2024年6月24日月曜日

0489 償いのフェルメール (ハーパーBOOKS)

書 名 「償いのフェルメール」
原 題 「Collector」2023年
著 者 ダニエル・シルヴァ    
翻訳者 山本 やよい    
出 版 ハーパーコリンズ・ジャパン 2024年6月
文 庫 568ページ
初 読 2024年6月24日
ISBN-10 4596637202
ISBN-13 978-4596637208
読書メーター 
https://bookmeter.com/reviews/121477812

 せっかく、シャムロンが引き留めるのを振り千切り、〈オフィス〉を引退して速攻ヴェネツィアに移住したのに。やっと家族との生活と心の平穏を取り戻し、オリジナルの絵を描く才能さえ取り戻しつつあったというのに!(ほぼ自主的に!)また諜報の世界に引き戻されたガブリエルである。分かってたけどね、こうなるコトは。
 だいたい、いくら少数精鋭とはいえガブリエルの部下は数が少なすぎる。エリ・ラヴォンやミハイルや、ダイナが定位置から動いただけで、もはやロシア側に察知されるのでは? ガブリエルがヴェネチアの修復現場から数日以上姿を消しただけで、影で何らかの動きがあると見做されるのでは? どうしてガブリエルの挙動がロシア側にバレないのか、それが不思議でしょうがない。だけど、そこに引っかかると全てが面白くなくなるので、敢えて気にしないことに。
 内容も、大いなるマンネリの域に達したと言えなくもない。なにしろ今回もまた、有能な女性をスカウトして、対ロシア諜報戦だ。だがしかし。そんなささやかな不満(?)を吹き飛ばす終盤のスリルたるや、大したもの。いやあ、今作も面白かった。

 さて、あらすじである。以下ネタバレ。
 ヴェネツィアで、キアラや子供達と穏やかにすごすガブリエル。聖堂で絵の修復に取り組む彼のもとに、おなじみカラビニエリの美術班を統率するフェラーリ将軍が訪れる。有る場所で見つかった盗難絵画の鑑定を依頼したい、と。なにか裏がありそうだと思いつつ、ガブリエルが伴われた場所は殺人現場。そして美術館から盗まれて行方が知れなかった有名なゴッホ自画像の隣には、空の額縁とキャンバスが剥がされた木枠が残されていた。ガブリエルは、その盗まれた絵を取り戻すよう、フェラーリ将軍から依頼される。

 だが、盗難絵画を追いかけるうち、殺された絵画の所有者がかつて南アフリカで核開発に関係していたこと、そして〈オフィス〉協力者であったことを知る。そして、南アフリカが開発した旧式の核弾頭が、絵画の盗難に隠れて、ロシアの手に渡ったと思われることも判明。

 ウクライナ戦争を決定的な勝利で終わらせるために、ロシアが戦術核を用いるのではないか、と西側(米国)は怖れている。ロシアが秘密裏に入手した旧式の核弾頭が「ウクライナからロシアに対する」先制核攻撃に使われること(もちろんロシア側の偽旗作戦として)を察知したガブリエルは、ふたたび〈オフィス〉に戻り、オフィスの人員・技術と、自分が持つ人脈を集結して、ロシアと対決することを決意。

 と、まあそんな話。

 それにしても、今作は“コマノフスキー”が最高に格好良かったです。後半、ドキドキして、イヤな予感しかしなくて、読み進むのが辛かったわ。

 ガブリエルはもう70歳です。以前も書いたが、ハリー・ボッシュと同じ歳です。ボッシュだって、白血病だの、人口膝関節だの言っているというのに、ガブリエルときたら頑健すぎていささか不気味だ。キアラともまだまだお熱いみたいだし。

 今回、過去の登場人物も沢山でてきて、いったいいつの話なんだか、いささか混乱してきたので、人物リストを作っておく。常連の主要人物は省略で。


イングリッド・ヨハンセン………フリーランスのITスペシャリスト 
アストリッド・ソーレンセン……イングリッドの変名
マルティン・ランデスマン………過去作『報復のカルテット』に登場した、スイスの大富豪で投資会社の経営者。
セルゲイ・モロソフ………………過去作『赤の女』イスラエルに拉致された元SVR工作員。イスラエルの収容所で捕虜生活を継続中。
マウヌス・ラーセン………………〈ダンスクオイル〉のCEO  

