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2022年5月23日月曜日

0348 翼あるもの 下(文春文庫)

書   名 「翼あるもの 下」
著   者 栗本 薫    
出   版 文藝春秋 19855月(文庫初版)
文   庫 362ページ
初   読 1985年?
再   読    2022年5月20日
ISBN-10 4167290057
ISBN-13 978-4167290054

 多分〇十何年まえに読んだはずのこれらの本の中で、記憶の断片が残っているのは、この本だけだった。
 しかし、その記憶ってのが相当いい加減かつアレで、ビール瓶だと記憶していたのが、実はコーラの瓶だったり、ナスではなくキュウリだったり。(何の話だか分からんひとは、深く考えんでよし。) 結構正確に覚えていたのが、“純正の蛋白質”だったりするのが、我ながら恥じ入るところ。
 初読は中学生の頃だったんだけど、この記憶が示すとおり、あの頃の自分に、この本の内容をちゃんと受け止められていたとは思えない。この歳で再読して、なにしろ、凄い本だと思う。

 さて、読み辛かった上巻とは打って変わって、最初の一行から引き込まれる。ムーン・リヴァーから遡って、すでに透ちゃんが愛しくて仕方ないので、六本木のバーのカウンターで、透ちゃんがコートを着たまま震えているだけで、こっちの胸もきゅっとなる。

“彼は、植えかえられたサボテンのように、不幸そうだ。”

 って透の目からみた巽の形容がまず目に止まる。このわかりにくさに速攻でツボる。植え替えられたサボテンって・・・・・? サボテン、植え替え難しそうだよね。枯らしちゃいそう。島津さんの趣味もサボテン栽培だったりするし、栗本サンもサボテンが好きだったのかな。
 

 赦そう、と心のどこかにそっと透は思った。人が人であり、良が良であり、そしてオレがオレであること。このようにしか在れず、(かれ)がそのように在って、それゆえに透か長い自分のため闘いに疲れはててここに座っていること。・・・・・・

 巽を愛している、と透は思った。この(時)を愛するように、(かれ)を愛するように、(かれ)を愛するすべての──そして透を選ばなかったすべての人を愛するように。たとえいまこのときだけだとしても。(p.117) 

 その日かれは巽に長い物語をした。口に出した切れはしもあったし、ことばに出さず、ただ胸の中でだけ、ささやきかけた思いもあった。喫茶店を出ると並んで元町を歩き、それから小さな店をひやかして歩いた。巽が透に銀の風変わりな指輪を買いたがるのをやめさせて、美しい透かし細工の柄のついた、細身のペーパー・ナイフをねだった。象牙の刃身に、するどい銀の刃がかぶせてある。贈り物にナイフはいけない、ふたりの間を断ち切るから、という云いつたえを、巽は知っていないようだった。透が切りたかったのは、巽を(赦す)ために邪魔になる、信じるからこそ裏切りをいきどおる人のならいの(心)そのもの、であったかもしれない。(p.118) 

 時はひたすらに流れてゆけばいいのだった。思いはとどまるだろう。口に出さぬ物語をして、透は、二十五年、ひとりで持っていたすべての思いをその思い出ごと、巽に預ける夢を見た。(p.118) 

(お前は、誰だったのだろう)透は、良、などという人間が、本当にいたのだろうか、とふと疑ってみる。ひょっとして、良は、ひとびとの(思い)そのものではなかったのか。

 巽の朴訥でおおらかな情と熱に包み込まれて、だんだん、凍りついた透の心が解けてくる。その中で、自分が(今のような)自分であること、良が良のような存在であること、を受け入れて、ありのままを赦そうと思う。そのような変化を彼に与え、今も透を守り通す自分であることを信じて疑わない巽を、透は、その巽の思いが永続するものではなく、移ろいやすく壊れやすいものでしかないことも確信しながら、その存在を愛する、と思う。のちに島津が《聖母マリア》と形容する透のその愛の片鱗が初めて見える一節。

 幸せとは言えなかった自分の25年の人生の苦しみを、巽に預けるように手放すことで、透は大人になろうとしている。と思った。しかしその後の道のりも、それはそれは厳しく残酷なものなのだ。

