4 キアラの最初の妊娠と流産の件
5 ガブリエルとキアラの結婚のくだり
6 ガブリエルはいつ、長官になる決心をしたのか
p.15 “1万ポンド、バークレー銀行の口座に入っている。”
A million pounds は1万ポンドではない。
p.17“はじめて会った20年前から、ガブリエルはなぜこうまで変わらないのか。〔中略)昔はおとなしく、こどもらしくない少年だった。あの頃でさえ・・・・”
How little Gabriel had changed in the twenty-five years since they had first met.
He’d been little more than a boy that day, quiet as a church mouse.
p.134“ユセフ・アルタウフィーク。パートタイムのパレスチナ国粋主義の詩人。ユニバーシティ・カレッジ・オブ・ロンドンのパートタイムの学生であり、エッジウェア・ロードにあるケバブ・ファクトリーという名のレバノン・レストランのパートタイムのウェイターで、そして、タリクの秘密部隊でフルタイムの活動工作員でもある。”
【原文】 Yusef al-Tawfiki, part-time Palestinian nationalist poet, part-time student at University College London, part-time waiter at a Lebanese restaurant called the Kebab Factory on the Edgware Road, full-time action agent for Tariq’s secret army.
p.149“コンピュータがケーブルを通して信号を送る監視装置と一緒に通信をする。それらの信号には周波数があるので、それにぴったり合わせた受信機で捉えられる”
【原文】The computer communicates with the monitor by transmitting signals over the cable. Those signals have frequency and can be captured by a properly tuned receiver.
p.156“タリクはマドリッドのイスラエル大使館員の隠れ蓑を使い、〈オフィス〉の工作員と称していた。その士官はPLO内部の人間数人を・・・・・”
これは、完全に誤訳ね。
【原文】He had identified an Office agent working with diplomatic cover from the Israeli embassy in Madrid. The officer had managed to recruit several spies within the PLO,・・・
【原文】her Bianchi racing bike leaned against the wall.
p.170“〈オフィス〉がパリに住むイラク人核兵器科学者を雇い入れて、イラクにいるフランス人供給業者の下で働くように仕向けようとしていた。”
【原文】・・・The Office was trying to recruit an Iraqi nuclear weapons scientist who lived in Paris and worked with Iraq’s French suppliers.
【試訳】 〈オフィス〉は、パリ在住のイラク人核兵器科学者で、イラクへのフランス側の供給事業者と仕事をしていた男の勧誘を試みていた。
and以下のworkedがlivedと並列でwhoに掛かると思えなかったのね。ついでにいうと、Iraq’s French suppliersをイラクに「いる」と訳すのもかえって難易度が高いんじゃないだろうか。
p.217“タクシーが彼の住む、丸太を組んで造ったアパートメントの前に到着した。魅力のかけらもないところだった。戦前に流行った、正面がフラットないかにも没個性的な建物だ。彼女がタクシーを降りるのに手を貸し・・・・”
【原文】The taxi arrived in front of his building. It was a charmless place, a flat-fronted postwar block house with an air of institutional decay. He helped her out of the taxi, paid off the driver, led her up a short flight of steps to the front entrance.
p.326 “米国首相” 【原文】U.S. PRESIDENT
各国首脳の呼称を知らないような人間がなぜ、エスピオナージを翻訳しているのだろう?大統領制を敷いているアメリカに「首相」はいない。これを合衆国大統領と訳せないなら翻訳なぞ止めたほうがよい。ちなみに銃器をきちんと訳せない人間はAA(アクション&アドベンチャー)を翻訳すべきではない。以下
p.344“彼はガブリエルにステンレス製の戦闘用ケースを手渡した。中に入っていたのは22口径ベレッタの射撃用ピストルだった。”
【原文】He handed Gabriel a stainless steel combat case. Inside was a .22 Beretta target pistol.
誤訳ではないかもしれない。だがしかし。「射撃用ピストル」という文を読んで思わず膝から力が抜けた。射撃用でないピストルがあるのか?旗でも出るのか?と。しかもここは、ガブリエルが8年ぶりか9年ぶりに、暗殺用の銃器を手渡される、ファンであればドキっとするシーンだ。ここは精密射撃用とするか、競技用とするか、単にベレッタ22口径とするか。ただし、「射撃用ピストル」ではない。
p.333“室内に入ると、黒い目をしたレヴの受付士官ふたりが・・・・”
【原文】As he entered the room a pair of Lev’s black-eyed desk officers stared at him contemptuously over their computer terminals.