グリゴーリー・トポロフ…………ロシア対外情報庁(SVR)の暗殺者  
ニコライ・ペトロフ………………ロシア連邦安全保障会議 書記。ワロージャの側近  
ゲンナージー・ルシコフ…………ロシアのトベリ銀行頭取(過去作に登場していたかは思い出せない)
ワロージャ/ウラジーミル・ウラジーミロヴィチ…………ワロージャはウラジーミルの愛称。言わずとしれた恐ロシアの独裁者。ウラジーミル・ウラジーミロヴィチ・プーチン。

ラース・モーデンセン……………デンマーク国家警察情報局(PET)の長官 
エイドリアン・カーター…………CIA長官。ついに!エイドリアンが長官に昇進!長い道のりだった。
ポール・ウェブスター……………CIAコペンハーゲン支局長
テッポ・ヴァサラ…………………フィンランドの保安情報機関の長官

2024年6月15日土曜日

0488 レーエンデ国物語

書 名 「レーエンデ国物語」
著 者 多崎 礼 
出 版 講談社 2023年6月
文 庫 496ページ
初 読 2024年6月14日
ISBN-10 4065319463
ISBN-13 978-4065319468
読書メーター 
https://bookmeter.com/reviews/121302449

  「革命の話をしよう」

 という序章で、この物語は始まる。
 「レーエンデ国物語」、と言いながら、この巻ではレーエンデという地方は登場しても「国」は存在しない。
 そのことからも、後世に登場する「レーエンデ国」の伝説若しくは年代記として、この本は語られるのだろうか、と予想する。
 序章によれば、この物語は「革命」の話であり、レーエンデの歩んだ苦難の道のりであり、物語の起点となる“レーエンデの聖女”と呼ばれたある女性の物語であると。
 そして終章、この巻の主人公の一人、宿痾に冒された弓兵トリスタンの、その銀呪に侵された死にゆく目に、壮大なレーエンデの未来が映る。そして、ここが終わりではなく、始まりなのだ、とトリスタンは知る。

 レーエンデの誇りのために戦う女がいた。(第二部 月と太陽)
 弾圧と粛清の渦中で希望を歌う男がいた。(第三部 喝采か沈黙か)
 夜明け前の暗闇に立ち向かう兄と妹がいた。(第四部 夜明け前)
 飛び交う銃弾の中、自由を求めて駆け抜ける若者達がいた。(第五部 未刊)

 これらの物語が、この後に続く巻で、語られていく。

 とても壮大で緻密な物語世界を構築している。まさに、ハイ・ファンタジー。
 そのことに疑いはないのだけど、物語の舞台には、冒頭からどことなく既視感を感じる。なんとなく『もののけ姫』の世界観との共通性を感じるからだろうか。時代的にも中世→近世といったところ。周囲はだんだん文明化しつつある。よそ者の侵入を嫌う異形の古代樹の森とか、宿痾を背負った青年(トリスタン/アシタカ)とか。作中に登場する泡虫は『もののけ姫』の「こだま」と同じような役回りを果たす。
 また、残念なことに、『指輪物語』のような大叙事詩的なスケールの大きさを感じさせる世界なのに、全体的に台詞回しが軽い。テンポの良い会話は面白くはあるのだけど、軽いノリや語彙が非常に現代っぽく、中世的な情景に相応する情感とは雰囲気が添わない。そのせいで登場人物の情緒もいまいちチグハグな印象を受ける。
 また、もう一つ違和感が拭えなかったのは、「革命」「自由」といった言葉がどうも上滑りしていること。(もっとも、後世に書かれた、という体裁であるから、描かれた時代(この巻の年代)にはない概念が「作品」に持ち込まれているのだ、と考えられなくもない。)
 「自由に生きる」「個人の幸福」「自分の人生を自分で選択する」といったテーマはとても近代的なものなので、太古の森で、ドレスを纏ったお姫様が、「自由意志による選択」について苦しむ、ということに時代的なミスマッチを感じてしまう。自我の獲得ともいうべきとても近/現代的なテーマは、あたかもとってつけたように感じられ、違和感があるのだ。16歳のユリアが、自分の父より高齢で好色な領主の後添えに嫁ぐことを伯父に強要される。そのことにユリアが嫌悪を示すのは良いし、苦悩するのも当然なのだが、その葛藤を「自由に生きる」という言葉に置き換えてしまうと、とたんに「なにか違う」ものになってしまう。

 また、「悪魔」という言葉は、どうしてもキリスト教的意味合いを強く感じるので、別の言葉を当ててくれるとよかったのにな、と思う。ローマ・カトリック教会に近い雰囲気を醸し出している「クラリエ教」の教義や伝承の中にこの言葉が出てくるのであればたぶんすんなりと馴染むが、クラリエ教に圧迫される側の少数民族の古くからの伝承の中に「悪魔」とか出てくると、違和感が強い。

 さらにどうしても気になってしまったのが、「木炭高炉に石炭が必須」というセリフ。
 木炭高炉で製鉄するなら、必要なのは木炭であって石炭ではないのでは?石炭で製鉄するにはさらに時代が下がってコークスの登場を待たねばならないし、そうなったらそれはすでに「木炭高炉」ではないのでは?