 ラストの、透の中の《良》の虚像が崩れたあとの、風が吹き抜け、透の周りの空気が動く(と感じられる)描写が、あまりに光と希望に満ちていて、あまりにも清々しくてまた、切ない。その身を投げ出すようにして透が守ろうとした巽はこの後、事もあろうに良に殺されてしまうことになるわけだが、この本の中では、そのシーンまでは語られないのも、そうと知っている読者には悲劇の予感が大きすぎる。透はどれほど狂乱したことだろうか、読者の想像にお任せとは。それにも関わらず、このラストは希望と期待に満ちているのだ。なんてことだろう。

 野々村の御大は、この本だけ読むと、特に出だしは卑猥で助平な役得づくの脂ぎったイヤな野郎なんだけど、この男の情の厚いまめまめしいところも知っていると、なんともいえない人間の業の深さを感じる。島津さんも、ほんとただのサディストだけど、この後、透の面倒を見続けて、『ムーン・リヴァー』に続いていくからねえ。『アイ誕10週連続勝ち抜き』っつう企画は、いっくらなんでもベタ過ぎるだろう、と苦笑しか沸かないんだけどさ。


2022年5月20日金曜日

0347 翼あるもの 上(文春文庫)

書   名 「翼あるもの 上」
著   者 栗本 薫    
出   版 文藝春秋 19855月(文庫初版)
文   庫 353ページ
初   読 1985年?
再   読    2022年5月20日
ISBN-10 4167290049
ISBN-13 978-4167290047


 読書メーターやAmazonのレビューをざっと見るに、BLから入って源流に遡るみたいに、いわば、その道を極めるために古典を読むみたいにして、この本を手に取る人が一定数いるみたい。

 当時この道を表現する隠語が「やおい」だったり「風木」だったり「June」だったりした頃の耽美で背徳的で不健康で、少し背伸びしていて、親には絶対にヒミツだったりしたあの空気感は、昨今の元気で健康でオープンで幸せな感じのBLにはないなあ、とノスタルジーに浸りつつ、〇十年ぶりの再読。

 あの時代があってこそ、今の日本のLGBTQがあるんだろうかね。性的マイノリティの知識を一般に広げる一助にはなったんだろうか、それともかえって、偏見を助長したのだろうか。あの頃は「美少年」愛だったものが、今はちゃんと大人の恋愛になっているのにも、ジャンル的な成熟を感じる。

 

 と、そういう往年の読者っぽい感慨はさておき、内容的には、ジャズやロックの蘊蓄とTV業界のウラ側と、風間視点のスター理論と、偶像化・美化された今西良に対する賛辞と耽溺の大渦巻きです。風間の独白になんとか移入できるまでの前半はもう、読んでてツライ。風間さん。あんた、人間の中身をなんも見とらんだろう? 人間はロマンチシズムや熱狂だけでは出来てないぞ。と。だがしかし、中盤過ぎて、そんな風間に慣れてしまったものだか、なんと引き込まれてしまった。凄いぞ、栗本サン。そしてラストの大惨事。わたしゃ、森田透推しなせいか、どうにもジョニー命の風間はおバカで好きになれなかったのだけど、だんだん彼に同情心も沸いてきました。

 

 逆説的になるかもしれんが、この話には今西良という青年本人は登場しないのだ。

 登場するのは、風間のイメージの中にある、今西良という姿をとった偶像。聖なるミューズに対しては全てが赦されるのだ、という独善的な妄想と妄執によってすべてが正当化され、個人個人の入れ込みが狭い集団内で強化されて、悪魔教的な共依存によって生み出された蠱惑的なアイドル像である。

 良本人が何を思っているのか、何を望んで何を望まないのか、何が出来て、なにが出来ないのか、なんてのはどーでも良い。良にとっての安定や幸福の所在、なんでいうのもどうでもよい。外形的な美しさとその外形がまとう、薄幸で不安定だからこそ生まれるエネルギーの発光こそが、なによりも彼に“心酔”する連中にとっては大事なのだ。世の中を席捲するアイドル、夢の世界の象徴としての“今西良”であり、自分勝手でお子様でワガママなのに金と権力と追従だけは有り余るほど持った卑小な人間の集団妄想としての“今西良”である。

