著 者 佐藤 さくら
出 版 東京創元社 2020年4月
文 庫 352ページ
初 読 2025年1月14日
ISBN-10 4488537065
ISBN-13 978-4488537067
読書メーター https://bookmeter.com/reviews/125405393
「真理の織り手」シリーズの佐藤さくらさんの、次の作品。舞台は現代日本だけど、大正・昭和初期も絡めつつ、骨董品(呪物)を探し続ける不思議な少年とその兄(犬)が主人公。舞台が日本なだけに、さらりと流れる空気感は、しっくりする。呪物・・・というと『雨柳堂夢話』というよりは『百鬼夜行抄』のほうが雰囲気的に近いかな。
主人公の朱鷺や、その兄の冬二がどうしてそれぞれに「呪い」を背負うことになったのか。朱鷺の家である千倉(ちのくら)家の先祖代々になってきた役目、その家におきた悲惨な出来事、などはさらり、と描かれているのに、登場人物の内心の呪詛のような悩みや苦しみや拘りはそれはそれは重く苦しく繰り返しくどいくらいに(失礼!)書き連ねられ・・・・・
いちおう、ファンタジー括りの物語だとは思うが、かなりホラーに近いかも。
登場する少女、美弥の悩みや挫折は、読んでいて思い当たる人が多いのでは。それが自分に対する呪いに変化するほどのものかどうかは置くとして、思い通りにならない、なりたい自分になれない、理想や夢に届かない現実に涙することは、多くの人が経験しているだろう。まったくそういう経験や思いとは無縁の一握りの人もいるだろうとは思うけど。
ただ、「努力できる」ことには、それ自体に価値があり、「努力できる」ことはそれだけである意味勝ち組ではないかとも、読んでいて思うのだ。
本当にダメな人間は努力すること自体が出来ない。それは、怠惰とか脆弱とかとは別に、自分を信じることができないからだ。冬二が美弥に言ったように、美弥は「それでもお前はお前を見限っていない」からこそ、努力しもがくことができる。今時使い古された言葉でいうならば「自己肯定感」があるからこそ、歯を食いしばっても努力ができるのだ。
自己肯定感の低い人間は、そもそも、自分のやることに確信が持てないので、踏ん張ることも継続することも難しい。そして、「何者にもなれない」自分に虚無感を感じるのだ。
そんな意味で、美弥や冬二に共感半分、疑念半分で読了。共感できるようなできないような。美弥の悩みそのものが、学歴という既存の狭い枠組みに由来するものでしかないところも、共感しきれない部分ではある。ただ、多感な高校生ならばかくもあろうか、と遠い記憶を引き寄せつつ、考えたりもする。
冬二の呪いも、朱鷺の来し方行く末も、きっと続く2冊でもうすこし明らかになるのだろう。
この不器用な兄弟の重荷が、すこしでも軽くなりますように。
登場人物全員が、対人関係が弱くて希薄なのは、「著者の呪い」かな。
それでも、著者さんも、登場人物たちも、そして私も、足りない自分に足掻き、もがきながらもなんとかして生きていくのだ。
美弥が、あるとき、自分の周りを見回して、「私は自分の力でここまで来たのだ」と満足と納得とともに、思うことができますように。と呪いを掛けておこう。
なお、陰陽師なんかを呼んでいると「呪い」(のろい)ではなく「呪」(しゅ)と言ったほうがしっくりくるな、などとも思った。
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