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2022年8月11日木曜日

0380 猫に知られるなかれ (ハルキ文庫)

書 名 「猫に知られるなかれ」
著 者 深町 秋生       
出 版 角川春樹事務所  2016年10月
文 庫 365ページ
初 読 2022年8月9日
ISBN-10 4758440441
ISBN-13 978-4758440448
読書メーター  https://bookmeter.com/reviews/108223639
  
Cedant arma togae, concedar laurea laudi.
武具は市民服に従うべし。月桂冠は文民の誉れに譲るべし。「キケロー選集〈9〉哲学Ⅱ」

 戦後の日本の再生のために、旧日本陸軍諜報部将校らにより密かに結成された諜報機関CAT。その意は「武具は市民服に従うべし。」

第一章 蜂と蠍のゲーム
永倉一馬を藤江忠吾がCATにスカウト。永倉は抵抗しつつも巻き込まれ、GHQ将校を狙う旧陸軍残党との闘いに臨む。

第二章 竜は威徳をもって百獣を伏す
藤江忠吾、本名平塚三郎 長崎出身。陸軍中野学校出身の情報士官。敗戦後の引き上げてきた鹿児島港でMPに捕らえられ、東京に連行される。散々抵抗して血の気の多い米軍情報将校を煽り、願わくば(日本軍人として)銃殺されることを期待したが・・・・。

第三章 戦争の犬たちの夕暮れ
それぞれの敗戦。業火に巻かれて死んだ市民。命からがら日本で生き延びたもの。遠く大陸で死んだもの。なんとか復員できたもの。そして、さらに遠くの極寒の地で辛酸を舐め尽くしたもの。日本の焼け荒れ果てた姿を目の当たりにして願うのは、ただ、肉親の無事だった。
 
第四章 猫は時流に従わない
池袋界隈の闇市での再会。永倉の幼なじみであった元大尉が登場した時点で、イヤな予感しかしない。だがしかし、永倉が良い漢だ。いくらでも続編が書けそうな話ではあるが、続きは出ていないようだ。このくらいの余韻で終わっていたほうが良いのかも知れない。

【この本を読みながら、ついでに仕入れた雑学】
 敗戦直後の焼け野原の東京で、飢えながら必死に生き延びる日本人と、君臨する占領軍。米軍に接収されて通りの名前まで変わった丸の内界隈。(冒頭の丸の内の地図は必見。)代々木の旧陸軍練兵場は、米軍に接収されて中位の米軍将校のための住宅「ワシントン・ハウス」に。内側は日本政府の財政負担で立てられた日本製の米風住宅、外周を塀で閉ざされたこの地区は、サンフランシスコ平和条約後も都心近くの在日米軍住宅として残ったが、後に東京オリンピックの際に日本政府に返還され、米軍住宅はそのままオリンピック選手村として利用された。現在の代々木公園、国立代々木競技場、国立オリンピック記念青少年総合センター。朝鮮戦争当時、アメリカ合衆国大使館軍事援助顧問団(MAAG)の職員として来日し、ワシントン・ハウスに住んでいたジョン・ヒロム・キタガワが、日本人少年達をあつめた少年野球チーム「ジャニーズ少年野球団」を作り、ここから初代ジャニーズの4人が芸能界デビューし、喜多川はジャニーズ事務所を設立。東京のそこここに、今は目に見えない「敗戦後」の日本の記憶がある。まだ、戦争の記憶が新しかったはずの子どものころより、今のほうが、戦後の時間のつながりを濃く感じるのが不思議だ。

緒方竹虎(ウィキペディアより)(明治21(1888)年1月30日生—昭和31(1956)年1月28日没)
 日本のジャーナリスト、政治家。朝日新聞社副社長・主筆。自由党総裁、自由民主党総裁代行委員、国務大臣、情報局総裁、内閣官房長官、副総理など歴任。
 戦前は朝日新聞社の主筆、副社長を務め、2・26事件にも遭遇。戦中の1944年、国家の情報宣伝を行う情報局の総裁に就任。戦後は公職追放を受けたが、解除された後、衆院選に当選。第4次吉田内閣の内閣官房長官に就任し、保守本流の形成に尽くした。首相候補とも言われたが、56年に急死。

2022年1月10日月曜日

0314ー15 ハイラム・ホリデーの大冒険(上・下)ソフトカバー単行本

書 名  「普及版 ハイラム・ホリデーの大冒険 上・下」
著 者 ポール ギャリコ  
翻訳者 東江 一紀  
出 版 復刊ドットコム 2014年4月 
文 庫 上巻/197ページ 下巻/225ページ        
ISBN-10 上巻/4835450515     下巻/4835450523  
ISBN-13 上巻/978-4835450513 下巻/978-4835450520
初 読 2022年1月10日 
読書メーター    
“人間は誰でも、程度の違いはあるが、二重の人生を営んでいる。自分の頭の中にある自分の人生と、友人や同僚の目にうつった自分の人生だ。”
 東江一紀さんの翻訳による児童書、ということで目を引いた作品。主人公は冴えない小太りの中年男でこの冒険譚!しかも1939年の出版でこの内容。よくぞ書いたり。

 東江さんによる「訳者あとがき」は必読。この作品が書かれた時代背景が簡略に述べられていますが、あの当時の情勢を、アメリカで創作活動をしていたポール・ギャリコが的確に捉えていたのはすごい慧眼だと思う。さすがは記者、というか、ギャリコの父はイタリア人、母はオーストリア人で、アメリカに移民したというから、父祖の地の当時の情勢に人一倍敏感だったのかもしれない。(このあたりの事情は下巻の解説に詳しく書いてあった。)
 見栄えもしない冴えない中年の米国人であるハイラム・ホリデー氏に連れられて、イギリス、フランス、チェコスロバキア・・・・(ここまでが上巻で、下巻ではドイツからオーストリアを経てイタリアに向かう。)とヨーロッパを股にかけた冒険を追いかけつつ、ハイラム氏とともに、ナチス・ドイツの暗雲がヨーロッパを覆い尽くすのをひしひしと感じる。その危機感を大西洋を挟んでまだまだ暢気な米国に伝えたようとしたのだろう。アメリカが参戦するのはここから3年後の1941年。日本による真珠湾攻撃を待つことになる。
 下巻は、いきなりハイラム・ホリデーの死刑宣告?! と刺激的な展開となる。ハイラムは、ベルリンに入った当日に“クリスタル・ナハト”を目撃する。目撃するだけでなく、ガマンしきれずに衝動的にSS(?)に殴り掛かり、居合わせた血に飢えた群衆になぶり殺しにされそうになる。そこに助けに割り込んだ絶世の美女。ハイラムは勢いにまかせて・・・・・大人の世界に突撃だ!(これ、児童書だったよな??)
 その後のオーストリア編では、これはサウンド・オブ・ミュージックの原型では?と思えるような、民謡を聴かせるレストランからの逃亡劇して教会の墓所へ身を隠し、決死のアルプス越え。いやすごい。重ねていうが、1939年の作品なのだ。
 そして、ローマ編。ハイラムは、彼の命を奪わんとするファシスト達の陰謀で、後に引くことのできぬ決闘に引き込まれる。。。。。

 下巻の解説を読めば、ハイラム・ホリデー氏が著者ポール・ギャリコの、かくあれかし、という夢の人格であることが判る。まさに冒頭の、“人間は誰でも、程度の違いはあるが、二重の人生を営んでいる。自分の頭の中にある自分の人生と、友人や同僚の目にうつった自分の人生だ。”という一文のとおり。


