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2022年5月9日月曜日

0345 逃亡テレメトリー/マーダーボット・ダイアリー (創元SF文庫)

書 名 「逃亡テレメトリー/マーダーボット・ダイアリー」 
原 題 「FUGITIVE TELEMETRY 他」 2018〜2021年
著 者 マーサ・ウェルズ    
翻訳者 中原 尚哉    
出 版 東京創元社 20224
単行本 244ページ
初 読 2022年5月8日
ISBN-10 4488780040
ISBN-13 978-4488780043

 このたびも、冒頭からぼやきが止まらない弊機です。メンサーを(グレイクリス社から)守る、ということを至上命題とし、防御にかけては隙だらけのプリザベーション連合の治安システムと警備当局に終始イライラいらいら(笑)。
  •  おまけに、弊機のプリザベーション・ステーションの中での立場を向上させる為にも、警備当局と協働して緊張関係を緩和すべき、と考えるメンサーの指示で、警備局と殺人事件の捜査協力をするはめになり、イライラ値も絶賛向上中(笑)。
  •  なかなか弊機を信用しきれない警備局の上級職員のインダーさんでしたが、それは、基本善人なので、マーダーボットの基本姿勢(捨て身の滅私奉公)にだんだん絆されるのも、お約束。少しずつ、人間の間で暮らすことや、距離の取り方を学習・・・・と、いうよりは、周囲の人間に学習させている弊機です。次作も楽しみ。



2022年2月1日火曜日

0321 スリープウォーカー:マンチェスター市警 エイダン・ウエィツ (新潮文庫)

書 名 「スリープウォーカー:マンチェスター市警 エイダン・ウェイツ」 
原 題 「THE SLEEPWALKER」2019年
著 者 ジョセフ・ノックス
翻訳者 池田 真紀子
出 版 新潮社  2021年8月
単行本 640ページ
初 読 2022年2月1日
ISBN-10 4102401539
ISBN-13 978-4102401538
読書メーター

 さあ、この帯の煽りが正しいかどうか、確かめる時がやってきましたよ。・・・・・でも、「笑う死体」を読んだ後となっては、すでに確信している。この本は、帯の煽りを超えてくるに違いない!

 今作でも、エイダンには四方八方から不運と悲運が押し寄せてくる。
 同僚が犠牲になった事件。
 その捜査を強要する非道な上司。
 事件の真の標的は自分かもしれない、という不安。
 悲惨な事件。護られなかった被害者。
 身勝手な人間たち。
 自分を監視し、行動を縛る謎の存在。
 突然寄せられた、生き別れの母の情報。
 そして、腐れ縁、ゼイン・カーヴァー。

 ラストはもう、ずるいよ。ここまでエイダンの一人称で語ってきたくせに、ラスト一章だけが三人称だなんて思えないよ。憑きものが墜ちたみたいなサティとバディを組むナオミ、そして愛すべき“妹”の結晶みたいなアン。それゆえに、エイダンの不在が切なすぎる。
 エイダン。生きているよね?キミは生きているよね??と、繰り返さずにはいられないラストだ。パスポートと大金とドストエフスキーを持って逃げて、顎を治して整形でもなんでもして、世界のどこかで生きていてほしい。こんな奴が幸せにならないなんてダメだ。いや、幸せにならなくてもいい。平穏を知ってほしい。アンがとてつもなく可愛く思えるのは、エイダンの目を通して見ているから。エイダンのその素朴で真摯な愛情が愛おしい。エイダンが守ろうとしたものが、ちゃんと護られてほしい。あととりあえずパーズは氏ね。

 後書きによれば、続編の企画もあるらしいし、映画化の話もあるのか?しかし、なまじ映像的で印象的な小説なだけに、映像化にはあまり興味が湧かない。

 むしろ、続編でもう一度、エイダンに逢いたい。お願い。生きていて。 あと、とりあえずパーズは氏ね。


2022年1月22日土曜日

0318 笑う死体:マンチェスター市警 エイダン・ウエィツ (新潮文庫)

書 名 「笑う死体:マンチェスター市警 エイダン・ウエィツ」 
原 題 「THE SMILING MAN」2018年
著 者 ジョセフ・ノックス
翻訳者 池田 真紀子
出 版 新潮社  2020年8月
文 庫 656ページ
初 読 2022年1月22日
ISBN-10 4102401520
ISBN-13 978-4102401521
 前作からなんとか首の皮一枚つながって、そりの合わない嫌み悪臭まみれの鼻つまみ者の警部補サティとバディを組んで夜勤専属の刑事として現場に戻ったエイダン。
 嫌われ者のサティにあからさまに嫌われ、いいようにこき使われているが、夜の街を見つめるエイダンの視線はどこかやさしい。
 営業を停止しているホテルからの通報で現場に向かうと、巡回中に殴り倒された警備員、逃げていく不信な人影、そして不可思議な死体。
 笑っているように顔の筋肉を硬直させて死んでいる男を巡り捜査は二転三転し、同時進行で有名テレビコメンテーターによる女子学生へのリベンジ・ポルノ、エイダン自身を標的とした殺人計画、不審な無言電話と監視者の影・・・・・と、息つく暇もなく、緻密に絡みあうストーリーは本格ミステリーとしても秀逸だと思うが、なによりもエイダンの造形がたまらなく良い。
 虐待され、犯罪に利用され、殺人や悲惨な情景を目撃しつづけた幼少時の記憶を追い散らすために麻薬に耽溺した過去、虐待から意識を逃避させるために身についた解離や認知のゆがみも自分自身の属性として受け入れながら、ただ生き延びるために生きているエイダンが、街で出会う人々に向ける思いに胸がいたむ。

 俺は妹に日に数度は合っている。オクスフォード・ロードには若い女性がひしめいている。妹と同じ巻き毛と真剣な表情をした娘もいる。二十年以上前、妹のアニーが浮かべていたのと同じ真剣そのものの顔。あのなかの一人が妹だったとしてもおかしくない。だから俺は、彼女たち一人ひとりを愛おしく思う。おしゃれに装っていれば、俺も背筋が伸びる。大事な仕事に向かうところなら、誇らしくなる。幸せそうな様子をしていれば、恋人と並んで街を歩いていれば、うれしくなる。(中略)これまで生きてくるあいだに俺は少なからぬものを失ったが、妹と離ればなれで生きてきたがために、それだけのものを手に入れた。行きずりの人を見て一日に二十回も笑みをうかべる人生。

 これが、エイダンという人間だ。

 もうひとり、嫌われ者のサティも、だたのイヤな奴ではない。 むろんイヤな奴には違いないのだが、破滅型で回りにとばっちりをまき散らしかねないエイダンをあえて引き受けているような、複雑な奥の深さがある。

 幸せでなくても、報われることがなくても、自分が死んだりましてや殺されたりする理由にはならないし、死なない以上、どんなにそれが困難でも生きていかなければならない。あまりにも薄幸だが、内面に火花のような生命力を秘めたエイダンの存在そのものが、この物語である。

   

2022年1月16日日曜日

0317 堕落刑事 :マンチェスター市警 エイダン・ウエィツ (新潮文庫)

書 名 「堕落刑事 :マンチェスター市警 エイダン・ウエィツ」 
原 題 「SIRENS」2017年
著 者 ジョセフ・ノックス
翻訳者 池田 真紀子
出 版 新潮社  2019年8月
文 庫 618ページ
初 読 2022年1月16日
ISBN-10 4102401512
ISBN-13 978-4102401514
読書メーター https://bookmeter.com/reviews/103806351   
 タイトルの「堕落刑事」はややミスリード気味で煽りが強いかな。このタイトルと、“―押収品のドラッグをくすねて停職になった刑事エイダン・ウェイツ。”という謳い文句に騙されて、長いこと興味が湧かずに手を出さなかったのは事実だ。しかし、読み友さんのレビューはなかなかに興味を引く。ついでに3作目の『スリープウォーカー』の帯の惹句があまりにもあんまり(笑)なので、まとめて読むことにした。
 
 ちなみにその3冊目の帯はこれ ↓
 まあ、この惹句が正しいかどうかは、3作目をよんで判断するとして、そのためにもまずはこの一作目を読まなくてはならない。
 というわけで読んでみた。

 
 で、まず、冒頭の感想。
 タイトルがミスリード、と思ったのは最初に書いたとおり。これは多分損してるよな。堕落刑事どころかエイダン・ウェイツ、なんというか真っ直ぐで不器用だけど、ちょいと破滅型だけど、いい奴じゃないか。ただ、損な生まれつきの人間は一生損をする見本のような、負け犬人生を素で歩んでいそうではある。
 同僚の卑小な不正を見逃せず、さりとて真っ向から抵抗もできず、自分にできるささやかな証拠隠滅を図ろうとしたら速攻でバレて、証拠品横領の泥で頭のてっぺんからつま先まで真っ黒にされてしまう。おまけにマスコミに都合良くリークもされて、もはや隠れるところなき「汚職警官」の一丁上がり。そして、崖っぷちに立たされて、都合良く麻薬密売組織への潜入捜査員に仕立て上げられるわけだ。

