2023年9月28日木曜日

0440 幸運には逆らうな (創元推理文庫)

書 名 「幸運には逆らうな」
原 題 「Soldiers of Fortune」2015年
著 者 ジャナ・デリオン     
翻訳者 島村 浩子
出 版 東京創元社 2023年8月
文 庫 336ページ
初 読 2023年9月24日
ISBN-10 4488196098
ISBN-13 978-4488196097
読書メーター 
https://bookmeter.com/reviews/116342334   

 ワニ町6冊目。しかし、原作は25冊くらいあるらしいので、まだ先は長い。(ん?原作は25冊で完結してるのか?それともまだまだ続くのか?)
 今回も、前作の直後からのスタート。1作目の白骨死体発見からまだ2ヶ月たっていない。カーターとはやっと恋人関係に昇格したところ。前作で負傷したカーターはまだお母さんの監視のもと、静養を余儀なくされている。それなのに、7月4日独立記念日のお祭りのその日、シンフルの街にほど近いバイユーの島で覚醒剤密造工場が大爆発し、カーターの叔父ウォルターの頭めがめて誰かの足が飛んでくる・・・・・

 町長選挙の結果、沼地三人組の宿敵シーリアが町長に当選し、最初にやったのは保安官の解任と自分の息のかかった新保安官の任命。保安官助手のカーターはいまだ傷病休暇中。シンフルの町から治安維持力も捜査力も激減しているとあっては、三人組は出番とばかり腕をまくらないわけにはいかず、そこに街の土着マフィアのヒバート親子も地元の浄化のために参戦。もう、序盤からワックワクである。

 お笑いのツボ的には、ガーティが相変わらずかっ飛ばしている。そして今回はヒバート一家の用心棒マニーが格好良くて好き。マニー主役でスピンオフ書いてくれないかしら。

 ああ、あと、ザリガニを庭で大鍋で茹でるケイジャン料理が出て来ましたね。ジャガイモ、トウモロコシも同じ鍋に投入してゆであげる。読んでると、伊勢エビくらいでかいザリガニな印象でしたが、きっと普通のアメリカザリガニだろうな。
 これは、我が愛するユニオン宇宙軍駆逐艦艦長のマックス・ロビショー少佐のなつかしき故郷の味。世界はルイジアナでつながっている?(もちろん、殺し屋ケラーさんも、ルイジアナ在住。やんちゃでイケメンな民間軍事会社社員の故郷でもある。)人類の魔境。それがルイジアナ(笑)

 さて、巻末の解説によれば、次作はついにフォーチュンが身バレするらしいぞ。

2023年9月24日日曜日

今日は『ジョン・ウィック4 コンセクエンス』を観にいった



 心密かに楽しみにしていた、ジョン・ウィック4。気がついたら公開が始まってたので、とっとと見に行ってきた。私はあまり俳優さんに入れ込む方ではないのだが、キアヌは好きだ。
 そういえば、ブログ記事にはしなかったけど、宮崎駿の『君たちはどう生きるか』も先日見に行った。この作品、いろいろと評は分かれているらしいが、私からみたら、とりあえず名作だと思った。あと、大人の映画だ、とも思った。・・・・てか、その話ではなく、今日は『ジョン・ウィック4』
 ええ? ええぇぇぇ〜〜〜〜〜!! ということがありました。あと、エンドロール終わる前に席を立って人の前を横切るやつ。最後まで見なかったことを後悔するがよい。

 ドルビーで見たんですけど、最初から最後まで、バンバンドンドン、スドンズドンの大音量だったので、ドルビーだろうが、普通のだろうが、大して変わらなかったんじゃなかろうか。あと、字幕でしたけど、台詞は大して多くないので、無問題。
 ジョンが無敵すぎるので、敵役がショボくなってしまうのは、致し方ないところか。せっかくジョンが頑張ってるのに、これまでのシリーズで一番、敵が姑息だった気がするのがやや残念。