【第二次世界大戦 概略(アメリカ参戦まで)】
  1936年11月25日ドイツと日本帝国による防共協定
1937年7月7日日本が中国に侵攻(盧溝橋事件・日中戦争)
1938年3月13日アンシュルス(ドイツがオーストリアを併合)
9月29日ミュンヘン協定(ドイツ、イタリア、英国、フランス)。チェコスロバキア共和国の
スデーテン地方のドイツへの譲渡(※作中P.28の「ゴーデスベルグの会談」がこれ)
11月9日クリスタル・ナハト(水晶の夜)
1939年3月14日〜15日スロバキアは独立を宣言、スロバキア共和国を結成。ドイツはミュンヘン協定に反
してチェコの残りの領域を占領し、ボヘミア・モラビア保護領を結成
3月31日フランスと英国がポーランドの国境を保障
4月7日〜15日  イタリアによるアルバニアの侵攻および併合
8月23日独ソ不可侵協定および秘密議定書の調印。東ヨーロッパの分割
9月1日  ドイツのポーランド侵攻。ヨーロッパにおける第二次世界大戦が勃発
9月3日  英国とフランスがドイツに宣戦布告
9月17日ソ連が東からポーランドに侵攻
9月27日〜29日ワルシャワ降伏。ポーランド政府はルーマニアに亡命。ドイツとソ連は両国間で
ポーランドを分割
11月30日
〜翌3月12日
ソ連のフィンランド侵攻(冬戦争)。フィンランドは休戦を求め、ラゴダ湖北岸
と北極海沿いの海岸線地帯をソ連に譲渡
1940年4月9日
〜6月9日 
ドイツがデンマークとノルウェーに侵攻。デンマークは即日に降伏。ノルウェー
は6月9日まで抵抗
5月10日ドイツがフランスおよび中立の低地帯諸国を攻撃。ルクセンブルクを占領
5月14日オランダ降伏
5月28日ベルギー降伏
6月22日フランスが休戦協定に調印。これによりドイツはフランスの北半分と大西洋海岸
線地域全体を占領。ヴィシー政権樹立
6月10日イタリアが参戦。イタリアは6月21日に南フランスに侵攻
6月14日〜ソ連がバルト海沿岸諸国を占領、8月にはそれらの国をソ連に併合
9月13日イタリアがリビアから英国支配下にあるエジプトに侵攻
9月27日ドイツ、イタリア、日本が三国同盟に調印
10月28日イタリアがアルバニアからギリシャに侵攻
11月 スロバキア、ハンガリー、ルーマニアが枢軸国に加盟
1941年2月ドイツが北アフリカにアフリカ軍団を送り、イタリア軍を援護
3月1日ブルガリアが枢軸国に加盟
4月6日〜6月 ドイツ、イタリア、ハンガリー、ブルガリアによるユーゴスラビアの侵攻および
分割。4月17日ユーゴスラビア降伏。ドイツとブルガリアはイタリアを支持して
ギリシャに侵攻。ギリシャの抵抗が1941年6月初旬に終わる
6月22日〜11月 ドイツと枢軸国パートナー(ブルガリアを除く)がソ連侵攻。冬戦争の休戦での
領土喪失の救済を求めるフィンランドは、侵攻の直前に枢軸国に加盟。ドイツは、
バルト海沿岸諸国を制圧し、フィンランドと協力して、9月までにはレニングラー
ドを包囲。
12月6日ソ連の反撃によりモスクワ郊外からドイツ軍が撤退
12月7日真珠湾攻撃
12月8日米国が日本に対して宣戦布告し、第二次世界大戦に参戦。
太平洋地域の第二次世界大戦勃発

2021年12月25日土曜日

映画『ユダヤ人の私』 ドキュメンタリー



マルコ・ファインゴルド氏。1913年生まれ、2019年没。

 ハンガリーで生まれ、ウイーンで育つ。4人兄妹の3番目で、2人の兄は収容所で殺害され、妹は戦争終了まで身元を隠して生き延びたにもかかわらず、終戦直後に行方が判らなくなった。彼は一家のたった一人の生き残りである。
 このドキュメンタリー映像は、亡くなる直前の2018年から19年の収録されたものだそうで、106歳とは思えぬしっかりとした語り口で、淡々と「ユダヤ人」としての彼の生が語られる。

 家族で幸せだった子ども時代。奔放な10代から20代前半。仕事が無かったオーストリアを離れて兄とイタリアに行き、商売をして成功したが、パスポートの期限が切れるためにオーストリアに一時帰国したのが、1938年3月、アンシュルス(オーストリア併合)の数日前だった。そして、マルコ氏は、ウイーンに進駐するナチス・ドイツと、それを熱狂的に歓迎するウイーン市民を目の当たりにした。

 戦後、オーストリアはナチスの最初の占領被害国であると主張したが、オーストリア国民は紛れもなくナチス・ドイツを歓喜で迎えいれた。この日、わずかな時間で、ウイーンのユダヤ人の命運が暗転する。マルコ氏はパスポートの更新もできずに、兄とともにチェコスロバキア国境に逃れたが、無効となったパスポートを所持していたためにチェコスロバキア国内でつかまりポーランドに送られる。ポーランドで偽造の身分証明書を入手して市民に紛れ込んだが、今度は兵役忌避者と見做されて捕まってしまう。やがて、ついにゲシュタポに逮捕され、出来て間もないアウシュビッツに送られ、そこから今度は労働力としてダッハウ、ノイエンガンメ、ブーヘンヴァルト強制収容所に移送。途中で兄とも生き別れとなり、後に兄は収容所で殺されたことが判明する。

 106歳の語りは、とりとめもなく、間に挿入されるアーカイブ映像も、当時の世相を見せるものではあるが、氏の体験と直接結びつくものではなく、曖昧模糊とした印象が終始漂う。アーカイブ映像の見せ方には、ドキュメンタリー映画としてやや難があると感じた。

 しかし、その中でもはっきりと際立つのは、オーストリアへの怒りだ。

 ブーヘンヴァルトで終戦を迎えた被収容者は、国籍二十数カ国に及び、各国は迎えを寄越して解放後数週間で帰国していったが、オーストリア出身のユダヤ人は放置された。自分達で交渉し、輸送手段を確保してオーストリアに帰国しようとしたが、オーストリアはユダヤ人の受け入れを拒否した。

 淡々と、106歳の老人が過去の体験を語る、それだけのドキュメンタリーで、劇的なこと、衝撃的な映像、といったものではない。ところどころ前後関係の脈絡がなかったり、首をかしげる部分もないではない。しかし、アンシュルスの日を境に足元が崩れるように崩壊していったオーストリアのユダヤ人の様子が伝わるし、戦後にナチスドイツの被害者を装ったオーストリアは、実は雪崩をうってナチスに迎合したこと、そのことを告発しつづけたユダヤ人の証言として、大切な証言映像だと思う。また、反ユダヤ主義は、今も脈々と拡大再生産されており、こうやって抵抗し、告発していかなければ、いつまた、生存を脅かされるかもしれない、という危機感も伝わってくる。

 今も、反ユダヤ、ホロコーストの否定はヨーロッパ、全世界に広がっており、オーストリアのユダヤ人協会の会長を長年務め、積極的に講演活動も行っていた氏には、誹謗中傷の手紙やメールが数多く届いている。

 映像中に、それらの「生の文章」が差し込まれる。

 戦後は、ザルツブルグに住まい、パレスチナの地に移住しようとするユダヤ人を支援した。
家も財産も略奪されて帰る場所のない十万人ものユダヤ人が、ヨーロッパの外に移住してくれるのは、ナチのユダヤ人迫害に加担、もしくはこれを黙認した各国にとっても好都合だった。イスラエル国の成立にこのような側面があることも、現在のパレスチナ問題に大きく影響しているのだろう。もっともっと深く考えなければならないと思う。

2021年9月12日日曜日

0293 ファニー 13歳の指揮官 (児童書)

書 名 「ファニー  13歳の指揮官」 
原 題 「LA VOYAGE DE FANNY」2016年 ※フランス語版
     ※ 初版は1986年スラエル 
著 者 ファニー・ベン=アミ
翻訳者 伏見 操 
出 版 岩波書店 2107年8月 
ソフトカバー 184ページ 
初 読 2021年9月12日   
ISBN-10 4001160102 
ISBN-13 978-4001160109 