 だがこの話、さすがはイギリスの小説というべきか、アメリカ・ミステリにはない深みがある。明確な善悪でくくれない登場人物たち。悪の親玉までが良いヤツに思えてくるのが不思議で、だれもだれもが不思議な魅力を湛えている。全部が自分は悪くない、と心底では思っている節がある。そして、エイダンはこれでもかと殴られ、殴られ、階段から落とされ、ボロボロ。とにかく哀れなのである。
 そこまでボロボロでも、それぞれが大なり小なり清濁合わせ呑むところが、さすがの英国風だと感じるゆえんだ。この世の中は、国家のありようそのものが若気の至りなアメリカ人が考えるほどには単純ではない。小説世界もまた然り。母親に捨てられてて、幼い妹と施設に入れられたエイダンが、せめて妹だけでも良い里親に引き取られるように、と願う。妹を手放したときから、妹にイメージが重なる若い女性を守ることが、彼の生き方を決めている。最後のキャスとの別れが妹との別れと重なって、無性に切ない。
 
 いやこれ、面白かったです。珍しくも1日で読み切ってしまう、というリーダビリティは翻訳者の池田真紀子氏の手腕でもあろう。当然、後2冊も読む。
 エイダンにほんのちょっとは幸いあらんことを祈りつつ。

 ちなみに、このエイダンもバークと同じ孤児院育ちだが、同じく「児童養護施設」とはいえ、二人の仕上がりにはずいぶんな差がある。これも英国と米国の懐の深さというか歴史の違いなのだろうか。

2021年12月18日土曜日

0311 ヒューマン・ファクター グレアム・グリーン・セレクション (ハヤカワepi文庫)

書 名 「ヒューマン・ファクター」 
原 題 「THE HUMAN FACTOR」1978年
著 者 グレアム・グリーン
翻訳者 加賀山 卓朗
出 版 早川書房 2006年10月 
単行本 495ページ
初 読 2021年12月18日
ISBN-10 415120038X
ISBN-13 978-4151200380
 
「文学」と「小説」の間に明確な区分などないとは思うが、これは、文学よりのスパイ小説。・・・・というより二重スパイを主人公とした文学作品、の味わい。

 MI6の長官、その親友である医師(治療より毒物研究や謀殺担当?)、保安担当の大佐、主人公、そしてその同僚。登場人物は多くないが、描写は細やかで、それぞれのキャラクターが見事に立ち上がっている。とくにパーシヴァル医師の酷薄さは、現実にもまさに居そうで背筋が寒い。

 また、かつての植民地宗主国の筆頭であるイギリスの小暗い歴史を背景に、登場人物各人がアフリカに向ける思いはイギリスならでは。アパルトヘイト政策を現地で支持した白人は、すでに入植から300年以上もたつ「アフリカ人」だったのか。こういう本でも読まないと、日本人である自分には気づけない事柄もあった。

 二重スパイを疑われたMI6の若手の要員デイヴィスの死が周囲に及ぼす波紋。慎重に沈黙を守ってきた二重スパイがついに耐えきれなくなって、破綻していく様子がリアルである。
 ラストの無情さ、無残さは、現実の世界情勢の救いのない無残さを思わせる。
 彼は妻と再会できるのか。できたとして、年齢の離れた2人を死が分かつとき、妻は、かの国でどうやって生きていけるのだろうか? 彼らの息子の命運は? と最後のページをめくってこれが物語の終わりだと気付いた時に自分の中にのこされた不安と愕然に呆然とする。
 人間は、卑小な存在なのに大きな物事を動かしたがりすぎだ、とも思う。
 他人の人生、一国の命運、歴史、そんなものを担い、動かす能力など人間にはないではないか。主義を持たぬ者が、主義者達に翻弄される話でもある。なんとも感想としてまとまりがないが、まさにタイトル通り「ヒューマン・ファクター」を語り上げる物語だった。
 よどみなく流れる翻訳も素晴らしいと思う。

2021年11月28日日曜日

0309 11月に去りし者 (ハーパーBOOKS)

書 名 「11月に去りし者」 
原 題 「NOVEMBER ROAD」2018年
著 者 ルー・バーニー 
翻訳者 加賀山 卓朗 
出 版 ハーパーコリンズ・ジャパン 2019年9月 
文 庫 456ページ 
初 読 2021年11月22日 
読書メーター    
ISBN-10 4596541221 
ISBN-13 978-4596541222 
 1963年11月。裏路地の薄汚いバーや、安っぽいガウンからおっぱいをぽろりと出している娼婦まで、街全体がジャズのスウィングに身を委ねているニューオーリンズ。熱い湿気とネオンと紫煙とウイスキーと女。美味い料理、そして、マフィア。賄賂と裏社会の人脈と危険な仕事。ギャングとしてかなりの地位を築いていたフランク・ギドリーは、11月22日、全米を震撼させた事件を知った。そして、自分が頼まれた些細な仕事が、ケネディ大統領暗殺に関わりがあると直感する。
 暗殺者に仕立てられた男、実行犯であるスナイパーを手配した男、スナイパーに武器を調達した男・・・・・犯行に関係したと思しき人間が次々に消されていく。自分にも殺し屋が差し向けられるのか。今この瞬間に? この俺に?

 15歳で(おそらくは)生まれ育った貧しい家を出て、ニューオーリンズで万引きで命をつなぎ、ギャングに気に入られて使い走りをしているうちに頭角を現して、今やイタリアン・マフィアのカルロス・マルチェロ(実在のニューオーリンズのマフィア・wikiカルロス・マルセロ参照)のNo.3となっているギドリー。ボスには信頼されていると思っていたが。結局は使い走りの延長線にすぎないのか。

カルロス・マルチェロはケネディ兄弟の兄、ロバート・ケネディと因縁があり、それが暗殺事件の背景の一端として語られている。
 だけど、そんなこたあ、どうでも良い。

 たった今ままで、裏社会とはいえ人生を謳歌していたいい男が、突如命を狙われることになり、逃亡せざるを得なくなる。裏社会の仕組みは骨の髄までしみこんでいるから自分が殺される理屈は理解できる、だがそれを受け入れるのは別問題だ。一方、追跡を命じられた男も淡々と義務を果たす。なぜならそれが仕事で、それしか生き方がない。すべてが、ボードの上のチップの代わりに自分の命を置かれたゲームのようだが、やがてその中に、紛れもなく尊いものが現れる。初めはゆきずりに利用しただけだったが、自分とは違う人間の真摯な生が、かけがえのない絶対的なものになる。そしてその存在が、ギドリーの忘れようとしたはずの過去をも揺り動かす。
 孤独な男達が、それぞれに行き掛かり上道連れができて、自分で目論んだ以上の関係がもたらされる。結局は人間と、情と、愛。
 ギドリーの魅力と孤独に。バローネの虚無に。ついでにセラフィーヌの愛の深さとしたたかさに。読んで、よじれて、ジタバタする。胸が苦しくて泣きそうになったら、俺のために泣いてくれ。モン・シェール。
 
翻訳がめちゃくちゃ良い。翻訳者は加賀山卓朗氏。ジョン・ル・カレ、デニス・ルヘイン、クロフツ、グレアム・グリーン、ロバート・B・パーカー、その他を訳出されている方だ。私の積読1000冊(すみません。反省してます。)のなかにずいぶんありそう。これは読まねば。

2021年10月23日土曜日

0301 ネットワーク・エフェクト マーダーボット・ダイアリー (創元SF文庫)

書 名 「ネットワーク・エフェクト マーダーボット・ダイアリー」 
原 題 「Network Effect: (The Murderbot Diaries)」2020年
著 者 マーサ・ウェルズ 
翻訳者 中原 尚哉 
出 版 東京創元社 2021年10月 
文 庫 540ページ 
初 読 2021年10月15日 
読書メーター    
ISBN-10 4488780032 
ISBN-13 978-4488780036

 仏頂面の弊機はともかく、この“女の子”は誰なんだ、とカバーイラストが公表されたときから違和感しかなかった3冊目。この女の子は、どうやら弊機の後見人(?)であるメンサー博士の娘ということらしい。
 とにかく人間嫌いな“マーダーボット”こと自称弊機は、今回も1行目からぶっとばしております。いやあ、中原さんの翻訳、相変わらず素晴らしい。
 これも、ネタバレになることはあまり書きたくないな。とにかく相変わらずひねくれいじけ虫な弊機は、いろいろとこじらせつつも、誠心誠意人間の友人たちのために奔走。心を分ける機械知性であるART(の機体)に拉致され、当のART本体(知性)は存在がつかめず、どうやら削除=殺害されたようだと判断したところで、情緒的に破綻。メンサーの娘のアメナは、最初はマーダーボット弊機を嫌っていたものの、若者らしい柔軟さと情緒で、弊機と心を交わす存在になっていく。そしてまた、相変わらずARTが良い。後半登場する警備ボットの3号の一人称が「本機」なのが、弊機とは性格が違うことを感じさせる。これ、元からなの?それとも、原作はどちらも「I」で、翻訳で「弊機」と「本機」を訳し分けてるのか? 英語で原文を読んでる方に教えてほしい。(で、教えてもらいましたが、原文ではどちらも"I"だそうです。これを『弊機』と『本機』に訳し分ける中原さん、凄し。そして、日本語の表現力に感嘆する。文体から弊機と、マーダーボット2.0と、3号の性格の違いがにじみ出ている。)とにもかくにも、今作も翻訳の勝利! ああ、面白かった。



