2025年2月10日月曜日

0539 沈黙の書 (創元推理文庫)

書 名 「沈黙の書」
著 者 乾石 智子    
出 版 東京創元社 2017年7月
文 庫 373ページ
初 読 2025年2月15日
ISBN-10 4488525075
ISBN-13 978-4488525071
読書メーター https://bookmeter.com/reviews/125941006

 きっと私の心が荒んでいるからに違いない。なんというか、最後のほうまで、物語が自分の中にしっくり馴染まなかった、ような気がする。
 寓話的・神話的な部分と、生々しい人間の欲望や戦乱の部分、これがどうしても、一本の綱のように寄りあわないまま終章まで。そもそも物語の中に沢山の「星」が出てくるんだけど、自分の中のイメージがまんま黄色い「🌟彡」になってしまって、自分のイメージ力の貧困さに泣く。八つの星を支えている竜のエピソードなどは特にイメージがメルヘンで、脳内の絵柄が童話絵本みたいになっちゃって、それなのに、全般的に語られるのはそれはそれは赤黒い人間というよりは動物的な残虐さだったりして、読んでいる最中から頭の中がしっちゃかめっちゃかだ(絶望)

 オーリエラントの始まりの書。人々を繋ぐもの、平和の礎となるのものは言葉である、という確固たる思いが伝わる一方で、言葉が相容れない相手は蹂躙するのか、自分の平和を守る為であれば、異民族を駆逐するのは良しとするのか、(攻め込んで来たのは相手方だとしても)そこに流れる血はやむを得ないもの・当然のものとするのか、という別のメッセージも受け取ってしまう物語だった。それが著者が意図したものかどうかはともかくとして。「北の蛮族」とはなんなのだろう? 私にとってはそれが不可解なものとしてわだかまってしまう物語だった。
 たとえば、ジーン・アウルの「大地の子エイラ」シリーズでは、音声言語を持たないネアンデルタール人の氏族の豊かな精神文明が描かれていたのが、いまだに印象に残っている。この物語が寓話的に描かれてはいても、「北の蛮族」にも実りの少ない北の大陸に大きな人口を成せるだけの文化があるはずでは、とか、そもそも他の作品からして北の大地は白夜のツンドラのはずで、そこに農耕が成立しているのか、とかいろいろな疑問が頭を離れなかった。
 (意思疎通できる)言葉を有することが協力や思いやりや平和を築く礎とするならば、「言葉を持たない」ことが異民族を駆逐する理由ともなり、大抵の民族間・部族間闘争は合理化できてしまうのではないか?
 例えば、『沈黙の書』が聖書だったとしたら? というイメージが沸いてしまうのだ。あまねく言葉(=聖書)が布教された「平和な」世界。言葉が通じない異民族は排斥する、っていう一神教的な世界観につながるものを、作品から言外に感じてしまう。物語が喚起する神話的イメージとは別に、勝手に自分の中に想起されるイメージがそんな感じなので、いろいろと折り合いがつかず、だいぶ消化不良気味な読書になったのだった。

 なお、例の黒いヤツはこの本にも登場した。
 ゲルダの館(砦)の情景は、なんとなく邪馬台国を連想。一国の女王だった巫女の館はこんな女の砦だったのかもね、と思ったり。
 なるほど、陸橋や海峡が海になったのはそういう伝承となるのか。巨人、デカいな。小石のくせに(笑)

 で、このオーリエラントのシリーズにはそれぞれ巻頭に地図が付されているのだけど、ついつい、その地形が気になってしまって、やってしまった。こういうの、やり過ぎないほうが良いとは思ってはいるのだが、ガマンできなかった。。。。
 この沈黙の書と、『夜の魔導師』その他の地図の比較。オレンジでマークした地名が同じ「テクド島」や、北の大陸との陸橋、海峡、大きな湾、墜神の湖を指標にして重ねてみたさ。
ちなみに、《沈黙の書》時代の地図は縦横比を少し変えて横に伸ばし、強引に地図を重ねた。

 たとえば、『沈黙の書』の時代が氷河期の直後ぐらいで、海水面が上がったとしたら、こんな感じだろうか。いや、あまり厳密に考えちゃだめだとは思うけど。といいつつ、それだとフォトとかエズキウムの当たりは隆起したことになるので、ううむ。ナランナ海は内陸に入り込んできているから、沈降・・・?まあ、魔導師が落っこちて火山を作ったりもしてるしな。・・・魔導で地殻変動が・・・?  あと、ヒーバは海水面が上がって島になってヒバル島になったのかな?とか想像すると少し楽しい。べつに測量した地図があるわけでもなし、大陸を俯瞰できるのはそれこそ風の魔導師くらいのものだし。細かいところを突き詰めるのは御法度として、とりあえずやってみて、気分的には満足した。
 
 










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