原 題 「The Black Echo」1992年
著 者 マイクル・コナリー
翻訳者 古沢 嘉通
出 版 扶桑社 1992年10月
初 読 2017/10/31
【コナリー完全制覇計画No.1】 処女作とは思えない玄人っぽい緻密な作り込みが素晴らしい。もっと草臥れた感じの尖った刑事を予想していたが、ボッシュのイメージにブルース・スプリングスティーンを拝借したら、これがなかなか合っている(自画自賛)。読み始める前に期待値を高めすぎていたので、実際読んでみたらそれほど惹かれなかったらどうしよう、シリーズ全部揃え終わってるのに!と警戒していたが、杞憂だった。
自分の周囲の悪意や害意を知りつつもそれに惑わされず、淡々と一人で捜査を進めていく、一匹狼である。
シャーキーの取り調べのシーンが良い。娼婦や非行少年に向ける視線が優しい。
過去の傷、わずかばかりの楽しい記憶、つい愛情を求めてしまう心寂しさ。先に読んだクレイスのコールとどうしても比べてしまうが、二人ともマルホランドの丘陵の、市街を見下ろす丘の上に周囲の豪邸とは似つかわしくない慎ましい家を構えていて、そこに家があることを大切にしている。コールが自分の家を手を掛けて整えているのは、それが子供時代についぞ与えられることのなかった家庭の象徴だからだと思うが、ボッシュにとってもやはり、ホームは憧憬の表れなのだろうと思う。
ハラハラするようなスリルと謎解き、ではなく染みいるようなボッシュの存在感と孤独感が、じつに良い。
「ということは、あなたのことを考え違いしていたのね」
「ドールメイカー事件のことを言っているのならそのとおりだ。きみは俺について考えちがいをしていた」ボッシュはその生い立ちから他人に対する期待値が非常に低い。 それが周囲をイライラさせたり組織から浮く原因なんだけど、人が本質的に孤独であることを知っていて、それを受け入れているが故の彼の「孤独感」は実は一つの理想だと感じるところがある。
自分が見舞われた理不尽を「不正」と感じ、それに私刑を与えることを決意したエレノアは、殺人犯を射殺したボッシュを自分と同類の、自分の中の正義を私刑に託す人間だと考え、もしくはそうであることを願ったのだろう。なぜなら、自分一人きりなのは孤独だから。
彼女は自分の兄の為に憤っていたのではなく、自分の中の兄という偶像を破壊されたことを自分の為に怒っている。そして、ボッシュに対してもまた、自分の偶像を投げかけている。彼女の孤独とボッシュの孤独は、本質的にまったく別物なんだけど、ボッシュはそこに気づけてるかなあ。まだ第1作目だけど、ボッシュ、完全にツボったので、これから二十何年分の彼の人生とおつきあい開始(笑)。
【蛇足ながら】
翻訳のヘンな平仮名には最初ちょっと閉口した。
“蛍光灯をべつにすると”、"雑草の中にたおし”、“なかにはいっていない”・・・・なぜ、ひらがな??と最初しばらく、イラっとしました(笑)