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2025年1月30日木曜日

0536 太陽の石 (創元推理文庫)

書 名 「滅びの鐘 」
著 者 
乾石智子         
出 版 東京創元社 文庫版2015年8月
文 庫 300ページ
初 読 2025年1月29日
ISBN-10 4488525040
ISBN-13 978-4488525040
読書メーター https://bookmeter.com/reviews/125728693

 イザーカトきょうだいの兄弟喧嘩、といわれる、それはそれは激しく、超弩級災害級の魔導戦。火山が二つ出来、湖が出来、山が崩れ、地割れが起き。その激しさにもまして、仲の良い9人兄弟がだんだんに崩れていくのが悲しい。
 そして、その根っこには、彼らの祖であるライサンダーがその血筋に封じた、例の昏い奴が存在する。

 前作の『魔導師の月』で、イザーカト兄弟の祖先であるライサンダーの物語が語られた。この物語は、そこから時代を下ること数百年。
 実は『魔導師の月』で散々な(?)活躍をしたライサンダーの物語の余韻に浸り、その子孫達がまたぞろ黒い奴に酷い目に遭わされるのを早々に見たくなかったため、先に『滅びの鐘』を読んでしまったのだ。そして、気を取り直してこの本に取りかかる。

登場人物一覧*ネタバレあり注意
デイス   主人公。十六歳の少年 
ネアリイ  デイスの姉。門前に捨てられていた赤子のデイスを拾った。
ビュリアン デイスの幼なじみ。喧嘩友達。悪友。親友
ザナザ   イスリルの魔道師。300年前のイスリル大戦の際、敵方でイザーカト兄弟と戦った。
【イザーカト兄弟】
ゲイル   長男。大地と火の魔道師。若干ぼんくら風味だが、真面目で公正で面倒見がよい。
テシア   長女。大地と火の魔道師。
ナハティ  次女。大地と火の魔道師。魔力は兄弟の仲でも抜きん出ているが、兄弟の仲でつ
         ねに疎外感を味わっており、僻みと恨みが黒い奴と親和した。
カサンドラ 三女。水の魔道師。リンターと年子で特に仲がよかった。リンターはカサンドラ
         を崇拝していたが、それがナハティの恨みを招いた。ナハティに惨殺され
         た。
リンター  次男。大地と火の魔道師 300年前、ナハティと最後の死闘を繰り広げ、その
         結果火山の下で長らく休眠することになった。
ミルディ  四女。水と土と風の魔道師 イスリル大戦での9人兄弟の唯一の戦死者。ザナザ
         の火球に打たれて死ぬ。兄弟崩壊のきっかけとなる。
ヤエリ   五女。雷と稲妻の魔道師  美しいものが大好きで、潔癖症。かなり軽薄。ナハ
         ティ側について、漁夫の利を得る。
イリア   三男。風と水と嵐の魔道師  300年前の兄弟喧嘩の後、潜伏していた。
デイサンダー 末っ子。植物と生命の魔道師  300年前の兄弟喧嘩の際、ナハティに消
         滅させられそうだったが、赤ん坊返りにとどまり、どうにかして300年
         後にネアリイに拾われる。

 魔導合戦を書きたい、いっていた著者氏は心ゆくまで、どっかんずっどんと派手に周囲を所構わず破壊しながら、魔法の応酬を楽しんでいらっしゃるよう。

 とにかく、9人兄弟の真ん中で次男のリンターが本当に「お兄ちゃん」って感じで、大好きだ。魂に回復しがたい傷を負い、暗い暗黒を纏った目の目元を少し綻ばしてデイサンダーを見守るお兄ちゃんの描写は、あまりにも切ない。

 あと、文庫101ページに登場するのは、エズキウムの魔導師、アンジストだよね。

 黒蝶湖の水先案内人の亡霊が誰だかいまいち判らなかったのだけど、どこか読み飛ばしただろうか。あれは、リンター(の欠片?)なのかな? それとも頬に深い傷跡があるというから、カサンドラだったもの? でもそれならなぜ男性? 
 
 なにはともあれ、とても面白かったが、きょうだいが一人づつ減っていってしまうのは、悲しかった。ヤエリの底抜けにおバカな感じは悪くないかも(笑)だが、あんなメンタリティで教団を率いていけるのかについては、甚だ疑問だ。ナハティがデイサンダーに兎の刺繍のマントを作って、デイサンダーが気にいらず、解いて刺繍をし直すシーンに胸を突かれた。ナハティ。あんな時代もあったのに。いや、あんな時代があってこそ、なのか。

2025年1月26日日曜日

0535 滅びの鐘 (創元推理文庫)

書 名 「滅びの鐘 」
著 者 
乾石智子         
出 版 東京創元社 文庫版2019年8月
文 庫 592ページ
初 読 2025年1月25日
ISBN-10 4488525091
ISBN-13 978-4488525095
読書メーター
 https://bookmeter.com/reviews/125623494

 文庫本とKindle版とAudible併用で一気に読了。
 Audibleと文庫本で一部表現に細かい違いがあったのは、Audibleの原稿が単行本なのかな?
 Audibleの朗読(ナレーター)は、浅井晴美氏。地の文の朗読は落ち着いた声で、男性のセリフも概ね聞きやすい。だが子供と女性の台詞部分については、突如“アニメ声”になってしまって、非常に聞きづらく、物語にも合わず、鬱陶しことこの上ない。もっと普通に、朗読調で読んでくれて構わないのに。とは、Audibleを聴いていて良く思うことではある。この分野は、声優の勉強している人たちで担われているのかな。会話劇ではないので、淡々と読んでほしいのだけど。
 それはともかく、Audible、Kindle併用で、寸暇も惜しまず読み進めた。
 
 とにかく、急き立てられるように、それこそ何かに追われるようにして一気に読了。これが、乾氏智子氏の小説の魔力である。
 『夜の写本師』のオーリエラントの世界とは別の、魔力の色濃い、古代から中世にかけてくらいの時代感。呪文を唱えて魔方陣作って、っていう最近ありがちなファンタジーではないのは、オーリエラント世界と同様。生命の不思議が魔法の形を取っているような、生き物の生と死と、人とは切っても切り離せない嫉妬や悪意や憎悪も暗黒の力として色濃く存在する、太古の魔力が圧倒的な力を見せる世界である。

 そのような世界の中で、曲がりなりにも一国の中で平穏に暮らしている先住民族カーランド人と征服民族アアランド人が、ある出来事をきっかけに一気に憎悪を膨らまし、民族殲滅の虐殺行為に突き進んでいく様を、タゼーレンの家族とともに体験する。
 「難民」というものを私はきちんと理解していなかったかもしれない、と思った。これまでなんとなく、戦乱を避けるために、自ら住んでいた土地を離れる人々、と思っていた。確かにそういう人達もいるだろうし、それだって命がけのことだろうが、この本の中の出来事のように、住み慣れた土地と生活を追われる人達もいるのだろう。


 さて、物語のあらすじだが、
 カーランディアの首都にある守護の〈鐘〉を、魔導師デリンが破壊する。二つの民族の友和と守護をもたらしていた鐘、その実は『滅びの鐘』であった鐘の、438個の破片は世界に飛び散り、その破片を身のうちに取り込んだ人々や生き物の変容をもたらす。

 デリンが鐘を破壊する原因となった、カーランド人大虐殺を行ったボーレン王の世継ぎの第一王子イリアンは鐘の破片のせいで歩けなくなり、第二王子のロベランは、頭に入り込んだ破片のために、怒りと暴力に歯止めが利かなくなる。ロベランの鐘を破壊したデリンに対する怒りは、やがてカーランド人全体に向けられることとなり、もともとはカーランド人を差別し虐殺した父王に対しては反発と憎しみを抱いていたはずのロベラン当人が、父王以上のカーランド人迫害と虐殺に手を染めることになっていく。

 物語の半ば過ぎまでは、ひたすらカーランド人の受難と逃避行が語られる。しかし、その流浪の中でも若者たちは、生気や喜びに溢れ、大人達は日々の暮らしを努力と工夫ですこしでも良いものにしようと力を合わせ、雄大な自然の恵みを存分に受け取りながらのカーランド人の生活は、迫り来る迫害と戦乱に怯えながらも、まだ希望がある。

 〈鐘〉が封じていた存在、かつて稀代の〈歌い手〉であったにも関わらず、妬みから妻子を殺され、自身は喉を潰されて暗黒に身を落としたタイダーの怨念は、彼を封印していた鐘の破壊により世に解き放たれる。さらに層をなす憎しみと怨念、一人一人の愛憎が連鎖し、より大きな災悪を招くどうしようもなさを見せつけられる。

 主人公タゼーレンは、「恨むな」という父の教えのとおりに生きようとするが、彼自身も鐘の破片を胸の中に抱き、暴力や憎しみや怒りに飲まれまいと苦悩する。やがてロベランの進軍により家族を失い、捕らえられたタゼーレンはロベラン本人に残酷な拷問を加えられ、ついにタイダーの憎悪の化身でもある闇の獣カイドロスと一体化してしまう。
 
