2024年8月11日日曜日

介護日記的な・・・その9 災害時の策はない。あと、なぜコメが無いんだ???



 この画像はネットで拾ったものだが、昨日8月10日の土曜日、母の家の最寄りのイトーヨーカドーも同様の案内が張り出されていた。お米は1家族1点まで。だが、その時点で、売り場は空で、一点どころかなにも無かった。そういえば、自宅の方もコメの備蓄を切らしている。(玄米はまだ数キロあるな。)
 いやしかし、これは困る。だがつとめて冷静に考えるに、母の食事用に今週の分はもう炊いたし、たぶん来週焚く分もある。最悪、2週間後までにお米が手に入れば、ぎりぎり間に合うはず。だが、2週間後にお米は手に入るのだろうか?
 とりあえず、Amazonに自宅用5キロ入りと、母用2キロ入りを注文したが、これ、本当に届くのか?
 Amazonの場合、待てど暮らせど届かず、そのうち欠品で注文取消しなんてこともあり得る。

 南海トラフ地震情報の後は、米騒動か? 私が気付くのが遅いだけで米騒動は少し前からだったのか。

 認知症高齢者の生活は本当に脆いな、としみじみ感じてしまった。

 そもそも、南海トラフの臨時地震情報が出たあと、金曜日に伊豆半島で規模の大きな地震があったので、さすがに私も心配になった。
 地震の15分くらいあとに母に電話をかけたが、母は地震が起きたことは覚えていなかった。だが、「不安な気持ち」は残っていたようで、どうにも挙動が不審である。不穏な気分をうまく言語化できないため、あわあわおろおろしている。

 母の家に向かいながら、つらつらと考えた。 
 
 地震が起きたら。水が止まったら。電気が止まったら。

 それだけで、母の生活は瓦解するんだな、と改めて気付いた。
 これまで、母の日常生活を維持することに腐心していて、あまり、災害時の対応のことを考えていなかった。
 第一、母の家はマンションの10階である。
 エレベーターが止まったら、母はおろか、膝の調子がイマイチな私だって、階段での昇降は困難を極める。母を地上に降ろすのも難しいし、水を運び上げるなんて絶対に無理だ。
 とりあえず、水、非常食、災害用トイレ、ランタン、電池。これくらいは最低限母の家に置いておかなければ。
 
 大体、母の毎日の食事は冷蔵庫頼みだ。電気が止まったら。冷房が止まったら。そして、「その時」に私がいなかったらどうなる?

 電車は間違いなく止まるよな。東日本大震災の時には、当日夜には電車は復旧したが、次はどうだろう。歩いて母の家まで行けるだろうか。あれだ、私は帰宅困難者にはならないと思っていたが、母の家に向かう場合には、間違いなく帰宅困難者と同じ行動を取ることになる。
 距離的には、なんとかなるかもしれないが、間に多摩川があるから、橋が通行できなくなったらアウトだな?

 自分が、行動するための装備も再度確認が必要だ。(以前は、職場に非常持ち出し袋を置いていたが、数回の人事異動を経て、現在は自宅に置いてあるから、もう一度、職場に持ち込まねばならない。装備の内容としては、自宅に帰るというよりは職場から母の家に直行することが前提になるか。持ち物の見直しも必要だな。)いやはや。

 そもそも首都圏で大地震が起きたら、私は職場に非常参集がかかるのだ。自宅で被災したら、「職場に行かない」という選択肢も最悪アリだが、職場で被災したら離脱は出来ない。自分の家に帰れるかすら判らない。

 もろもろ、考えて、どうにも手がないことは理解した。
 災害備蓄品を置いておいたところで、母にはそれを使うことは出来ない。(それでもないよりはマシなので、備蓄は置くことにする。)
 おそらく地元の自治会の助け合いや、近所の人や、包括支援センターの支援を当てにするしかないだろう。デイサービスに行ってる間であれば、迎えにいくまでそのままデイに置いてもらえるだろうから、むしろその方が遙かに安心だ。

 考えすぎても仕方ない。まずは、災害を生き残ること。その後は周りと助け合いながら生き抜くしかないのだし。

 そのために、自分と家族がある程度サバイバルでき、なんなら周りの人にも少しは助けになる程度の備蓄と心構え。

 母の事は、それこそ、なるようにしかならん。「その時」にそばにいればもちろんあれこれできるし、駆けつけられるものなら駆けつける。それが出来なかったら地域の助けに頼るしかない。
 
 きちんと準備しておき、いざというときにパニックにならないように心構えする。

 だれにとっても、出来ることはそのくらいしかない。

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