2020年10月28日水曜日

0227 警視の休暇

書 名 「警視の休暇」 
原 題 「A Share in Death 」1993年 
著 者 デボラ・クロンビー
翻訳者 西田佳子
出 版 講談社 1994年3月 
初 読 2020年10月25日

 キンケイド警視シリーズ最初の一冊。
 警視になりたてのダンカン・キンケイドです。
 部下のジェマ・ジェイムズ巡査部長にうらやましがられながら、田舎の会員制リゾートホテルで一週間の休暇を取るダンカン。警視に成り立てで、3週間ほど休みも取らずに猛烈に働いていたらしい。ジェマもダンカンもなにやらへろへろになっている。ヤードは「表向きには」昇進したての警視が冠状動脈閉塞の初期症状を示すほどの過酷な労働を強いてはいない、のだそうで、いずこも同じ労働事情になんとなく親近感が湧く。リーバスも「清教徒的な労働観念」について何か言っていた気がするが、日本と英国の気質にはなんだか近いものを感じるよな。
 ダンカンはハンサムな30代半ば、乱れ気味のキャラメル色の頭髪、鼻筋がちょっと曲がってる、というところまでは良しとして、「チシャ猫のような笑顔———いたずらっぽさと優しさが半々に入り交じった、心から相手を安心させる笑顔」・・・・・ってどこがやねん!!こんな顔されたら安心どころか不安しか浮かばない。

 などと書いてから風呂の中で考えたのだが、これは、新型コロナ感染症流行下のマスク論議で散々指摘されていた、「日本人は目の表情でコミュニケートするが、欧米人は口元の表情でコミュニケートする」、というやつなんだろうか。
 私は(というか多分日本人は)チシャ猫のぎょろりとしたあの目に意識が行くが、欧米人ならチシャ猫のような笑顔といわれたら、口角ををにーっとつり上げた口元を連想するんだろうな。でも、だからといってその笑顔が「心から相手を安心させる」かどうかは多いに議論の余地があるかと思うが。
 他にも『カナリヤを殺したばかりの猫のよう』など猫の例えが多い。確かに証言を求めて相手に忍び寄る様子はネコ科っぽいような気もする。先に読んだ『警視の謀略』ではすっかり落ち着いていて、鷹揚な風情は崖上にただずむ大鹿のようだと思ったのだけど。30代、独身、警視になりたての新進気鋭のダンカンは、身軽で気が強く、健全に女性が大好きな雄猫であった。そしてちょっと意外だったのは、ダンカンが大卒でなかった事かな。日本の警察機構でいうキャリア組のようなイメージを持っていた。警察に入ってから、奨学金で大学に行く機会があったのに、志願しなかった、とのこと。
ヨークシャー サットンバンク ダンカンが昼寝
こちらはジョージ王朝様式のお屋敷 スワビーハウス

 そして事件は、休暇で訪れた田舎のリゾートホテルで起こる。せっかく警視になりたてというのに、捜査権限もない一宿泊者として事件を捜査する様子は、警視というよりもまるで私立探偵のようだ。
 殺されたのはホテルの副支配人で、宿泊客全員が容疑者、全員が怪しい。地元警察のナッシュ警部がもっと優秀だったら、きっとダンカンが第一容疑者に祭り上げられたところだったろう。しかし残念ながら彼の最初の判断は「自殺」。ダンカンは納得がいかない。ついつい口出しするも、“ヤードのお偉方”であるダンカンが地元警察に疎まれるのはお約束。ナッシュの部下のラスキン警部補はヤードに引き抜きたいほどの有能ぶりなのだが。
 シリーズ第1巻はアガサ・クリスティのような英国ミステリの様式美を踏襲。

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