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2021年12月25日土曜日

映画『ユダヤ人の私』 ドキュメンタリー



マルコ・ファインゴルド氏。1913年生まれ、2019年没。

 ハンガリーで生まれ、ウイーンで育つ。4人兄妹の3番目で、2人の兄は収容所で殺害され、妹は戦争終了まで身元を隠して生き延びたにもかかわらず、終戦直後に行方が判らなくなった。彼は一家のたった一人の生き残りである。
 このドキュメンタリー映像は、亡くなる直前の2018年から19年の収録されたものだそうで、106歳とは思えぬしっかりとした語り口で、淡々と「ユダヤ人」としての彼の生が語られる。

 家族で幸せだった子ども時代。奔放な10代から20代前半。仕事が無かったオーストリアを離れて兄とイタリアに行き、商売をして成功したが、パスポートの期限が切れるためにオーストリアに一時帰国したのが、1938年3月、アンシュルス(オーストリア併合)の数日前だった。そして、マルコ氏は、ウイーンに進駐するナチス・ドイツと、それを熱狂的に歓迎するウイーン市民を目の当たりにした。

 戦後、オーストリアはナチスの最初の占領被害国であると主張したが、オーストリア国民は紛れもなくナチス・ドイツを歓喜で迎えいれた。この日、わずかな時間で、ウイーンのユダヤ人の命運が暗転する。マルコ氏はパスポートの更新もできずに、兄とともにチェコスロバキア国境に逃れたが、無効となったパスポートを所持していたためにチェコスロバキア国内でつかまりポーランドに送られる。ポーランドで偽造の身分証明書を入手して市民に紛れ込んだが、今度は兵役忌避者と見做されて捕まってしまう。やがて、ついにゲシュタポに逮捕され、出来て間もないアウシュビッツに送られ、そこから今度は労働力としてダッハウ、ノイエンガンメ、ブーヘンヴァルト強制収容所に移送。途中で兄とも生き別れとなり、後に兄は収容所で殺されたことが判明する。

 106歳の語りは、とりとめもなく、間に挿入されるアーカイブ映像も、当時の世相を見せるものではあるが、氏の体験と直接結びつくものではなく、曖昧模糊とした印象が終始漂う。アーカイブ映像の見せ方には、ドキュメンタリー映画としてやや難があると感じた。

 しかし、その中でもはっきりと際立つのは、オーストリアへの怒りだ。

 ブーヘンヴァルトで終戦を迎えた被収容者は、国籍二十数カ国に及び、各国は迎えを寄越して解放後数週間で帰国していったが、オーストリア出身のユダヤ人は放置された。自分達で交渉し、輸送手段を確保してオーストリアに帰国しようとしたが、オーストリアはユダヤ人の受け入れを拒否した。

 淡々と、106歳の老人が過去の体験を語る、それだけのドキュメンタリーで、劇的なこと、衝撃的な映像、といったものではない。ところどころ前後関係の脈絡がなかったり、首をかしげる部分もないではない。しかし、アンシュルスの日を境に足元が崩れるように崩壊していったオーストリアのユダヤ人の様子が伝わるし、戦後にナチスドイツの被害者を装ったオーストリアは、実は雪崩をうってナチスに迎合したこと、そのことを告発しつづけたユダヤ人の証言として、大切な証言映像だと思う。また、反ユダヤ主義は、今も脈々と拡大再生産されており、こうやって抵抗し、告発していかなければ、いつまた、生存を脅かされるかもしれない、という危機感も伝わってくる。

 今も、反ユダヤ、ホロコーストの否定はヨーロッパ、全世界に広がっており、オーストリアのユダヤ人協会の会長を長年務め、積極的に講演活動も行っていた氏には、誹謗中傷の手紙やメールが数多く届いている。

 映像中に、それらの「生の文章」が差し込まれる。

 戦後は、ザルツブルグに住まい、パレスチナの地に移住しようとするユダヤ人を支援した。
家も財産も略奪されて帰る場所のない十万人ものユダヤ人が、ヨーロッパの外に移住してくれるのは、ナチのユダヤ人迫害に加担、もしくはこれを黙認した各国にとっても好都合だった。イスラエル国の成立にこのような側面があることも、現在のパレスチナ問題に大きく影響しているのだろう。もっともっと深く考えなければならないと思う。

2021年9月12日日曜日

0293 ファニー 13歳の指揮官 (児童書)

書 名 「ファニー  13歳の指揮官」 
原 題 「LA VOYAGE DE FANNY」2016年 ※フランス語版
     ※ 初版は1986年スラエル 
著 者 ファニー・ベン=アミ
翻訳者 伏見 操 
出 版 岩波書店 2107年8月 
ソフトカバー 184ページ 
初 読 2021年9月12日   
ISBN-10 4001160102 
ISBN-13 978-4001160109 

 ナチスの迫害を逃れてドイツからフランスに逃げてきていた家族のささやかで平穏な生活が、ある日突然破られる。父がフランス秘密警察に連行されて行方が解らなくなり、母は子どもたちを非難させることに。
 5歳と9歳の妹のいるファニーは、母代わりとして幼い妹達の面倒をみながら、やがて同じく親元を離れて保護されている子どもたちのリーダーになる。そして、強い責任感と意志で、子ども達グループをまとめてスイスへの逃避行を敢行する。

 映画『少女ファニーと運命の旅』の原作本。
 実話です。
 ファニー・ベン=アミさんは、戦後しばらくしてからイスラエルに移住して、現在は娘さんやお孫さんに囲まれ、二人の妹さんも同じくイスラエルで健在、それぞれがホロコーストの記憶を次世代に繋ぐ活動をされている、とのこと。(2017年の映画公開時の情報です。ご存命ならたぶん91歳になられているはず。)
 ファニーさんは、子ども達だけで、フランスからスイスに逃げ、戦争終了までスイスで保護を受け、戦後はスイスで教育を受け続けることが認められずフランスに帰国、といってもそこでもフランスに帰化申請をしなければならなかったのですが。
 ご両親のうち、父は、ルブリン強制収容所で銃殺され、母は1944年にフランスでゲシュタポに捕らえられ、アウシュビッツに送られて殺されたことが、戦後通知されたそうです。彼女が待ち望んだ両親との再会は、ついにかなえられませんでした。

 児童書の体裁とはいえ、大人の読書にも十分耐える読み応えのある内容なので、多くの人に読んで欲しいと思います。

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 今、イスラエルとパレスチナの紛争、とくにガザ地区の惨状を見て、自分達だってあれほど残虐な目にあったのに、なぜパレスチナ人に対して同じように残虐な行為をするのか、という意見をよく目にしますが、事はそう単純ではないと思います。

 ♪人は悲しみが多いほど〜、人には優しくできるものだから〜♪と武田鉄矢が歌った『贈る言葉』は名曲ではありますが、それがきれい事に過ぎないと気付かざるをえないことは、誰もが経験していることでは?

