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2026年1月1日木曜日

2026謹賀新年 昨年の反省と今年の目標的なこと

 明けましておめでとうございます。


 どうにも、新しい年が来た、という感慨が持てないまま、1月1日が終わろうとしている。
 新年って、こんなに、ぼやーっとはっきりとしないものだったっけ?と頭の中が「?」で一杯だ。
 もちろん、新しい年の訪れになにか変化があったはずもなく、私の感覚が鈍ったというか、貧したというか。単に疲れた、とも言うか。


 昨年は色々とありました。それはもう、言うまでもなく、母のこととか母のこととか母のこととかね。まるまる3年間、通いで母の介護(というか見守りというか、後見というか、家事援助というか。)を行い、母の日常生活が滞りなく進むようにまさに黒子のように動いてきた。それでももはや安全な生活の維持は困難、と見定めて、短期間ではあるが同居に踏み切り(というか自分の家との二重生活だったけど)、グループホームの見学から入居までを進めた。母がGHに入居したあと、家の中を一気に片付けたのは良いが、一週間の過重な労働で右肘が腱鞘炎になった。すでに3ヶ月が経過しているが、まだ完治していない。

 母の家は、私にとっては父の思い出の方が強い。
 ほとんど家から出ること無く父が過ごしてきた居間は、応接セットのソファがボロボロになり、父の大切にしていたオーディオセットはスピーカーのウレタンが劣化して崩れていた。
 母は家の中をいじられるのを嫌がったので、母が居るうちはできなかったが、母の施設入居後、真っ先にやったのが、応接セットの修理と、スピーカーの修理だった。
 それぞれ、一ヶ月ほどで修理先から戻ってきて、室内は父の生前の姿をすこし取り戻した。

 父のスピーカーは、それなりに良いものだったようで、修理から戻ってきてから、父の秘蔵のレコードを掛けてうっとりしている。

 母は認知症高齢者グループホームで落ち着いて過ごしている。たまに面会にいくが、自分の家のことを気にする様子はあるものの、「帰りたい」とは思わないらしい。こんなにもGHの環境に馴染んでくれると、こちらとしてはちょっと拍子抜けするくらいであるが、これも施設が穏やかに生活を支えてくれるからだろうと感謝している。

 もちろん、こうなってもらえるように、入居に当たってはかなり細かいディティールまで作り込んだのだから、頑張った甲斐があった、と思ってもいいんだよな。自画自賛ではあるけれど。

 そんなこんなが2025年だった。

 そうそう、もう一つ。

 母の家・・・ということは私が育った団地なんだが、そこで暮らしてる中学校時代からの友人との交誼が復活した。彼女も自宅でお母様の介護をしていて、お互いに情報交換したり、励まし合ったり、飲んだり喰ったり(笑)、会う時間の無いときにはSNSで他愛のないやり取りをしたり。お互いに、内にこもりがちな介護のあれこれをオープンにしあうっていうのは、必要だと思った。なんかねえ、「私はがんばってるぞ」「頑張ってて偉いねえ」とお互いに言い合うだけでも、荷が軽くなる、というか、許されてる感があるというかね。
 あと、友人と再会・・・・に端を発して、ウイスキーを飲む楽しみを覚えた。これは特記しておかないと。

 そんな2025年だったのだけど、読書の面では、日本産ファンタジーで年が明け、乾石智子氏の作品を読み、そこから、自分のファンタジーの原点と思ってル=グウィンに至ったものの、そこで力尽きた感がある。

 ル=グウィンの作品については、散々レビューを書いたのでもはやお腹いっぱいではあるが、正直、子供心の憧憬のまま、置いておけばよかったかもなあ、と思わないでもない。

 素晴らしい作家であることには全然異論はないけれど、まとめて読んだら食傷した。なんだかどれも似ている様な気がするんだよなあ。まだ全作品は読めていないし、もの凄く楽しみにしていたのに、昨年翻訳が発行されたゲド戦記のシリーズ最終巻「火明かり」は結局通読できていない。もっとも収録されている論文部分については、国立国会図書館からコピーを取り寄せてすでにレビュー済みだけど。

 ル=グウィンの作品はジェンダー論と切っても切り離せないのだ、とは理解したが、ジェンダーとは、その人の文化・環境・生育によって人の数だけあって、ル=グウィンのジェンダー観に関しては、それはそれは重いものを感じるとは言っても、それは所詮は「私のものではない」という感じもとても強かった。白人の、アメリカ人の、キリスト教文化圏の、知識人階級の、彼女の生きた時代の、彼女の家庭と生活環境と彼女自身の性格や感じ方に由来する固有のジェンダーであって、私は彼女を理解しようと努めることはできても、まるっと受けとめることはできない。そんな感じだ。そういう、大きな時代的、社会的、構造的なものであっても極めて個人的なものでもあるものを、「ジェンダー論」として取り扱うことの難しさに、この道の研究者はどうやって取り組んでいるんだろう、という別の関心も湧いたが、そこにはまだ突っ込んでいっていない。

 さて翻って、2026年は、どんな目標を立てようか。

 唐突だけど、そろそろ真剣に早期退職を検討したい。とは思うのだ。

 なにしろ、読みたい本が多すぎる。現在、私の読書ペースは多くても年に100冊がいいところ。自分の積ん読だけでも1500冊を越え、父が遺した文学全集まで加えたら、とてもじゃないが、生きているうちに読み切れると思えない。
 母が元気に動き回っていたのは、せいぜいが70代までだった。あと何年読書余命があるか、母がボケるのを目の当たりにしたものだから、そんなことを考えてしまう。

 あちこち痛んできた自分の体のメンテナンスもしたい。健康を維持するための運動もしたい。なにより、ちゃんと食事をして、適切に入浴をして、きちんと睡眠を取って、という当たり前の生活を取り戻したいし、全然できていない英語の勉強もしたい。

 今年読みたい本のリストアップはもうするのはやめた。

 どうせ、その通りには読まん。
 だが、積ん読は減らしたい。なんとしても減らしたい。

 2026年。とりあえず、目指すのは、健康増進と読書。

 ウクライナとパレスチナに平和が訪れ、日本近海で戦争が起きませんように。

2025年8月28日木曜日

日々雑感 ただの日記である。

本文とは全然関係ないけど、祇園きななのきなこかき氷は日本中で一番美味いと思う

 母の家に常駐して3週間経過した。

 いろいろとやってはいるが、それとはほぼ(たぶん)関係なく、疲れている。
 今疲れているのは、メンタルの方かな。

 母は日中はデイサービスを利用しているのだが、ちょっと前まではできていた「一人で家にいる」ということが、ほぼ難しくなった。ご飯も自分では食べることができなくなった。
そのため、デイサービスがある平日は、デイサービスから帰ってくる夕方から、翌日の朝まで、デイサービスがない土日は、まるまる、そばで見守る必要がある。幸い、母はとても寝付きがよく、一度寝ると、たいていは朝まで起きない。深夜の見守りが必要ないだけ、とても楽である。(たまに、夜中に起きてしまったときに、そーっと私の寝室を覗きにくるのはご愛敬の範囲内。)

 そんなわけで、母が安全に生活するためには、どうしてもフルタイムの仕事との両立が難しくなったので、母がグループホームに入居するまでの間、介護休暇を取らせてもらうことにした。

 しかし、母がデイサービスに行ってしまえば、その間は私一人になる。
 実際には、GHへ入居するための準備やら家事やら、なにかとすることはあるのだが、思えば私は、ずーっと独りでいる、ということが、あまり経験がない。