 アイドルとはどんな存在なのか。それが少しわかるような気がしてくる狂るおしい小説であった。

 私は、小説を読む時に「人」を読みたい思うので、この本では今西良、その人を知ることができないのが隔靴掻痒の感がある。また、風間を「知り」「理解したい」と思うかというと、そういう趣味はない。私は良に、風間のイメージを通してではなく、良本人に感情移入してみたい。

 余談ながら、私は未だかつて、“アイドル”というものや“スター”というものに熱狂できたことがない。芸能人は『芸』を鬻ぐのが仕事なのだから、こっちは『芸』を受け取れば良い。

歌手なら『歌』、俳優なら『演技』が良ければそれでよし。それ以外のもの(例えば私生活)には興味も無いし、周囲の人たちがアイドル歌手にキャーキャーするのが素で理解できなかった人間なので、なんというかこの小説の世界はある意味新鮮だった。人間の妄想ってのは、際限がないし、ほんとしょーもねーなあ、と思うとともに、それが優れた作品になるってことにもある意味感動。

 そうそう、3次元の生きた人間に妄想してキャーキャーすることはできないが、2次元であれば私にも可能だ。(初めから妄想の産物だからかも。)


なお、前書きで著者の栗本薫氏は以下のように書いている。

「前作は多くの無理解と誤解と反発、少しの支持と理解とを得た。この作品もそうであろうと思う。しかし、読者に本を選ぶ権利、批評する権利があると同様、ほんとうは本にも読者を選ぶ権利がある。この本はほんとうは、「真夜中の天使」を読み、その新に云わんとするところを、表面的な特殊さをこえて理解して下さった方々だけにしか、決してほしくないし、多く売れることも、ベスト・セラーになること、批評に取り上げられることも少しも望まない。むしろ八割方の男性読者には、なるべく読まないでくれるようにお願いしたいほどだ。しかし、読まれ、誤解されることナシには共感と知己をうることもまたない。ただ、表面にあらわれたことばや題材に目をうばわれ、目をそむけ、あるいは石を投げる人には、私がこれらの作品群で云おうとした真実のテーマは、決して胸の中に届くことはないであろう。どのみちそうした読者のことばが私の胸に届くこともまたないのである。」


 著者にとって、私が望ましい読者であるか、著者がほんとうに理解してほしいと欲したことを受け取ることができたのか、という点については、非常に心許ない。だが、著者の思惑をこえたものを、時には読者に与えることになるのも、小説作品の妙だと思うので、私のつたない感想も赦していただけたら、と思う次第である。



2021年6月16日水曜日

0276-77 12番目のカード 上・下(文春文庫)

書 名 「12番目のカード 上」「12番目のカード 下」 
原 題 「The Twelfth Card」0000年
著 者 ジェフリー・ディーヴァー
翻訳者  池田 真紀子
出 版 文春文庫 2009年11月 
初 読 2021年6月15日 
文 庫 上:383ページ  下:430ページ
ISBN-10 上:416770580X 下:4167705818 
ISBN-13 上:978-4167705800 下:978-4167705817 
 
 相変わらずあざといなあ。
 殺し屋と共犯の配置といい、読者を騙す気満々のジェフリー・ディーヴァーである。
 中盤まで、どうもお話に乗り切れず、面白さを感じられなかったのだが、多分理由は二つある。
その① ディーヴァーの引っかけを警戒しすぎている。(笑) ちょっとした言葉やセリフの端々が気になりすぎ。 
その② ディーヴァーの黒人文化の解説が面白くない。政治的公正が社会全体として求められるせいだろうか。内側に入っているようで他者的。情熱的なようで、冷静。解説的なんだよな。
 殺人犯の身体的特徴(足を引きずる)を似せていることが、読者を混乱させようとする気、満々。表紙の〈吊された男〉の隠喩も気になる。目の前で証言を取っていた女性を射殺されて、衝撃を受けたセリットーの先行きはどうなるのか? 登場したてのルーキー警官、プラスキーがまさかの初回撃退?といろいろと心配。(もっとも、この後のシリーズを先に読んでいるので、彼らが元気に活躍しているのは知っているのだが。) シリーズ最初に出てきたルーキーは誰だったっけ? ジェリー、彼みたいにいなくなりませんようにと、願わずには居られないのだ。だけど、いまだにジェリーが隻腕のカッコイイ切れ者刑事になってライムの前に立ち現れるのを心底期待している。