“desk officers” を士官と訳すべきだろうか?誤訳というのは言い過ぎかもしれないが、適切な訳だろうか。〈オフィス〉は軍組織ではない。どちらかというと役所に近いだろう。事務員とか、受付職員とかのほうが適切ではないか。
最後に、軽く違和感を感じた箇所を。
p.421
「きみのためにつけているのだ」“死ぬまでいろいろな物だの人だのを修理し続けて、自分だけはそのままでいるつもりか。キミは絵画やおんぼろヨットを修復した。〈オフィス〉もだ。・・・(中略)・・・人生を楽しめ。ある朝、目が覚めて、自分がおいぼれになっちまっていることに気づく前に。わたしのようにな」「監視人たちはどうなるのですか?」
【原文】“You’ve spent the last years of your life fixing everything and everyone but yourself. You restore paintings and old sailboats. You restored the Office. You restored Jacqueline and Julian Isherwood. You even managed to restore Tariq in a strange way—you made certain we buried him in the Upper Galilee. But now it’s time to restore yourself. Get out of that flat. Live life, before you wake up one day and discover you’re an old man. Like me.”
“What about your watchers?”“I put them there for your own good.”
自分を恢復させて人生を楽しめというシャムロン(全部、ガブリエルのためを思ってやっていることだ。と主張している。)に対して、ガブリエルが、自分の為だというのなら、監視の目的はなんなのか、と問いただすシーン。なので「監視人たちはどうなるのですか」、ではなく「監視人たちはどうなのですか?」(あれも自分(ガブリエル)の為だというのか?の含意)、と訳した方がよいだろう。たった一文字「る」が入るか入らないかで、会話全体の意図と明瞭さに違いがでる。かくも翻訳とは微妙な仕事だ。
敢えて書いておけば、私は翻訳の正確性を求めている訳ではない。読者として、物語にきちんと入り込みたいだけだ。ストーリーの前後関係とか、文化的素地とか、歴史とか、地理とか、そういったものに違和感を感じさせるような翻訳をしてもらいたくないだけだ。私は英語は全然得意ではないので、原著で読みたいとは思っていない。文芸作品として確立された翻訳作品を読みたい。そのためには、やはり「翻訳家」というプロフェッショナルの仕事が必要なのだ。
そんなわけで、プロフェッショナルの仕事には、心からの賛辞を送りつつ、我ながら本当に心が狭くて申し訳なくも嘆かわしいが、この本は残念ながら、翻訳が正しいのかどうかが気になってストーリーに没入できない。
「収容所暮らしが何年も続き、あちこちたらい回しにされたあげく一ダースもの収容所で過ごしてきた被収容者はおおむね、生存競争の中で良心を失い、暴力も仲間から物を盗む事も平気になってしまっていた。そういう者だけが命をつなぐことができたのだ。何千もの幸運な偶然によって、あるいはお望みなら神の奇跡によってと言ってもいいが、とにかく生きて返ったわたしたちは、みなそのことを知っている。わたしたちはためらわずに言うことができる。いい人は帰ってこなかった、と。」
「わたしたちにとって生きる意味とは、死もまた含む全体としての生きることの意味であって、「生きること」の意味だけに限定されない、苦しむことと死ぬことの意味にも裏付けされた、総体的な生きることの意味だった。」p.131
「生きることは日々、そして時々刻々、問いかけてくる。・・・・ひとえに行動によって、適切な態度によって、正しい答えは出される。生きるとはつまり、生きることの問いに正しく答える義務、生きることが各人に課す課題を果たす義務、時々刻々の要請を満たす義務を引き受けることにほかならない。」p.130「ひとりひとりの人間にそなわっているかけがえのなさは、意識されたとたん、人間が生きるということ、生きつづけるということにたいして担っている責任の重さを、そっくりと、まざまざと気付かせる。自分を待っている仕事や愛する人間にたいする責任を自覚した人間は、生きることから降りられない。まさに、自分が「なぜ」存在するかを知っているので、ほとんどあらゆる「どのように」にも耐えられるのだ。」p.134
「この世にはふたつの人間の種族がいる。いや、ふたつの種族しかいない。まともな人間とまともでない人間と、ということを。このふたつの「種族」はどこにでもいる。」p.145
ヴァンゼー会議(1942年1月20日にベルリンのヴァンゼー湖畔にある邸宅で開催された会議)
15名のヒトラー政権の高官が会同して、ヨーロッパ・ユダヤ人の移送と殺害について分担と連携を討議した悪名高い会議である。
作中でガブリエルが修復に取り組んでいる ベネツィアのサン・ザッカリア教会の祭壇画 この陰影と遠近感がすごい。彫刻を観ているよう。 |
