著 者 今野 敏
出 版 新潮社 単行本初版2007年4月
文庫本初版2010年1月
文 庫 405ページ
初 読 2024年2月11日
ISBN-10 4101321566
ISBN-13 978-4101321561
読書メーター https://bookmeter.com/reviews/118888078
『隠蔽捜査』(シリーズ一作目)から手元に置いてあったのに、なぜか2巻目から読み始めてしまった。理由は手の近くにあったから。だが、各巻をパラパラとめくったことはあり、どこから読み始めようが面白いはず、という確信はあった。
大学浪人している息子の不祥事で、降格人事の憂き目にあった警察官僚の竜崎。警察庁の官房から所轄の署長に異動するところから話は始まる。
しかし、中央官房で出世する道は閉ざされても、竜崎はくさらない。自分に与えられた持ち場で、自分の思う最善を尽くすのが、公務員の本分だと心底から考えている。改善すべきことはどこにでもあり、それならば断固として改善すべきであり、それを行うのが自分の為すべきことなのだ、と思っている。
隙間だらけで錆も付いた緩んだ歯車のような旧態依然の官僚組織が、竜崎という強力な動力に巻かれてびっしりと動き出す、そんな様子が頭に浮かぶ。まず言動で示し、部下や組織を動かし、そして当の歯車たちの心が動く。そうやって動き始めた組織は、大きな成果を生むのだ。
事件は、竜崎が着任した大森署管内で起こる。消費者金融の強盗事件逃走犯と思しき犯人が署からも程近い繁華街の小料理屋に立てこもり、そこで発砲事件が起こる。
大森署内に捜査本部(帳場)が立ち上がり、本庁からは人員や幹部が大挙して乗り込み、所轄は情報も与えられず人足のように使われるだけ。だが、竜崎は自分の身を最前線にねじ込ませ、現場を掌握する。
そして事件は一応の解決を見るが、犯人銃殺の責を問われて、竜崎は窮地に立たされる。
事件そのものよりも、原理原則を貫く竜崎の立ち居振る舞いを反抗ととらえたり面白くないと感じ、潰そうとする周囲の管理職との丁々発止が面白い。部下に責任転嫁することなく、正面からそれを受け止め、部下や現場の人間を守る竜崎を、最初は疑い深く、やがて驚きの目で、そしてついに信頼の思いで見守る部下は、自らも動き出す。姑息な人間、能力はあるが認められずうらぶれた捜査員、力のある人間、上司や組織に尽くすことを本分と信じる人間、様々な人間が、それぞれの立場でそれぞれの気持ちや思惑を巡らせ、行動する。その中で竜崎が見せる信念と揺らがなさが、なかなかそれを実行することが難しい読者にとっても快い。そして私は、木っ端役人の一人として心慰められた。
竜崎自身については、それはどうなの?と思うところは沢山ある。
家庭を顧みず、女は就職なぞしないでもよい、と内心考え、息子には東大以外大学じゃないと進路を強要し、妻がいなければ風呂湯沸かしのスイッチも押せず、クリーニング済みのワイシャツすらどこにあるのか判らない。風呂から出ればそこに部屋着が用意されているのが当たり前、妻はいつも敬語。この男、私より多分10〜15歳くらい年上か。たぶん初巻が発行された2005年の頃に40代後半くらいの設定ってことは昭和30年代生まれで、つまりは著者と同年代。にしてもいくら昭和の男だとしても、こいつどうなの? 妻にかしずかれるタオパンパは決して私の理想の男ではない!
