書 名 「機龍警察 自爆条項〔完全版〕」
著 者 月村 了衛
出 版 早川書房 2017年7月
文 庫 上巻384ページ/下巻304ページ
初 読 2023年10月9日
ISBN-10 上巻4150312850/下巻4150312869
ISBN-13 上巻978-4150312855/下巻978-4150312862
読書メーター https://bookmeter.com/reviews/116618454
文 庫 上巻384ページ/下巻304ページ
初 読 2023年10月9日
ISBN-10 上巻4150312850/下巻4150312869
ISBN-13 上巻978-4150312855/下巻978-4150312862
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極近未来の兵器(機甲兵装=パワードスーツ)+世界情勢(テロリズム)+傭兵アクション+警察小説+ヤクザ物+傷ついた男(女)という超ニッチかつもろ私好みな小説シリーズ第二作目。
一作目は、いきなり衝撃的な戦闘と殺戮のシーンで度肝を抜かれた。
未だ謎が多く、日本の暗部に横たわる敵はいまだ正体を見せず、不完全燃焼気味なところは今作含めて、じっくり今後納得させられる予感。
そして今作も冒頭に衝撃の殺戮シーン。なんのためらいもなく、ただそこに居合わせた人が殺されていく。穏やかであったはずの日本に、否応なく暴力が跋扈する世界が浸透しつつあることを読者に知らしめる。
そして、今作は龍機兵搭乗員の傭兵三人のうちの一人であるライザが主人公。
無表情・無機質で虚無を抱えるライザの過去が明かされる。
北アイルランドの首都ベルファスト、かの地域に蔓延る強烈な宗教対立と暴力と同族内での蔑視。その中で頭が良くて多感な少女がどのように育たざるを得なかったか。自尊心の在りどころを求めた結果もたらされたのは父母、そして妹の死。悔恨と自責はライザに自死を選ばせることすら赦さない。
アイルランドって、よく名前を耳にするようで、その実ブッシュミルズを始めとするアイリッシュウイスキーの故郷くらいの知識しかない地域。おぼろげな知識はケルト神話ベースのファンタジーか文学の断片由来で、正確かどうかははなはだ怪しい。その紛争の悲惨な歴史は、平和ぼけした日本人の想像を超える。すべてが世界の裏側のことで人ごとに感じられる日本人の感覚を、作中の夏川警部補が言い当てている。そして、その混沌をエンタメ作品として読者に突きつける月村了衛!
もう一つ。タイトルの「自爆条項」およびその附則。
それを、淡々と受け入れている姿は、しかし履行することなく任務を全うする自信もあるのだろうな。
メカニカルなアクション描写と、捜査員一人ひとりの苦悩と、日本的な泥臭い組織力学と、スケールの大きい紛争史を、それぞれにクセのある竜機兵搭乗員や沖津の個性で1つにまとめ上げている月村了衛の力量に脱帽。ストーリーがバラバラにならないのが凄い。その押さえ込まれた熱量に圧倒されて一体自分は何を読まされてるんだろう?と慄く。
〈追記 2023.11.12改〉
コレを読んでいる間に、イスラエルとガザの紛争のニュースが。
愛読している小説の影響で、自分がイスラエルびいきなのは自覚がある。そうだとしても、日々方報道されるガザの惨状は一方的な殺戮の様相を呈していて、一体イスラエルは、パレスチナ人国家をこの世から抹殺するつもりなのか、と暗澹とした気持ちになる。いうも虚しいが、かつて、中東和平の大見出しとアラファト議長の写真が新聞の一面を飾った日の記憶を思い出し、あのニュースが当時の喜びと希望であったのに、いまはそれが爆散していることを見せつけられる。『自爆条項』の作中で、ベルファスト合意が覆され、IRFが台頭しているのはフィクションだが、中東和平の一方の代表であったアラファト議長がその後求心力を失い、中東和平が瓦解し、いまはハマスが台頭しているのは、紛れもない現実だ。
第二次大戦後、ヨーロッパ各国は、生き残ったユダヤ人の主権国家への渇望に便乗して、体よく面倒なユダヤ人をパレスチナに追い払ったとしか思えない。もちろん現実にはそんな単純な話ではないはずで、あえて単純化し極論すれば、ということにはなるが。
しかし、そんなことより、イスラエルにまずは戦いを止めよ!と言いたい。とりあえず殺すな。それ以外のことはその後で考えよ! 命以外のことは取り返しがつく、と思いたい。そう言いいたい。
* * *
ユダヤ人虐殺が始まる前の1933年、ヨーロッパに950万人のユダヤ人がいた。そのうち少なくとも600万人が1945年までの間に極めて組織的に殺害された。子供にいたっては9割が殺害された、という数字もある。
これだけの人数の人々が、ろくに組織的な抵抗もできずに羊のように従順に家や財産を奪われ、貨車に詰められて収容所に送られ、虐殺された。そのことへの反動が、イスラエルの強硬で暴力的な姿勢に現れているのだろうか。悲惨極まる体験から、ユダヤ人が主権国家を渇望し、その力で自分の身は自分で守ると思い定めたとしても、それを責めることはできないと思う。だが、それでもイスラエルがパレスチナ人に対してしていることは犯罪的だ。
パレスチナの苦難に対して、イスラエルは責任を負っている。イスラエルに、パレスチナの人々の生活や、人生や、命を奪う権利はない。
* * *
一方で私は、パレスチナの一般市民を盾に、あの狭い地域で大量のミサイルを製造し、また、持ち込んで、しかも先制攻撃をしかけたハマスを赦すことはできないとも思っている。ハマスに、パレスチナ人を守る思想があるとは思えない。彼らの大義のために弱者である子供や一般市民を巻き添えにしているだけではないか。
パレスチナ人が密集して暮らす狭い地域で人々を盾に武器を製造し、持ち込み、守るべき人々に犠牲を強いているハマスはまごうことなきテロリストであり、今現在のパレスチナの悲劇のトリガーとなったのはハマスであると私は思っている。
* * *
この本を読みながら考えていたことだが、戦闘に自分の存在価値をおいていると、命の価値は相対化されていくらでも軽くなる。戦いの目的や使命と思い定める対象によって死ぬのが自分だったり自分以外の市民だったり、他国の兵士や国民だったり、異教徒や異民族だったりするだけだ。 宗教は、闘争を正当化するための口実に過ぎない。そこに神はいない。
私は命を軽んずることを肯定する思想を嫌悪する。
そして、人の命を大切にしない、人の命は大義の前では消耗品にすぎないという発想は、宗教思想が原因なのではなく、人間性の発展の度合いに起因すると思っている。人命を消耗品程度にしか扱わない国家や宗教の基盤にあるのは神の教えや思想ではなく、文明の発展度の低さである。どんなに崇高な宗教思想があったとしても、人間は自分の知力を超えてそれを理解することはできない。
成熟した民主主義はいったいどこにあるのか。それは、人類の普遍的な価値となることができるのだろうか。
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