2021年9月19日日曜日

0295ー96 暗殺者の献身 上・下 (ハヤカワ文庫)

書 名 「暗殺者の献身 上」「暗殺者の献身 下」 
原 題 「RELENTLESS」2021年
著 者 マーク グリーニー  
翻訳者 伏見 威蕃  
出 版 早川書房 2021年9月 
文 庫 上下巻各 448ページ 
初 読 2021年9月19日 
読書メーター https://bookmeter.com/reviews/101314956   
ISBN-10 上巻:4150414858/下巻:4150414866 
ISBN-13 上巻:978-4150414856/下巻:978-4150414863 
 ターゲット(機密情報を持ち逃げして潜伏中の元CIAアナリスト)に接近するためにプエルトルコに潜入したザックが身バレして秘密警察に逮捕・連行される。
 隠密に動かせる手駒に窮したハンリーは、病気療養中のコート・ジェントリーを極秘の医療施設から引き出だした。コートは、ロスで負った左肩の刺傷が感染を引き起こしたせいで手術を受け、いまだ体内から一掃できない細菌を片付けるために抗生剤の点滴を続けており、まだ最低でもあと数週間の入院加療が必要な状況だった。

 すでに無双を極めているグレイマンことコートランド・ジェントリー、前回の私的作戦でも多勢に無勢だったがすでに読者は究極の安心感。これを打開(?)するためにグリーニーが選んだ手段は、なんとジェントリーの出力50%OFF+生命危機のリミット付き。いつもなら救援に現れる“お父ちゃん”ことロマンティックことザックは監獄の中。やるなあ、グリーニー。相変わらずサドっ気たっぷりである。

 そして、今回の風呂敷がまた、たっぷりとデカい。登場人物と舞台が錯綜するため、めったにやらないことだがメモを作成しながら読む。ついでに言うと、至極シリアルである。前作でおおいに楽しませてくれたオレオレの自分語りはナシで。

 そして、怒濤の下巻。
 今回のジェントリーの様子を表すのに最高の一文がこちら↓

 ジェントリーは負傷し、体の具合が悪く、温め直した死人のようだった。

 でももちろん、温め直した死体であってもグレイマンはグレイマンなのだ。

 そんなわけで、とにかく面白い!下巻はもう、ノンストップである。上巻でたっぷり広げた風呂敷を、畳むどころかばっさばっさと振り回す!
 普段はネタバレ満開なレビューばっかり書いてるけど、これは絶対にネタバレしない!とにかく面白かったと断言できる。シリーズ最高傑作であろう。なんか誤植あったような気もしたけど、気にしない!ハリウッド映画ばりばりで映像が目に浮かぶ。暗闇での銃撃戦も、大規模戦闘も殺戮も、爆弾攻撃も、短距離速射も遠距離狙撃も全部、ぜーんぶぶっ込まれてる。映画化してくれ。大画面で。大音響で!なによりザックがめったくそかっこいい。ジェントリーを完全に喰った。いやあ、お父ちゃん大好きだ!
 みんな早く読んでくれ!まだ手に取っていない人は、明日書店に駆け込むべきだ!

2021年8月7日土曜日

0285 ラスト・ウィンター・マーダー 〈さよなら、シリアルキラー〉 (創元推理文庫)

書 名 「ラスト・ウィンター・マーダー 〈さよなら、シリアルキラー〉」 
原 題 「BLOOD OF MY BLOOD」2014年
著 者 バリー・ライガ
翻訳者 満園 真木 
出 版 東京創元社 2016年5月 
文 庫 494ページ 
初 読 2021年8月8日 
読書メーター https://bookmeter.com/reviews/100201195   
ISBN-10 4488208053 
ISBN-13 978-4488208059
 「本当にかわいそうにな、ジャスパー」

 この一言に、ここまでのジャスパーの苦難が凝縮され、どうしようもできない理不尽が語り尽くされているように感じる。

 私個人の職業の中で、児童虐待に関わった大して長くもない数年で自分が考えたことにも通じる。

 人生は理不尽だ。子どもが自分の人生の与条件を自分で変えることはできない。虐待する親も、不幸な生い立ちも、来なかった助けも、見当外れな介入も、経済的な困難も。
 だけど、自分の人生を少しでも良いものにしていくことは、自分にしかできない。世の中が不平等なんだと全身全霊で知り、覚悟を決めて、そこを出発点とすることでしか人は本当の意味での大人にはなれない。ついでに言うと、人は不幸でも案外生きていける。
 人はひとりひとりが違う。それを理解するということは、どういうことなのか。人は大事。人は本物。ミステリやサスペンスはさておき、そんなことが、この本にも凝縮している。
 まあ、アンドリュー・ヴァクスとこの本を「同じ文脈」で読むのが正しい読み方かどうかは知らんが。

 さて、前巻ラストで、ジャズ、コニー、ハウイーが3人それぞれに絶対絶命に陥ったところからスタートするこの巻。

 とりあえず、コニーもハウイーも、そしてジャズも生きている。そしてジャズの危機が図らずもコニーを助けることに。〈みにくいJ〉は誰なのか。そして〈カラスの王〉は? 生きていたジャズの母は?
 ビリーの自己愛を投影したジャズへの愛情の示し方は、これ以上無いほどに歪んではいるが、ジャズの命を助けたり、かばったり、ジャズの敵と見なした者には徹頭徹尾容赦ないところは徹底している。歪んでいるが、そこに確かに愛を感じてしまうから、ビリーを憎みきれない。人間という不完全な存在の難しさ。母ジャニスの冷酷の方が、まだ分かりやすい。結局ジャズは両親を殺さないが、ジャズはそこまで母に縛られなくても良いのに、とラストで思う。この本の中では、かれらをソシオパス、という言葉で示しているが、どっちかっていうと両親はサイコパスだよね、と思う。ジャズはソシオパスの要素の方が強いが。
 
 前巻で一瞬「こいつ怪しいんじゃね」と思ったヒューズは、ただの良い奴だった。こいつはニューヨークみたいに複雑怪奇な犯罪のるつぼではなく、平和な田舎のロボズ・ノッドにでも再就職したほうが良さそうだ。G・ウィリアムとの相性も良さそうだし、近い将来G・ウィリアムが引退した暁には、ジャズの新たな庇護者が必要だろうしな。

 コニーパパについては、多分弁護士だろうと思っていて、きっとジャズの弁護を引き受けることになるよな、と予想した通り。コニーパパがジャズに愛情(らしきもの)か、もしくは同情を抱いてしまうのは、インテリの弱みのような気もするが、それでジャズが癒やされるのであれば、それでよし。

 ジャズの人生は、二十代にしてすでに余生に突入しているようなものだが、これから先の長い人生を、穏やかに、静かに、そして時に人の情に温められて過ごして欲しいと願うばかり。

 2021年ベス確定です。蛇足だとは思うが、邦訳タイトルが3冊とも良い。それと翻訳もすこぶる良い。

以下、これも蛇足だとは思うが忘備代わりに転記。

 父の顔に葛藤がよぎる。でも、それは一瞬で消えた。父が立ち上がって胸を張り、咳払いした。「わたしが彼の弁護士です、ヒューズ刑事。ジェローム・ホールと申します。以後お見知りおきを」 


 「だいじょうぶじゃない。だいじょうぶだったことなんてない」


 「きみにはわからない。この国で黒人であるというのがどういうことか、きみにはわからない。だから決して理解できないだろう」 
 「そのとおりです。僕は黒人であるというのがどういうことかわからない。これからも決してわかることはない。でも、人はみんな違うんじゃないですか? そりゃ、共通の体験はたしかにあるだろうけど、でも世の中の見え方はひとりひとり違う。少なくともちょっと違う。誰もが自分なりのフィルターを通して世界を見ている。あなたは黒人としての体験がある。ぼくには決してわからないようなことをたくさん経験しているんでしょうけど、それでも全員の体験を知ることはできないでしょ。だって、もし人がみんな同じだと考えるなら、ぼくたちの体験が取りかえのきくものだと考えるなら、それは……ほとんどビリーの考え方だから。ぼくたちはそれぞれが個人です。人は本物で、人は大事です。ぼくたちひとりひとりが大事なんです。共通する部分以上に、それぞれ違う部分が」
 
