2021年2月2日火曜日

0255 告解―美術修復師ガブリエル・アロンシリーズ(論創ミステリー)

書 名 「告解―美術修復師ガブリエル・アロンシリーズ」 
原 題 「The Confessor」2003年 
著 者 ダニエル・シルヴァ 
翻訳者 山本 光伸 
出 版 論創社 2006年1月 
初 読 2021年2月5日 
単行本 393ページ 
ISBN-10  4846005593 
ISBN-13  978-4846005597

 この本の冒頭、ヴァチカンではヨハネ・パウロ二世が崩御し、新教皇パウロ七世が誕生する。
 ちなみに、現実世界のヨハネ・パウロ二世の在位は1978年10月16日から2005年4月2日なので、ダニエル・シルヴァがこの本を執筆していた2003年には存命していた。しかし最晩年で健康不安が取りざたされている状況で、そんな中で教皇が死んだって話を書いてしまうことに、私がドキドキしてどうするんだ! 挑戦的(挑発的?)な姿勢ではあるが、まあ、話の内容はもっと挑戦的なのであまり細かいところに拘ってもしょうがない。
 ローマ法王庁やローマ教皇を巡るあれこれについては、読めば読むほどどつぼにハマりそうなので、あまり踏み込まないように自重する。本作パウロ七世は短命だったヨハネ・パウロ一世からの着想だろうか? 本名アルビーノ・ルチャーニ。ベネツィア総大司教から65歳という教皇としては比較的若い年齢でその地位に昇り、意欲的に法王庁の改革に着手したものの、教皇在位33日で心筋梗塞により急逝。死亡後のヴァチカンの不自然な対応や、マネーロンダリングが取りざたされていたヴァチカン銀行などヴァチカンの暗部の改革にも取り組んでいたため暗殺説が唱えられている。
 ちなみにローマ・カトリックとナチスとの関係については、先日読んだ須賀しのぶ氏『神の棘』のテーマにもなっていたので、初見ではないもののまだまだ勉強不足である。

ヴァンゼー会議(1942年1月20日にベルリンのヴァンゼー湖畔にある邸宅で開催された会議) 

15名のヒトラー政権の高官が会同して、ヨーロッパ・ユダヤ人の移送と殺害について分担と連携を討議した悪名高い会議である。

 

 1942年1月のヴァンゼー会議において、ヨーロッパ・ユダヤ人の「最終的解決」について協議された。その方針が各方面に徹底されたことは、詳細な議事録や参加者の書簡などから明らかにされている事実である。
 この本は、その後、ドイツ=イタリア国境にほど近い美しい湖畔の女子修道院において、ローマ・カトリック(法王庁)とナチス側が、その「最終的解決」の実施について協力を確認する秘密の会議が持たれた、という(架空の)出来事が発端となる。 

 と、いうわけで話を本作の世界に戻すと、ヴァチカンではヴェネツィア総大司教であったピエトロ・ルチェッシが教皇に選出され、パウロ七世が誕生している。
 ドイツ、ミュンヘンでは、一人のユダヤ人の大学教授が自宅で執筆中の原稿を奪われて殺害された。名前はベンジャミン・スターン、彼はかつての『神の怒り作戦』のメンバーで、ガブリエル・アロンの盟友であり、現在はミュンヘンにある大学の客員教授としてユダヤ人問題の研究に取り組んでいた。(※『報復という名の芸術』に登場した大富豪のベンジャミン・ストーンとは別人。このあたり、シリーズ初期で、設定がまだ固まっていなかったのか、名前をつかい回したのか。)
 “息子達”の一人が謀殺されたとあって、シャムロンはガブリエルに調査を命じる。一見極右ネオナチの犯行に見えるように偽装されてはいるが、犯行の動機は単なるユダヤ人憎悪ではなく、ヴァチカンの深部にあった。
 調査を始めたガブリエルの周辺で、関係者が次々に暗殺されていく。そこには、ヴァチカンの権威と権益を守ることを至上とした秘密組織の影が。
 〈組織〉が繰り出した殺し屋の鼻先をかすめて情報を集めるものの、ガブリエルはいつの間にか教皇暗殺犯として手配され、警察に追われることとなる。 時を同じくして、新教皇は、ローマ・カソリック教会が犯した、ナチスに協力しユダヤ人虐殺に手を貸した罪を認め、ユダヤ人との和解の一歩を踏み出すことを決めていた。 教会の権威を守るためなら教皇の暗殺も辞さない組織に対抗し、ガブリエルは教皇を守ろうとするが。


