2025年7月31日木曜日

0561 幻影の都市(ハヤカワSF文庫版)

書 名 「幻影の都市」
原 題 「CITY OF ILLUSIONS」1967年
著 者 アーシュラ・K・ル=グウィン    
翻訳者 山田 和子    
出 版 早川書房 1990年4月
文 庫 313ページ
初 読 2025年7月31日
ISBN-10 4150108668
ISBN-13 978-4150108663
読書メーター  

  表紙の絵が怖いのだ。白目に見えるんだよね。実際には、猫目の光彩が描き込んであって、金色の目なんだけど、小さな画像になると、金色の濃淡でうっすらと描かれた光彩が見えないのだ。
 あと、なんだかねえ。訳者後書きが死ぬほどつまらない。貴方様のSF論を読みたいわけではないのだ。観念的で、なにか意味のあることが語られてるのかを理解できないのは、私の頭が悪いからなんだろうか? なんというか、70年代の匂いが紛紛とする。「主義」とか「思想」とかの匂いがしてくる。(出版されたのは90年なんだけどね。)まあ、自分自身も文章で語ってしまったりしがちなので、あまり人のことを批判できないとは思うのだけど、ただ訳すだけじゃダメだったのか? 似たようなことは、ル=グウィン自身にも思ったりはする。ただ、書くだけじゃダメだったのか?と。作家なんだから、作品で語ればいいじゃないか。なぜ、解説したがるんだ。 ましてや、翻訳者の思い込みの強い蘊蓄なんて、本当にいらんわ。翻訳の苦労話ならいくらでも読めるのだけど。
 
 まあ、それはさておき。

 ル=グウィンは、どの作品でも主人公が大陸や原生林の中を旅をする。大いなるワンパタなんだ、と思い始めた。ゲドも旅をしたし、これまで読んだ本、『辺境の惑星』を除いて、とりあえず主人公が孤独な旅をする。作品一つ一つの完成度は高いのだと思うのだが、まとめて読んで食傷した。主人公は男にせよ、女にせよ、いつも淡々としている。とても抑制が効いている。大きく乱れない。とてもストイック。なんとなく息苦しい。
 主人公が旅の中で出会う、刻々と様相を変えていく空や、森林、壮大な大自然の描写は素晴らしいと思うのだ。多分・・・・たぶん、単品で読んだほうがいいのだ。たとえ、ハイニッシュ・ユニバースのシリーズであっても。

 このシリーズの中では、どの惑星も「地球」と呼ばれ、どの星の話なのかは読み進めるまでは判らない。時代の前後関係も、しかとは語られない。この作品は、どこか深宇宙の惑星の話か、と思ってよんでいたら、実は文明が衰退した後の地球、しかも北アメリカ大陸の話だった。科学文明が隆興し、宇宙に植民し、星間戦争ののち、衰退する。人々は、残された文明の残滓に縋りながら、近代以前に後退した文化の中で生活している。
 舞台となる惑星は違えど、似たようなシチュエーションに飽きてきてしまって、読み進めるのがついに苦痛になってしまった。
 前半はグレートジャーニー、後半は『敵』との心理戦。敵であるシングのイメージが前半、中盤、後半でがらりと変わってくるのは面白いとは思ったのだよな。だけどそこまで。前半の旅が冗長だったので、後半の心理戦に重点を置いていたら、また印象が違ったかもしれない。



2025年7月27日日曜日

介護日記的な・・・その20 部屋の片付け、テレワーク準備、仕事の片付け・・・・が出来るのか!?

 さて。不要品処分のその後である。
 土曜日に、地域の行政サービスで粗大ゴミ出しの予約をしてあったのは前述のとおり。
 結局、壊れた電子レンジ(けっこうデカい)、そこそこのサイズの手作り本棚(昔、手塚治虫全集300冊を納めていた。)、インクジェットプリンター2台、壊れた昭和の扇風機、大型ガラス水槽、AVラック、扉のはずれたテレビ台・・・・を排出。
 母に見とがめられると多分トラブルになるので、深夜、母が寝ている間に、そーっと搬出。母は寝付きが良く、寝ると朝まで起きないことがほとんどなのだが、それにしても(やったことないけど)空き巣に入ったくらいには慎重に、静かに、あくまでも静かに、物置と化している部屋から運び出した。・・・・私一人で。

