2017年11月30日木曜日

考察ーーーハリー・ボッシュの人物像



《ハリー・ボッシュの来歴から見る人物像》
※一読者の勝手な妄想です。ずいぶん前に書き付けたのを発見したので、貼っておきます。
もちろん、人様に見解を押しつけるものではありませんので、よしなにお願いいたします。

◇ 10歳まで母と暮らす
 母はハリウッドの路上で客引きをする街娼だった。子供の育成環境としては決して良いものではないが、母は愛情深い人だったようだ。何回か、路上での違法な客引き行為で検挙されており、彼女を弁護したのが当時気鋭の刑事弁護士だったマイクル・ハラーだった。
 母とハラーの関係がどのようにして始まったのかは、私が読んでいる時点では不明だが、ボッシュは母にまつわる過去の事件記録などを調べるうちに、この気鋭の弁護士が自分の父であることを確信する。

◇別離
 ボッシュが10歳の時、(おそらくは何回目かの母の逮捕がきっかけとなり)母は養育者不適とされて児童裁判所によって息子の監護権を剥奪される。
 その後、ハリーは児童養護施設に収容され、母と別れて生活することになってしまうが、母は頻繁に面会に来てくれた。母がハリーを養子に出すことに決して同意しなかったので、ハリーはこの間、里親家庭ではなく施設で生活することになる。この間も、母はハリーの監護権を取り戻すために裁判所に申し立てを行っているが、そのとき代理人を務めていたのもやはり、マイクル・ハラー弁護士だった。 
 ハリー11歳の時、母はハリウッドの路上で絞殺される。ハリーはこの事を当時の担当刑事から聞かされる。ハリーは刑事や大人達の前では平静を装い、けっして感情を見せなかったが、プールに潜って息が続かなくなるまで泣き叫んだ。哀切なシーンである。 
 施設への入所はもとより本人が望んだものではなく、ハリーはいつも母と暮らしたいと願っていた。母が亡くなった時、ハリーは子供心にも「自分が側にいれば守ってあげられたのに」と思った。おそらく、自分と母を引き離した大人達を憎んでいたかもしれない。 

◇母の死後
  母との別離以降のハリーの人生はまさにサバイバルで、自分に関わってくる大人は基本的に信用しない、というスタンスにならざるを得なかっただろう。
 母の死後は、養育家庭適正児として様々な里親とのマッチングをされ、3回里親宅に委託されている。そのうち2回は数ヶ月で「合わない」との理由で施設に送り返された。施設にいる間に2回脱走も試みている。そのときには何週間も路上生活をしたあげくに、再度児童養護施設に収容された。
 16歳で預けられた3回目の里親家庭では虐待めいたことも体験している。この里親は大リーグのサウスポー投手を育成することを目論んでおり、連日連夜、ボッシュに野球のトレーニングを課したのだ。この里親宅から逃れる為、ベトナム戦争に志願した。


 このような生育の過程が、他人を頼らない、信用しない、本心を明かさない、自分のことは自分で何とかする、という孤立した対人関係のスタイルを形作ることになる。しかし、10歳まで愛情豊かな母に可愛がられて育った経験と記憶は、ハリーの情緒を安定させ、彼が生き抜いて行く上で必要な人生の基盤を築いてくれているといえよう。
 ハリーが孤独であっても他人に依存せず、独立した状況で生きていけるのは、幼少時に愛情深い母によってそれにふさわしい愛着関係が築かれたことにより、安定した自我の基礎が築かれていたからであり、このことがハリー・ボッシュという希有な一匹狼のキャラクターを形成する重要なファクターとなっている。(と、私は考えている。)

2017年11月25日土曜日

0071−2 ラスト・コヨーテ 上・下

書 名 「ラスト・コヨーテ 上」「ラスト・コヨーテ 下」 
原 題 「The Last Coyote」1995年 
著 者 マイクル・コナリー 
翻訳者 古沢 嘉通 
出 版 扶桑社 1996年6月 
初 読 2017/11/25
【コナリー完全制覇計画No.4】
 ボッシュ、嫌いな上司パウンズをぶん殴って強制休職処分と心理カウンセリングを義務付けられてる。ずっと一匹狼で何とかやってきていたのに、シルヴィアに人生を浸食されたあとポイされて、わびしい中年男になりかけているようだ。半壊した家にこだわるのは自分の内的世界の崩壊をこれ以上進めない為だな。だからあの女はやめておけ、と。。。。
    カウンセリングに臨んだボッシュは青少年養護施設に不本意に収容された少年そのものの「不服従」を貫き。ボッシュは強権的に自分に踏み込まれるのが大嫌いなのだろう(経験的に)。もっともそんなこと好きな人間はいないだろうが、大抵の人は長い物には巻かれるもの。
 「みんなまやかしだ。」ハリー少年の心の声が、40歳を過ぎたボッシュの口から発せられているような気がする。パウンズへの嫌がらせも兼ねてほぼ違法と思われる行為を繰り返すんで読んでいる方がハラハラ。バレたらクビじゃすまなかろうに。齢は40半ばでも、やっぱり少年のような純なハリーにドキドキする。
 そしてついに来た。好感度の高いヒロイン!
 自己愛たっぷりのうざさも正論吐きの嘘くささもないさっぱり味だ。これはイケるかもしれない。速攻で恋に落ちるボッシュ、なんたる恋愛体質(笑)。いくら主人公とは言えヒロインは必需品じゃあないだろうに。とはいえ今度こそ上手くいくといいね、と願わずにはいられない。

