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2025年8月13日水曜日

0562 コーンウォールに死す

書 名 「コーンウォールに死す」 
原 題 「A DEATH IN CORNWALL」2024年
著 者 ダニエル・シルヴァ    
翻訳者 山本 やよい    
出 版 ハーパーコリンズ・ジャパン 2025年6月
文 庫 600ページ
初 読 2025年8月12日
ISBN-10 4596572216
ISBN-13 978-4596572219
読書メーター 
https://bookmeter.com/reviews/129618910 

 パレスチナの惨状で、この作品に対していささかの幻滅が伴っていないといったら嘘になる。
 ダニエル・シルヴァも、絶妙なタイミングでガブリエルを引退させたもんだ、と皮肉っぽくなったりもする。
 でも、ガブリエルが魅力的なことには変わりない。
 前作よりも大人しめで、スキャンダルも陰謀も、最近のこのシリーズからしたら、小ぶりではある。だが毎作、ワロージャと戦争するわけにもいくまいよ。それに(何回も書くが)ガブリエルはもはや70台半ばである。これも何回も書いてるが、ボッシュと同い年だからね。
 それにしては、ガブリエルは異様なくらいに頑健である。今回も殴り倒されてボコボコにされてるが、骨折の一つもせずに、ちゃんと生還。まあ、ジャンプヒーロー並みの生命力だよな。(笑)

 そんなこのシリーズも、今作で24作目。ガブリエルは73歳。双子達は8歳。
 娘のアイリーンは環境問題に敏感で、グレダちゃんみたいになりつつある。
 息子でガブリエルに激似のラファエルは、その才能を美術ではなく、数学方面に発揮しており、ガブリエルはラファエルに絵に興味を持ってもらいたいとの切望を隠しもしていない。
 今回は、前作でガブリエルが修復したゴッホが、イギリスのコートールド美術館でお披露目されるあたりからスタート。ガブリエルの携帯に、コーンウォールに住む旧知の人物からの連絡が入る。・・・・・改めて、振り出しに戻って考えれば、正直いって地元の(ローカルな)殺人事件にすぎないことで、ピール青年(元少年)がガブリエルに連絡を入れることが、一番あり得ないんじゃないか、と思わないでもない。この点が今作一番の無理筋。それ以降は、いつも通りのガブリエルである。

 殺されたのは、女性の美術史家。連続殺人の犠牲者に見せかけた殺人の背景に浮かび上がったのが、かつてユダヤ人が所有していたピカソ作の女性の肖像画。その来歴は、ナチス占領下のフランスで起こったユダヤ人の災禍で所有者から違法に詐取されたもの。この絵を発見した良心的な美術史家が惨殺されたことで、ガブリエルが調査に乗り出す。

 巨額絵画を隠れみのにした資金洗浄と絵画のブラックマーケットは、このシリーズで繰り返しテーマになっているもの。おなじみのガブリエルの模造絵画の作成風景も、今作はあっさり目ながら、読者の楽しみの一つ。話はどんどん流転して、結局英国の首相候補の野心とその妻の欲望に帰結し、犯罪行為に犯罪行為で対抗する手段ゆえに、あちこち結果オーライで、犯罪者は真っ当な法の裁きによることなく、社会的リンチの餌食になった。

 まあ、一時ほどの盛り上がりはないにせよ、ガブリエル・アロンのファンとしては、彼がとりあえず元気でいてくれれば、と思う。ガブリエルが不幸になる姿は絶対に見たくない。 もはや、彼の年齢的にも、シリーズ的にも、毎作がボーナストラックみたいなもんなので、今作もその点では十分に満足に値する。・・・・・ていうか、面白かったよ! ちょっと冗長かな、と思わないでもないけど、全部が全部、ガブリエルで満ちてるから、それだけで読む価値アリでした。
 ガブリエルがコーンウォールに三度目の拠点をもつことになったのも良し。地元住民から愛されているのも良し。
 以前のガンワロー岬のヴィラは、惨劇の舞台になっちゃってたからね。

 巻末の著者ノートは必読。ダニエル・シルヴァが作品を通じて言いたいことは、ここに凝縮している。世界の富の不均衡。貧しいものはより貧しく、富めるものは、いっそう富を集積。その金はどこにあって、何をしているのか。世界はどこに向かっているのか。
 世界の歪んで濁った姿がガブリエルを通じてプリズムを通った光のように分光し、人々の目により分かり安く提示されているように感じる。

美術修復師ガブリエル・アロン シリーズ

ガブリエル・アロンについての考察はこちら(年表付きです。)

『告解』でガブリエルが手がけている
祭壇画 サン・ザッカリア教会

1【報復という名の芸術】(The Kill Artist 2000年)
1999年。 1,991年1月にガブリエルがウィーンで幼い息子を失ってから9年近くが過ぎていた。シャムロンに逢うのは事件のあとテルアビブで〈オフィス〉の仕事を辞めると伝えた時以来。ガブリエルが隠棲していたのは、イギリス、コーンウォールの海辺のコテージ。かつてはガブリエル専属の支援者(サイアン)だったイシャーウッドとは、本当の画商と絵画修復師の関係となっていた。そんなイシャーウッドからガブリエルの居場所を聞き出して、シャムロンが新たな「復讐」を携えてやってくる。それは、ウィーンでガブリエルの車に爆弾を仕掛け、彼から家族を奪った男への報復だった。
  
2000年頃? この作中で彼は50歳。スイス在住のある資産家が、ガブリエルに接触を図る。その男が秘匿していたのは、かつてナチスがユダヤ人から略奪しした絵画の数々だった。この絵画を巡り、ナチの残党との死闘が始まる。スイスが未だ隠し持つ、かつてのユダヤ人の財産。ヨーロッパ諸国とナチスとの関係は、歴史の暗部となって未だ各国にわだかまっている。ナチスはユダヤ人の財産を奪った、というアロンに対して、ユダヤ人はパレスチナ人から土地を奪った。動産より不動産の方が罪が重い、と論じるスイス人。ユダヤ人とユダヤ人国家にまつわる問題は一筋縄でいくものではないが、だからといってナチスの罪が薄れるわけではない。それに協力した人間の罪も、である。

2001年冬 ガブリエル51歳になったばかり。ベネツィアのサン・ザッカリア教会で祭壇画の修復を手がけていると、シャムロンからの呼び出しが。かつての盟友がドイツで殺害された。調査を始めると、今度はガブリエルが何者かに追跡される。親友だったベンジャミンが追っていたのは、第二次対戦時のナチスとヴァチカンの関係だった。法王庁とローマ・カトリックの権威を至上とするヴァチカンの秘密組織が、ガブリエルと彼が掴んだ証拠を抹殺しようとする。時を同じくして新教皇は、ユダヤ人との和解のための一歩を踏み出そうとしていた。教皇にも危険が迫り、ガブリエルは新教皇を守るために接触を図る。 
 
『さらば死都ウィーン』で
修復を手がけている祭壇画
サン・ジョヴァンニ・クリソストモ教会
ジョバンニ・ベッリーニ作
『聖クリストフォロス,聖ヒエロニムスと
ツールーズの聖ルイス


時期的には2002年か2003年、またしても冬。雪のちらつくウイーンは、ガブリエルにとっては不吉の象徴。親友であり、戦友のエリ・ラヴォンがウイーンで運営していた戦争犯罪調査事務所が爆破される。スタッフは死亡、エリは重体。ガブリエルは追跡調査を開始するが、すぐに命を狙われることになる。エリが追っていたのは、身分を偽装してオーストリアで社会的にも大成功を収めていた元SS将校。その男の成功の原資となったのはユダヤ人から略奪された資産であり、また、その男はガブリエルの母とも因縁があった。ガブリエルは、ヤド・ヴァシェムに残された母の証言書を読み、初めて母の苦難と向き合うことに。

5(Prince of Fire 2005年)未訳
ガブリエルに関する秘密文書が暴露され、ヴェネツィアにいられなくなったガブリエルはキアラを伴いやむを得ずイスラエルに帰国する。キアラとの生活を準備するが、イギリスの病院に入院させていたリーアが誘拐されて・・・・・。紆余曲折ありキアラが1人でヴェネツィアに去る。
 
6(The Messenger 2006年)未訳
ローマ法王パウロ7世がテロの標的に。ガブリエルが法王を守る。法王の計らい(?)でベネツィアにキアラを訪れ、関係復活。『教皇のスパイ』で触れているエピソードがこれ。
 
7(The Secret Servant 2007年)未訳

8(Moscow Rules 2008年)未訳
ガブリエルがモスクワに潜入。 
 
9(The Defector 2009年)未訳

10(The Rembrandt Affair 2010年)未訳

11(Portrait of a Spy 2011年)未訳
サウジアラビアに潜入。サウジ人女性ナディアを救出しようとするが、2人とも砂漠で殺されそうになる。結局ナディアが死に、ガブリエルは重傷。その後サウジ秘密警察に捕らえられ、過酷な尋問を受けて傷を悪化さる。米国CIAの介入で解放されるが、女性の死に責任を感じて深刻なPTSDを患い、イギリス・コーンウォールでキアラとアリに見守られて静養する。このときガブリエルを案じたサラ・バンクロフトの依頼でナディアの肖像画を描き、この絵を契機に精神的に復調するのだが、この絵がMoMA美術館のナディアコレクションの入り口に展示されている。これが、『過去からの密使』の下敷きとなっているエピソード。
12 (The Fallen Angel 2012年)未訳

13 (The English Girl 2013年)未訳

 2014年春〜秋  ガブリエル64歳。キアラは妊娠中。ガブリエルは、カラビニエリの美術班、フェラーリ将軍の依頼により盗難にあったカラヴァッジョの《キリストの降誕》を探すため、盗難絵画のコレクターを釣る餌として、ゴッホの《ひまわり》を盗み出す。しかし、《ひまわり》の盗品売買の相手を追跡するうち、盗難絵画がシリアの独裁者の隠し財産の形成に利用されていることが分かり、事態は一転する。ガブリエル個人の請負仕事が、オフィスの大プロジェクトに展開。標的はシリアの独裁者の財産である。一連の事件終了後、ゴッホ美術館に盗まれた《ひまわり》が戻ってくるが、なぜか手入れをされて盗難前より状態が良くなっていた、ということだ。 

 2014年秋〜冬  亡者のゲームの三日後から。 
 キアラの妊娠後期から出産まで。ガブリエルがロシアの策略で爆弾テロの標的にされる。
 怪我の詳細の記載はないが全身打撲くらいはありそう。 一週間程度で復活している。ロシアが手先に利用したのは、英国人暗殺者との因縁も深い、IRA爆弾テロ犯だった。そしてこの男は、ガブリエルの家族を犠牲にしたウイーンの爆弾テロにも深い関わりが。MI6からの請負仕事だった事件が、復讐の色を濃厚に帯び、事態は逼迫する。今回は絵画修復のシーンはないが、事件終了後、出産間近なキアラが待つエルサレムに帰還し、自宅の子供部屋の壁にダニの顔を模した天使の絵を描いて涙ぐむガブリエルの姿が切ない。