 内容は、アレだ。ジャンプ漫画と同じですね。
 主役が、どれだけ殴られても撃たれても、車にはねられても起き上がる。死なない。不死身。そして友情、友情、友情、友情。ジャンプ漫画の王道を行ってます。銀魂とおんなじ感じです。でもいい。キアヌが格好良いので、いい。
 そしてラスト。えぇ?ホントに?ってなって、ええっ!?ってなります。
 これ、ジョン・ウィック5も予定されているってことなんですけど、どうやって繋ぐんでしょうね。これで「実は」ってなるのも興醒めな気がするんですが、どうするのかな。
 
 帰りに、ジョン・ウィックと、この間観た『君たちはどう生きるか』のパンフレットが出てたので、買ってきたんですが、『君たち』のパンフレットは酷かった。初めから作らなければよかったのに・・・・・。金返せ、ってレベルで酷い。

 
 

2023年9月23日土曜日

介護日記的な・・・その2 認知症の愉快な日々と読書

 だいたい毎週末に、飯炊きその他もろもろのため、2時間弱かけて母の家(自分の実家)に行くことにしている。
 金曜日の仕事を夜の7時か8時に切り上げて、週末のベッドタウンに向かう帰宅ラッシュに紛れて、重たい荷物を肩に提げていけば、翌日土曜日の夕刻から夜には自分の家に帰ってこれて比較的日曜日にゆっくりできるし、土曜日の午前中に行けば、日曜日も忙しないけれど、土曜日の朝はゆっくりと迎えられる。まあ、この1年続けて、なんとなく習慣化している。
 月に1回は認知症外来への通院。先日は突然の関節炎でいきなり母が歩けなくなり、整形外科の通院やら、デイサービスの調整やら、ばたばたと。幸い、数日で症状が好転して、事なきを得た。
 とにかく、短期記憶が長期記憶に保存されることがないので、母にとっては日々刻々が新しいことだらけである。事前に予告しておいても、尋ねて行けばびっくりするし、泊まれば、翌朝私がいることにびっくりするし、1年通院を続けていても、まったく通院していることが記憶に残らないし、デイサービスのお迎えも、ホームヘルパーさんも、毎日が初対面。な、だけなら良いが、うっかりすると不審者扱いなので、ヘルパーさんにも気の毒である。(だが、プロなんだから頑張って母に取り入ってくれ!と内心願っている。)

 先日、母を定期的に見守ってくれているご友人に会ったのだが、母は、「娘は仕事が忙しいからこちらには全然帰ってこない」 冷蔵庫に保存してるご飯パックは「自分がやってるのよ」あれもこれも、「全部自分でやっている」と、ずっと言っていたそうで、ご友人は、親子関係はそれぞれだとはいえ、認知症の親を放っておくここの家の娘はいったいどうなっているんだろう?と疑惑を抱いていたとか。

 いえ、母はもうご飯は炊けません。炊事は一切ムリ。出来るのはお湯を沸かすことと、電子レンジの温めスタートだけです。
 毎週私がかよって、ご飯を炊いて、一週間分をパックにして保存しています。
 お惣菜も冷蔵庫に買い置きしているのは私です。一口で食べられる果物なんかも用意しています。
 見守りカメラで常時監視(失礼!)してます。なんなら、皆様がお出での時も、カメラで見えてます。
 毎日、電話で朝起こしたり、薬飲んだか確認したりもしています。

「えええ〜〜〜〜!そうだったの?!お母様全部自分でやってるって言ってたわよ! ゴメンなさいね〜〜!あなたの事、誤解してたワよ!」

 と、愉快な会話を繰り広げたのだった。別に母に悪気はない。他意もない。素で、自分でやっていると思っているのだ。ご飯がパックされている→あら、私がやったのね。と。

 さて、そんな母であるが、身辺にはいつも本がある。
 私は、母が読書家だと思ったことはなかったのだが、あらためて見ると、まあ、本は読んでいる方だと思う。
 新聞も毎日丹念に目を通しており、赤鉛筆でラインを引きながら、丁寧に読み、気になった記事は切り抜きをし、新聞の連載記事や小説も切り抜いて、番号順に全部保存している。
 日曜版に掲載されている数独も必ず解いている。

 正直、母を見ていて、数独も読書も、認知症予防にはならないのだ、と知った。
 
 私は自分の読書寿命をどれだけ保てるか、今から恐々としているのだが、毎日時間があれば、新聞や本を読んでいる母をみて、これは「読書」と言えるのだろうか?とつい、考えてしまう。
 おそらく、5分前に読んだことは覚えていない、と思う。
 テーブルの上に本があっても、それが昨日自分が読んでいた本だとは判らず、「なんでこの本がここにあるのかしら?」と不審そうな顔をする。
 