 結果、ゴミ出しには成功し、翌朝、粗大ゴミはこれまた静かに回収されていった。

 怖れていた母の反応といえば、物置部屋の室内の変化には気付かず。

 以前なら、あら、お前片付けした?くらいの反応はあったと思うのだが、これだけの変化をスルーしちゃうくらいには、認知症が悪化しているのを再確認した。

 そして、同日午前、メルカリで購入した中古の(アンティーク、とも言えるか。)仕事机が届いたので、こちらは私が今使っている寝室兼タンス部屋に搬入。
 別途自宅からクロネコさんに運んでもらっていた23インチのモニターやデスクライトを配置して、在宅ワークが可能な体制を作った。(Wi-Fiの受信状況が極めて悪く、まだテレワーク可能な状態までには至っていない。)

 さて、こちらの変化については、母の反応は、
 1回目(搬入中)「これ、どうしたの?」→「私が運送頼んで自分の家から持ってきてもらったのよ。ここで仕事できるように」
 2回目(設置後)「これ、お前がもって来たの?」→「そうだよ〜。前に、相談したら、『部屋空いてるから、好きにして良いわよ〜』って言ってくれたよ?忘れた?」(これは事実だ)→「忘れたけど、そう言いそうダワね」
 3回目(午後) 「これ、前からウチにあったかしら?」→「(メンドクサイから)あったよ〜」
 4回目(同日午後)「これ、前からこの辺に置いてあったわよね?」→「そうだよ〜」

 結果、机は以前から家にあったこととなり、中古でそこそこ使用感があったことも幸いし、すでにもう20年も家に置いてあったんでは?くらいの馴染みっぷりで、寝室の一角にとっても昭和レトロな空間が完成した。母に受け入れてもらえて良かった。置いた机が、私の想像以上に和室に馴染んで良い雰囲気になったもので、母も気に入ったらしく、これ良いわね〜、と何故か部屋に居座るようになったのはご愛敬。

 物置部屋に置いてあったプリント化粧合板製の本棚を脇に設置し、こちらも自宅から宅急便で運んでもらった、ボッシュシリーズその他の、読みたい本を並べた。ついでに、あの分厚くて重たい筑摩世界文学全集を読むための書見台も持ち込み。

 母の介護にかこつけて、テレワーク準備と言い訳しながら、かねてから欲しかった読書机を買っちゃった背徳感を感じつつ、前日からの、もっといえばその2週間前からのオーバーワークで疲労困憊し、頭痛が治まらない日曜日の夜・・・・。これ、過労で脳血管がぷつっといかないように、ホント注意しないと。

 あとは、8月2週から、無事に介護休暇に入れるのか、(事前相談はしているものの)介護休暇の正式な申請、引継書の作成、母のショートステイのお試し決行、新たなケアマネさんとの契約、ケアプランの見直し、一度は断念したホームヘルパーの再導入を試みるかどうか、現在待機している認知症高齢者グループホーム以外に、もっと良い選択枝は無いのか相談してみること。やることは今だ山積している。
 母は、食事の準備ができないことを除けば、穏やかに落ち着いているし、そこそこ会話でのコミュニケーションも出来るし、週末一緒にすごしていると、施設入所、という選択に迷いが生じる瞬間がある。だけど、一人でご飯は食べれないんだよな〜。やはり独居は限界。これ以上母が体力を落とす前に、やはりなんとかしないといけないのだ。

2025年7月23日水曜日

介護日記的な・・・その19 不要品処分


 直前の書込みで、母は冷蔵庫のポカリを飲めるのか、との疑念を書いたが。
 なんと、飲めたようだ。飲み途中だったペットボトルが一本空いている。やれ、よかった。ポカリのボトルは飲み物として認知されたらしい。とはいえ、脱水状態が改善するほど、きちんと飲めている訳ではない。 

 母宅の電子レンジが壊れた話は、以前にした。
 で、新しい電子レンジを購入したので、古いのは処分しなければならない。

 母宅の、昔私の子供部屋だった部屋は、現在書庫兼納戸・・・というかただの物置になっていて、いろいろと不要品が置いてある。まあ、この部屋があるから、母の生活スペースは片付いている、といえなくもない。