 私はずっと、集団の中で育って働いてきているためか、集団に過剰適応気味で、誰かが周囲にいると、ものすごく元気になる。
 明るくて、しっかりしていて、頼りになる・・・・・・みたいなキャラが巨大な猫の着ぐるみになってだな。ほぼ、自動的に、「私」という自我におっかぶさるんだよ。これは、自分ではコントロール不能で、職場に行けば、他人と会えばおのずとそうなる。

 自分の中には、内省的で暗くて、家の中に居たがる人格がいて、どちらかというとこっちが本質に近いような気がしている。しかし私は昼も夜も職場にいるような無茶な働き方をずっとしてきていて、これまでは猫の方が圧倒的に優勢だった。

 ところがだ、介護休暇で母の家に引きこもりがちになって、巨大猫の出番が減ると、暗くて、内省的で、引きこもりで、要領の悪い、弱い方の自我が浮上してきた。そして、この自分は、ほぼずーーーーーーっと、疲れている。これが、冒頭の「今、疲れている」の私なりの説明、というか理解である。

 心理学的に、一人の人間の人格は一つではなく、沢山の人格がいて、それが場面場面で優勢になりながらも、きちんと統合されている状態なんだ、とどこかで読んだか聞いたかしたことがある。その統合された状態がぶっ壊れると、統合失調症ということになって、これは、本人にとっても周囲にとっても、社会的にもヤバい。私の場合には、自分で考えるに、統合は失調していないけれど、仕事向け人格と、内向き人格のバランスはあまりよろしくない。そうなった理由は、自分なりにあれこれと思い当たるものはあるが、それはもう、仕方ないことなのでよい。
 なにが問題かっていうと、自分なりの折り合いの付け方だ。

 一言で言ってしまえば、「元気な自分」はあまり好きじゃない。「元気な自分」は、全人格的な存在ではない。だけど、消極的・内向的な部分は滅却しているので「元気な自分」でいるときのほうが、メンタル的にはむしろ楽だったりする。だけどその「楽」は、内向的な自分を楽にはしないんだよな〜。むしろ疲労させる。

 今は、内向的な自分が前面に出て来ていて、そして、疲労し、気分が落ち込んでいる。明らかに不眠症の症状も出ているし、頭の中に芯のような、粘土の塊のようなものが入っているように、頭が重い。思考が愚鈍で、このままだと、鬱になるかも、という危機感もそこはかとなく抱いている。

 さて、精神科か心療内科に行くべきか。お薬もらったら楽になるか。

 不眠症気味なのは、むしろ自律神経系の不調のような気がするので、ヨガとかマッサージとか、肉体側からアプローチする方が効くかもしれない。マインドフルネスや瞑想なんかも良さそうだ。

 以前に本格的に不眠症になったときには、コメディ漫画を大人買いして、2週間ゲラゲラと笑い続けて、ほぼ強制的に状態を改善させた。このことを、以前精神科の先生に話したところ「正しいですね」とお褒めの言葉を頂いた。
 これでも良いのだけど、全力で笑えるほどの作品が今のところ、見当たらない。ちなみに前回読んだのは、「のだめカンタービレ」。クラシックをガンガン聴きながら、とにかく全力でゲラゲラ笑う、という我ながら最強のメンタル調整法で、不眠状態は改善したが、また不眠に陥るのでは、という不安状態はしばらく続き、夜眠れなくなるのでは、という不安から昼寝はできなくなった。

 まあ、そんなこんなで、この疲労している自分をどのようにしたらよいのか、いまだ困惑中である。

2025年8月24日日曜日

番外 ウォルドルフ人形の本

書 名 「ウォルドルフ人形の本」
著 者 カーリン ニューシュツ (著), 佐々木 奈々子 (翻訳)    
出 版 文化出版局 1986年10月
大型本 87ページ
初 読 2001年頃
ISBN-10 4579103378
ISBN-13 978-4579103379
読書メーター 
https://bookmeter.com/reviews/129864514

 第一子を出産した産院のOG会で、「赤ちゃん会」というのがあり、出産日が近かった仲間が月1回の会合で仲良くなって、そのうちのお一人で手芸が得意な友人を講師役に、みんなで赤ちゃんのファーストフレンド・・・・最初に与えるお人形として、「ウォルドルフ人形」を作ったのが、かれこれ25年前だ。

 一体目の男の子の人形は、彼女の懇切丁寧な指導で作成したが、その後、お洋服を作成するために、この本を購入。第二子出産を機に、もう一体(女の子の人形)を作った。

 材料は、当時吉祥寺の東急の裏手にあった「おばあちゃんの玉手箱」という自然派育児ののおもちゃや素材や絵本を取り扱っていたお店で購入。よく覚えていないが、この本もそのお店で買ったかもしれない。
 当時、吉祥寺は、この「おばあちゃんの玉手箱」の他にも、「ニキティキ」などの木のおもちゃのお店などがあって、しょっちゅう通っていたな。あと荻窪には津川雅彦さんの「グランパパ」の店舗があって、こちらも大好きだった。

 さて、このウォルドルフ人形、男の子の方は、息子が人形のお手々をあむあむしゃぶったり、娘が生まれてからは、二体とも娘のおもちゃになっていたが、娘が幼少のころ、なにを思ったか、人形を散髪!・・・・いや、いいんだよ。このお人形は、そういうことしてもOKだ。だが、ちょっと髪の毛長めで優しい雰囲気だった男の子は、丸刈りになっちゃったのだった。(/_;)

 いつか、きちんと髪の毛をもう一度生やしてあげよう、と想い続けて十数年。思い立ってこのお人形用の手紡ぎのウール毛糸を買おう!とお店を探したが、「おばあちゃんの玉手箱」は閉店してなくなっており、しかし代わりに、以前は表参道にあった「クレヨンハウス」が吉祥寺に移転してきていたので、こちらで注文することができた。

 しかし、せっかく毛糸を入手したのにそこで力尽き。
 なかなか、お人形を洗って、痛んだお洋服も修繕して、お人形の虫食いも直して、髪の毛を植えて・・・・・という一連の作業に着手する気力と時間がなく、さらに五年以上は放置。

 ここに至って、いつやるの?今でしょ!! とやっと、やっと、お人形の手入れに着手した。

 昨日、自宅から母の家に、お人形と素材をまるっと持ち込み、今日は朝からお人形をエマール風呂に入れ! お洋服を洗い! しみ抜きし! 干して乾かして、修繕して!
 イマココ。
洗って、ベランダの室外機の上で日光浴(乾燥)今日の天気は良く乾くぞ

スナップを付け直し、伸びた袖口のゴムを取り替え、細かい綻びも縫い直し

 ウォルドルフ人形は、表は綿ジャージー、中綿は羊毛。髪の毛も手紡ぎウールなので、きちんと保管しないと虫に喰われる。この子達も、ムスメが構わなくなってからはずっと放置だったので、何カ所か虫に喰われてしまった。そこも修繕しないと。

 きちんと髪の毛を植え終わったら、また写真をアップするよ。

2025年3月30日日曜日

日々雑感・・・ファンタジーが読みたかっただけなのに


 昨年末から久しぶりにファンタジー作品を読み始めて、原点回帰、とか思って、ん十年ぶりにゲド戦記を読み始めた。私はただ、私のファンタジーの原点・・・指輪物語やゲド戦記に回帰したかっただけなんだよ。あと、ル=グウィンに関しては、まだ完読していない『西の果ての年代記』までは辿り着くことが当初の目的だった。
 だがしかし。
 ゲド戦記の周辺が賑やかすぎて、無視できない。また、作品そのものも、読んだ人間がざわめくのも無理はない程度には、良くも悪くも問題作だった。
 だから、これを読んだ他の人達はどう考えているのだろうか、とかつい気になって、書評のアレコレや、論文や評論にも手をだした。
 結果として,もう手遅れなのだが、純粋にゲド戦記の世界に遊んでいた昔の心持ちに戻れるものなら戻りたい。