 『人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。』と謳う日本国憲法を、私は崇高なもので、決して失ってはならないものであり、これこそが日本のあるべき姿だと理解していますが、ユダヤ民族は、ヨーロッパ全土で暮らしていた1100万人のユダヤ人のうち、600万人が極めて組織的に効率よく虐殺される、という空前絶後の体験を通して、自分の身の安全を他国や他民族に委ねることは絶対にできない、自分の身は自分でまもらなければならないもの、と骨身に染みているのでしょう。そして、自分の身を守るためには、やられたら確実にやり返すことこそ必要で、そしてこの現代の主権国家の時代において自分自身の身を守るために、国家の主権を維持しつづける、と堅く決意したのでしょう。イスラエル国家は国家の形をとったユダヤ民族の生存権そのものに見えます。
 これは、イスラエルが行っている数々の攻撃を正当化しようと主張するものではありません。ただ、今起きていることを単純化し、遠い地域からきれい事で非難したところで、なんの解決も見ないだろう、と感じます。
 日本人とユダヤ人を引き比べることが公正だとは思っていませんが、それぞれの国民が戦後取った道が正反対であることは、よくよく考えてみたいと近頃考えているテーマです。

2021年9月11日土曜日

0292 神さまの貨物(ポプラ社)

書 名 「神さまの貨物」 
原 題 「La plus précieuse des marchandises」2019年
著 者 ジャン=クロード グランベール 
翻訳者 河野 万里子  
出 版 ポプラ社 2020年10月 
文 庫 157ページ 
初 読 2021年5月15日 
読書メーター https://bookmeter.com/books/16673522   
ISBN-10 4591166635 
ISBN-13 978-4591166635
Amazonのレビュー(書籍紹介) 大きな暗い森に貧しい木こりの夫婦が住んでいた。きょうの食べ物にも困るような暮らしだったが、おかみさんは「子どもを授けてください」と祈り続ける。そんなある日、森を走りぬける貨物列車の小窓があき、雪のうえに赤ちゃんが投げられた――。明日の見えない世界で、託された命を守ろうとする大人たち。こんなとき、どうする? この子を守るには、どうする? それぞれが下す人生の決断は読む者の心を激しく揺さぶらずにおかない。モリエール賞作家が書いたこの物語は、人間への信頼を呼び覚ます「小さな本」として、フランスから世界へ広まり、温かな灯をともし続けている。
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 大人のための、子どものための、すべての人のための真実を描いた童話。
 ルーマニアから迫害を逃れてフランスに渡り、そこで、医学を修め結婚し、男の子と女の子の双子が生まれたユダヤ人の男。しかし、フランスもナチスの手に落ち、家族ともども強制収容所に入れられる。そして『貨物』となり、東へ。
 やさしい言葉で語られているのは凄惨な事実であるが、 これが「実際にあった話」として語られたならば、あるひとつのユダヤ人家族の、一人の男の、一人の女の子の悲劇として受け止められるだろう。しかし、「本当にはなかった話」として語られたとき、この話は普遍的になる。そんな風に感じた。
 反語で語られる最終章。あったのだろうか。いたのだろうか。そんな問いかけが心の中に不安を誘い、胸にざわめきを残す。もちろんあったのだ。動物とされ、貨物とされ、無学で粗野な森の深奥の木こりにまで “神を殺した呪われた奴ら” “たんまり金をもった泥棒” と蔑まれる、ヨーロッパのすみずみにまで染みわたっている偏見が。その偏見がもたらした民族抹殺という悲劇が。そして、その偏見は、いまでも根強くあるはずだ。
 ここに具体的に登場するのは、ドイツ人ではなく、ヒトラーユーゲントでもない。(ドイツ人は“くすんだ緑の軍服”で表現され、赤軍は“赤い星を付けた”と表現されてはいるが。)具体的な人物として登場するのはフランス人であり、ポーランド人であり、ロシア人であり、彼の地の普通の人々であることが、印象的だった。
 少女がピオネールに加わり、最も模範的な少年少女として、党の機関誌を飾った、というエピソードも受け止め方は様々だろうと思う。私は、どのような国であれ、どのような文化や思想の元であれ、子どもという存在は、愛や、承認や、最高の栄誉にも値するのだ、と思いたい。かの国でも、ユダヤ人は虐げられる存在だと聞いている。貧しい木こりのおかみが女手一つで育てあげたかつて貨物であった少女が(黄色い星ではなく)赤い星を胸につけ、誇りと喜びと健康一杯でプロパガンダの一端を担ったことの皮肉も思い合わせながら。

2021年9月10日金曜日

0291 狼たちの城 (海外文庫) 扶桑社ミステリー

書 名 「狼たちの城」 
原 題 「Unter Wolfen」2019年 
著 者 アレックス・ベール 
翻訳者 小津 薫  
出 版 扶桑社 2021年6月 
文 庫 480ページ 
初 読 2021年9月10日 
読書メーター https://bookmeter.com/books/17991951   
ISBN-10 4594088031 
ISBN-13 978-4594088033
 オーストリアの作家アレックス・ベールによる、ナチス・ドイツもの。ちなみにアレックス・ベールは本名ダニエラ・ラルヒャーという女性作家。さてこの本、面白いはずなのに、と思う反面、物語に入り込めずもどかしい。それは多分、いくらフィクションといえども荒唐無稽に過ぎる展開ゆえ。

 東部(ポーランド)への集団強制移住を宣告されたニュルンベルグのユダヤ人達。病弱な老親、未婚の長男で主人公のイザーク、離婚して幼い2人の子どもを抱える妹の6人家族は、数日後の移送への不安に苛まれている。一家の主として家族の面倒を見なければならないイザークには、今回の東方への移送には、表向き言われていることだけでなくなにかイヤな予感がしてならない。
 一方、ニュルンベルグでユダヤ人絶滅計画に携わっているゲシュタポのユダヤ人問題課長。その男が自宅としていた改築されたニュルンベルグ城内の居室で、愛人の有名女優が殺された。その捜査に、ベルリンから特命を受けてある捜査官が派遣される。
 ゲシュタポの醜聞を狙って事件を起こしたと見做されて検挙されたレジスタンス。この四つが絡み合ってストーリーが展開するのだが。
 とにかく、主人公のユダヤ人青年イザークの巻き込まれ方も、その後の行動も行き当たりばったりで、それがはらはらさせられると言えなくもないが、こういう“はらはら”はあまり面白くないんだよなあ、と。練りに練って計算され尽くして、それでもわずかな計画のブレから発生するスリル、からは格段に落ちる。行き当たりばったりの結果、幸運と敵に運命を委ねすぎだ。「彼らが気付かなければ」というのが多すぎる。
 食事の時に、自家製ハムの有名店でハムやソーセージの料理を選ばず、コーシャにちかい魚を選んでしまう。うっかりユダヤ教の食前の祈りが口から出る。親衛隊員なら必ずあるはずの血液型の入れ墨がないことを見られてしまう。囚人の名前を聞いて明かに童謡する。ゲシュタポ本部で、知り合いのユダヤ人の老女に名前を叫ばれてしまう(!)
 いやあ、これは無理だろ(笑)

 タイトルは、ゲシュタポ高官の住まいに改装されたニュルンベルグ城———事件の舞台と、ナチの根城たるゲシュタポ本部を掛けたのかな、と思うがせっかくの中世の古城ニュルンベルグ城の影が薄くて残念。こちらでの謎解きにもっと力点を置いたらもう少し地に足のついた面白さになったのではないかな。ミステリーと歴史サスペンスとユダヤ人問題、の三兎を追って全部逃げてった感じだ。

 オーストリアが、ナチス・ドイツに併合された現代史と自国のユダヤ人問題とどのように向き合っているのかに興味があるので、正直、ドイツよりオーストリアのユダヤ人問題をテーマに書いてくれればよかったのに、とも思った。

 フィクションはフィクションであるべき、とは思うものの、600万人が無造作に虐殺された現実は80年たった今でも痛切に重い。作者のスタンスは那辺にあるのか、とか気になってしまうのもストーリーに没入できない理由の一つ。比較してもしょうがないが、良くも悪くもダニエル・シルヴァくらい歴史問題と自分の政治的スタンスが明確だと、読者も読みやすいのだけど。

追伸・・・310ページ8行目に脱字一字あり。

2021年3月20日土曜日

0262 教皇のスパイ  (ハーパーBOOKS)

書 名 「教皇のスパイ」 
原 題 「The Order2020 
著 者 ダニエル・シルヴァ
翻訳者 山本 やよい 
出 版 ハーパーコリンズ・ ジャパン  2021年3月 
初 読 2021年3月20日 
文 庫  584ページ 
ISBN-10  4596541507
ISBN-13  978-459654150