 2015年4月〜12月 ※2015年のISISの戦闘についてと、気候変動抑制に関する協定(パリ協定 2015年12月12日)が結ばれたことについて言及している。 ISISによるユダヤ人の組織を狙った大規模な爆弾テロがパリで起こり、ガブリエルはISISに潜入させる工作員とするため、フランス系ユダヤ人の女医ナタリーをリクルートする。前半はじっくりとスパイを養成するガブリエル。自分の子供時代のことを明かしながら、ナタリーとの信頼関係を築く。
 そして、潜入、テロ計画の始動。標的は、フランス大統領訪米中の合衆国だった。イスラエル、ヨルダン、フランス、イギリス、合衆国それぞれの諜報機関の長たちの協力関係も面白い。 この回でもガブリエルは爆弾テロの現場にいて被害にあう。 

 2016年2月〜11月 サラディンとの決戦。
 上巻冒頭で、エルサレムをイスラエルの首都と認め、「米国大使館」をテルアビブからエルサレムに移設する、 と発言した新しい米大統領の就任の話題があるが、トランプ就任は2017年1月なので、現実とは1年ずれた格好か。
 訪問していたフランス秘密情報部のビルが自動車爆弾で爆破される。間の悪い時に間の悪い場所に居合わせるのがガブリエルの得意技。このときの怪我は爆風とがれきの下敷きになって、肋骨数カ所を骨折、腰椎2か所にひび、重度の脳震盪で一週間ほどダウン。だが復讐の炎が痛みをおしてガブリエルを突き動かす。そして、サラディンをおびき出す作戦が始動。  
 サラディンの収入源である麻薬取引をヨーロッパ側で仕切る男を攻略し、サラディンに繋がる細い道をこじ開ける。米国からの横やりを排除しつつ、CIA、MI6、フランス治安総局と協働し、作戦を遂行。このあたりのガブリエルの政治力も見物。さりげなく出てくるウージ・ナヴォトもなかなか渋い。そしてサハラでサラディンを追いつめるが、サラディンは欧米のどこかに潜伏しているテロリストに攻撃を命じた後だった。

 2017年1月頃? 前作の爆弾テロの際の負傷の後遺症?で痛む腰をさすりながらのガブリエル登場である。おかげで若作りのガブリエルもだいぶ歳相応に見えてきた。良い記憶のあまりないウィーンでの作戦。例によって陣頭指揮を執っていたが、目の前で亡命させる予定だったロシアのスパイが殺害されてしまう。その上その場にガブリエルが居合わせたことを隠し撮り写真でマスコミにリークされて窮地に立たされる。
 怒り心頭、恨み骨髄のガブリエルはそこから怒濤の諜報戦に突入するが、判明したのは、宿敵を絡め取ろうとするロシアの策謀が二重三重に張り巡らされていたこと、そしてある伝説の二重スパイの存在だった。 

 12歳の少女(サウジ皇太子の娘)が誘拐され、その父である皇太子が、敵であるはずのガブリエルに捜索と奪還を依頼する。中東との融和の糸口になれば、という思いと、ただ、何の罪もない少女を助けたいという思いで、捜索に協力するガブリエルだが、目の前で少女は爆殺されてしまう。少女の殺害とその父の失脚の裏にロシアの影を見たガブリエルは、復讐の反撃に出る。 
 戦いはガブリエルの勝利に終わるが、少女を助けることができなかった悔恨がガブリエルを苦しめる。サウジ皇太子によるカショギ記者謀殺事件をモチーフに、ロシア、イギリスを絡めたシルヴァ風の一流のエスピオナージ 。

2019年11月。長官に就任して以来、腰を負傷して自宅で療養した数日以外は一日も休まず働いていたガブリエルを見かねて、キアラが休暇を手配する。(なんと首相にまで手を回して!)旅行カバンを用意していたキアラに、「出て行くのかい?」と真顔で尋ねるガブリエル! 休暇の行き先はキアラの両親が暮らすヴェネツィア、仕事ひとすじで余暇の過ごし方など知らないガブリエルの為に、修復する絵まで用意する周到ぶり。そこに、ガブリエルの庇護者でもあった教皇パウロ7世崩御のニュースが。この時点で、彼の任期は2年と1ヶ月。 

21【報復のカルテット】(The Cellist 2021年)
 2020年3月〜2021年4月。世界はcovid(新型コロナウイルス)に支配されている。 
 アロン家は人が多く、ロックダウン中のエルサレム市街の自宅から、故郷のイズレエル谷のラマト・ダヴィドに程近いナハラルに仮住まいしてコロナを避けている。双子たちは田舎暮らしで逞しく成長中。ガブリエルは新しく入手したガルフストリームに現金を詰め込み、人工呼吸器や検査薬や、医療用防護衣を世界中で買い付けて、国内の病院に配布。政治家への転身の準備か・・・との世間の噂も。そんな噂は歯牙にもかけず、ガブリエルはオフィスで諜報戦の陣頭指揮も執っている。そんな折、ガブリエルと旧知のイギリス在住のロシア人富豪が毒殺され、ガブリエルはおなじみMI6のケラーと動き出した。

22 【謀略のカンバス】(Portrait of an Unknown Woman 2022年)
 2021年12月〜。ガブリエルはついにオフィス長官を引退し、長年にわたる諜報の世界から身を引いた。カラビニエリのフェラーリ将軍の庇護のある古巣ヴェネツィアに家族と居を構え、キアラはティアボロの美術修復会社の経営に参画し、子ども達は地元の小学校に通っている。キアラの配慮の行き届いた落ち着いた生活で長年の疲労や苦悩が少しづつ薄れ、彼が本来の笑顔やユーモアを取り戻しつつあるころ、旧友のイシャーウッドが、ある絵画売買絡みのトラブルに巻き込まれる。穏やかな日常に少々退屈しつつあったガブリエルは、キアラの赦しをえて調査にのりだす。
 2022年秋〜。ベネツィアで絵画修復に携わり、悠々自適・・・のはずのガブリエルは、またもフェラーリ将軍の訪問を受け、ある名画の鑑定を依頼される。しかし、有名なゴッホの盗難名画の横には、空の額縁とキャンバスを失った木枠があり。そのサイズから、ガブリエルはその絵が、これも盗まれたフェルメールだと直感する。フェラーリからの依頼を受け、絵画の追跡に乗り出すも、ロシアの暗殺者、南アフリカの核開発、そして宿敵ウラジーミル・ウラジーミロヴィッチの手先だった男・・・と、話は転がる雪だるまのよう膨らんでいく。 

 前作の直後から。2023年1月〜。コーンウォールで「斧男」といわれる連続殺人犯によると思われる殺人事件があり、かつてのティモシー・ピール少年(現在ではデヴォン&コーンウォール警察の刑事部の巡査部長になっている)が捜査に当たることに。ティモシーはある種の直感から、たまたまロンドンに滞在していたガブリエルに連絡を取る。そこから、巨匠絵画のブラックマーケットをめぐる怒濤と流転の展開に。イギリス政界を脅かす陰謀を、ガブリエルが執念で暴く。

ガブリエル・アロン来歴《美術修復師ガブリエル・アロンシリーズ》(2025.8.13更新)


《大天使ガブリエル》

 イスラエルの復讐の天使 ガブリエル・アロン
 ダニエル・シルヴァによる、美術修復師にしてイスラエル諜報機関の暗殺工作員(キドン)であり、やがては諜報機関、内部の人間の呼ぶところの〈オフィス〉の長官となるシリーズの主人公、ドイツ系ユダヤ人。
 画家として非凡な才能があったが、ドイツ語を母語とし複数のヨーロッパ言語に堪能だった彼は暗殺工作員として活動することを半ば強いられ、22歳で最初の暗殺を実行する。その後も極限の中で暗殺を重ね、結果として、絵を描く才能は損なわれてしまう。その後、ベネツィアで絵画修復師として修行を積み、独立後はこれを隠れ蓑にヨーロッパで工作員としての活動を継続することになる。

 容姿の形容は、身長175cmくらいで平均以下、自転車選手のような引き締まった体躯、暗色の髪はこめかみに白髪が交じり、知性を感じさせる広い額、面長の顔、目はアーモンド型で不自然なほど鮮やかな緑の瞳、高い頬骨、木彫りのような鋭い鼻の線、細い顎。ちなみに、私の脳内では、キアヌ・リーブスが近い。目の色以外はぴったりだと思っている。もし映画化されることがあるなら、主演は彼でお願いしたい。(正し、身長差はいかんともしがたいが。)

 犬が嫌い。(キアラに言わせると野生動物全般と相性が最悪らしい。たぶんガブリエルも動物に劣らずワガママだからだろうな。)
 ガブリエルの犬嫌いはスパイ業界では有名な話らしく、部下のミハイルによれば、犬とガブリエルは「ガソリンとライターのように危険な組み合わせ」なんだとか。元々好きではなかったらしいが、『イングリッシュ・アサシン』で逃走中にアルザス犬(=ジャーマン・シェパード)と闘う羽目になり、左腕を噛み砕かれたことがあって、以来、犬族全般に対して極めて険悪な感情を持っていると推察される。

 性格はやや神経質で寡黙で暗い。時間を掛けることも待つことも厭わないが、待たされることはあまり好きではない。待たされてイライラすると物や人に当たりちらすこともあり。情緒に乏しく傲慢で冷酷とは少年期の彼に与えられた評価だが、感情表現があまり豊かでないだけで、内実は愛情深く、恩義に厚い。

「・・・石灰岩の建物と、松の香りと、冬の冷たい風雨を愛している。教会と、巡礼の人々と、安息日に車を運転する彼をどなりつける超正統派ユダヤ教徒を愛している。旧市街の市場でアラブ人の露店の前を通り過ぎるとき、彼らの守護聖人たるテロリストを何人も排除してきたのが彼であることを知っているかのように、みんなが警戒の視線を向けてくるが、そんなアラブ人のことすらガブリエルは愛している。信心深い暮らしを送っているわけではないが、旧市街のユダヤ人地区に入って、嘆きの壁のどっしりした石組みの前に立つのを愛している。パレスチナと広いアラブ世界とのあいだに永続的な平和を確保するため、縄張りをめぐる譲歩を受け入れてはいるが、本音を言うなら、嘆きの壁だけは譲りたくないと思っている。エルサレムの中心部に国境が作られることが二度とあってはならないし、ユダヤ人が自分たちの聖地を訪れる許可を求めねばならないような事態を招くことも、二度とあってはならない。嘆きの壁は現在、イスラエルのものとなっている。この国が存在しなくなる日まで、そうありつづけるだろう。地中海沿岸のこの不安定な一帯で、いくつもの王国や帝国が冬の雨のごとく現れ、消えていった。現代によみがえったイスラエル王国もいずれは消えていくだろう。しかし、自分が生きているかぎり、そうはさせない。」ダニエル・シルヴァ. ブラック・ウィドウ 上  Kindle の位置No.945-957 