 ナチスの迫害を逃れてドイツからフランスに逃げてきていた家族のささやかで平穏な生活が、ある日突然破られる。父がフランス秘密警察に連行されて行方が解らなくなり、母は子どもたちを非難させることに。
 5歳と9歳の妹のいるファニーは、母代わりとして幼い妹達の面倒をみながら、やがて同じく親元を離れて保護されている子どもたちのリーダーになる。そして、強い責任感と意志で、子ども達グループをまとめてスイスへの逃避行を敢行する。

 映画『少女ファニーと運命の旅』の原作本。
 実話です。
 ファニー・ベン=アミさんは、戦後しばらくしてからイスラエルに移住して、現在は娘さんやお孫さんに囲まれ、二人の妹さんも同じくイスラエルで健在、それぞれがホロコーストの記憶を次世代に繋ぐ活動をされている、とのこと。(2017年の映画公開時の情報です。ご存命ならたぶん91歳になられているはず。)
 ファニーさんは、子ども達だけで、フランスからスイスに逃げ、戦争終了までスイスで保護を受け、戦後はスイスで教育を受け続けることが認められずフランスに帰国、といってもそこでもフランスに帰化申請をしなければならなかったのですが。
 ご両親のうち、父は、ルブリン強制収容所で銃殺され、母は1944年にフランスでゲシュタポに捕らえられ、アウシュビッツに送られて殺されたことが、戦後通知されたそうです。彼女が待ち望んだ両親との再会は、ついにかなえられませんでした。

 児童書の体裁とはいえ、大人の読書にも十分耐える読み応えのある内容なので、多くの人に読んで欲しいと思います。

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 今、イスラエルとパレスチナの紛争、とくにガザ地区の惨状を見て、自分達だってあれほど残虐な目にあったのに、なぜパレスチナ人に対して同じように残虐な行為をするのか、という意見をよく目にしますが、事はそう単純ではないと思います。

 ♪人は悲しみが多いほど〜、人には優しくできるものだから〜♪と武田鉄矢が歌った『贈る言葉』は名曲ではありますが、それがきれい事に過ぎないと気付かざるをえないことは、誰もが経験していることでは?

 『人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。』と謳う日本国憲法を、私は崇高なもので、決して失ってはならないものであり、これこそが日本のあるべき姿だと理解していますが、ユダヤ民族は、ヨーロッパ全土で暮らしていた1100万人のユダヤ人のうち、600万人が極めて組織的に効率よく虐殺される、という空前絶後の体験を通して、自分の身の安全を他国や他民族に委ねることは絶対にできない、自分の身は自分でまもらなければならないもの、と骨身に染みているのでしょう。そして、自分の身を守るためには、やられたら確実にやり返すことこそ必要で、そしてこの現代の主権国家の時代において自分自身の身を守るために、国家の主権を維持しつづける、と堅く決意したのでしょう。イスラエル国家は国家の形をとったユダヤ民族の生存権そのものに見えます。
 これは、イスラエルが行っている数々の攻撃を正当化しようと主張するものではありません。ただ、今起きていることを単純化し、遠い地域からきれい事で非難したところで、なんの解決も見ないだろう、と感じます。
 日本人とユダヤ人を引き比べることが公正だとは思っていませんが、それぞれの国民が戦後取った道が正反対であることは、よくよく考えてみたいと近頃考えているテーマです。

2021年9月11日土曜日

0292 神さまの貨物(ポプラ社)

書 名 「神さまの貨物」 
原 題 「La plus précieuse des marchandises」2019年
著 者 ジャン=クロード グランベール 
翻訳者 河野 万里子  
出 版 ポプラ社 2020年10月 
文 庫 157ページ 
初 読 2021年5月15日 
読書メーター https://bookmeter.com/books/16673522   
ISBN-10 4591166635 
ISBN-13 978-4591166635
Amazonのレビュー(書籍紹介) 大きな暗い森に貧しい木こりの夫婦が住んでいた。きょうの食べ物にも困るような暮らしだったが、おかみさんは「子どもを授けてください」と祈り続ける。そんなある日、森を走りぬける貨物列車の小窓があき、雪のうえに赤ちゃんが投げられた――。明日の見えない世界で、託された命を守ろうとする大人たち。こんなとき、どうする? この子を守るには、どうする? それぞれが下す人生の決断は読む者の心を激しく揺さぶらずにおかない。モリエール賞作家が書いたこの物語は、人間への信頼を呼び覚ます「小さな本」として、フランスから世界へ広まり、温かな灯をともし続けている。
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 大人のための、子どものための、すべての人のための真実を描いた童話。
 ルーマニアから迫害を逃れてフランスに渡り、そこで、医学を修め結婚し、男の子と女の子の双子が生まれたユダヤ人の男。しかし、フランスもナチスの手に落ち、家族ともども強制収容所に入れられる。そして『貨物』となり、東へ。
 やさしい言葉で語られているのは凄惨な事実であるが、 これが「実際にあった話」として語られたならば、あるひとつのユダヤ人家族の、一人の男の、一人の女の子の悲劇として受け止められるだろう。しかし、「本当にはなかった話」として語られたとき、この話は普遍的になる。そんな風に感じた。
 反語で語られる最終章。あったのだろうか。いたのだろうか。そんな問いかけが心の中に不安を誘い、胸にざわめきを残す。もちろんあったのだ。動物とされ、貨物とされ、無学で粗野な森の深奥の木こりにまで “神を殺した呪われた奴ら” “たんまり金をもった泥棒” と蔑まれる、ヨーロッパのすみずみにまで染みわたっている偏見が。その偏見がもたらした民族抹殺という悲劇が。そして、その偏見は、いまでも根強くあるはずだ。
 ここに具体的に登場するのは、ドイツ人ではなく、ヒトラーユーゲントでもない。(ドイツ人は“くすんだ緑の軍服”で表現され、赤軍は“赤い星を付けた”と表現されてはいるが。)具体的な人物として登場するのはフランス人であり、ポーランド人であり、ロシア人であり、彼の地の普通の人々であることが、印象的だった。
 少女がピオネールに加わり、最も模範的な少年少女として、党の機関誌を飾った、というエピソードも受け止め方は様々だろうと思う。私は、どのような国であれ、どのような文化や思想の元であれ、子どもという存在は、愛や、承認や、最高の栄誉にも値するのだ、と思いたい。かの国でも、ユダヤ人は虐げられる存在だと聞いている。貧しい木こりのおかみが女手一つで育てあげたかつて貨物であった少女が(黄色い星ではなく)赤い星を胸につけ、誇りと喜びと健康一杯でプロパガンダの一端を担ったことの皮肉も思い合わせながら。

2021年2月11日木曜日

0257 夜と霧(新版)

書 名 「夜と霧」(新版) 
原 題 「EIN PSYCHOLOGE ERLEBT DAS KONZENTRATIONSLAGER 」1977年 
著 者 ヴィクトール・E・フランクル 
翻訳者 池田 香代子
出 版 みすず書房 新版2002年11月 
初 読  2021年2月8日
単行本 184ページ
ISBN-10  4622039702 
ISBN-13  978-4622039709

 あまりに静かで穏やかな文体に、これが史上類を見ない民族虐殺の場で起こったことを語っているということを、うっかりすると忘れてしまいそうだ、と思った。写真や別の記録などを手元に置いて、両方を見ながら読んだ方が良い。