 2018年11月。
 オフィスの長官に就任して以来、ガブリエルは働きづめだった。休んだと言えるのは、パリで爆弾テロに巻き込まれた時に腰椎の怪我でやむを得ず自宅で数日静養した時だけで、それ以外は半日の休みもなく働き続けていた。夫の心身を案じたキアラは、一計を講じる。
 夫に内緒で密かに国外での休暇を手配。ウージ・ナヴォトを味方に引き入れ、首相にも根回しし、才能豊かなくせに何の趣味もない夫が退屈しないように、休暇先で夫が修復する絵まで手配する念の入れよう。
 ある日、帰宅したガブリエルが目にしたのは、準備万端の旅行カバンの数々。彼の口から出たセリフは、
「きみ、出て行くのか?」
 ついに、若く美しい妻に愛想を尽かされたと思ったか(笑)
 行き先は、キアラの両親が暮らす懐かしのヴェネツィア。双子が祖父母の家を訪れるのは初めてのことである。その双子ももうすぐ4歳で、いつまでも壮年のような雰囲気を漂わせているガブリエルもそろそろ老いと向かい合いつつある。(ちなみにガブリエルは68歳になるかならないか)
 そして、ヴェネツィアで休暇を開始した数日後、ガブリエルの旧友であったローマ教皇パウロ7世崩御のニュースが世界を駆け巡る。ガブリエルは、教皇の側近だったルイジ・ドナーティ大司教から求められ、ローマに向かう。

 まるで、読者へのプレゼントのように、ガブリエルシリーズの素敵なところがぎっしり詰まっている。双子とガブリエルの睦まじい関わり。キアラとのラブラブな会話。絵画修復にいそしむガブリエル。テーマが久しぶりのユダヤ人迫害とキリスト教の問題なので、これだけだと陰鬱になってしまうが、ガブリエルの家族との幸せエピソードがそれを和らげてくれる。キアラとのペアで、一工作員だった頃のように身軽に調査にうごきまわるのも久しぶりの光景。ガブリエルがナチュラルに妻を礼賛している。旧友ドナーティとの隠密行、ユダヤ人とローマ教会の暗黒史。ドナーティがもう一人の主役である。雰囲気的には、『告解』からストレートにつながる感じだ。コレ一冊で、ユダヤ人とキリスト教の関係をそれこそ紀元30年代からおさらいできる。
 そして、キアラとガブリエルは、長官退任後の残りの人生の計画を立て、一部行動に移したりも。これ、フラグじゃないのか?本当に幸せになれるのか?・・・と夢の老後の先取りをする二人に、読者の私の方が不安でいっぱいだ。(笑)

 『告解』では、ピエトロ・ルチェッシと読みが当てられていたパウロ7世だが、こちらではピエトロ・ルッケージ。なんとなくルチェッシのほうがイタリア人名っぽい?ような気もするが、実際の発音は知らないのでどちらが近いのかは不明。 『さらば死都ウイーン』で「草原」(笑)と訳されているレストラン前の広場は、以下のような描写。〈リストランテ・ピペルノ〉はそこから少し南へいったところにあり、テヴェレ川に近い静かな広場(カンポ)に面している。そうだよねえ。

 さて、ストーリーの話題に戻って、この本のテーマは、イエスの死の責任をユダヤの民に負わせるキリスト教の正典、福音書の記述は真実なのか。とくにマタイ福音書の中のキリストを処刑に至らしめる裁判で、ピラトがユダヤ人の群衆の前で手を洗って言う。「この人の血について、わたしには責任がない。お前たちの問題だ」民はこぞって答えた。「その血の責任は、我々と子孫にある」──『マタイによる福音書』二十七章二十四─二十五節

 これが、以後2000年にわたり、キリスト教がユダヤ人を神の殺害者として迫害し、ついには民族を絶滅させる規模の大虐殺を引き起こし、かつそれをローマカトリックが是認(もしくは黙認)した根源である。この記述は真実なのか。
 多くの研究者が、これは事実ではなく、キリスト教がローマの国教となる過程においてローマ人を取り込む必要性から、キリストの死の責任を、ローマ支配とローマ人であるユダヤ属州総督ピラトからユダヤ人に意図的に歪曲した、と見る。
 イエスは、過越祭の最中に騒ぎを起こした為に捕らえられ、おそらく裁判に掛けられることもなく、そのほかの大勢のユダヤ人とともに、無造作に処刑された。ユダヤの律法を守っていた最高法院が過越祭の最中の深夜に裁判を行うだろうか? あり得ないことだ。と作中でジョーダン神父は語る。この記述はユダヤ教の文化に疎いローマのキリスト教徒による創作だ、と。
 エンタメの体裁をとっているが、キリスト教が、ユダヤ人迫害に関して歴史的に果たした役割と罪を、深く、鋭く指摘している。現代のヨーロッパの移民問題はユダヤ人迫害をも悪化させた。その上コロナ禍で迫害に拍車が掛かり、ユダヤ人の安全は、第二次大戦後、最悪の状況を迎えている。著者はどうしてもこの作品を書く必要があったのだろう。
 母の死、祖父母の死、多くの死んだ、または今生きているユダヤ人の運命、自分の人生、そして自分を見上げる幼い娘の瞳。自分が望むと望まざるとに関わらず、その多くを背負ってきたガブリエルが、静かに涙を流す。

【余談ながら】
「これ、わたしが世界でいちばん好きなベンチかもしれない」キアラが言った。「あなたが意識をとりもどして、家に連れて帰ってほしいとわたしに頼んだ日に、あなたがすわっていたベンチよ。覚えてる、ガブリエル?ヴァチカンが攻撃を受けたあとのことだった」「どっちがひどかったのか、わたしにはわからない。ロケット推進式の手榴弾と自爆テロ犯か、それとも、きみの看護か」「自業自得でしょ、お馬鹿さん。もう一度会うことに同意しなければよかった」『教皇のスパイ』p.36-37

 ガブリエルが意識不明になるような惨事があったのかと気になって気になって(笑)、いろいろ探してしまったが、これ、状況としては多分こっちじゃないかな↓。
「あなたが正気にかえって、よりを戻したいって私に懇願した日に、あなたが座っていたベンチよ。覚えてる?ガブリエル。ヴァチカンが攻撃された後の事だったわね。」
「どちらが酷かったのか解らないな。ロケット推進の手榴弾や自爆テロ犯と、あの時のきみの私への態度と」

さて、何があったのか。。。。(笑)
ガブリエルとキアラは結婚の約束をして、ガブがエルサレムのナルキス通りのアパートを手に入れて、キアラは二人で暮らすために自分好みの内装までしたのだが、結局ガブリエルがリーアを見捨てられなかったため、キアラと破局する。そしてキアラがベネツィアに帰ってしまった、というのが『Prince of Fire』ラストのエピソード。その次の『The Messenger』で、ヴァチカンと教皇を狙った爆弾テロがあってガブが教皇を助けたのだが、その後、教皇がガブに「キアラがヴェネツィアで君が来るのを待っている」と嘘をいう。まさかガブリエルをキアラの元に行かせるために教皇が嘘をついた、とは思わないガブは素直にヴェネツィアを訪れ、キアラに冷たく「そこのベンチに座って待ってろ」と言われた挙げ句、「何しにきた」と怒られた、というのが、くだんの“惨事”であった。教皇パウロ7世。お茶目な人でした。きっとその後、ドナーティ相手に「神父さま、私は親しい友を欺きました」って告解している図まで目に浮かぶわ。白くて、小さくて、善良だったパウロ7世に合掌(←ダメか?)