 電子レンジを粗大ゴミに出すにあたって、ついでにこの部屋の不要物と、トランクルームにおいてある不要品も出すことにした。

 電子レンジ、文庫本用の本棚、テレビ台、大昔に父が手作りしたレコードラック兼テレビ台、プリンター2台、壊れた扇風機、大型ガラス水槽など・・・・

 問題は、母に気付かれずに家から搬出することだな。決行は土曜日未明。母が寝ている間に。静かに。あくまでも静かに。

 母は、無くなってしまえば多分忘れてくれる。

 しかし、処分するところを見られると、私のモノを勝手に!と怒るかもしれない。

 そう、母は片付け魔だが、私もそうなのだ。しかも、母は取っておく性向が強いが、私は捨てたがりなのだ。

 毎回、母宅にいって、あーーー、これ捨てたいな、と思うのをガマンするのも結構ストレスで。すこしづつ、いろんな不要品を捨てている。さすがに3年ともなると、いろいろと少しずつ、物置化した部屋の中が片付いてきて、私は嬉しい。今回の粗大ゴミ出しで、だいぶすっきりする予定だ。
 その上で、私の仕事机を搬入の予定。上手くいきますように。

2025年7月21日月曜日

介護日記的な・・・その18 介護とワクワク?

 もうだいぶ前のことになるが、リビングのごみ箱・・・紙くず入れに、大量の固まったトイレットペーパー・・・・なにかに使って、円筒型状のものに詰め込んだあと、引っ張り出して捨ててた・・・・ような半分ほぐれかけたトイレットペーパー屑、を発見して、一体これはなんだろう、と首をかしげたことがあった。で、一昨日その答えが明白になった。

 トイレに置いてある円筒型のサニタリーボックスの中を何の気なしに改めたところ、ぎっしり。何かに使用済みのトイレットペーパーが出て来たのだ。まさにコレ。

 ————あ————つまりだ。
 母は、たぶん、もうだいぶ前から、使用済みトイレットペーパーをトイレに流していなかったのだ。全部、サニタリーボックスに「捨てて」いた。そしてそれが一杯になったので、リビングのごみ箱に空けた、と。

 ネットにお伺いしてみると、認知症あるあるらしい。

 多分、昭和の頃の脆弱な給排水衛生設備で育った世代は、「詰まらせてはいけない」と思うんだろう。

 なんにせよ、謎がほどけて、困惑が残った。
 こうやって、ひそかに「ヘン」なところはじつは沢山あるんだろうな〜。

 母は、もう短期記憶が1分くらいしか保たなくなっている。言葉の理解も覚束なくなってきた。
 それでも大崩れしない、確固とした生活習慣が身についているっていうのは、それはそれで凄いことだと思う。でもこんな感じでいろいろと綻びが、目立ってきた。

 ここ1ヶ月くらいは、自分でご飯を食べるのが難しくなった。咀嚼も嚥下もできるが、冷蔵庫からご飯はともかく、おかずを取り出して食べる、ということができなくなった。冷蔵庫にいれてあるお惣菜を手にとっても、しばし眺めたあと、また冷蔵庫に戻してしまう。
 小鉢にいれて、「食べてください」と付箋を貼って、冷蔵庫に入れておいたが、母は、「いつからここにあるのかしら」「古くなってるし気持ちわるい」とかいって、捨ててしまったりする。

 結果、先週末の受診では、顔色の悪さと脱水気味を指摘され、「糖尿病がなければ、ポカリ飲ませて」との指示を頂いた。
 500mlのペットボトルを2本買って帰って、とりあえずコップ一杯は飲ませたが、冷蔵庫に入っているものを本人が自分で飲む可能性は皆無に近い。

 人の手が入らなければもう、生活の維持は無理だろう。

 8月から介護休暇を取るか、ひとまずテレワークと出勤と介護休暇を織り交ぜるか。
 
 自分の自宅のこともあるから、母の家に行きっぱなしもできない。特養のショートステイも入れて、その間は自宅に戻るにしても・・・・ううむ。

 ひとまずこの際なので、母の家に私の机を入れてモニターも設置し、テレワークができる体制は作ることにした。(お願いだから、いじらないで壊さないで、コード抜かないで、と願う。)