 大地を戦乱が席巻し、多くの人々が死んだ後。予言の歌に沿って、主人公タゼーレンは暗黒を乗り越え、世の理想から人々の汚泥のような感情まですべてを織りなす竪琴を復活させ、その音で世の中を収まるべきところに収めていく。物語は、冬の終わりに春の日差しが訪れるように、人々が静かな希望を携えて、少し先の未来を思い描くがごとく、穏やかな謳いの余韻のように消えていく。決して物語がぷっつりと終わるのではなく、人々が生きつづけるこの世界にひとときの間、時間軸が交わり、また離れていったような、不思議な残響が胸に残る。

 大魔道師デリンの、直情径行な憎めない性格が良い。イリアンの冷静さも光る。本来なら好漢であったはずのロベランの無残。伝書バトのような役目を果たす雪ツバメの「老いらくの恋」は微笑ましい。主人公のタゼーレンは、予言の歌の通りに流されただけと言えなくもないような気もするし、脇役たちに比べて魅力的、とは言えないような気もするけど、その壮絶な経験ののちに、人としての姿を取り戻し、のちには多くの人びとの力となり、後進を育て、愛する妻を娶り、自分が父母から受けた愛情を、自分の子供達や周囲の人々に伝えていくのだろう。
 起承転結を読む物語ではない。世界の在り方を読むようなファンタジーなのだ。後書きにもあるように、著者が長い年月、書こうとしては断念し、温めてきた壮大な物語。それがこうして世に出され、読むことができる読者は、とても幸せだと思う。

2025年1月21日火曜日

0534 魔道師の月 (創元推理文庫)

書 名 「魔道師の月」
著 者 乾石 智子    
出 版 東京創元社 2014年11月
文 庫 462ページ
初 読 2025年1月21日
ISBN-10 4488525032
ISBN-13 978-4488525033
読書メーター 
https://bookmeter.com/reviews/125546842

 コンスル帝国歴857年 晩秋、という書き出しから始まるこの書。コンスル帝国皇帝の甥で皇位継承者であるガウザス(軍人)お気に入りのお抱え魔道師レイサンダーと、まさに『夜の写本師』話中でシルヴァインを失った直後の失意と絶望に苛まれるキアルスの二人の魔導師の邂逅の物語は、どこまでも緻密に織られるタペストリーの一幅のよう。

 太古の闇、始原の悪意とも言うべき〈暗樹〉。見かけは円筒型の黒い木片のように見えるが、木でも木炭でも石でもない、太古から存在する禍々しいもの。地上に現れては動物から人へ、人の手から人の手を渡り、より強い欲を持つもののところに擦り寄り、人の欲望を増長させ、混乱と破綻と災悪をもたらすもの。それが時の権力者の元に現れたときに居合わせてしまったのが、大地の魔導師レイサンダー。
 シルヴァインを殺された衝撃と悲嘆から立ち直る時間もなく、彷徨い歩いていた書物の魔導師キアルス。
 キアルスは、大切に肌身離さず持ち歩いていた『タージの歌謡集』を、失意に飲まれて焚き木にくべてしまう。正気に返ってから深く後悔し、せめて、その断片だけでも復元を試みるが、タージの歌謡集とそれを叙述した人物が図柄に織り込まれた古いタペストリーの魔法に飲み込まれ、タージ、正確にはタジンの歌謡集の由来と歌謡集が編まれた過程を追体験することになる。実はタジンの歌謡集は、当時も世に現れた太古の悪意〈暗樹〉を封じるために集められた、魔術の込められた歌謡集だった。

 タジンの歌謡集の記述者で星読み(予見者)だったテイバドールの人生を自分に取り込んだキアルスは現世に戻り、〈暗樹〉から逃れて姿を隠していたレイサンダーと出会うことで、二人で暗樹と戦うことに。

 まさに、その世界そのものに遊ぶハイ・ファンタジーの名にふさわしい、壮大な魔力に満ちた世界が一気に叙述され、読み手も主人公と一緒に翻弄される。
 キアルスが体験した、テイバドールの人生は、それだけで一冊の大河ファンタジーになりうる密度だったし、レイサンダーの幻視は燦然と、脈絡なく広く深く、次から次へと展開する。
 そのイメージはとても人間に体験しうるものではないと思えるのだが、それでもぐいぐいと読まされてしまい、訳もわからないままに、この魔力に満ちた世界を引き回される。
 エピソードの一つ一つは、どれも闇夜のようで暗く重いのだが、物語全体が明るさに満ちているのは、キアルスの深刻になりきれないどちらかというと軽めな性格と、レイサンダーの「闇を持たない」明朗さのおかげか。知性と思索のキアルスと直感のレイサンダーという対比も光る。
 二人の友となるコンスル帝国軍の副隊長(のちに隊長)のムラカンの存在も素晴らしい。ラストの成り行きは、このようになるしかない、とは思っても心が痛む。

 テイバドールの妻となるイスランとその妹のリルルは、脳内で『乙嫁語り』に登場する双子の乙嫁(名前忘れた!)で完全再生された。話中でもすこしキアルスが調べているが、この過去の物語ののち、テイバドールが夢見た王国は、愛する妻、イスランの名前を冠した「イスリル」という国となり、やがて、魔導師の大国・イスリル帝国として、コンスル帝国に拮抗していく。そのあたりの物語は、『イスランの白琥珀』までおあずけとなるよう。
 主人公に感情移入できる作品も素晴らしいと思うが、乾氏智子氏の作品は、主人公に、ではなく、世界そのものに読者を引き込む力を持っている。感想らしい感想というのは難しいのだが、私にとって、乾氏智子氏その人が、書物の魔導師のようだ。

2025年1月19日日曜日

0533 夜の写本師 (創元推理文庫)

書 名 「夜の写本師」
著 者 乾石 智子    
出 版 東京創元社 2014年4月
文 庫 350ページ
初 読 2025年1月16日
ISBN-10 4488525024
ISBN-13 978-4488525026
カバーイラスト 羽住 都
カバーデザイン 内海 由
読書メーター https://bookmeter.com/reviews/125457904

 この繊細で美しい、物語の世界観を映し出す装画を見よ!
 このシリーズは、とにかく羽住都氏の表紙絵が素晴らしいです。表紙も含め、芸術品のような書籍です。
 
 いきなり表紙の賛美から入ってしまったけど、極めて純度の高いファンタジー作品。子供の頃、『ゲド戦記』で初めて本格ファンタジーに触れ、こそがファンタジーだ!と思い詰めて育った人間(私)の読書欲求にクリーンヒット。

 金銀や光に溢れるキラキラした物語では断じてない。世界と人間の暗黒面を魔術がさらに押し広げる、闇と暗黒の物語。千年にわたる喪失と恨みと呪い。
〈あらすじ※ネタバレ〉
 千年前の始め、月と海と闇の魔力を宿した魔女シルヴァインに、魔道士のアムサイストは偽りの愛を語り、婚姻すると見せかけ月の力を奪い惨殺する。シルヴァインは死の間際、アムサイストを呪詛する。アムサイストはその呪いゆえにシルヴァインの復讐が成就されるまで不死の者となり、シルヴァイン自身もまた、自らの呪いにより、アムサイストから奪われたものを取り返すまでアムサイスト転生を繰り返す運命となる。
 そうして、シルヴァインの死から下ること500年、今度はイルーシアとして転生し、アムサイスト=エムジストと再び相まみえるが、この時にはシルヴァインとしての記憶を取り戻すのが遅く、エムジストに今度は闇の力を奪われて、再び殺される・・・というより、生きたままエムジストの都エズキウムの城壁に埋められ、その怨嗟をエムジストに利用される。
 2回目の転生では、早い時期にシルヴァインとしての記憶を取り戻し、力を蓄えてアムサイスト=エムジスト=アンジストとの対決に望むが、やはりアンジストの力が勝り、海の力も奪われてみたび殺される。
 そして3回目の転生(今生)では、三つの魔力すべてを持たない代わりに3人の魔女の生まれ変わりの証しを持って、今度は男として生まれる。彼、カリュドウは、助力者であり前世ではシルヴァインの兄であったガエルクと、その親友であったケルシュの助力を得て、『夜の写本師』=魔道士ではない魔術使い手として力を得、アンジストとの対決に挑む。


 カリュドウは過去生の記憶を取り戻す以前二、自身の人生でも、アンジストに育ての親の魔女と、妹のように育った少女を目の前で殺害され、カリュドウはアンジストに復讐を誓う。カリュドウの成長譚と、入れ子のような前世の物語と、カリュドウによる復讐と、もはやアンジストの支配を厭うようになった彼の街エズキウムの蜂起が重層的に重なる。

