2021年3月20日土曜日

0262 教皇のスパイ  (ハーパーBOOKS)

書 名 「教皇のスパイ」 
原 題 「The Order2020 
著 者 ダニエル・シルヴァ
翻訳者 山本 やよい 
出 版 ハーパーコリンズ・ ジャパン  2021年3月 
初 読 2021年3月20日 
文 庫  584ページ 
ISBN-10  4596541507
ISBN-13  978-459654150

 2018年11月。
 オフィスの長官に就任して以来、ガブリエルは働きづめだった。休んだと言えるのは、パリで爆弾テロに巻き込まれた時に腰椎の怪我でやむを得ず自宅で数日静養した時だけで、それ以外は半日の休みもなく働き続けていた。夫の心身を案じたキアラは、一計を講じる。
 夫に内緒で密かに国外での休暇を手配。ウージ・ナヴォトを味方に引き入れ、首相にも根回しし、才能豊かなくせに何の趣味もない夫が退屈しないように、休暇先で夫が修復する絵まで手配する念の入れよう。
 ある日、帰宅したガブリエルが目にしたのは、準備万端の旅行カバンの数々。彼の口から出たセリフは、
「きみ、出て行くのか?」
 ついに、若く美しい妻に愛想を尽かされたと思ったか(笑)
 行き先は、キアラの両親が暮らす懐かしのヴェネツィア。双子が祖父母の家を訪れるのは初めてのことである。その双子ももうすぐ4歳で、いつまでも壮年のような雰囲気を漂わせているガブリエルもそろそろ老いと向かい合いつつある。(ちなみにガブリエルは68歳になるかならないか)
 そして、ヴェネツィアで休暇を開始した数日後、ガブリエルの旧友であったローマ教皇パウロ7世崩御のニュースが世界を駆け巡る。ガブリエルは、教皇の側近だったルイジ・ドナーティ大司教から求められ、ローマに向かう。

 まるで、読者へのプレゼントのように、ガブリエルシリーズの素敵なところがぎっしり詰まっている。双子とガブリエルの睦まじい関わり。キアラとのラブラブな会話。絵画修復にいそしむガブリエル。テーマが久しぶりのユダヤ人迫害とキリスト教の問題なので、これだけだと陰鬱になってしまうが、ガブリエルの家族との幸せエピソードがそれを和らげてくれる。キアラとのペアで、一工作員だった頃のように身軽に調査にうごきまわるのも久しぶりの光景。ガブリエルがナチュラルに妻を礼賛している。旧友ドナーティとの隠密行、ユダヤ人とローマ教会の暗黒史。ドナーティがもう一人の主役である。雰囲気的には、『告解』からストレートにつながる感じだ。コレ一冊で、ユダヤ人とキリスト教の関係をそれこそ紀元30年代からおさらいできる。
 そして、キアラとガブリエルは、長官退任後の残りの人生の計画を立て、一部行動に移したりも。これ、フラグじゃないのか?本当に幸せになれるのか?・・・と夢の老後の先取りをする二人に、読者の私の方が不安でいっぱいだ。(笑)

 『告解』では、ピエトロ・ルチェッシと読みが当てられていたパウロ7世だが、こちらではピエトロ・ルッケージ。なんとなくルチェッシのほうがイタリア人名っぽい?ような気もするが、実際の発音は知らないのでどちらが近いのかは不明。 『さらば死都ウイーン』で「草原」(笑)と訳されているレストラン前の広場は、以下のような描写。〈リストランテ・ピペルノ〉はそこから少し南へいったところにあり、テヴェレ川に近い静かな広場(カンポ)に面している。そうだよねえ。

 さて、ストーリーの話題に戻って、この本のテーマは、イエスの死の責任をユダヤの民に負わせるキリスト教の正典、福音書の記述は真実なのか。とくにマタイ福音書の中のキリストを処刑に至らしめる裁判で、ピラトがユダヤ人の群衆の前で手を洗って言う。「この人の血について、わたしには責任がない。お前たちの問題だ」民はこぞって答えた。「その血の責任は、我々と子孫にある」──『マタイによる福音書』二十七章二十四─二十五節