 『帰還』も、『アースシーの風』も、絶対に受けつけない人もいるみたいだけど、私はそこまでの拒否感はない。それなりに完成度は高いし、面白い。だけど、そう、なんというか、解釈違いの映画化作品でも見たような気分も無いわけじゃない。ル=グウィンに対しては、彼女のいうところの「今」の作品を書くにしても、なぜゲド戦記の続編でなければならなかったのか、別作品で書いてくれればよかったのに、と、恨めしい気持ちは若干ある。

 『影との戦い』や『さいはての島へ』で出てくる例の石垣については、これまでは、自分なりに、三途の川のようなイメージで読んでいたので、石垣の向こう側があの世だと理解していた。

 だが、『アースシーの風』によって、そのイメージがよく判らなくなった。さらに、外伝(『ドラゴンフライ』)収録の『カワウソ』では死者が石垣のこちら側に居る。根本的な世界観がブレる。『アースシーの風』では死者と生者が力を合わせて石垣を壊す。そして石垣を越えて死者が解放されることが描写されるのだが、それではあの石垣は一体何を仕切っていたのだ?
 生死の世界の分かれ目なのか、西の果てのそのまた西に続く世界のつながりを仕切っていた魔法なのか。死者は石垣のどちら側に居るのか?

 ル=グウィンが十年、二十年の時を経て、アースシーに戻って、その世界を覗き、そこで見たものを作品に紡いだことで、それまでに読者が過去のル=グウィンの言葉をよすがに創り上げていた、日本人にとっては「ゲド戦記」であり、海外の読者にとっては「アースシー」であるところの、ファンタジー世界の土台は壊れてしまった。あの石垣の如くに。

 べつに著者が何十年かけて作品を書いてもそれは良い、が、著者自ら世界を改変するのは、できれば止めて欲しかった。いったんは読者に委ねた作品であれば、過去の作品が未熟なら未熟なまま、読者に預けておいてくれたらよかったのに。

 まず、このゲド戦記6巻(この6月頃には、7巻になる予定。)を読んで思うのはそのことである。
 そして、外野はやっぱり五月蠅すぎる。(私自身も含めてだ!) 作品を楽しむこと以外しなくでもいいじゃないか、と思う。

 だがしかし何よりも、過去の作品世界をいじらないで、と思うその気持ちが、程度の差こそあれ、例の栗本薫に思ったことと根っこのところでは大差無い、というのが、正直一番の_| ̄|○ なのだった。

2025年1月1日水曜日

謹賀新年2025



明けましておめでとうございます。
 2025年の正月の膳です。
宅配のお節(三段重)と柿安ダイニングの肉系お節
遠方からムスメが帰ってきているので、つい奮発したらこうなりました。

 本当は、お節を手作りしたいんですが、たぶん、全部作ると3日掛かりくらいになるんですよ。まず大鍋に一番だしをとり、二番だしはお雑煮用にして、お煮染めは単品ずつ味を変えて煮ますし、黒豆煮て、栗きんとんの栗は秋に甘露煮を作っておき、二色卵も自前で裏ごしして蒸す。・・・・前に作ったのは、多分20年位前です。結構本格的だと自負していたのですが、それ以降、なにかと忙しくて、もう少し年末に時間の余裕を持てるようになったら、もう一度チャレンジしたいと毎年想い続けて早・・・20年・・・(^^ゞ

 里芋の白煮と山形風のゴボウのお雑煮は大晦日に作りました。

 私は両親とも関東なので、家の雑煮は関東風(鰹だし、醤油味、具材はかしわ、小松菜、なるとのみ、四角い焼き餅)なのですが、山形出身の友人に教わった山形風の牛蒡のお雑煮があまりに美味いので、以来これも毎年作り続けてはや20年・・・。もはや我が家の味といっても良いでしょう。

 これから、実家の母宅に、一人用のお節の折り詰めを届けに行きます。
 新年だから、と、あれこれしてあげたい、とつい頑張りそうになりますが、認知症の母は、こちらの頑張りに見合う反応はしてくれないので、あまり力と気持ちを入れすぎないように気を付けています。こちらがやった分の反応をつい、期待してしまいますし、それが期待外れだと、イライラしがちですからね。それよりは、平常心でいつもと変わらず、と心がけたほうが良い。母のためにも良い。今年はどんな年になることやら。

ちな、昨年の年始の読メつぶはこちら→ https://bookmeter.com/mutters/262668000

2024年11月4日月曜日

0518〜19 アルフォンス・ミュシャ展(府中市美術館)で収穫



読書メーター記事 https://bookmeter.com/mutters/274559308

 文化の日だから、というわけではなく、魂の洗濯の必要性に迫られたので、府中市美術館で開催中の「アルフォンス・ミュシャ ふたつの世界」展にいって来ました。 
 先日『かわいい江戸絵画』という図録を購入したときに、思ったのですよ。府中市美術館、優れているな、と。きっと、すごく良い、キュレーターさんがいるのだと思う。
 今回のミュシャ展にも、すごく熱量があって、なおかつすっきりと読みやすい、素晴らしい解説が表示されていました。分量的にも丁度良いかな。これ以上のボリュームだと、疲れて集中できなくなりそう。
 知らなかったミュシャの人生についてや、表現のアレコレについてもすこし知識を増やして帰ってきました。
 ミュッシャ後年の大作、スラブ叙事詩はどこに? と思って調べてみたら、2026年にプラハに『スラブ叙事詩』を恒久展示するための施設が建設されるそうです。美術館、というよりも複合施設っぽいデザインのようですが、いつかぜひ見に行けたら、と思います。
 
 かねてから入手したいと思っていた画集2冊も購入。

0518 ミュシャ作品集 増補改訂
書 名 「ミュシャ作品集 増補改訂版」
出 版 東京美術  2022年4月
大型本  21.1 x 1.5 x 29.7 cm 224ページ
初 読 2024年11月4日
ISBN-10  4808712350
ISBN-13  978-4808712358
読書メーター https://bookmeter.com/reviews/123267240


 とにかく美しいの一言に尽きる。フランスで才能を発揮し、祖国チェコの独立を支持し、チェコスロヴァキア独立後は、祖国で制作活動に従事したミュシャ。展覧会では観ること叶わなかった壮大なスラブ叙事詩も収録されている。






0519 ミュシャ装飾デザイン集 増補改訂版
書 名 「ミュシャ装飾デザイン集 増補改訂版」
出 版 東京美術  2021年12月
大型本  21.1 x 1.5 x 29.7 cm 191ページ
初 読 2024年11月4日
ISBN-10  4808712342
ISBN-13  978-4808712341
読書メーター 
https://bookmeter.com/reviews/124052008

 ミュシャは何冊かのデザイン教本も作成しており、それらも収録されている。デフォルメされた植物モチーフのボーダーやフレームも、繊細かつ正確なデッサンから生み出されているのだ、と納得。


2024年9月15日日曜日

今日はこれから悪口を書く

 東芝のエアコン。大清快(だいせいかい)である。
 これから私はこの製品をこき下ろすレビューを書くつもりなので、そういうのがイヤな人はぜひ、読まないでほしい。

 2年前の夏に、おそらくは熱中症の影響もあり、突然認知症になった母。様子がおかしいとの知らせで久しぶりに様子を見に行くと、母は30℃を超える室温の中、部屋の窓とカーテンを閉め切った状態で生活しており、炊飯釜の中のご飯は腐っていた。(ちなみにエアコンは設置されていたが、使用されていなかった。)
 それからばたばたと、介護保険の利用を開始したり、見守りの体制を整えたのはこれまでに既述のとおり。そして、その次の夏の到来に備え、昨年の6月に、母の家のエアコンを一新した。