 「私はずっと、どうすればそれができるのか考えてきた」「どうすれば我々が集団として、社会として、本当の平等を勝ち取れるのかと。どうすれば過去の罪を償わせることができるのかと」
 
 「多分……許すか、忘れるか」

 

 「きみに言いたいのは、かわいそうにということだ。本当にかわいそうにな、ジャスパー」

2021年8月2日月曜日

0283 さよなら、シリアルキラー (創元推理文庫)

書 名 「さよなら、シリアルキラー」 
原 題 「I HUNT KILLERS」2012年
著 者 バリー・ライガ 
翻訳者 満園 真木
出 版 東京創元社 2015年5月 
初 読 2021年8月2日 
文 庫 414ページ 
ISBN-10 4488208037 
ISBN-13 978-4488208035 

 123人(息子のジャズの記録によれば124人、その差のひとり分は行方しれずのジャズの母)を殺した連続殺人犯(シリアル・キラー)を父に持つ17歳の高校生のジャスパー(ジャズ)。

 幼い時から殺人マニアの父に“その道”の英才教育を施され、望んでもいないのに殺人シーンのイメージや妄想が頭の中を駆け巡り、同時にいつか自分も父のようになるのでは、という不安に苛まれつつ、正しい人間であろうと努力し続ける悩める高校生が主人公。

 小さな田舎町で逮捕された世紀の殺人鬼の一人息子のことを、町内で知らない者はない。父親の逮捕から4年たった今でも、鵜の目鷹の目でたかってくる地元の三流記者や、住民の好奇の目を避けながら祖母と2人でなんとか普通の生活をし、ときとして父親の犯罪の被害者家族に詰め寄られる。

 彼の「保護者」である祖母は、シリアルキラーである父の実母。どこから見てもまともではない、偏執的な宗教観と人種差別主義に凝り固まった怒りっぽいアルツハイマー患者で、いよいよ手に負えなくなってきている。しかし、この「保護者」を失ったら児童養護施設に行かなければならないジャズは、祖母をお守りすることで自分のプライバシーを守っている。そんな危うい生活を、親友のハウイーや、最近出来た初めての彼女であるコニー、父を逮捕した保安官のG・ウィリアムに支えられて・・・・・・とまあ、よくも盛ったり、この設定。ただただ関心するばかり。

 そんな彼の身辺で、再び連続殺人事件が始まる。
 犯人「ものまね師」は、彼の父親ビリーの犯行を再現していた。
 次々に発生する殺人事件を追い、犯人を捕まえることで、自分の身の潔白を証明し、自分の存在が“良いこと”の役に立つと証明したいと願うジャズ。

 彼の17年の人生のどこをどう切っても悲惨でしかないのに、文のタッチは軽快で、どこかユーモアがある。
 頭が良くて粘り強くて、心が折れそうになりながらも、前向きでありつづけようとする17歳男子がとにかくがんばるので、読んでるこちらも応援せざるを得ない、というかぐんぐん引き込まれてしまう。
 いつ、どこで「異常」の方にぶれていってしまってもおかしくない。自分でも何が異常でどこからが正常な感覚なのか、常に自分の中の物事への反応を一つ一つ確かめながら、なんとか踏みとどまってまともな人間であろうとしつづけるジャズであるが、重くなりそうな内省も、17歳の少年らしいみずみずしさや軽やかさがあって、不思議な読み心地である。
 かれが自暴自棄になったり、自殺したりしないでやっていける強さって、どこに根源があるのだろうと考えると、それがたとえ常軌を逸したソシオパスの歪んだ愛情だとしても父親の愛だったとしたら、悲劇なのか喜劇なのかと悩むところ。


 父親であるシリアルキラー、ウィリアム(ビリー)・デントが、32回の終身刑で収監されていた刑務所からまんまと脱獄し、父とジャズの戦いは、これからどう転がっていくのか。一冊目ではまったく先が読めません。次行こう次!
 
 なお、翻訳が相当良い、と思う。それに、邦訳タイトルも非常に良い。この翻訳者、満園真木氏も追いかけたい。


2021年6月10日木曜日

0275 日々翻訳ざんげ エンタメ翻訳この四十年


書 名 「日々翻訳ざんげ エンタメ翻訳この四十年」 
著 者 田口 俊樹
出 版 本の雑誌社 2021年3月 
初 読 2021年6月9日 
単行本(ソフトカバー)216ページ 
ISBN-10 4860114558 
ISBN-13 978-4860114558

 先に読んだ『寝耳にみみず』東江一紀さんのいうところの「マット・スカダー訳者」である田口俊樹さんの翻訳秘話?

 面白い、というより、実に勉強になりました。いや、もちろん面白いのだけど!それよりも、紹介されているあの本、この本、次から次へとAmazonでポチりたくなる。
「残念なことにとっくの昔に絶版になっているけど、アマゾンのマーケットプレースで一円で買える。是非ご一読を!」の一文に切なさを感じつつ。(マーケットプレイスじゃ、ないんだ!と変なところに田口さんのこだわりを感じる。)
 それにしても、田口さん、チャーミングなお人だ。超がつくような大物翻訳家にこんなこと言ったら失礼だろうか?

以下は、レビューというよりは、この本に触発されてあれこれ私が考えたこと。
 私は読んだ翻訳の善し悪しを簡単に口にするが、それってとてつもないことをしているよな、と日々後悔に襲われもする。一方で、読むのは私だ(読者だ)、みたいな不遜な気分もそれなりにあって、私ごときのシロートに何かを言われるような翻訳を世に出さないでよ、という素人の傲慢さ全開で読書ブログを書いている。
 いやだがしかし、私に翻訳文芸を読ませてくれる大切な翻訳家さん達に対してともかくも、やり過ぎないように、中庸に、英語力がちゃんと備わってるわけでもない自分の無知を自覚して、批判ではなくむしろ育てることを意識して、、、、、って、ウチの職場の新人育成じゃあるまいし、プロに対してそれも失礼でしょう?
 世に作品を出すことを、商業ベースでやらねばばらないという難しさももちろん理解できる。
 大抵のことはググれば情報が手に入る時代になったからこそ、機械翻訳が性能を上げてきているからこそ、調べものの手間が減った分で表現を磨いてほしい、とこれからの翻訳家さん達には願う。ああ、何という上から目線なんだろう、恥ずかしい。そして、兎にも角にも、出版社さんには査読を頑張ってほしい。シロートが一発で気付くような間違いを紙面に乗せたまま、作品を世に出してはいけないよ。そういう点では、やはり精度の高さを信頼できるのは、東京創元さんかな。もうここ何年か「初夏のホンまつり」に行けていないが、アン・レッキーとクレイスの続刊を出してくれてありがとう。あの時話相手をしてくれた女性の編集者さんにお礼を言いたい。

 ところで、第5回の、「アクシデンタル・ツーリスト」の和訳タイトルを私も考えてみた。『やむにやまれぬ旅行のために』 これはどうだろうか?

 この本のレビューからかなり遠方まで離れてしまったので戻すが、私の知らない言葉の知識がたくさんあって、凄く勉強になった。以下に勉強と考察のまとめ。

「口径」と「番径」(p.32)・・・これは知ってたけど、ひとえにWikiのお陰だ。
「ダウンタウン」は、市当局、警察の含み。「ちょっと署までご同行願おうか」って感じ? 頭に浮かぶのがくたびれたトレンチコート着た山さんだ。年齢が知れちゃう(笑)
「書き入れどき」(p.35)・・・掻き入れだと思っていた。帳簿に儲けを「書き入れる」から来ていたとは!
「まさに掬すべき滋味がある。」(p.36)・・恥ずかしながら掬すべき、という言葉を知らなかった。「「滋味掬すべき」(じみきくすべき)とは「豊かで深い精神的な味わい[=滋味]を、十分味わう[=掬す]べき」ということ。」
「ひとりごちる」と「ひとりごつ」(p.72)
「みみをすまして」と「みみをすませて」(p.73)・・・あれ?それでは大好きなジブリの名作『耳をすませば』はどうなる?
「ソーホース」(p.105)・・・・田口さんに媚びるわけじゃないが、私は「木挽き台」が一番好きだな。イメージがしっくりくる。
「狎れ」(p.118) 
「思しい」(p.154)

2021年3月6日土曜日

0260 ねみみにみみず(作品社)

書 名 「ねみみにみみず」 
著 者 東江 一紀 (著)、越前 敏弥 (編集) 
出 版 作品社 2018年4月 
初 読 2021年3月7日 
単行本 272ページ 
ISBN-10 4861826977 
ISBN-13 978-4861826979
長らく積んでいてごめんなさい。
そして、リアルタイムで著書を買わなかったばっかりに、いまになって古本で集めていて(→翻訳者の印税の足しにならない。)ごめんなさい。