 ううむ。それでも、読んでいる間は刹那的に楽しいのだろうか?
 少なくとも、私が望んでいる老後の読書ではないことは、間違いない。

 なんにせよ、体は動くほうが良いし、認知症にならずにすむのなら、そのほうが良い。
 明日の我が身を見るようで、老後の心配がひしひしと身に迫る、今日この頃である。


2023年9月20日水曜日

0439 ハンチバック(2023年芥川賞受賞作)

書 名 「ハンチバック」
著 者 市川 沙央       
出 版 文藝春秋 2023年6月
単行本 96ページ
初 読 2023年9月18日
ISBN-10 4163917128
ISBN-13 978-4163917122

 この本に「芥川賞受賞作」という帯がついてなかったら、私はこの本を手に取らなかったと思う。
 これまで、芥川賞の受賞作に興味を持ったことがあまりなかったのだが、この本を人の手に取らせるためならば、賞も悪くない、と思った。
 一方で、いったいこの作品は本当に優れた作品なのだろうかとも考えた。“健常者”の自意識をスパンキングするような刺激的な書きように、選考委員の脳がマゾヒスティックに痺れただけじゃないのか? 

 受賞インタビューで、著者は、この作品は復讐だ、と語っていたが、この本が受賞することも、市川氏による復讐にコミなんじゃないのか? 
 それでも、この本が受賞し、多くの人が手に取って読むのは、価値のあることだと思う。

 この本を、著者の容貌や姿態を思い浮かべることなく、何の先入観なく読むことは私には難しい。そしてきっと、多くの人にとって、自分が当たり前に享受しているさまざまな物事について問われつつ、自分の狭量さや偏見とも向き合いながらの読書になるだろう。多くの健常者にとって、この本は、その中に入り込んで共感するのではなく、自分が当たり前だと思っていた感覚や思考を横っ面から張り倒されるような本になってしまうだろう。
 それが良いとか悪いとか、ではなく、この主人公に自分を投影することができず、自分とは異なる存在であると感じる事実に向き合うことになる。もし、釈華が自分の前にいたとして、私は彼女と理解し合えるだろうか? 自分は偽善者なので、彼女を理解しようと努める一方で、彼女は私にはなんの興味も持たない気がする。
 それとも、障害者である釈華との正しい距離感として、障害と健常という彼我の差を間に湛えたまま、お互いの気持ちを犯さない距離を探ることになるだろうか。

・目が見えること
・本が持てること
・ページがめくれること
・読書姿勢が保てること
・書店へ自由に買いに行けること
読書バリアフリーについて、彼女は紙の本が人に要求する身体能力を挙げる。
「5つの健常性を満たすことを要求する読書文化のマチズモを憎んでいた。その特権性に気付かない「本好き」たちの無知な傲慢さを憎んでいた。」
「紙の匂いが好き、とかページをめくる感触が好き、などと宣い電子書籍を貶める健常者は・・・」 

 煽るなあ、と思う。紙の本が好き、というのは単に紙の本が好きなのであって、電子書籍を貶めることとイコールではないと思うが、敢えて紙の本が好きな人は電子書籍を貶めると言い切る。もう、喧嘩を売られている気しかしない。
 これが、「紙の匂いが好き、とかページをめくる感触が好き、などと宣う健常者は暢気でいい」という文章だったなら、私は健常の身を暢気に謳歌して、そうでない人の心情には思い及ばない傲慢な人間であることを反省したりするだろう。しかし、著者が描く「健常者」は障害者を踏みにじる存在であるので、弱者の心情に気付いたり反省したりする役割は求められていないような気もする。

「あの子たちがそれほど良い人生に到達できたとは思わないけど」「あの子たちのレベルでいい。子どもができて、堕ろして、別れて、くっ付いて、できて、産んで、別れて、くっ付いて、産んで・・・・・」