 購入の条件は、自分では室温管理できない母の熱中症死防止のため、エアコンをスマホでリモートコントロールできること。いわゆる「スマート家電」である。

 各社の上位機種であれば、だいたい似たような機能はあるだろうと思い、あまり商品レビューなどは確認せず、ヨドバシカメラで現品とカタログを見比べて購入した。結果的には失敗だった。もっときちんと下調べするべきだった。

 正直、日立、東芝、ダイキン、三菱・・・・エアコンであれば、このあたりから選べばそう性能に違いはないだろう、と思っていた。
 そして結果的に購入したのが、東芝の〈大清快〉の最上位機種である。
 なぜ、東芝になったかと言えば、たまたま売り場にいたのが東芝の販売促進員だったからだ。
 Wi-Fi対応、タイマー運転は必須。販売員の説明を聞いて良いと思ったのは、無風感ルーバーなる機能があることと、オートクリーン機能があることだった。
 だがしかし。これが大ハズレだった。
 (ちなみに比較の対象は自分の家に設置している日立の〈白くま〉。こちらには何ら不満はない。)
 では以下に、この東芝製品を買って失敗だった、と思う理由を列挙する。

① 弱風でも風が強く、動作音がうるさい_| ̄|○
 一番弱風の運転にしても、かなり吹き出しが強い。最弱でも、12畳程度の部屋のエアコンとは反対側の壁に掛けてあるカレンダーのページがひらひらする程度に風が強い。そして動作音(風の吹き出し音)がうるさい。母は高齢者の例にもれず、エアコンの冷風が嫌いだ。できるだけ静かに、あるかなきかに部屋を冷やしたかったのに、それが出来ない。

② 無風感ルーバーは使えない_| ̄|○
 期待していた無風感ルーバーが、思いっきり期待外れだった。
 静かで無風な運転になるものだと期待していたのだが、そうではない。結構な風量を、穴あきのルーバーにぶつけるため、それなりの強風が室内に吐き出される。おまけに、このモードのときには風量調節ができない。結果、うるさく、風が強い。期待外れもいいところだった。

③ 除湿運転の時に風量調節ができない_| ̄|○
 文字通り。除湿運転にすると、風量は自動になってしまい、つまり、風が強くて使えない。

④ 温度のコントロールが悪い_| ̄|○
 まず、本体が表示する室内温度が、実際の室温とは全然違う。多分、温度センターはエアコン本体に付いているだろうから、エアコン本体の位置の室温を表示しているのだろう。当然エアコンは天井近くに設置されているから、温度はエアコンを稼働していないときには高く、エアコンが冷えれば低くなる。
 その結果、エアコンで温度を設定しても、その室温にはならない。
 たとえば、28.5℃設定で冷房運転しても、室温は26℃〜28℃以上を上下する。(自分の家の日立の白くまは、たとえば27℃で温度設定すると、だいたい室温はその温度で一定する。賢い子だ。)
 結局、遠隔で室温を管理するために、Switchbotの温湿度計を2台設置して、室温監視することになった。Switchbotにエアコンのリモコンをリンクさせて、エアコンのコントロールまで自動化することも可能だが、そこまではしていない。そこまで機械に任せきりにすると、万が一Wi-Fiがダウンしてリモートコントロールが利かなくなったときに気付くのが遅くなり、致命的な事態になりかねないことを案ずるからだ。

⑤ 表示ランプが邪魔_| ̄|○
 エアコン本体の表示ランプがうるさい。
 これは、東芝に限らず、全社のエアコンにあるだろうし、エアコンに限らず大抵の家電に付いているだろうとは思うのだが。
表示ランプの上に黒と白の
ビニールテープを重ね貼りしてます。
 認知症の母は、電気が通電していると、「火事になるのが怖い」と思ってなんとしても電源を切ろうとする。また、頭の中が昭和に戻っているので、とにかく電気がもったいない、と節電行動に走る。度々、母がエアコンのコンセントを抜こうとしてコンセント周りの破壊行為に及ぶのは、エアコンの通電表示が気になってしまうからだ。(現在は、通電、Wi-Fi動作、予約のランプは常に点灯していて、これに加えて運転中は運転ランプが点く。) これは仕方がないとしても、せめてランプOFFの機能は付けて欲しかった。
 ランプを強弱切り替える機能はあったが、弱にしても明るさに大差なく、ほぼ意味をなさなかった。仕方ないので、もう、物理的にランプに目隠しした。せめて、表示が消せるようにしてくれ。

⑥ 自動クリーニング運転が不快_| ̄|○
 冷房運転を止めると、自動クリーニング運転が始まる。この際に、かなりの湿気とともに、室内に排熱する。つまり、冷房で部屋が冷えたからクーラーを止めよう、と思うと、クーラーに室内を暖められてしまう。熱交換器内のカビを防止する機能であり、各メーカーに同様の機能があるとはいえ、自分の家の日立エアコンで、排熱が気になったことはない。東芝エアコンのこの機能は、相当に不快だ。

 結論として、もう二度と、東芝のエアコンは買わない。
 なんというか、繊細さがないんだよ。きっと細かいことには気が回らない大雑把でおおらかな男(多分に偏見が入っていることは自覚している。)が開発したんだろう、と思っているよ。(私の中では、ラグビー選手みたいにデカくて、筋肉量と発熱量が多くて、強めな送風をものともせず、冷えすぎな室内を快適に感じるおおらかな大男のイメージ。)

 なーにが大正解だ。大失敗だよ_| ̄|○

 ちなみに、以上の不満は冷房運転の時である。
 昨冬、ワンシーズン暖房も使用したが、大きな不満はなかったことを申し添える。早く冬来い!

2024年9月9日月曜日

日々雑感  オーブントースターを買った。

 オーブントースターを買いました。「いつか買おう」と思っていて気付いたら10年経ってた(笑)。 「いつかっていつだよ!」と自分にツッコミを入れて、いきおいでポチ。

 比較サイトでサクサクに焼きたいならこれ、とお勧めされていたのを何も考えずに買ったら、小型の電子レンジくらいのサイズでびっくりした。

 たしかにこれなら小さめのピザ焼ける。

 パンを温めたかったんですワ。クルミパンとか、クロワッサンとか。あとチーズトーストを焼きたかったの。
 こいつを置く場所を作るために、キッチンカウンターの上から少し本を移動した。なんでキッチンカウンターで本なんだよ!と思われるかもしれんが、料理本を並べていたのだ。
 玉突きでいつか読んで切り抜きでもしようかと思っていた雑誌を少々処分することにする。
 雑誌は『クロワッサン』が中心。 健康料理系の特集のと、片付け系・インテリア系のと、節約・貯蓄系。
 料理は結局自己流だし、片付けは自分の片付けたいようにしかかたづけない。雑誌に特集された、「片付け前→片付け後」のお部屋だって、一ヶ月もすれば元通りになると確信できる。節約については、私の場合は、本買うの止めるしかない。

 いずれの分野も雑誌のオススメの通りになんて、ハナから無理。

 断捨離はお前からだ〜〜〜〜!!と心の中で叫んだとも。

2024年8月25日日曜日

介護日記的な・・・閑話休題(母の日じゃないけど、カーネーション)


 私の周辺は、私と同年代かやや上くらいの女性が多いせいか、お互い介護の苦労話に事かかかない。
 お互いそんな話をしているとき、良くやってるわね〜、とか、まあ、お褒めの言葉を戴くことがある。
 だが、自分的には、母に「良くして」いる感覚はあまりないんだよな。

 多分、私は母と心情的にやや遠いのだ。
 母なるものに、思い出や思い入れや強い愛着がないので、母の現在の状況に対して、かなり客観的になれているんじゃないだろうか。それが、母の認知症の状態に私が曲がりなりにも冷静に対応している理由だと思う。
 