 普段はかなり無口で、几帳面で感情の起伏を表に出さないタイプだから、こんな想いを語られるとけっこう胸熱だ。  

以下作中から読み解く彼の来歴
 ※『ブラックウィドウ』を読んで、ガブリエルの生年を上方修正。1950年生まれだ。

◆ ガブリエル・アロンの家族の出身はドイツ、母方はベルリン。父方はミュンヘン。
 母方は一家全員がアウシュビッツに送られ、母のみ生還。母方祖父はヴィクトール・フランケルという名のドイツ印象派の高名な画家であったがアウシュビッツに到着した日に殺害されている。母も才能ある画家で、戦後イスラエルに逃れ、現代イスラエルを代表する抽象画家となったが、心を病み生涯アウシュビッツの記憶に苦しめられた。 父も腕に番号の入れ墨のあるアウシュビッツの生還者だ〔報復という名の芸術〕が、ハーパーブックス以降の巻では、ミュンヘン出身でユダヤ人虐殺が始まるまえにパレスチナに移住した、とされている。作品初期から設定が変わっているのか?それとも戦前のパレスチナへの移住者だが、捕らわれてアウシュビッツに送られるような経緯があったのか? いずれにせよ、ガブリエルは母から芸術家としての才能と、両親からアウシュビッツを生き抜いた強靱で不屈な精神を受け継いだ。
◆ ガブリエルは1950年(の多分冬。11月か12月頃)に、イスラエルのイズレル渓谷にあるラマト・ダヴィドという農業を中心とする入植地で生まれた。〔ブラック・ウィドウ〕
◆    1967年 父が第三次中東戦争(六日間戦争)で死亡。〔ブラック・ウィドウ〕
◆ 1968年 父の死の1年後、母が癌で死亡。〔イングリッシュ・アサシン〕
◆ 兵役(イスラエルのユダヤ教徒は男女とも皆兵。男子は18歳から36ヶ月の兵役を務める。 )ののち、ベツァレル美術学校(ベツァレル美術デザイン学院)に入学。イスラエルの学生は兵役があるため、普通大学に入学した時点で21歳くらいのはずだが、アロンは1972年に暗殺者となったとき20歳、との記載。〔英国のスパイ〕 若干計算が合わない気がしたが、『ブラック・ウィドウ』では「ミュンヘンオリンピックの後、22歳で復讐の天使になった」とのエリ・ラヴォンの言葉があり。そうであれば、1950年生まれで、ハリー・ボッシュと同じ歳(笑)である。これだと、計算があう。というわけで、ざっと年齢を修正。
◆ 在学中に最初の妻、リーアと結婚。
◆ パリに1年留学していた、との記載あり。〔報復という名の芸術〕
 留学、とはいうものの留学生の身分を偽装に利用して暗殺工作を展開するためだった可能性もある。
◆ 1972年のミュンヘンオリンピック事件(ブラックセプテンバー事件)直後の9月、ガブリエルの語学力、兵役時の銃器を扱う才能、偽装に使える画才等を見込んだシャムロンが彼を強引にスカウトし、シャムロン麾下の暗殺工作員(キドン)となる。〔イングリッシュ・アサシン〕 この時22歳。〔ブラック・ウィドウ〕その後3年間にわたって、ブラックセプテンバー事件への報復作戦である「神の怒り作戦」に従事。
◆ ブラックセプテンバー事件の実行犯・関係者12名を暗殺(銃殺もしくは爆殺)して「神の怒り作戦」におけるガブリエルの任務は終了する。ガブリエルはそのうち6名を直接殺害した、とされている。その際、ブラックセプテンバー事件の犠牲になったイスラエル選手団11名の報復として、可能な限り一人につき11発の銃弾を撃ち込んだ。これは、この後もガブリエルの暗殺のスタイルとなっている。
◆暗殺した6人の内のひとりが、マハムンド・アル=ホウラニだった。この男の弟のタリク・アル=ホウラニが、兄を殺された復讐のため後にガブリエルの妻子を爆殺する。〔報復という名の芸術〕
◆ ガブリエルは、3年間作戦に従事したのちイスラエルに帰還し、改めて画家としての活動を再開しようとしたが、キャンバスに向かうと自分が殺した相手の顔がちらついて、絵を描くことができなくなっていた。そこで、シャムロンの了解のもと、ベネツィアの美術修復士のもとに弟子入りし、絵画修復の道に入る。
◆ 1975年〜1977年頃までの3年間、ベネツィアで修行。
  絵画修復師として独り立ちした後は、この身分を隠れみのに、工作員としての活動を継続。
◆    1976年頃には、チューリッヒ在住のパレスチナ人劇作家、アリ・アブデル・ハミディを殺害。〔イングリッシュ・アサシン〕
◆ 1977年頃  シャムロンが修復師修行を終えたガブリエルをイシャーウッドに引き会わせる。
◆ 1988年頃 息子のダニエル・アロン誕生。(ガブリエルはこのとき38歳)
◆ 1988年4月のPLO幹部暗殺事件では、作戦に加わり、暗殺を実行している。
◆ 1991年1月 ウイーンでガブリエルの自動車に仕掛けられた爆弾により息子のダニ(当時2歳半)が死亡、妻リーアは全身大やけどを負い、精神に異常をきたす。〔報復という名の芸術〕
◆ 事件の後、ガブリエルは〈オフィス〉を辞め、イギリスのコーンウォール最南端のガンヴァロー海岸にあるコテージに隠棲。このコテージとアトリエは、こののち長い間彼の心の休息地となるが、『英国のスパイ』では殺戮の舞台となる。
◆ 1998〜1999年頃、イギリス・コーンウォールのヘルフォード川河口、ポート・ナヴァスの近くにあるコテージに移り住む。このコテージの隣家にピール少年が住んでおり、ガブリエルは亡くなった息子ダニエルと同じ歳のピールと交流する。〔報復という名の芸術〕
◆ 1998年頃は「この世界(諜報と暗殺)から遠ざかっていた」と本人の弁。〔英国のスパイ〕この頃はイシャーウッドからの絵画修復の依頼で生計を立て、精神病院に入院していたリーアの治療費を稼いでいた。
◆    1999年頃 シャムロンの要請で〈オフィス〉の現場に復帰。ニューヨークでパレスチナ人テロリスト(タリク・アル=ホウラニ)の銃撃を胸にうけて重傷。〔報復という名の芸術〕
◆ 2001年頃 ナチスによって奪われたユダヤ人が所有していた絵画を巡り、スイスの秘密組織に潜入するも捕らえられて拷問される。なお、この作戦の際、パリで爆弾テロの標的とされ、腕に大怪我もしている。(爆弾テロ1回目)〔イングリッシュアサシン〕
◆ 2001年〜2002年冬 サン・ザッカリア教会の祭壇画(ベッリーニ)の修復。
  盟友ベニがミュンヘンで謀殺される。
  ローマ教皇暗殺犯(ベニを殺した男)をバイクで追跡中転倒し重傷を負う。〔告解〕
◆ 2003年  聖クリストソモ教会の祭壇画(ベッリーニ)の修復。キアラとは恋仲になっている。SS将校であったラデックを捕らえてイスラエルに連行する。〔さらば死都ウィーン〕
【5作目から13作目 未読 ガブリエルがキアラと別れたりくっついたり、ローマ教皇を助けたり、ロシアに潜入して大怪我したり、サウジに潜入して捕まったり、イギリスの首相を助けたりしている。ああ、翻訳読みたい(泣)】
◆    2014年秋  サン・セバスティアーノ教会の祭壇画(ヴェロネーゼ)の修復。
◆ 2014年秋〜12月 英国人の殺し屋ケラーとともに元IRA爆弾テロリストとロシアのスパイを追う。ロンドンで爆弾テロの標的にされて負傷するが、この事件を逆手にとって死亡を装ってテロリストを追撃。
◆    2014年12月 妻キアラとの間に双子誕生。
  女の子をアイリーン(ガブリエルの母の名)、男の子をラファエル(ルネサンスの大画家より)と名付ける。〔ブラック・ウィドウ〕
  カラヴァッジョの祭壇画《キリストの降誕》の修復〔ブラック・ウィドウ〕
◆ 2015年4月〜ISISの爆弾テロ指導者〈サラディン〉を追う。この間、ワシントンで爆弾テロに巻き込まれる。〔ブラック・ウィドウ〕
◆ 2015年の末に 〈オフィス〉長官に就任(65歳)。双子1歳の誕生日。サラディンの追跡を継続。パリのヴォクソール・クロスでまた爆弾テロにあう。〔ブラックウィドウー死線のサハラ〕

◆ 2019年11月 ローマ教皇パウロ7世逝去。双子は4歳で、もうすぐ5歳。ガブリエルは69歳になったところ。ガブリエルの旧友でもあるドナーティが、新教皇に選出される。〔教皇のスパイ〕

◆ 2020年3月 新型コロナの流行。アロン家はナハラルのバンガローに仮住まい。ガブリエルの旧友であるロンドン在住のロシア人富豪が毒殺される。
◆ 2021年1月6日 米国でトランプ支持者による議会議事堂襲撃。 1月20日 大統領就任式の直後にQアノン支持者によるガブリエル暗殺未遂。生死を分ける一週間、さらに2週間の集中治療ののち、ガブリエルはイスラエルに帰国。その後、復帰までにはさらに数ヶ月の静養を要した。〔報復のカルテット〕

◆ 2021年末 オフィス長官辞任。ヴェネティアでついに引退生活に入る。
◆ 2022年春 旧友のイシャーウッドが贋作絵画売買の詐欺に巻き込まれる。1枚の絵の所有者が殺害され、イシャーウッドも狙われるに及んで、ガブリエルが調査に乗り出す。結果、全世界を股に掛けた巨大絵画投資詐欺グループを壊滅に追い込む。〔謀略のカンバス〕
◆ 2022年秋 〈オフィス〉長官引退後、ヴェネティアで絵画修復に励むガブリエルにフェラーリ将軍が巨匠絵画の盗難事件を持ち込む。ガブリエルは調査を請け負うが、それがウクライナ戦争での核使用を目論むロシアの陰謀に繋がり、ガブリエルは再び〈オフィス〉のメンバーを集め諜報戦を指揮することに。〔償いのフェルメール〕
◆ 2023年1月 修復を手がけたゴッホのお披露目の式典のためにイギリス、コートールド美術館を訪れていたガブリエルに旧知のティモシー・ピールから一本の電話が。〈斧男〉と呼ばれた連続殺人犯による殺人に見せかけた美術史家の殺害から、第二次大戦中にフランス在住のユダヤ人から奪われたピカソの作品を知り、事件を追いかけるうちに、ガブリエルはイギリス政界を揺るがす陰謀を暴く。双子は8歳になっている。〔コーンウォールに死す〕

