2018年11月26日月曜日

0153 EQMM90年代ベスト・ミステリー 双生児

書 名 「EQMM90年代ベスト・ミステリー 双生児」 
出 版 扶桑社 (2000/9/1) 
初 読 2018/11/26 

1ダヴィデを探して ひとつ聞くがね。それは難しい問題なのかね?マッドよ? 

2 双生児 兄はADHDタイプ、弟はアスペルガータイプかな、と思うた。最後まで皮肉。 

3金儲けの上手い奴は頭が良いんだと、気づけないところが所詮は・・・ 

4ヒコーキ事故の話。短編らしく、捻りはない。捻れているのは航跡だけだな。 

5動いているハーバード 流石のランキン、面白い! リーバスの続きを読まなくては。

6ヒマラヤ杉の野人 ダグ・アリン すっごく良かった!読み応え抜群。これは、他の著作も探さなきゃ

7善行 お母ちゃん・・・ 

8 つぎはお前だ この余韻はたまらない。 

10クリスマスの正義 
良い話ダナー。クリスマスの誰かを幸せにしたくなる、よくわからない空気感がふんだんに。 ラスト1話でなんだか良い話を聞かされたような気にさせられて、若干面白くない気がするのは私がひねくれているからだろうか。

2018年11月25日日曜日

0152 その雪と血を

書 名 「その雪と血を」 
著 者 ジョー・ネスボ 
翻訳者 鈴木恵 
出 版 早川書房 (2018/11/20) 
初 読 2018/11/25 

 言葉が、白い雪の結晶のように降り積もる。人生の何かが欠けていると分かる男の一人語り。欠けているのは愛か、希望か、未来か、世界そのものか。
 オーラヴが綴る言葉は、雪のひとひらのように脆く、儚い。それは彼が綴っていたのが現実と、彼の「物語」を行きつ戻りつしているからか。オーラヴの「物語」のおかげで、とことん救いが無いのに、どこか救われたような気がしてしまう。せめて、オーラヴ自身が救われたことを願う。それにしても、早まった。クリスマスに読めば良かった。

2018年11月24日土曜日

0151 ミスコン女王が殺された

書 名 「ミスコン女王が殺された」 
著 者 ジャナ・デリオン 
翻訳者 島村 浩子 
出 版 東京創元社 (2018/9/20) 
初 読 2018/11/24 

 あああ面白い!乞う続刊!カーターとも良い感じだし、これはロマンスになるのか?私としてはロマンスより腕比べのほうが期待値高いが。フォーチュンとカーターがお互いに背後を守りあうシーンを想像してドキドキしちゃうね。フォーチュンがばあさん二人に対してかなり口が軽いのが残念だが、まあ、素性を知られてるしな。母の思い出や、父との確執がこのヘンな田舎町で溶けていくのか。そんな彼女は果たして本職に復帰できるのか。まだまだ10作くらいあるらしいけど、ちゃんと邦訳してくれるのか、創元!よろしく頼みます。

2018年11月22日木曜日

0150 ワニの町へ来たスパイ

書 名 「ワニの町へ来たスパイ 」 
著 者 ジャナ・デリオン 
翻訳者 島村 浩子 
出 版 東京創元社 (2017/12/11) 
初 読 2018/11/24 

 面白ーい!女の一人称で面白く読めたのは久しぶりじゃ。なんつーかジェントリーを女にして、ねじを1本2本抜いたらこんな感じか?
 おばあちゃんたちがこれまたイカす。これ、上司のモローとこのおばあちゃんたち、実はかつての戦友、とかそういうオチはないよね。それにしても恐るべしルイジアナ。3メートル長のワニが悠然と共生して、泥臭く、ハリケーンでは水没し、死体は漂流し、ばーさんは凄腕スナイパー。(笑)「栄光の旗のもとに」→「死者の河を渉る(ロバート・クレイス)」→この本とどんどんルイジアナのイメージがヘンになっていくぞ。ルイジアナは、米国の小説家達にとっても魔境なのか??ってか、在住してるのか。そういや、ドッドソンもケイジャン料理作ってたよね〜。何はともあれ、バナナプディングを食べたい。

2018年11月18日日曜日

0149 働く女子の運命

書 名 「働く女子の運命」 
著 者 濱口 桂一郎 
出 版 文藝春秋 (2015/12/18) 
初 読 2018/11/18 

 この著者の本を3冊続けて読んだが、同じジョブ型、メンバーシップ型雇用を取り扱いながら、若者、中高年、女性と切り口を変え、それぞれ新しい発見があった。3冊分のまとめとしてかなり長いが考えをまとめておく。

① 世界標準の職務給ではない家族給・生活給という給与形態を日本の産業界と労働運動が手を携えて成立させてきた過程と、日本の雇用の姿(その中で女性の労働がどのように変遷してきたか)を確認。こうして戦前から現在に至る雇用の形や法制を見ると5年10年単位で世の中の意識が結構ダイナミックに変わっていくものなのだと知った。

② 生活給としての年功序列賃金が戦前の国家社会主義の勤労報国の形を雛形としているとか、日本のマルクス主義経済学と生活給の怪しい関係とか、日本の労働運動がむしろ女子差別と表裏の関係にある年功賃金を助長する働きをしてきたとか。社会主義ならぬ会社主義とかバッカジャネーノ?また70年代以降の知的熟練論についてはその論客である小池氏の理論があまりにも馬鹿っぽいが、原文に当たらずに批判をするのは他人のふんどしで相撲取るようなものなので控えておく。それにしても気持ち悪い歴史が盛りだくさんだ!