作中でガブリエルが修復に取り組んでいる
ベネツィアのサン・ザッカリア教会の祭壇画
この陰影と遠近感がすごい。彫刻を観ているよう。
 ガブリエルはシャムロンと顔を合わせればかならず父親に反発する反抗期の息子のような様相になるが、これでも51歳のいい大人である。ちなみに、以下は〈神の怒り作戦〉の部隊がシャムロンによって組織された頃のガブリエルの描写。

「どういうわけかシャムロンは、ガブリエルの不幸な徴兵時代のファイルに出くわしたのだ。アウシュビッツの生き残りの子どもであるガブリエルは、上官から傲慢で自己本位だと見なされ、鬱々とした気分になりがちだった。しかし、それと同時に高い知性を持ち、司令官の指示を待たずして自主的な行動を取ることができた。マルチリンガルでもあった。その特徴は前線の歩兵部隊ではほとんど役にたたないものの、アリ・シャムロンはおおいに必要としていた。」


「それからの一年半、シャムロンの部隊は〈ブラック・セプテンバー〉のメンバーを十人以上殺した。ガブリエルだけで六人。任務が終わったとき、ベンジャミンは研究者として復帰した。ガブリエルもベトサルエルへ戻り、絵の勉強を続けようとしたのだが、絵の才能は殺された男たちの亡霊によって台無しにされていた。そのため、リーアをイスラエルに残し、ウンベルト・コンティに修復技術を学ぶためにヴェネチアへ向かった。そして、修復の仕事に心の安らぎを見いだした。」  


 ところで、この“ベトサルエル”、『イングリッシュアサシン』では“ベッサエル” 訳者の違う最近のハーパーブックスでは“ベザレル”となっているが、「ベツァルエル美術デザイン学院」(イスラエルの国立美術大学)である。外国語をカタカナ表記する以上、ブレがあるのは仕方ないが、同じ訳者で訳がぶれるのはいかがかと思う。『報復という名の芸術』ほどでないにしても、『イングリッシュ・アサシン』でもヘンな訳があったが、チェックはきちんとしてほしい。

 さて、この巻でキアラが補助工作員(カッツァ)として登場。バイク、車、ヨットの操縦、銃の扱い、負傷の手当、すべてに優れた有能な工作員で、ガブリエルの片腕となる。シャムロンは、作戦のたびにガブリエルの周りに女性を配して(?)ガブリエルの喪失を補い、孤独を埋めようとしてるのだろうか? 
 この後、キアラはやがては恋人となり、彼の子を妊娠し流産もするし、死の危険もくぐったりもするようだが、残念ながら翻訳されていない。 ハーパーで現在原著からほぼ1年遅れで出版している最新作ではガブリエルも結構な年になっているし、ダニエル・シルヴァは新しいシリーズを執筆始めているらしいので、現在刊行されている『過去からの密使』の次の巻でひょっとしてシリーズ終了とか?まさか?
 なので、ぜひ。未訳のシリーズ中盤が日本で出版されることを願っている。 

