2024年6月7日金曜日

番外 異国日記(4)〜(11)


(4)朝ちゃん「なんでこんなこともできないの」って禁句だからね、と思った。できない人はできないんだよ。「ふつうのこと」は、言われても傷ついちゃいけない、ってのも強者の、もしくは多数者の傲慢だよな〜。そういう傲慢は、幼かったり、若かったりすることで、周囲から許されるもの。愛されてきたであろう朝の無自覚な傲慢は、ところどころで棘のように痛い。
 そして笠町くん。頑張った。



(5)自分の中の当たり前や常識が砂上の楼閣のように崩れて、残ったのはお腹の中の命だけだったとき、実里さんにはその命を愛することは当然のことだったのか。実里さんは何を日記に書き残そうとしたのかな。
 高校生の頃、学校サボってぶらぶらするのは当たり前だったな。あの当時の形容しがたいやり切れなさは、学校という集団の中ではやり過ごすことができなかったので。幸いだったのは、そういういい加減さが許される学校だったこと。多分生徒たちを、馬鹿なことはしても、愚かなことはしない、と信頼してくれていたんだろうと思う。
 それにしても槙生さんの小説を読んでみたい。俺の竜のエイマールが死んでしまった、なんて、そこだけでも物語が怒涛のように押し寄せてきて泣けそうだ。

(6)「死ぬ気で、殺す気で、書く」「死ぬ気で、打ち、鍛え、研いで、命をかけて殺す」という作業。文章を書く極意を言語化するも、朝には「わかんない」。若いし、未熟だし、未熟だってことは恥ずかしいこと。まさに黒歴史。私はどうにも朝に共感しきれなくて。幼くて、知識も経験も足りないことにある意味あぐらをかく、というか、だから自分は許される、とどこかで思っているところが・・・・・多感なのに鈍感で、言葉を選ばないし、平気で人を傷つけるし。そんな未熟な朝を、きちんと愛する槙生さんがすごいと思うよ。もっとも槙生さんは絶対に「愛する」とは言わないのだが。
 笠町くんと、ジュノさんと、エミリのそれぞれの来訪が、同時並行で描かれていて、きっと槙生さんの頭の中はこんな感じにごちゃごちゃしているんだと思った次第。

(7)朝ちゃんが、すこし大人にちかくなって、世界と噛み合うようになってきたかな。世界と噛み合うとは、朝ちゃんの力が世界に及ぶということ。たとえば十年後の誰かの思い出のように!?
 そういえば、「自分のなりたいものになりなさい」って教育は本当にクソだと思う。自分が何者かもわからん子供に、自分がなりたいものになることが尊いのだ、と教育して、何%が成功して何%が挫折するのか、エビデンスがあるのか? それよりも、自分でメシが喰える人になりなさい。と教えてほしいよ。(と、大いに脱線。)

(8)えみりのカミングアウト。朝の「父親さがし」。数々のインタビューの中で、一番心に残ったのが、笠町くんの「年上の男性はいまだに苦手」。男の人でもそうなるのか、とこれまた男性差別的な視線で恐縮だが、そう思ってしまった。女の子だろうが男の子だろうが、高圧的な父親だったらそうなるよね。思春期の反抗期ごろに親子の関係性を転覆できなければ、そうなる。そして、親に愛されていなくても自分が価値のない人間ではない、という笠町くんの言葉。これは、真実だけど、自分の中で真実になるまでに何回も何回も反芻され、言い聞かされ、それでも頼りなく、自分を支えるものはそれしかないとしても、細く弱く頼りない。あなたはここにあるだけで価値がある、と槙生さんなら怒りながら言ってくれると思うが。

(9)7巻くらいから?判然としないけど、だんだん、構成が朝がもっと大人になってから記憶を辿って書いている日記の体裁になってきた。
そして、「やめる人とやめない人」。同じ文脈で「努力できるひとと努力できない人」という言い方をする人もいる。努力し続けることが才能だ。と。それもまた、一つの真理だけど。私にとっては、「努力し続ける」ことができる能力は、才能というよりは、恩寵、かな。自らに内在するもの、というよりは、自分の意思には無関係に与えられたり、与えられなかったりするもの。私の絵を描く友人はかつて「描き続けることを選択してきた」と。人生のさまざまな選択の場面で、「描くこと」につながる方を常に選択し続けることもまた、力であり才能。

(10)「父親探し」も一区切りついたか、気持ちも生活も受験が多くを占めるようになる高2の後半〜。姉の急死と姪の朝を引き取ることがなければ、きっと変化すこともなく、ただ硬化していっただろう姉との関係も、朝を通じて、槙生の中で変化していくのか。子育てって、自分の思い通りにはならない他者が自分の生活の中にいる、ってことだけでも、人間を成長させると思うなあ。なんとかそういう生活に適応する努力をしている槙生さんもえらいが、「努力」できている時点で、槙生さんの「生きにくさ」とはなんなんだろうなあ、とは思う。仲の良い友人がいて、仕事仲間もいて、子育て仲間もいて、ちゃんとコミュニケートできている。槙生ちゃん、ちゃんとできてるよ。

(11)了。様式美的ではあるが。予定調和的ではあるが。ほんと、こうだい槙生の作品を読みたくなる。

 総じて、自分の学生時代のこと、自分と親のこと、自分の子育てのこと、自分自身のこと、いろいろと思い出し、身につまされた。そういう意味では疲れる読書だった。

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