2024年6月24日月曜日

0489 償いのフェルメール (ハーパーBOOKS)

書 名 「償いのフェルメール」
原 題 「Collector」2023年
著 者 ダニエル・シルヴァ    
翻訳者 山本 やよい    
出 版 ハーパーコリンズ・ジャパン 2024年6月
文 庫 568ページ
初 読 2024年6月24日
ISBN-10 4596637202
ISBN-13 978-4596637208
読書メーター 
https://bookmeter.com/reviews/121477812

 せっかく、シャムロンが引き留めるのを振り千切り、〈オフィス〉を引退して速攻ヴェネツィアに移住したのに。やっと家族との生活と心の平穏を取り戻し、オリジナルの絵を描く才能さえ取り戻しつつあったというのに!(ほぼ自主的に!)また諜報の世界に引き戻されたガブリエルである。分かってたけどね、こうなるコトは。
 だいたい、いくら少数精鋭とはいえガブリエルの部下は数が少なすぎる。エリ・ラヴォンやミハイルや、ダイナが定位置から動いただけで、もはやロシア側に察知されるのでは? ガブリエルがヴェネチアの修復現場から数日以上姿を消しただけで、影で何らかの動きがあると見做されるのでは? どうしてガブリエルの挙動がロシア側にバレないのか、それが不思議でしょうがない。だけど、そこに引っかかると全てが面白くなくなるので、敢えて気にしないことに。
 内容も、大いなるマンネリの域に達したと言えなくもない。なにしろ今回もまた、有能な女性をスカウトして、対ロシア諜報戦だ。だがしかし。そんなささやかな不満(?)を吹き飛ばす終盤のスリルたるや、大したもの。いやあ、今作も面白かった。

 さて、あらすじである。以下ネタバレ。
 ヴェネツィアで、キアラや子供達と穏やかにすごすガブリエル。聖堂で絵の修復に取り組む彼のもとに、おなじみカラビニエリの美術班を統率するフェラーリ将軍が訪れる。有る場所で見つかった盗難絵画の鑑定を依頼したい、と。なにか裏がありそうだと思いつつ、ガブリエルが伴われた場所は殺人現場。そして美術館から盗まれて行方が知れなかった有名なゴッホ自画像の隣には、空の額縁とキャンバスが剥がされた木枠が残されていた。ガブリエルは、その盗まれた絵を取り戻すよう、フェラーリ将軍から依頼される。

 だが、盗難絵画を追いかけるうち、殺された絵画の所有者がかつて南アフリカで核開発に関係していたこと、そして〈オフィス〉協力者であったことを知る。そして、南アフリカが開発した旧式の核弾頭が、絵画の盗難に隠れて、ロシアの手に渡ったと思われることも判明。

 ウクライナ戦争を決定的な勝利で終わらせるために、ロシアが戦術核を用いるのではないか、と西側(米国)は怖れている。ロシアが秘密裏に入手した旧式の核弾頭が「ウクライナからロシアに対する」先制核攻撃に使われること(もちろんロシア側の偽旗作戦として)を察知したガブリエルは、ふたたび〈オフィス〉に戻り、オフィスの人員・技術と、自分が持つ人脈を集結して、ロシアと対決することを決意。

 と、まあそんな話。

 それにしても、今作は“コマノフスキー”が最高に格好良かったです。後半、ドキドキして、イヤな予感しかしなくて、読み進むのが辛かったわ。

 ガブリエルはもう70歳です。以前も書いたが、ハリー・ボッシュと同じ歳です。ボッシュだって、白血病だの、人口膝関節だの言っているというのに、ガブリエルときたら頑健すぎていささか不気味だ。キアラともまだまだお熱いみたいだし。

 今回、過去の登場人物も沢山でてきて、いったいいつの話なんだか、いささか混乱してきたので、人物リストを作っておく。常連の主要人物は省略で。


イングリッド・ヨハンセン………フリーランスのITスペシャリスト 
アストリッド・ソーレンセン……イングリッドの変名
マルティン・ランデスマン………過去作『報復のカルテット』に登場した、スイスの大富豪で投資会社の経営者。
セルゲイ・モロソフ………………過去作『赤の女』イスラエルに拉致された元SVR工作員。イスラエルの収容所で捕虜生活を継続中。
マウヌス・ラーセン………………〈ダンスクオイル〉のCEO  

グリゴーリー・トポロフ…………ロシア対外情報庁(SVR)の暗殺者  
ニコライ・ペトロフ………………ロシア連邦安全保障会議 書記。ワロージャの側近  
ゲンナージー・ルシコフ…………ロシアのトベリ銀行頭取(過去作に登場していたかは思い出せない)
ワロージャ/ウラジーミル・ウラジーミロヴィチ…………ワロージャはウラジーミルの愛称。言わずとしれた恐ロシアの独裁者。ウラジーミル・ウラジーミロヴィチ・プーチン。

ラース・モーデンセン……………デンマーク国家警察情報局(PET)の長官 
エイドリアン・カーター…………CIA長官。ついに!エイドリアンが長官に昇進!長い道のりだった。
ポール・ウェブスター……………CIAコペンハーゲン支局長
テッポ・ヴァサラ…………………フィンランドの保安情報機関の長官

2023年6月20日火曜日

0433 謀略のカンバス (ハーパーBOOKS)

書 名 「謀略のカンバス」
原 題 「Portrait of an Unknown Woman」2022年
著 者 ダニエル・シルヴァ    
翻訳者 山本 やよい    
出 版 ハーパーコリンズ・ジャパン 2023年6月
文 庫 648ページ
初 読 2023年6月19日
ISBN-10 4596774781
ISBN-13 978-4596774781
読書メーター 
https://bookmeter.com/reviews/114433241

 2021年12月。ガブリエル71歳。
 ガブリエルは、長年身を捧げてきたイスラエルの諜報機関「オフィス」の長官を引退した。幸いにして、1年弱前の暗殺未遂事件による負傷は、大きな後遺症を残さなかったようだ。キアラの敷いた計画どおり、退任したその日にはエルサレムを離れて、古巣ともいえるヴェネツィアに移住した。この地は、若い日に、画家になることを断念したガブリエルが美術修復師になるための修行を積んだ街であり、その後長年にわたって身元を偽って、数々の絵画修復を手がけたガブリエルの第二の故郷であり、そしてキアラの両親が暮らす街でもある。
 双子のアイリーンとラファエルは家から近い公立の小学校に通い、登下校の送り迎えはガブリエルがしている。
 キアラの監督(監視?)の元、ゆっくりと休息をとり、長年の苦労と疲労を落としたガブリエルは1人の画家、もしくは美術修復師として生まれ変わったように・・・・というよりはガブリエル本来のものであったはずの笑顔やユーモアを取り戻しつつある。
 まあ、たまにカラビニエリのフェラーリ将軍が厚情でつけた護衛を、尾行者と間違えてうっかり叩きのめしたりはしているが。
 で、そんな穏やかな新しい生活に、ガブリエル本人がいささか退屈も感じ始めたころ、旧友の画廊経営者であるイシャーウッドが偽造絵画売買に関わるトラブルに巻き込まれてしまう。ガブリエルはキアラの赦しを得て、フランスに出向き、調査に乗り出す。

 前作に引き続き、かつてのガブリエルの恋人だったアンナ・ロルフが登場。イシャーウッド、サラ・バンクロフト、ケラー、オルサーティ、占い師の老女、おまけに邦訳されていないシリーズ8作目『Moscow Rules』で登場したフィレンツェのヴィラまで登場。(ガブリエルがモスクワに潜入し、ルビヤンカの地下で殴られて目を負傷したのち、脱出してこのヴィラで治療を受け、静養した、、、んだったと思う。たしか。)前作でも思ったが、旧作の登場人物を次々と登場させるあたり、シリーズ総まとめに入っているんだろうか?と感じる。
 おまけに今回は美術界の贋作売買の一大ネットワークを巡る事件なので、ガブリエルの絵画に関する蘊蓄や制作シーンがふんだんに描かれている。ついでに、愛するキアラとの熱々な昼下がりまで、サービス満点。
 絵画と諜報という二大得意分野の合わせ技で、その才能に並ぶものなはなし、各国・各界に助力を惜しまない協力者がいるガブリエルは向かうところ敵なしで、まさに余裕綽々と言ってよく、中盤までの危なげない様子はむしろ退屈と言えなくもない。しかし、終盤に至って、元CIAのきたない金で動く民間警備会社やらが登場し、ガブリエルの計画の進行が怪しくなったあたりからは、いくつかのどんでん返しも仕掛けられてかなり面白かった。総じて、ガブリエルがこんな老後(?)にたどり付けて本当に良かった・・・・・というのが正直なところの感想。
 あと何年・・・・いや、何作続くかわからないけど、本当にもう、これ以上は怪我させないでほしい。

2022年5月1日日曜日

0342 報復のカルテット  (ハーパーBOOKS)

書   名 「報復のカルテット」
原   題 「The Cellist」2021 年
著   者 ダニエル・シルヴァ
翻 訳 者 山本 やよい
出   版 ハーパーコリンズ・ ジャパン  2022年4月
初   読 2022年4月25日
文   庫 600ページ
ISBN-10  4596429251
ISBN-13  978-4596429254
読書メーター https://bookmeter.com/reviews/106114147

 2020年3月〜2021年4月。
 世界はcovid(新型コロナウイルス)に支配されている。

 ガブリエルは、故郷のイズレエル谷のラマト・ダヴィドに程近いナハラルのコテージをオフィスから適正価格以上(←ここ、ポイント!)で賃貸し、妻と子ども達とともに、エルサレム旧市街の自宅からコロナを避けて仮住まいしている。
 双子たちは5歳になり、田舎暮らしで日焼けして、人間の友達とは遊べなくとも羊や牛やひよこを友として逞しく成長中。一方のガブリエルは新しくオフィスが入手したガルフストリームに現金入りのスーツケースを乗せ、人工呼吸器や検査薬や医療用防護衣を世界中で買い付けて、国内の病院に配布。ガブリエルの行動に、政治家への転身の準備か・・・とのマスコミの噂も。
 当のガブリエルはそんな噂は歯牙にもかけず、コロナ対策の傍らオフィスでイランの核開発関連施設の破壊や要人謀殺の陣頭指揮も執っている。
 そんな折、ガブリエルの命の恩人でもある旧友のイギリス在住のロシア人富豪が毒殺される。
 今はMI6のケラーと恋仲になり、イシャーウッドの画廊の後継者として地場を固めつつあるサラ・バンクロフトも事件に巻き込まれ、事態を看過できないガブリエルはMI6のグレアム・シーモアやケラーと協力して動き出す。