失われた干支2周分の歳月が恨めしいやら口惜しいやら。
私、本が大好きだったことを長らく忘れていたのだ。
今から取り戻せるかどうか。数周回遅れで、1990年代くらいからの「新刊」を必死で追い求める日々です。翻訳小説って足が速いの。あっというまに絶版になるの。どんどん手にはいらなくなっていく、と思うと、読むスピードが遅い、という事実はとりあえず本棚の上の猫しか上がらない隙間に放り投げて、まずは積むべし!(こちらはもちろん本棚の上ではなく、棚板の上に積むのだ)となる。とにかく手にいれるのだ。読むのはそれからだ!その結果の794冊。えええ?半年くらい前にこのブログを立ち上げた時には600冊強とか書いていなかったか?半年で100冊増えたのか?まさか!? そう、この本を読んでいる数日の間にも10数冊増えた。だって、東江さんが紹介してくれるんだもの。
 翻訳者としての覚悟やら、自覚やら、苦しさやら、そしてなにやら隠微な喜びやら、懇切丁寧に教えていただきました。お弟子さんや同業者とのやりとりも面白おかしく、そして、越前敏弥さんの後書きに泣きました。仕事は人格。人としての品格。
 
 それにしても、2000年から2020年までの20年って、私のなかで完全にエアポケット化していて、記憶が薄い。何をしていたかといえば、仕事と子育て。この間の読書で印象に残っていることといったら、息子の授乳に退屈して、鬼平犯科帳全巻を読み尽くしたことと、娘の添い寝に退屈して、赤毛のアンシリーズを読破したこと?くらいだ。気付いたら今年、上の子が二十歳になっていて、我に返った。そして、1990年代の新刊本が、実は二十数年前の刊行だと、いまだに毎日、性懲りも無く驚いている。この間仕事はどんどん忙しくなってきて、今や一日15時間職場にいる日々。おや、これだけは東江さんと一緒だ。椅子に座っている体力(?)だけなら、自宅懲役状態の東江さんと並ぶかも?

《覚え書き》楡井浩一、菜畑めぶき、川合衿子、梁山泊・・・ではなくて泊山梁、だ。すべて、東江さんの別ペンネーム。

2021年3月5日金曜日

新明解さん賛歌 ねみみにみみず④

 たしか、「新明解さんの謎」という新書本があったような。(確認したら『新解さんの謎』文庫本だった。)
  この超語釈で超有名な国語辞典を、東江さんはご愛用だったようだ。
私もいつか入手しようと思っていたのに、気づいたら第5版、第6判、と版を(改訂を)重ね、編者が変わり、だいぶ中庸になってきている、というニュースを耳にしたのはいつのことだったか。
 そんなで入手をあきらめていたのに、ここに至って東江さんの新明解国語辞典への賛辞を目にすることになろうとは。 やっぱり読みたいなあ~。手元に置いておきたいなあ。ちなみに私が今も手元に置いている国語事典は、これ。『新小辞林 第二版特装版』三省堂。なんと昭和32年初版、昭和52年第2版特装版発行、とある。小学生の時に、学校で初めて辞書を使うので持ってきて、といわれて母から借用し、そのまま私物化したものです。箱と表紙はぼろくなったので、自分で和紙とビニールコーティングで表紙をつけました。
 さて、新明解さんですが、古本で手にはいるかな?
辞書を古書店で入手する、という発想がそもそもなかったが、ここは探してみよう。ついでに最新版(第8版)と左右にならべて、どのあたりが改定されているのか見比べてみたいもの。 つまるところ、わたしはそういう読み方が好きなのだな、と今日の昼休みに職場のビルの中の書店を巡回しつつ、思い当たった。

  おおむかし、「ベルサイユのばら」に夢中になっていた頃、どこまでが史実で、どこからが池田理代子さんの創作か見極めたくて、フランスの図鑑やら、歴史書やらを子供なりに図書館で探索したものだ。主人公オスカル・フランソワの父「ジャルジェ将軍」は実在する人名だと知って感動したりもした。そのあと、「オルフェウスの窓」でも同じような作業をしたので、フランス革命とロシア革命にはそこそこ(小学生にしては)詳しくなったものだ。(今は大半を忘却した。) 
 そう考えると、虚実ないまぜの物語世界を虚と実のギリギリの際まで追い込んで楽しむ癖は、どうやら読書歴の最初からだったようだ。いまもダニエル・シルヴァを読みながら全く同じ作業をしているのが可笑しい。
  一方で、ファンタジー作品で現実とつながってます、という設定は苦手だ。ファンタジーは完璧別世界で頭っからそっちに没入して楽しみたいらしい。
 だから、クローゼットの中がつながっている、とか、3/4番線がある、とかいうのはそもそも物語の入り口でけつまずく。こっちの世界では冴えない子だったのに、向こう側では英雄、というのも苦手。夢オチは最悪。「ソフィーの世界」は最後であの分厚い本をぶん投げたくなった。あの本はそもそも読み方を間違った。物語だと思って読んでいたから、いつ面白くなるだろうと我慢しながら読んでいたのに、最後まで面白くならなかった。しかも哲学の本ですらなく、ただの哲学史の本だった。

 ええと、ずいぶん脱線しているな。とりあえず、新明解さんを探そう。

2021年3月4日木曜日

表現する技術と、表現したいと乞う魂と。 ねみみにみみず③


さらに続いています。「響かせるの巻」p.110より 
翻訳という仕事を、ピアニストと比較。『200クラシック用語辞典』はおすすめされたのでチェック!

 「うーん、翻訳に似てはいないだろうか。文芸にだって、凝りすぎると嫌味になる作品と、文体こそすべてという作品があるよね。青柳さんも、“演奏/演奏家”の項で、翻訳と演奏は「原作と受け手の間でマゾヒスティックに悩む点は、同じだ」と書いている。」 p.110 

  前の記事で、自分は文芸翻訳家を工芸作家にたとえたので、ここで音楽家とのたとえでうなってしまった。
 私の頭はartの方に行ってたけど、なるほとmusicの例えは、すごく腑に落ちる。 なにしろ「作曲家」と「演奏者」がいるわけで、芸術として成立するためには、必ず製作者と作品の受け手の間に表現者が必要になる。譜面通りに弾くだけでは、表現足りえないことも同じ。
そしてこの「表現したい」は「創作したい」じゃないんだよね。自分の中の無形のうぞうぞ蠢く情熱とか情念とかにオリジナルの出口と形態を与えたいのではなくて、もうちょっとささやかで、自分だけじゃあ表出のきっかけもつかめない自分の中にある何かが、他者の作品という触媒に刺激されて自分でも意識しないうちにおずおずと姿を現す感じだ。そして、これだって、表現する技術を極限まで磨いて、追い込まないとできない業(わざ)なんだよ。

そんなことを、p.140でこんな風に書かれている。
「達意の文、“芸”の名にあたいする文を綴りながらも、けっして自分の主張を盛り込まない日本語表現力。」

そんなことを、さらにp.179 で展開されている。
「翻訳でないと自己表現ができない人っているんですよ。」

わかる。すごく判る。他人の表現物に乗っかって、触発されて初めて発火できる、なんというか燃焼効率の悪いっていうか、活性化するのに触媒が必要な化学物質みたいなのが自分の中に充満しているのだ。そして、他者の作品に関わることで、そんなエネルギーが音楽、とか外国文学みたいな形で、外形化されたときに、その仕事をお裾分けしてもらえるのが読者の幸せだ。



2021年3月3日水曜日

しばし待たれよ  ねみみにみみず その②


そして、続き。

で、「大先輩の高橋泰邦さんは、「文芸翻訳は、ひも付きの創作である」と言っておられる。これはつまり、純然たる創作ではもちろんないけれど、一方に技術翻訳とか実務翻訳とあいったものを対置してみると、われわれのやっている作業は、どうやら技術でも実務でもない、なにか隠微な、姑息な、いかがわしい要素を含むものらしいということの、韜晦を交えた表現ですね」p.64  と、東江さんがいう。

 

 さて、このいわずとしれた大翻訳家の高橋泰邦さん、この方、その方面では有名なとある「事件」をやらかしている。ボライソーシリーズ24巻、主人公ボライソー提督が戦死するシーンで、延々何ページにも渡って創作加筆してしまった。20冊以上分厚い本を訳出してきて、主人公への思い入れもひとしおだったに違いない。原著者が実にあっさり、数行で彼を死なせてしまったので、納得がいかなかったのだろうか。翻訳者は創作者でもある、という自負が暴走したのか。

 私は、といえば、まだこのシリーズ積読中なので、事細かに論評する資格はない。なぜにこの件を知っているかといえば、先達のブログやネット掲示板などで豊富に情報を拾えるから。