 私が物心ついた時には父は病後で虚弱で、子供心に「遠くないいつか父が死ぬ」ということを意識しつつ成長したように思う。
 父は父で、人の(自分の)生死については、かなり達観していた。
 そのような生育環境だったためか、私は人の死についてはかなりドライだ。

 母がこの先、認知症が進んで、いずれは死んでいく。そのことをほぼ無感動に自分の今後の予定に組み込んでいることを自覚している。こういうことについて、他の人がどうなのかは正直判らない。巷には、もっと悲喜交々で情感に溢れる介護記録や闘病録的な読み物が溢れているが、自分は多分、そこまで母の死を悲しまないだろう。
 
 子供のころ、私の日々の面倒を見るのは在宅の父だったので、私は父に思い入れが強いし、反面、母とは距離感がある。当の母はといえば、もちろん私を可愛がってくれていたが、第一優先は父だったので、なんとなく家の中は、母は父担当、父は私担当、という感じだったのではないか、と今振り返って思う。

 私の父は日々のケアが必要な人で、看護婦であった母は病院で、まさに看護婦と患者として父と出会ったらしい。父は極めて知的な人だったので、インテリに弱い母はイチコロだったんじゃないだろうか。以前に父は、二人が文通していたとき、自分が「人生とは・・・」なんて哲学的な内容の手紙を書いても、帰ってきた手紙は「今日のごはん・・・」みたいな内容だった、と笑っていた。そんな父母は結婚し、母は、毎夜、父のケアをしながら、看護婦として、のちには教師として働きながら、一家の家計を担ってきた。時代的にも、実際の生活においても、母の努力と奮闘は、それはそれは大したものだったと思う。

 だから私は、母と自分が「べったり」な親子関係では無かったにしろ、母の人生は異論なく尊敬に値するし、今後の人生の締めくくりにおいて、母は粗略にされるべきではない、と考えている。母が自分の収入で得た自宅に、できるだけ長く住んでもらいたいし、そのために出来るだけの配慮はしたい。

 今、こんなことを文字起こししているのは、日々、母のお惚けと付き合っていると、つい母を「粗略に」扱っちゃいそうだからだ。いかんいかん。と自戒を込めつつ、しかし、今後母の認知症がどういう局面を迎えていくのか、戦々恐々のスリルではある。

 そういえば、母は昨日、造花のクチナシに水をあげていたな。

2024年5月26日日曜日

介護日記的な・・・その4 漏水と新刊とお菓子

昨日収穫した新刊の文庫たち

 もうそろそろ2年に近くなるが、認知症を発症した実母の介護・・・というか、メシ炊きと身辺整理と見守りのため、片道2時間弱の実家に週末に通っている。一泊もしくは日帰り。
 行って、ゴミ出し、薬と生活費の補充、デイサービスの連絡帳のチェックと記入、冷蔵庫の食料品のチェック、買い物に行って消耗品と冷蔵庫のお惣菜の買い置き、一週間分のご飯をたいて小分けパック保存、その他、郵便物や支払い関係のチェックなどなど・・・

 母は究極の片付け魔なので、室内は四角いものは四角く、丸いものも四角く、きちんと、一見整理されているように見える。一見さんには、とてもとても、認知症高齢者の家には見えない。しかし、短期記憶が壊滅しているので、片付け方に前後の脈絡がなく、いろいろなものの場所が変わってしまう。家の中のものが、「散らかっていて見つからない」のではなく、「どこかに仕舞われてしまって、見つからない」ということが頻発する。たとえば、ご飯を炊こうとしたときに、まず、炊飯器のコードを探す必要がある。

 おまけに漏電火災が怖いらしく、コンセントというコンセントを抜いてしまう。エアコンのコンセントは抜けないように細工したが、うっかりするとコンセント周りを破壊されかねない。いつしかテレビの電源も抜かれ、テレビも見れなくなった。冷蔵庫のコンセントまでは抜かれないのが幸い。

 侵入恐怖や視線恐怖があるようで、昼間でもカーテンを引きたがるし、換気で窓を開ける側から閉められてしまう。ドアガードをかけられてしまうと緊急時に家の中に入れなくなるので、シリンダー錠以外の内側から引っ掛けるタイプのガードは外してしまった。
 
 それでも、とりあえず、長年身についた生活習慣を頼りに、母は日々の一人暮らしを営んでいる。ほぼ何一つ記憶に残らないのに、毎日、新聞を読み、読書をしているのを見ていると、つい、人が生きている意味とか、読書の意味とか、どうしょーもないことも考えてしまう。母には、認知症を発症して以来の時間の積み重ねは、ないに等しいので。

 ああ、なんだか愚痴めいてきた。

 で、先週のことだが、定例の週末訪問で、洗面所の天井からの漏水に気づいた。
 慌てて、上階の家と、管理組合とに連絡をして、ひとまず管理組合の維持管理担当の方が現況確認にきてくれたのが、先週日曜日。そして、手配の業者さんが上階の配管の修繕に入ったのが、昨日土曜日。上階もこちらも、週末しか都合がつかぬ、ということで、工事は毎週末に入ることとなり、まずは上階の問題解決、次が、うちの内装補修なので、まだまだ時間がかかる。洗面所の異変に母がパニックを起こしていないのが幸いだ。

 昨日は、月一の診療内科(認知症)の受診もあり、もろもろあって疲れ果てた。夕刻、母と食事を取り、新宿のブックファーストに寄って帰ろうと、帰路を選択。だんだん、家に帰ろうとしているのか、本屋にゆこうとしているのかわからなくなってきた。

 おりしも、読書メーターで読み友さんの新刊レビューを読んでしまった。

 疲労困憊して思考力は低下し、頭の中は、成城石井で甘いお菓子を買うことと、本屋で新刊文庫を買うことでイッパイに(笑)

 成城石井で買ったのは抹茶のポルボローネ、ピーカンナッツチョコキャラメル、水羊羹、ざぼんの蜜漬け(甘納豆)、ココナッツとバナナのパウンドケーキ・・・・・・この統一感の無さが、脳ミソ停止しているのを表しているな・・・・・・
 ブックファーストでの戦利品は
 「炒飯狙撃手」「バッドカンパニー」「戦士強制志願」「能面検事」(冒頭)・・・・・・こちらも統一感はない。

 家に帰って、とりあえずお茶と甘味でゆっくりしよう・・・・・・と、這うような心持ちで家に帰ったら、家族が使った台所が散らかっていて、脳内で何かがバースト。怒りながらシンクとガス台とその周りを磨き上げてしまった。結局、家に帰ってから最初に椅子に座ったのは2時間後。疲れていたからこうなったのか、こうなったから疲れたのか。しかし何はともあれ今日は日曜日。

 今日はともかく、戦利品とまったりするのだ。

昨日収穫したピーカンナッツチョコキャラメルと
今お気に入りのウエッジウッド「ブルーエレファント」

 ちなみに、最近本の収集(もはや「読書」とは言いづらくなっている。)のほかにハマっているのが、食器の収集。狩場は主にオークションサイトとメルカリ。若いころから憧れていた英国食器や漆器、絵付け綺麗な和食器などを収集中。これらの収集品も、もし首都直下型地震でも起きた日には、粉々になってしまうんだろうか、と戦々恐々している今日この頃である。

2024年5月6日月曜日

0485 BLの教科書 有斐閣(その1 第一部)※ まだ未読了

書 名 「BLの教科書」
著 者 堀 あきこ/守 如子 編     
出 版 有斐閣  2020年7月
単行本(ソフトカバー) 306ページ
初 読 2023年1月9日
ISBN-10 4641174547
ISBN-13 978-4641174542