 さて、下巻に入ってからは、テンポもよく、一件落着したかに見えたところで、あと五分の一ほどページが残っているので、さらにどんでん返しか?と思うと案の定。
 
 今回は、と読者を騙すためだけに配置されたグラフィティ・キングがとにかくあざとすぎるし、新犯人の動機があれだと、弱いような気もする。自分の「職」ではあるが、自分の財産では無いわけだし、あの男は職や地位にしがみつくには少々スレすぎているように思える。
 一方で、最初は年齢にそぐわない冷静さと知性を見せていたジェニーヴァがどんどん歳相応の少女になってきたのは好ましかった。全体を通してみれば、なかなか面白かったな。ラストのライムの黙想が秀逸。(ハンス・ウルリッヒ・ルーデルの『急降下爆撃』の〆の1行を思い出す。)


“自分を完全な人間とみてそのように生きるか、不完全な人間とみてそのように生きるか、それを決めるのは、自分自身だ。”

2018年11月18日日曜日

0149 働く女子の運命

書 名 「働く女子の運命」 
著 者 濱口 桂一郎 
出 版 文藝春秋 (2015/12/18) 
初 読 2018/11/18 

 この著者の本を3冊続けて読んだが、同じジョブ型、メンバーシップ型雇用を取り扱いながら、若者、中高年、女性と切り口を変え、それぞれ新しい発見があった。3冊分のまとめとしてかなり長いが考えをまとめておく。

① 世界標準の職務給ではない家族給・生活給という給与形態を日本の産業界と労働運動が手を携えて成立させてきた過程と、日本の雇用の姿(その中で女性の労働がどのように変遷してきたか)を確認。こうして戦前から現在に至る雇用の形や法制を見ると5年10年単位で世の中の意識が結構ダイナミックに変わっていくものなのだと知った。

② 生活給としての年功序列賃金が戦前の国家社会主義の勤労報国の形を雛形としているとか、日本のマルクス主義経済学と生活給の怪しい関係とか、日本の労働運動がむしろ女子差別と表裏の関係にある年功賃金を助長する働きをしてきたとか。社会主義ならぬ会社主義とかバッカジャネーノ?また70年代以降の知的熟練論についてはその論客である小池氏の理論があまりにも馬鹿っぽいが、原文に当たらずに批判をするのは他人のふんどしで相撲取るようなものなので控えておく。それにしても気持ち悪い歴史が盛りだくさんだ!

③ 80年代以降は自分の記憶にも残っている。90年代、平成不況到来で非正規化する男性労働者が増大して非正規雇用の問題が拡大する一方で、これまでの「一般職(=職場の花)」は募集そのものが無くなり、その業務は安価な派遣社員に移行。少子化ショックが育児休業充実の原動力となるが、なし崩し的に問題が少子化や非正規雇用問題に遷移する一方で、働きつづける女性の出産年齢の上昇も課題。

 最後に著者からの問いかけ、「マタニティという生物学的な要素にツケを回すような解が本当に正しい解なのか」に対する、私の回答は以下のとおり。 

 ジョブ型への移行は、社会保障のあり方と表裏一体であること。
 同一労働同一賃金を実現するためには、給料から生活給の部分をそぎ落とし、職務給として純化していく必要があるが、その為には次世代育成すなわち中長期的な社会の維持発展に要する費用を給料から切り離す必要がある。これらの費用は公的に負担され、その社会のメンバー(もちろん会社も含む)が税金という形で公平に分担することになる。(著者が引き合いに出すEUなどでは、むろん、子育て手当や教育無償化は充実している。) 
 健全な次世代の育成は社会が維持発展するために必須であり、その負担は社会全体で賄う必要がある。この点を明確に要求して実現させるのとセットにしない限り、今の日本の社会システムの中では、ジョブ型や職務給導入の議論は意味不明なものになりかねないだけでなく、単純な低賃金化や労働強化に繋がりかねない。
 ごく単純に考えて、子育てと教育に要する負担が社会化されれば、あとは自分の再生産費だけを稼ぎ出せば良いので、同一労働だろうが同一労働力だろうが、同一賃金を導入できるし、そのときには、女性はもっと働きやすくなるだろう。