 いやほんと、お前は本を楽しむ気があるのか!と叱られそうなレビューで申し訳ないとは思いつつ、一応気になった点は記録しておく。しかし文句は多いが、十分に楽しんで読んだ。一巻目で感じた違和感のうちのいくつかは、後続の巻を読めば解消しそうな気もする。

 なにしろ、トリスタンが最後に悟ったように、これは「終わりではなく始まり」
 レーエンデは揺籠
 エールデは胚子
 誕生したまま、ついに登場しなかったエールデは、今後、物語の中でどのような役割を果たすのか。
 トリスタンが言ったように、トリスタンは霊魂となってエールデのそばに留まるのか。
 やはりユリアが言ったように、ユリアはリリスと、時代を経てなんらかの再会を果たすのか。
 始原の海とはなんなのか
 銀呪病の正体はなんなのか・・・・

これらの謎が明らかにされることを大いに期待して、続刊に臨みたい。

2024年6月7日金曜日

コミック 異国日記(4)〜(11)


(4)朝ちゃん「なんでこんなこともできないの」って禁句だからね、と思った。できない人はできないんだよ。「ふつうのこと」は、言われても傷ついちゃいけない、ってのも強者の、もしくは多数者の傲慢だよな〜。そういう傲慢は、幼かったり、若かったりすることで、周囲から許されるもの。愛されてきたであろう朝の無自覚な傲慢は、ところどころで棘のように痛い。
 そして笠町くん。頑張った。



(5)自分の中の当たり前や常識が砂上の楼閣のように崩れて、残ったのはお腹の中の命だけだったとき、実里さんにはその命を愛することは当然のことだったのか。実里さんは何を日記に書き残そうとしたのかな。
 高校生の頃、学校サボってぶらぶらするのは当たり前だったな。あの当時の形容しがたいやり切れなさは、学校という集団の中ではやり過ごすことができなかったので。幸いだったのは、そういういい加減さが許される学校だったこと。多分生徒たちを、馬鹿なことはしても、愚かなことはしない、と信頼してくれていたんだろうと思う。
 それにしても槙生さんの小説を読んでみたい。俺の竜のエイマールが死んでしまった、なんて、そこだけでも物語が怒涛のように押し寄せてきて泣けそうだ。

(6)「死ぬ気で、殺す気で、書く」「死ぬ気で、打ち、鍛え、研いで、命をかけて殺す」という作業。文章を書く極意を言語化するも、朝には「わかんない」。若いし、未熟だし、未熟だってことは恥ずかしいこと。まさに黒歴史。私はどうにも朝に共感しきれなくて。幼くて、知識も経験も足りないことにある意味あぐらをかく、というか、だから自分は許される、とどこかで思っているところが・・・・・多感なのに鈍感で、言葉を選ばないし、平気で人を傷つけるし。そんな未熟な朝を、きちんと愛する槙生さんがすごいと思うよ。もっとも槙生さんは絶対に「愛する」とは言わないのだが。
 笠町くんと、ジュノさんと、エミリのそれぞれの来訪が、同時並行で描かれていて、きっと槙生さんの頭の中はこんな感じにごちゃごちゃしているんだと思った次第。

(7)朝ちゃんが、すこし大人にちかくなって、世界と噛み合うようになってきたかな。世界と噛み合うとは、朝ちゃんの力が世界に及ぶということ。たとえば十年後の誰かの思い出のように!?
 そういえば、「自分のなりたいものになりなさい」って教育は本当にクソだと思う。自分が何者かもわからん子供に、自分がなりたいものになることが尊いのだ、と教育して、何%が成功して何%が挫折するのか、エビデンスがあるのか? それよりも、自分でメシが喰える人になりなさい。と教えてほしいよ。(と、大いに脱線。)