 殺されたヴィクトル・オルロフが追っていたのは、ロシア大統領(ウラジーミル・ウラジーミロヴィチ(プーチン、と書かないのは“フィクション”の体裁を維持するため?)が西側に不正に蓄財した財産とその違法な手段。ロシア国庫から莫大な資金を不正に海外に持ち出し、西側の悪徳金融機関を通じて大規模なマネーロンダリングを行い、不動産投資や様々な方法で蓄財している、その資金洗浄ネットワークにいかにして潜入し、機構に打撃を与え、その金を奪い獲るか。これまでもガブリエルが血で血を洗う闘争を繰り広げてきたロシア大統領との戦い再び、である。


 しかし、あまりにも規模が大きい話になっているためか、物語中盤に到るまで解説的な文章が続いて大きな動きがなく、かなり地味な印象。それに、ちょっとストーリー展開が安直な気もしないでもない。過去のガブリエルの恋人アンナ・ロルフ(第2作『イングリッシュ・アサシン』)や、他にも過去作に登場した人物が再登場し、なんとなくオールスター登場のサービス回っぽい感じもあって、いよいよシリーズもグランドフィナーレかな、という感じもする。


 イギリスパートには必ず登場する、ダートムーアのワームウッド・コテージのおなじみの面々も登場。執事のパリッシュも相変わらずのご様子なのが嬉しい。パリッシュの有能な相棒のミズ・コヴェントリーは、これまでただの料理番の役どころだったが、じつはロシア語も堪能な元諜報部員であった。ケラーがお気に入りの彼女は、彼が滞在するときには必ず特製のコテージパイを用意する。食材に豚肉は避けるようにと言われて、パリッシュは客人にイスラエル人の友人が含まれていることを察する。ここは、『英国のスパイ』で爆弾テロの標的となったガブリエルが担ぎ込まれて、治療を受けたりもしたMI6の隠れ家である。


 そして、もう一つ、ラストに大きな山場がある。そう、アメリカ大統領選挙だ。
 ロシアとの真っ黒な関係が取り沙汰されていたトランプ氏であるが、あの選挙選最中のQAnon絡みの騒動は日本人の記憶にも新しい。と、いうか件のQからの情報発信が日本発祥の巨大匿名掲示板(2ちゃんねる)の関係者が米国で運営する4chanと8chanで行われていた事実にはちょっと驚く。2ちゃんねるなんて、ネットリテラシーをわきまえた大人の遊び場くらいに思っていた身としては、これが大衆扇動の凶器になりうるという事実に,認識の甘さを突かれた思いだ。
 作中でガブリエルは、これがアメリカを混乱に陥れ、アメリカ民主主義を根底から脅かすロシアの情報戦略であること、そして大統領就任式に企図された大統領暗殺計画を把握し、これを未然に防ぐ為に大統領候補の元に飛ぶ。しかし、ロシアの本当の狙いは大統領ではなかった・・・・・
ダニエル・シルヴァが参考にした、オラツィオ・
ジェンティレスキ作『リュートを弾く女』

 今回シルヴァは、米大統領選の混乱とホワイトハウスへの暴徒の乱入、というアメリカ民主主義の危機を目の当たりにして、後半を大幅に書き直したという。あらためてWikiでQAnon関連のコンテンツを読んだが、人はいかに簡単に荒唐無稽な話を信じることができるのか、また『信じ』たが最後、どこまで愚かな行動に走ることができるのか、とこれまた暗澹となる。今、コロナで学校でもオンライン授業が大規模に導入され、国のICT計画で、小学生まで一人一台タブレットが用意される時代となった。


 ネットリテラシー教育が追いついていくのか、情報弱者や判断能力の低い層が喰いものにされないように、どのように防御していくことができるのか、決して人ごとではない。人は、信じたいものを簡単に信じてしまい、そして一度信じたら、なかなか意見を変えることができない存在だ。そして、「仲間」がいないと生きていけない生き物でもある。様々な理由から分断され、孤独感を味わっている人々が、ネットの裏に潜む悪意からどのように身を守っていけるのか、これからの社会のあり方を方向付ける上で、非常に重要な課題であると感じている。


 それにしても、これまでダニエル・シルヴァのプーチン&ロシア嫌いは偏執的な域なんじゃないかと感じたりしていたのだが、こと、現実がウクライナで示されているのを見ると、いやはや、と驚き・・・・というか嘆息。シルヴァの情報筋のアドバイザーは当然ながら明かされていないが、いつものことながら、この巻末ノートを世に出すために小説を書いているのではないかという気すらする。なにはともあれ、巻末は必読。


アルテミジア・ジェンティレスキ作
『リュートを弾く自画像』
【追伸】 
 前にもどこかで書いたけど、ダニエル・シルヴァは人体の強度については少し考えを改めたほうが良いと思うよ。ガブリエル、これまでにも肺を損傷するような銃創2回、爆弾テロに遭遇すること3回・・・いや、4回か。(イングリッシュ・アサシン、英国のスパイ、ブラックウィドウ、灼熱のサハラ)、シェパード犬に噛まれて左手を骨折し、爆弾テロのガラスの破片で腕の腱を痛め、ボコボコに殴られて、全身打撲と顔面骨折と100針縫う大怪我・・・・。翻訳されているだけでコレだからね。(あ、いや、サウジで胸を撃たれた話は翻訳されてないや。)そういやあ、バイク事故で石畳みで背中をすりおろしたこともあったっけ(『告解』)。あのときは頭蓋骨骨折もしていた。それ以外にも、ルビヤンカで殴られて眼窩を骨折して失明の危機、とか、階段から突き落とされたらしいとか、未訳本の方にもいろいろ。おまけに、今回は文字通り瀕死の重傷。
 ガブリエル、若作りに見えるけど、もう70歳だからね。労ってあげようよ。ジャンプヒーローはもう卒業させてあげて!
 ほんと、スパイ小説のヒーローは数あれど、ガブリエルほど、穏やかな引退生活を送らせてあげたいと願うキャラクターはいない。大好きなベネツィアで、愛する妻子に囲まれ絵筆を握り、老後の穏やかな時間を過ごさせてあげたい。ガブリエル引退まで、あと1作か2作だろうか。もう、祈るような気持ちだ。


 ガブリエル・アロンシリーズ。次作は『Portrait of an Unknown Woman』 2022年7月刊行予定です。さて、ガブリエル引退まであと7ヶ月。しかし、タイトルからしてまた女絡みだなあ。


2021年3月27日土曜日

0263 過去からの密使  (ハーパーBOOKS)

書 名 「過去からの密使」 
原 題 「The New Gir」2019年 
著 者 ダニエル・シルヴァ 
翻訳者 山本 やよい 
出 版 ハーパーコリンズ・ ジャパン  2020年4月 
初 読 2021年3月28日 
文 庫  616ページ 
ISBN-10 4596541345 
ISBN-13 978-4596541345

 いやあ、面白かった!『教皇のスパイ』と読む順番が逆になったが、扱うテーマがまったく違ったので、とくに問題はなし。とはいえ、KMBがどうなったのか、知りたかったというのはあったが。
 最新作『教皇のスパイ』が『告解』の作風への回帰だとすれば、この『過去からの密使』は、まさに“アロン長官”の物語。相変わらずの全方位の活躍ぶりで、今回は、ロシア相手に全面勝利。現実のサウジ皇太子がアレでなければ、きっとこの作品のラストは違うものになっていたのだろうなあ。
 今作でも、ガブリエルの我が身を削るような奮闘ぶりで、あのラストは切なくもある。
 話中、ポロニウム210に類似した暗殺用放射性物質が登場するが、若干訳語?の使い方が気になった。被爆よりは被曝のほうが良いような気がするし、放射線被曝と、放射性物質汚染、放射線と放射能がごっちゃになっているような気がする?
 とはいえ、読むのに差し障りがあるほどではないし、私も専門家ではないので用語に詳しい訳ではないので、こちらの気のせいである可能性も大いにあり。
 ポロニウム210は、極めて線量が高く毒性が強いが、ほとんどアルファ線しか出さないため、透過性が著しく低いので紙一枚でも遮蔽できる。そのため、運搬者にはほぼ害を与えず、摂取した者を確実に害せる、ということは理解した。もっとも、ダニエル・シルヴァは、ポロニウム210に類似した放射性物質、としか書いていない。


ところで、“同僚の多くと違って、彼は裕福な家庭の生まれではない。ノッティング・ヒルやハムステッドのようなおしゃれな地区は、給料だけで暮らしている男にとっては金がかかりすぎる。”とはいかに?
 これは、あれか?我らが警視殿への当てつけだろうか???

あと、こんなシーンも。“ヘスターがカウチに寝そべり、白ワインの大きなグラスをそばに置いて、リーバス警部シリーズの新作を読んでいた。” こっちはリスペクト?

ダニエル・シルヴァ、面白い人だなあ。

前作・・・・だったか(?)では、ガブリエルが帰宅すると、キアラが「良心のある殺し屋」が出てくるアメリカのスパイ小説を読んでいるくだりもあった。キアラに「あなたにちょっと似てるかな」と言わせたその良心のある殺し屋のスパイは、もしかしてコートランド・ジェントリーか?全然キャラが違うような気もするが、巻き込まれ型なところと、間の悪いところに居合わせるのが得意技なところと、負傷が多いところは・・・・・・そっくり?