 そういう人生の真似事でいい。という釈華は、「そういう人生」がどれほどの悲惨さを内蔵しているかを知らないし、自分に関係のないことだから、知る必要も感じない。知らないのを良いことに、自分勝手に想像している。そして「あの子たちのレベルでいい」という言葉に潜む、蔑視。結局のところ、健常と障害との差異の形をとってそこにあるのは、他者を理解しえない“人間の性(さが)”でしかないように思う。

 このように、一行一行、いちいち、読んでいて立ち止まって、考えさせられてしまう。
 ラストの一章がさらにメタ構造になっていることも、この章や構成の意味を考えている人が、今、日本中に沢山いるだろう。

 私は底意地悪いことに、この章は、読者が勝手に、この章の意味をあれこれと捏造し論評するその様を、著者が眺めるためだけに書かれたのではないか?とも、つい考えてしまった。

 しかし、この釈花という女子が主人公となるラストの一章が、私は好きだ。

 この章があるからこそ、これからは愛の作品を書くと言う著者を信じて、次作を待つ気持ちになれる。私は、著者がこれから書く“愛の作品”を読んで見たい。これだけ力ある作品を書く人だから、自分の外側に対置するように読むのではなく、自分が主人公の中に入り込んで読むことができる、この人の作品を読んでみたい。この人の力強い言葉に横っ面を引っ叩かれるのではなく、抱擁されてみたい。そして自分がどこに連れていかれるか、その境地を確かめてみたい。
 


追伸

朝日新聞に8月5日に掲載された書評を発見。
https://book.asahi.com/article/14974015

これはまた、おそろしく綺麗事な書評で、たいへん驚く。 

“主人公には選択肢すらない中絶への願望は、出生前診断により生まれなかった命に対する哀惜の歪(ゆが)んだかたちであり、障害者の生と性を否定する社会への捨て身の抗議に思える。”

本当にそう思えるのか? そして、そう考えるからこその次の文章である。

“両親の遺産を継いだ釈華は「お金があって健康がないと、とても清い人生になります」というが、同じ条件の邪悪な人生だってあるだろう。釈華は所与の条件に依(よ)らず、清い人なのだ。彼女の真の願いや願望は、その語りを裏切りつづける。”

 私はこの書評を読んで、なんともうそざむい、気味の悪いものを見てしまったような気分になった。

 結局、障害者は清く正しく美しくなければ、健常者に受け入れられないのか? 著者が渾身の力で世に放った毒を、このように「清く正しい」ものにしてしまわなければ、この人は、“ハンチバック”の障害者たる彼女を受け入れないのだろうか。

 この書評が著者に投影していることって、24時間テレビのいわゆる「障害者ポルノ」とどれだけ違うんだろう?

 私はこの書評の書き手が幻想した「清さ」や、この書き手にとって望ましい障害者の「願望」よりは、釈華のあけすけな性の欲求や、時に醜悪ですらある言辞の方が真実だと思えるし、敢えて著者が世に送り出したそのような”せむしの怪物”すら、清く美しいものにしてしまおうという精神こそ健常者の傲慢で、とても恥ずかしいと感じた。



(用語集)
コルバン「身体の歴史———Amazon参照のこと。お値段高!
★マチズモmachismo———「男性優位主義」を指し、男性としての優位性、男性としての魅力、特徴を誇示する、という意味合いがある。
なぜ、「健常者優位主義」にマチズモというルビを振ったのか。健常者イコール男性であり、社会の中でいまだ弱者である女性は、健常者たり得ないから? それとも「読書」にもともと付きまとっている静的で脆弱なイメージではなく、彼女にとっての紙の本の読書が、マッチョで男性的で、弱者をなぎ倒すようなイメージを付与したかったからだろうか。
★インセル———インセル(incel)とは、インターネットカルチャーの一つで、自らを「異性との交際が長期間なく、経済的理由などで結婚を諦めた、結果としての独身」と定義する男性のグループのこと。"involuntary celibate"の2語を組合せた混成語。
日本語では不本意の禁欲主義者、非自発的独身者などと訳され、「非モテ」や「弱者男性」などの言葉に重なる面が大きい。  
★ADAーーーAmericans with disability act - 障害を持つアメリカ人法(ADA法)の略。
★ナーロッパ———なろう系小説で、主人公が転生する異世界として描かれる中世ヨーロッパ風の世界のこと。あくまで中世ヨーロッパ「風」なので、本来はその時代にないような物でも存在する。トマトとかジャガイモの料理なんかも出て来そう。
★プチプラ———「プチ(小さい)プライス(価格)」の略。値段が安いことを示す俗語。ほとんどの場合、女性用のファッションアイテム・化粧品・香水・雑貨などのジャンルで、「安くてかわいい」「手に入りやすい」といった意味で使われる。
★セペ———膣内やデリケートゾーンを洗浄するやつ
リプロダクティブ・ヘルス &ライツ———性と生殖に関する健康と権利
★ハプバ(ハプニングバー)———その日店に居合わせた人達がハプニング=SEXを楽しむための店。あくまでもその日限り。
★裏を返す———何回も客が同じキャストを指名すること←→一見
★即即———風俗業界用語。ソープだけど体を洗う行為ナシで、すぐに性行為に入ること。
★NN———風俗業界用語。生で中だし。(コンドームを用いない挿入と射精を可とすること。)