2018年5月9日水曜日

0108−9 バーニング・ワイヤー 上・下

書 名 「バーニング・ワイヤー 上」「バーニング・ワイヤー 下」 
著 者 ジェフリー・ディーヴァー 
翻訳者 池田真紀子 
出 版 文春文庫 2015年11月 
初 読 2018/05/09
 電気が怖い。電気の怖さって放射線の怖さと近いかもしれない。
 アメリアが感電するわけない、と思っていても、アメリアと一緒にドキドキびくびく。こんなにスリリングなのは久しぶりだ。
 現代社会と切っても切り離せない“電気”の怖さをまざまざと教えてくれる。それにしても、アメリアや捜査員たちは安全靴履いてないんだろうか? 厚手の安全手袋と安全靴くらい、今回は必携して!お願いだから! 

 今回は、ジェットコースターのハラハラと一気読みの醍醐味を堪能した。ボーンコレクターと同じく、今回もライムがいなければそもそも発生していなかった惨事ではある。
 そしてその犯罪の凄惨さゆえに、終盤のライムと犯人の、なにかさわやかな相通ずるものに若干違和感を持ったのも事実だが、それにも勝る電気犯罪(?)の大迫力と恐怖感が尋常じゃない。
 しかもこんなことが案外簡単に起こせそうでなお、怖い。クラウドゾーンのお笑い沙汰は良い味出してる。
 今回は本筋もさることながら、デルレイが本当に心配だった。ラストのあざとさはいつも通り。 
 途中で発見された遺留品で犯人がわかってしまうよね。だけど、一体どうやってあっちとこっちで犯罪を引き起こすのか、そこがさっぱりわからなかった。交換犯罪? それとも遠隔操作?共犯?私の予想はスカッっと大外れだった。

2018年5月6日日曜日

0106−7 ウォッチメイカー

書 名 「ウォッチメイカー 上」「ウォッチメイカー 下」 
著 者 ジェフリー・ディーヴァー 
翻訳者 池田真紀子 
出 版 文春文庫 2010年11月 
初 読 2018/05/06
 例によって初めから名前まで分かっている殺人犯。
 残忍な手法で淡々と殺人を進めるソシオパス的人格と、短絡的病的レイプマニアの組み合わせ。おかしい。これで上手くいくのか?菓子の食い散らかしに唾液でも付いてんじゃないのか?と色々気になる。
 アメリアの方はといえば、前作で出世をふいにしたというのに、今度は副警視に目を付けられて大丈夫?
 キャサリン・ダンスはこの巻で登場。警察内部の不正と連続殺人、どのように絡んでくるのかまだ先が見えないまま、下巻へ。 
 さて、全体的にみて。大変評価の高い作品ではあるものの、私的いはいまいちだった。
 ウォッチメイカーの計画が複雑になりすぎて、要所要所の種明かしをほとんどディーヴァーの語りで聞かされる、というのがミステリの仕立てとしては本末転倒。
 ライムの頭脳がかりかり音を立てて回るようなシーンがもっと欲しかった。
 全部ディーヴァーが語っちゃうから、どんでん返しの醍醐味もどこへやら。あの偽装犯罪は、本命の犯罪を実行する上で必要不可欠だったのかな?装飾過美で作り過ぎな気がする。ピッキングの侵入テクと原子時計テロ疑惑くらいで十分だったような気がする。とはいえ、実はバーニングワイヤーを読む為にこの本を読んでいるのだ。次は、バーニングワイヤーに行きます。

2018年5月3日木曜日

0104−5 魔術師 上・下

書 名 「魔術師 上」「魔術師 下」 
著 者 ジェフリー・ディーヴァー 
翻訳者 池田真紀子
出 版 文春文庫 2008年10月 
初 読 2018/05/03 

 