 家畜よりも残忍な扱いを受け、人間性と尊厳を極限までこそぎ取られてなお、大自然の雄大さや夕日の美しさに感嘆する精神がある。ユーモア、ほんの少しの笑いが魂を生き延びさせることを知っている人が側にいて、救われたひとがいることだろう。
 著者が冒頭で語っているとおり、ホロコーストの残虐さ、「壮大な地獄絵図」は描かれない。なぜならそれらを語った証言や証拠はこれまでにいくたびとなく提示されている。この本で著者が描き出そうとしたのは、“一人ひとりの小さな、しかしおびただしい苦しみ”、それが人の精神をどのように切り刻んでいったのか、それでもなお残る人間性はどのようなものだったのか。個々人の力では抗いようのない残酷な命の瀬戸際に立たされた時に見いだされた人間の精神の崇高さを語り出していく。
 これまで知らなかったこともあった。
 かまど(死体焼却炉)のない小規模な収容所に送られることが、幸運であったこと。
 被収容者があちこちの収容所をたらい回しにされていたこと。
 ユダヤ人を根絶することが目的であった収容所でも、「病気療養棟」があり、チブスなどの患者が隔離収容されていた。無きに等しいとしても、微々たる薬の配給があり、囚人の中から医師が配置され、収容所としての体裁を整えるために組織的・計画的に収容所が運営されていた。そして、そこに隔離されることは、夜間や氷点下での土木作業に出なくてもよいことであり、「幸せ」なことであったこと・・・・・(後半の記載から、この薬は、この収容所の所長であったSS将校のポケットマネーで賄われていたものかもしれない。この所長は、公正な人間であったとして、収容所開放後、被収容者が、連合軍側に対して彼の身の安全の保証するのでなければ引き渡さない、としてかばった。そして、本文では書かれていないが、このかばった張本人はおそらくフランクル自身であろう、と後書きより)

§いい人は帰ってこなかった・・・・
「収容所暮らしが何年も続き、あちこちたらい回しにされたあげく一ダースもの収容所で過ごしてきた被収容者はおおむね、生存競争の中で良心を失い、暴力も仲間から物を盗む事も平気になってしまっていた。そういう者だけが命をつなぐことができたのだ。何千もの幸運な偶然によって、あるいはお望みなら神の奇跡によってと言ってもいいが、とにかく生きて返ったわたしたちは、みなそのことを知っている。わたしたちはためらわずに言うことができる。いい人は帰ってこなかった、と。」 

§生きる続ける為に、死と苦しみに与えられた意味—問いと意味の反転—
 生きつづけることが出来なければ、この苦しみには意味がない、という思いは、やがて、自分に与えられたこの苦しみを受け止めることがすなわち、生きつづける意味につながる、と反転した。生の意味は、死やそこに至る苦しみまでも内包するものになる。

「わたしたちにとって生きる意味とは、死もまた含む全体としての生きることの意味であって、「生きること」の意味だけに限定されない、苦しむことと死ぬことの意味にも裏付けされた、総体的な生きることの意味だった。」p.131 

§深まる思索
 「生きること」が自分になにかを「期待している」。自分が未来に何かを期待するのではなく、未来が、自分に果たすべきなにかを求めている。自分からは生きることに何かを期待することはもはや出来なくなってしまっても、逆説的に「何かが」自分を待っている。「生きること」が自分に何かを「期待している」と思うこと、思わせることは可能だった。
 そして、そのような形で未来に存在する何か、を明瞭に思い浮かべる事ができた人々は、生き抜く事ができた。

「生きることは日々、そして時々刻々、問いかけてくる。・・・・ひとえに行動によって、適切な態度によって、正しい答えは出される。生きるとはつまり、生きることの問いに正しく答える義務、生きることが各人に課す課題を果たす義務、時々刻々の要請を満たす義務を引き受けることにほかならない。」p.130 

 「ひとりひとりの人間にそなわっているかけがえのなさは、意識されたとたん、人間が生きるということ、生きつづけるということにたいして担っている責任の重さを、そっくりと、まざまざと気付かせる。自分を待っている仕事や愛する人間にたいする責任を自覚した人間は、生きることから降りられない。まさに、自分が「なぜ」存在するかを知っているので、ほとんどあらゆる「どのように」にも耐えられるのだ。」p.134 

§善悪の境界線は集団の間には引けない
 監視する側、被収容者の側というだけでは、一人の人間についてなにも語ったことにはならない。善悪の境はひとりひとりの人間の中にあり、人間に対して人間らしく振る舞うということは、つねにその人個人のなせるわざ、モラルだった。卑小で残酷で嗜虐的な人間はいずれの側にもいて、そういう人間を(被収容者の中から)選別し、監視者に仕立てることで、収容所のヒエラルキーは成立していた。一方で、公正で人間らしい人物も、たしかにSSの中にすらいた。

「この世にはふたつの人間の種族がいる。いや、ふたつの種族しかいない。まともな人間とまともでない人間と、ということを。このふたつの「種族」はどこにでもいる。」p.145   

§解放されたものの心理
 解放されたからといって、苦痛の全てがおわり、幸福が訪れたわけではない。解放された被収容者には、心理学的にいっても困難な状態が続いたし、自分たちが体験した苦痛に対する、周囲の反応のギャップに苦しんだ。また、自分達の苦痛や苦悩を、他者に転嫁することで満たされようとする心理に陥る者も多くいた。いつか再会することを、微笑んで迎えてくれることを夢に描いていた愛するものや、大切なものごとが全て失われていた。 



 こうした思索すら、最初の「選別」を経て、10人の内のひとりになったからこそ可能だったことを、後年彼の体験を追想しようとしている者は忘れてはならない。
 1100万人のヨーロッパ・ユダヤ人のうち600万人が極めて組織的に、殺害された。
 かれらを個人の倫理観で小さな単位の中で守ろうとした人々は沢山いたが、組織的に対抗しようとした人々、もしくは集団は少なかった。
 家畜用貨車に詰め込まれて何日も掛けてアウシュビッツやそのほかの絶滅収容所に送られた人々のうち、一番弱い人々は、貨車の中で絶命した。そして、貨車から降ろされたときに、選別され、労働力と見なされなかった病人、老人、幼い子どもなどの弱者は、そのままガス室に送られて殺害され、焼却された。または、銃殺され、穴に落とされれ埋められた。
 焼却炉の骨は同胞の囚人の手で砕かれて近くの川に捨てられた。
 収容所に送られた者のうち生き延びたものは数パーセントだった。この本は、そのごく少ないうちの一人によって、思索され、記述されたものである。この本を読む私達は、彼の体験と思索を追体験するとともに、彼にはなれなかった大多数の人にも思いをはせなければならない、と思うと同時に、他人事ではなく、我が身や、自分が所属する集団や民族でもおこりうる、そして被害を受ける側ではなく迫害者となりうることを真剣に考えなければならないと思う。

2020年12月16日水曜日

0237 死闘の駆逐艦

書 名 「死闘の駆逐艦」 
原 題 「DESTROYER CAPTAIN」1975年 
著 者 ロジャー・ヒル 
翻訳者 雨倉 孝之 
出 版 朝日ソノラマ 1991年1月 
初 読 2020年10月
 WWⅡを3隻の駆逐艦で北海から地中海まで駆け回った元英国駆逐艦艦長ロジャー・P・ヒル(英国海軍少佐)、本人による記録。
 極めて優秀かつたたき上げの駆逐艦乗りである。士官候補生時代から、艦長になるまでを大型艦で過ごした時期が多く、巡洋戦艦リナウン、地中海艦隊旗艦レゾリューション、戦艦フットにも乗務。本人はとにかく駆逐艦に乗り組みたくて、大型艦に配属されるのが不満だった。夢は駆逐艦を指揮して戦うこと。念願どおり《レドベリー》、《グレンヴィル》そして《ジャーヴィス》の艦長を歴任。従事した作戦はソ連向けPQ17、マルタ向け輸送船団、ビスケー湾のUボート掃討、カイロ会談にむかうチャーチル一向を載せた巡洋戦艦〈リナウン〉の護衛、そしてノルマンディー上陸作戦の援護など。
 これらの作戦行動を日誌に基づき、分単位で丁寧に書き起こしている。精読の価値ある一冊である。
 そして独の新兵器だった無線誘導滑空爆弾を初対面で飛行の癖を読んで操艦でかわし、海に叩き込んだのがすごいの一言につきる。一方で戦闘への従事が長引くにつれ戦争神経症で精神症状が悪化していく様子も克明に記録されている。冷静に自分をとらえ、部下と艦の安全のために必要だと判断すれば、自分の処遇について上官に上申。なかなかできることではないと思う。 
 歯に衣着せぬ物言いで無能な参謀や上官に作戦行動についてモノ申し、彼を嫌う人間もいたが、理解者となる上官もいた。
 ただし、グレンヴィルに乗っていた後半、着任してきた駆逐隊司令官とは折り合いが悪く、かなり冷遇されたように見える。精神状態の悪化に加え、司令官からのいやがらせのような数々は、さぞかし心身に堪えたことと思う。しかし乗務していたのは奇蹟の幸運艦〈ラッキージャービス〉で艦内と部下達との関係がしごく良好だったのが救いだ。
グレンヴィル時代のヒル艦長。写真は英語版WIKIより
 この駆逐艦ジャーヴィスについては、興味のある方はWikiを読まれたし。数々の作戦に従事し終戦まで戦い抜き、しかもその間一人の戦死者も出さなかった幸運の艦として《ラッキージャーヴィス》と呼ばれた奇跡の艦である。 《ジャーヴィス》が長期修理でドック入りをしたのを機に艦を離任する際、部下達からは素敵な記念品が贈呈された。この本は、この離艦で終わる。
 この後従事した作戦で、ヒル少佐は負傷し、入院中に戦争が終結。終戦の翌年の46年に病院を退院して海軍を退役した。65年にニュージーランドに移住、念願のこの本を記す。
 1910年生まれの彼は、WW2のころはまだ若い。最初の指揮官レドベリーは平均年齢22歳で、当時32歳の艦長は「年寄り」だった。大型駆逐艦のジャーヴィスは乗員220名ほど。これだけの能力と統率力を発揮できる人が平和な今、どれだけいるだろうか。