(8)えみりのカミングアウト。朝の「父親さがし」。数々のインタビューの中で、一番心に残ったのが、笠町くんの「年上の男性はいまだに苦手」。男の人でもそうなるのか、とこれまた男性差別的な視線で恐縮だが、そう思ってしまった。女の子だろうが男の子だろうが、高圧的な父親だったらそうなるよね。思春期の反抗期ごろに親子の関係性を転覆できなければ、そうなる。そして、親に愛されていなくても自分が価値のない人間ではない、という笠町くんの言葉。これは、真実だけど、自分の中で真実になるまでに何回も何回も反芻され、言い聞かされ、それでも頼りなく、自分を支えるものはそれしかないとしても、細く弱く頼りない。あなたはここにあるだけで価値がある、と槙生さんなら怒りながら言ってくれると思うが。

(9)7巻くらいから?判然としないけど、だんだん、構成が朝がもっと大人になってから記憶を辿って書いている日記の体裁になってきた。
そして、「やめる人とやめない人」。同じ文脈で「努力できるひとと努力できない人」という言い方をする人もいる。努力し続けることが才能だ。と。それもまた、一つの真理だけど。私にとっては、「努力し続ける」ことができる能力は、才能というよりは、恩寵、かな。自らに内在するもの、というよりは、自分の意思には無関係に与えられたり、与えられなかったりするもの。私の絵を描く友人はかつて「描き続けることを選択してきた」と。人生のさまざまな選択の場面で、「描くこと」につながる方を常に選択し続けることもまた、力であり才能。

(10)「父親探し」も一区切りついたか、気持ちも生活も受験が多くを占めるようになる高2の後半〜。姉の急死と姪の朝を引き取ることがなければ、きっと変化すこともなく、ただ硬化していっただろう姉との関係も、朝を通じて、槙生の中で変化していくのか。子育てって、自分の思い通りにはならない他者が自分の生活の中にいる、ってことだけでも、人間を成長させると思うなあ。なんとかそういう生活に適応する努力をしている槙生さんもえらいが、「努力」できている時点で、槙生さんの「生きにくさ」とはなんなんだろうなあ、とは思う。仲の良い友人がいて、仕事仲間もいて、子育て仲間もいて、ちゃんとコミュニケートできている。槙生ちゃん、ちゃんとできてるよ。

(11)了。様式美的ではあるが。予定調和的ではあるが。ほんと、こうだい槙生の作品を読みたくなる。

 総じて、自分の学生時代のこと、自分と親のこと、自分の子育てのこと、自分自身のこと、いろいろと思い出し、身につまされた。そういう意味では疲れる読書だった。

2024年6月2日日曜日

コミック 違国日記(1)〜(3)



 私の内面の、苦さ(くるしさ、とは書きたくないので、「にがさ」で。)とか、生きにくさ/やりにくさ、とか、人との関係の取り方の難しさとか、などは、決して外側からは見えないし、そんなものが存在することすら傍目には理解できないし、私がそのようなものを抱えながら毎日を生きているなどとは想像もつかないことだろうと思う。

 はばかりながら50年以上を生きてきて、人との付き合い方も、職場での振る舞いかたも、そこそこ身についている。ただ、自分の主観として、楽ではないだけだ。

 おそらくは、そこはかとなくアタッチメントに問題があるのだろうと思う。
 病的なほどではない。ただ、「傾向」として、ややそういうところがあるだけだ。

 致し方ない事情で、0歳児の頃に3〜4回、養育者が変わっている。基本的な愛着関係や言語を習得する時期なので、それなりにダメージがあったと我ことながら想像する。
 その後は、ずっと保育園で集団生活の中で育ったので、集団の中で身を処す方法は身についたが、それが自分の「気持ち」ときちんとリンクしているわけではない。

 自分の周囲で、自分以外の人が仲良く話をしているときなどに、なんの脈絡もなく、疎外感を感じる。この疎外感と自己同一化するといろいろと駄目になるので、自分の意識をちょっと遠くにおき、周囲の状況と、その環境下で自分の中に醸される感情を俯瞰することが習慣づいている。
 自分の感情と、自分のマインドを切り離して冷静に自分を観察するのは、例えば瞑想などとも関連する方法だが、四六時中そういうことをしているのはメンタル的に疲れるし、本来なら仕事などに回せる自分の脳内のリソースを余計なことに使っている。