【著者あとがきより引用 P.386】
 ローマ教皇ピウス12世は1939年から、1958年に死去するまで在位した。ヨーロッパにおけるユダヤ人全滅の危機に際し、連合国が何度も要請したにもかかわらず教皇が公的に沈黙を守ったことに関して、ホロコースト研究家のスーザン・ズッコッティの言葉を借りると、『論じられる事は稀であり、論じる事は不適切』な状況が醸成されている。そして、第三帝国の崩壊後、協会関係者によってアドルフ・アイヒマンとナチの著名な殺人者たちに保護と援助がなされたのである。
 
教皇ピウス12世の実像は、ヴァチカン秘密文書保管所に隠されていた文書によって、より正確なものになるだろう。しかし、戦争終結から半世紀以上が過ぎても、教皇庁は真実を探求する歴史家たちに記録の宝庫を解放することを拒絶し、文章保管庫にある11巻の公式記録文書、すなわち1965年から1981年の間に出版された戦時中の外交通信記録を閲覧可能にしていると主張している。第二次世界大戦における教皇庁の活動と文書』というその記録は、大戦に関する詳細な歴史的記述の多くに役立ってきた。しかしそれは、ヴァチカンが世界に見せたがっている文書に過ぎないのだ。
 秘密文書保管所には、その他にどんな忌まわしいものが潜んでいるのか? 1999年10月、追い詰められた教皇の周りに渦巻く議論を沈めるため、ヴァチカンは6人の独立した歴史研究者からなる調査委員会を作り、戦時中のピウス12世と教皇庁の行為を再検討させた。 (中略) 調査委員会は47の質問事項をバチカンに提示し、同時に秘密文書保管所の証拠書類開示を要求した。日記、忘備録、スケジュール帳、会議の議事録、草稿などの記録、戦時中のヴァチカン幹部の個人的な文書を。なんの回答もないまま、10ヵ月が過ぎた。ヴァチカンに文章を公開する意思のないことがはっきりした時、調査委員会は任務を完了しないまま解散した。 (中略) ガーディアン紙に引用された筋によれば、秘密文書保管所に出入りすることは『ヴァチカン国務省長官アンジェロ・ソダーノ枢機卿が率いる秘密結社によって阻止されている』のである。ソダーノ枢機卿は、文書保管所の公開に反対している。非常に危険な先例を作り、他の歴史研究、例えば教皇庁と、血塗られたラテン・アメリカの軍事政権の関係のような研究に対し、ヴァチカンをさらしものにしかねないと言うのがその理由だ。 
 教会内部には、教会のユダヤ人迫害の罪を積極的に認めるとともに、戦時中の行動についてより正確な報告書をヴァチカンに提出させようとする人たちも確実に存在する。そのひとりであるミルウォーキーのランバート・ウィークランド大司教は、「我々カトリック教徒は、数百年にわたり、ユダヤ人の兄弟姉妹に対して神の法に逆らった流儀で行動してきた」と言っている。また、1999年11月ウィスコンシン州フォックス・ポイントのユダヤ人会においてこう述べた。「そういった行動が肉体的かつ精神的に、何世代にもわたってユダヤ人コミュニティーを傷つけてきた」と。 
 そして、大司教は注目すべき発言をしている。「我々カトリック信者は、ユダヤ人は信用できず、偽善的で神を殺す者だといった教義を説き、ユダヤ人の兄弟姉妹の人間としての尊厳をおとしめ、神のご意志に沿った行動であるかのようにユダヤ人に復讐する状況を作り出した。そうそうしたことで、われわれカトリック信者は、ホロコーストを可能ならしめた状況に力を貸したと言わざるを得ないのである」

・・・・長くなったし、ほぼ丸々全文を引用するのも芸がないとは思ったが、ほとんど、どこも端折れなかった。ユダヤ人迫害は遠いヨーロッパ社会の出来事のように感じるかもしれないが、きちんと我が身と我が足元を確認し、検証しなければならない。集団の狂気は、決して人ごとではない。 

2020年3月のニュース →『ヴァチカン、第2次世界大戦中の教皇の関連文書を公開 ホロコースト黙認か』 

 

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