 アンジストが何故、あれほどまでに貪欲だったのか、それなのにその版図を広げる事無く、エズキウムの街の支配にこだわったのか、その理由があかされ、最初にアンジスト=エズキウムから奪われた宝石がカリュドウの手により還されることで、千年に渡る復讐譚が終わる。アンジストがただの悪役ではなく、母たる女性に裏切られ、傷付けられ、喪失した幼い少年の魂であったことは、善悪二分論を好まない日本人的な物語だと感じた。だがしかし、もしこれが仏教的な因果応報的な話であるならば、アンジスト(の魂)はどれほどの因縁を背負うことになったのだろう? もちろんそういう話ではないということは承知の上ではあるが、カリュドウが育てることになる少女の行く末もとても気になる。

 話の内容とはあまり関係ないところだが、なにより素晴らしいと思ったのは、作品世界に作者の人格的な色を感じさせず、文字を通じて物語に引き込まれたこと。まさに本の魔術のように。
 ここしばらく読んでいた本は、著者の個性や意志や感情のフィルターを感じさせる作品が多かったので、日本の現代人たる「著者」の存在を感じさせることなく物語世界に誘う、著者の透徹した表現がとても良かった。純粋にファンタジー世界に没頭することができた。

2022年5月9日月曜日

0345 逃亡テレメトリー/マーダーボット・ダイアリー (創元SF文庫)

書 名 「逃亡テレメトリー/マーダーボット・ダイアリー」 
原 題 「FUGITIVE TELEMETRY 他」 2018〜2021年
著 者 マーサ・ウェルズ    
翻訳者 中原 尚哉    
出 版 東京創元社 20224
単行本 244ページ
初 読 2022年5月8日
ISBN-10 4488780040
ISBN-13 978-4488780043

 このたびも、冒頭からぼやきが止まらない弊機です。メンサーを(グレイクリス社から)守る、ということを至上命題とし、防御にかけては隙だらけのプリザベーション連合の治安システムと警備当局に終始イライラいらいら(笑)。
  •  おまけに、弊機のプリザベーション・ステーションの中での立場を向上させる為にも、警備当局と協働して緊張関係を緩和すべき、と考えるメンサーの指示で、警備局と殺人事件の捜査協力をするはめになり、イライラ値も絶賛向上中(笑)。
  •  なかなか弊機を信用しきれない警備局の上級職員のインダーさんでしたが、それは、基本善人なので、マーダーボットの基本姿勢(捨て身の滅私奉公)にだんだん絆されるのも、お約束。少しずつ、人間の間で暮らすことや、距離の取り方を学習・・・・と、いうよりは、周囲の人間に学習させている弊機です。次作も楽しみ。



2022年2月1日火曜日

0321 スリープウォーカー:マンチェスター市警 エイダン・ウエィツ (新潮文庫)

書 名 「スリープウォーカー:マンチェスター市警 エイダン・ウェイツ」 
原 題 「THE SLEEPWALKER」2019年
著 者 ジョセフ・ノックス
翻訳者 池田 真紀子
出 版 新潮社  2021年8月
単行本 640ページ
初 読 2022年2月1日
ISBN-10 4102401539
ISBN-13 978-4102401538
読書メーター

 さあ、この帯の煽りが正しいかどうか、確かめる時がやってきましたよ。・・・・・でも、「笑う死体」を読んだ後となっては、すでに確信している。この本は、帯の煽りを超えてくるに違いない!

 今作でも、エイダンには四方八方から不運と悲運が押し寄せてくる。
 同僚が犠牲になった事件。
 その捜査を強要する非道な上司。
 事件の真の標的は自分かもしれない、という不安。
 悲惨な事件。護られなかった被害者。
 身勝手な人間たち。
 自分を監視し、行動を縛る謎の存在。
 突然寄せられた、生き別れの母の情報。
 そして、腐れ縁、ゼイン・カーヴァー。

 ラストはもう、ずるいよ。ここまでエイダンの一人称で語ってきたくせに、ラスト一章だけが三人称だなんて思えないよ。憑きものが墜ちたみたいなサティとバディを組むナオミ、そして愛すべき“妹”の結晶みたいなアン。それゆえに、エイダンの不在が切なすぎる。
 エイダン。生きているよね?キミは生きているよね??と、繰り返さずにはいられないラストだ。パスポートと大金とドストエフスキーを持って逃げて、顎を治して整形でもなんでもして、世界のどこかで生きていてほしい。こんな奴が幸せにならないなんてダメだ。いや、幸せにならなくてもいい。平穏を知ってほしい。アンがとてつもなく可愛く思えるのは、エイダンの目を通して見ているから。エイダンのその素朴で真摯な愛情が愛おしい。エイダンが守ろうとしたものが、ちゃんと護られてほしい。あととりあえずパーズは氏ね。

 後書きによれば、続編の企画もあるらしいし、映画化の話もあるのか?しかし、なまじ映像的で印象的な小説なだけに、映像化にはあまり興味が湧かない。

 むしろ、続編でもう一度、エイダンに逢いたい。お願い。生きていて。 あと、とりあえずパーズは氏ね。


2022年1月22日土曜日

0318 笑う死体:マンチェスター市警 エイダン・ウエィツ (新潮文庫)

書 名 「笑う死体:マンチェスター市警 エイダン・ウエィツ」 
原 題 「THE SMILING MAN」2018年
著 者 ジョセフ・ノックス
翻訳者 池田 真紀子
出 版 新潮社  2020年8月
文 庫 656ページ
初 読 2022年1月22日
ISBN-10 4102401520
ISBN-13 978-4102401521
 前作からなんとか首の皮一枚つながって、そりの合わない嫌み悪臭まみれの鼻つまみ者の警部補サティとバディを組んで夜勤専属の刑事として現場に戻ったエイダン。
 嫌われ者のサティにあからさまに嫌われ、いいようにこき使われているが、夜の街を見つめるエイダンの視線はどこかやさしい。
 営業を停止しているホテルからの通報で現場に向かうと、巡回中に殴り倒された警備員、逃げていく不信な人影、そして不可思議な死体。
 笑っているように顔の筋肉を硬直させて死んでいる男を巡り捜査は二転三転し、同時進行で有名テレビコメンテーターによる女子学生へのリベンジ・ポルノ、エイダン自身を標的とした殺人計画、不審な無言電話と監視者の影・・・・・と、息つく暇もなく、緻密に絡みあうストーリーは本格ミステリーとしても秀逸だと思うが、なによりもエイダンの造形がたまらなく良い。
 虐待され、犯罪に利用され、殺人や悲惨な情景を目撃しつづけた幼少時の記憶を追い散らすために麻薬に耽溺した過去、虐待から意識を逃避させるために身についた解離や認知のゆがみも自分自身の属性として受け入れながら、ただ生き延びるために生きているエイダンが、街で出会う人々に向ける思いに胸がいたむ。

 俺は妹に日に数度は合っている。オクスフォード・ロードには若い女性がひしめいている。妹と同じ巻き毛と真剣な表情をした娘もいる。二十年以上前、妹のアニーが浮かべていたのと同じ真剣そのものの顔。あのなかの一人が妹だったとしてもおかしくない。だから俺は、彼女たち一人ひとりを愛おしく思う。おしゃれに装っていれば、俺も背筋が伸びる。大事な仕事に向かうところなら、誇らしくなる。幸せそうな様子をしていれば、恋人と並んで街を歩いていれば、うれしくなる。(中略)これまで生きてくるあいだに俺は少なからぬものを失ったが、妹と離ればなれで生きてきたがために、それだけのものを手に入れた。行きずりの人を見て一日に二十回も笑みをうかべる人生。

 これが、エイダンという人間だ。

 もうひとり、嫌われ者のサティも、だたのイヤな奴ではない。 むろんイヤな奴には違いないのだが、破滅型で回りにとばっちりをまき散らしかねないエイダンをあえて引き受けているような、複雑な奥の深さがある。

 幸せでなくても、報われることがなくても、自分が死んだりましてや殺されたりする理由にはならないし、死なない以上、どんなにそれが困難でも生きていかなければならない。あまりにも薄幸だが、内面に火花のような生命力を秘めたエイダンの存在そのものが、この物語である。

   

2022年1月16日日曜日

0317 堕落刑事 :マンチェスター市警 エイダン・ウエィツ (新潮文庫)

書 名 「堕落刑事 :マンチェスター市警 エイダン・ウエィツ」 
原 題 「SIRENS」2017年
著 者 ジョセフ・ノックス
翻訳者 池田 真紀子
出 版 新潮社  2019年8月
文 庫 618ページ
初 読 2022年1月16日
ISBN-10 4102401512
ISBN-13 978-4102401514
読書メーター https://bookmeter.com/reviews/103806351   
 タイトルの「堕落刑事」はややミスリード気味で煽りが強いかな。このタイトルと、“―押収品のドラッグをくすねて停職になった刑事エイダン・ウェイツ。”という謳い文句に騙されて、長いこと興味が湧かずに手を出さなかったのは事実だ。しかし、読み友さんのレビューはなかなかに興味を引く。ついでに3作目の『スリープウォーカー』の帯の惹句があまりにもあんまり(笑)なので、まとめて読むことにした。
 