 で・・・・冒頭のタイトルである。

 事態はそれなりに深刻で、私は家庭生活上も、職業生活上も大幅な変更を余儀なくされているのだが、なんだか、単純にワクワクしていたりもする。なんなら、隙間時間にどの本を読もう、なんて本の選定まで始めている。とにかく、10年以上・・・・ずーーーと、それはそれは多忙な職場を渡りあるき、残業上等、なんなら午前様も当たり前な生活を続けてきた。ここに至って、ある意味、母のために止むなく、ではあるにせよ、「仕事を減らす」事態に心の半分くらいがなんだか歓喜しているみたいな気がするのだ。
 残りの半分は、手離さざるを得ない仕事への気がかりとか、仕事を休んでしまって果たして私は復帰できるのか、という不安や、これでもし、戻れずに離職してしまったら自分の老後は果たして成り立つのか、とか、母の介護そのものへの不安とか、母への献身(?)に、自分の欲求を織り交ぜることへの罪悪感とか・・・・(たとえば、母宅で在宅ワークするため、というのを口実に、ずーーーーっと欲しかったデスクを購入しちゃう、とか(爆)
 重くて引きずり歩くのが億劫な掃除機の代わりに、自分の自宅でも使っているスティック型の軽快な掃除機をAmazonでポチる、とか。

 でもまあ、介護は、生活だ。
 滅私奉公である必要はないんじゃないかな。大変なだけでなく楽しいこともあったほうが良いし、私の精神衛生が良いほうが、絶対に母にも良いはずだ。買い物一つでワクワクできるんならそれはそれで・・・・

 そんなわけで、介護生活の新たな局面に、きっと大変なこともあるだろう、という理性の声を頭の隅に掃き寄せて、なんだかワクワクが止まらなくもある。

2025年7月6日日曜日

介護日記的な・・・その17 電子レンジも壊れた


 さて、全体的には、前回と同じような内容ではあるのだけど。

 先週、母宅に行ったときに、電子レンジの電源が入らなくなった。
 結構古いものであるので、来るべきときが来たか、という感じではあった。幸い、電源を抜き差ししたり、扉を開け閉めしたり、押したり引いたりしているうちに、接触が回復したのか、また使えるようになった。

 だがしかし、「来るべき時に備えよ」という神の声に感じたりもしたのだ。

 なにしろ、母が今現在できるのは、ガスでお湯を沸かすことと、電子レンジで「チン」することだけ。この二つで、母の自宅での食卓は成立している。
 電子レンジが使えるかどうか、は、母が在宅生活を続けられるかどうか、とほぼ同義なのだ。

 母の在宅介護について、施設入所に舵を切るタイミングとして想定していたいくつかのポイントがある。
① 徘徊が始まり、迷子になる
② コロナやインフルエンザで入院を余儀なくされる、からの退院先としての高齢者施設入所
③ 足の痛みが再発して、ADLが落ち、在宅一人暮らしが困難になる
④ その他、認知機能が落ちて、目が離せなくなる
⑤ 電子レンジが壊れて、自宅での食事が困難になる

 先頃からの、なんだか食事が出来なくなる。なんなら「食事だけ」出来なくなる。というのは若干想定外ではあったが、時同じくして、電子レンジがお亡くなりになる、というのは・・・・やっぱり神様に、真剣に先を考えろ、と言われているのだろうか・・・・・?
(私は無宗教なんだが・・・・)

 とはいえ、特養も、認知症高齢者グループホームも、入りたいと思ってすぐに入れる施設ではない。何事も準備が肝心。ひとまず、えいやっとグループホームの見学に行ってきた。
(炎天下に外出したせいで、帰宅後、かるい熱中症気味。頭痛薬と塩タブレットとポカリで回復。)

 しかし、正直、どうなんだろうなあ、とは思う。

 是非!是非ここに入れてください!! とまでは思わなかった、というのが素直な感想。
 なんというか、全体的に雑然としている。いろんなものが、置いてあったり、壁に貼ってあったり。
 うちの母は片付け魔なので、家の中はそれはもうキレイなのだ。
 母はこの施設で落ち着けるだろうか? それが一番心配だ。