 自分がどんな環境が一番好きかというと、たとえば、人の気配のする家の中でひとりでシンとしているのが好きだ。家族が寝静まった深夜の家の中などは、かなり好きだ。

 職場にいる時や、何かの会合に出ているときの自分はかなりテンションが高いが、周囲からはおそらくエネルギーのある元気者だと思われている。

 しかし、家に帰ると、スイッチが切り替わるので、一気にエネルギーは枯渇する。

 とても、疲れる。

 私もきっと「違国」の住人なのだと思う。

 だけど、きっと私一人がそうなのではない。皆、一人一人が、何かしらの難しさや生きにくさを抱えながら、「社会」や「世の中」に自分を合わせて、沿わせて生きている。そもそも、人は一人一人の能力にも差があり、なんとか円満に育ったとしても、この世は決して生きやすくないのだ。

 そんなことをつい、考えさせられた、「違国日記」。

(1)槙生さん、勢いと道義心の発露で、若犬(朝、15歳、女の子、姉の子)を引き取る。
 しかし、槙生さんは、人間関係全般がNGで、孤独を友とする人だった。親を失ったばかりの多感な15歳の存在に怯えつつも、なんとか関係を構築しようと模索する。あなたの感情はあなた自身のものであって、他人がそれをとやかくいえるものではない。当たり前のことだが、人は自分とは違う「他人の感じ方/考え方」を否定しがちだ。それこそ、「えー、うそー?(笑)」みたいな簡単な言葉で。「15歳の子供は、もっと美しいものを受けるに値する」「私はけっしてあなたを踏みにじらない」、日記の書き方のすすめが良し。

(2)主人を失った家の片付け。当然に続いていたはずのものが、突然断ち切られることを受け止めるのは難しい。自分にとっては敵も同然だった姉の生活をのぞく。いなくなった母のことなのに、現在形で話してしまう朝ちゃん。英文法の時制の話になぞらえて、受け止め方/考え方を教える槙生さんはとても知的で、優しい。自分と朝の「おかーさん」の話は、「過去完了形」。
 笠町くんはいい男だ。こういう男って、漫画の中にしか存在しないよな、とちと思った。
 なんで槙生の姉さんは、あんなに言葉で妹を切り刻んだんだろうな。姉というのは、それが許されると誤解していた? ただ、この場合姉の言葉は槙生の主観/記憶であって、実際はもうちょっとそうでなかった可能性もある。だが、そうだとしても、槙生の感じ方もまた、真実。
 いちいち槙生ちゃんと自分と引き比べてしまう。少なくとも、私は自分の生に疑問を持ったことはなかった。親に愛されていないと感じたことだけはなかった。それは間違いなく親に感謝できることだ。ついでに、自分の子育てをつい、振り返ってしまう。私は自分の娘にどう関わってきたか(かなり放任した自覚もあるが)。なんか、身につまされることが多すぎる。

(3)朝ちゃん、高校の入学式。一人で出席する朝に、親友えみりの母が怪訝な顔。ここにも社会常識という善意の塊。
 槙生が最初に借りたアパートは近くに学校があって、チャイムの音やプールの声が離れて聞こえてくる。緩やかに干渉はされずに、人の気配がして繋がっている感じ。これは理解できる。わたしにとっての夜中の家の中、と同じ感覚だ。
 無条件に子供を受け入れる、そうありたいと思っていたけど、実際のところ子供から見た私は「無条件」だったろうか。もしかしたら「無関心」だったのでは?
 そういえば、娘がこっちが返答に困るようなことを言ってきたときに、ひとまずそれを飲み込んで、どんな返事がいいか、と考えるんだけど、私の沈黙が長すぎて、娘は無視されている、と思っていた。べつに無視しようと思ったわけじゃないんだけどね。返答が難しかっただけだよ。もう、何を聞かれたかも忘れてしまったけど。

弁護士の塔野さん、いい味出してる。本人に自覚があるかどうかはともかくこの人も「違国」の住人か。でもこのかたはきちんと現実社会に着地していそう。
ライバル登場だ。頑張れ笠町くん。

2024年5月の読書メーター

 5月もあまり読書は進まず、読了冊数の寂しさについ、コミックで水増しした。
 オノ・ナツメさんのバードンが9巻で完結。どこまでも、スペクタクルにもアクションにもならず、渋ーい大人の物語でした。 公安Jの「オリエンタル・ゲリラ」は70年代安保闘争から新左翼が国際ゲリラ化した流れを辿る。ほんと、日本の暗部やら恥部やらをえぐるのが上手な作家さんだ。で、読みたい本が多すぎるだけでなく、読もうと思った本が本棚で行方不明になること多発。いずれ読もうと思っていた70年代関連書籍が見つからない。散々探して、よーく、よーーーく考えると、さすがにもう読まないだろうと思って古本屋に売っぱらったようなおぼろげな記憶があるような、ないような。こういう風に、突然読みたくなるんだから、やはり、本は手放してはいけない、と反省した。