2023年9月10日日曜日

介護日記的な・・・その1 '22年8月〜23年9月

 実家の母が独居になって、はや22年(?)。
 父が亡くなったのがうちの長男が生まれた年だから、ムスコの年齢=母単身生活の年数。
 長年、病弱な父の在宅生活を支え、家族の経済を支えてきた人で、まあ、母の関心と心配の対象はほとんど父が占めていたと思われるので、私とは比較的、心理的には距離があるというか愛着形成に問題があったようななかったような。
 父は一日一回の処置(我が家では包帯交換、と言っていたけど、どっちかってーとガーゼ交換かな)が必須な人だったので、長年、母が単身で外泊することはまずなく、おまけにずっとフルタイムで仕事をしていたので、その分、父が亡くなった後しばらくは、糸の切れた凧みたいに、あちこち楽しそうに海外旅行に出歩いていた。そんな風に活動的だったのも、70代までで、75を過ぎたあたりからだんだん本格的に高齢者っぽくなってきて、大きな駅の改修工事(横浜駅のSF的なやつとか、渋谷駅のとか)に頭が追いつけず、電車の乗り換えが難しくなって、一人で娘(私)の家に来ることも間遠になり、そうこうしているうちに新型コロナ流行が始まって、いろいろと社会生活や行き来が制限されているうちに、昨年夏、おそらくは夏場の脱水症状がきっかけになって一気に認知症が進んだ。

 慌てて認知症外来をやってる精神科と、脳外の専門病院でMRI検査なんかもやって、付いた診断は「アルツハイマー型認知症」で、中程度まで進んでいる、とのことだった。細かい説明は忘れたところもあるけど、前頭葉はあまり影響が見られないけど、頭頂部の脳は萎縮していて、海馬の周りも細ってる、という話だったと思う。

 母はもともと体が丈夫で姿勢もよく、足腰がしっかりしている人だったので、きっとどこまでも歩いていってしまう呆け老人になるだろう、とは以前から思っていたが、幸いにも、見当識障害は今のところそれほどでもなく、家から数百メートルのスーパーに買い物に行くくらいなら、真っ直ぐ行って、真っ直ぐ帰ってくることはできるし、それほど外出する方でもないので、近所で迷子になる、という事態は今のところ、起きていない。一方でバスの乗り方や、最寄りの駅のことは忘れてしまったので、家の周囲で迷子になるのも遠い未来ではないかもしれない。念の為、自治体でやっている認知症高齢者情報には登録して、迷子タグ(QRコード)も作った。
 冷蔵庫の中は、大量のハムとか牛乳とか卵や納豆が何パックも入っていたりするのはご愛敬。定期的にこっそり整理している。

 昨年の夏、受診に先行して、(もはや認知症であることはほぼ確実だったので)地域包括ケアセンターに相談し、早々にケアマネを紹介してもらい、診断と同時に要介護認定を申請。地域の資源を検討し、いずれは利用することになるであろう特別養護老人ホームを見学し、幸い最寄りの認知症デイサービスを併設している特養がとても信頼できたので、デイサービス通所も週2日からスタートした。