 ただ、スタッフが穏やかで、入所しているおばあちゃん方もみんな落ち着いていて、にこやかだった。多分、人員が充足していて、職員があたふた・イライラしていない。運営が良い証拠だ。いずれにせよ、申し込みしてもすぐに入れる訳ではないので、待機で順番が回ってくるまでに、母の在宅生活がどのように推移するかも、見ていかなければならない。

 で、電子レンジの話に戻るのだが、今週末、突然夕食の支度時に、またウンともスンとも言わなくなった。冷蔵のご飯を温めることができなくなったので、仕方なく、小鍋にいれて少量のお湯で軽く煮る。お粥まではいかず、むしろ湯切りした「湯漬け」っぽい仕上がりになったが、ひとまず温かいご飯にはなった。もはやこれまで、と夕食後に最寄りの家電量販店に購入に走った。単機能レンジで、見かけ(とくに「あたためスタート」ボタンの位置とデザインが、現在使っているものと似ているものを探した。下調べは先週してあったので、あとは決断するだけだった。

 私は車は持っていない。ペーパードライバー歴30年超の大ベテランだ。

 ので、がらがら引っ張る折りたたみキャリーを持って、バス移動。行きは良いが、帰りはレンジの大箱もってバスに乗るんかい?と自問自答しながら、だめなら帰りはタクシーだ!(だがしかし、流しのタクシーが掴まるとは思えない立地。GOアプリは使えるんだろうか・・・? などと思っていたら、バスを降りたと当時にゲリラ豪雨襲来。いったい、なんのお試しなんだか。

 そんなこんなで、苦労して早急に入手した電子レンジを、本日朝、台所に設置。
 幸いにして、母は、扉を開けることは出来た。あたためスタートボタンは、押せるか?・・・・ひとまず声かけすれば押せた。これは何とかなるかもしれない。
 母が一人で使えるかどうかは、これから数日見守る所存。

 電子レンジが壊れたのが、夏で良かったのかもしれない。

 とりあえずレンジであたためなくても、母は冷蔵庫のバナナ、ミカン、パイン、蒸しケーキを食べることができるし、牛乳も温めずに飲める時期ではあるので。ついでに言うなら、日中はデイサービスで、バランスのとれた食事とおやつも頂いているので。

2025年7月2日水曜日

2025年6月の読書メーター

 引き続き、ル=グウィン月間継続中ではあったものの。『幻影の都市』を読了する前に6月が終わるなり。本命の『西の果ての年代記』3冊と『闇の左手』までは、少なくとも読みたい。だがしかし、ル=グウィンの淡々とした語り口と、どっちかってーと起伏の少ない作風に読み疲れてきたのも事実。なんていうか、とても刺激が少ない。ちょっと、どぎついのに読み慣れすぎちゃったかな?
 さらにル=グウィンと作風が似てるよな、と思って手を出した萩尾望都にハマり、人生何回目かのブーム再来となる。正直ル=グウィンよりも萩尾望都の方がストーリーテラーの才能がある、と思う今日この頃でもある。萩尾望都の作品を探す過程で、ついうっかり秋里和国なんかも発見してしまったり、気にいっていたBLが書籍化されたので再購入したり、そんなことしてるから、Amazonから積極的にBL本を薦められるようになっちゃって、別のBL本に手をだしたり。
 認知症の母は、大人の階段を上りつつあるので、こちらも要注意。読書だけにうつつを抜かすわけにもいかないが、自宅の書棚が溢れたので、段ボール箱4箱ほど、実家に送付。週に3日も実家に通う状況では、正直どちらに本が置いてあっても大差はない。この際、実家に自分用の書き物机と書棚も置こうかと思っている。なんならモニターも。そろそろ、介護テレワークも検討しないと。というか環境整備しないと。

6月の読書メーター
読んだ本の数:23
読んだページ数:7178
ナイス数:968

辺境の惑星 (ハヤカワ文庫SF)辺境の惑星 (ハヤカワ文庫SF)感想
SF小説のカテゴリーなんだけど「空想科学」の「科学」の部分は薄い。遠未来の正に辺境の惑星。植民したものの忘れ去られ、原始共産制社会から中世くらいのどこかの発達段階の現地民族の文化レベルに同化せざるをえなかった入植者と現住民の文化の衝突。そして氷河期レベルの冬の到来で、もう一つの原住民族の民族大移動に蹂躙される危機の中で、原住民と入植者のコロニーが手を結ぼうとするが。内容はほぼfolklore。ル=グウィンのSFはFF=folklore fantasy?fiction?ってカテゴライズの方が合ってるような。
読了日:06月07日 著者:アーシュラ K ル グィン