  


2021年2月26日金曜日

0259 さらば死都ウィーン―美術修復師ガブリエル・アロンシリーズ

書 名 「さらば死都ウィーン―美術修復師ガブリエル・アロンシリーズ」 
原 題 「A Death in Vienna2004年 
著 者 ダニエル・シルヴァ 
翻訳者 山本 光伸 
出 版 論創社 2005年10月 
初 読 2021年2月26日 
単行本 382ページ 
ISBN-10  4846005569 
ISBN-13  978-4846005566

 物語冒頭、ガブリエルが取り組んでいた修復が下の絵。ベネツィアの町中にある、素朴な教会ですが、中は豪華なルネサンスの美の宝庫。ベネツィアの栄華が忍ばれます。
 さて、ナチス3部作最後の一冊。
 『報復という名の芸術』で10年ぶりに現役に復帰したガブリエルもすでに3年が経過。この間、『報復』ではテロリストのタリクに返り討ちにあってマカロフの一撃でダウン、『イングリッシュ・アサシン』でも殴られ蹴られ、犬に襲われて大怪我をし、『告解』ではバイクでコケて命も危ぶまれる重傷を負う。もう、こいつアクション向いてないよな、と誰もが気づいて然るべきなんだが、いちおう「伝説のスパイ」ポジションは揺らいでいない(笑)。
 いいんです、ガブリエルの我が身を顧みないそのひたむきさが好きよ。(笑)
 この『死都』では、盗聴され、尾行され、大事な証人を消され。あまりにも無防備なガブリエルに呆然とする。なぜ、彼は盗聴防止装置を持っていないのだろうか?  いや、エリが狙われたという事実だけでも、クラインの身の保全を図るべきじゃね? 彼をイスラエル大使館に連れ込んだっていいくらいじゃない?
ヴォーゲルご当人と顔を合わせたあとで、のこのこ別荘に忍び込むか?向こうからマークされてるのわかってるじゃん。いやあもう、大丈夫かよガブリエル!
サン・ジョヴァンニ・クリソストモ教会
ジョバンニ・ベッリーニ作
『聖クリストフォロス,聖ヒエロニムスと
ツールーズの聖ルイス


 とはいえ、13年前のウイーンでの事件も絡めて、ガブリエルの取調室での叫びもなかなかに悲痛で、ファン・サービスには抜かりない。シリーズ全巻とおして、ガブリエルが我を失って叫んでるシーンってほとんど無いんじゃないだろうか。

 そして、エンタメの体裁は取りつつ、主題はナチスの戦争犯罪とこれに同調ないし目をつぶり、ナチの重犯罪人の逃亡を助けたカトリックやナチの犯罪の隠蔽を助けたヨーロッパ各国の告発であり、同時にガブリエルと母の修復の物語でもある。

 アウシュビッツからの生還者であったガブリエルの母は、その苦悩の記憶から、一人息子に十分な愛情を注ぐことができなかった。子供時代のガブリエルと母との関係は緊張感に満ちたものだったが、その理由は、母から教えられることはなかった。
 作中、ガブリエルはヤド・ヴァシェム(イスラエルの国立ホロコースト記念館・Wiki(日本語)公式HP(英語)はこちら)で母の証言書を読み、母のアウシュビッツ・ビルケナウ収容所での体験を知ることになる。
 シャムロンは、アウシュビッツで愛する者達を全て失ったガブリエルの母は、息子を愛して失うことに耐えられなかったのだ、とガブリエルに語るが、それだけではあるまいと思う。
 ガブリエルの母アイリーンの記憶の中で、愛すべき息子と、仲間の死と、ナチの殺戮者は堅く結び付けられてしまっていたのだから。息子を見ると、愛おしさを感じた次の瞬間には、殺害された仲間が目に浮かび、ナチ将校の顔を思い出しただろう。ガブリエルに向けられた視線は険しさと苦痛に満ちていたはずだ。結局ガブリエルは、母に抱きしめられることも優しくなでられる事もなく寂しく育ったわけだが、かなり鬱屈しているとはいえ、とりあえず真っ直ぐ成長したことを誉めてあげたい。ガブリエルのそばに母代わりとなった優しい女性が居たのは幸いだった。シャムロンの身勝手ではあるが確固とした愛情も、きっと、ガブリエルの救いの足しにはなったのだろう。

 さて、物語はウイーンで起きた爆弾事件から始まる。狙われたのはガブリエルの戦友エリ・ラヴォン。エリが追いかけていたのは、あるオーストリア人の身元だった。かつてSS将校だったと思われるその男ラデックは、身元を偽装し今ではオーストリアの大立者となっており、エリの後、調査を開始したガブリエルも命を狙われる。その男が関わったのはゾンダーコマンド1005。ユダヤ人大虐殺の痕跡を抹消する秘密作戦であり、その作戦の成功によって、虐殺されたユダヤ人の正確な人数は永遠に判らなくなった。そして、ある時期その男はアウシュビッツに駐留していた・・・・・・・
 これまでは一介の暗殺者で現場工作員に過ぎなかったガブリエルは、シャムロンの手ほどきで首相にブリーフィングを行い作戦指揮官としての地歩を固める。また、ガブリエルはシャムロンに問う。アイヒマンが法のもとで裁かれ、いま、ラデックもそうされようとしているのに、どうしてブラック・セプテンバーのパレスチナ人たちは、報復の対象としか見なされなかったのか。
(どうして、自分は殺人を犯さねばならなかったのか。)
ガブリエルは、誰も殺したくない、とシャムロンに訴える。

 これ以上のことは、どうぞ本を読んで欲しい、といいたいところだが、翻訳が酷いので、それもオススメしがたいところ。原著はKindleで手に入るので、英語が苦手でなければ、そちらに挑戦してみてはどうだろうか。
 第5作以降は翻訳が途絶えているのが残念、と思っていたが、むしろ幸いだったのかもしれない。
とりあえず、14作目の『亡者のゲーム』までの間に語られていると思しき、ぜひ知りたいことリストは以下のとおり。
 1 リーアがイギリスの病院からエルサレムの精神病院に
   移ったいきさつ
 2 ガブリエルがルビヤンカの地下で階段から突き落とさ
   れた経緯
 3 サウジアラビアで何があったのか?
 4 キアラの最初の妊娠と流産の件
 5 ガブリエルとキアラの結婚のくだり
 6 ガブリエルはいつ、長官になる決心をしたのか


【追記】ガブリエルは母に、自分がシャムロンの手下の死刑執行人であることを話さなかった、との記述がある(p.316 )。ガブ父が6日間戦争(第三次中東戦争)で死んだらしく、母はその1年後に癌で亡くなっているので、母が亡くなった当時、まだガブリエルは高校生もしくは兵役中だったと思われる。シャムロンのリクルート以前に母は亡くなっているはず。これは作者の設定の混乱かな。

2021年2月15日月曜日

0258 報復という名の芸術―美術修復師ガブリエル・アロンシリーズ

書 名 「報復という名の芸術―美術修復師ガブリエル・アロンシリーズ」 
原 題 「The Kill Artist」2000年 
著 者 ダニエル・シルヴァ 
翻訳者 山本 光伸 
出 版 論創社 2005年8月 
初 読 2021年2月17日 
単行本 438ページ 
ISBN-10  4846005550 
ISBN-13  978-4846005559
翻訳の問題に関しては別のトピックにまとめたので、ここは純粋に、ストーリーについて。

 ガブリエル・アロンシリーズの栄えある一作目。
 冒頭は1991年1月。小雪のちらつくウイーンの街角から。ガブリエルの人生にいくつかの転機があるとすれば、それは1972年9月、そして1991年1月だろう。この日からおよそ8年、彼はひたすら自分を責め、イギリスに隠棲して他者との関係を閉ざしてきた。

 ガブリエルから妻のリーアと2歳の息子ダニエルを奪ったのは、1972年にガブリエルが射殺したブラックセプテンバーのメンバー、マハムンド・アルホウラニの弟であるタリク・アルホウラニの復讐だった。ガブリエルは妻子が受けた被害を、マハムンドに敢えて残酷な殺し方をした自分に対する罰と受け止めていた。
 自分を責めつつも、アウシュビッツ生還者である父からの教え

「時として人は早過ぎる死を迎える。密やかにその死を悼め。アラブ人のように悲しみをあらわにしてはいけない。そして弔いを終えたら、立ち上がり自分の人生を歩み続けろ。」