 すでに絶版になっているため、Amazonマケプレでこのシリーズを入手した際、版までは確認できず、正直なところ、加筆部分削除修正済みの第2版以降が入手できたならば、このことは知らなかったことにしよう、と思っていたのだ。だがしかし、たまたま手元に届いたのが、加筆部分がばっちり載った初版であった。そこで、第2版以降を探して入手する必要に迫られ、その結果として新旧版を左右見比べる環境が出来上がってしまった。(ある意味、残念。)

 

やはり、一読者としては、誰かの二次創作ではなく、出来も不出来も原著に忠実な物語世界に遊びたい、と思う。

原著の宇宙にいると思っていたのに、いつの間にか二次創作のパラレルワールドに拉致されていた、というのは、やはり読者への裏切りだろう。読者だって延々24冊、主人公と付き合ってきたのだ。果たして今まで、自分は何を読まされてきたのだろう?と疑惑も頭を擡げただろう。これも騒ぎのもとは、翻訳を読んでいて文体に違和感が募り、原著と読み比べた人が出てきたから。

 

さて、そんなことを思い出しつつ、東江さんのエッセイにもどると、こんなことを言っている。

“芸人は「正しいけれど野暮」より、断然「まちがっていても粋」の方を取ってほしい”という中野翠さんの『ひょんな人びと』(文春文庫)からの一文を引きつつ、


「そう、そのとおりだと思いますね。強く、強く思う。で、そういう視線で文芸翻訳ってものを眺めたとき、われわれはやっぱり芸人じゃないという気がするんです。

 原著者は、そりゃ、“まちがっても粋”の路線でだいじょうぶだろうけど、翻訳者のほうは、野暮でもなんでも、とにかく正しく訳さなくちゃ、商売になんないんだもの。

 というより、原著者の“まちがっても”の部分を、そのとおりのまちがいかたで正しく写し取るという、野暮の骨頂みたいなことをわれわれは嬉々として、じゃなくても口元に微苦笑をうかべつつ、日常的にやっているわけです。」p.65

 

そう!そうなのよ、それでこそ名翻訳者!と、私が膝を打つそばからこんなことも書いてる。

 

翻訳家どうしは仲が良い。ぶつかり合わない、冷めている、引いている、抑えている。で、ひたすら和やか、なんだそうな。


「要するに、同業者が敵じゃないんでしょう。むしろ、原著者、編集者、書評家、読者などの外部の諸団体に対して、結束しているような感がある。・・・・・」p.66


翻訳業界の微温湯的同族感。

そうかあ、それじゃあ、お前あんなくそな翻訳世に出すんじゃねーよ!翻訳者の名折れだろうーが。業界全体がめーわくすんだよ!みたいな喧嘩は期待できないのだな。まあ、それが当然だよねえ。小さな業界なんだもの。それに私だって、それじゃ職場のウマが合わない同僚と、口角泡飛ばして喧嘩できるかっていわれたら出来ないもの。


そういえば、この本を読みつつあちこちネット上をうろうろしていて、一般社団法人日本翻訳協会という団体さんを見つけました。ここの団体の倫理綱領がちょっと面白かった。

翻訳者の倫理綱領 4の同業者との関係、とか・・・・・・とっても微温湯的。個人的ににやにやしたのは、「汚い手段」とか「悪しざま」とかの言葉の使い方、文芸翻訳家っぽくて面白い。あと、4(2)の条文だけ、主語の書き方が違うのはなぜだ。


 

さて、私が、なぜにこんなに誤訳本に粘着しているのかと問われれば、人間の性で、そこでその時「何が起こったのか」を理解したいのだな。なんで、あんな翻訳がされて、編集のチェックも受けずに(いや、受けたのか?まさか?)、印刷されて、世に出てしまったのか。 自分で納得して、さもありなん、と思えないと気持ちが悪いのだ、きっと。でもこれもある意味傲慢な感覚ではある。理解できないものを批判する、という行為は、いじめとか、蔑視とか、排斥とか、暴力とか、民族差別とか、宗教差別とか、ジェノサイド、につながる階段の最初の一段目かもしれんぞ。

と、風呂敷が収集つかないレベルまで大きくなったところで、我に返って最初に戻って修正。

まり、


・不良品を、他人に売りつけてはなりません。

・自分の仕事は、誠実に行うべきです。

・なぜなら、あなたの仕事を待っている人がいるからです。

 

ほっ。小学生の道徳レベルまで引き戻せた。ダメなものはダメなのです。

 

それにしても、微温湯のなかをふわふわと漂うような文章ながら、羽毛枕に鈍器を仕込んだようなやわらかさで某氏のことを批判していると読めるのは、気のせいじゃないよねえ? でも、ここで気付いた。某ライソーシリーズ24巻目よりも、このエッセイの方が先に世に出ている。やっぱり私の気のせいだろうか。。。。

2021年3月2日火曜日

しばしの休息  ねみみにみみず その①

私は文句つけたがりの性格破綻者じゃない
翻訳小説をココロから愛しているだけだ
翻訳家の仕事を心底敬愛しているだけだ
大好きな作品をテキトーに訳されているのを見つけちゃっただけなんだよ〜〜〜!と叫んでみる。

そんなやさぐれた心に一服の清涼剤を
東江一紀さんのだじゃれwww

ああ癒やされる。
一冊終えるごとに3,4冊抱え込むって、それ、ワタシの積読と同じ(笑)

とりあえず、出てきた書名やら人名をメモメモ。
『ストーン・シティ』東江さんの翻訳作品、新潮文庫・・・・・1993年刊。絶版。マケプレ頼み。→ポチっとな。でも、古書では印税の足しにならないので、本当は新本を買いたい。私が出来るだけ新本を買う理由の一つ。
★ 伏見威蕃さん 翻訳者 最近ではもちろんグレイマン・シリーズ♪・・・・・Wikiで調べてみて、はじめて「いわん」さんだと知った。不覚。クライブ・カッスラーとか、トム・クランシーとかの他に、ビジネス系、政治系ノンフィクションや指南本も沢山訳していらっしゃる。
マッド・スカダー訳者。もちろん翻訳家の田口俊樹さん。スカダーシリーズは鋭意積読中だ。 
『ヴァーディカル・ラン』、邦題は『垂直の戦場』徳間書店 (1996/9)東江さんの翻訳作品。ちなみにハードカバーのみ(笑)。そして絶版。ああ勿体ない。 ・・・・私、このエッセイ読み終わるまでに何冊ポチるだろうか? 
★大先輩の高橋泰邦さん (1925年生-2015年没)、ホーンブロワー、ボライソー、オーブリー&マチェリンなどの海洋冒険小説を訳出したその道の大家。そういえば、ダグラス・リーマン(アレグザンダー・ケントの別名義)を翻訳している大森(高永)洋子さんや高津幸枝さん、高沢次郎さんは、お弟子さん。「高」の一字を師匠から頂いているのね。


そういえば、ふと思ったのだけど、職業翻訳家って、工芸作家と似ているよな。たとえば文学作品を書くのがファイン・アートなら、翻訳は工芸品。あくまでも出過ぎず、規範にのっとり、実用的でなければならぬ。しかしそこには確かに技があって、その技倆によって翻訳家さんによっては作品がリアルアートたる文芸作品になりうる。であるからこそ、原著の劣化版みたいな作品は御免被りたいわけで。。。。
昔、十代の学生の頃、いや、その前の小学生の頃だな。絵を描くのが大好きだったけど、自分にはファイン・アートをやる才能は無い、とはっきり自覚できていた。だから、実用の美である工芸に心惹かれたんだよなあ。今、翻訳小説に心惹かれるのも似たような心境かもしれない。

2020年12月5日土曜日

0234 砂漠の標的(ハヤカワ・ミステリ文庫)

書 名 「砂漠の標的」 
原 題 「UNCLE TARGET」1988年 
著 者 ギャビン・ライアル
翻訳者 菊池 光 
出 版 早川書房 1997年7月 
初 読  2020年12月

 マクシム少佐、4冊目。マクシム少佐の本はこれで最後。あまりにも勿体ないが、読まないわけにはいかない。
 首相の交代で、ジョージ・ハービンガーと供に首相官邸を辞して以来、ロンドン軍管区で、隊を指揮しているマクシム少佐。迷彩の戦闘服に耳の穴まで迷彩のドーランぬったくって、楽しそうに部下をしごいている。訓練の成果を問われれば、「ガールスカウトの方がまし」。でも彼にいわせればこれは“誉め言葉”で、真意は部下にも伝わっている、らしい。
 アグネスともベッドの中でしっくりしているとのこと。おやおや、いつのまにそこまで? 良かったじゃないか。でもまだ、プロポーズにまでは至っていない模様で、アグネスも弱冠収まりが悪そうに見える。

 そんな折、ロンドンの某高級ホテルで人質事件が発生する。初めは誰もが自分には無関係とたかをくくっていたが、人質にとられたのが、現在情勢不安なヨルダンの軍事指導者だとわかり、しかもそれがマクシムの知り合いであることも判明。救出作戦にかり出されたSASのヘリが故障し、到着が遅延、人質は拷問されており事態は一刻を争う。なぜかホテルで現地指揮を執っているのがハービンガーで、もはやマクシムが突入作戦をやらざるを得ない状況である。