読書メーター https://bookmeter.com/books/15988418   

 2022年ごろから、突然BLを読み始めまして。
 それまで、全く未経験ってわけでもなく、今にしてこの本などを紐解くと、キャプ翼同人からいわゆる「やおい」が派生して、隆盛を極めたころと、自分が一時期コミケという文化に首を突っ込んだのがピンポイントで同時期。もっとも自分は比較的早く冷めてしまって(熱しやすく冷めやすい)、それでもまあ、そういう世界は知っていた。その後、私が“そういう世界”から遠ざかっている数十年の間に、なんとなく退廃的で仄暗く、耽美な匂いも纏っていたJUNEっぽい世界から、やおい文化はBL(ボーイズラブ)としてスクスク育ち、なんとも明るく健康的な商業BLから、現在はなろうやらNoteやら、pixivなどのネット界に広く深く花開いているようだ。
 「攻め」とか「受け」とかリバとか、私が知らなかった用語ができていたり、海外で派生したオメガバースとかDom/Subなんていう世界観が輸入されたり、現況、なんとも不思議で浅くも深くも、めくるめく二次元世界が構築されている。
 同じく、海外ではM/Mというジャンルで花開いているなんていうのも、この1、2年で知った知識。
 いい歳ぶっこいて(!)再びBLなんぞを読み始めた当初は、なんだか小っ恥ずかしくて、なぜ自分がBLを読むのか、とか言い訳っぽく考察していたが、さすがに最近は慣れてきて、楽しければいいじゃん、という気分になってきた。とはいえ、なんでしょうね、自分は恋愛ものは苦手、という意識があるのだが、確かに女×男は、得意ではない。っていうか、男女の恋愛もので、女に感情移入できたためしがない。女性が書いた小説でも、男性が書いた小説でも、そこで描かれる女性性(ジェンダー)にすんなり馴染めなかったりするのだが、その点、男同士っていう設定だと、自己投影をする必要がないので、自分とは無関係に純粋にLoveを楽しめるような気がしているような。その辺りの機微は、いまだに自分でもよくわからないが、それが自分がBLやらM/Mを読む理由かもしれない。
 ただ、いずれにせよ、仕事で追い詰まったり煮詰まったり、過労死直前に追い込まれたりしていると、重めの小説が読めなくなるので、最近はBL系に逃避している時が多いかな、という気はする。
 そんなこんなで、自分とBLの馴れ初めやら付き合いやらを振り返るために、この本を入手。これはこれで、勉強になる。

第1部 BLの歴史と概論
 第1章 少年愛・JUNE/やおい・BL
  • 1970年代「少年愛」の誕生———“花の24年組” 大泉サロンが大きな役割を果たした。
  • 竹宮惠子『サンルームにて』(改題「雪と星と天使と・・・』)→『風と木のうた』
  • 萩尾望都『11月のギムナジウム』→『トーマの心臓』→『ポーの一族』 
  • 1978年「JUNE」創刊。 
  • 木原敏江『茉莉と新吾』、山岸凉子『日出づるところの天子』
  • 小学館「少女コミック」や白泉社「LaLa」「花とゆめ」、新書館「Wings」「サウス」など、一般商業誌での少年愛や男同士の深い友情を取り扱った作品の連載。そーいやあ、『ツーリング・エクスプレス』とかは、何の違和感もなく楽しく読んでいた。
  • 初耳だったのは「やおい」の起源というか、この言葉の初出が波津彬子さんが主宰する同人誌「らっぽり」の「やおい特集号」であったこと。なんと波津彬子さん起源!?意外すぎた。
 その後1980年代後半にコミケ等の同人誌即売会で「キャプ翼」の“やおい”作品が爆発的に人気を博し、おぼろげな私の記憶ではこの時期、地方コミケ全盛期から全国版コミックマーケットに同人活動が大きく移行した。(ただしこれは神奈川の事情、というか当時の同時代的実感。)“やおい”は「山なしオチなし意味なし」という表向きの意味から、男子同士の性表現に対する隠語となった。(「やめて・おねがい・いやー!」の意とかなんとか。)キャプ翼同人から高河ゆんがプロデビューしたのもこの頃。
 こうしてあらためて自分の黒歴史込みで概観してみると、自分がかなり同時代的に関わっていたのだとあらためて気付く。自分がコミケに行ったのは比較的短い期間でで85年〜86年。それ以降は全国コミケ主流となり開催規模が大きくなりすぎて、下手くそ素人が頑張ってやっていくのが面倒になった。リアルの学校生活が忙しくなってしまった。一緒にやっていた仲間が見事に進学先がばらけたことで、 私自身のコミケ熱はあっという間に鎮火した。そもそも常軌を逸した人混みが嫌いだった。並ぶのも嫌いだった。さて、そして1990年代。商業BLジャンル確立。(以下続く)

第2部 さまざまなBLと研究方法

第3部 BLとコンフリクト

2024年4月15日月曜日

環境整備 その1ーーMacを新調した

 

 ここ数年来連れ添ってきたiMac late2015。読書メーターを始めた頃には、もう使っていたような気がするから、2016年頃からか? ということはまる8年くらいは使っていたのだから、パソコンにしては長くもったような気もする。昨年だったかのシステムアップデートでついにほぼ動かなくなり、内蔵HDDの遅さが原因とあたりをつけて、起動ディスクを外付けSSDに変え、しばらくはそこそこ走っていたんだが。やはり諸々限界が(私の方に)来て、ついにMacBook airに乗り換えるに至った。職場のWinを持ち帰ったときにモニターを共有したい、とか色々思うところはあった。だがしかし、いざJAPANNEXTの外付けモニターを付けてみると、iMacのディスプレイの美しさには敵わない。やはり捨て難い。しばらくは動画鑑賞用にでもして、置いておくかなあ。。。。

2023年12月30日土曜日

ジョシュ・ラニヨンは良い。



 日本でモノクローム・ロマンス文庫から出版されている、ジョシュ・ラニヨンの作品(冬斗亜紀さん翻訳)はどれも素晴らしいのだが、表紙の美しさと、主人公の恋心の切なさがピカイチなのはこの「殺しのアート」シリーズ。
 強面・鈍感・傲慢・鉄面皮なのに内実は素朴で恋愛に不器用なFBIのプロファイラー、サム・ケネディと、FBIロス支局に勤める美術品犯罪の専門捜査官のジェイソン・ウエストの恋愛と犯罪捜査。ミステリー、サスペンス、ロマンスの黄金比。美術を専門とするジェイソンは感受性が豊かな一方で頑固で無鉄砲なところもあり、ジェイソン1人でもなかなか危なっかしいのに、そこにサムという巨大は不安定要素が加わるものだから、ジェイソンのメンタルの振り幅も自ずと大きくって。サムとの関係での葛藤と、それを凌ぐ愛情が濃くて細やか。ジョシュ・ラニヨンの作品はどれも切なく優しく繊細で、それなのに強く逞しく、癒やし効果も抜群なので、落ち込んでるときの心に効く。
 
 そんなこんなでこの2023年の年末、新刊の「ムービータウン・マーダーズ」刊行をきっかけに、つい、再読モードになってしまった。
 
 なにより、ミステリーとしてもサスペンスとしてもとても練れていて、途中に濡れ場が挟まってもダレずにラストまでテンションを上げていくストーリーテラーっぷりが素晴らしい。
 これから先、ジェイソンのストーカー殺人鬼との対決がどのように展開していくのか、ドキドキしている。

2023年12月23日土曜日

日々雑感 顔が怖い



 一昨日だか、職場で大変ストレスを感じることがあって、ついうっかり上司に啖呵を切ってしまった(汗)
 いい年して、はしたないこと甚だしいが、まあやっちまったもんは仕方なかろう。
 