 以下は、この本の前書きと英語版WIKIより、ロジャー・パーシヴァル・ヒル氏の略歴。

1910年6月22日生誕
1927年英国海軍入隊
〈エレバス〉に1年間乗務
1928年9月〜1039年10月巡洋戦艦〈リナウン〉に少尉候補性として2年半乗務
ダドリー・パウンド提督が座乗。艦長タルボット大佐
この間に、訓練で駆逐艦〈ウォッチマン〉に1か月乗る。駆逐艦に魅せられて、駆逐艦乗務を志すようになる。
1931年7月少尉に任官
1931年8月〜1932年1月ポーツマスで昇任コース受講
〜1933年6月地中海艦隊旗艦 巡洋戦艦〈レゾリューション〉乗務(2年)
司令長官 ウィリアム・フィッシャー卿。艦長マックス・ホートン大佐
1933年12月中尉に昇進
1933年〜1934年巡洋艦〈キャドラック〉乗務 任地は中国揚子江の上流漢口。艦長はスイフレット
1935年〜1937年駆逐艦〈エレクトラ〉乗務。任地アレクサンドリア(3年)。艦長ブラックバーン中佐
1936年〜スペイン内戦にともない、スペイン近海で法人救出任務
1937年8月〜1938年2月戦艦〈フッド〉乗務 任地は地中海、スペイン沖
司令長官 A.B.カニンガム提督、艦長プリングル大佐。
この間に結婚。
1938年 巡洋艦〈ペネロペ〉乗務 任地スペイン沖→ハイファ
艦長ハットン大佐、副長ヘンリー・デンハム中佐
1939年9月1日ヒトラーがポーランド進行を開始
1939年潜水母艦〈アレクト〉乗務
艦長ビル・フェル
1939年〜1940年3月掃海トロール船〈タモーラ〉乗務
1940年春スループ艦〈エンチャントレス〉乗務(先任将校)
アラン・スコット・モンクリーフ艦長。 大西洋航路の護衛任務
戦艦〈バーラム〉に乗務していた弟が21で戦死
1942年1月~9月駆逐艦〈レドベリー〉艦長
PQ15,16の間接護衛任務につく。
1942年6月ソ連向け輸送船団PQ17の直接護衛任務につく。
マルタでの護送任務。戦争神経症の悪化。不眠、震え、情緒不安を覚え、艦を離れる決心をする。
1942年9月〜1943年4月キング・アルフレッドで指導教官を務める。
〈オハイオ〉号の功績でD.S.O(殊功勲章)を授与される。
1943年4月~1944年2月駆逐艦〈グレンビル〉艦長
イギリス海峡における〈トンネル作戦〉、ビスケー湾のUボート掃討、地中海での各種作戦、
カイロ会談に向かうチャーチルを乗せた〈リナウン〉の護衛航海
1944年2月~1944年9月駆逐艦〈ジャービス〉艦長

1944年6月6日
グレンビル時代の功績で殊勲十字章を受章
ノルマンディー上陸作戦

1944年9月以降時期不詳頭部負傷により入院
1946年退院。イギリス海軍退役
1965年健康を害し、ニュージーランドに移住。本書を記す。
2001年5月5日死去
【駆逐艦レドベリー】
 念願の駆逐艦艦長になった最初の任務が、ソ連向け輸送船団PQ15〜17の護衛。15と16は、船団についた護衛艦隊の戦艦と、護衛艦向け給油船の護衛、という間接任務だったが、例の悪名高きPQ17では、船団の直接護衛任務だった。
このPQ17は、時刻を追った克明な記録となっている。船団が出発した早い時期から、ドイツの航空艇がずっとひっついており、逐一行動を把握されていたこと。潜水艦と航空機による波状攻撃。面白かったのは、ずっとひっついてくるドイツの偵察機に、艦内のドイツ語に堪能な乗員が電文をつくって「おまえのせいで眠ることもできなくてふらふらだから、どこかへ行ってくれまいか」と信号を送ったところ「O・K」と返事が来て本当にどこかへ行ってしまった、という逸話。書いているヒル艦長も???クエスチョンマークが一杯。
 船団に「散開せよ」という不可解な緊急電文指令を受け首をかしげるが、立て続けに司令部からくる電文に誰もが怖れていたドイツ戦艦〈ティルピッツ〉と重巡〈ヒッパー〉が出てきたに違いない、と考える。ドイツ艦に攻撃を仕掛けるのだ、と思い、艦隊にしたがって船団を離れていくが、どこにも敵はいなかった。数時間後には、無防備な商船船団を危険の中に置き去りにしたのだと気付かざるを得なかった。後においてきた壊滅しつつある船団からの悲痛な電文。反転して救援にいくことも考えたが、それまでに相当な燃料を消費しており、船団に戻ることは叶わなかった。
 帰任後、護衛艦隊の駆逐艦艦長5名が司令長官に呼ばれて、「なぜ護送船団を離れたのか」と皮肉交じりに詰問される。別の艦長が「そのように命令をうけたからだ」と答えたが、艦長達の怒りと虚脱感は計り知れない。ヒル艦長の部下達に寄せる思いはひとしおで、全艦あげて帰還祝賀会を開き、部下達の技術を誉め、今回の行動が海軍本部の不手際によるもので艦の責ではないことを伝えた。船団に参加した6隻の駆逐艦に対する批判は相当なだったようで、これに反論することがこの本の目的の一つだったのかもしれない。ヒル艦長はいつかこの本を書く日のために、克明な航海日誌を手元に置いていた。責任はないかもしれないがそれでも後悔が残る。あのとき、命令に違反してでも戻るべきだった。そうすれば、駆逐艦何隻かは沈められることになっても、あと何隻かは商船を無事にアルハンゲリスクに連れていけた。そうするべきだった、と。
 この作戦以来、陸上で紙の上で作戦を指揮する司令部の参謀という連中を、ほとんど信用しなくなった、と本人がこの本に記している。
 ヒル艦長が徹底的に鍛えて良く統率の取れていたレドベリーの乗組員達も、任務後は気持ちが荒れた。港で連合軍の米艦の連中に英国海軍はすぐ逃げる、と揶揄されて喧嘩沙汰になって処分者が出たり、と心理的にも影響の大きさが判る。