 ちなみにその3冊目の帯はこれ ↓
 まあ、この惹句が正しいかどうかは、3作目をよんで判断するとして、そのためにもまずはこの一作目を読まなくてはならない。
 というわけで読んでみた。

 
 で、まず、冒頭の感想。
 タイトルがミスリード、と思ったのは最初に書いたとおり。これは多分損してるよな。堕落刑事どころかエイダン・ウェイツ、なんというか真っ直ぐで不器用だけど、ちょいと破滅型だけど、いい奴じゃないか。ただ、損な生まれつきの人間は一生損をする見本のような、負け犬人生を素で歩んでいそうではある。
 同僚の卑小な不正を見逃せず、さりとて真っ向から抵抗もできず、自分にできるささやかな証拠隠滅を図ろうとしたら速攻でバレて、証拠品横領の泥で頭のてっぺんからつま先まで真っ黒にされてしまう。おまけにマスコミに都合良くリークもされて、もはや隠れるところなき「汚職警官」の一丁上がり。そして、崖っぷちに立たされて、都合良く麻薬密売組織への潜入捜査員に仕立て上げられるわけだ。

 だがこの話、さすがはイギリスの小説というべきか、アメリカ・ミステリにはない深みがある。明確な善悪でくくれない登場人物たち。悪の親玉までが良いヤツに思えてくるのが不思議で、だれもだれもが不思議な魅力を湛えている。全部が自分は悪くない、と心底では思っている節がある。そして、エイダンはこれでもかと殴られ、殴られ、階段から落とされ、ボロボロ。とにかく哀れなのである。
 そこまでボロボロでも、それぞれが大なり小なり清濁合わせ呑むところが、さすがの英国風だと感じるゆえんだ。この世の中は、国家のありようそのものが若気の至りなアメリカ人が考えるほどには単純ではない。小説世界もまた然り。母親に捨てられてて、幼い妹と施設に入れられたエイダンが、せめて妹だけでも良い里親に引き取られるように、と願う。妹を手放したときから、妹にイメージが重なる若い女性を守ることが、彼の生き方を決めている。最後のキャスとの別れが妹との別れと重なって、無性に切ない。
 
 いやこれ、面白かったです。珍しくも1日で読み切ってしまう、というリーダビリティは翻訳者の池田真紀子氏の手腕でもあろう。当然、後2冊も読む。
 エイダンにほんのちょっとは幸いあらんことを祈りつつ。

 ちなみに、このエイダンもバークと同じ孤児院育ちだが、同じく「児童養護施設」とはいえ、二人の仕上がりにはずいぶんな差がある。これも英国と米国の懐の深さというか歴史の違いなのだろうか。

2021年12月18日土曜日

0311 ヒューマン・ファクター グレアム・グリーン・セレクション (ハヤカワepi文庫)

書 名 「ヒューマン・ファクター」 
原 題 「THE HUMAN FACTOR」1978年
著 者 グレアム・グリーン
翻訳者 加賀山 卓朗
出 版 早川書房 2006年10月 
単行本 495ページ
初 読 2021年12月18日
ISBN-10 415120038X
ISBN-13 978-4151200380
 
「文学」と「小説」の間に明確な区分などないとは思うが、これは、文学よりのスパイ小説。・・・・というより二重スパイを主人公とした文学作品、の味わい。

 MI6の長官、その親友である医師(治療より毒物研究や謀殺担当?)、保安担当の大佐、主人公、そしてその同僚。登場人物は多くないが、描写は細やかで、それぞれのキャラクターが見事に立ち上がっている。とくにパーシヴァル医師の酷薄さは、現実にもまさに居そうで背筋が寒い。

 また、かつての植民地宗主国の筆頭であるイギリスの小暗い歴史を背景に、登場人物各人がアフリカに向ける思いはイギリスならでは。アパルトヘイト政策を現地で支持した白人は、すでに入植から300年以上もたつ「アフリカ人」だったのか。こういう本でも読まないと、日本人である自分には気づけない事柄もあった。

 二重スパイを疑われたMI6の若手の要員デイヴィスの死が周囲に及ぼす波紋。慎重に沈黙を守ってきた二重スパイがついに耐えきれなくなって、破綻していく様子がリアルである。
 ラストの無情さ、無残さは、現実の世界情勢の救いのない無残さを思わせる。
 彼は妻と再会できるのか。できたとして、年齢の離れた2人を死が分かつとき、妻は、かの国でどうやって生きていけるのだろうか? 彼らの息子の命運は? と最後のページをめくってこれが物語の終わりだと気付いた時に自分の中にのこされた不安と愕然に呆然とする。
 人間は、卑小な存在なのに大きな物事を動かしたがりすぎだ、とも思う。
 他人の人生、一国の命運、歴史、そんなものを担い、動かす能力など人間にはないではないか。主義を持たぬ者が、主義者達に翻弄される話でもある。なんとも感想としてまとまりがないが、まさにタイトル通り「ヒューマン・ファクター」を語り上げる物語だった。
 よどみなく流れる翻訳も素晴らしいと思う。

2021年11月28日日曜日

0309 11月に去りし者 (ハーパーBOOKS)

書 名 「11月に去りし者」 
原 題 「NOVEMBER ROAD」2018年
著 者 ルー・バーニー 
翻訳者 加賀山 卓朗 
出 版 ハーパーコリンズ・ジャパン 2019年9月 
文 庫 456ページ 
初 読 2021年11月22日 
読書メーター    
ISBN-10 4596541221 
ISBN-13 978-4596541222 
 1963年11月。裏路地の薄汚いバーや、安っぽいガウンからおっぱいをぽろりと出している娼婦まで、街全体がジャズのスウィングに身を委ねているニューオーリンズ。熱い湿気とネオンと紫煙とウイスキーと女。美味い料理、そして、マフィア。賄賂と裏社会の人脈と危険な仕事。ギャングとしてかなりの地位を築いていたフランク・ギドリーは、11月22日、全米を震撼させた事件を知った。そして、自分が頼まれた些細な仕事が、ケネディ大統領暗殺に関わりがあると直感する。
 暗殺者に仕立てられた男、実行犯であるスナイパーを手配した男、スナイパーに武器を調達した男・・・・・犯行に関係したと思しき人間が次々に消されていく。自分にも殺し屋が差し向けられるのか。今この瞬間に? この俺に?

 15歳で(おそらくは)生まれ育った貧しい家を出て、ニューオーリンズで万引きで命をつなぎ、ギャングに気に入られて使い走りをしているうちに頭角を現して、今やイタリアン・マフィアのカルロス・マルチェロ(実在のニューオーリンズのマフィア・wikiカルロス・マルセロ参照)のNo.3となっているギドリー。ボスには信頼されていると思っていたが。結局は使い走りの延長線にすぎないのか。

カルロス・マルチェロはケネディ兄弟の兄、ロバート・ケネディと因縁があり、それが暗殺事件の背景の一端として語られている。
 だけど、そんなこたあ、どうでも良い。

 たった今ままで、裏社会とはいえ人生を謳歌していたいい男が、突如命を狙われることになり、逃亡せざるを得なくなる。裏社会の仕組みは骨の髄までしみこんでいるから自分が殺される理屈は理解できる、だがそれを受け入れるのは別問題だ。一方、追跡を命じられた男も淡々と義務を果たす。なぜならそれが仕事で、それしか生き方がない。すべてが、ボードの上のチップの代わりに自分の命を置かれたゲームのようだが、やがてその中に、紛れもなく尊いものが現れる。初めはゆきずりに利用しただけだったが、自分とは違う人間の真摯な生が、かけがえのない絶対的なものになる。そしてその存在が、ギドリーの忘れようとしたはずの過去をも揺り動かす。
 孤独な男達が、それぞれに行き掛かり上道連れができて、自分で目論んだ以上の関係がもたらされる。結局は人間と、情と、愛。
 ギドリーの魅力と孤独に。バローネの虚無に。ついでにセラフィーヌの愛の深さとしたたかさに。読んで、よじれて、ジタバタする。胸が苦しくて泣きそうになったら、俺のために泣いてくれ。モン・シェール。
 
翻訳がめちゃくちゃ良い。翻訳者は加賀山卓朗氏。ジョン・ル・カレ、デニス・ルヘイン、クロフツ、グレアム・グリーン、ロバート・B・パーカー、その他を訳出されている方だ。私の積読1000冊(すみません。反省してます。)のなかにずいぶんありそう。これは読まねば。

2021年10月23日土曜日

0301 ネットワーク・エフェクト マーダーボット・ダイアリー (創元SF文庫)