を実践しようと努めたが、立ち上がって自分の人生を歩むことは彼にとってとても困難なことだった。

 古い、傷んだ絵画を修復し、リーアを見舞い、自分で修理した木製ケッチ(二本マストの小型—中型ヨット)で海に出る、そんな静かな生活を送っていたガブリエルの人生に、かつての上官であるアリ・シャムロンが新たな『復讐』を手に踏み込んでくる。
 始めは拒絶したガブリエルが結局はシャムロンの依頼を受けたのは、立ち上がるきっかけを求めていたからだし、シャムロンの方にも、そういう救いのロープをガブリエルに投げているつもりだったのは間違いない。しかし、シャムロンの胸中には狡猾な計略が。

 1988年4月の、チュニスにおけるPLO幹部殺害計画で彼を補佐した女性補助工作員ジャクリーヌも再び巻き込み、タリクを追う作戦が始まる。タリクは活動を活発化させてイスラエルを標的とした暗殺を繰り広げつつあった。
 一方で、ジャクリーヌが関わったテロリストのユセフが語る、パレスチナ難民側からみたイスラエルの非道も、目を背けるわけにはいかない。復讐の根は深すぎて、暗澹とした気分になる。

 パレスチナ問題、中東史、アラファト、サダト、イスラエルのベン・グリオンやラビンの伝記などの本を積み上げ、ゲバラのポスターを張り、パレスチナ国旗を壁に飾るユセフが語る人生も壮絶だし、知っておくべき歴史的事件がちりばめられている。

 タリクは、イスラエルとの和平路線に舵を切っていたアラファトを、国連会議が行われる米国のレセプションの場で暗殺しようとする。タリクを追ったガブリエルは土壇場でタリクから返り討ちにあう。タリクの銃弾を、自分の番として、当然のもののように胸に受けて倒れるガブリエル。なんとなく、彼が無意識に死を求めていたような印象も受けなくもない。

 そして。なんとなくもやる展開だったのが晴れるラスト数ページは、鮮やか。
しかし、鮮やかではあるが、ガブリエルよりももう一人の方が憐れだと思うのは私だけだろうか。シャムロンに人生を操作され、破壊された人間がここにまたひとり。ガブリエルはそれでもシャムロンを屈折しながらも愛しているが、それはガブリエルの特質であって、だれもがそうなるわけでもなく。スローンを利用した挙げ句殺すのはどうかと思うし、ユスフがなぜ、命令に従っているのかも謎。そういう意味でははやりもやもやが残るラストではあった。


 さて、この本。ウィーンでの事件や、その伏線となった、チェニスでのガブリエルの行動。父との関係など、これからシリーズに繋がる情報も詰め込まれている一冊で、シリーズ必読の書であるのは間違いないながら、あんな翻訳ならいっそのこと絶版していて欲しい、古本市場にも出てこないほうがマシ、な一冊でもあったのだった。

2021年2月11日木曜日

0257 夜と霧(新版)

書 名 「夜と霧」(新版) 
原 題 「EIN PSYCHOLOGE ERLEBT DAS KONZENTRATIONSLAGER 」1977年 
著 者 ヴィクトール・E・フランクル 
翻訳者 池田 香代子
出 版 みすず書房 新版2002年11月 
初 読  2021年2月8日
単行本 184ページ
ISBN-10  4622039702 
ISBN-13  978-4622039709

 あまりに静かで穏やかな文体に、これが史上類を見ない民族虐殺の場で起こったことを語っているということを、うっかりすると忘れてしまいそうだ、と思った。写真や別の記録などを手元に置いて、両方を見ながら読んだ方が良い。


 家畜よりも残忍な扱いを受け、人間性と尊厳を極限までこそぎ取られてなお、大自然の雄大さや夕日の美しさに感嘆する精神がある。ユーモア、ほんの少しの笑いが魂を生き延びさせることを知っている人が側にいて、救われたひとがいることだろう。
 著者が冒頭で語っているとおり、ホロコーストの残虐さ、「壮大な地獄絵図」は描かれない。なぜならそれらを語った証言や証拠はこれまでにいくたびとなく提示されている。この本で著者が描き出そうとしたのは、“一人ひとりの小さな、しかしおびただしい苦しみ”、それが人の精神をどのように切り刻んでいったのか、それでもなお残る人間性はどのようなものだったのか。個々人の力では抗いようのない残酷な命の瀬戸際に立たされた時に見いだされた人間の精神の崇高さを語り出していく。
 これまで知らなかったこともあった。
 かまど(死体焼却炉)のない小規模な収容所に送られることが、幸運であったこと。
 被収容者があちこちの収容所をたらい回しにされていたこと。
 ユダヤ人を根絶することが目的であった収容所でも、「病気療養棟」があり、チブスなどの患者が隔離収容されていた。無きに等しいとしても、微々たる薬の配給があり、囚人の中から医師が配置され、収容所としての体裁を整えるために組織的・計画的に収容所が運営されていた。そして、そこに隔離されることは、夜間や氷点下での土木作業に出なくてもよいことであり、「幸せ」なことであったこと・・・・・(後半の記載から、この薬は、この収容所の所長であったSS将校のポケットマネーで賄われていたものかもしれない。この所長は、公正な人間であったとして、収容所開放後、被収容者が、連合軍側に対して彼の身の安全の保証するのでなければ引き渡さない、としてかばった。そして、本文では書かれていないが、このかばった張本人はおそらくフランクル自身であろう、と後書きより)

§いい人は帰ってこなかった・・・・
「収容所暮らしが何年も続き、あちこちたらい回しにされたあげく一ダースもの収容所で過ごしてきた被収容者はおおむね、生存競争の中で良心を失い、暴力も仲間から物を盗む事も平気になってしまっていた。そういう者だけが命をつなぐことができたのだ。何千もの幸運な偶然によって、あるいはお望みなら神の奇跡によってと言ってもいいが、とにかく生きて返ったわたしたちは、みなそのことを知っている。わたしたちはためらわずに言うことができる。いい人は帰ってこなかった、と。」 

§生きる続ける為に、死と苦しみに与えられた意味—問いと意味の反転—
 生きつづけることが出来なければ、この苦しみには意味がない、という思いは、やがて、自分に与えられたこの苦しみを受け止めることがすなわち、生きつづける意味につながる、と反転した。生の意味は、死やそこに至る苦しみまでも内包するものになる。

「わたしたちにとって生きる意味とは、死もまた含む全体としての生きることの意味であって、「生きること」の意味だけに限定されない、苦しむことと死ぬことの意味にも裏付けされた、総体的な生きることの意味だった。」p.131 

§深まる思索
 「生きること」が自分になにかを「期待している」。自分が未来に何かを期待するのではなく、未来が、自分に果たすべきなにかを求めている。自分からは生きることに何かを期待することはもはや出来なくなってしまっても、逆説的に「何かが」自分を待っている。「生きること」が自分に何かを「期待している」と思うこと、思わせることは可能だった。
 そして、そのような形で未来に存在する何か、を明瞭に思い浮かべる事ができた人々は、生き抜く事ができた。

「生きることは日々、そして時々刻々、問いかけてくる。・・・・ひとえに行動によって、適切な態度によって、正しい答えは出される。生きるとはつまり、生きることの問いに正しく答える義務、生きることが各人に課す課題を果たす義務、時々刻々の要請を満たす義務を引き受けることにほかならない。」p.130 

 「ひとりひとりの人間にそなわっているかけがえのなさは、意識されたとたん、人間が生きるということ、生きつづけるということにたいして担っている責任の重さを、そっくりと、まざまざと気付かせる。自分を待っている仕事や愛する人間にたいする責任を自覚した人間は、生きることから降りられない。まさに、自分が「なぜ」存在するかを知っているので、ほとんどあらゆる「どのように」にも耐えられるのだ。」p.134 