獅子帝の宦官長〈完全版〉 (エクレアノベルス)獅子帝の宦官長〈完全版〉 (エクレアノベルス)感想
先日、Kindleアンリミで1巻目を、分冊版で2巻目を読んだこのお話。なんと合本して一冊として紙書籍化されたので、入手した。ちょっと本棚に並べておくのが恥ずかしいんだけど、今更恥じらっても仕方あるまいな。エロが濃い官能小説ながら、やっぱりイルハリムが清純で可愛らしい(とはいえ三十路なんだけど)。〇十年前の昔、"やおい”の黎明期を覗き見した身には、このジャンルも成熟したもんだ、と年寄りっぽい感慨を感じる。
読了日:06月27日 著者:ごいち

捨てられ公爵夫人は、平穏な生活をお望みのようです2捨てられ公爵夫人は、平穏な生活をお望みのようです2感想
「なろう」ですでに通読済みなので、さくっと読了登録。2巻はノーフォーク農法の取り入れの思案からはじまり、メルフィーナ誘拐からの農奴というなの窮民救済、火鉢の導入と冬支度、セルレイネの寄宿、ソーセージとベーコンとハム製造、そして砂糖の製造着手まで。相変わらずマニアックで面白い。そして美味そうです。ブレないメルフィーナにすこしづつ絆されていく公爵様が個人的には密か(でもない)見所。巻末の参考文献も密かな読みどころ。著者さん、よく勉強してるな〜。
読了日:06月22日 著者:カレヤタミエ

竜王の婚姻 竜の頂と導く者 (下) (エクレアノベルス)竜王の婚姻 竜の頂と導く者 (下) (エクレアノベルス)感想
なるほど、あれほどのボリュームの上巻がアンリミであるわけだ。結構なお値段の下巻である。だけど先が気になり読まずにはいられない。とにかくアレコレあって、物語はどんどん、どんどん破局に向かってなだれていく。最愛の男は絶命し、竜王すら死に瀕し、八方塞がるなかでの唯一の望みとなるのは自分の命のみ。死を選ぶことで、世界の命運は繋ぎ止められるかもしれない。主人公が潔すぎる。ファンタジー世界だからこそ可能な、現代社会が惑う様々な社会問題のごった煮の中で、子供を愛し、人を愛する主人公の芯が物語の背骨になって、この無骨な→
読了日:06月22日 著者:佐伊

竜王の婚姻 黄金の獅子と白銀の狼 (上) (エクレアノベルス)竜王の婚姻 黄金の獅子と白銀の狼 (上) (エクレアノベルス)感想
Kindle版をAmazonにオススメされ、アンリミだったので好奇心でクリックしたのが運の尽き?(いやそれは著者に失礼な!)。よくある異世界BLで竜に嫁した不遇な主人公が溺愛される系だろうとの安易な予測を見事に裏切る、超骨太大河だった。本は厚いは、内容は重いわ、先は気になるわで、ついついの駆け足飛ばし読みになってしまった。(これまた著者に失礼な!)。オメガバースとちょっと似た、惹香嚢という発情期に強烈なフェロモンを発する子宮類似器官を持つ人間と獣人王の婚姻に端を発する物語だが、主人公は全然愛されないまま→
読了日:06月22日 著者:佐伊

青のメソポタミア(2)青のメソポタミア(2)感想
連載当時、ところどころは読んでいたのに、ついに通読できなかった『青のメソポタミア』。ふと思い出して検索したら入手できたのでやっと読了。メソポタミア文明に絡めたSF。星間宇宙船のデザインがちょっと楽しい。武器とかのガジェットはごくあっさり。この将校と感情を持たない補佐官の関係って、こう、SFの定番って感じがするけど、好きなものには違いない。
読了日:06月25日 著者:秋里 和国