 今回は、中東の細かい国家間の軋轢にもさりげなく触れられていて、グレイマンシリーズで「アメリカとサウジは同盟国で仲良し」ぐらいの知識しか持っていない身には、いろいろと勉強になった。
 パレスチナ出身の女性記者から、辛辣なイスラエル批判を聞かされて、じっとこらえるガブリエルだが、それでもドイツ語で語気鋭く詰られるのがユダヤ人としては堪える、というのがすごくリアルだ。このハニファ、夫が殺されたのは自分のせいだし、娘を見殺しにされたKBMの方にも、復讐する権利がありそうな気がするのだが、そうでもないのだろうか。いずれにせよ、このハニファに対してもレベッカに対しても、ガブリエルは甘いよなあ、と思う。どうしても女性を守りたくなってしまうのが、ガブリエルの甘さであり、良さなんだろう。
 さて、これで既刊のガブリエルシリーズは踏破した。次は、7月に米国で新刊発売の予定。翻訳を読めるのは来春だろうか?
楽しみがあって幸せ。

2021年3月20日土曜日

0262 教皇のスパイ  (ハーパーBOOKS)

書 名 「教皇のスパイ」 
原 題 「The Order2020 
著 者 ダニエル・シルヴァ
翻訳者 山本 やよい 
出 版 ハーパーコリンズ・ ジャパン  2021年3月 
初 読 2021年3月20日 
文 庫  584ページ 
ISBN-10  4596541507
ISBN-13  978-459654150

 2018年11月。
 オフィスの長官に就任して以来、ガブリエルは働きづめだった。休んだと言えるのは、パリで爆弾テロに巻き込まれた時に腰椎の怪我でやむを得ず自宅で数日静養した時だけで、それ以外は半日の休みもなく働き続けていた。夫の心身を案じたキアラは、一計を講じる。
 夫に内緒で密かに国外での休暇を手配。ウージ・ナヴォトを味方に引き入れ、首相にも根回しし、才能豊かなくせに何の趣味もない夫が退屈しないように、休暇先で夫が修復する絵まで手配する念の入れよう。
 ある日、帰宅したガブリエルが目にしたのは、準備万端の旅行カバンの数々。彼の口から出たセリフは、
「きみ、出て行くのか?」
 ついに、若く美しい妻に愛想を尽かされたと思ったか(笑)
 行き先は、キアラの両親が暮らす懐かしのヴェネツィア。双子が祖父母の家を訪れるのは初めてのことである。その双子ももうすぐ4歳で、いつまでも壮年のような雰囲気を漂わせているガブリエルもそろそろ老いと向かい合いつつある。(ちなみにガブリエルは68歳になるかならないか)
 そして、ヴェネツィアで休暇を開始した数日後、ガブリエルの旧友であったローマ教皇パウロ7世崩御のニュースが世界を駆け巡る。ガブリエルは、教皇の側近だったルイジ・ドナーティ大司教から求められ、ローマに向かう。

 まるで、読者へのプレゼントのように、ガブリエルシリーズの素敵なところがぎっしり詰まっている。双子とガブリエルの睦まじい関わり。キアラとのラブラブな会話。絵画修復にいそしむガブリエル。テーマが久しぶりのユダヤ人迫害とキリスト教の問題なので、これだけだと陰鬱になってしまうが、ガブリエルの家族との幸せエピソードがそれを和らげてくれる。キアラとのペアで、一工作員だった頃のように身軽に調査にうごきまわるのも久しぶりの光景。ガブリエルがナチュラルに妻を礼賛している。旧友ドナーティとの隠密行、ユダヤ人とローマ教会の暗黒史。ドナーティがもう一人の主役である。雰囲気的には、『告解』からストレートにつながる感じだ。コレ一冊で、ユダヤ人とキリスト教の関係をそれこそ紀元30年代からおさらいできる。
 そして、キアラとガブリエルは、長官退任後の残りの人生の計画を立て、一部行動に移したりも。これ、フラグじゃないのか?本当に幸せになれるのか?・・・と夢の老後の先取りをする二人に、読者の私の方が不安でいっぱいだ。(笑)

 『告解』では、ピエトロ・ルチェッシと読みが当てられていたパウロ7世だが、こちらではピエトロ・ルッケージ。なんとなくルチェッシのほうがイタリア人名っぽい?ような気もするが、実際の発音は知らないのでどちらが近いのかは不明。 『さらば死都ウイーン』で「草原」(笑)と訳されているレストラン前の広場は、以下のような描写。〈リストランテ・ピペルノ〉はそこから少し南へいったところにあり、テヴェレ川に近い静かな広場(カンポ)に面している。そうだよねえ。

 さて、ストーリーの話題に戻って、この本のテーマは、イエスの死の責任をユダヤの民に負わせるキリスト教の正典、福音書の記述は真実なのか。とくにマタイ福音書の中のキリストを処刑に至らしめる裁判で、ピラトがユダヤ人の群衆の前で手を洗って言う。「この人の血について、わたしには責任がない。お前たちの問題だ」民はこぞって答えた。「その血の責任は、我々と子孫にある」──『マタイによる福音書』二十七章二十四─二十五節

 これが、以後2000年にわたり、キリスト教がユダヤ人を神の殺害者として迫害し、ついには民族を絶滅させる規模の大虐殺を引き起こし、かつそれをローマカトリックが是認(もしくは黙認)した根源である。この記述は真実なのか。
 多くの研究者が、これは事実ではなく、キリスト教がローマの国教となる過程においてローマ人を取り込む必要性から、キリストの死の責任を、ローマ支配とローマ人であるユダヤ属州総督ピラトからユダヤ人に意図的に歪曲した、と見る。
 イエスは、過越祭の最中に騒ぎを起こした為に捕らえられ、おそらく裁判に掛けられることもなく、そのほかの大勢のユダヤ人とともに、無造作に処刑された。ユダヤの律法を守っていた最高法院が過越祭の最中の深夜に裁判を行うだろうか? あり得ないことだ。と作中でジョーダン神父は語る。この記述はユダヤ教の文化に疎いローマのキリスト教徒による創作だ、と。
 エンタメの体裁をとっているが、キリスト教が、ユダヤ人迫害に関して歴史的に果たした役割と罪を、深く、鋭く指摘している。現代のヨーロッパの移民問題はユダヤ人迫害をも悪化させた。その上コロナ禍で迫害に拍車が掛かり、ユダヤ人の安全は、第二次大戦後、最悪の状況を迎えている。著者はどうしてもこの作品を書く必要があったのだろう。
 母の死、祖父母の死、多くの死んだ、または今生きているユダヤ人の運命、自分の人生、そして自分を見上げる幼い娘の瞳。自分が望むと望まざるとに関わらず、その多くを背負ってきたガブリエルが、静かに涙を流す。

【余談ながら】
「これ、わたしが世界でいちばん好きなベンチかもしれない」キアラが言った。「あなたが意識をとりもどして、家に連れて帰ってほしいとわたしに頼んだ日に、あなたがすわっていたベンチよ。覚えてる、ガブリエル?ヴァチカンが攻撃を受けたあとのことだった」「どっちがひどかったのか、わたしにはわからない。ロケット推進式の手榴弾と自爆テロ犯か、それとも、きみの看護か」「自業自得でしょ、お馬鹿さん。もう一度会うことに同意しなければよかった」『教皇のスパイ』p.36-37

 ガブリエルが意識不明になるような惨事があったのかと気になって気になって(笑)、いろいろ探してしまったが、これ、状況としては多分こっちじゃないかな↓。
「あなたが正気にかえって、よりを戻したいって私に懇願した日に、あなたが座っていたベンチよ。覚えてる?ガブリエル。ヴァチカンが攻撃された後の事だったわね。」
「どちらが酷かったのか解らないな。ロケット推進の手榴弾や自爆テロ犯と、あの時のきみの私への態度と」

さて、何があったのか。。。。(笑)
ガブリエルとキアラは結婚の約束をして、ガブがエルサレムのナルキス通りのアパートを手に入れて、キアラは二人で暮らすために自分好みの内装までしたのだが、結局ガブリエルがリーアを見捨てられなかったため、キアラと破局する。そしてキアラがベネツィアに帰ってしまった、というのが『Prince of Fire』ラストのエピソード。その次の『The Messenger』で、ヴァチカンと教皇を狙った爆弾テロがあってガブが教皇を助けたのだが、その後、教皇がガブに「キアラがヴェネツィアで君が来るのを待っている」と嘘をいう。まさかガブリエルをキアラの元に行かせるために教皇が嘘をついた、とは思わないガブは素直にヴェネツィアを訪れ、キアラに冷たく「そこのベンチに座って待ってろ」と言われた挙げ句、「何しにきた」と怒られた、というのが、くだんの“惨事”であった。教皇パウロ7世。お茶目な人でした。きっとその後、ドナーティ相手に「神父さま、私は親しい友を欺きました」って告解している図まで目に浮かぶわ。白くて、小さくて、善良だったパウロ7世に合掌(←ダメか?)

  


2021年3月12日金曜日

0256 赤の女 上  (ハーパーBOOKS)

書 名 「赤の女 上
」 
原 題 「The Other Woman2018年
著 者 ダニエル・シルヴァ
翻訳者 山本 やよい 
出 版 ハーパーコリンズ・ ジャパン  2019年5月 
初 読 2021年2月5日 
文 庫  344ページ 
ISBN-10  4596541124 
ISBN-13  978-4596541123

2017年1月頃〜 
 前作の爆弾テロによる負傷の後遺症で痛む腰をさすりながらガブリエルが登場する。おかげでガブリエルもだいぶ歳相応に見えてきた。ウイーンの美術館で展示を見ているガブリエル。背後にはやきもきしている若い警備担当のチーフ。ガブリエルが若い警護担当相手に、歳相応、立場相応に偉そうに、重々しい物言いをしているのがなにげにおかしい。
 心配する警護係を追っ払って一人で歩いていった先は、過去の苦しい記憶の現場。甦る記憶に体が硬直し、天を仰いで涙をこらえる。やっぱりガブリエルはガブリエルだ。

 良い記憶のない雪のちらつく冬のウィーンでの作戦指揮。
 例によって陣頭指揮を執っていたが、亡命させる予定だったロシアのスパイがガブリエルの目の前で殺害されてしまう。その上その場にガブリエルが居合わせたところを写した隠し撮り写真がマスコミにリークされて窮地に立たされ、怒り心頭・恨み骨髄のガブリエルは〈オフィス〉の総力を挙げて怒濤の諜報戦に突入する。簡単ななずだった作戦の大失敗の原因は、情報の漏洩としか思えない。〈オフィス〉でなければ、共同作戦を張っていたMI6か? 友人であるはずの「C」との熾烈なやり取りに息がつまる。やがて判明したのは、宿敵ロシアの策謀がガブリエルを絡めとるべく二重三重に張り巡らされていたこと、そしてある伝説の二重スパイの存在だった。
 上巻は、ロシアの裏に潜む伝説の二重スパイの存在が明かになるまで。事が動くのは下巻から。

0261 赤の女 下  (ハーパーBOOKS)

書 名 「赤の女 下」 
原 題 「The Other Woman2018年
著 者 ダニエル・シルヴァ
翻訳者 山本 やよい 
出 版 ハーパーコリンズ・ ジャパン  2019年5月 
初 読 2021年2月5日 
文 庫  328ページ 
ISBN-10  4596541132 
ISBN-13  978-4596541130

 上巻で、はじ
めは楽勝かと思われた作戦が大失敗に終わった挙げ句、人殺しの汚名を着せられた〈オフィス〉長官ガブリエル。実はロシアに手玉に取られていたと分かり、巻き返しを図るため、MI6に喰い込んでいるロシアSVRの二重スパイのあぶり出しに掛かる。
 現代のMI6に影を落とすのは、MI6現長官グレアム・シーモアの父の時代の「ケンブリッジ・ファイブ」、世紀の二重スパイ、キム・フィルビーだった。
 フランスで人知らず育っていたフィルビーの婚外子を、ソ連に亡命していたフィルビーが密かにスパイに育てあげた、というあらすじはいささか荒唐無稽な感じを受けなくもないが、そこは、ガブリエルの緻密な捜索と作戦展開でぐいぐいと読者を惹きつけてストーリー展開の中に連れていかれる。