③ 80年代以降は自分の記憶にも残っている。90年代、平成不況到来で非正規化する男性労働者が増大して非正規雇用の問題が拡大する一方で、これまでの「一般職(=職場の花)」は募集そのものが無くなり、その業務は安価な派遣社員に移行。少子化ショックが育児休業充実の原動力となるが、なし崩し的に問題が少子化や非正規雇用問題に遷移する一方で、働きつづける女性の出産年齢の上昇も課題。

 最後に著者からの問いかけ、「マタニティという生物学的な要素にツケを回すような解が本当に正しい解なのか」に対する、私の回答は以下のとおり。 

 ジョブ型への移行は、社会保障のあり方と表裏一体であること。
 同一労働同一賃金を実現するためには、給料から生活給の部分をそぎ落とし、職務給として純化していく必要があるが、その為には次世代育成すなわち中長期的な社会の維持発展に要する費用を給料から切り離す必要がある。これらの費用は公的に負担され、その社会のメンバー(もちろん会社も含む)が税金という形で公平に分担することになる。(著者が引き合いに出すEUなどでは、むろん、子育て手当や教育無償化は充実している。) 
 健全な次世代の育成は社会が維持発展するために必須であり、その負担は社会全体で賄う必要がある。この点を明確に要求して実現させるのとセットにしない限り、今の日本の社会システムの中では、ジョブ型や職務給導入の議論は意味不明なものになりかねないだけでなく、単純な低賃金化や労働強化に繋がりかねない。
 ごく単純に考えて、子育てと教育に要する負担が社会化されれば、あとは自分の再生産費だけを稼ぎ出せば良いので、同一労働だろうが同一労働力だろうが、同一賃金を導入できるし、そのときには、女性はもっと働きやすくなるだろう。

2018年11月15日木曜日

0148 日本の雇用と中高年

書 名 「日本の雇用と中高年」 
著 者 濱口 桂一郎 
出 版 筑摩書房 (2014/5/7) 
初 読 2018/11/15 

 自分が労働環境や条件に希求するものが、おおよそ日本の労働行政(国)が進もうとしているものと時代的にも内容的にも軌を一にしていたことに、軽く衝撃を覚えた。
 前著「若者と労働」で縦型「メンバーシップ型」と横型「ジョブ型」の労働類型を分かり易く説明してくれたが、今著では、特に中高年に焦点を当てつつメンバーシップ型の弊害を読み解いていく。
 自分が居心地が良いと感じさえする会社のありようが本質的に過酷なものであることを、噛んで含めるように、教え諭すような本。
 取り敢えず読んでみてくれ、と特に同年代に勧めたい。
 長く生き、長く働くには、どうしたら良いのか。
 メンバーシップ型の無軌道な服従の要請に応え続けることはせず、右肩上がり賃金にはある程度のところで見切りをつけ、ワーク・ライフバランス重視の生活を取り戻し、などなど。
36協定よりも11時間インターバルの方が大事。60歳で定年したのち低賃金で継続雇用するよりは、中高年でももっと若く、柔軟性もあるうちに、働き方を変えて70までは働く。どれもとても重要なことに思える。

2018年11月3日土曜日

0147 若者と労働 「入社」の仕組みから解きほぐす

書 名 「若者と労働 「入社」の仕組みから解きほぐす」 
著 者 濱口 桂一郎 
出 版 中央公論新社 (2013/8/10) 
初 読 2018/11/03 

 
 欧米型労働類型であるジョブ型労働社会と、日本型労働社会類型であるメンバーシップ型労働社会の対比とその異質性に関して詳細に述べられている。
 メンバーシップ型(言い換えれば終身雇用・年功序列賃金体系)は、仕事に最適な能力を持つ人を採用してその仕事に貼り付けるジョブ型に対し、まず人を確保してからその人に社内で仕事を貼り付ける。一方が職から職に人材が移行する、横流れの構造であるのに対し、一方は「入社」から「定年」まで縦に流れる構造。不況時に、ジョブ型では若年者失業者が社会問題となるのに対し、かつての日本では中高年の失業者対策が、労働施策の中心となっていた。
 それが変化してきたのは1990年代の不況に労働市場が急激に縮小し、企業に収納されきれない新卒者が出現してきたから。それでもフリーターと呼ばれた彼らは「(会社という)束縛を嫌う自由で気ままな若者」というレッテルのもと問題が矮小化されて、実際に社会問題=労働問題として意識されるようになったのは、彼ら就職氷河期に出現したフリーターが不安定な身分のまま年長となり、その後の景気回復によって新卒就職できるようになった後から来た新卒との格差が無視できなくなってきた2000年代。
 一方、労働法制は、戦後米国ベースで制定された流れもあり、基本ジョブ型類型を踏襲。法体制と労働実態の乖離があるなか、実効的な労働施策も施さねばならず、その処方箋として、著者が提唱するのは、正規雇用であるメンバーシップ型雇用と、拡大する非正規雇用の間に、ジョブ型正社員を置くこと。

 うーん、まとめきれないが、日本の労働市場が特異だということは良く分かった。その中にどっぷり浸かっているのは一方で安穏だが、無制限の(会社への)奉仕を要求される過酷さも、また実感として良く分かる。
 個人的事情としては、長年、ワークシェアリングが制度化されて、業務量の分散と人間的生活の回復を図ることを願って来たにもかかわらず、不況と聞こえの良い労働力流動化政策によって低賃金の非正規雇用が急速に広まり、短時間労働者である非正規職員との賃金格差が拡大する一方、正規職員の労働強化という波に巻き込まれて過労死寸前。この日本、いやこの会社、どうしたものだか。多分筆者の提案が実現すりゃあいいんだけど。