 ADLが完全に自立しているのと、「片付け魔」でとにかく家の中を片付けずにはいられない性格故、家の中がじつに「きちんと」して見えるため、要介護度は1で認定された。

 実際には、ありとあらゆるものをどこかに仕舞ってしまうため、必要なものが次々に行方不明になるし、「火事が心配」といってはあらゆるコンセントを抜いてしまうため、携帯電話も電話の子機も、クーラーも炊飯器も使えないし、うっかりすれば見守りカメラの電源も抜かれてしまうし、ご飯を炊いたことを忘れて炊飯器のコンセントも抜いてしまうので、炊飯器の中でご飯は腐るし、もしかしたらそれを食べていたし、ましてやご飯のおかずを用意するのも論外で、主治医には「そろそろ施設を考える頃合い」とまで言われるのに、要介護1では、できることはあまりにも少ない。

 認知症高齢者の一人暮らしをどこまで支えることができるか。
 
 母は、家が大好きだし、母が自分で購入し自分でローンを払いきった自宅であるからには、やはりできるだけ長く住まわせてあげたい、と思う。私は、母とはそれほど親密ではなかったが、それでも、戦中生まれで、戦後の大変な時期に成長し、病弱な父と結婚して、多少難はあろうが(?)、いわゆる「女手一つ」で家庭を守り抜いた人であれば、惨めな老後で人生を締め括らせたくはない。できるだけ、本人が“悠々自適”と感じられる生活を長く続けさせてあげたいし、施設に入れるのは、本人があまり“判らなく”なってからの方が良いと思っている。

 そんな事を考えながら、まず、生活を整えるためにしたことは、
① 見守りカメラの設置。
② お弁当(夕食)の宅配をスタート。
③ 認知症高齢者デイサービスへの通所をスタート。
④ 金銭管理と盗まれたら困るもの、預金関係のもろもろの預かり。〈詐欺対策〉
⑤ 無くされたら困るもの(保険証など)の預かり。(保険証については、時たま本人が通院を思い出したときに探し回るので、後でカラーコピーでダミーを作って、母の引出しに戻した。)
⑥ 本格的な次の夏が始まるまえに、エアコンを2台更新・1台新設し、すべてスマホで遠隔管理できるようにした。コンセントは抜かれないように壁に埋め込むか、カバーをつけてアロンアルファで強力接着。(昨年は、暑さ/寒さが判らなくなり、エアコンもつけない部屋を閉め切り、30度を超える室内で過ごしていて、おそらく認知を悪化させた。)
⑦ それでもエアコン本体での室温管理が難しく、スイッチボットの温度計も追加で設置し、居間と寝室の室温管理を徹底。スイッチボットは思いのほか使い勝手が良かったので、ついでに、2台目の見守りカメラも導入した。

 デイサービスは、2日から、3日、4日と増やして、できるだけ日中はデイで見守りしてもらい、一人では出来なくなった入浴もお願いをしているが、この時点で、要介護1では足が出るので、足りない分は全額自費負担になる。しかし、背に腹は代えられないし、とにかく一人ではまともに食事の用意ができないので、この夏から、ホームヘルパーも導入を開始した。
 しかし、デイのお迎えもホームヘルパーも毎度『初対面』状態で、あなた誰?から始まるので、プロとはいえ、ご苦労が忍ばれる状況である。

 私がしているのは通院同行、月1回のケアマネとの打ち合わせ、週1で泊まりがけで様子を見に行きがてら、一週間分のご飯を炊いて、一食分ずつジップロックの保存容器で冷蔵庫に保管。すぐに食べられる果物、日持ちのする惣菜などを冷蔵庫に補充するなど、おもに食事に関することが中心なのと、郵便物や各種請求書などの対応。

 最近は、金曜日の夜に職場から実家に直行し、土曜日に自分の家に帰ってくる、というパターンが定着している。それ以外には、常時監視・・・・ではなく見守りカメラで様子をみつつ、ここぞというところで電話を入れたり、朝、電話を掛けて起こしたり、薬を飲むように声かけしたり。デイサービスの担当さんと電話で連絡を取り合ったり。
 エアコンの入れ替えにしても、お弁当の宅配にしても、新しいことを導入する場合には、それこそ一日何回も電話で説明したり、見守りカメラで動向を確認したり、と手間は計り知れない。
 仕事中もしょっちゅう携帯をチェックしているので、さぞかし勤務態度の悪い職員だと思われていることだろうが、上司と、近い同僚には「介護休暇で休まれるよりはマシ」と認識されている、と願っている。