§善悪の境界線は集団の間には引けない
 監視する側、被収容者の側というだけでは、一人の人間についてなにも語ったことにはならない。善悪の境はひとりひとりの人間の中にあり、人間に対して人間らしく振る舞うということは、つねにその人個人のなせるわざ、モラルだった。卑小で残酷で嗜虐的な人間はいずれの側にもいて、そういう人間を(被収容者の中から)選別し、監視者に仕立てることで、収容所のヒエラルキーは成立していた。一方で、公正で人間らしい人物も、たしかにSSの中にすらいた。

「この世にはふたつの人間の種族がいる。いや、ふたつの種族しかいない。まともな人間とまともでない人間と、ということを。このふたつの「種族」はどこにでもいる。」p.145   

§解放されたものの心理
 解放されたからといって、苦痛の全てがおわり、幸福が訪れたわけではない。解放された被収容者には、心理学的にいっても困難な状態が続いたし、自分たちが体験した苦痛に対する、周囲の反応のギャップに苦しんだ。また、自分達の苦痛や苦悩を、他者に転嫁することで満たされようとする心理に陥る者も多くいた。いつか再会することを、微笑んで迎えてくれることを夢に描いていた愛するものや、大切なものごとが全て失われていた。 



 こうした思索すら、最初の「選別」を経て、10人の内のひとりになったからこそ可能だったことを、後年彼の体験を追想しようとしている者は忘れてはならない。
 1100万人のヨーロッパ・ユダヤ人のうち600万人が極めて組織的に、殺害された。
 かれらを個人の倫理観で小さな単位の中で守ろうとした人々は沢山いたが、組織的に対抗しようとした人々、もしくは集団は少なかった。
 家畜用貨車に詰め込まれて何日も掛けてアウシュビッツやそのほかの絶滅収容所に送られた人々のうち、一番弱い人々は、貨車の中で絶命した。そして、貨車から降ろされたときに、選別され、労働力と見なされなかった病人、老人、幼い子どもなどの弱者は、そのままガス室に送られて殺害され、焼却された。または、銃殺され、穴に落とされれ埋められた。
 焼却炉の骨は同胞の囚人の手で砕かれて近くの川に捨てられた。
 収容所に送られた者のうち生き延びたものは数パーセントだった。この本は、そのごく少ないうちの一人によって、思索され、記述されたものである。この本を読む私達は、彼の体験と思索を追体験するとともに、彼にはなれなかった大多数の人にも思いをはせなければならない、と思うと同時に、他人事ではなく、我が身や、自分が所属する集団や民族でもおこりうる、そして被害を受ける側ではなく迫害者となりうることを真剣に考えなければならないと思う。

2021年2月2日火曜日

0255 告解―美術修復師ガブリエル・アロンシリーズ(論創ミステリー)

書 名 「告解―美術修復師ガブリエル・アロンシリーズ」 
原 題 「The Confessor」2003年 
著 者 ダニエル・シルヴァ 
翻訳者 山本 光伸 
出 版 論創社 2006年1月 
初 読 2021年2月5日 
単行本 393ページ 
ISBN-10  4846005593 
ISBN-13  978-4846005597

 この本の冒頭、ヴァチカンではヨハネ・パウロ二世が崩御し、新教皇パウロ七世が誕生する。
 ちなみに、現実世界のヨハネ・パウロ二世の在位は1978年10月16日から2005年4月2日なので、ダニエル・シルヴァがこの本を執筆していた2003年には存命していた。しかし最晩年で健康不安が取りざたされている状況で、そんな中で教皇が死んだって話を書いてしまうことに、私がドキドキしてどうするんだ! 挑戦的(挑発的?)な姿勢ではあるが、まあ、話の内容はもっと挑戦的なのであまり細かいところに拘ってもしょうがない。
 ローマ法王庁やローマ教皇を巡るあれこれについては、読めば読むほどどつぼにハマりそうなので、あまり踏み込まないように自重する。本作パウロ七世は短命だったヨハネ・パウロ一世からの着想だろうか? 本名アルビーノ・ルチャーニ。ベネツィア総大司教から65歳という教皇としては比較的若い年齢でその地位に昇り、意欲的に法王庁の改革に着手したものの、教皇在位33日で心筋梗塞により急逝。死亡後のヴァチカンの不自然な対応や、マネーロンダリングが取りざたされていたヴァチカン銀行などヴァチカンの暗部の改革にも取り組んでいたため暗殺説が唱えられている。
 ちなみにローマ・カトリックとナチスとの関係については、先日読んだ須賀しのぶ氏『神の棘』のテーマにもなっていたので、初見ではないもののまだまだ勉強不足である。

ヴァンゼー会議(1942年1月20日にベルリンのヴァンゼー湖畔にある邸宅で開催された会議) 

15名のヒトラー政権の高官が会同して、ヨーロッパ・ユダヤ人の移送と殺害について分担と連携を討議した悪名高い会議である。

 

 1942年1月のヴァンゼー会議において、ヨーロッパ・ユダヤ人の「最終的解決」について協議された。その方針が各方面に徹底されたことは、詳細な議事録や参加者の書簡などから明らかにされている事実である。
 この本は、その後、ドイツ=イタリア国境にほど近い美しい湖畔の女子修道院において、ローマ・カトリック(法王庁)とナチス側が、その「最終的解決」の実施について協力を確認する秘密の会議が持たれた、という(架空の)出来事が発端となる。 

 と、いうわけで話を本作の世界に戻すと、ヴァチカンではヴェネツィア総大司教であったピエトロ・ルチェッシが教皇に選出され、パウロ七世が誕生している。
 ドイツ、ミュンヘンでは、一人のユダヤ人の大学教授が自宅で執筆中の原稿を奪われて殺害された。名前はベンジャミン・スターン、彼はかつての『神の怒り作戦』のメンバーで、ガブリエル・アロンの盟友であり、現在はミュンヘンにある大学の客員教授としてユダヤ人問題の研究に取り組んでいた。(※『報復という名の芸術』に登場した大富豪のベンジャミン・ストーンとは別人。このあたり、シリーズ初期で、設定がまだ固まっていなかったのか、名前をつかい回したのか。)
 “息子達”の一人が謀殺されたとあって、シャムロンはガブリエルに調査を命じる。一見極右ネオナチの犯行に見えるように偽装されてはいるが、犯行の動機は単なるユダヤ人憎悪ではなく、ヴァチカンの深部にあった。
 調査を始めたガブリエルの周辺で、関係者が次々に暗殺されていく。そこには、ヴァチカンの権威と権益を守ることを至上とした秘密組織の影が。
 〈組織〉が繰り出した殺し屋の鼻先をかすめて情報を集めるものの、ガブリエルはいつの間にか教皇暗殺犯として手配され、警察に追われることとなる。 時を同じくして、新教皇は、ローマ・カソリック教会が犯した、ナチスに協力しユダヤ人虐殺に手を貸した罪を認め、ユダヤ人との和解の一歩を踏み出すことを決めていた。 教会の権威を守るためなら教皇の暗殺も辞さない組織に対抗し、ガブリエルは教皇を守ろうとするが。


作中でガブリエルが修復に取り組んでいる
ベネツィアのサン・ザッカリア教会の祭壇画
この陰影と遠近感がすごい。彫刻を観ているよう。
 ガブリエルはシャムロンと顔を合わせればかならず父親に反発する反抗期の息子のような様相になるが、これでも51歳のいい大人である。ちなみに、以下は〈神の怒り作戦〉の部隊がシャムロンによって組織された頃のガブリエルの描写。

「どういうわけかシャムロンは、ガブリエルの不幸な徴兵時代のファイルに出くわしたのだ。アウシュビッツの生き残りの子どもであるガブリエルは、上官から傲慢で自己本位だと見なされ、鬱々とした気分になりがちだった。しかし、それと同時に高い知性を持ち、司令官の指示を待たずして自主的な行動を取ることができた。マルチリンガルでもあった。その特徴は前線の歩兵部隊ではほとんど役にたたないものの、アリ・シャムロンはおおいに必要としていた。」