 これが、以後2000年にわたり、キリスト教がユダヤ人を神の殺害者として迫害し、ついには民族を絶滅させる規模の大虐殺を引き起こし、かつそれをローマカトリックが是認(もしくは黙認)した根源である。この記述は真実なのか。
 多くの研究者が、これは事実ではなく、キリスト教がローマの国教となる過程においてローマ人を取り込む必要性から、キリストの死の責任を、ローマ支配とローマ人であるユダヤ属州総督ピラトからユダヤ人に意図的に歪曲した、と見る。
 イエスは、過越祭の最中に騒ぎを起こした為に捕らえられ、おそらく裁判に掛けられることもなく、そのほかの大勢のユダヤ人とともに、無造作に処刑された。ユダヤの律法を守っていた最高法院が過越祭の最中の深夜に裁判を行うだろうか? あり得ないことだ。と作中でジョーダン神父は語る。この記述はユダヤ教の文化に疎いローマのキリスト教徒による創作だ、と。
 エンタメの体裁をとっているが、キリスト教が、ユダヤ人迫害に関して歴史的に果たした役割と罪を、深く、鋭く指摘している。現代のヨーロッパの移民問題はユダヤ人迫害をも悪化させた。その上コロナ禍で迫害に拍車が掛かり、ユダヤ人の安全は、第二次大戦後、最悪の状況を迎えている。著者はどうしてもこの作品を書く必要があったのだろう。
 母の死、祖父母の死、多くの死んだ、または今生きているユダヤ人の運命、自分の人生、そして自分を見上げる幼い娘の瞳。自分が望むと望まざるとに関わらず、その多くを背負ってきたガブリエルが、静かに涙を流す。

【余談ながら】
「これ、わたしが世界でいちばん好きなベンチかもしれない」キアラが言った。「あなたが意識をとりもどして、家に連れて帰ってほしいとわたしに頼んだ日に、あなたがすわっていたベンチよ。覚えてる、ガブリエル?ヴァチカンが攻撃を受けたあとのことだった」「どっちがひどかったのか、わたしにはわからない。ロケット推進式の手榴弾と自爆テロ犯か、それとも、きみの看護か」「自業自得でしょ、お馬鹿さん。もう一度会うことに同意しなければよかった」『教皇のスパイ』p.36-37

 ガブリエルが意識不明になるような惨事があったのかと気になって気になって(笑)、いろいろ探してしまったが、これ、状況としては多分こっちじゃないかな↓。
「あなたが正気にかえって、よりを戻したいって私に懇願した日に、あなたが座っていたベンチよ。覚えてる?ガブリエル。ヴァチカンが攻撃された後の事だったわね。」
「どちらが酷かったのか解らないな。ロケット推進の手榴弾や自爆テロ犯と、あの時のきみの私への態度と」

さて、何があったのか。。。。(笑)
ガブリエルとキアラは結婚の約束をして、ガブがエルサレムのナルキス通りのアパートを手に入れて、キアラは二人で暮らすために自分好みの内装までしたのだが、結局ガブリエルがリーアを見捨てられなかったため、キアラと破局する。そしてキアラがベネツィアに帰ってしまった、というのが『Prince of Fire』ラストのエピソード。その次の『The Messenger』で、ヴァチカンと教皇を狙った爆弾テロがあってガブが教皇を助けたのだが、その後、教皇がガブに「キアラがヴェネツィアで君が来るのを待っている」と嘘をいう。まさかガブリエルをキアラの元に行かせるために教皇が嘘をついた、とは思わないガブは素直にヴェネツィアを訪れ、キアラに冷たく「そこのベンチに座って待ってろ」と言われた挙げ句、「何しにきた」と怒られた、というのが、くだんの“惨事”であった。教皇パウロ7世。お茶目な人でした。きっとその後、ドナーティ相手に「神父さま、私は親しい友を欺きました」って告解している図まで目に浮かぶわ。白くて、小さくて、善良だったパウロ7世に合掌(←ダメか?)

  


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