2020年10月11日日曜日

0224 マクシム少佐の指揮

書 名 「マクシム少佐の指揮」 
原 題 「THE CONDUCT OF MAJOR MAXIM」1982年 
著 者 ギャビン・ライアル 
翻訳者 菊池 光 
出 版 早川書房 1994年4月 
初 読 2020/10/11

 マクシム少佐2冊目。
 事件やストーリーを読むというより、マクシム少佐の為人を楽しむ本。
 「それは、ロマンティックなたわごとだよ。」
 「軍人はロマンティックなのです。」マクシムが平静な口調で言った。「彼らは、戦争映画を見て、奇妙な服装をし、自分たちを竜騎兵近衛隊員といった奇妙な名で呼ぶのです」
 あくまで平静で、穏やかに表情を変えずに語るハリイ・マクシム少佐であるが、実は沸点けっこう低め。内心は、任務で死ぬことを義務として受け入れている若い元SAS隊員が、無謀な諜報活動に消耗品のごとく利用されたことに怒り心頭。そして、こういう時の彼は無言で行動にでるのだ。今回は、スパイ活動でも超有能なことを証明するマクシム少佐である。自分を監視していたMI6の諜報員二人組を、無線も使えず、応援を呼べないエリアに誘い込み、急襲し、殴り倒し、車載の無線機を完膚なきまでに破壊し、拉致し、拷問(?)の恐怖を加えて自白を得る、お見事な手腕である。実戦向きではない気取ったMI6要員に対して、対IRAのテロ・諜報対策を、頭にではなく体に叩き込まれているSAS舐めんな、って感じですかね。清々しいまでの実力行使。やられた方には哀れを誘われる(笑)。
 それにしても、マクシム少佐の本は4冊しかないので、読むのがあまりにも勿体なく、なかなか先に進めない(笑)
 少佐は決して正義漢ってわけではなく、形容するに一番しっくりくるのは、義務に対する忠誠とやはり軍人としての矜持。それは自分が実行するだけでなく、部下、もしくは若い兵士のそれに対して応えるべき上官の義務としても存在するわけで、今回はそういう、部下を持つ上官としての心意気がキモ。
 事は東ドイツの政治指導部の人員刷新に端を発した諜報戦から、どんどん巻き込まれて深入りし、こうなってくるとおいそれとは手を引けないマクシム少佐は、ジョージが差し出した書類に微笑を湛えてサインをして、手勢を連れて決戦に臨むことになる。
 マクシムが署名した書類は、過去日付の辞表。万が一マクシムが失敗してその行動が白日の下に晒されたときに、英国政府が非難されないようにするため。「彼は数日前に辞任しており、イギリス政府は彼の行動に一切関知していない。彼は相応の責任を問われるであろう」とか言うためのものか?組織の捨て駒である。

「ひとつだけ。この件に関するわたしのやり方を考えると、極秘などということは問題ではなくなる。大勢の人間が—もちろん、向こう側だが——何が起きたか知ることになります」

 奪われた人質を奪還するため、あくまでも、戦闘員、それも精鋭としての作法で動くマクシムと部下(全員が元SASだ)は、交戦の前に、身元が判明する可能性のある持ち物を全て外す。
 “みんな、自信にみちた静かな態度で立っていた。アグネスは、彼らが自分の死体の身元がわからないようにしたのに気づいて、思わず身震いした。”
 アグネスがバックアップに付き、手勢を引き連れて敵に対するマクシム少佐。その戦いは片やサイレンサー付きの軽機関銃と拳銃(スパイ側)、片や手榴弾と散弾銃(マクシム側)という圧倒的武力差。極秘などということは問題でなくなる、というマクシムの予告どおり、人的資源の欠如を殺傷力で補って、静かに事を済まそうなどとは毛頭考えていない。結果は敵スパイの死に際のセリフ「軍人とは闘いたくない」。しかし、マクシム側も仲間を喪うことになる。そして、その結果は、はやりマクシムが背負うのだ。「俺が指揮官だった」

 アグネスとの一線を越えかねているのは、再び恋人を持つ喜びよりも、もう一度最愛の人を喪う可能性のほうが心に堪えているのだろうな、と推測する。実家で育つ一人息子の小学校のPTA(?)の奥様連が「人柄のよいマクシム少佐」をとにかく誰かと結婚させようと画策していて、それを微笑を湛えてかわしているマクシムの非番のひとときも微笑ましかった。

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