書 名 「ネットワーク・エフェクト マーダーボット・ダイアリー」 
原 題 「Network Effect: (The Murderbot Diaries)」2020年
著 者 マーサ・ウェルズ 
翻訳者 中原 尚哉 
出 版 東京創元社 2021年10月 
文 庫 540ページ 
初 読 2021年10月15日 
読書メーター    
ISBN-10 4488780032 
ISBN-13 978-4488780036

 仏頂面の弊機はともかく、この“女の子”は誰なんだ、とカバーイラストが公表されたときから違和感しかなかった3冊目。この女の子は、どうやら弊機の後見人(?)であるメンサー博士の娘ということらしい。
 とにかく人間嫌いな“マーダーボット”こと自称弊機は、今回も1行目からぶっとばしております。いやあ、中原さんの翻訳、相変わらず素晴らしい。
 これも、ネタバレになることはあまり書きたくないな。とにかく相変わらずひねくれいじけ虫な弊機は、いろいろとこじらせつつも、誠心誠意人間の友人たちのために奔走。心を分ける機械知性であるART(の機体)に拉致され、当のART本体(知性)は存在がつかめず、どうやら削除=殺害されたようだと判断したところで、情緒的に破綻。メンサーの娘のアメナは、最初はマーダーボット弊機を嫌っていたものの、若者らしい柔軟さと情緒で、弊機と心を交わす存在になっていく。そしてまた、相変わらずARTが良い。後半登場する警備ボットの3号の一人称が「本機」なのが、弊機とは性格が違うことを感じさせる。これ、元からなの?それとも、原作はどちらも「I」で、翻訳で「弊機」と「本機」を訳し分けてるのか? 英語で原文を読んでる方に教えてほしい。(で、教えてもらいましたが、原文ではどちらも"I"だそうです。これを『弊機』と『本機』に訳し分ける中原さん、凄し。そして、日本語の表現力に感嘆する。文体から弊機と、マーダーボット2.0と、3号の性格の違いがにじみ出ている。)とにもかくにも、今作も翻訳の勝利! ああ、面白かった。



2021年9月19日日曜日

0295ー96 暗殺者の献身 上・下 (ハヤカワ文庫)

書 名 「暗殺者の献身 上」「暗殺者の献身 下」 
原 題 「RELENTLESS」2021年
著 者 マーク グリーニー  
翻訳者 伏見 威蕃  
出 版 早川書房 2021年9月 
文 庫 上下巻各 448ページ 
初 読 2021年9月19日 
読書メーター https://bookmeter.com/reviews/101314956   
ISBN-10 上巻:4150414858/下巻:4150414866 
ISBN-13 上巻:978-4150414856/下巻:978-4150414863 
 ターゲット(機密情報を持ち逃げして潜伏中の元CIAアナリスト)に接近するためにプエルトルコに潜入したザックが身バレして秘密警察に逮捕・連行される。
 隠密に動かせる手駒に窮したハンリーは、病気療養中のコート・ジェントリーを極秘の医療施設から引き出だした。コートは、ロスで負った左肩の刺傷が感染を引き起こしたせいで手術を受け、いまだ体内から一掃できない細菌を片付けるために抗生剤の点滴を続けており、まだ最低でもあと数週間の入院加療が必要な状況だった。

 すでに無双を極めているグレイマンことコートランド・ジェントリー、前回の私的作戦でも多勢に無勢だったがすでに読者は究極の安心感。これを打開(?)するためにグリーニーが選んだ手段は、なんとジェントリーの出力50%OFF+生命危機のリミット付き。いつもなら救援に現れる“お父ちゃん”ことロマンティックことザックは監獄の中。やるなあ、グリーニー。相変わらずサドっ気たっぷりである。

 そして、今回の風呂敷がまた、たっぷりとデカい。登場人物と舞台が錯綜するため、めったにやらないことだがメモを作成しながら読む。ついでに言うと、至極シリアルである。前作でおおいに楽しませてくれたオレオレの自分語りはナシで。

 そして、怒濤の下巻。
 今回のジェントリーの様子を表すのに最高の一文がこちら↓

 ジェントリーは負傷し、体の具合が悪く、温め直した死人のようだった。

 でももちろん、温め直した死体であってもグレイマンはグレイマンなのだ。

 そんなわけで、とにかく面白い!下巻はもう、ノンストップである。上巻でたっぷり広げた風呂敷を、畳むどころかばっさばっさと振り回す!
 普段はネタバレ満開なレビューばっかり書いてるけど、これは絶対にネタバレしない!とにかく面白かったと断言できる。シリーズ最高傑作であろう。なんか誤植あったような気もしたけど、気にしない!ハリウッド映画ばりばりで映像が目に浮かぶ。暗闇での銃撃戦も、大規模戦闘も殺戮も、爆弾攻撃も、短距離速射も遠距離狙撃も全部、ぜーんぶぶっ込まれてる。映画化してくれ。大画面で。大音響で!なによりザックがめったくそかっこいい。ジェントリーを完全に喰った。いやあ、お父ちゃん大好きだ!
 みんな早く読んでくれ!まだ手に取っていない人は、明日書店に駆け込むべきだ!

2021年8月7日土曜日

0285 ラスト・ウィンター・マーダー 〈さよなら、シリアルキラー〉 (創元推理文庫)

書 名 「ラスト・ウィンター・マーダー 〈さよなら、シリアルキラー〉」 
原 題 「BLOOD OF MY BLOOD」2014年
著 者 バリー・ライガ
翻訳者 満園 真木 
出 版 東京創元社 2016年5月 
文 庫 494ページ 
初 読 2021年8月8日 
読書メーター https://bookmeter.com/reviews/100201195   
ISBN-10 4488208053 
ISBN-13 978-4488208059
 「本当にかわいそうにな、ジャスパー」

 この一言に、ここまでのジャスパーの苦難が凝縮され、どうしようもできない理不尽が語り尽くされているように感じる。

 私個人の職業の中で、児童虐待に関わった大して長くもない数年で自分が考えたことにも通じる。

 人生は理不尽だ。子どもが自分の人生の与条件を自分で変えることはできない。虐待する親も、不幸な生い立ちも、来なかった助けも、見当外れな介入も、経済的な困難も。
 だけど、自分の人生を少しでも良いものにしていくことは、自分にしかできない。世の中が不平等なんだと全身全霊で知り、覚悟を決めて、そこを出発点とすることでしか人は本当の意味での大人にはなれない。ついでに言うと、人は不幸でも案外生きていける。
 人はひとりひとりが違う。それを理解するということは、どういうことなのか。人は大事。人は本物。ミステリやサスペンスはさておき、そんなことが、この本にも凝縮している。
 まあ、アンドリュー・ヴァクスとこの本を「同じ文脈」で読むのが正しい読み方かどうかは知らんが。

 さて、前巻ラストで、ジャズ、コニー、ハウイーが3人それぞれに絶対絶命に陥ったところからスタートするこの巻。

 とりあえず、コニーもハウイーも、そしてジャズも生きている。そしてジャズの危機が図らずもコニーを助けることに。〈みにくいJ〉は誰なのか。そして〈カラスの王〉は? 生きていたジャズの母は?
 ビリーの自己愛を投影したジャズへの愛情の示し方は、これ以上無いほどに歪んではいるが、ジャズの命を助けたり、かばったり、ジャズの敵と見なした者には徹頭徹尾容赦ないところは徹底している。歪んでいるが、そこに確かに愛を感じてしまうから、ビリーを憎みきれない。人間という不完全な存在の難しさ。母ジャニスの冷酷の方が、まだ分かりやすい。結局ジャズは両親を殺さないが、ジャズはそこまで母に縛られなくても良いのに、とラストで思う。この本の中では、かれらをソシオパス、という言葉で示しているが、どっちかっていうと両親はサイコパスだよね、と思う。ジャズはソシオパスの要素の方が強いが。
 
 前巻で一瞬「こいつ怪しいんじゃね」と思ったヒューズは、ただの良い奴だった。こいつはニューヨークみたいに複雑怪奇な犯罪のるつぼではなく、平和な田舎のロボズ・ノッドにでも再就職したほうが良さそうだ。G・ウィリアムとの相性も良さそうだし、近い将来G・ウィリアムが引退した暁には、ジャズの新たな庇護者が必要だろうしな。

 コニーパパについては、多分弁護士だろうと思っていて、きっとジャズの弁護を引き受けることになるよな、と予想した通り。コニーパパがジャズに愛情(らしきもの)か、もしくは同情を抱いてしまうのは、インテリの弱みのような気もするが、それでジャズが癒やされるのであれば、それでよし。

 ジャズの人生は、二十代にしてすでに余生に突入しているようなものだが、これから先の長い人生を、穏やかに、静かに、そして時に人の情に温められて過ごして欲しいと願うばかり。