 実はイギリスは最新式の戦車の試作品をヨルダンの砂漠で試走行させている最中で、ヨルダンで起きた軍部隊の反乱の最中、その戦車の行方が知れなくなる。先の人質拷問事件は、反政府側がこの戦車の行方を聞き出そうとしたものだったらしい。反政府側はソ連と繋がっている可能性が高く、新型戦車をソ連に売りつけようとしたのか、もしくは新型戦車の情報ほしさに東側が反乱を焚きつけたのか?
 絶賛巻き込まれ中の当のマクシム少佐は、根っからの歩兵であり、より人間の戦闘力重視のSASが長かったこともあり、重鈍な戦車が好きではない模様。「君は戦車が好きではないのか」とのジョージの問いにこう答える。

「ばかでかくて、騒々しくて、煙とにおいが酷くて、窮屈で、やたら目を引く点さえのぞけば、不服はありません」

 陣地の奪取はヘリでもできるが、それを守るのは人間だ、とも。そんな彼が人質事件の後始末で“外務省の使い”のためヨルダンに出向き、事件の録音テープをヨルダン当局に渡すだけのはずが、ついうっかり迷子の新型戦車の位置を特定してしまい、あれよという間に戦車爆破班のリーダーに。

“おれはテープを届けにきただけだ、とマクシムは無言でいい返した。はやく自分のデスクとアグネスのベッドに戻りたいんだ。”

 そんな心の声にもかかわらず、気付いた時には作戦のど真ん中で指揮を執っている、マクシム少佐(平常運転)である。(笑)

 そして、彼らを乗せて戻るはずだったヘリが墜落。マクシム達は爆破するはずだった戦車に乗って陸路サウジに向けて脱出を図ることになるのだが。戦車は好きではないといってはばからなかったマクシムが、だんだん戦車に愛着を覚えていくところがそこはかとなく可笑しい。

 さて、マクシムが砂漠で野放しになっていると知って慌てるのがイギリス本国。なにしろ転んだら只では起きてくれない(?)男である。さっそく敵戦車1台撃破、の報が入ってきて外務省が頭を抱える。イギリス政府がヨルダンに賠償するんだぞ、と。
 
「・・・ヨルダンにおける我が国の方針は、目下ハリイ・マクシム少佐によってつくられつつあります。それを止めようにも連絡がとれないのです」
「マクシム? マクシム少佐? 何者です」
 一呼吸の間がおかれてから、准将がこたえた。「戦車の指揮を————推測ですが———とっている男です」
「先日ホテルの人質事件でも突入しました」スコット—スコビイがつけくわえた。「事件となると役に立つ男です」「まだ事件になっていないときは」と、スプレイグ。「彼が行けば、5分以内に事件になります」

外務省、国防省、陸軍、情報部・・・・のおなじみの仲良しグループ(?)が寄せ集まって事態の進行をなんとか管理しようと空しい努力を続ける中、ハリイに寄せられる評価がコレだ。

 そして、なんとかサウジアラビア国境まで目と鼻の先のところまできて、ついに反乱軍に包囲されるマクシムの戦車。そんな危機を救ったのは、結局のところ、アグネスとジョージのタッグなんだよなあ。愛と友情・・・・の物語では決してないのだが。なにはともあれ、非常に面白い。これは諜報物でも軍事物でもアクションでもなく、ただただ、マクシム少佐の為人を味わう本である。

 

2020年10月11日日曜日

0224 マクシム少佐の指揮

書 名 「マクシム少佐の指揮」 
原 題 「THE CONDUCT OF MAJOR MAXIM」1982年 
著 者 ギャビン・ライアル 
翻訳者 菊池 光 
出 版 早川書房 1994年4月 
初 読 2020/10/11

 マクシム少佐2冊目。
 事件やストーリーを読むというより、マクシム少佐の為人を楽しむ本。
 「それは、ロマンティックなたわごとだよ。」
 「軍人はロマンティックなのです。」マクシムが平静な口調で言った。「彼らは、戦争映画を見て、奇妙な服装をし、自分たちを竜騎兵近衛隊員といった奇妙な名で呼ぶのです」
 あくまで平静で、穏やかに表情を変えずに語るハリイ・マクシム少佐であるが、実は沸点けっこう低め。内心は、任務で死ぬことを義務として受け入れている若い元SAS隊員が、無謀な諜報活動に消耗品のごとく利用されたことに怒り心頭。そして、こういう時の彼は無言で行動にでるのだ。今回は、スパイ活動でも超有能なことを証明するマクシム少佐である。自分を監視していたMI6の諜報員二人組を、無線も使えず、応援を呼べないエリアに誘い込み、急襲し、殴り倒し、車載の無線機を完膚なきまでに破壊し、拉致し、拷問(?)の恐怖を加えて自白を得る、お見事な手腕である。実戦向きではない気取ったMI6要員に対して、対IRAのテロ・諜報対策を、頭にではなく体に叩き込まれているSAS舐めんな、って感じですかね。清々しいまでの実力行使。やられた方には哀れを誘われる(笑)。
 それにしても、マクシム少佐の本は4冊しかないので、読むのがあまりにも勿体なく、なかなか先に進めない(笑)
 少佐は決して正義漢ってわけではなく、形容するに一番しっくりくるのは、義務に対する忠誠とやはり軍人としての矜持。それは自分が実行するだけでなく、部下、もしくは若い兵士のそれに対して応えるべき上官の義務としても存在するわけで、今回はそういう、部下を持つ上官としての心意気がキモ。
 事は東ドイツの政治指導部の人員刷新に端を発した諜報戦から、どんどん巻き込まれて深入りし、こうなってくるとおいそれとは手を引けないマクシム少佐は、ジョージが差し出した書類に微笑を湛えてサインをして、手勢を連れて決戦に臨むことになる。
 マクシムが署名した書類は、過去日付の辞表。万が一マクシムが失敗してその行動が白日の下に晒されたときに、英国政府が非難されないようにするため。「彼は数日前に辞任しており、イギリス政府は彼の行動に一切関知していない。彼は相応の責任を問われるであろう」とか言うためのものか?組織の捨て駒である。

「ひとつだけ。この件に関するわたしのやり方を考えると、極秘などということは問題ではなくなる。大勢の人間が—もちろん、向こう側だが——何が起きたか知ることになります」

 奪われた人質を奪還するため、あくまでも、戦闘員、それも精鋭としての作法で動くマクシムと部下(全員が元SASだ)は、交戦の前に、身元が判明する可能性のある持ち物を全て外す。
 “みんな、自信にみちた静かな態度で立っていた。アグネスは、彼らが自分の死体の身元がわからないようにしたのに気づいて、思わず身震いした。”
 アグネスがバックアップに付き、手勢を引き連れて敵に対するマクシム少佐。その戦いは片やサイレンサー付きの軽機関銃と拳銃(スパイ側)、片や手榴弾と散弾銃(マクシム側)という圧倒的武力差。極秘などということは問題でなくなる、というマクシムの予告どおり、人的資源の欠如を殺傷力で補って、静かに事を済まそうなどとは毛頭考えていない。結果は敵スパイの死に際のセリフ「軍人とは闘いたくない」。しかし、マクシム側も仲間を喪うことになる。そして、その結果は、はやりマクシムが背負うのだ。「俺が指揮官だった」

 アグネスとの一線を越えかねているのは、再び恋人を持つ喜びよりも、もう一度最愛の人を喪う可能性のほうが心に堪えているのだろうな、と推測する。実家で育つ一人息子の小学校のPTA(?)の奥様連が「人柄のよいマクシム少佐」をとにかく誰かと結婚させようと画策していて、それを微笑を湛えてかわしているマクシムの非番のひとときも微笑ましかった。

2020年1月16日木曜日

0190ー91 マーダーボット・ダイアリー 上・下

書 名 「マーダーボット・ダイアリー 上」「マーダーボット・ダイアリー 下」 
著 者 マーサ・ウェルズ 
翻訳者 中原 尚哉 
出 版 東京創元社 (2019/12/11) 
初 読 2020/01/16