 さて、脱線モードのフロリダをよそに、ロスでは大変なことが起きていた。奴が殺されてしまった!?まさか俺のせいか?ってか俺が容疑者かよ!ポッケの中には持っていてはいけない黄金のアイテム。ボッシュ危機一髪、というか完全に自業自得。
 辛抱強くボッシュをかばうアーヴィングのおかげで、なんとか危機を切り抜け、さらに母を殺した犯人を追うボッシュ。例によって最後のひねりがあって、その真相は切ない。
 アーヴィングの気持ちがいまいち計り知れない。ボッシュへの愛情も感じるし、本人の意図などまったく関わりなく撚り合わされてしまった人間関係を持て余しているようにも感じる。この二人の関係がこのまま進めば良いのに、と思う。(そうはならないと知っているだけにちと切ない。)
  ハリー少年には、母マージョリーの死後、少なくとも二人の力のある男(生物学上の父と社会的な父になり損ねた男)がいたはずなのに、まったく顧みられなかったのだ。彼らの一人だけでも少し手をさしのべてくれていたら、彼の10代はまったく違ったものになったかもしれない。もっともそれが幸せにつながるかどうかは別問題だし、そうだったら、そもそもボッシュシリーズの主人公は存在しなくなっただろうが。

【ヘンな台詞シリーズ】 「おわかりか」は相変わらずの乱用ぶり。もう気にするのはやめようと思いつつ、気になる〜。「うんにゃ」もやっぱり気になる。マッキトリックとボッシュが言い感じに語り合ってるのに「うんにゃ」!や〜め〜れ〜〜〜! 

【ボッシュ考その1/愛を知る男】
 本書の解説はちと理解が浅いんじゃないか。ということで、ここでボッシュ考。
 ボッシュを「愛情を知らずに育った」と説明するのは相当な見当違い。ボッシュの不幸は愛を知らないことにあるのではなく、10歳までの愛情豊かな生活を、突然公権力が破壊したことにある。彼の母はとても慎重に、愛情深く息子を育てていた。10歳までのハリーの記憶は愛情と幸福感に満ちている。発達心理の点からすれば、幼少時の愛着関係が築かれているということはその人の精神の安定にとって極めて重要だ。ボッシュが孤独であっても他人に依存せずに生きていけるのは、彼が愛を知っているからだ。

【ボッシュ考その2/組織人】
 組織になじめない男、と決めつけるのもちょっと違うと思う。ボッシュは10歳以降ずっと集団の中で生きている。集団の中での身の処し方にはある意味長けている。
 例えばポリスアカデミー時代、パーカーセンターの廊下に大胆ないたずらを仕掛けて同期のヒーローになる。集団の中で自分の立場を確保することが上手い。
 『ブラック・ハート』では、アーヴィングが設置した特捜部の中で、自然にリーダーとして振る舞う。市警では仕事のできる現場の人間から信頼されている。
 彼の組織の中にあって組織の力学に抵抗する頑なさや攻撃性は、少年時代に彼の人生の理不尽な支配者であった公権力への抵抗の延長戦だ。ボッシュは一生を現場で生きていくと思い定めた組織人として、組織を腐らす人間の欲望や、組織を硬直させる教条主義を嫌悪する。彼は組織の権力に抵抗する一匹狼ではあるが、そこを取り上げて組織に馴染めないと定義するのはちょっと違う。むしろ私は同じ組織人として彼の生き様を見習いたくすらあるのだけど。(ただし違法行為を除く!)

  【ボッシュ考その3/マザコン】 ボッシュが恋愛体質なのは、孤独故の依存ではなくて、単にマザコンなんだと思う。きっとお母さんと二人で幸せだったころの心地を無意識に求めてるんだろうなあ。

2017年11月13日月曜日

0070 ブラック・ハート 上・下

書 名 「ブラック・ハート 上」「ブラック・ハート 下」
原 題 「The Concrete Blonde」1994年
著 者 マイクル・コナリー
翻訳者 古沢 嘉通
出 版 扶桑社 1994年5月
初 読 2017/11/13

【コナリー完全制覇計画No.3】
 裁判と事件捜査の同時進行。4年前ボッシュが市警本部から更迭される原因となったドールメーカー事件と、その模倣犯の仕業とおぼしき殺人。新たな殺人はボッシュを被告とする裁判に絡みながら過去の事件に新たな局面をもたらしていく。
 陪審員制度は被告原告双方が希う『正義』(真実とは異なる)をどちらか一方のみに与える不完全な仕組みでしかなく、その仕組みを巧みに操った方が『正義』を手に入れる。そんな法廷闘争で無傷ではいられないものの、ボッシュは自分が求める“殺人被害者の救済”という正義をひたすら追いかける。 
 社会の底辺で生きる女達にとことん寄り添っていくボッシュの揺るぎなさ。なぜならそれがボッシュにとって唯一の正義だから。そんなボッシュの辛い過去まで報道陣や傍聴人の前で暴きたてるショーアップされた陪審員裁判。