「それからの一年半、シャムロンの部隊は〈ブラック・セプテンバー〉のメンバーを十人以上殺した。ガブリエルだけで六人。任務が終わったとき、ベンジャミンは研究者として復帰した。ガブリエルもベトサルエルへ戻り、絵の勉強を続けようとしたのだが、絵の才能は殺された男たちの亡霊によって台無しにされていた。そのため、リーアをイスラエルに残し、ウンベルト・コンティに修復技術を学ぶためにヴェネチアへ向かった。そして、修復の仕事に心の安らぎを見いだした。」  


 ところで、この“ベトサルエル”、『イングリッシュアサシン』では“ベッサエル” 訳者の違う最近のハーパーブックスでは“ベザレル”となっているが、「ベツァルエル美術デザイン学院」(イスラエルの国立美術大学)である。外国語をカタカナ表記する以上、ブレがあるのは仕方ないが、同じ訳者で訳がぶれるのはいかがかと思う。『報復という名の芸術』ほどでないにしても、『イングリッシュ・アサシン』でもヘンな訳があったが、チェックはきちんとしてほしい。

 さて、この巻でキアラが補助工作員(カッツァ)として登場。バイク、車、ヨットの操縦、銃の扱い、負傷の手当、すべてに優れた有能な工作員で、ガブリエルの片腕となる。シャムロンは、作戦のたびにガブリエルの周りに女性を配して(?)ガブリエルの喪失を補い、孤独を埋めようとしてるのだろうか? 
 この後、キアラはやがては恋人となり、彼の子を妊娠し流産もするし、死の危険もくぐったりもするようだが、残念ながら翻訳されていない。 ハーパーで現在原著からほぼ1年遅れで出版している最新作ではガブリエルも結構な年になっているし、ダニエル・シルヴァは新しいシリーズを執筆始めているらしいので、現在刊行されている『過去からの密使』の次の巻でひょっとしてシリーズ終了とか?まさか?
 なので、ぜひ。未訳のシリーズ中盤が日本で出版されることを願っている。 

【著者あとがきより引用 P.386】
 ローマ教皇ピウス12世は1939年から、1958年に死去するまで在位した。ヨーロッパにおけるユダヤ人全滅の危機に際し、連合国が何度も要請したにもかかわらず教皇が公的に沈黙を守ったことに関して、ホロコースト研究家のスーザン・ズッコッティの言葉を借りると、『論じられる事は稀であり、論じる事は不適切』な状況が醸成されている。そして、第三帝国の崩壊後、協会関係者によってアドルフ・アイヒマンとナチの著名な殺人者たちに保護と援助がなされたのである。
 
教皇ピウス12世の実像は、ヴァチカン秘密文書保管所に隠されていた文書によって、より正確なものになるだろう。しかし、戦争終結から半世紀以上が過ぎても、教皇庁は真実を探求する歴史家たちに記録の宝庫を解放することを拒絶し、文章保管庫にある11巻の公式記録文書、すなわち1965年から1981年の間に出版された戦時中の外交通信記録を閲覧可能にしていると主張している。第二次世界大戦における教皇庁の活動と文書』というその記録は、大戦に関する詳細な歴史的記述の多くに役立ってきた。しかしそれは、ヴァチカンが世界に見せたがっている文書に過ぎないのだ。
 秘密文書保管所には、その他にどんな忌まわしいものが潜んでいるのか? 1999年10月、追い詰められた教皇の周りに渦巻く議論を沈めるため、ヴァチカンは6人の独立した歴史研究者からなる調査委員会を作り、戦時中のピウス12世と教皇庁の行為を再検討させた。 (中略) 調査委員会は47の質問事項をバチカンに提示し、同時に秘密文書保管所の証拠書類開示を要求した。日記、忘備録、スケジュール帳、会議の議事録、草稿などの記録、戦時中のヴァチカン幹部の個人的な文書を。なんの回答もないまま、10ヵ月が過ぎた。ヴァチカンに文章を公開する意思のないことがはっきりした時、調査委員会は任務を完了しないまま解散した。 (中略) ガーディアン紙に引用された筋によれば、秘密文書保管所に出入りすることは『ヴァチカン国務省長官アンジェロ・ソダーノ枢機卿が率いる秘密結社によって阻止されている』のである。ソダーノ枢機卿は、文書保管所の公開に反対している。非常に危険な先例を作り、他の歴史研究、例えば教皇庁と、血塗られたラテン・アメリカの軍事政権の関係のような研究に対し、ヴァチカンをさらしものにしかねないと言うのがその理由だ。 
 教会内部には、教会のユダヤ人迫害の罪を積極的に認めるとともに、戦時中の行動についてより正確な報告書をヴァチカンに提出させようとする人たちも確実に存在する。そのひとりであるミルウォーキーのランバート・ウィークランド大司教は、「我々カトリック教徒は、数百年にわたり、ユダヤ人の兄弟姉妹に対して神の法に逆らった流儀で行動してきた」と言っている。また、1999年11月ウィスコンシン州フォックス・ポイントのユダヤ人会においてこう述べた。「そういった行動が肉体的かつ精神的に、何世代にもわたってユダヤ人コミュニティーを傷つけてきた」と。 
 そして、大司教は注目すべき発言をしている。「我々カトリック信者は、ユダヤ人は信用できず、偽善的で神を殺す者だといった教義を説き、ユダヤ人の兄弟姉妹の人間としての尊厳をおとしめ、神のご意志に沿った行動であるかのようにユダヤ人に復讐する状況を作り出した。そうそうしたことで、われわれカトリック信者は、ホロコーストを可能ならしめた状況に力を貸したと言わざるを得ないのである」

・・・・長くなったし、ほぼ丸々全文を引用するのも芸がないとは思ったが、ほとんど、どこも端折れなかった。ユダヤ人迫害は遠いヨーロッパ社会の出来事のように感じるかもしれないが、きちんと我が身と我が足元を確認し、検証しなければならない。集団の狂気は、決して人ごとではない。 

2020年3月のニュース →『ヴァチカン、第2次世界大戦中の教皇の関連文書を公開 ホロコースト黙認か』 

 

2021年1月18日月曜日

0250 イングリッシュ・アサシン―美術修復師ガブリエル・アロンシリーズ(論創ミステリー)

書 名 「イングリッシュ・アサシン―美術修復師ガブリエル・アロンシリーズ」 
原 題 「The English Assassin」2002年 
著 者 ダニエル・シルヴァ 
翻訳者 山本 光伸 
出 版 論創社 2006年1月 
初 読 2021年1月17日 
単行本 386ページ 
ISBN-10  4846005577 
ISBN-13  978-4846005573

 爆弾テロ、多過ぎである。いったいこのシリーズで、ガブリエル・アロンは何回爆弾テロに遭遇するのだろうか?
 両腕に怪我をして、特に右手は腱の状態が良くないからきちんと手術をしないと動きが悪くなるだろう、とまで医者に言われて、しかもその後で散々ボコられてぼろぼろにされるし、これまでコートランド・ジェントリーのことを負傷の多い奴だと思っていたけど、ガブリエル・アロンはコートのはるか上を行く。

 さて、最近ではハーパーブックスから出版されているガブリエル・アロンシリーズであるが、こちらは論創社より出版されているシリーズ最初の4冊のうちの2冊目。ヨーロッパにおける現代史の暗部。ナチスとどのような関わりを持ったか、というテーマは、ヨーロッパ各国の記憶の深部に横たわる十字架だ。スイスに秘匿された、ナチスの隠し財産。フランスのユダヤ人から収奪された多くの美術品が、スイスに流れ込み、現在も個人の所蔵家や銀行の地下金庫に秘匿されている。戦中、ナチスの協力者だったある銀行家は良心の痛みに耐えかね、自分が秘蔵している元はユダヤ人から略奪された名画の数々を、秘密裏にイスラエルに返還しようとする。しかし、それは彼の「仲間」にとって許すベからざる裏切りだった。

