/10) 
初 読 2018/11/03 

 
 欧米型労働類型であるジョブ型労働社会と、日本型労働社会類型であるメンバーシップ型労働社会の対比とその異質性に関して詳細に述べられている。
 メンバーシップ型(言い換えれば終身雇用・年功序列賃金体系)は、仕事に最適な能力を持つ人を採用してその仕事に貼り付けるジョブ型に対し、まず人を確保してからその人に社内で仕事を貼り付ける。一方が職から職に人材が移行する、横流れの構造であるのに対し、一方は「入社」から「定年」まで縦に流れる構造。不況時に、ジョブ型では若年者失業者が社会問題となるのに対し、かつての日本では中高年の失業者対策が、労働施策の中心となっていた。
 それが変化してきたのは1990年代の不況に労働市場が急激に縮小し、企業に収納されきれない新卒者が出現してきたから。それでもフリーターと呼ばれた彼らは「(会社という)束縛を嫌う自由で気ままな若者」というレッテルのもと問題が矮小化されて、実際に社会問題=労働問題として意識されるようになったのは、彼ら就職氷河期に出現したフリーターが不安定な身分のまま年長となり、その後の景気回復によって新卒就職できるようになった後から来た新卒との格差が無視できなくなってきた2000年代。
 一方、労働法制は、戦後米国ベースで制定された流れもあり、基本ジョブ型類型を踏襲。法体制と労働実態の乖離があるなか、実効的な労働施策も施さねばならず、その処方箋として、著者が提唱するのは、正規雇用であるメンバーシップ型雇用と、拡大する非正規雇用の間に、ジョブ型正社員を置くこと。

 うーん、まとめきれないが、日本の労働市場が特異だということは良く分かった。その中にどっぷり浸かっているのは一方で安穏だが、無制限の(会社への)奉仕を要求される過酷さも、また実感として良く分かる。
 個人的事情としては、長年、ワークシェアリングが制度化されて、業務量の分散と人間的生活の回復を図ることを願って来たにもかかわらず、不況と聞こえの良い労働力流動化政策によって低賃金の非正規雇用が急速に広まり、短時間労働者である非正規職員との賃金格差が拡大する一方、正規職員の労働強化という波に巻き込まれて過労死寸前。この日本、いやこの会社、どうしたものだか。多分筆者の提案が実現すりゃあいいんだけど。

2018年6月5日火曜日

0121 差別原論 新書367 (平凡社新書)

書 名 「差別原論」 
著 者 好井 裕明 
出 版 平凡社 2007年4月 
初 読 2018/06/05 

 マーカー引きながら久しぶりの真面目読書。部落差別、性差別、障害者・・・とテーマを変えながら私に内在する「カテゴリー」を問いつつ進む。面白かったのは、第四章の「確認」「糾弾」といった闘争型ではない対話の創造。
 たとえ、相手の考え方が差別で歪んだものであったとしても、人の心をこじ開けるような手法は相手の心に傷も残すし、人は痛みから本能的に遠ざかろうと、自分を守ろうとする。
 そのような痛みを強いず、かつ核心に歩み寄る対話で、より創造的な関係性を構築しようという「営み」に大いに共感する。
 例えば駅前で声高に体制批判を繰り広げる人々。 その思想が如何に正しくても、世の中を振り上げた拳で二分するようなスタンスが自分の性に合わない、と思ってしまうのは、自分が年取って保守化したからなのかと思う今日この頃だったのだが(もっとも、そうやって駅前で活動している方々は大抵が私よりもご高齢だ。)私が「闘争」に対置したかったのは、まさにこのような「対話型啓発」だったのか。

 「軽やか」で「カッコイイ」乙武さんとか、まさに時代が作り上げた他者のイメージに乗せられてる著者にクスリとしつつ、著者が語る「普通」のイメージが内包するものがいかに普通でないか、もっと深く問いたい部分は、著者の本をもっと沢山読んでみるべきなんだろうな、と思う。
 それにしても、某愛がなにかを救う番組を評価する声を周囲で聞いたことがないんだけど、あの番組が「すばらしい!」「感動した!」と思っている人ってやっぱりいるんだよね??
 毎年、今年の司会者は〜、とかランナーが〜とか話題になりはじめる時期からすでにウンザリするのだが。