 前作で恋人になったシルヴィアは、ボッシュの心の奥底まで理解したいと要求するが、一方でボッシュが決して目を背けまいと自らに命じている殺人事件の犠牲者達の写真からは目を背ける。それはボッシュから目を背けるのと同じなのに。自分が理解し得ないことを理解しないところはエレノアに通じるものがあるか。なんかこういう女は嫌いだ。
「うんにゃ」も「おわかりか」もいいんだよ。それが「誰か」の口癖なら。でもいろんな登場人物がのべつまくなしに、「うんにゃ」とか「おわかり」とか言ってしまうとヘンだよね? 

 今回はボッシュ、事件と裁判の両方に苛まれてその合間にはシルヴィアの家に参じるため、家でゆっくりジャズを聴く暇もなく、BGMのジャズ要素は乏しかった。

2017年11月11日土曜日

0069 急降下爆撃

書 名 「急降下爆撃」 
著 者 ハンス・ウルリッヒ・ルデル 
翻訳者 高木真太郎 
出 版 学研M文庫 2002年2月(初訳は 1982年朝日ソノラマ『急降下爆撃』) 
初 読 2017/11/11 
 
【ハンス・ウルリッヒ・ルデル】
1916年 旧ドイツ領シレジアに生まれる
1936年 ドイツ空軍に予備将校志願者として入隊、スツーカ隊を志願
1943年 1000回の作戦遂行に成功
1944年 2100回の作戦遂行に成功
1945年 金柏葉封建ダイアモンド付騎士鉄十字章受賞
1982年 旧西ドイツのローゼンハイムにて死去

この人の略歴については、私が書くよりも、エンサイクロペディアを読んだ方が面白い。ルーデル閣下の顔写真もある。
記事はこちら。エンサイクロベディアにあるまじきことに、事実が書いてあるらしいぞ(笑)

  さて、「鷲舞」を読んで騎士十字章を調べているうちにこのお人を知る。どんな困難な時代や社会の中にも「凄い奴」はいるもんだ、とただただ呆れ(いや、感心)させられた。高いところから飛び降りるのが大好き(?)。とんでもない反射神経。恐れを知らない性格。身体的苦痛よりも行動したいという衝動が勝る。とにかく多動。エネルギー過多。そして溢れる人間的魅力。彼はひょっとすると今でいうところの多動型のADHDだな。あの時代だったからこそ輝いた幾人かの一人に違いないが、もちろん、こういう活躍の場がないほうが平和で望ましいに違いないのだ。

「みずからを価値なしと思うもののみが、真に価値なき人間なのだ!」

2017年11月8日水曜日

0068 ブラック・アイス





書 名 「ブラック・アイス」 
原 題 「The Black Ice」1993年 
著 者 マイクル・コナリー 
翻訳者 古沢 嘉通 
出 版 扶桑社 1994年5月 
初 読 2017/11/08 

【コナリー完全制覇計画No.2】
 のっけからいきなり死んだ同僚の未亡人に恋するボッシュ。おい!ほんとに気の(手の)早い男だな。だからといって、そこでメイクラブはいくらなんでも非常識だろう?ちょっと見損なっちゃうぞ。
 今回はメキシコの麻薬王が相手なだけあってか、かなり捜査手法が荒っぽい。というか完全に違法捜査、越権。警察の範疇を超えているんじゃ?
 前話で私刑はお呼びじゃないってレビュー書いたのに、早まったかな?
 一話目から引き続きどうにも辛い翻訳。「こしらえた」「メイクラブ」「日曜たんび」
 サンドイッチも、殺人事件調書も、捜査メモも全部「こしらえる」の一語で片付けるのってどうよ。日本語表現はもっと多彩でいいと思うんだけどな。それにメイクラブ!多彩以前だ。 アメリカって個人主義の文化だという先入観があったが、この本読む限り組織の同調圧力が強い。腐りかけの組織の中でなんとか腐らずに泳いでいく一匹狼ボッシュ。とりあえず応援しておこう。あんたがどれほど恋愛体質な男であったとしても、だ。

 「この男のことがほとほとよくわかった。パウンズはもはやお巡りではない。 役人なんだ。くずだ。犯罪を、流れる血を、人々のこうむる被害を、記録簿にとどめるための統計数字としてしか見ていない。そして年末に、その記録簿が、パウンズにどのぐらいよくやったかを告げるのだ。人間が告げるのではない。心のなかから出てくる声が告げるのでは無い。それは市警の多くを毒し,街から、そこの住民から遠ざけている非人間的な傲慢さだった。」

◇引用/チャンドラー『長いお別れ』、ヘッセ『荒野のおおかみ』
◇音楽/コルトレーン、フランク・モーガン

《メモ》
p.67 「ロックウェルの絵に描かれた警官のような気になったのだ。まるで自分が大きな影響をあたえたかのような気分に。」