 対人恐怖症で内気な暴走警備ボット。(人間由来のクローンの脳や神経組織や人体パーツと、機械部品のハイブリット。脳や神経があるから、当然痛みや恐怖もあるし、感情や自我だってある。)
 イヤなことがあれば、連続ドラマに逃避し、辛いことがあればやはり連続ドラマに耽溺する。
 自分は警備ボットでセックスボットじゃない!という自負心から、性的表現には無関心かつ否定的。どこまでもシャイな自称「弊機」は萌え要素バツグン。
 だがしかし!
《ART》と渾名された大型調査船のAIがこれまた良い。『本船がはいる』という宣言にキタコレ!
 命の選択を迫られるような緊迫した場面で思い浮かぶ、絶対に失いたくないものが、“自由や無制限のダウンロードや、『太陽の島々の物語』の新作エピソードなど。”って引きこもりニートの青年の主張みたいで、このギャップにも大いに萌える。
 人間由来の脳神経や人体組織を持ったハイブリッドロボットもしくはサイボーグ?が存在するのは、高度な判断は人間の脳が必要ってことなのかな。制限が外れた思考や感情がおずおずと幅を広げて行く様子がかわいい。それにしても本人かはっきり意識した(気持ち)が「勝ちたい」てところがやっぱり人間だなあと。 

 素人文系現代人にも理解できる言葉で、脳内で展開されるハッキングによる闘いがうまく表現されているのも良い。翻訳は中原尚哉さん。どうりで安定の読みやすさ。いつもながら素敵な翻訳です。この主人公の自称を《弊機》としたのが素晴らしい。翻訳の勝利といえよう。

2017年4月22日土曜日

0033 栄光の旗のもとに ユニオン宇宙軍戦記 (ハヤカワ文庫SF)

書 名 「栄光の旗のもとに ユニオン宇宙軍戦記」 
原 題 「TO HONEOR YOU CALL US  THE MAN OF WAR TRILOGY」2013年 
著 者 H・ポール・ホンジンガー 
翻訳者 中原尚哉 
出 版 早川書房 2017年4月 

《あらすじなど》
 候補生として8才から宇宙軍艦で育ち、28才で大尉になっていたマックスは、艦長以下の先任士官が全滅した艦内で戦闘指揮をとり、敵を破り生還する。
 この功績で最新型の駆逐艦の艦長に抜擢されるが、この艦が問題だった。前任艦長が病的な偏執狂で、乗員を疲弊させ艦内には問題が山積、戦闘効率は最低レベルまで落ちている。艦の問題を解決し、乗員を鼓舞し、士気を回復させなければならない。そのためにも敵に打ち勝つ必要がある。
 新米艦長が外敵とも艦内の問題とも果敢に戦って、部下の信頼と戦果を得ていく正統派ミリタリーSFである。おもしろい!
 艦長と兵員の間の信頼関係とか、圧倒的武力差を戦術でひっくり返すとか、艦長と軍医の友情とか、戦術を通して敵と心情が通じる、とか艦長の葛藤とか、新進気鋭の若手艦長が老練な将軍の手の平の上で頑張ってるとか、好きな要素がぜんぶぎゅっとつまっている。艦内の掌握、練度不足の乗員の訓練、前艦長が残した弊害の一掃だけでも大仕事だが、その合間に異星文明との接触、艦内事故への対処、偽装作戦、交戦、裏切り者への処罰ととにかく寝る間もないほど忙しい。これだけのネタを、よくぞこの一冊に詰め込んだ。しかも消化不良にならず、絶妙なバランスで、かつ3部作の1冊目として、きちんと収束させつつ、次作への余韻を残している。
 キャラクター造形も絶品。主人公マクシム・ロビショーは、ヌーベル・アカディアナ星出身。その名と惑星名が示す通りのケイジャンで、操舵所の凄腕チーフであるルブラン一等兵曹長も同じ星の出身。たまに交わす一言、二言のケイジャン・フレンチは艦長と操舵長の間の特別な信頼感を示しているよう。副長のガルシア(メキシコ系?ちがったか?)、機関長の“ヴェルナー”ブラウン(イギリス系)、宙兵隊支隊長のクラフト(ドイツ系)そして、医務長(艦医)でマックスの親友となるシャヒン(アラブ系もしくはトルコ系のイスラム教徒)が有能な艦長のブレーンとなり、それぞれの文化と個性を出しつつ、 艦長を支えていく。未来の多文化共生社会を覗き見している気になる。それ以外にも、候補生教導員の“マザーグース”アンボルスキや、通信長のチン、センサー長のカスパロフ、作戦長のバルトーリなど、有能な士官が脇を固める。政治的な思惑で艦の足を引っ張るいやらしい人間が出てこないのが、読んでいて爽快である。司厨にはケイジャンの司厨員がいて、味気ない宇宙軍料理にスパイスをきかせている。艦内醸造のビール、艦の焼きたてパンやケーキやパイ、軍艦ものが「料理で読める」のもめずらしい。フォレスターやダグラス・リーマンの海洋冒険小説の正当な後継とも言うべき作風であるが、二番煎じに甘んじることなく、オリジナルの世界観を構築している。

《マックスの生い立ちと取り巻く人々》

 マックスは8歳の時に敵の生物兵器攻撃のために、母と家族を喪った。この生物兵器ジノファージは、人類の宿敵であるクラーグ人が開発し、人類の居住惑星に同時多発的に放ったもので、このウイルスに感染すると、男性は無症状キャリアとなり、女性は内臓でエボラ出血熱のような激烈な液化壊死を発症し、ほぼ100%死亡した。この攻撃の年は、マックスのような、親を喪った子供達がユニオン支配星域内で大量に出現しただろう。保護者を喪った子供達(男の子)の後見となったのが宇宙軍であり、候補生として宇宙艦に乗り組んだ彼らは、艦を我が家とし、乗員を家族として、育成と教育と訓練を受け自らも軍人となる道を歩んだ。主人公マックスはそうやって8歳の頃から軍艦に乗り組んでおり、作中28歳の時点ですでに20年のキャリアを持つ宇宙軍士官である。その間、いくつかの悲惨な戦闘経験が加わり、そのもろもろが表からは見えにくいトラウマとして、彼の精神に影響を及ぼしている。彼がひた隠していたそのトラウマを見破って手をさしのべたのが、親友となるシャヒン医師だった。この、マックスのトラウマ克服も今後のストーリー展開の一つの軸となっていくだろう。

マックスが相当有能なのにもかかわらず、さらに強烈な個性を放ってマックスを手のひらの上で転がしているのが、任務部隊司令官のホーンマイヤー中将である。そのホーンマイヤーの候補生時代からの親友であり、マックスに「孫子」を教え、戦略・戦術を叩き込んだ恩師であるミドルトン大将の二人は、マックス少年期の候補生時代からマックスを見守り育ててきていると思われるが、その辺りの物語は今作では明かにされていない。ぜひ、読んでみたいものである。この二人、おそらく甘やかし役のミドルトンと、厳しい小父さん役のホーンマイヤーで役割分担しているのではないかと見え、マックスはもちろんミドルトン命なのだが、なかなかどうして、ホーンマイヤーはマックスを鍛える上では大きな役割を担ってきているように思える。

 

Heart of OakHeart of Steele

 ちなみに、原著のタイトルは、宇宙軍に歌い継がれているという設定の、イギリス海軍伝統の海軍歌「ハート オブ オーク(オークの心)」(作中では「ハート オブ  スティール(鋼の心)」として、メロディーはそのままに歌詞が宇宙軍仕様に変更されている。)その、「ハート オブ スティール」の歌詞から取られている。

 この「ハート オブ オーク」の歌詞「steady boys  steady」(作中では「そのまま進路を保て」と翻訳。steadyは操舵用語で「舵そのまま」とか「進路そのまま」の意)という台詞は、この本や続刊の要所で効果的に使われている。

 一巻では、クライマックスでガルシアとアンボルスキがささやく。二巻ではマックスが戦闘前の緊張に凍りつく艦橋で“steady  boys  steady♪”と口ずさみ、まあ、おちつけ、と部下を励ますシーンがある。海軍歌「ハート オブ オーク(オークの心)」を聴きたい方はこちらへ


「世界の民謡・童謡」 ハート・オブ・オーク Heart of Oak



《著者について》

  著者のホンジンガーはかなりの遅咲きで、なんとこの本が処女作である。小説家である妻の勧めで本作を執筆し、当初は自費で電子出版したが、Amazonの出版部門の目にとまりメジャーデビューを果たした。そして、一躍一流小説家の列に並んだ。奥様には、「よくやってくださった!」と感謝状を贈呈したい。

 ホンジンガーはすでに、第1部の2巻、3巻の出版を終え、その後、この第1部の前日譚である中編2作を世に送り出している。このMAN OF WARシリーズは3部作各3巻の全9冊となる予定で、原著の中では、全ての巻のタイトルも発表されている。本来であれば、氏のHPなどでは、第2部(4巻目)の刊行も予告されていたと思うが、健康不安が続き、刊行が中断している。氏の闘病と健康回復を祈っている。

【追記】ホンジンガー氏は、何年も糖尿病により闘病されていたが、2020年4月にガンが見つかり、8月にガン術後の回復期に感染した新型コロナにより逝去された。Man of War 第2部、第3部が遂に世に出なかったことが残念でならない。せめて、第一部の2巻、3巻と、17歳のマックス・ロビショー少尉の冒険譚である中編2作を、翻訳出版してもらいたいと、切に願っている。