 その二重スパイをこれまで取り立ててきたのは他ならぬ現長官シーモアであり、ガブリエルの盟友でもあるシーモアは事の責任を問われて失脚しかねない。保身の為か及び腰になるシーモアのやり方に腹を立てつつも、友の立場を守るため、ひいてはそれが母国の為になると信じて敢えて煮え湯を飲むガブリエルである。
 今回はロシアの勝ちなのか。これまで文字通り満身創痍で戦いながら米英の諜報機関との関係を深めてきたガブリエルにとっては苦い結末である。

 なお、今回ガブリエルの射撃の腕前が珍しく披露されている。
 実はシリーズ中、ここに至るまで、ガブリエルが射撃の名手だということを信じきれていなかった。これまでに見た彼の射撃は、例の暗殺スタイル———ベレッタ9mmを構えた姿勢で標的に近寄りつつ全弾連射、というやつ———しかなかったが、今回初めてSVRの凄腕工作員相手に抜き撃ちで二人倒す、ということをやってのけた。ガブリエル、出来る子だったのね。

【覚え書き】後書き代わりの『著者ノート』が強烈である。
ダニエル・シルヴァはこの『著者ノート』に自己の信条を語るために、この長大なエンタメスパイ小説を書いて世に出しているのではないか、と思うほどだ。それほどまでに、ロシアに対する危機感が大きい。世界が平和ではないことを、はっきりと認識している人がここに居る、ということだ。日本の中にいるとなかなか実感できないことだが。

2021年3月10日水曜日

「誤訳も芸のうち」と翻訳者は言った。山本光伸part4 論創社『さらば死都ウィーン』

ハードカバー版
書 名 「さらば死都ウィーン―美術修復師ガブリエル・アロンシリーズ」 
原 題 「A Death in Vienna2004年 
著 者 ダニエル・シルヴァ 
翻訳者 山本 光伸 

 さて、このような不毛な投稿はこれで最後にしたい、と思っています。
ひとことで言うなら、うんざりだ。
気付いていたものの、part3で以下を挙げなかったのは、あまりにもあんまりだと思ったからだ。もしや、翻訳元となった底本の版が違うなどの理由で、参照している英文そのものが違うのでは?とも思った。
 執念深くて恐縮ですが、念のためUSAよりハードカバーを取り寄せてみましたが、とくにKindle版と違いはなかったようです。(すくなくとも当該箇所については。)

4章の中ほど
p.36  “ズビがガブリエルに歩み寄り、患者の容態を説明した。爆発の衝撃により全身の臓器が破壊されているらしい。皮膚の下で瞬間的に軍隊が解き放たれ、カオスの痕跡を残していった。外交官は怪我の症状をそんなふうに例えて、続けた——エリの体は五十フィートほど吹き飛ばされ、頭蓋骨にひびが入った。脳が損傷し、そのダメージの度合いは、本人の意識が回復するまで診断できない。脳の腫れを取り除くべく、二度手術が行われた——と。
「脳機能そのものは損なわれていません」ズビは締め括った。「しかし、当面は、機械によって命をとりとめている状態です」”

・・・・・さて。これは主観に過ぎないが、あまりにも酷い文章だと思わないか?
翻訳以前に、日本語として酷い。全身の臓器が破壊されていたら、死んでしまうよ。皮膚の下で瞬間的に軍隊が解き放たれ、ってどういう状況? 脳が損傷したのに脳機能そのものは損なわれていないって意味が分からない。で、なぜにこんな酷い翻訳になったのか、原文を確認したいと思ったんだが、それが以下の文です。

Zvi, after giving Gabriel a moment to himself, walked over to the glass and brought him up to date on his colleague’s condition. He spoke with the precision of a man who had watched too many medical dramas on television. Gabriel, his eyes fastened on Eli’s face, heard only half of what the diplomat was saying—enough to realize that his friend was near death, and that, even if he lived, he might never be the same. “For the moment,” Zvi said in conclusion, “he’s being kept alive by the machines.”

Silva, Daniel. A Death in Vienna (Gabriel Allon Series Book 4) (p.37). Penguin Publishing Group. Kindle 版. 

原文にないよね? 創作?いや、作文するなら、もっとマシな文章かけるのでは? 少なくとも日本語なのだから。いや、書けないからこうなったのか。


もう一カ所挙げておく。


15章冒頭

p.126  ガブリエルはシャムロンに電話を掛け、車を手配してもらってから、ヤド・ヴァシェムを離れた。セーフハウスの前に到着したときには、その車が待っていた。サングラスを掛けたシャムロンの配下が、ボンネットに凭れ、通りをぶらつく若い女たちを眺めている。ガブリエルが運転席につくや、車は真昼の陽光の中へ飛び出していった。
 一昔前なら、高速道路を使用し、ラマッラー、ナブルス、ジェニンを経由して北に向かっただろう。・・・・・”

・・・・・当たり障りのない文章に見えるが、どこか違和感が漂う。
違和感① ガブリエルはシャムロンをあまり当てにしておらず、できるだけ距離を取りたいと思っているのでは? 車の手配が必要だとして、シャムロンにおねだりの電話をするだろうか? 自分でレンタカーを手配するなり、タクシー使うなりするんじゃない? 
違和感② セーフハウスからヤド・ヴァシェムへの往復の足はどうしたのか? 多分徒歩の距離ではない。 
 まあ、とにかく気付いてしまった。15章冒頭の4行は、原文にはないと思われる。
 以下が原著の15章冒頭。

15 
JERUSALEM

IN THE OLD days he would have taken the fast road north through Ramallah, Nablus, and Jenin. Now, even a man with the survival skills of Gabriel would be foolhardy to attempt such a run without an armored car and battle escort. So he took the long way round, down the western slope of the Judean Mountains toward Tel Aviv, up the Coastal Plain to Hadera, then northeast, through the Mount Carmel ridge, to El Megiddo: Armageddon.

Silva, Daniel. A Death in Vienna (Gabriel Allon Series Book 4) (p.135). Penguin Publishing Group. Kindle 版. 

まるっきりの、翻訳者による付け足しです。
ガブリエルの行動手段について、説明不足だと思ったのだろうか?
それなら、そもそも、ヤド・ヴァシェムからエルサレム市街にガブリエルはどうやって戻ったというんだ。朝からヤド・ヴァシェムを訪問したのなら、行きも車だったと思うほうが自然ではないか? とにかく理由は分からないが、翻訳者が原著にない文を書き足してしまった、と考えるべきなんだろう。

なんだかなあ。

言い訳がましくて恐縮だが、私は翻訳に誤訳はつきものだと思っているし、誤訳と意訳のすれすれ、というのもあると思う。「大胆な意訳」というのが、原著の本意を伝える上で必要な場合だってあるだろう。
そうではなくて、原著の面白さを伝えることを阻害するような誤訳は勘弁してほしいだけだ。翻訳したときの作品が、「粗悪品」にならないようにして欲しいだけ。上に書き出したものも、日本語で違和感なくまとめられていたら、そもそも書き足しには気付かないだろうし、個人的には気付かないならそれで良いと思っている。

これが、いわゆる製品製造の世界であれば、SDマークがあったり、不当表示が規制されたり、粗悪品は交換できたり、消費者センターがあったりするわけだし、これがもし、自動車の話だったら、リコールで全部回収するところだ。しかし、こういう創作物に関してはそうもいかない。
読者は、出版社や翻訳者の善意と良心と、プロとしての矜持にすがるしかない。それとも与えられたものを有り難く押し戴いて頂戴しろってか?
少なくとも末端の読者がそれ相応のお金を払って購入するものである以上、最低限のクオリティは確保して欲しいと思う。

これらの本は、査読や、クレジットされる翻訳者自身のチェックや校正でもっとずっと良くなったのではないだろうか。もったいないことだ。


2021年2月26日金曜日

0259 さらば死都ウィーン―美術修復師ガブリエル・アロンシリーズ

書 名 「さらば死都ウィーン―美術修復師ガブリエル・アロンシリーズ」 
原 題 「A Death in Vienna2004年 
著 者 ダニエル・シルヴァ 
翻訳者 山本 光伸 
出 版 論創社 2005年10月 
初 読 2021年2月26日 
単行本 382ページ 
ISBN-10  4846005569 
ISBN-13  978-4846005566

 物語冒頭、ガブリエルが取り組んでいた修復が下の絵。ベネツィアの町中にある、素朴な教会ですが、中は豪華なルネサンスの美の宝庫。ベネツィアの栄華が忍ばれます。
 さて、ナチス3部作最後の一冊。
 『報復という名の芸術』で10年ぶりに現役に復帰したガブリエルもすでに3年が経過。この間、『報復』ではテロリストのタリクに返り討ちにあってマカロフの一撃でダウン、『イングリッシュ・アサシン』でも殴られ蹴られ、犬に襲われて大怪我をし、『告解』ではバイクでコケて命も危ぶまれる重傷を負う。もう、こいつアクション向いてないよな、と誰もが気づいて然るべきなんだが、いちおう「伝説のスパイ」ポジションは揺らいでいない(笑)。
 いいんです、ガブリエルの我が身を顧みないそのひたむきさが好きよ。(笑)
 この『死都』では、盗聴され、尾行され、大事な証人を消され。あまりにも無防備なガブリエルに呆然とする。なぜ、彼は盗聴防止装置を持っていないのだろうか?  いや、エリが狙われたという事実だけでも、クラインの身の保全を図るべきじゃね? 彼をイスラエル大使館に連れ込んだっていいくらいじゃない?
ヴォーゲルご当人と顔を合わせたあとで、のこのこ別荘に忍び込むか?向こうからマークされてるのわかってるじゃん。いやあもう、大丈夫かよガブリエル!
サン・ジョヴァンニ・クリソストモ教会
ジョバンニ・ベッリーニ作
『聖クリストフォロス,聖ヒエロニムスと
ツールーズの聖ルイス


 とはいえ、13年前のウイーンでの事件も絡めて、ガブリエルの取調室での叫びもなかなかに悲痛で、ファン・サービスには抜かりない。シリーズ全巻とおして、ガブリエルが我を失って叫んでるシーンってほとんど無いんじゃないだろうか。

 そして、エンタメの体裁は取りつつ、主題はナチスの戦争犯罪とこれに同調ないし目をつぶり、ナチの重犯罪人の逃亡を助けたカトリックやナチの犯罪の隠蔽を助けたヨーロッパ各国の告発であり、同時にガブリエルと母の修復の物語でもある。