 2021年ベス確定です。蛇足だとは思うが、邦訳タイトルが3冊とも良い。それと翻訳もすこぶる良い。

以下、これも蛇足だとは思うが忘備代わりに転記。

 父の顔に葛藤がよぎる。でも、それは一瞬で消えた。父が立ち上がって胸を張り、咳払いした。「わたしが彼の弁護士です、ヒューズ刑事。ジェローム・ホールと申します。以後お見知りおきを」 


 「だいじょうぶじゃない。だいじょうぶだったことなんてない」


 「きみにはわからない。この国で黒人であるというのがどういうことか、きみにはわからない。だから決して理解できないだろう」 
 「そのとおりです。僕は黒人であるというのがどういうことかわからない。これからも決してわかることはない。でも、人はみんな違うんじゃないですか? そりゃ、共通の体験はたしかにあるだろうけど、でも世の中の見え方はひとりひとり違う。少なくともちょっと違う。誰もが自分なりのフィルターを通して世界を見ている。あなたは黒人としての体験がある。ぼくには決してわからないようなことをたくさん経験しているんでしょうけど、それでも全員の体験を知ることはできないでしょ。だって、もし人がみんな同じだと考えるなら、ぼくたちの体験が取りかえのきくものだと考えるなら、それは……ほとんどビリーの考え方だから。ぼくたちはそれぞれが個人です。人は本物で、人は大事です。ぼくたちひとりひとりが大事なんです。共通する部分以上に、それぞれ違う部分が」
 
 「私はずっと、どうすればそれができるのか考えてきた」「どうすれば我々が集団として、社会として、本当の平等を勝ち取れるのかと。どうすれば過去の罪を償わせることができるのかと」
 
 「多分……許すか、忘れるか」

 

 「きみに言いたいのは、かわいそうにということだ。本当にかわいそうにな、ジャスパー」

2021年8月2日月曜日

0283 さよなら、シリアルキラー (創元推理文庫)

書 名 「さよなら、シリアルキラー」 
原 題 「I HUNT KILLERS」2012年
著 者 バリー・ライガ 
翻訳者 満園 真木
出 版 東京創元社 2015年5月 
初 読 2021年8月2日 
文 庫 414ページ 
ISBN-10 4488208037 
ISBN-13 978-4488208035 

 123人(息子のジャズの記録によれば124人、その差のひとり分は行方しれずのジャズの母)を殺した連続殺人犯(シリアル・キラー)を父に持つ17歳の高校生のジャスパー(ジャズ)。

 幼い時から殺人マニアの父に“その道”の英才教育を施され、望んでもいないのに殺人シーンのイメージや妄想が頭の中を駆け巡り、同時にいつか自分も父のようになるのでは、という不安に苛まれつつ、正しい人間であろうと努力し続ける悩める高校生が主人公。

 小さな田舎町で逮捕された世紀の殺人鬼の一人息子のことを、町内で知らない者はない。父親の逮捕から4年たった今でも、鵜の目鷹の目でたかってくる地元の三流記者や、住民の好奇の目を避けながら祖母と2人でなんとか普通の生活をし、ときとして父親の犯罪の被害者家族に詰め寄られる。

 彼の「保護者」である祖母は、シリアルキラーである父の実母。どこから見てもまともではない、偏執的な宗教観と人種差別主義に凝り固まった怒りっぽいアルツハイマー患者で、いよいよ手に負えなくなってきている。しかし、この「保護者」を失ったら児童養護施設に行かなければならないジャズは、祖母をお守りすることで自分のプライバシーを守っている。そんな危うい生活を、親友のハウイーや、最近出来た初めての彼女であるコニー、父を逮捕した保安官のG・ウィリアムに支えられて・・・・・・とまあ、よくも盛ったり、この設定。ただただ関心するばかり。

 そんな彼の身辺で、再び連続殺人事件が始まる。
 犯人「ものまね師」は、彼の父親ビリーの犯行を再現していた。
 次々に発生する殺人事件を追い、犯人を捕まえることで、自分の身の潔白を証明し、自分の存在が“良いこと”の役に立つと証明したいと願うジャズ。

 彼の17年の人生のどこをどう切っても悲惨でしかないのに、文のタッチは軽快で、どこかユーモアがある。
 頭が良くて粘り強くて、心が折れそうになりながらも、前向きでありつづけようとする17歳男子がとにかくがんばるので、読んでるこちらも応援せざるを得ない、というかぐんぐん引き込まれてしまう。
 いつ、どこで「異常」の方にぶれていってしまってもおかしくない。自分でも何が異常でどこからが正常な感覚なのか、常に自分の中の物事への反応を一つ一つ確かめながら、なんとか踏みとどまってまともな人間であろうとしつづけるジャズであるが、重くなりそうな内省も、17歳の少年らしいみずみずしさや軽やかさがあって、不思議な読み心地である。
 かれが自暴自棄になったり、自殺したりしないでやっていける強さって、どこに根源があるのだろうと考えると、それがたとえ常軌を逸したソシオパスの歪んだ愛情だとしても父親の愛だったとしたら、悲劇なのか喜劇なのかと悩むところ。


 父親であるシリアルキラー、ウィリアム(ビリー)・デントが、32回の終身刑で収監されていた刑務所からまんまと脱獄し、父とジャズの戦いは、これからどう転がっていくのか。一冊目ではまったく先が読めません。次行こう次!
 
 なお、翻訳が相当良い、と思う。それに、邦訳タイトルも非常に良い。この翻訳者、満園真木氏も追いかけたい。


2021年6月10日木曜日

0275 日々翻訳ざんげ エンタメ翻訳この四十年


書 名 「日々翻訳ざんげ エンタメ翻訳この四十年」 
著 者 田口 俊樹
出 版 本の雑誌社 2021年3月 
初 読 2021年6月9日 
単行本(ソフトカバー)216ページ 
ISBN-10 4860114558 
ISBN-13 978-4860114558

 先に読んだ『寝耳にみみず』東江一紀さんのいうところの「マット・スカダー訳者」である田口俊樹さんの翻訳秘話?

 面白い、というより、実に勉強になりました。いや、もちろん面白いのだけど!それよりも、紹介されているあの本、この本、次から次へとAmazonでポチりたくなる。
「残念なことにとっくの昔に絶版になっているけど、アマゾンのマーケットプレースで一円で買える。是非ご一読を!」の一文に切なさを感じつつ。(マーケットプレイスじゃ、ないんだ!と変なところに田口さんのこだわりを感じる。)
 それにしても、田口さん、チャーミングなお人だ。超がつくような大物翻訳家にこんなこと言ったら失礼だろうか?

以下は、レビューというよりは、この本に触発されてあれこれ私が考えたこと。
 私は読んだ翻訳の善し悪しを簡単に口にするが、それってとてつもないことをしているよな、と日々後悔に襲われもする。一方で、読むのは私だ(読者だ)、みたいな不遜な気分もそれなりにあって、私ごときのシロートに何かを言われるような翻訳を世に出さないでよ、という素人の傲慢さ全開で読書ブログを書いている。
 いやだがしかし、私に翻訳文芸を読ませてくれる大切な翻訳家さん達に対してともかくも、やり過ぎないように、中庸に、英語力がちゃんと備わってるわけでもない自分の無知を自覚して、批判ではなくむしろ育てることを意識して、、、、、って、ウチの職場の新人育成じゃあるまいし、プロに対してそれも失礼でしょう?
 世に作品を出すことを、商業ベースでやらねばばらないという難しさももちろん理解できる。
 大抵のことはググれば情報が手に入る時代になったからこそ、機械翻訳が性能を上げてきているからこそ、調べものの手間が減った分で表現を磨いてほしい、とこれからの翻訳家さん達には願う。ああ、何という上から目線なんだろう、恥ずかしい。そして、兎にも角にも、出版社さんには査読を頑張ってほしい。シロートが一発で気付くような間違いを紙面に乗せたまま、作品を世に出してはいけないよ。そういう点では、やはり精度の高さを信頼できるのは、東京創元さんかな。もうここ何年か「初夏のホンまつり」に行けていないが、アン・レッキーとクレイスの続刊を出してくれてありがとう。あの時話相手をしてくれた女性の編集者さんにお礼を言いたい。

 ところで、第5回の、「アクシデンタル・ツーリスト」の和訳タイトルを私も考えてみた。『やむにやまれぬ旅行のために』 これはどうだろうか?