※タオパンパは2ちゃん系のネットスラングね。お風呂から出たらそこにタオルとパンツとパジャマをママが用意してくれている過保護男のことだ。
そして、息子に見せられた『風の谷のナウシカ』についうっかり感動し、そこから力をもらってしまう単純な男でもある。・・・しかし、『ナウシカ』って1983年くらいの公開じゃなかったか? この時点で、すでに古典的名作だよ。
そもそも。
《女は就職なぞしなくていい。正直に言うと竜崎はそう思っていたが・・・・》P.207《・・・有能な女性というのは数えるほどしかいないし、そういう女性に限って早々と結婚退職してしまう。長期にわたって責任を負わなければならないような重要な仕事や役職を任せようと思っても、いつ辞めるかわからないので、不安になってくる。結局、女性は信用できないのだ。》P.207
・・・・・って、さすがに21世紀にもなってこれは、頭が古すぎないか? 公務員職場は、女性が給与も勤務条件も男性と同等に差別なく働ける職場だぞ。警察がどうなのかは知らんが。中央官庁だって、女性はザラにいるぞ? 自分が頑張って働こうと思っているところに、10歳年上くらいの、こんな考えの上司がいたとしたら、さぞかし仕事はやりにくいだろうし、女性は出世もできないだろう。だがしかし、竜崎が上司であれば、そこはきちんと、能力を認めてもらえそうな気はする。ついでに言うと、女性が働いて経済的に自立することは、ある種の犯罪の抑制になるぞ。DVは、女性が経済的に男性に依存せざるをえない状況が温床となっているのだから。
まあ、そんな竜崎にも、割れ鍋にとじ蓋的な、内助の功、糟糠の妻の鏡のような妻がかしづいているのだから、それはそれでバランスがとれているのだろうし、彼の人間的欠点(?)はとりあえず置くとして、だ。
官僚・公務員としての竜崎の矜持は、かくあれかし、と思う。
《国歌公務員がすべきことは、現状に自分の判断を合わせることではない。現状を理想に近づけることだ。そのために、確固たる判断力が必要なのだ。》P.31《たしかに些細なことかもしれない。だが、事後の確認は大切だ。物事は一つ一つ完結させていかねばならない。》P.66《書類を読む速さには自信があった。そして二度三度と読み直すことは決してしない。速読し、一度で内容をちゃんと理解する。そうでなければキャリアの仕事はつとまらない。》P.180《本音とたてまえを使い分ける人がまともで、本気で原理原則を大切だと考えている者が変人だというのは、納得ができない。》P.201《俺は、いつも揺れ動いているよ。ただ、迷ったときに、原則を大切にしようと努力しているだけだ。》《迷ったときの指針を持っているというだけなんだ。》p.259
なんだか、最近、自分自身が現実の仕事でかなりうらぶれてやる気を失いつつあったが、かなり元気づけられた。
私は行政職員にとって価値があるのは「政策を形成すること」「行政的な権限を持って人に尽くすこと」のいずれかであり、そのどちらでも良いと思っている。庶務や管理の内部業務であっても、現場で直接働く人間をより働きやすくすることで、間接的に市民にサービスすることができる。中央にいれば、政策形成的な仕事をすることができるが、出先の末端にいても、行政職としての本分は尽くすことができるのだ。そう考えていることが、竜崎と共通していた。おかげでずいぶん励まされてしまった。
《だが、人間、特に犯罪者となるような人間は、そうした合理的な考え方がでいないことがしばしばだ。合理的に物事を判断できる人間は、犯罪に手を染めるようなことはない。少なくとも、その選択肢に飛びつくことはないだろう。》P.133
これはその通りで、きちんとした判断力を備えた人間なら、大抵は最後の一歩は踏みとどまれるものなのだ。これ以上やったら犯罪になる、という一線が見える。しかし、それに気付かずどんどんマズい方向に踏み込んでしまう人々はいる。刑務所に収容されている人の平均IQは80程度だという法務省の研究を見たことがある。それが良いことかどうかは、さておくとして、刑務所は福祉に引っかからずに落ちてしまった人の最後のセーフティーネットになっている。
《・・・だが、祝賀会や忘年会など、自腹でやればいいのだと竜崎は思う。民間の会社は皆そうしている。公務員だけが、公費で飲み食いをするのだ。》P.91
これはマジか?と目を疑った。ほんとに?2000年代に入ってからも、警察って公費で飲み食いしてるの? これはない。本当だったらマズいが、さすがにそれはない。もし警察がそうだったのなら、ここは「公務員」ではなく、「警察」と書いてほしいところだ。いや、いくらなんでも、公費で宴会はしないよ。
さて。
以前受けた研修で、講師(つまり現管理職の偉くて頭のいい人)から、着任したら「1週間で担当業務の概要を把握し、2週間で業務の全容を理解しろ」と言われた。いや、もしかしたら「2週間で概要把握、1ヶ月で全容理解」だったかもしれない。いずれにせよ、私には無理だ、と思った。以来、それ以上出世はしないようにしている。所詮、上昇意欲は乏しく、現場が好きな人間だ。ついでにいえば、マルチタスクが苦手で職場内のアレコレにまんべんなく気を配るのも下手だし、(自分は)偉い(と思っている)人をよいしょするのも苦手なので、管理職は無理と見極めている。
そんな自分ではあるが、竜崎のあり方は、心に新鮮な風が吹き込むような爽やかさがあった。ここ1年ばかり、自分は気がくさっていたな、と思う。
尽くすべき対象に尽くすことが木っ端役人の気概だ。それ以外の雑事は、どうでも良い。
愚かな人間も自己中心的な人間も、無能なくせに自己愛に満ちた人間も山ほどいるが、それも現実だ。
有象無象と付き合うのも仕事の内だが、いつの間にかそんな業務環境に毒されて自分の気持ちまで腐ってきていた。そんなことを竜崎の果断な態度に気付かされた。自分にとって、必要で、良い読書だった。
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