 イスラエル諜報組織側がスイスの銀行家ロルフの元に立てた使者は美術修復師のガブリエル。名画コレクションを所蔵するコレクターである銀行家を訪問するには格好の人選だった。しかし、ガブリエルが訪問したとき、銀行家はすでに死体になっていた。そして、殺人への関与を疑われたガブリエルは警察に正体を見破られ、拘束されてしまう。

 シャムロンの手配で難を逃れたガブリエルは、失われた絵画を探すために、ロルフの娘であるヴァイオリニスト、アンナと逢う。さらにロルフの美術顧問をしていたパリの画商を訪れると、画商が爆弾テロの標的にされる。危険を察知して現場を離れつつあったガブリエルの頭上にも爆風で割れた周囲のビルの窓ガラスが降り注ぎ、頭部をかばったおかげで両腕に負傷。医者を連れて支援に出張ったウージ・ナヴォトと落ち合い、その場で治療を受けるものの、きちんと手術をやり直さないと右手に支障がでるだろうと警告される。しかし、作戦の渦中でのんびり治療に専念できるわけもない。ガブリエルはそのまま追跡を続行。
 著名なバイオリニストであるアンナ・ロルフもガブリエルに協力し、やがて、ある銀行の貸金庫に収められたロルフのコレクションを発見して、英国の画商イシャーウッドの元に運び込むことにひとまず成功する。ガブリエルは、さらに隠されているはずの美術品と、それを所蔵しているナチスと繋がるスイスの地下組織を暴く為に突き進む。

 この地下組織が、ガブリエルを抹殺するために雇ったのがコルシカの殺し屋。仕事を請け負った「英国人」はガブリエルの殺害に動くが、ガブリエルの動きを追ううちに、自分が請け負っている仕事に疑問が生じて・・・・・
 この「英国人」、コートランド・ジェントリー並みの「お人好し系」である。隠しきれない人の好さと、紛れもない技術と、自分の意図とは無関係に組織からこぼれ落ちてしまった悲哀がまた、グレイマンぽい。そしてラストでは頼まれもしないのに、ガブリエルの仕事を人知れず肩代わりするあたり、美味しいところをさくっと持っていっている。コルシカ島の庇護者にも、友人(この本ではまだそこまで到達していないけど)にも恵まれるこの「英国人」は、そういう意味ではグレイマンよりかなり幸せな奴である。

 さて、地下組織の根城に乗り込もうとしたガブリエルは、裏をかかれて殴り倒されてつかまってしまう。殴る蹴るの拷問を受け、その惨状は例えるなら作品『拷問室の男』。自分を客観視するときにはついキャンバスに描かれた絵を想像するところがガブリエルらしいっちゃ、らしい。協力者の力で命からがら脱出はしたものの、負傷は全身に及び・・・・・書かれていなかったが、右腕のガラスによる裂傷もちゃんと再治療したんだろうな? テルアビブで治療を受け、イギリス、コーンウォールの海辺の自宅コテージに戻るのに3ヶ月の時間を要した。なんというか・・・・本当に、この人、怪我が多い。そして、すっきり悪を倒して一見落着、ということにならないのも、ダニエル・シルヴァらしい幕切れである。そんなに単純に事はおさまらない、だけど時間は進んでいくし、傷は時間に癒やされるものでもある、という哲学めいたものを感じないでもない。(←かなり無理がある。)
 
 ハーパーBooksのシリーズは14作目以降なので、ガブリエルは次期〈オフィス〉長官に内定していて、作戦についてもどちらかといえば指揮官であったり、作戦そのものも頭脳戦・諜報戦だったり、地味に落ち着いている感じがそれはそれでイイのだが、このシリーズ冒頭の作品群ではまだ、ガブリエルはシャムロン麾下の一介の「暗殺工作員(キドン)」であり、ストーリーも相当荒事寄りなようだ。とはいえ、外見上年齢不詳なガブリエルも実は50歳だったりして、あまり無茶はさせないで欲しい、とつい思ってしまう。それから、商売道具の利き手は大事にして!(あと、いくら年齢不詳とはいえ、五十男にしては台詞廻しが軽い。なんか親に反抗するティーンエイジャーみたいで、もうすこし落ち着いた感じに訳出できなかったものかと。。。。)

2020年8月15日土曜日

0215ー16 神の棘 Ⅰ・Ⅱ

書 名  「神の棘Ⅰ」「神の棘Ⅱ」
著 者 須賀しのぶ
出 版 新潮文庫 平成27年7月

 戦後75年という節目だからであろうか、書店で平積みになっていて、この露骨にナチスな表紙に興味を引かれた。
 最初はこのテーマ、この歴史を日本人が、というか、彼ら自身以外の者が書いてよいのか、と戸惑ったのも事実。キリスト教という信仰、教会の保身と腐敗、第一次大戦後のドイツ社会の混乱、ナチスに身を投じた人間の内情、性的禁忌、ユダヤ人迫害、レジスタンス。勝者が敗者を裁くニュルンベルグ裁判。
 どこにも正義などははなく、通底するのは人間の弱さと、自己保身だ。宗教者ですら例外ではない。人間同士の争いは壮大に皮相で、醜く、救いがない。それにしても、このテーマを、アルベルトとマティアスに託して書き切った須賀しのぶ氏に敬意を表する。そして、だ。SSでありながらレジスタンスとの関わりを疑われ、ゲシュタポに捕らえられて拷問を受ける羽目になったアルベルトの絶叫を聞かされて読者は上巻を置く羽目になり、もはや下巻を手に取らざるを得ない、というストーリーテラーぶりにも敬服する。

 アルベルトの人生の、彼の思想の核となったものは、ザーレムでの幸せな数年間で与えられた教育だったのだろうか。
 ただ常識やルールに従い、自らの思考を放棄することを是とせず、是非を自分で判断し、正しいと思ったことを行動に移す、真に独立した自由意志を持つ自我を確立した近代市民たれ。
 アルベルトの生き方は、ある意味ザーレムが目指したであろうドイツ市民の姿を体現しているのではないか。

 しかしかの時代に生まれた人間の宿命として、その魂と意志は、SSの制服の内に注がれることとなり、愛する女性を守るという一念がその行動を律することになる。どれほど強く高い意志と決意を持っていても、巨大な歴史の流れの中では抗いがたく流されるしかない。それでも、抗うことのできない現実の中で行った自分の一つ一つの選択を、紛れもなく「自分の意思」の結果として、その責任を負おうとするアルベルトの姿に胸が苦しくなる。

 アルベルトとマティアスの違いは、自分自身の力で守るべき者を持ったか持たないかの差であり、それ以上に、「自分自身の力で」と言ったときに、選択や決定の一番奥底の部分を信仰にゆだねる、といういわば逃げ道を持ったものと、持つことを拒否したものの違いだ。
 その逃げ道を、人間の魂に必要なものであるとして、その逃げ道を持つ事が人間の真の幸福であると、ある意味人としての弱さを受け入れているマティアスと、それを受け入れることを拒否し、あくまでも個人の力で屹立することを望んだアルベルトには、根本的な断絶がある。
 アルベルトの拒絶は、人の弱さを存在の基盤とする宗教と、その「許し」を専売特許として世俗化した教会という組織の悪を暴くものであるし、自分の弱さを「自分の問題」として正面から受け止めようとする強さと、「人間の問題」に一般化して、全体に共通するものとして転嫁する弱さの対比でもあるように思える。
 その様な強さを貫いたアルベルトが、マティアスになりたかった、と最後に語ることで、また、世界が転覆する。神に愛される「弱い人間」であることを許されたかったのだ、ということは裏を返せば「親に無条件で愛される子供でありたかった」という、とアルベルトの人生の過酷さの証として私は受け止めたが、それはアルベルトの内心で、どのような意味を持っていたのだろう。人が様々な思いと記憶と自分の内側に閉じ込めたまま、死んでいき、その記憶は決して人に知られることはない。そうやって死んでいった無数の歴史の証人や市井の人々にも思いを馳せざるを得ない。