 母と相対して、気を付けているのは、「常に楽しそうにしている」こと。
 表面的には良く分からなくても、いろいろと物がわからなくなったり、出来なくなってくる不安を、本人は抱えている。こちらのイライラや不安は如実に本人の状態を悪化させるので、とりあえず「笑う」。失敗して思わず怒ってしまったりしても、最後はとにかく「笑って」収める。
 無理強いはどうせできなので、とにかく説明と説得を繰り返す。5分前と同じ話だろうが、何十回でも繰り替えす。
 一方で、何かあってもだいたい30分もあれば忘れちゃうので、こちらもあまり気にしない。
 でも、それで済んでいるのも、まだ、許容しきれない問題行動、というほどのものが少ないから。これから状態が進行していったときにどうなるのか、不安は尽きない。
★参考
見守りカメラの徹底比較サイトhttps://my-best.com/1771
見守りカメラ1代目はラムロックを選定。携帯電話の通信を使うので、通信料が毎月発生するのが難だが、通信の安定性はバツグン。コンセント接続が必要なのと、自動首振り機能は無いので、コンセントの位置と、カメラの画角と見守りたいエリアとの折り合いが付けば、それなりに使い勝手は良い。
   
スマホでエアコンのオンオフ、室温管理をするために、Switchbotを導入。
これは、相当に使い勝手がよい。Wi-Fiが必要。

実は、頻繁に録画を確認していると、ラムロックは通信量が相当嵩むので、Switchbotのカメラ運用が軌道にのったら、ラムロックは解約しようか、とも思った。しかし、そうすると一台のWi-Fiルーターに情報を頼ることになり、もし何らかの原因でWi-Fiの接続が不安定になった場合、まったく室内の情報をとれなくなってしまう。 という状況に、設置して早々に遭遇したため、当面見守りカメラはラムロックとSwitchbotの2台体制でいくことにした。 そのうち、運用を見直す可能性はある。

読書用ブログにこの記事ってどうよ、と思わなくもないが、どこかに記録を残しておきたいという気持ちもあり、そして「日記」をつけられる性格でもないので、ひとまずブログ記事にしておくことにした。

2023年9月4日月曜日

0438 AS TIME GOES BY <矢代俊一シリーズ21>



読書メーター https://bookmeter.com/reviews/115881905   

Amazonより・・・勝又英二と暮らしながらも金井恭平への思慕を捨てきれずにいる矢代俊一だが、俊一の父は金井を快く思っていないばかりか、森田透からも金井との関係は無理があることを指摘されて俊一の苦悩は深まっていく。しかも俊一自身もまた、金井恭平への思いが次第に変わってきてることに気づかざるを得なくなっているのだった。アメリカツアーを目前にして俊一をめぐる錯綜した人間関係は否応なしに変化する兆しを見せていくが……。矢代俊一シリーズ第21巻。

 Amazonの解説がぜんぶ語ってる。これ以上の事はとくにない、のだけど、一応感想的な。
 ニューヨーク渡航前の数日間を俊一の心象で語る。それにしても、たぐいまれな才能を持ち、希有の美貌を持ち、芸術の神ミューズに選ばれ愛されている・・・・・と薫サンが力説すればするほど、俊一が陳腐で曖昧な存在になっていく。
 東京サーガを通じて割りを喰っていた風間サンは俊一専属のプロデューサーとなり、俊一の“最大の理解者”ポジに納収まって幸せいっぱい。そのプラトニックな立ち位置を堅持しようとする風間を、俊一が「寝てもいい」とか言って煽る煽る。
 かつての島さんとの愛憎の日々をディスりつつ、金井を追い落として俊一の愛人ポジを狙い、俊一の籠絡を図る透は、寄生昆虫かなにかに内部を喰われたゾンビみたいで気持ち悪い。今となっては『朝日のあたる家』が名作に思えるレベルで暗黒面に墜ちている。
 金井は、俊一を追いかけてニューヨークに行き、俊一とジャズマンとしての再起の二兎を追うつもりとな。
 英二と父は相変わらずで、きしょい。
 音楽シーンがほぼないので、ツライ一冊。次作はやっとニューヨーク。あと3冊かあ。。。“毒を喰らわば皿まで喰う”つもりで始めたこのシリーズのレヴューだが、 こんな罵詈雑言ばっかり書き続けて良いのか、とさすがにためらいを感じるが・・・・・とはいえ、ねえ。『真夜天』で、『翼あるもの』で、そして『朝日のあたる家』で『ムーン・リヴァー』で、人の心を動かした責任っつうものがあるんではないか?と問わずにはいられない。

