2025年1月21日火曜日

0534 魔道師の月 (創元推理文庫)

書 名 「魔道師の月」
著 者 乾石 智子    
出 版 東京創元社 2014年11月
文 庫 462ページ
初 読 2025年1月21日
ISBN-10 4488525032
ISBN-13 978-4488525033
読書メーター 
https://bookmeter.com/reviews/125546842

 コンスル帝国歴857年 晩秋、という書き出しから始まるこの書。コンスル帝国皇帝の甥で皇位継承者であるガウザス(軍人)お気に入りのお抱え魔道師レイサンダーと、まさに『夜の写本師』話中でシルヴァインを失った直後の失意と絶望に苛まれるキアルスの二人の魔導師の邂逅の物語は、どこまでも緻密に織られるタペストリーの一幅のよう。

 太古の闇、始原の悪意とも言うべき〈暗樹〉。見かけは円筒型の黒い木片のように見えるが、木でも木炭でも石でもない、太古から存在する禍々しいもの。地上に現れては動物から人へ、人の手から人の手を渡り、より強い欲を持つもののところに擦り寄り、人の欲望を増長させ、混乱と破綻と災悪をもたらすもの。それが時の権力者の元に現れたときに居合わせてしまったのが、大地の魔導師レイサンダー。
 シルヴァインを殺された衝撃と悲嘆から立ち直る時間もなく、彷徨い歩いていた書物の魔導師キアルス。
 キアルスは、大切に肌身離さず持ち歩いていた『タージの歌謡集』を、失意に飲まれて焚き木にくべてしまう。正気に返ってから深く後悔し、せめて、その断片だけでも復元を試みるが、タージの歌謡集とそれを叙述した人物が図柄に織り込まれた古いタペストリーの魔法に飲み込まれ、タージ、正確にはタジンの歌謡集の由来と歌謡集が編まれた過程を追体験することになる。実はタジンの歌謡集は、当時も世に現れた太古の悪意〈暗樹〉を封じるために集められた、魔術の込められた歌謡集だった。

 タジンの歌謡集の記述者で星読み(予見者)だったテイバドールの人生を自分に取り込んだキアルスは現世に戻り、〈暗樹〉から逃れて姿を隠していたレイサンダーと出会うことで、二人で暗樹と戦うことに。

 まさに、その世界そのものに遊ぶハイ・ファンタジーの名にふさわしい、壮大な魔力に満ちた世界が一気に叙述され、読み手も主人公と一緒に翻弄される。
 キアルスが体験した、テイバドールの人生は、それだけで一冊の大河ファンタジーになりうる密度だったし、レイサンダーの幻視は燦然と、脈絡なく広く深く、次から次へと展開する。
 そのイメージはとても人間に体験しうるものではないと思えるのだが、それでもぐいぐいと読まされてしまい、訳もわからないままに、この魔力に満ちた世界を引き回される。
 エピソードの一つ一つは、どれも闇夜のようで暗く重いのだが、物語全体が明るさに満ちているのは、キアルスの深刻になりきれないどちらかというと軽めな性格と、レイサンダーの「闇を持たない」明朗さのおかげか。知性と思索のキアルスと直感のレイサンダーという対比も光る。
 二人の友となるコンスル帝国軍の副隊長(のちに隊長)のムラカンの存在も素晴らしい。ラストの成り行きは、このようになるしかない、とは思っても心が痛む。

 テイバドールの妻となるイスランとその妹のリルルは、脳内で『乙嫁語り』に登場する双子の乙嫁(名前忘れた!)で完全再生された。話中でもすこしキアルスが調べているが、この過去の物語ののち、テイバドールが夢見た王国は、愛する妻、イスランの名前を冠した「イスリル」という国となり、やがて、魔導師の大国・イスリル帝国として、コンスル帝国に拮抗していく。そのあたりの物語は、『イスランの白琥珀』までおあずけとなるよう。
 主人公に感情移入できる作品も素晴らしいと思うが、乾氏智子氏の作品は、主人公に、ではなく、世界そのものに読者を引き込む力を持っている。感想らしい感想というのは難しいのだが、私にとって、乾氏智子氏その人が、書物の魔導師のようだ。

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