 こののち、レドベリーは、マルタ行き護送船団の護衛任務につく。PQ17での大きな犠牲の後遺症で、艦長以下、この船は「人助け」をせずにはいられないフネになったようだ。海中に墜落した英国軍機の乗員を助ける際には、艦長みずから水中に飛び込んだ。
 当時のマルタは、陸・海を敵に囲まれて孤立している一方で、ドイツのアフリカ派遣軍への補給を阻害する要衝となっており、マルタへの補給は欠かすことができないものだった。特にレドベリーが従事した輸送作戦以前の数ヶ月間にわたり、オイルタンカーを一隻もマルタに持ち込めておらず、燃料不足が深刻化していた。そのような状況の中で護衛船団を送り込むが、度重なる敵の攻撃に晒され、大型タンカー〈オハイオ〉号が舵も動力も失って漂流、ドイツ・イタリアの急降下爆撃と闘いながら、レドベリーを含む駆逐艦3隻で曳航・護送し、マルタに持ち込むことに成功した。
 マルタの後、ヒル艦長は不眠や震えや強い恐怖感、情緒不安、しつこい胃痛などの神経症の症状が悪化する。艦をイギリスに連れ帰り、修理のためドックに入れたあとで、艦長はレドベリーを去ることになった。当面は休息も兼ねて、キング・アルフレッドの士官養成所の指導教官をつとめ、その間にマルタの功績でDSO(殊功勲章)を授けられている。

【駆逐艦グレンビル】
 6ヶ月間のキング・アルフレッドでの陸上勤務ののち、新造艦グレンビルの艦長の任命を受ける。この艦もヒル艦長の手で鍛えあげ、ビスケー湾における対Uボート掃討に従事。Uボートキラーとして勇名を馳せたウォーカー大佐とも作戦を共にした。面白いのが、ヒル艦長はレドベリー時代から雑種の小型犬を連れており(というか世話をしていたのはもっぱら従兵と水兵達)、この犬が幸運の使い手として艦で崇められていたこと。上の艦長の写真で小脇に抱えているのがそれ。犬が港で迷子になると水兵が探し回って出航もままならなかった。幸運の担い手を迷子にしたまま危険な任務に出航したい乗組員はいなかっただろう。
 また、このビスケー湾で、ヒル艦長のグレンビルはドイツの新兵器、ロケット推進の無線誘導弾に遭遇している。他のフネがこれにやられて大破、中破するなかロケットのクセを読んで巧みに操艦し、艦についてきた爆弾を海に落として対抗した。
 イギリス海峡での任務のあとは、ジブラルタルで地中海艦隊に加わり、カイロ会談に向かうチャーチル一行をのせた〈リナウン)の護衛も務めた。この頃からまた精神状態が悪化し、不眠、幻聴、死臭を感じる、悪夢に悩まされるようになる。ジブラルタルで休養して回復し、グレンビルに復帰。その後、イタリア、アドリア海での任務ののち、駆逐隊司令が指揮していた〈ジャービス〉が損傷したため、司令と艦を交換するかたちで《ジャービス》に異動する。

【駆逐艦ジャービス】
 不本意な形でジャーヴィスの艦長となったが、《ラッキー・ジャーヴィス》は強運と乗組員の強い連帯に恵まれた素晴らしい艦だった。この艦で、ヒル艦長はノルマンディー上陸作戦を闘うことになる。ジャーヴィスは、幸運・強運を遺憾なく発揮し、数々の戦闘で砲弾の雨の中を闘い、あるときは6個の音響機雷を誘爆させるもほとんど無傷だった。精神状態への不安は相変わらずで、この時期は司令からの嫌がらせがあったりといささか気の毒であるが、部下との関係は良好だったようだ。

ロジャー・パーシヴァル・ヒル艦長の駆逐艦(リンクは全てウィキペディア。引用も)

英国駆逐艦《レドベリー》←こいつは英語版Wikiページ。
建造所 ソーニクロフト
級名 ハント級駆逐艦  ←こっちは日本語版Wiki
進水 1941年9月27日
就役 1942年2月11日
退役 1946年3月退役、1958年7月解体。


左の写真は、タンカー《オハイオ号》にひっついているレドベリー。左右どちらの艦かまでは判らないが、マストの感じだと左側?。この一件で、ヒル艦長は殊功勲章を与えられている。“お気の毒にも陛下は、自ら数百人の人の胸に勲章を付け、握手を賜る労働に励まれるのだった。”












英国駆逐艦《グレンビル》
写真は、IWMのコレクションからお借りしました。
建造所 スワン・ハンター
級名  U級駆逐艦(嚮導艦)
就役  1943年 
改修  1953年 
再就役 1954年 3月19日 
退役  1974年






英国駆逐艦《ジャーヴィス》※このジャーヴィスの艦歴は一読の価値あり!
ジャーヴィスは第二次世界大戦において、軽巡洋艦オライオン及び駆逐艦ヌビアンと共に戦艦ウォースパイトの14個に次ぐ13個の戦闘名誉章 (Battle honour) を受章した武勲めでたい艦として知られる
。戦争期間中主要な戦いの多くに参加したにもかかわらず、一人も戦死者を出さなかった幸運と活躍から「ラッキー・ジャーヴィス」(Lucky Jervis)の渾名で呼ばれた。

級名 J級駆逐艦(嚮導艦)
愛称 ラッキー・ジャーヴィス(Lucky Jervis)
進水 1938年9月9日
就役 1939年5月9日
退役 1946年5月

2020年10月6日火曜日

0223 孤独の海

書 名 「孤独の海」 
原 題 「THE LONELY SEA」1985年 
著 者 アリステア・マクリーン 
翻訳者 高津幸枝他 
出 版 早川書房 1992年12月 
初 読 2020/10/6
 
『女王陛下のユリシーズ号』のアリステア・マクリーンの唯一の短編集。処女短編『ディリーズ号』、ドイツの誇るビスマルク号が沈むまでの数日間『戦艦ビスマルクの最後』 他。

『ディリーズ号』
とても良かった。
わずか13ページの短編であるが、文中では語られない、じいさんと二人の息子の人生がありありと思い浮かぶ。妻に先立たれた船乗りが、残された幼い二人の息子を男手ひとつで育てあげる。おそらく、海に長く出ている間は近所の農家の奥さんに息子達は預けられたかもしれない。息子達に慕われ、尊敬される船乗りの親父。息子達は父親の背中を見て真っ直ぐに育ち、やがて彼らも船乗りになる。二人は救助艇に乗組み一人は艇長となる。荒れた海にさらわれた見ず知らずの幼い兄妹を、見過ごしにはできない父親譲りの正義感。そのような息子達を誇りにする父親。こんな事は事細かに一言も書かれていないが、そうであろう、と老船乗りグラントじいさんの背後に語られない人生が浮かび上がってくる。
 そして嵐の夜の荒れた波間に、息子達と、筏に乗せられた子供達を見つけたとき、グラントじいさんは、息子達が助けようとした幼い兄妹を荒れた海からすくい上げることを選択する。助けられるチャンスは一度だけだった。無情というのも軽々しい、万感の思いが軍艦ユリシーズの最後に通じる。

『ラワルビンジ号の死闘』
 ちょっと気になった一文だけ。「手に入れた情報の正確さと完璧さに匹敵するのは、その情報がベルリンへ送られる迅速さくらいのものだろう」・・・・・日本語として、どうよ。原文読んでいないからちょっとわからないけど。「手に入れた情報の正確さと完璧さと並んで、その情報がベルリンに伝達される早さも比類ないものだった」くらいが自然な感じだろうか。

ドイツが誇る〈シャルンホルスト〉と〈グナイゼナウ〉の試航海の餌食になった英国武装商船ラワルビンジ号の悲劇。再三のシャルンホルストからの降伏勧告に応ぜず徹底抗戦を図り、撃沈。なんというか、あまりに文章が淡々としていてこの行動をどう受け止めるべきなのか困る。結局240人の経験豊かな乗組員が船と艦長と運命を共にした。玉砕は日本軍の専売特許じゃなかったんだな、と改めて思う。

『戦艦ビスマルクの最後』
ドイツが誇る戦艦ビスマルクと、イギリス人の誇り、戦艦フット。どちらも誤った情報と、指揮官の驕りや判断の誤りの集大成の結果沈んだのか?イギリスの戦艦フットが、あたかも日本人にとっての戦艦大和のような、海軍を象徴する艦だったことが良く分かる。それを沈めたビスマルクを執拗に追いかけるイギリス海軍。しかし、丹念に双方の証言を重ねれば、見えてくるのはイギリス側もドイツ側も誤認と失策を積み重ねた挙げ句の「戦果」だったようだ。