 アウシュビッツからの生還者であったガブリエルの母は、その苦悩の記憶から、一人息子に十分な愛情を注ぐことができなかった。子供時代のガブリエルと母との関係は緊張感に満ちたものだったが、その理由は、母から教えられることはなかった。
 作中、ガブリエルはヤド・ヴァシェム(イスラエルの国立ホロコースト記念館・Wiki(日本語)公式HP(英語)はこちら)で母の証言書を読み、母のアウシュビッツ・ビルケナウ収容所での体験を知ることになる。
 シャムロンは、アウシュビッツで愛する者達を全て失ったガブリエルの母は、息子を愛して失うことに耐えられなかったのだ、とガブリエルに語るが、それだけではあるまいと思う。
 ガブリエルの母アイリーンの記憶の中で、愛すべき息子と、仲間の死と、ナチの殺戮者は堅く結び付けられてしまっていたのだから。息子を見ると、愛おしさを感じた次の瞬間には、殺害された仲間が目に浮かび、ナチ将校の顔を思い出しただろう。ガブリエルに向けられた視線は険しさと苦痛に満ちていたはずだ。結局ガブリエルは、母に抱きしめられることも優しくなでられる事もなく寂しく育ったわけだが、かなり鬱屈しているとはいえ、とりあえず真っ直ぐ成長したことを誉めてあげたい。ガブリエルのそばに母代わりとなった優しい女性が居たのは幸いだった。シャムロンの身勝手ではあるが確固とした愛情も、きっと、ガブリエルの救いの足しにはなったのだろう。

 さて、物語はウイーンで起きた爆弾事件から始まる。狙われたのはガブリエルの戦友エリ・ラヴォン。エリが追いかけていたのは、あるオーストリア人の身元だった。かつてSS将校だったと思われるその男ラデックは、身元を偽装し今ではオーストリアの大立者となっており、エリの後、調査を開始したガブリエルも命を狙われる。その男が関わったのはゾンダーコマンド1005。ユダヤ人大虐殺の痕跡を抹消する秘密作戦であり、その作戦の成功によって、虐殺されたユダヤ人の正確な人数は永遠に判らなくなった。そして、ある時期その男はアウシュビッツに駐留していた・・・・・・・
 これまでは一介の暗殺者で現場工作員に過ぎなかったガブリエルは、シャムロンの手ほどきで首相にブリーフィングを行い作戦指揮官としての地歩を固める。また、ガブリエルはシャムロンに問う。アイヒマンが法のもとで裁かれ、いま、ラデックもそうされようとしているのに、どうしてブラック・セプテンバーのパレスチナ人たちは、報復の対象としか見なされなかったのか。
(どうして、自分は殺人を犯さねばならなかったのか。)
ガブリエルは、誰も殺したくない、とシャムロンに訴える。

 これ以上のことは、どうぞ本を読んで欲しい、といいたいところだが、翻訳が酷いので、それもオススメしがたいところ。原著はKindleで手に入るので、英語が苦手でなければ、そちらに挑戦してみてはどうだろうか。
 第5作以降は翻訳が途絶えているのが残念、と思っていたが、むしろ幸いだったのかもしれない。
とりあえず、14作目の『亡者のゲーム』までの間に語られていると思しき、ぜひ知りたいことリストは以下のとおり。
 1 リーアがイギリスの病院からエルサレムの精神病院に
   移ったいきさつ
 2 ガブリエルがルビヤンカの地下で階段から突き落とさ
   れた経緯
 3 サウジアラビアで何があったのか?
 4 キアラの最初の妊娠と流産の件
 5 ガブリエルとキアラの結婚のくだり
 6 ガブリエルはいつ、長官になる決心をしたのか


【追記】ガブリエルは母に、自分がシャムロンの手下の死刑執行人であることを話さなかった、との記述がある(p.316 )。ガブ父が6日間戦争(第三次中東戦争)で死んだらしく、母はその1年後に癌で亡くなっているので、母が亡くなった当時、まだガブリエルは高校生もしくは兵役中だったと思われる。シャムロンのリクルート以前に母は亡くなっているはず。これは作者の設定の混乱かな。

2021年2月23日火曜日

「誤訳も芸のうち」と翻訳者は言った。山本光伸part3 論創社『さらば死都ウィーン』

書 名 「さらば死都ウィーン―美術修復師ガブリエル・アロンシリーズ」 
原 題 「A Death in Vienna2004年 
著 者 ダニエル・シルヴァ 
翻訳者 山本 光伸 
出 版 論創社 2005年10月 

誤訳・迷訳は相変わらず健在である。

【原著】The restorer’s gait was smooth and seemingly without effort. The slight outward bend to his legs suggested speed and surefootedness. The face was long and narrow at the chin, with a slender nose that looked as if it had been carved from wood. The cheekbones were wide, and there was a hint of the Russian steppes in the restless green eyes. 

それでは読んでみよう。
p.13  “修復師の足の運びは滑らかだった。前屈みの姿勢ですいすいと進んでいく。彼の顔は細面で、鼻筋はギリシャの彫像のようにすっきりとしている。頬骨は低く、落ち着きのないグリーンの瞳がキルギスステップのロシア人を思わせた”・・・・・ちょっとまてまて。ひょっとして全然違くはないか?

 この、彼の形容は、どの本にも冒頭に出てくるやつで、だいたい表現は決まっているのだが、そもそも「前屈みの姿勢」とかどこにも書いてないと思うのだが、翻訳に使った版とダウンロードした版が違うという可能性も考慮しなければ。。。。でも、「面長で細い顎」、「木を彫り出したような細い鼻筋」・・・・ギリシャ彫刻ってどこに書いてある?頬骨は低いのではなく「幅が広い」のだし、キルギスステップのロシア人ってなんだ〜〜!(爆)
それはね、グリーンの目はロシアの草原の色を思わせる、と言いたいのでは?そもそも私はキルギスステップってなんぞや?コサックダンスの親戚か?と思って調べようとしただけなんだよ!だいたい足踏みの方のステップはstepで複数形はsteps、文中のsteppes はどう考えても草原(そうげん)の方だよね。いやまて、そうではなくてあくまでも草原のキルギスステップのことを言っているのだろうか? でもそもそもキルギスって単語がどこにもないし、いや翻訳の版が違うのか???? もーわかんない!


ついでに、草原つながりで、今度は翻訳の中の「草原(くさはら?)」がおかしい件。

p.162 “かつてのユダヤ人地区から数丁離れた、テベル川近辺の静かな草原に位置する老舗レストランである。”・・・・草原だ、、、、と?

They settled on Piperno, an old restaurant on a quiet square near the Tiber, a few streets over from the ancient Jewish ghetto.

“ほどなく、司教が草原に足を踏み入れ、そそくさとレストランに歩みよってきた。”

A few minutes later, a priest entered the square and headed toward the restaurant at a determined clip.

良く分からないが、the square が「草原」になってしまったのか? 判らない。ローマのバチカンに程近い古い石の街並みでスクエアと言われたら、普通に石畳で石造りの建物に囲まれた広場を思い浮かべないものだろうか? 
すごく不思議だ。

ちなみに、地図上ではココ(相変わらず自分が偏執狂的だとは思う)→
←の拡大図で、「大神殿」と表記されているのがローマのシナゴーグで、『告解』の中でローマ教皇パウロ七世が演説をしたところ。このあたりが旧ユダヤ人地区(ゲットー)。とりあえず、周囲に草原はなさそうだ。ま、普通に広場か中庭だろう。


p.13 “鬼才マリオ・デルヴェッキオの正体がガブリエル・アロンという名のエスドラエロン出身のユダヤ人であることを・・・・・”

耳慣れない地名が出てきたので調べて見ると、間違いじゃないんだけどね。ここでまた、イズレルの谷(イズレル平野、イズレエル谷、エズレル谷とも)の別読みが。エスドラエロンとはイズレル谷もしくはイズレル平野のギリシャ語読みだそうで。ちなみに原著では  Valley of Jezreel と至って普通に書いてある。なぜ突然ギリシャ語読みしたくなったのかは謎。


p.20  “アリ・シャムロンはガブリエルに死の宣告を下そうとしていた。”

Gabriel knew that Ari Shamron was about to inform him of death. 

素直に読めば、ガブリエルに死の宣告を下すのではなく、ガブリエルに誰かの死を知らせにき来たのではないかと。死ぬのがガブリエルか、それ以外の誰かでは大違いだ。


p.21  “イスラエルのベトサル美術学校” またまたベツァレル美術学校の変読み登場。『告解』で“ベトサルエル”という読みが出てきて首をかしげたのだが、原文はすべて Bezalel  であるのは言うまでもない。


p.32 “同郷人の話すそれと違い、その純然たるドイツ語の響きは神経を逆なでしなかった。”

Unlike many of his countrymen, the mere sound of spoken German did not set him on edge. German was his first language and remained the language of his dreams. 

日本語で変な文章だな、と思うところは大抵訳がおかしい。彼の同国人(ユダヤ人)の多くとは違い、ガブリエルは、単にドイツ語が話される響きだけで不愉快になることはなかった。なぜなら、ドイツ語は彼の母語だから、ということ。(ユダヤ人の多くは、ホロコーストの記憶があるからドイツ語を好きになれない、というバックグラウンドがある。


p.66 “レナーテ・ホフマンの傍らを歩くがっしりとした体つきの人物・・・”
・・・・ガブリエルが体格が良いと形容されることはまずない。どちらかと言えば細身で敏捷なイメージなんだが。さて、本当は何と書いてあるのだろう?そしてこれが、期待を裏切らないんだな。

Kruz was more interested in the dark, compact figure walking at her side, the man who called himself Gideon Argov.

compact figure にがっしりとした体つき、という意味があるのだろうか。


もう一つ、気になった形容がある。
p.67 “その手は炎で黒く焼け焦げ・・・・”  
もし本当に手が黒く焼け焦げていたら、ガブリエルは画家生命を失っていると思うよ。原文は、 his hands blackened by fire, 訳すとしたら、“彼の手は炎で黒く煤け、”くらいの方が妥当ではないだろうか。まあ、火傷くらいはしてただろう、とは思うのだが。。。。


p.73 “コーヒーハウス・セントラルに初めて入ったのは、十三年以上前のことだった。セントラルは、ガブリエルがシャムロンの徒弟としての最終段階に到達したことを証明する舞台となった店である。”
・・・・・13年前なら、例のウイーンの爆弾事件の頃で、ガブリエルは第一線の工作員だったはず。おかしい。

It had been more than thirty years since he had been to Café Central.

ああ、この悲しみを誰かと分かち合いたい。
 thirty 13と訳すとな?
中学一年生の中間テストじゃあるまいし。

それ以外にも、いろいろと引っかかるところはあるんだが、全部原文と照合しているわけでは無い。翻訳小説として読んでいて、明らかに日本語のレベルで文意や文脈がおかしいところだけ、原著を確認している。それでもこんな感じ→なので、押してしるべし。

ああでも、もう少しだけ。ガブリエルが白髪交じりなのは、こめかみだ。もみあげではない!
それと、これは誤訳なのか誤植なのかわからんが、“エリンケ”ではない。そいつはエンリケだ。