2018年6月5日火曜日

0121 差別原論 新書367 (平凡社新書)

書 名 「差別原論」 
著 者 好井 裕明 
出 版 平凡社 2007年4月 
初 読 2018/06/05 

 マーカー引きながら久しぶりの真面目読書。部落差別、性差別、障害者・・・とテーマを変えながら私に内在する「カテゴリー」を問いつつ進む。面白かったのは、第四章の「確認」「糾弾」といった闘争型ではない対話の創造。
 たとえ、相手の考え方が差別で歪んだものであったとしても、人の心をこじ開けるような手法は相手の心に傷も残すし、人は痛みから本能的に遠ざかろうと、自分を守ろうとする。
 そのような痛みを強いず、かつ核心に歩み寄る対話で、より創造的な関係性を構築しようという「営み」に大いに共感する。
 例えば駅前で声高に体制批判を繰り広げる人々。 その思想が如何に正しくても、世の中を振り上げた拳で二分するようなスタンスが自分の性に合わない、と思ってしまうのは、自分が年取って保守化したからなのかと思う今日この頃だったのだが(もっとも、そうやって駅前で活動している方々は大抵が私よりもご高齢だ。)私が「闘争」に対置したかったのは、まさにこのような「対話型啓発」だったのか。

 「軽やか」で「カッコイイ」乙武さんとか、まさに時代が作り上げた他者のイメージに乗せられてる著者にクスリとしつつ、著者が語る「普通」のイメージが内包するものがいかに普通でないか、もっと深く問いたい部分は、著者の本をもっと沢山読んでみるべきなんだろうな、と思う。
 それにしても、某愛がなにかを救う番組を評価する声を周囲で聞いたことがないんだけど、あの番組が「すばらしい!」「感動した!」と思っている人ってやっぱりいるんだよね??
 毎年、今年の司会者は〜、とかランナーが〜とか話題になりはじめる時期からすでにウンザリするのだが。

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