「どういうわけかシャムロンは、ガブリエルの不幸な徴兵時代のファイルに出くわしたのだ。アウシュビッツの生き残りの子どもであるガブリエルは、上官から傲慢で自己本位だと見なされ、鬱々とした気分になりがちだった。しかし、それと同時に高い知性を持ち、司令官の指示を待たずして自主的な行動を取ることができた。マルチリンガルでもあった。その特徴は前線の歩兵部隊ではほとんど役にたたないものの、アリ・シャムロンはおおいに必要としていた。」
「それからの一年半、シャムロンの部隊は〈ブラック・セプテンバー〉のメンバーを十人以上殺した。ガブリエルだけで六人。任務が終わったとき、ベンジャミンは研究者として復帰した。ガブリエルもベトサルエルへ戻り、絵の勉強を続けようとしたのだが、絵の才能は殺された男たちの亡霊によって台無しにされていた。そのため、リーアをイスラエルに残し、ウンベルト・コンティに修復技術を学ぶためにヴェネチアへ向かった。そして、修復の仕事に心の安らぎを見いだした。」
【著者あとがきより引用 P.386】
ローマ教皇ピウス12世は1939年から、1958年に死去するまで在位した。ヨーロッパにおけるユダヤ人全滅の危機に際し、連合国が何度も要請したにもかかわらず教皇が公的に沈黙を守ったことに関して、ホロコースト研究家のスーザン・ズッコッティの言葉を借りると、『論じられる事は稀であり、論じる事は不適切』な状況が醸成されている。そして、第三帝国の崩壊後、協会関係者によってアドルフ・アイヒマンとナチの著名な殺人者たちに保護と援助がなされたのである。
教皇ピウス12世の実像は、ヴァチカン秘密文書保管所に隠されていた文書によって、より正確なものになるだろう。しかし、戦争終結から半世紀以上が過ぎても、教皇庁は真実を探求する歴史家たちに記録の宝庫を解放することを拒絶し、文章保管庫にある11巻の公式記録文書、すなわち1965年から1981年の間に出版された戦時中の外交通信記録を閲覧可能にしていると主張している。第二次世界大戦における教皇庁の活動と文書』というその記録は、大戦に関する詳細な歴史的記述の多くに役立ってきた。しかしそれは、ヴァチカンが世界に見せたがっている文書に過ぎないのだ。
秘密文書保管所には、その他にどんな忌まわしいものが潜んでいるのか? 1999年10月、追い詰められた教皇の周りに渦巻く議論を沈めるため、ヴァチカンは6人の独立した歴史研究者からなる調査委員会を作り、戦時中のピウス12世と教皇庁の行為を再検討させた。 (中略) 調査委員会は47の質問事項をバチカンに提示し、同時に秘密文書保管所の証拠書類開示を要求した。日記、忘備録、スケジュール帳、会議の議事録、草稿などの記録、戦時中のヴァチカン幹部の個人的な文書を。なんの回答もないまま、10ヵ月が過ぎた。ヴァチカンに文章を公開する意思のないことがはっきりした時、調査委員会は任務を完了しないまま解散した。 (中略) ガーディアン紙に引用された筋によれば、秘密文書保管所に出入りすることは『ヴァチカン国務省長官アンジェロ・ソダーノ枢機卿が率いる秘密結社によって阻止されている』のである。ソダーノ枢機卿は、文書保管所の公開に反対している。非常に危険な先例を作り、他の歴史研究、例えば教皇庁と、血塗られたラテン・アメリカの軍事政権の関係のような研究に対し、ヴァチカンをさらしものにしかねないと言うのがその理由だ。
教会内部には、教会のユダヤ人迫害の罪を積極的に認めるとともに、戦時中の行動についてより正確な報告書をヴァチカンに提出させようとする人たちも確実に存在する。そのひとりであるミルウォーキーのランバート・ウィークランド大司教は、「我々カトリック教徒は、数百年にわたり、ユダヤ人の兄弟姉妹に対して神の法に逆らった流儀で行動してきた」と言っている。また、1999年11月ウィスコンシン州フォックス・ポイントのユダヤ人会においてこう述べた。「そういった行動が肉体的かつ精神的に、何世代にもわたってユダヤ人コミュニティーを傷つけてきた」と。
そして、大司教は注目すべき発言をしている。「我々カトリック信者は、ユダヤ人は信用できず、偽善的で神を殺す者だといった教義を説き、ユダヤ人の兄弟姉妹の人間としての尊厳をおとしめ、神のご意志に沿った行動であるかのようにユダヤ人に復讐する状況を作り出した。そうそうしたことで、われわれカトリック信者は、ホロコーストを可能ならしめた状況に力を貸したと言わざるを得ないのである」
・・・・長くなったし、ほぼ丸々全文を引用するのも芸がないとは思ったが、ほとんど、どこも端折れなかった。ユダヤ人迫害は遠いヨーロッパ社会の出来事のように感じるかもしれないが、きちんと我が身と我が足元を確認し、検証しなければならない。集団の狂気は、決して人ごとではない。
2020年3月のニュース →『ヴァチカン、第2次世界大戦中の教皇の関連文書を公開 ホロコースト黙認か』
2021年1月が終わりましたね。年間100冊を目指して幸先のよいスタート。実質11冊でした。1月のトピックスはなんといってもガブリエル・アロンとの出会いと、コール&パイクの新刊発売!パイクを読みたいけれど、図書館本を返却せねばならないので、とりあえず『告解』を先に読んでいます。2月はパイクからスタートだ! 今月もおつきあいいただいて有難うございました。
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