2026年1月1日木曜日

2026謹賀新年 昨年の反省と今年の目標的なこと

 明けましておめでとうございます。


 どうにも、新しい年が来た、という感慨が持てないまま、1月1日が終わろうとしている。
 新年って、こんなに、ぼやーっとはっきりとしないものだったっけ?と頭の中が「?」で一杯だ。
 もちろん、新しい年の訪れになにか変化があったはずもなく、私の感覚が鈍ったというか、貧したというか。単に疲れた、とも言うか。


 昨年は色々とありました。それはもう、言うまでもなく、母のこととか母のこととか母のこととかね。まるまる3年間、通いで母の介護(というか見守りというか、後見というか、家事援助というか。)を行い、母の日常生活が滞りなく進むようにまさに黒子のように動いてきた。それでももはや安全な生活の維持は困難、と見定めて、短期間ではあるが同居に踏み切り(というか自分の家との二重生活だったけど)、グループホームの見学から入居までを進めた。母がGHに入居したあと、家の中を一気に片付けたのは良いが、一週間の過重な労働で右肘が腱鞘炎になった。すでに3ヶ月が経過しているが、まだ完治していない。

 母の家は、私にとっては父の思い出の方が強い。
 ほとんど家から出ること無く父が過ごしてきた居間は、応接セットがボロボロになり、父の大切にしていたオーディオセットはスピーカーのウレタンがぼろぼろに劣化していた。
 母は家の中をいじられるのを嫌がったので、母が居るうちはできなかったが、母の施設入居後、真っ先にやったのが、応接セットの修理と、スピーカーの修理だった。
 それぞれ、一ヶ月ほどで修理先から戻ってきて、室内は父の生前の姿をすこし取り戻した。

 父のスピーカーは、それなりに良いものだったようで、修理から戻ってきてから、父の秘蔵のレコードを掛けてうっとりしている。

 母は認知症高齢者グループホームで落ち着いて過ごしている。たまに面会にいくが、自分の家のことを気にする様子はあるものの、「帰りたい」とは思わないらしい。こんなにもGHの環境に馴染んでくれると、こちらとしてはちょっと拍子抜けするくらいであるが、これも施設が穏やかに生活を支えてくれるからだろうと感謝している。

 もちろん、こうなってもらえるように、入居に当たってはかなり細かいディティールまで作り込んだのだから、頑張った甲斐があった、と思ってもいいんだよな。自画自賛ではあるけれど。

 そんなこんなが2025年だった。

 そうそう、もう一つ。

 母の家・・・ということは私が育った団地なんだが、そこで暮らしてる中学校時代からの友人との交誼が復活した。彼女も自宅でお母様の介護をしていて、お互いに情報交換したり、励まし合ったり、飲んだり喰ったり(笑)、会う時間の無いときにはSNSで他愛のないやり取りをしたり。お互いに、内にこもりがちな介護のあれこれをオープンにしあうっていうのは、必要だと思った。なんかねえ、「私はがんばってるぞ」「頑張ってて偉いねえ」とお互いに言い合うだけでも、荷が軽くなる、というか、許されてる感があるというかね。
 あと、友人と再会・・・・に端を発して、ウイスキーを飲む楽しみを覚えた。これは特記しておかないと。

 そんな2025年だったのだけど、読書の面では、日本産ファンタジーで年が明け、乾石智子氏の作品を読み、そこから、自分のファンタジーの原点と思ってル=グウィンに至ったものの、そこで力尽きた感がある。

 ル=グウィンについては、散々レビューを書いたのでもはやお腹いっぱいではあるが、正直、子供心の憧憬のまま、置いておけばよかったかもなあ、と思わないでもない。

 素晴らしい作家であることには全然異論はないけれど、まとめて読んだら食傷した。なんだかどれも似ている・・・・? 様な気がするんだよなあ。まだ全部は読めていないし、もの凄く楽しみにしていたのに、昨年翻訳が発行されたゲド戦記のシリーズ最終巻「火明かり」は結局読んでいない。もっとも収録されている論文部分については、国立国会図書館からコピーを取り寄せてすでにレビュー済みだけど。

 ル=グウィンの作品はジェンダー論と切っても切り離せないのだ、とは理解したが、結局ジェンダーとは、その人の文化・環境・生育によって人の数だけあって、ル=グウィンのジェンダー観に関しては、それはそれは重いものを感じるとは言っても、それは所詮は「私のものではない」という感じもとても強かった。白人の、アメリカ人の、キリスト教文化圏の、知識人階級の、彼女の生きた時代の、彼女の家庭と生活環境と彼女自身の性格や感じ方に由来する固有のジェンダーであって、私は彼女を理解しようと努めることはできても、まるっと受け取ることはできない。そんな感じだ。そういう、大きな時代的、社会的、構造的なものであっても極めて個人的なものでもあるものを、「ジェンダー論」として取り扱うことの難しさに、この道の研究者はどうやって取り組んでいるんだろう、という別の関心も湧いたが、そこにはまだ突っ込んでいっていない。

 さて翻って、2026年は、どんな目標を立てようか。

 唐突だけど、そろそろ真剣に早期退職を検討したい。とは思うのだ。

 なにしろ、読みたい本が多すぎる。現在、私の読書ペースは多くても年に100冊がいいところ。自分の積ん読だけでも1500冊を越え、父が遺した文学全集まで加えたら、とてもじゃないが、生きているうちに読み切れると思えない。
 母が元気に動き回っていたのは、せいぜいが70代までだった。あと何年読書余命があるか、母がボケるのを目の当たりにしたものだから、そんなことを考えてしまう。

 あちこち痛んできた自分の体のメンテナンスもしたい。健康を維持するための運動もしたい。なにより、ちゃんと食事をして、適切に入浴をして、きちんと睡眠を取って、という当たり前の生活を取り戻したいし、全然できていない英語の勉強もしたい。

 今年読みたい本のリストアップはもうするのはやめた。

 どうせ、その通りには読まん。
 だが、積ん読は減らしたい。なんとしても減らしたい。

 2026年。とりあえず、目指すのは、健康増進と読書。

 ウクライナとパレスチナに平和が訪れ、日本近海で戦争が起きませんように。

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