【備忘録】デンマーク海峡
 アイスランドとグリーンランドの間の海峡。なぜここがデンマーク?と思ったので調べてみた。アイスランドは1918年に独立するまでデンマーク領で、グリーンランドは今もデンマーク領なんだそうだ。そうだったっけ。そうだったんだ。現在の国土の大きさで舐めることなかれ、デンマークはかつては海洋国家。学生時代は、地図帳を見ても,陸しか見ていなかったような気がする。しかし、バルト海の出口に位置し、北海に直面し、さらにドイツにフタをする格好のデンマークは、どう見ても軍事・通商の要衝ではないか。イギリスを海洋国家として見るべきであるように、ヨーロッパ史を海を視点の中心に据えると、これまで勉強してきたものからだいぶ違ったものが見えてくるのだろうな。

さて、このあと数話読んだが、艦が次々に沈む描写に気持ちが滅入ったので、今回はここまで。

2020年9月30日水曜日

0222 奇跡の巡洋艦

書 名 「奇跡の巡洋艦」 
原 題 「The Iron Pirate」
著 者 ダグラス・リーマン 
翻訳者 大森洋子 
出 版 早川書房 1992年2月
初 読 2020/9/30

 リーマンもだいぶ読み尽くしてきて、いよいよドイツ側の一冊。同じような語り出しだが、やはり空気感が厳しいと感じるのは舞台がドイツだという先入観があるからかな。
 何しろ、ドイツ艦だ。辛い結果になるに決まってる。もう、鷲舞を読む時のような覚悟でこっちは臨むのだ。なのになのに、いつものリーマン節である。
 原題のThe Iron Pirate(鉄の海賊)は、寡黙な艦長、主人公ディーター・ヘヒラードイツ海軍大佐に部下達から奉じられていた異名である。ヘヒラーはドイツ重巡洋艦《プリンツ・ルイトポルト》の艦長で、この頃、すでに艦は「奇跡の巡洋艦」との評を得ていた。
 巡洋艦リューベック号も出てきて、あれ、リューベック号って、他の本で誰かの駆逐艦に沈められていなかったっけ?リーマンは結構、敵艦も味方艦も、艦名を使い回す。それとも対戦相手は、あの駆逐艦なのか?しかも、すでに10冊以上リーマンを読んでいて、始めの頃に読んだ駆逐艦本は、もはや頭のなかでエピソードが混ざってしまっている。
 悲劇ははなから折り込み済みなので、できれば格好良い「ロマンチックな愚か者」を堪能したいところなのだが、そこはリーマンなので、今回は極めつけにイヤな身内の敵、ライトナー司令官が終始同乗している。これがとにかくイヤなやつ。そして、ライトナーがユダヤ人の富豪を殺害して略奪した財宝と、それにまつわる様々な欲と思惑。妻の不貞を知っているヘヒラー、それに関わりのある艦医、ゲシュタポに妻を拘束された副長。巌のようにあるべき艦長とその副長を悩ます心の揺らぎ。心と意志を一つにして強固に団結しているべき艦に入り込むきしみ。まるで靴の中に入った小石のように、いらいらチクチク、異物感が半端ない。

 そこに艦に同乗する女性パイロット。まあ、恋に落ちるよね。リーマンだもの。負傷して艦長室を病室にするエリカと、彼女を見舞う艦長ヘヒラー。見ぬふり、聞かぬふりで廊下を見張る歩哨の様子に、いかにヘヒラーが部下に慕われているかを感じる。前半はとにかく煮え切らず、ぐだぐだと悩んでいる様子だったヘヒラーも、英国海軍との戦闘に及んでは、鉄の鉄たる所以を示し、そして彼の船、ドイツの重巡洋艦は、戦い敗れて大西洋に沈むのだ。艦に与えられた命令は、名誉の「自沈」。しかし、ヘヒラーは、総員退艦を命じ、自らも沈むプリンツ・ルイトボルトを見送る。
 捕虜となり、ヘヒラーは英国の捕虜収容所で終戦を迎える。やがて、荒廃した祖国に戻った彼を待っていた者が。ヘヒラーとエリカが、どのような戦後を生きたのか、その物語の予感で物語は閉じる。

2020年9月7日月曜日

0220 掃海艇の戦争

書 名  「掃海艇の戦争」
原 題  「In Danger's Hour」1988年
著 者 ダグラス・リーマン
翻訳者 大森洋子
出 版 早川書房 1993年

 世間の耳目を集める大型の作戦ハスキー作戦やノルマンディー上陸作戦の影で、味方の艦船が作戦遂行できるようにするため、ひたすら下働きの機雷除去を続ける小型艦。上陸作戦を仕掛ける攻撃艦や兵士を運ぶ上陸用舟艇のためにまず海路を開かねばならない。機雷原を隊列を組んで進み、機雷を除去。一歩間違えれば触雷し、海底に沈む数多の艦船の後を追うことになる。
 小型とはいえ80余名が乗る掃海艇の艇長イアン・ランサム少佐28歳。志願予備役の将校で戦時だけの軍人だが、部下と艦を愛する錬達の艦長である。年の離れた弟が地中海で戦死したとの報に胸が潰れる思いを押し隠し、冷静に艦を指揮する。個性豊かな乗組員の悲喜こもごもを交えつつ、そんな部下をまとめて、育て上げ、誇りにすら思う、ランサム少佐の情の深さが読みどころ。そのような彼の姿が、新任の副官の目を通して語られる。
 この副官、中将の一人息子で、もちろん将来を嘱望されている。しかし、潜水艦には不適、と判断され、大型艦で艦長に上り詰めるにはちと、何かが足りない。そんな息子に父親が敷いたレールが、小型艦の副官から艦長に昇任させる、というもの。よってランサムの掃海艇ロブロイ号への配属は、明かに本人ではなく父親の野心付き。この父親、女癖が悪いようで、掃海隊の指揮官であるブリス中佐とは、女絡みの因縁があるもよう。当のハーグレイヴ大尉は、予備役士官や、小型艦のあれこれに偏見を持ちがちではあるが、生来の素直さ、生真面があって素直にランサムに感化されて、副長職を勤め上げるまでに成長していくのも見所のひとつ。

 さてそんなランサムの秘めた恋の相手は、10歳も年下の牧師の一人娘のイブ「俺のかわいいお嬢さん」。なんと相思相愛の純愛である。さすがの年の差・立場の差に、世間体を案じた両家の思惑で長年引き裂かれていた二人。イアンを想い続けていたイブと、艇長にまで出世して、年の差は如何ともしがたいが、なんとか世間的には釣り合いが取れてきた?イアン。
 愛の成り行きは初々しく、手を繋いだり、頬にキスをしたり、万感の思いを込めてぎゅっと抱きしめたり。甘酸っぱいことこの上ない。それでも、彼女の純真な想いはついに実る日を迎えるのだ。そのとき、まさにD-deyの直前。そして、ついに彼の艇は危機を迎えることになる。
 イアンの部下の航海長、元機雷処理士官シャーウッドの人生模様と、ずっとイアンの心を支えていたに違いない、彼が愛する大型ヨット〈バラクーダ〉号も、物語の背景にあって、準主役級の存在感を示していた。派手さはないけど、手堅くてよい物語です。

2020年8月28日金曜日

0219 志願者たちの海軍

書 名 「志願者たちの海軍」 
原 題 「The Volunteers」1985年 
著 者 ダグラス・リーマン 
翻訳者 高永洋子
出 版 早川書房 1990年4月