2023年9月2日土曜日

2023年8月の読書メーター

 7,8月のなんという体たらくよ。(ちなみに7月はモノクローム・ロマンス文庫の1冊のみだったため、記事にしなかった。) 8月、読メ登録はなんとコミック3冊だけ。しかも結構な流し読み。実家の母の介護やらなにやら渾然一体となって進行中で、まとまった紙本にどうしても手が伸びない。この大スランプの突端のストッパー役になってしまったのは、『アポロ18号の殺人』だった。大好きな中原尚哉氏の翻訳なのにどうした私!? そして世の中は読書の秋に差し掛かりつつあり、楽しみにしていた新刊が続々と刊行中。必ず読むぞ!との決意のもと、とりあえず入手はしているので、いよいよ積ん読の標高が高くて、もはや酸欠必死。いや圧死するかも。とはいえ少なくとも小説からは離れていない・・・細切れ時間での読書欲はpixivで発散中。
 独居の母は突然足の痛みで歩けなくなり、デイケアでは車椅子でお世話していただいた。
 整形外科で薬を処方されるも、認知症にとって、突然始まった朝昼晩の服薬の難易度の高いこと。お薬の管理がしやすいように配薬トレーを導入するも、配薬トレーを家のどこかに片付けてしまう母(ToT)。
 その母の行動を追いかけていた見守りカメラまで、電源抜かれてお片付け〜〜〜(゚Д゚)
 そんな母の住まう実家に通ってあれこれする傍ら、父の蔵書を整理したり手入れしたり。手塚治虫漫画全集のカバー掛けは一応完遂した。


8月の読書メーター
読んだ本の数:3
読んだページ数:552
ナイス数:382

3月のライオン 17 (ヤングアニマルコミックス)3月のライオン 17 (ヤングアニマルコミックス)感想
あかりさん、ってこれフラグなん?あの男なの?島田さんじゃなく?そんな!!な三日月堂の幸せ。そして気持ちがしあわせで安定した零ちゃんの幼児化はっちゃけジャックラッセル化(笑)なんかどのページもわちゃわちゃ騒々しかったけど、面白い。この物語、どこまでいくんだろうねえ。
読了日:08月30日 著者:羽海野チカ

幼女戦記 (28) (角川コミックス・エース)感想
ああ、なんかデグさん、一周回っちゃったな。の巻。冒頭、ヴィーシャとのイチャイチャの続きコマから眼福ではじまり、何かがぶち切れたままのデグさんはそのままモスコーを蹂躙し映像記録と宣伝が大好きだった某独裁者よろしく、記録映画まで収録。そして、早期終戦を目論んでいた首脳部の思惑を(意図せずに)粉砕。存在Xとの対話を一蹴し、賭け金は自ら、そして部下達、そして育てあげた大隊。ここからどこに向かうのか、一コマ一コマは切ないのに、総体はいけいけドンドン。章間の蘊蓄コラムも相変わらず充実している。
読了日:08月30日 著者:東條 チカ

モーメント 永遠の一瞬 19 (マーガレットコミックス)モーメント 永遠の一瞬 19 (マーガレットコミックス)感想
ソチの前のバンクーバー五輪をどうするのかと思っていたらこう来るか! 雪の、すでに何回目かもわからんターニングポイントです。フォームを矯正して、しなやかに自然に、いっそう伸びやかに美しく。雪の通って来た道がとても10代の女の子とは思えずもはや何を読んでいるのか良く分からなかったりもするけれど、槇村さとるの大好きなフィギュアスケートものなので、最後まで頑張る。
読了日:08月08日 著者:槇村 さとる

読書メーター