2024年12月12日木曜日

0523 ヴェネツィアの陰の末裔 (創元推理文庫)

書 名 「ヴェネツィアの陰の末裔」
著 者 
上田 朔也 
出 版 東京創元社 2022年4月
文 庫 444ページ
初 読 2024年12月11日
ISBN-10 4488554067
ISBN-13 978-4488554064
読書メーター 
https://bookmeter.com/reviews/124722918

 第5回創元ファンタジイ新人賞佳作。この回は受賞作はなく、この作品が最高位。なお、この賞は2020年の第5回をもって現在は休止中。著者は上田朔也さん。巻末の参考文献の量たるや、さすがの英才と思わされる。
 創元推理文庫は文庫本の中でも今だに活字が小さく、この厚さはけっこう読み応えがある。膨大な歴史知識に虚実を混ぜ合わせて、とても興味深い世界観を構築している。熱量もあって、面白かった。・・・・と、書きたいところだが、「面白くなったはずなのに!」という思いが強い。
 
 作品冒頭は、力が入りすぎているのか、形容詞が過剰で装飾過美でかえってイメージが散らかる。たとえば「自分の人生は夢の上に築かれた砂の城だ。」という一文。夢の城と砂の城のイメージがちゃんぽんだ。ここでの「砂の城」は砂上の楼閣か、それとも波打ち際に作られた砂の城だろうか? 「夢」という非現実のはかなさと、「砂の城」という物質的なはかなさは異質なもので、一緒くたにするとイメージが頭の中でハレーションを起こす。
 また、「日焼けした精悍な容貌」という形容が「見開かれた鳶色の瞳に生気はなく」すでに死んでいる人物に用いられている点。「精悍な」という言葉はその人物の精神力や気力や気迫を伴う様を表すものなので、生気がない死体の形容に用いる表現じゃないと思うのだ。「かつては精悍であったろうその容貌が」今は「生気なく」というような表現であったならばよかったのに。
 同じ形容や表現を繰り返し、無造作に配置するところなど、もっと推敲されたらずっと良くなるだろうに、と残念なところが散見される。また、三人称の文体だが、視点の乱れもやや気になる。きっと書いている当人にはあまり違和感がないのだろうな。とにかく言葉の扱いが雑に思われるのだ。本当に勿体ない。

 ストーリーに関しては、話の流れの中で、証拠や事実を掴んで、それを主人公が解釈して(断定して)、次の行動につなげる、って展開で肝心の「解釈・理解・断定」の部分にええ、それでいいの?と納得いかない場面がけっこうある。それ、その解釈でいいのか?と引っかかってしまうので、スムーズに読み進められない。そこは力技で、読者をねじ伏せるだけの勢いがあれば、ファンタジーやSFなら何とかなったりするものだけど、そこまでの勢いはまだない。
 広場の隅にいる魔術師のかすかな魔術の気配すら感じとれるって設定なのに、強力な魔術師が中にいる屋敷に忍びこむのに魔術を使うのか? とか。「慎重なやつね」「痕跡はなし。徹底している」って広い屋敷の捜索を始めてたった一部屋目に敵の痕跡がないからって、そのセリフはおかしくないか?とか。
 「万事窮す」「完膚なきまでの敗北」 その原因となる行動が浅慮なので、重厚な言葉が上滑りしている。
 こんな場面にこんな表現あったよね、というような表現がほんとうに無造作に用いられるところも雑に感じられる。文章力がないのではない。実力不足な書き手ではないだろう、と思えるからこそ、いっそう残念だ。

 登場人物の造詣は悪くないとおもうのだ。主人公、セラフィーニ、ド・ベルトラン、黒衣の女魔術師ナクシディル、脇を固める仲間やオジさんたちもそれぞれに個性と魅力がある。ちょっと漫画っぽい感じはするが。だがしかし、表現の選択がチープだ。「こういうシーン」でいつか誰かが書いたような描写が安直に選択される。それが、実際には情景や場面にそぐわない。読んでいていちいち細かく引っかかってしまうので、最後まで物語に没入できない。

 たとえば、主人公ベネデットの形容で「無造作に流した金髪が」という表現が5,6箇所くらい出てくる。他にも色々と表現のしようがあるだろうに。

 そっと女神が吐息を吹きかけるように、繊細な刃で、薄い皮膚の先の動脈や腱や関節に触れるだけでいい」
 「それが、新しい呪文だと?」ようやく途切れた饒舌の合間に、ベネデットが訊く。
 「ええ、〝女神の吐息〟です」
 新技にせっかく素敵な名前を付けているのに、同じ言葉を直前のセリフの中で使ってしまってるために、「ええ、女神の吐息です」と言った瞬間に湧き起こる二番煎じ感。

「陶酔感に包まれる」という表現を、魔法を発動する度に乱用。

「完璧だ」という言葉を登場人物がしばしば使う。しかもぜんぜん完璧ではないシーンだと思うのだ。

「俺を殺せ」とか、「卑怯者が」とか、「堂々と戦いなさい」とか、中二病に侵されているような恥ずかしいセリフがクライマックスにちりばめられていて、ああ・・・・
 ずっと握りしめていた、金属と石の指輪は、手の中で人肌に温まるので、ひんやりしていることはないはずだ。
 3階の窓を破って地上に落ちたろうそくの火は、落下の勢いで消えるのではないかと思う。こういう細かいところの違和感が読んでいると積み重なってくる。

 ところで、母が祖先から受け継いだ指輪を鍵として、地下室の秘密扉は造られたのだろうか?
 物語の核となるウェルギリウスの呪文書の秘匿については、どうにも破綻しているように思う。
 ナクシディルが対の指輪を持っていることを、セラフィーニが知らなかったとしても、その地下室に敵が侵入し、テオバルドとベネデットの母が殺され、ベネデットが傷付けられたことは判っているだろうに、その場所を魔術書の保管場所として使い続けるものだろうか?
 呪文書はいつ、女の手に渡ったのか? 精巧な写本を造るだけの時間があったのか?
 なぜ、その地下室のある大事な屋敷が女とベルトランのアジトとして利用されたのか? 大事な秘密のある屋敷なら、密かにセラフィーニが所有権を確保しておくものではないのか?なんで、宿敵色事師が利用しているのだろう?
 そもそも、魔術を使う母がそばにいながら、やすやすとベネデットが傷付けられてしまった流れも違和感がある。
 ベネデッドが怪我を負い、記憶を失う事件があったのが11才のとき、そして2年後の13才の時には魔力を発現して、学院に戻ってた。セラフィーニが政治の裏も表も掌握して実力者にのし上がるには、少々時間が足りなくないだろうか?

 設定や世界観は面白いし、著者の力量も感じられるので、いろいろと勿体ないと感じてしまうのだ。だから、辛口の批判は研鑽を大いに期待しているから、ということにしておきたい。きっと「佳作」だったっていうのもそういうことだろうと思っている。なにしろこれが処女作なのだ。大型新人であるのは間違いのないところ。次作の『ダ・ヴィンチの翼』に大いに期待する。

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