5月の読書メーター
読んだ本の数:6
読んだページ数:1392
ナイス数:536

BADON(9)(完) (ビッグガンガンコミックス)感想
完結。一巻から追いかけてきたんだよなあ、とちょっと感無量。大人の話だ〜。それなりに大きな事件があり、関係者がそれぞれに揺られるけど、狼狽えない。たじろがない。力を合わせて乗り越える。煙草は吸わないけど、つい嗜んでみたくなってしまう。でも私にはハチクマのシガレットチョコの方が合うな、きっと。
読了日:05月31日 著者:オノ・ナツメ

警視庁公安J オリエンタル・ゲリラ (徳間文庫)警視庁公安J オリエンタル・ゲリラ (徳間文庫)感想
えらく時間をかけて読了。純也の心情に入り込めないのが、ストーリーにのめり込めない原因か。女性の造形はチープだと思う。なんだよ美魔女って(笑)。この男性作家さんも女性を魅力的にかけないタイプか? どうにも女性キャラが男の幻想の魔物の域から出てこない。70年代の社会運動の記録は、歴史的・日本の精神史的な側面からぜひ一度取り組みたいテーマなので、この本に触発されて、数冊の本を読みたくなった。なお、例の合言葉の意味は早い段階で気づいたが、ローの正体は流石に意外だった。氏家さんがどんどん良い人になってきたな
読了日:05月29日 著者:鈴峯 紅也

海賊王子と初恋花嫁 (Ruby collection)海賊王子と初恋花嫁 (Ruby collection)感想
疲れた心に優しいお話です。癒されたい人と癒されたい時に最適だ。砂漠の帝国のハーレムの一角で忘れられたような17番目の皇子と海洋都市国家(生業は海軍。傭兵+海賊)の首領の息子。10歳と12歳から始まる幼い友情と恋愛。17と15で再会して、海賊王子のカイが、初恋の相手で幼馴染みのイシュルをひたすらに口説いている。同時に手も出てる。カイはいい男だし、イシュルはただただ健気だが、心が強いのが良き。BL描写は極控えめ。船のイメージは帆付きのガレー船のイメージで読んだ。
読了日:05月21日 著者:須王 あや

違国日記 1 (フィールコミックス FCswing)違国日記 1 (フィールコミックス FCswing)感想
生きづらさを抱えながらも、自分の居場所を守りつつ、そこに、苦手としりつつ親戚の子供を引き取って・・・。槙生さんの生活はちょっとうらやましくもある。一人で引きこもって生きていくことに憧れてしまう。 私も、ラストからでも本を読める人なので、そこはちょっと共通点があって嬉しい。
読了日:05月18日 著者:ヤマシタトモコ

OBLIVION<矢代俊一シリーズ25>OBLIVION<矢代俊一シリーズ25>感想
《毒を喰らわば皿まで》検証『トゥオネラの白鳥』の展開には合理性があるのか!?《補遺》。矢代俊一シリーズ最後の本。未完。薫サン2008年12月の筆。翌年の2009年5月に死去された。今更だが故人の冥福を祈る。矢代俊一グループは、富士河口湖畔のホテル兼スタジオを貸し切って新アルバムの収録に臨む。収録にはコアメンバー5人の他にピアニストの松本弓彦、和太鼓の社中なども参加し、俊一の父も参加する予定。新アルバムは『雨月物語』をテーマに、人間の業と救済を描く。そしてそのホテルで心霊現象に遭遇したところで・・・未完。
読了日:05月04日 著者:栗本薫

五歳で、竜の王弟殿下の花嫁になりました3【電子書籍限定書き下ろしSS付き】 (Celicaノベルス)五歳で、竜の王弟殿下の花嫁になりました3【電子書籍限定書き下ろしSS付き】 (Celicaノベルス)感想
 3巻目が発売したので、読む。もはや私の心の包帯と化している。今作はレティシアの幸福を阻まんとする悪い策謀に対して、フェリス様の怒りが爆裂。レティシアの前では優しい猫をかぶってるフェリスの黒い面も堪能。白フェリスと黒フェリスの塩梅が絶妙です。ラノベとはいえ侮れん。この人文章うまいな〜と思いながら読みました。なお、男前?な王太后様がすんばらしかった。見直したよ。
読了日:05月03日 著者:須王あや

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