 この本のレビューからかなり遠方まで離れてしまったので戻すが、私の知らない言葉の知識がたくさんあって、凄く勉強になった。以下に勉強と考察のまとめ。

「口径」と「番径」(p.32)・・・これは知ってたけど、ひとえにWikiのお陰だ。
「ダウンタウン」は、市当局、警察の含み。「ちょっと署までご同行願おうか」って感じ? 頭に浮かぶのがくたびれたトレンチコート着た山さんだ。年齢が知れちゃう(笑)
「書き入れどき」(p.35)・・・掻き入れだと思っていた。帳簿に儲けを「書き入れる」から来ていたとは!
「まさに掬すべき滋味がある。」(p.36)・・恥ずかしながら掬すべき、という言葉を知らなかった。「「滋味掬すべき」(じみきくすべき)とは「豊かで深い精神的な味わい[=滋味]を、十分味わう[=掬す]べき」ということ。」
「ひとりごちる」と「ひとりごつ」(p.72)
「みみをすまして」と「みみをすませて」(p.73)・・・あれ?それでは大好きなジブリの名作『耳をすませば』はどうなる?
「ソーホース」(p.105)・・・・田口さんに媚びるわけじゃないが、私は「木挽き台」が一番好きだな。イメージがしっくりくる。
「狎れ」(p.118) 
「思しい」(p.154)

2021年3月6日土曜日

0260 ねみみにみみず(作品社)

書 名 「ねみみにみみず」 
著 者 東江 一紀 (著)、越前 敏弥 (編集) 
出 版 作品社 2018年4月 
初 読 2021年3月7日 
単行本 272ページ 
ISBN-10 4861826977 
ISBN-13 978-4861826979
長らく積んでいてごめんなさい。
そして、リアルタイムで著書を買わなかったばっかりに、いまになって古本で集めていて(→翻訳者の印税の足しにならない。)ごめんなさい。

失われた干支2周分の歳月が恨めしいやら口惜しいやら。
私、本が大好きだったことを長らく忘れていたのだ。
今から取り戻せるかどうか。数周回遅れで、1990年代くらいからの「新刊」を必死で追い求める日々です。翻訳小説って足が速いの。あっというまに絶版になるの。どんどん手にはいらなくなっていく、と思うと、読むスピードが遅い、という事実はとりあえず本棚の上の猫しか上がらない隙間に放り投げて、まずは積むべし!(こちらはもちろん本棚の上ではなく、棚板の上に積むのだ)となる。とにかく手にいれるのだ。読むのはそれからだ!その結果の794冊。えええ?半年くらい前にこのブログを立ち上げた時には600冊強とか書いていなかったか?半年で100冊増えたのか?まさか!? そう、この本を読んでいる数日の間にも10数冊増えた。だって、東江さんが紹介してくれるんだもの。
 翻訳者としての覚悟やら、自覚やら、苦しさやら、そしてなにやら隠微な喜びやら、懇切丁寧に教えていただきました。お弟子さんや同業者とのやりとりも面白おかしく、そして、越前敏弥さんの後書きに泣きました。仕事は人格。人としての品格。
 
 それにしても、2000年から2020年までの20年って、私のなかで完全にエアポケット化していて、記憶が薄い。何をしていたかといえば、仕事と子育て。この間の読書で印象に残っていることといったら、息子の授乳に退屈して、鬼平犯科帳全巻を読み尽くしたことと、娘の添い寝に退屈して、赤毛のアンシリーズを読破したこと?くらいだ。気付いたら今年、上の子が二十歳になっていて、我に返った。そして、1990年代の新刊本が、実は二十数年前の刊行だと、いまだに毎日、性懲りも無く驚いている。この間仕事はどんどん忙しくなってきて、今や一日15時間職場にいる日々。おや、これだけは東江さんと一緒だ。椅子に座っている体力(?)だけなら、自宅懲役状態の東江さんと並ぶかも?

《覚え書き》楡井浩一、菜畑めぶき、川合衿子、梁山泊・・・ではなくて泊山梁、だ。すべて、東江さんの別ペンネーム。

2021年3月5日金曜日

新明解さん賛歌 ねみみにみみず④

 たしか、「新明解さんの謎」という新書本があったような。(確認したら『新解さんの謎』文庫本だった。)
  この超語釈で超有名な国語辞典を、東江さんはご愛用だったようだ。
私もいつか入手しようと思っていたのに、気づいたら第5版、第6判、と版を(改訂を)重ね、編者が変わり、だいぶ中庸になってきている、というニュースを耳にしたのはいつのことだったか。
 そんなで入手をあきらめていたのに、ここに至って東江さんの新明解国語辞典への賛辞を目にすることになろうとは。 やっぱり読みたいなあ~。手元に置いておきたいなあ。ちなみに私が今も手元に置いている国語事典は、これ。『新小辞林 第二版特装版』三省堂。なんと昭和32年初版、昭和52年第2版特装版発行、とある。小学生の時に、学校で初めて辞書を使うので持ってきて、といわれて母から借用し、そのまま私物化したものです。箱と表紙はぼろくなったので、自分で和紙とビニールコーティングで表紙をつけました。
 さて、新明解さんですが、古本で手にはいるかな?
辞書を古書店で入手する、という発想がそもそもなかったが、ここは探してみよう。ついでに最新版(第8版)と左右にならべて、どのあたりが改定されているのか見比べてみたいもの。 つまるところ、わたしはそういう読み方が好きなのだな、と今日の昼休みに職場のビルの中の書店を巡回しつつ、思い当たった。

  おおむかし、「ベルサイユのばら」に夢中になっていた頃、どこまでが史実で、どこからが池田理代子さんの創作か見極めたくて、フランスの図鑑やら、歴史書やらを子供なりに図書館で探索したものだ。主人公オスカル・フランソワの父「ジャルジェ将軍」は実在する人名だと知って感動したりもした。そのあと、「オルフェウスの窓」でも同じような作業をしたので、フランス革命とロシア革命にはそこそこ(小学生にしては)詳しくなったものだ。(今は大半を忘却した。) 
 そう考えると、虚実ないまぜの物語世界を虚と実のギリギリの際まで追い込んで楽しむ癖は、どうやら読書歴の最初からだったようだ。いまもダニエル・シルヴァを読みながら全く同じ作業をしているのが可笑しい。
  一方で、ファンタジー作品で現実とつながってます、という設定は苦手だ。ファンタジーは完璧別世界で頭っからそっちに没入して楽しみたいらしい。
 だから、クローゼットの中がつながっている、とか、3/4番線がある、とかいうのはそもそも物語の入り口でけつまずく。こっちの世界では冴えない子だったのに、向こう側では英雄、というのも苦手。夢オチは最悪。「ソフィーの世界」は最後であの分厚い本をぶん投げたくなった。あの本はそもそも読み方を間違った。物語だと思って読んでいたから、いつ面白くなるだろうと我慢しながら読んでいたのに、最後まで面白くならなかった。しかも哲学の本ですらなく、ただの哲学史の本だった。

 ええと、ずいぶん脱線しているな。とりあえず、新明解さんを探そう。

2021年3月4日木曜日

表現する技術と、表現したいと乞う魂と。 ねみみにみみず③


さらに続いています。「響かせるの巻」p.110より 
翻訳という仕事を、ピアニストと比較。『200クラシック用語辞典』はおすすめされたのでチェック!

 「うーん、翻訳に似てはいないだろうか。文芸にだって、凝りすぎると嫌味になる作品と、文体こそすべてという作品があるよね。青柳さんも、“演奏/演奏家”の項で、翻訳と演奏は「原作と受け手の間でマゾヒスティックに悩む点は、同じだ」と書いている。」 p.110 

  前の記事で、自分は文芸翻訳家を工芸作家にたとえたので、ここで音楽家とのたとえでうなってしまった。
 私の頭はartの方に行ってたけど、なるほとmusicの例えは、すごく腑に落ちる。 なにしろ「作曲家」と「演奏者」がいるわけで、芸術として成立するためには、必ず製作者と作品の受け手の間に表現者が必要になる。譜面通りに弾くだけでは、表現足りえないことも同じ。
そしてこの「表現したい」は「創作したい」じゃないんだよね。自分の中の無形のうぞうぞ蠢く情熱とか情念とかにオリジナルの出口と形態を与えたいのではなくて、もうちょっとささやかで、自分だけじゃあ表出のきっかけもつかめない自分の中にある何かが、他者の作品という触媒に刺激されて自分でも意識しないうちにおずおずと姿を現す感じだ。そして、これだって、表現する技術を極限まで磨いて、追い込まないとできない業(わざ)なんだよ。

そんなことを、p.140でこんな風に書かれている。
「達意の文、“芸”の名にあたいする文を綴りながらも、けっして自分の主張を盛り込まない日本語表現力。」

そんなことを、さらにp.179 で展開されている。
「翻訳でないと自己表現ができない人っているんですよ。」

わかる。すごく判る。他人の表現物に乗っかって、触発されて初めて発火できる、なんというか燃焼効率の悪いっていうか、活性化するのに触媒が必要な化学物質みたいなのが自分の中に充満しているのだ。そして、他者の作品に関わることで、そんなエネルギーが音楽、とか外国文学みたいな形で、外形化されたときに、その仕事をお裾分けしてもらえるのが読者の幸せだ。



