原 題 「QUATTRO PICCOLE OSTRICHE」2019年
著 者 アンドレア・プルガトーリ
翻訳者 安野 亜矢子
出 版 ハーパー・コリンズ・ジャパン 2020年8月
初 読 2021年6月4日
文 庫 392ページ
ISBN-10 4596541418
ISBN-13 978-4596541413
イタリア人の著者が、旧東ドイツの諜報機関をテーマにした小説を書いているわけだが、ドイツ人に対して、イギリス人vsフランス人みたいなのとはまた違う、なんだか底冷えするような悪感情があるような気がしたんだよねえ。気のせいかなあ?
それと、翻訳がいまいち。たとえば、次の一文。
“ニナは、ペーターを恋に落とす唯一の存在だった。”・・・・・恋は落とすものではなく、落とされるものでもなく、落ちるものだ。
もう一つ。「カラブリア人です」ニナはそっけなく答えた。
あまりにも容赦なく吐き捨てたため・・・・・・
「そっけなく答える」のと、「あまりにも容赦なく吐き捨てる」は同じ動作に対する形容なのかな? ずいぶん語気が違うような気がするんだけどな。
“ベックは、ニナが少女のころ麻薬に溺れていたことをある程度は打ち明けられる、唯一の人間だった。おそらくニナの正気を失った家族か、かかわりのあった薬物依存者が、彼女に煙草からコカイン、そしてヘロインまでのすべてのステップを踏ませたのだろう。”
と書いてあれば、「おそらく・・・すべてのステップを踏ませたのだろう」と考えているのは、当然ベックだと思うだろう。
ところが、
“それでもニナは、全てをベックに打ち明けられず、マリファナを少しやっていたとしか言えなかった。”
と次の文が来る。それではベックは、ニナがヘロインまでやっていたことを知りようもなく、前段は、誰の視点の文章なのか良く分からなくなる。あとも一つ。
とにかく息をするのがつらい。機械的な動きで何かを椅子の後ろから取り出して、顔に近づけた。酸素カニューレだった。
末期の肺がんである女性がやっとアパート4階の自宅に帰り着き、椅子にすわって、そこにセットしてあるカニューレで酸素を吸入する。慣れた機械的な動きで、酸素吸入器につながるチューブ(カニューレ)を取り出して、顔にセットするシーン。女性は当然ながら自分が何を手にしているか熟知しているわけで、それを「何か」と形容するのは変だ。これが、たとえば「あるもの」だったとしたら、文の流れはスムーズになる。「とにかく息をするのがつらい。機械的な動きであるものを椅子の後ろから取り出して、顔に近づけた。酸素カニューレだった。」
小説の地の文は、「一人称で登場人物視点」と「三人称で登場人物視点」と「三人称で神視点」のおおよそ3パターンがあるかと思うが、この本の翻訳の場合、「三人称で登場人物視点」と「三人称で神視点」が混ざってしまっていて、読者を混乱させているように思う。
ほかにも、読んでいて思わず蹴つまずいた表現がたくさんあって、多分私はこの翻訳者さんとは感覚的なところで、日本語の表現にズレがあるんだろうなぁ。こうなると、ストーリーに入り込めないので辛い読書になる。
ついでにいうと、やけに滑らかに(普通に)読めるパートと、いちいち引っかかってしまうパートがある謎。
物語の小道具 ビートルスのアルバム |
さて、謎といえば、この話に出てくるドイツの捜査当局の階級が謎だ。
ヒロインのニナ・バルバロは登場人物一覧によると、「州刑事庁第六機動部隊(テロ対策部隊)」の副隊長。そして、一緒に捜査に当たっているフランツ・ベックが大佐。日本と違って、警察組織の階級名称が軍隊の階級名称と同じ国はたくさんあるが、「大佐」はどう考えてもかなりな高級将校もしくは高級官僚だ。それにしては、捜査陣の中での立ち位置が微妙なのだ。考えられるのは、軍の治安維持部隊からの出向とか?
ちょっとドイツの警察機構についてググってみた。
うん。よくわからない♪
ついでに、ヘロイン中毒の前歴があり、マフィアの眷属を父にもつ移民の女性が、警察機構に入り、昇進していけるものなのだろうか?というのも謎といえば謎。
さてストーリーについてだが。「ウォルラス計画」の根本的な疑問として、記憶も知識も白紙に近い子どもを使って暗殺者に仕立てるのなら、そのように育てれば良いわけで、あえて催眠術で、しかも何十年もかけて、二重人格のように仕立てる意味が薄くないか?しかも、催眠術下で殺害したとはいえ、誰に命令されて人を殺した、という自覚は本人にあるので、秘密保持の足しにもなっていない。また、そこまで手をかけて、子どもを各国の一般市民として育てるのであれば、その子どもの養父母が各国に潜入している工作員だというのは、なんというか、危機管理上マズくはないか? 4人の子どもに4人の工作員、作戦管理者、そして心理学者が関わりソ連、東ドイツ、統一ドイツ、ロシア、と社会情勢の変化をモノともせず何十年も継続する計画として金も手間暇もかける意味がいま一つよくわからない。
なんというか、壮大に費用対効果のバランスがおかしいような気がする。
そして、ストーリーの途中でベック大佐が消失するし。イタリア靴マニア、ゾクラトの様な男がユーリに重宝されているというありえなさ。ひょっとしてもしかして、ここはクスリと笑うところなのか? そもそも、ウォルラス計画が何を意図して発動したのかが良く分からない、というもどかしさ。30年前の恋愛をぐずぐず引きずっている元スパイの自責の念、というか未練にぐだぐだとつきあわされる苦行。14歳までにコカイン中毒と売春でできあがっていた移民の少女が、さくっと立ち直って警察機構をのし上がっている不自然さ。いやあ、これほど膚に合わない小説も珍しいのに、最後まで読んでしまったのは、ベルリンの壁崩壊時の混乱、とか、そのときそこに居合わせたある「KGB将校(実在!)」とか、組織の崩壊を目の当たりにして組織の金を横領して逃亡したスパイ、とかの着想や素材はかなり面白いからなんだよね。ラストもそれなりに味わいがある。それに登場人物がなかなかのキャラ立ち具合もよい。著者および訳者の力量不足がなんとも勿体ない、というか荒削りにもほどがある、と思わされる出来の小説でした。これは、今後の鍛錬を期待すべきかな。訳の出来については、もうちょっと担当さんに査読をがんばってほしい。これでも本買って応援してるので、がんばれ〜!!!
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