 これまでのシリーズで一番面白いかもしれない。という予感がする。
 初めから犯人が割れているのが、不安(笑)。この人じゃないんじゃないの?とつい思ってしまうのは、コフィンダンサーの後遺症だ。結構グロい連続猟奇殺人だが、奇術やイリュージョンの味付けのせいか、ボーンコレクターよりはおどろおどろしくないような。奇術やミスディレクションの解説が興味深い。
 今回はライムがずいぶんとイジメられて、彼がいじらしく思えてきた。
 愛国同盟の事件がね。地方検事がね。。。。気になって仕方ない。
 カーラが最後まで元気でいられるのか、ソニー・リーやジェリー・バンクスの二の舞にならないか、心配でしょうがない。そういえば、ジェリーはもう、出てこないのだろうか。どこかで隻腕の刑事に成長して再登場してくれないものか、とまだ期待している。

 下巻を少し読み進めた所で、ひとつ考えてみる。
 魔術師は、愛国同盟の裁判に焦点をあてたテロから目をそらすための、陽動に利用されている!ってのはどうだろう?

 今回は読むのがイヤになるほど証拠リストが長かった。
 そもそもこんなに証拠を残していく犯人の迂闊さが不審だったが、だいたい、ディーヴァーはこっちがなんだか迂闊だなあ?とか詰めが甘いなあ、とか思ったところは大概そこがキーポイントになってどんでんが来る。
 下巻早々逮捕される犯人、殺される犯人、ええ〜これどうなるの?そう来るか!そしてさらにええ〜っとなって、おおっとお、となって。結構読めたと思ったのだけど、最後のどんでんはなあ。一番感銘を受けたのは、・・・・・いいや、これは書かずにおこう。すみません、途中の読みは大外れでした(笑)。でも今回も面白かった〜。

2018年4月28日土曜日

0102−3 石の猿 上・下

書 名 「石の猿 上」「石の猿 下」
著 者 ジェフリー・ディーヴァー
翻訳者 池田真紀子氏
出 版 文春文庫 2007年11月
初 読 2018/04/28

 
 
 今作は、中国人不法移民と蛇頭の暗殺者が相手。
 中国人コミュニティの独特な雰囲気はきっと日本の華僑社会にも相通じるんだろうなあ、と思いながら読む。中国の文化や中国人のモノの考え方が分かって面白い。まったく真新しいというものでもないけど。
 ちょっと蛇頭が移民船に同乗した流れがストーリーとして弱いかな、と思ったのだけど、ディーバーの場合、こういうちょっとした違和感は実は伏線やら引っかけの場合が多いからな。下巻への引きは相変わらず天下一品。こんな終わり方をされたら、続きは明日読もう、とか無理!
 リーがどんどん危険に近づいていくところが心臓に悪い。あああ良い奴だったのに。
 最初から怪しいと思っていた奴がやっぱりだけど、あれ、こんなにページ残ってるのにいいの?まだ5分の1はあるぞ。いやこれはまだ一回や二回はひっくり返されるぞ、と大いに警戒する(笑)。
 まだあるぞ。くるぞくるぞ〜。。。。。いやいや、これ以上のネタバレはすまい。
 ディーヴァーにしては思いの外、ストレートな筋立てだったと思った。大どんでん返しというよりは、この前読んだ短編集みたいな小技が効いていた。最初の違和感がやっぱりだった。少し、ディーヴァーになれて来たような気がして嬉しい。

2018年4月23日月曜日

0100−1 エンプティー・チェア 上・下

書 名 「エンプティー・チェア 上」「エンプティー・チェア 下」 
著 者 ジェフリー・ディーヴァー 
翻訳者 池田真紀子氏 
出 版 文春文庫 2006年11月 
初 読 2018/04/23 
 
 