 カナダ人の予備役大尉で航海長のフレイザー、警察官から海軍入りして小型艇に乗り組みたかったアイブス、掃海艇乗務から機雷除去のエキスパートになって、聖ジョージ勲章まで受けたアランビー。志願の動機は生き甲斐、やりがい、はたまた生存戦略。3人の男達が集ったのはオールダンショー少将麾下の特殊部隊『ブロザローの海軍』。
 ハスキー作戦の前哨戦から始まり、Dーdayを経て終戦までを闘い抜く、戦争が日常の男達の群像。どこか薄幸そうだったアランビーは恋人を喪いついに報われず。酷薄な陸軍士官の描写にリーマンの海軍びいきがちょっと鼻につくのは仕方ないか。フレイザーは少佐に昇進したのに、アランビーが置き去りなのは可哀想ではないか。主役に甘く、脇役にとことん薄情なのもリーマンのお約束? 今回の女性は、婚約者を喪った女性(婦人部隊大尉)と、その部下の、弟を機雷処理の失敗で喪った婦人部隊員。機雷処理に当たっていたのはアランビー。「あなたは逃げられたんですね」との言葉に打ちのめされるアランビー、そしてその上司のリンに唐突に一目惚れするフレイザー。ちと唐突過ぎるけど、一目惚れもリーマンの作風と言えよう。

2020年8月23日日曜日

0218  燃える魚雷艇

書 名 「燃える魚雷艇」 
原 題 「A Prayer for the Ship」1958年 
著 者 ダグラス・リーマン 
翻訳者 中根 悠
出 版 徳間文庫 1988年2月

 記念すべきリーマン処女作。さすがに若い頃の作だからか、翻訳の違いなのか、描写が丁寧。
 主人公クライヴ・ロイス中尉、志願予備役でなんと任官3ヶ月目の20歳!このまだ未熟な中尉が魚雷艇に着任するところから始まり、一人前の魚雷艇艇長に成長するまでを、もちろん恋愛付きで、懇切丁寧に描写してます。
 彼が尊敬するハーストン艇長もまた若い。23歳。ですがすでに歴戦の勇士の貫禄を備え、ロイスを導き、艦を指揮する。小さな魚雷艇のこと、士官は艇長と先任の二人のみ。あとは下士官と水兵。つまり、ロイスは初心者なれど先任士官なのだ。激しい戦闘の中で、ハーストン艇長がロイスに艇を託して絶命。その後ハーストンには一人妹がいたことが判明。もちろん、ロイスにとって忘れられない女性となる。後任の指揮官はカービー少佐でこれが教条主義のイヤなやつ。カービー指揮下で闘う中で、ついに被弾し艇を喪う時がくる。ドイツ軍トロール船を道連れにしたものの、ロイス自身も重傷を負って死にかける。ここまでが前半。
 救助→治療→回復の過程の描写も丁寧で、後のリーマンが用いる、断片的に情報を提供して読者の想像にぶん投げる手法はまだ見えない(笑)。

 さて、後段は、百戦錬磨の魚雷艇乗りとして自艇を操るロイスの活躍と、恋愛模様。大尉に昇進し、殊勲賞を受け、最新のフェアマイル型魚雷艇を預かる艇長としての成長が語られる。
 ハーストン艇長の妹ジュリアと恋仲になり、クリスマスにジュリアを乗せてちょっとした冒険もしたりして。ドイツ駆逐艦やEボートとの激しい戦闘。港への帰還。突堤で入港してくる艇隊を見つめるジュリア。再会と抱擁。
 処女作とはいえ、やはりリーマンの全てが詰まってました。(正し、不倫と未亡人をのぞく(笑))。なにしろ主人公達が若いから!青春モード全開でした。

2020年8月16日日曜日

0217 AIとカラー化した写真でよみがえる戦前・戦争 (光文社新書)

書 名 「AIとカラー化した写真でよみがえる戦前・戦争」 
出 版 光文社新書 2020年7月 
初 読 2020/08/16
 読むというよりは見る。
 戦前のモノクロ写真をデジタルと関係者の証言でフルカラー化。とても綺麗、というだけでなく、今まで“歴史の彼方”にあるかに思えていた戦争が、にわかに地続きになる。臨場感を持って甦った戦前ー戦中の写真。写真のそこここにいるのは、正に私達だ。
 モノクロだと歴史の彼方に隔絶された感じがする戦争が、にわかに身に迫ってきた。圧巻だったのは真珠湾で爆発する駆逐艦。胸につまったのは子供と女性たちの笑顔。
 戦争など遠い昔だとつい感じている人に是非見てほしい。

2020年8月15日土曜日

0215ー16 神の棘 Ⅰ・Ⅱ

書 名  「神の棘Ⅰ」「神の棘Ⅱ」
著 者 須賀しのぶ
出 版 新潮文庫 平成27年7月

 戦後75年という節目だからであろうか、書店で平積みになっていて、この露骨にナチスな表紙に興味を引かれた。
 最初はこのテーマ、この歴史を日本人が、というか、彼ら自身以外の者が書いてよいのか、と戸惑ったのも事実。キリスト教という信仰、教会の保身と腐敗、第一次大戦後のドイツ社会の混乱、ナチスに身を投じた人間の内情、性的禁忌、ユダヤ人迫害、レジスタンス。勝者が敗者を裁くニュルンベルグ裁判。
 どこにも正義などははなく、通底するのは人間の弱さと、自己保身だ。宗教者ですら例外ではない。人間同士の争いは壮大に皮相で、醜く、救いがない。それにしても、このテーマを、アルベルトとマティアスに託して書き切った須賀しのぶ氏に敬意を表する。そして、だ。SSでありながらレジスタンスとの関わりを疑われ、ゲシュタポに捕らえられて拷問を受ける羽目になったアルベルトの絶叫を聞かされて読者は上巻を置く羽目になり、もはや下巻を手に取らざるを得ない、というストーリーテラーぶりにも敬服する。

 アルベルトの人生の、彼の思想の核となったものは、ザーレムでの幸せな数年間で与えられた教育だったのだろうか。
 ただ常識やルールに従い、自らの思考を放棄することを是とせず、是非を自分で判断し、正しいと思ったことを行動に移す、真に独立した自由意志を持つ自我を確立した近代市民たれ。
 アルベルトの生き方は、ある意味ザーレムが目指したであろうドイツ市民の姿を体現しているのではないか。

 しかしかの時代に生まれた人間の宿命として、その魂と意志は、SSの制服の内に注がれることとなり、愛する女性を守るという一念がその行動を律することになる。どれほど強く高い意志と決意を持っていても、巨大な歴史の流れの中では抗いがたく流されるしかない。それでも、抗うことのできない現実の中で行った自分の一つ一つの選択を、紛れもなく「自分の意思」の結果として、その責任を負おうとするアルベルトの姿に胸が苦しくなる。

 アルベルトとマティアスの違いは、自分自身の力で守るべき者を持ったか持たないかの差であり、それ以上に、「自分自身の力で」と言ったときに、選択や決定の一番奥底の部分を信仰にゆだねる、といういわば逃げ道を持ったものと、持つことを拒否したものの違いだ。
 その逃げ道を、人間の魂に必要なものであるとして、その逃げ道を持つ事が人間の真の幸福であると、ある意味人としての弱さを受け入れているマティアスと、それを受け入れることを拒否し、あくまでも個人の力で屹立することを望んだアルベルトには、根本的な断絶がある。
 アルベルトの拒絶は、人の弱さを存在の基盤とする宗教と、その「許し」を専売特許として世俗化した教会という組織の悪を暴くものであるし、自分の弱さを「自分の問題」として正面から受け止めようとする強さと、「人間の問題」に一般化して、全体に共通するものとして転嫁する弱さの対比でもあるように思える。
 その様な強さを貫いたアルベルトが、マティアスになりたかった、と最後に語ることで、また、世界が転覆する。神に愛される「弱い人間」であることを許されたかったのだ、ということは裏を返せば「親に無条件で愛される子供でありたかった」という、とアルベルトの人生の過酷さの証として私は受け止めたが、それはアルベルトの内心で、どのような意味を持っていたのだろう。人が様々な思いと記憶と自分の内側に閉じ込めたまま、死んでいき、その記憶は決して人に知られることはない。そうやって死んでいった無数の歴史の証人や市井の人々にも思いを馳せざるを得ない。