※一読者の勝手な妄想です。ずいぶん前に書き付けたのを発見したので、貼っておきます。
もちろん、人様に見解を押しつけるものではありませんので、よしなにお願いいたします。
◇ 10歳まで母と暮らす
母はハリウッドの路上で客引きをする街娼だった。子供の育成環境としては決して良いものではないが、母は愛情深い人だったようだ。何回か、路上での違法な客引き行為で検挙されており、彼女を弁護したのが当時気鋭の刑事弁護士だったマイクル・ハラーだった。
母とハラーの関係がどのようにして始まったのかは、私が読んでいる時点では不明だが、ボッシュは母にまつわる過去の事件記録などを調べるうちに、この気鋭の弁護士が自分の父であることを確信する。
◇別離
ボッシュが10歳の時、(おそらくは何回目かの母の逮捕がきっかけとなり)母は養育者不適とされて児童裁判所によって息子の監護権を剥奪される。
その後、ハリーは児童養護施設に収容され、母と別れて生活することになってしまうが、母は頻繁に面会に来てくれた。母がハリーを養子に出すことに決して同意しなかったので、ハリーはこの間、里親家庭ではなく施設で生活することになる。この間も、母はハリーの監護権を取り戻すために裁判所に申し立てを行っているが、そのとき代理人を務めていたのもやはり、マイクル・ハラー弁護士だった。
ハリー11歳の時、母はハリウッドの路上で絞殺される。ハリーはこの事を当時の担当刑事から聞かされる。ハリーは刑事や大人達の前では平静を装い、けっして感情を見せなかったが、プールに潜って息が続かなくなるまで泣き叫んだ。哀切なシーンである。
施設への入所はもとより本人が望んだものではなく、ハリーはいつも母と暮らしたいと願っていた。母が亡くなった時、ハリーは子供心にも「自分が側にいれば守ってあげられたのに」と思った。おそらく、自分と母を引き離した大人達を憎んでいたかもしれない。
◇母の死後
母との別離以降のハリーの人生はまさにサバイバルで、自分に関わってくる大人は基本的に信用しない、というスタンスにならざるを得なかっただろう。
母の死後は、養育家庭適正児として様々な里親とのマッチングをされ、3回里親宅に委託されている。そのうち2回は数ヶ月で「合わない」との理由で施設に送り返された。施設にいる間に2回脱走も試みている。そのときには何週間も路上生活をしたあげくに、再度児童養護施設に収容された。
16歳で預けられた3回目の里親家庭では虐待めいたことも体験している。この里親は大リーグのサウスポー投手を育成することを目論んでおり、連日連夜、ボッシュに野球のトレーニングを課したのだ。この里親宅から逃れる為、ベトナム戦争に志願した。
このような生育の過程が、他人を頼らない、信用しない、本心を明かさない、自分のことは自分で何とかする、という孤立した対人関係のスタイルを形作ることになる。しかし、10歳まで愛情豊かな母に可愛がられて育った経験と記憶は、ハリーの情緒を安定させ、彼が生き抜いて行く上で必要な人生の基盤を築いてくれているといえよう。
ハリーが孤独であっても他人に依存せず、独立した状況で生きていけるのは、幼少時に愛情深い母によってそれにふさわしい愛着関係が築かれたことにより、安定した自我の基礎が築かれていたからであり、このことがハリー・ボッシュという希有な一匹狼のキャラクターを形成する重要なファクターとなっている。(と、私は考えている。)
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