青のメソポタミア(1)青のメソポタミア(1)
読了日:06月25日 著者:秋里 和国





TOMOI (1) (プチフラワーコミックス)TOMOI (1) (プチフラワーコミックス)感想
1987年初版。およそ40年ぶりの再読か?『眠れる森の美男』のドクター友井は、年上の男と切ない別れの後、本気の恋をする。そしてその恋人を衝撃的な事件で喪ったあとの、アフガニスタン、野戦病院。『神様。もう死んでも良いですか』 さらりとした描きっぷりだけど、トモイの絶望が哀しい。
読了日:06月22日 著者:秋里 和国

眠れる森の美男 (1) (プチフラワーコミックス)眠れる森の美男 (1) (プチフラワーコミックス)感想
再読。1986年初版。懐かしい。間違いなく初版を読んでいた。日本語の別れの言葉を聞かれて「愛していたよ」と教える。「愛していたよ」「愛していたよ」と言い合って別れる。"アメリカのホモの間で奇病が流行している"という、初期のエイズの噂が日本に入ってきてまださほど時間が経っていない頃の作品でもある。こういう時代が確かにあって、今がある、とやや感慨深くもある。ドーナツの穴は真理。そーいや、この作品であった。
読了日:06月21日 著者:秋里 和国

青い鳥 (プチフラワーコミックス)青い鳥 (プチフラワーコミックス)感想
萩尾望都のバレエパレットロマンシリーズ。全部収獲済みと思っていたが、一冊忘れてた。とは言え再読・再入手だった。バレエシリーズの中ではこれが一番好きかも。踊るという一事に傑出ていても、どこか不器用な踊り手達の恋の舞踏。夢のようなバレエの世界がよく似合う。表紙も美しい。おしゃべりじゃないロブが好きだ(笑)空港でぶっ飛んでくる海賊も好き。この目で目撃したい♪自分に向かってぶっ飛んで来てほしいわけでは断じてない。
読了日:06月21日 著者:萩尾 望都

半神 自選短編作品集 萩尾望都Perfect Selection 9 (フラワーコミックススペシャル)半神 自選短編作品集 萩尾望都Perfect Selection 9 (フラワーコミックススペシャル)感想
『イグアナの娘』を再読したくて入手。萩尾望都自選の短編集だけあって、珠玉の短編揃いである。表題作の『半身』『偽王』『天使の擬態』etc.ほとんどはもともと手元にあった萩尾望都作品集の第二期に収録されているが、この本は紙面が大きく、新鮮な気分で読了。とくに今回は『学校に行くクスリ』がとても良かった。イメージの力がスゴイ。親子関係がしんどい作品が多い。こうやって描きながら、少しずつ昇華させていったんだろうな、モトさん。。。。
読了日:06月10日 著者:萩尾望都









バルバラ異界 (4) (フラワーコミックス)バルバラ異界 (4) (フラワーコミックス)感想
一気に読了。・・・・でも感想書けない。まだ脳が溺れてる。ディディールは『銀の三角』に少し似てる?銀の三角では、結び目が解けて夢として実在したものは消滅してしまったけど、バルバラでは夢が実在に転じた?渡会の人類の過去から未来まで包含する無意識界に響き渡る強い願望と、太古の火星の生命から遺伝子の鎖にのって引き継いだ夢に干渉する力が共鳴して、未来を造り変えた?4巻の途中、話がいったんエズレに収束したときに、あれ?こんな?って思ったけど、その後ラストまでの暴走のような怒濤のような巻き返しが凄かった。傑作だと思う。
読了日:06月15日 著者:萩尾望都

バルバラ異界 (3) (フラワーコミックス)バルバラ異界 (3) (フラワーコミックス)感想
3,4巻一気に読んだので、感想などは4巻とブログの方へ書きました。
読了日:06月15日 著者:萩尾望都




バルバラ異界 (2) (フラワーコミックス)バルバラ異界 (2) (フラワーコミックス)感想
更に人物もエピソードも増え、脳内が大氾濫。北海道の研究所も大洪水。渡会さんがバルバラの世界に受け入れられているのが、なんだかすごい。タカはキリヤなのか? 火星はいったいどのように物語に絡むんだろう。スターレッドも読み返さないと。。。
読了日:06月15日 著者:萩尾望都