 問題は翌日で、我ながら驚いたが、前日の緊張の影響か、顔の上半分の表情筋が動きにくくなってしまった。頬骨の上から目の周りが強張っちゃって、ようはニコニコできない。私は素がキツいので、いつも目が笑ってないと、かなり怖い。実際怖かったらしい。
 二日経って、マシになったが、驚いたね。
 今日は行きつけのマッサージ店で、整顔マッサージをしてもらった。強引に身体の方を解してメンタルもそっちに引きずっていこうという魂胆。まあ、実際のところ精神的なところまで効くかは良く分からないが。
 ついでに、近頃はほとんど飲んでいなかったのだが、アルコールも少々。
 仕事でイヤなことがあったから呑むってどれだけ昭和メンタルなんだか。

2023年10月14日土曜日

日々雑感 腰痛


 ここのところ腰が痛くなることが年に数回ある。ギックリ、ではなく、例えば椅子に座ってパソコンいじったり、本を読んだりしていて、次に腰を伸ばした時にはもうなんだかおかしくなっている。
 今回は仕事に支障が出るレベルだったので、近所の割と評判の良い整形外科を受診した。
 で、私のレントゲン写真を前に先生の曰く。
 腰椎が一個多いんだと。
 通常は5個あるのが普通なんだが、私は第六腰椎まである。早速ネットで調べると、結構こういう人はいて、通常の5個の人80%、6個の人15%、4個しかない人5%の割合だそう。
 正確には第六腰椎という言い方ではなく腰仙部移行椎というらしい。つまり仙骨→腰椎に移行、もしくは腰椎→仙骨に移行してる椎骨。脊柱の一番下は骨盤の中央を構成する仙骨に接続しているが、この仙骨はもともと脊椎だったひと繋がりの5個の骨が一塊りに結合して構成されているのだとか。その先っぽには退化した尻尾の尾てい骨がある。この仙骨の一番上のS1と言われる骨が腰椎化して6番目の腰椎(L6)になっているのが仙骨→腰椎。第5腰椎が仙骨と一体化している場合が腰椎→仙骨のパターンで、腰椎が4個の人になる。私の場合は仙骨にめり込むみたいな感じで六番目の腰椎があって、元々の仙骨の間に何やらモヤモヤと関節が形成されている。レントゲン写真を見ながら、そんな説明を受けた。椅子に座って骨盤の底部が圧迫されると骨盤の上部が締まってその関節が圧迫され炎症が起こる・・・らしい。これはひょっとして「ベルトロッティ症候群」と言われる状態なのか?先生は具体的な症名は言わなかったが、今後受診したときに聞いてみよう。病名がつくと、なんだかスッキリした気分になるような気がする。
 だがしかし、湿布も痛み止めも対症療法でしかない。対策は骨盤内の筋肉を鍛えるのみだそう。しかし、今使っているデスクチェアが私の腰と相性が悪いのはすでに明らかなので、とりあえず体圧分散できる腰痛対策クッションを買おうと思う。

こちらのブログが分かりやすく勉強になりました。

2023年9月24日日曜日

今日は『ジョン・ウィック4 コンセクエンス』を観にいった



 心密かに楽しみにしていた、ジョン・ウィック4。気がついたら公開が始まってたので、とっとと見に行ってきた。私はあまり俳優さんに入れ込む方ではないのだが、キアヌは好きだ。
 そういえば、ブログ記事にはしなかったけど、宮崎駿の『君たちはどう生きるか』も先日見に行った。この作品、いろいろと評は分かれているらしいが、私からみたら、とりあえず名作だと思った。あと、大人の映画だ、とも思った。・・・・てか、その話ではなく、今日は『ジョン・ウィック4』
 ええ? ええぇぇぇ〜〜〜〜〜!! ということがありました。あと、エンドロール終わる前に席を立って人の前を横切るやつ。最後まで見なかったことを後悔するがよい。

 ドルビーで見たんですけど、最初から最後まで、バンバンドンドン、スドンズドンの大音量だったので、ドルビーだろうが、普通のだろうが、大して変わらなかったんじゃなかろうか。あと、字幕でしたけど、台詞は大して多くないので、無問題。
 ジョンが無敵すぎるので、敵役がショボくなってしまうのは、致し方ないところか。せっかくジョンが頑張ってるのに、これまでのシリーズで一番、敵が姑息だった気がするのがやや残念。

 内容は、アレだ。ジャンプ漫画と同じですね。
 主役が、どれだけ殴られても撃たれても、車にはねられても起き上がる。死なない。不死身。そして友情、友情、友情、友情。ジャンプ漫画の王道を行ってます。銀魂とおんなじ感じです。でもいい。キアヌが格好良いので、いい。
 そしてラスト。えぇ?ホントに?ってなって、ええっ!?ってなります。
 これ、ジョン・ウィック5も予定されているってことなんですけど、どうやって繋ぐんでしょうね。これで「実は」ってなるのも興醒めな気がするんですが、どうするのかな。
 
 帰りに、ジョン・ウィックと、この間観た『君たちはどう生きるか』のパンフレットが出てたので、買ってきたんですが、『君たち』のパンフレットは酷かった。初めから作らなければよかったのに・・・・・。金返せ、ってレベルで酷い。

 
 

2023年5月7日日曜日

「家仕舞い」始末記

 2年ほど前に義父が亡くなってから、某中部地方の大きな一戸建てで独居していた義母が、やはり一人では寂しいと都下の高齢者住宅に移り住んだのが先の冬。
  住んでいたのは義母が50代に入ったころに、やはり独居となった義父の母(つまり義母からみたら姑)と同居するために移り住んだ義父の故郷。日々の買い物に行くも車が必要な地域で、80代になった義母が車の運転を続けているのも心配なことだった。サービスが良く、良いコミュニティを創っている高齢者住宅があることを義母が親戚の伝手で知り、そこならば、と私と夫も賛成して、転居の運びとなった。
 ワンルームに持ち込める家財はごく限られており、家のサイズにふさわしく物持ちだった義母は思いきって身の回りのものだけ持って東京に移り住み、今のところ、日々楽しく充実しているとのことなので、良かったと思う。

 のこる問題は、あとに丸々残してきた、家と家財である。
 
 思い切りよく「全部任せる」と言っていただいたのはありがたい。
 こちらの住まいも狭いので、引き継げるものにも限りがある。買い手・貰い手がつかないものは、すべて(廃棄業者にお金を払って)処分する、とはあらかじめ夫が決めてあり、見積もり合わせをして、処分業者もすでに決めてあった。
 大画面のテレビや、ブルーレイレコーダー、大型の空気清浄機などは、ネットコミュニティ経由で地元で引き取り手が見つかった。

 それにしても、だ。

 義母はもともと多趣味なお人なので、お茶、お花、短歌、手鞠を始めとして手芸作品は、完成品から制作途中の半作品そして大量の道具と材料。とにかく、私が知っているありとあらゆる「手芸」のテキスト本と材料と作品が、それはそれは大量に、家のあちらこちらの物入れから出てくる。
 和室にはお茶の炉が切ってあるし、お茶室の設えがあるということは、窯からなにから、茶道具は全て揃っている。華道教授の看板もある。掛け軸やら、花器やら、お茶やお花に付随ずるものもはたぶんすべてある。以前は盆暮れに一族が集まったのだろう、大きな盛り皿やら、漆器の銘々皿なんかも沢山。座敷の座卓も、それは立派で重いものが残されている。着物は、義父の両親の代のものから残っている。

 これを、全部ゴミにしなければならないのか?