2021年3月3日水曜日

しばし待たれよ  ねみみにみみず その②


そして、続き。

で、「大先輩の高橋泰邦さんは、「文芸翻訳は、ひも付きの創作である」と言っておられる。これはつまり、純然たる創作ではもちろんないけれど、一方に技術翻訳とか実務翻訳とあいったものを対置してみると、われわれのやっている作業は、どうやら技術でも実務でもない、なにか隠微な、姑息な、いかがわしい要素を含むものらしいということの、韜晦を交えた表現ですね」p.64  と、東江さんがいう。

 

 さて、このいわずとしれた大翻訳家の高橋泰邦さん、この方、その方面では有名なとある「事件」をやらかしている。ボライソーシリーズ24巻、主人公ボライソー提督が戦死するシーンで、延々何ページにも渡って創作加筆してしまった。20冊以上分厚い本を訳出してきて、主人公への思い入れもひとしおだったに違いない。原著者が実にあっさり、数行で彼を死なせてしまったので、納得がいかなかったのだろうか。翻訳者は創作者でもある、という自負が暴走したのか。

 私は、といえば、まだこのシリーズ積読中なので、事細かに論評する資格はない。なぜにこの件を知っているかといえば、先達のブログやネット掲示板などで豊富に情報を拾えるから。

 すでに絶版になっているため、Amazonマケプレでこのシリーズを入手した際、版までは確認できず、正直なところ、加筆部分削除修正済みの第2版以降が入手できたならば、このことは知らなかったことにしよう、と思っていたのだ。だがしかし、たまたま手元に届いたのが、加筆部分がばっちり載った初版であった。そこで、第2版以降を探して入手する必要に迫られ、その結果として新旧版を左右見比べる環境が出来上がってしまった。(ある意味、残念。)

 

やはり、一読者としては、誰かの二次創作ではなく、出来も不出来も原著に忠実な物語世界に遊びたい、と思う。

原著の宇宙にいると思っていたのに、いつの間にか二次創作のパラレルワールドに拉致されていた、というのは、やはり読者への裏切りだろう。読者だって延々24冊、主人公と付き合ってきたのだ。果たして今まで、自分は何を読まされてきたのだろう?と疑惑も頭を擡げただろう。これも騒ぎのもとは、翻訳を読んでいて文体に違和感が募り、原著と読み比べた人が出てきたから。

 

さて、そんなことを思い出しつつ、東江さんのエッセイにもどると、こんなことを言っている。

“芸人は「正しいけれど野暮」より、断然「まちがっていても粋」の方を取ってほしい”という中野翠さんの『ひょんな人びと』(文春文庫)からの一文を引きつつ、


「そう、そのとおりだと思いますね。強く、強く思う。で、そういう視線で文芸翻訳ってものを眺めたとき、われわれはやっぱり芸人じゃないという気がするんです。

 原著者は、そりゃ、“まちがっても粋”の路線でだいじょうぶだろうけど、翻訳者のほうは、野暮でもなんでも、とにかく正しく訳さなくちゃ、商売になんないんだもの。

 というより、原著者の“まちがっても”の部分を、そのとおりのまちがいかたで正しく写し取るという、野暮の骨頂みたいなことをわれわれは嬉々として、じゃなくても口元に微苦笑をうかべつつ、日常的にやっているわけです。」p.65

 

そう!そうなのよ、それでこそ名翻訳者!と、私が膝を打つそばからこんなことも書いてる。

 

翻訳家どうしは仲が良い。ぶつかり合わない、冷めている、引いている、抑えている。で、ひたすら和やか、なんだそうな。


「要するに、同業者が敵じゃないんでしょう。むしろ、原著者、編集者、書評家、読者などの外部の諸団体に対して、結束しているような感がある。・・・・・」p.66


翻訳業界の微温湯的同族感。

そうかあ、それじゃあ、お前あんなくそな翻訳世に出すんじゃねーよ!翻訳者の名折れだろうーが。業界全体がめーわくすんだよ!みたいな喧嘩は期待できないのだな。まあ、それが当然だよねえ。小さな業界なんだもの。それに私だって、それじゃ職場のウマが合わない同僚と、口角泡飛ばして喧嘩できるかっていわれたら出来ないもの。


そういえば、この本を読みつつあちこちネット上をうろうろしていて、一般社団法人日本翻訳協会という団体さんを見つけました。ここの団体の倫理綱領がちょっと面白かった。

翻訳者の倫理綱領 4の同業者との関係、とか・・・・・・とっても微温湯的。個人的ににやにやしたのは、「汚い手段」とか「悪しざま」とかの言葉の使い方、文芸翻訳家っぽくて面白い。あと、4(2)の条文だけ、主語の書き方が違うのはなぜだ。


 

さて、私が、なぜにこんなに誤訳本に粘着しているのかと問われれば、人間の性で、そこでその時「何が起こったのか」を理解したいのだな。なんで、あんな翻訳がされて、編集のチェックも受けずに(いや、受けたのか?まさか?)、印刷されて、世に出てしまったのか。 自分で納得して、さもありなん、と思えないと気持ちが悪いのだ、きっと。でもこれもある意味傲慢な感覚ではある。理解できないものを批判する、という行為は、いじめとか、蔑視とか、排斥とか、暴力とか、民族差別とか、宗教差別とか、ジェノサイド、につながる階段の最初の一段目かもしれんぞ。

と、風呂敷が収集つかないレベルまで大きくなったところで、我に返って最初に戻って修正。

まり、


・不良品を、他人に売りつけてはなりません。

・自分の仕事は、誠実に行うべきです。

・なぜなら、あなたの仕事を待っている人がいるからです。

 

ほっ。小学生の道徳レベルまで引き戻せた。ダメなものはダメなのです。

 

それにしても、微温湯のなかをふわふわと漂うような文章ながら、羽毛枕に鈍器を仕込んだようなやわらかさで某氏のことを批判していると読めるのは、気のせいじゃないよねえ? でも、ここで気付いた。某ライソーシリーズ24巻目よりも、このエッセイの方が先に世に出ている。やっぱり私の気のせいだろうか。。。。

2021年3月2日火曜日

しばしの休息  ねみみにみみず その①

私は文句つけたがりの性格破綻者じゃない
翻訳小説をココロから愛しているだけだ
翻訳家の仕事を心底敬愛しているだけだ
大好きな作品をテキトーに訳されているのを見つけちゃっただけなんだよ〜〜〜!と叫んでみる。

そんなやさぐれた心に一服の清涼剤を
東江一紀さんのだじゃれwww

ああ癒やされる。
一冊終えるごとに3,4冊抱え込むって、それ、ワタシの積読と同じ(笑)

とりあえず、出てきた書名やら人名をメモメモ。
『ストーン・シティ』東江さんの翻訳作品、新潮文庫・・・・・1993年刊。絶版。マケプレ頼み。→ポチっとな。でも、古書では印税の足しにならないので、本当は新本を買いたい。私が出来るだけ新本を買う理由の一つ。
★ 伏見威蕃さん 翻訳者 最近ではもちろんグレイマン・シリーズ♪・・・・・Wikiで調べてみて、はじめて「いわん」さんだと知った。不覚。クライブ・カッスラーとか、トム・クランシーとかの他に、ビジネス系、政治系ノンフィクションや指南本も沢山訳していらっしゃる。
マッド・スカダー訳者。もちろん翻訳家の田口俊樹さん。スカダーシリーズは鋭意積読中だ。 
『ヴァーディカル・ラン』、邦題は『垂直の戦場』徳間書店 (1996/9)東江さんの翻訳作品。ちなみにハードカバーのみ(笑)。そして絶版。ああ勿体ない。 ・・・・私、このエッセイ読み終わるまでに何冊ポチるだろうか? 
★大先輩の高橋泰邦さん (1925年生-2015年没)、ホーンブロワー、ボライソー、オーブリー&マチェリンなどの海洋冒険小説を訳出したその道の大家。そういえば、ダグラス・リーマン(アレグザンダー・ケントの別名義)を翻訳している大森(高永)洋子さんや高津幸枝さん、高沢次郎さんは、お弟子さん。「高」の一字を師匠から頂いているのね。


そういえば、ふと思ったのだけど、職業翻訳家って、工芸作家と似ているよな。たとえば文学作品を書くのがファイン・アートなら、翻訳は工芸品。あくまでも出過ぎず、規範にのっとり、実用的でなければならぬ。しかしそこには確かに技があって、その技倆によって翻訳家さんによっては作品がリアルアートたる文芸作品になりうる。であるからこそ、原著の劣化版みたいな作品は御免被りたいわけで。。。。
昔、十代の学生の頃、いや、その前の小学生の頃だな。絵を描くのが大好きだったけど、自分にはファイン・アートをやる才能は無い、とはっきり自覚できていた。だから、実用の美である工芸に心惹かれたんだよなあ。今、翻訳小説に心惹かれるのも似たような心境かもしれない。