バルバラ異界 (1) (フラワーコミックス)バルバラ異界 (1) (フラワーコミックス)感想
文庫本で読もうとして、紙面のあまりの情報量の多さに、小さい本で読むのを断念した。あらためて、Kindle版を入手して読んだが、登録は紙本の方で。(いずれ入手するので!!)登場人物の多さと複雑さで脳が溺れそう。ちょっと最初に戻ってメモ作ります。バルバラというキーワードでつながってくる。出だしがあまりにも幸せなメルヘンだったので、その後のスプラッタがきつい。これから先、どう話がまとまっていくのか、想像もつかない。モトさん、凄い話書いてるな。
読了日:06月14日 著者:萩尾望都

メッセージ (小学館文庫 はA 47)メッセージ (小学館文庫 はA 47)感想
Anywhere But Here シリーズ文庫本2冊目。重〜い『メッセージ』3作でスタートするが、浦島舞ちゃんのお話がなかなか良い。この話はヨハネ視点だったらどうなるんだろう? でも一番心にしっとりくるのは小説家生方さんと洋宇子奥様の話。キャピキャピ(死語?)の大学生より年齢的にも移入し易し。良かったのは『夜の河を渡る』小説家宇佐見先生創作の苦悩。イメージの世界が珠玉。そしてラストのシマウマ母子に心を撃ち抜かれた。モトさんの才能を、改めて見た!
読了日:06月11日 著者:萩尾 望都

山へ行く (小学館文庫 はA 46)山へ行く (小学館文庫 はA 46)感想
小説家の生方さんとその周辺のちょっと日常や常識からズレちゃった、不思議で、哀しかったり妖しかったり、複雑怪奇だったりする人間関係についての短編連作です。『山へ行く』ではなく山へ行けない話。羽が生えた親子のパタパタの話。病気で死んでしまったお母さんが忘れられない息子。幼くして亡くなった実弟が忘れられない兄。口にすることはできなかった感情。別れた好いた男、再婚した男女・・・・残された者にも、幸せになれなかった者にも、それぞれの事情はあって。だけど大切な気持ちや人は忘れなくていい。そんな珠玉の話たち。
読了日:06月01日 著者:萩尾 望都

マージナル (3) (小学館文庫 はA 16)マージナル (3) (小学館文庫 はA 16)感想
都市の社会秩序の破壊を目論む砂漠の男たちはキラ、アシジン、グリンジャを巻き込み、滅亡の時を待つ滅びた都市からの巡礼者、超能力者、やむにやまれず関わった者、自ら飛び込んだもの、それぞれの思惑や人生を複雑に絡めとりつつ、事態は破局に向かう。そしてカタルシス。キラの魂は病んだ地球の魂と呼応して、地球の命の復活の兆しとなる。もう一人のキラはこれから命を育んでいくのか。物語は螺旋を描いて、また砂漠の岩屋に戻った。ナースタースとメイヤードの愛は切なく、アシジンはあくまでも単純で健康的。虚無にはなりきれないグリンジャ。
読了日:06月08日 著者:萩尾 望都

マージナル (2) (小学館文庫 はA 15)マージナル (2) (小学館文庫 はA 15)感想
2300年、地球上の水全てが細菌に汚染されて、"D因子”に感染した女性は不妊となり死に絶えた。抗体はY遺伝子に乗り、男性は抵抗力を獲得して生き延びることが可能になったが、地上に女性はいなくなった。”カンパニー”は地球上にドーム都市”センター”を作り、人口受精により作られた子供を市民に供給する。生みの母の象徴として、各都市に一人の”マザ”が置かれ、かくて地球上には一人の母と大勢の息子というミツバチのような社会が半ば自然発生的に、半ば人工的に誕生した。地球上は壮大な生と進化の実験場と化していた。という
読了日:06月08日 著者:萩尾 望都

マージナル (1) (小学館文庫 はA 14)マージナル (1) (小学館文庫 はA 14)感想
かつて、連載を追いかけ、単行本も持っていたのだけど。今回は文庫で再入手。うん。このSFと砂漠の遊牧民族の感じは、ル=グウィンをさらにクオリティを上げたような感じ。1巻目では、西暦2999年ということは判るが、この地球に何が起こって、一人のマザと短命な男だけの世界になっているのかの謎は明かされず。何しろ、絵が繊細で美しい。最初は真っ白だったキラがだんだん、自我を持っていく感じが良い。
読了日:06月03日 著者:萩尾 望都