原 題 「FINAL BEARING」2003年
著 者 ジョージ・ウォーレス/ドン・キース
翻訳者 山中 朝晶
出 版 早川書房 2020年8月
文 庫 上巻415ページ/下巻415ページ
初 読 2021年10月30日
ISBN-10 上巻4150414688 /下巻4150414696
ISBN-13 上巻978-4150414689/下巻978-4150414696
『ハンターキラー東京核攻撃』が出版されたので、あわててこちらに着手する。国内の出版順では、『ハンターキラー潜航せよ』→『最後の任務』→『東京核攻撃』だが、時系列的にはこちらの本が先。『ハンターキラー潜航せよ』で主役の艦長をつとめるジョー・グラスが、この巻では信頼あつい(とはいえまだ発展途上の)副長である。SEALのビル・ビーマンは全部の話に出ているようだ。
この本の主役は攻撃型原潜(ハンターキラー)〈スペードフィッシュ〉。スタージョン級で、実際にジョージ・ウォーレスが副長を務めた艦だというから、思い入れも多かろう。作中では6ヶ月後に退役を控えた古参の艦である。艦内各部の老朽化は如何ともしがたく、機器は故障につぐ故障で機関長を忙殺し、ときに艦長に冷や汗をかかせている。手のかかる艦だけに艦長ジョン・ワード中佐の愛情はひとしお、そして若手の乗組員にとっては厳しい鍛錬の場ともなっている。
そんな〈スペードフィッシュ〉は、折しも、悪意に満ちた査察に苦しめられていた。危険な査察の続行に抵抗したワードは査察官である大佐と対立。母港のサンディエゴに帰港したのち、艦隊司令官と部隊司令官の前で申し開きをすることになる。維持修理に金も手間もかかる〈スペードフィッシュ〉の退役をあわよくば早めようという官僚的な部隊司令官(大佐)の悪意に思わず激高しかけるワードであるが、艦隊司令官であるドネガン大将が間に入り、おそらくはこれが最後であろうという実戦任務が〈スペードフィッシュ〉に割り当てられることになる。
(このドネガン大将という人、ジョン・ワードとはずいぶん親しそうな様子なのだが、続巻の『ハンターキラー潜航せよ』(ここでは、ジョン・ワードは准将に昇進している。)では、ドネガン大将は、ジョン・ワードの父の親友で、父と早くに死別したワードの父親代わりともいえる人物だと明かされている。)
さて、そのドネガンがワードに命じた任務とは、南米コロンビアで麻薬栽培と密輸を原資に反政府闘争を繰り広げるゲリラ組織の壊滅と麻薬撲滅だった。
国際共同麻薬禁止局(JDIA)の指揮の下、ワードの親友で麻薬捜査官のキンケイドはシアトルでコカインの売人の動向を追い、これも親友で戦友の海兵隊SEALのビル・ビーマンの部隊が、現地アンデス山地に潜入して麻薬栽培地とコカイン精製工場の位置を探り出し、〈スペードフィッシュ〉は発見されたコカイン精製工場に洋上からトマホークを打ち込む、という最後の任務にふさわしい大型の作戦に、思わず心躍るワード艦長である。
映画『ハンターキラー潜航せよ』の、展開のテンポの良さを期待して読み始めると、著者の濃厚な人物と情景の描写に足をとられる。
敵方の麻薬組織の指導者の行動やら心情描写やら、現地の情勢や情景にもねっとりじっとりと筆数をかけており、おまけにどれだけ字数をかけても到底その心情に共感できるものではない、という軽快とはいいがたい滑り出し。麻薬王のページに入るたびに、早く潮風をかぎたくなる。それでも、きっと下巻にいくころには良いペースになるに違いないと信じて、我慢の読書である。敵方、味方それぞれの陣営にどうやらスパイが潜入しており、どちらの計画も水がもれている気配がある。麻薬組織側のスパイ《エル・ファルコーネ》の正体にピンときてしまったが、さて、これが当たっているかどうか。下巻を読んでのお楽しみだ。
で、下巻である。
潜水艦パート、麻薬王パート、現地潜入のSEALパート、シアトルの麻薬密売人パート、密輸ルートパート、麻薬捜査官パート、とと細かく交互に刻んでくるが、さすがに後半に入りテンポアップして、面白さも加速。とはいえ、はやり麻薬王がちょっとしょぼいかなあ。これで敵方が見応えあるとさらに面白いんだが、さすがにこのストーリーでは、こいつを暗黒のヒーローに仕立てるのは無理か。《エル・ファルコーネ》は最初の見立てどおりの正体。これに騙される反政府指導者のしょぼさがやはり際立つ。敵側を悪し様に書かないと、先進国で軍事大国のアメリカが最新鋭の武力で小国のゲリラにトマホークをブチ込み一方的に殺戮する話になってしまう。小説の仕立てとしてはこうなってしまうのは致し方ないところか。
潜水艦パートは安定の面白さ。ダグラス・リーマンにも共通する、艦内の日常と非日常、トラブル対処と潜航・追跡・戦闘がスリリングである。面白いのが、
“映画でよく見る場面とはちがい、実際にはサイレンで寝棚から飛び起き、潜水艦内を走って配置に就く者などいないのだ。”
という一文。なるほど、静粛性が命の潜水艦内で、どたばたしすぎてるよなあ、とは思っていた。でも、あれがないと、映画では潜水艦内は絵的に静かすぎてつまらないかも。そういえば、吹き替えにも少々違和感がある。英語版の音声だと、艦内の会話は静か(潜水艦の乗組員とはそういうもの。)だが、吹き替え音声だと声優さんが声を張るので、けっこう会話がデカい(笑)。
潜水艦艦長ワードは部下思いで有能。一糸乱れれぬ艦内の統率ぶりは読んでいてただただ気もちがよい。
長期間の単独行動をむねとする潜水艦の艦長は裁量の幅が広く、自立心旺盛でクセがつよい、またそれでこそ有能・・・ということで、意に沿わない指令には断固として抵抗も。
長官からの指令の無線を電波状態が悪いせいにして聞こえないふりで回線をぶち切る、という古典的なバックレもかまして、ひたすら狙った獲物を追跡する。
「わたしの親父もよく言っていた。〝前もって許可を取れなかったら、あとで許してもらえばいい〟と。」
と言う艦長に、敬服する副長。この副長がのちの『潜航せよ』の艦長だからね。かくして伝統は受け継がれる。
さて、老朽艦にお約束の重大な機器の故障も部下の決死の奮闘で乗り越えて、最後の務めを果たすハンターキラー〈スペードフィッシュ〉。麻薬戦争はまだ終結を見ていない段階ではあるが、為すべきことをなし、これ以上すべきこともなくなった、と見立てた艦長は老朽潜水艦を母港に向けるのだ。
ラストは、〈スペードフィッシュ〉の退役式。このあと、解体される、とかはとりあえず考えたくない。すべての作戦と任務を終え、母港の埠頭に静かにたゆたう老朽潜水艦。
ラストで繋留されている〈スペードフィッシュ〉と対照的に、揚々と出港していく最新鋭潜水艦の姿は、ウィリアム・ターナーの『戦艦テレメール号』の絵を思い出したりして、なんとも感慨深かった。ご苦労様。
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