 託されたとはいえ、人の人生ぜんぶ丸々処分しなければならない気分になってしまって、閉口する。
 せめて、螺鈿の細工の大きい立派な座卓と、着物、茶道具、花器、飾り額、本、民芸家具調の本棚、そしてモノを見て捨てがたくなったウールの中国段通の絨毯だけは何とかしたいと、このゴールデンウイーク中、文字通り我ながら奮闘した。
 クロネコさんの家財便が3本。修理に出す家具の引き取りで1本。絨毯クリーニングの引き取りは佐川さん。その他、古本買い取りの集荷が2回、宅急便の送り出しが3回。古物や着物の出張買い取り業者さんが3件。
 状態の良い本棚は一本を自宅に、一本を夫の仕事場に送り、合わせて夫、私が計8箱ほど自分用に本を抜き取った。それ以外でまだ多少の価値はあるのでは、と思えた残りの本やDVDセットはネット古書業者に合わせて15箱を買い取りに出した。(それでも、本は「少ない」と思えたのは、自分の自宅の本棚と、自分の実家にある本棚が尋常ではない物量だからだ。)

 貴金属類はまるで査定の対象にならず、茶道具、花器、掛け軸その他、置物・飾りものの類は地元の古物商に一把ひとからげで、引き取ってもらった。二足三文だったことは判っているが、廃棄されるよりは、次の持ち手に引き継ぐ手間を取ってもらったと考えれば、良かったと思える。
 今買ったら四、五十万はするのでは、と思えた中国段通の絨毯は、染みがあちこちにあったので専門クリーニングの業者に出し、クリーニングはとりあえず1年、保管してもらうことにする。次の置き場所は、1年のうちに考えよう、という「先送り」戦法。
修理前
 何よりも私が手元に残したかった、義父が使っていたというロッキングチェアは、座面に割れが生じていたので、メーカーに修理に出した。(夫は、これこそ真っ先に廃棄だ、と思っていたとのことで、私が大枚はたいて修理に出すというので驚いていた。実際、新品と遜色ない修理代がかかったが、木製家具の古色は金では買えない。)

修理後
 着物も出張買い取りの業者さんを呼んだが、買い取りしてもらえたのはほんの一部で、自宅の近くの着物リサイクルショップに持ち込めそうなモノを一箱自宅に送り、黒無地(喪服)一式と、正絹と、おそらくは夫の父方祖父が着用したと思しき紬のアンサンブルなどの着物何枚かは手元に残すことにした。この会ったこともない義理の祖父の着物は、他の着物が綺麗だったのに比して、白カビがびっしりと生えていた。おそらく、日常着として着用し、愛着のあったものだと想像する。(持ち帰ってから、カビ抜きクリーニングに出した。)しかし、これらを収納するためには、自分の箪笥の着物や浴衣をいくらか処分しなければならない。それ以外の、商品にはならない沢山の着物は、置いてきた。
 家具類もほとんど、買い取り業者に引き取ってもらえなかったので、廃棄するしかない。

 あとは、手放すに忍びなかった、漆器、お重箱、お茶碗、小ぶりの花瓶、日常使いの染付けの和食器とガラス器を少々、義母手編みのレースの大作のテーブルクロス数枚、セーター数枚などを自宅に向けて発送し、仏壇はお経を上げてもらって「仏壇仕舞い」をしてから、仏壇専門業者に引き取ってもらい、仏壇にあったご本尊、お位牌、遺灰は、さすがに宅急便では送れないので、丁重に梱包して、手で持ち帰り、これは後ほど義母の住まいに届ける予定。

 頑張ってはみても、結構な惨状であることには間違いなく、自分の時には、こうならないようにしよう、と思う。
 厳選したし、自宅に戻ってからリサイクルに出すものもあるとはいえ、夫の実家から自宅に発出した荷物は段ボールで20箱近くになる。きちんと家の中に収納するためには、まずは自分の持ち物の断捨離が必要だ。
 とりあえず、和箪笥にスキマを作るため、あまり思い入れのない着物をいくらか処分し、食器、絵本、子供達の古い作品やランドセル、もう使うことはないだろう水槽なども、少しずつでも処分しよう。そうしよう。

 この間の、読書メーターの「つぶやき」一覧です。
https://bookmeter.com/mutters/253219378・・・ロッキングチェア
https://bookmeter.com/mutters/253508916・・・中国の歴史(書籍)
https://bookmeter.com/mutters/253540142・・・『大東亜戦争写真全輯』第一巻 朝日新聞社 昭和17年
https://bookmeter.com/mutters/253540217・・・『大東亜戦争海軍作戦記録』朝日新聞社 昭和18年
https://bookmeter.com/mutters/253586722・・・薄川土手から、山脈を望む
https://bookmeter.com/mutters/253665004・・・アルプス遠景。槍の穂先が見える。手前は常念岳?
https://bookmeter.com/mutters/253602379・・・ビルマの軍票

https://bookmeter.com/mutters/253722645・・・マサムラのシュークリーム
https://bookmeter.com/mutters/253754903・・・手打ちそば処まつした
https://bookmeter.com/mutters/253759246・・・八十六温館(やとろおんかん)
 
 

2022年10月19日水曜日

ブログの改修など


オーバーグルーミングで腹がハゲてる
凶暴猫のアビシニアン・人の背中に
飛びかかるのが好き


 統計情報を確認したところ、思いのほかiPhoneで閲覧されている方が多いようなので、これまで、モバイル端末用の表示設定をしていなかったのだが、一念発起?して、改修に取りかかる。
 しかし、設定の仕方をググりつつ、やってみたらば、いまひとつ、キレイに画面に納まっていない。配置が落ち着くまで、ちょっと手間をかけないといけないみたいだ。

2022年6月15日水曜日

上半期の読書遍歴(まとめ)


ざっとこんなカンジ。
 マンチェスター市警エイダン・ウェイツシリーズを読む。
(心が大いに痛む)
甘々なもので心を慰めたくなり、ついうっかり、ジョシュ・ラニヨンに手を出す。
(禁断のM/M(BL)の扉を開いてしまう。)
Amazonにオススメされるままに、『囀る鳥は羽ばたかない』にハマる。
それならば、と読み友さんから『聖なる黒夜』を絶賛オススメされる。
当然のことながらハマり、柴田よしきを揃える。
が『所轄刑事・麻生龍太郎』あたりで当の龍太郎さんに食傷ぎみとなる。
練ちゃんは超好み♪ 私は、傷ついた男が大好物だ。
美形ならなおよし。
ふと、BLの源流を確認したくなり、元祖JUNE、栗本薫の作品を検索。
『ムーン・リヴァー』を読む。透に惚れる。
(心がえぐられる)
『翼あるもの』に遡る。さらに透に惚れる。
(さらにえぐられる)
東京サーガをコンプリートすべく、『朝日のあたる家』を読む。
ついでに、沢田研二にもハマる。
(だがしかし、ここで、栗本薫の劣化、およびあまりに自堕落な
考証なし、書きっぱなし故の
作品世界の崩壊ぶりに唖然とする。)

イマココ

要は、エイダンが可哀想すぎたのが、すべての始まり。
自分がどこにいくのか、良く分からない。

2022年6月4日土曜日

バカラ氏殺害事件・・・バカラ賭博殺人事件ではない。

 なんだか、実在の世界では「バカラ長者殺人事件」なる事件があったそうで。
ラスベガスでドナルド・トランプにバカラ賭博で大勝ちした人物が、山梨県内の自宅でメッタ刺しで発見されたとか。事件は迷宮入りで時効になっているそう。

 で、それとはまったく関係なく。
 我が家のバカラ氏が無残にも殺害されるという事件が発生。

               👉👉👉これだ。




 ・・・・私のシャトーバカラが。。。


 ヤツが、マグライトを倒す→シャトーバカラを直撃→粉々。かなしい😭