 上巻は、都会派ライムにしては意外にも泥臭く土臭いのでどうにも興が乗らず、1年越しの細切れ読書となっていたこの本。どうしてもバーニング・ワイヤーまで読みたくて頑張った。サックスったら思い切った事するな〜、ってところで下巻へ。
 だがしかし!いや〜面白いじゃないか!全2作(やや記憶が遠いが)と較べて、肉弾戦、銃撃戦のスリル。そしてなんとライムvsサックスの頭脳戦。追いつめられれば追い詰められるほど、よけいな思いがそぎ落とされてあらわになるライムの愛。
 ライムとサックスそれぞれの相手に対する劣等感から生じたすれ違いは、こんな風に追い詰められなければ乗り越えられなかったのかな。
 それに昆虫少年が、どんどん普通の少年になり、それからどんどん超優秀な少年に変貌(本人が変わったのではなく、見ている方の見方が変わっていくのだけど)が面白かった。
 残りのページの厚さで展開が読めないのがディーヴァーではあるが、ラストはちょっとあざとくないかい?と思わないでも。 
 その前のどんでん返しは途中で、あ、これライムがよくやるやつだ、と気づき、オサレな黒人が出てきたときには、あ、こいつアレだ、と気づき。でも結構最後の方まで、某氏が悪者だと思い込まされていた。いやあ、やっぱりライム、面白いわ〜。

2017年12月24日日曜日

0079 クリスマスプレゼント

書 名 「クリスマスプレゼント」 
 著 者 ジェフリー・ディーヴァー 
翻訳者 池田 真紀子 
出 版 文春文庫 2005年12月 
初 読 2017/12/24

 素敵な表紙とタイトルからなんとなくロマンチックな短編集を連想して読み始めたのだが、中身はいつものディーヴァー。全編犯罪まみれ、登場人物は悪人と極悪人と善人少々。
 裏切りとどんでん返しの応酬で、読み終わるころには弱冠人間不信になるのは必至。いつ何処で騙されるか、と警戒しながら読むのに、ええーそこですか?となる。(笑)
 中でも『三角関係』はびっくりした。あとから考えれば単純な引っかけなんだけどね。

 普段短編は余り読まない。しかし、これは厚さの割にサクサクよめて、とても面白かった。中に、ライムシリーズの短編が入っている。このタイトルが「クリスマス・プレゼント」これはファンにとっては、まさにクリスマスプレゼントな掌編。実際登場するクリスマス・プレゼントは背筋に冷や汗ものだったんのだけど。

2016年12月15日木曜日

0011-12 コフィン・ダンサー

書 名 「コフィン・ダンサー 上」「コフィン・ダンサー 下」
著 者 ジェフリー・ディーヴァー 
翻訳者 池田真紀子氏 
出 版 文春文庫 2003年5月

ディーバーに慣れたのか、こちらの方が前作よりも真っ当な(笑)推理小説だったからか?最後まで安心して楽しめた。オマケに話中で心に傷を負ったサックスもベルもちゃんと救済する親切設計。ラスト、黒幕を撃ったのは誰なんだ!まさかトム?カッコ良すぎじゃないか!と一瞬勝手にときめいてしまってから、ベルさんだと判り、そりゃそうだよなと納得したり。最後の最後までどんでん返しを堪能した。それにしてもライム。恋多き男だねえ。

2016年12月14日水曜日

0009-10 ボーン・コレクター 上・下

書 名 「ボーン・コレクター 上」「ボーン・コレクター 下」
著 者 ジェフリー・ディーヴァー 
翻訳者 池田真紀子
出 版 文春文庫 2003年5月

 究極の安楽椅子探偵。ライムのひねくれ具合に魅了されてしまった。こんなのが現実に自分の隣にいたら耐えがたいかもしれないと思うのだけど、それでも誠実で(ある意味)素直な人だと思えてしまうところが、小説だなあ、と。「ボーンコレクター」という名前が唐突に出てきたのには若干驚いた。唐突すぎない?もっと骨のネタを積み重ねて、ライムか捜査班が命名するものとばかり思っていたよ。登場人物皆々、キャラが立っていて素敵。一番のお気に入りは、クーバーとドビンズだな。ライムへのさりげない気遣いや優しさがしみる。
ラスト、まさかの肉弾戦に笑ってしまう。真犯人はこいつだったのか〜!とかの驚きよりもただただライムの顎の強さに唖然(笑)。これだけ緻密にストーリー組み立ててきて、最後の最後に考察も検証も投げ捨てる展開の思い切りの良さに、その衝撃も込みで感服した。ライムの歯が折れないで良かった。ライムとサックスの未来に幸多からんことを!