2022年6月16日木曜日

0354  栗本薫・中島梓傑作電子全集2 【真夜中の天使】Kindle版

書 名 「栗本薫・中島梓傑作電子全集2 【真夜中の天使】Kindle版」
著   者 栗本 薫    
出   版 小学館   2018
ASIN     B078NMBCZZ
収録作品
【小説

 真夜中の天使 上・下

 翼あるもの 上 生きながらブルースに葬られ

 翼あるもの 下 殺意

 続・翼あるもの The END of the World

エッセイ

 沢田研二のためのコラージュ

 久世光彦様お慕い申し上げております

 森茉莉との出会い

対談

 「自由」を賭けて戦う愛を! 中島梓×竹宮惠子

  ジュネスピリッツ・リローデッド対談  中島梓×竹宮惠子

特別寄稿

 今西良、この運命的なるもの 金田淳子

回想録

 栗本薫との日々 二      今岡清

 栗本薫の育児日記  二   山田良子

付録1「特別資料」二

 『真夜中の天使』自筆原稿

 『翼あるもの 上 生きながらブルースに葬られ』自筆原稿

 『翼あるもの 下 殺意』自筆原稿

付録2 単行本初版書影写真

解題第二回解題 八巻大樹(薫の会)


 『The END of the World』を読むためだけのために、Kindle版で入手した。
 お値段的には、『まよてん』『翼あるもの』を全巻収録してあるだけでも、お買い得感がある。(もっとも、すでにどちらも、紙本、Kindleで持っていた身としては、ただの三度買いである。いや、『翼あるもの』は少なくとも中学生時代に一回買ってその後手放しているから、四度買いだ。)『翼あるもの』本編でも『朝日のあたる家』でも描かれることのなかった、巽が死んだ日の透と島津の間の出来事である。つまり、巽が死んで、透は自殺することもできず、島津に「めちゃくちゃにしてくれ」と頼んで、島津がその頼みを聞いた。というヤツ。

 相変わらず不思議な時空の乱れ。
 『翼あるもの』透25歳。ドラマ2クール26回(実質6ヶ月)。最終回撮影時(巽死亡時)、透27歳。なぜだ〜?!
 つまり、この『裏切りの街路』収録中に、巽が良に惚れてしまい、透が野々村と島津のところに逃走する。『ウラガイ』放映と同時進行的に、透の再デビュープロジェクトが進行するが、『アイ誕10週連続勝ち抜き』のベタ企画だって10週掛かるし、島津が企画していた透のドキュメンタリー作成だって、それなりに時間がかかるだろう。そうこうしている間に『ウラガイ』が進行して巽が死んでしまっては、おそらく透の再デビューも途中で透が腑抜けて頓挫必至。要は、巽が死ぬまでの良—巽サイドの所要時間と、透が再デビューを果たすまでの、そして、島津が透を見直して惹かれるようになるまでの、透—島津サイドの所要時間が合ってないんだよ。
 巽が死んだときに、島津と透の間で多少は通じるものが生まれていないと、『The END of the World』のエピソードも機能しないわけで。で、大いに問題なのが、そういうことを当の栗本薫が辻褄合わせしないで、その時の筆の勢いで作品を垂れ流すこと。
 今ひとつ疑問なのは、透が自分のシングルがベスト10入りした時点で「もうやめる」と島津に告げるタイミングがいつなのか、かな。少なくとも、『The END of the World』の時点では、透も多少は仕事を抱えているようなので、この後の出来事なのだろう。おそらく、『The END of the World』作中で、透を26歳にしておけば、ぎりぎりごまかせた時空軸。誕生日がいつなのかにもよるし、ねえ。

 さて、それで、『The END of the World』の方であるが。
 冒頭部分の島津のサドでゲスな振る舞いが酷いんで、あれで、貴族的だの高貴な魂だの言われてもなあ。とちょっと鼻白む。唯々諾々と服従している透の心理もちょい謎。透は逃げ出すようなエネルギーが枯渇しているだけか。DV被害者が陥る逃げられない心理状態みたいな感じなのかもしれない。傍からみれば立派な鬱病・ストレス障害で、現実からの逃避行動、乖離がみられます、ってカンジなんですけどね。でもそう言ってしまうと耽美な作品にはなりようがないので、あえて、そういうことには目をつぶる。透の特異な人間性の発露なのよ、これは。ここからどう立ち直ると、立派なジゴロになるのだろう。。。不思議。
 そして、ウワサの拷問シーンですが。
 普段は、商売ものの透の体にはあまり傷をつけないように気をつけながら、サドの業を振るう島津さんも、今回ばかりは遠慮がない。透を全裸にひんむいてベッドに縛り付け、ベルトを抜いて、渾身の力で打ち振るう。飛び散る血。心の中で巽に助けを求める透。そんな透の頬を張り、「巽のことを考えるんじゃない!」と繰りかえす島津。Aを巨大な何かで攻められて、裂けて、大出血して、ベッドを血まみれにし、何回も失神と覚醒を繰り返しながら、薄れ行く意識のなかで、島津が透を責めるために、己の肉体を重ねていることに気付く。・・・・・・・これは、なんというか壮絶だけど、いいシーンだよ。だけどさ。

 それって、『ムーン・リヴァー』と矛盾しないか?とちょっと思った。
 あれは、初めて透と我が身で一体になった島津が、生まれて初めての性の快感に溺れちゃう話だからさ。あと、栗本サンの性描写が、これまでに読んだどの話もA○ァックで裂けて出血、のワンパタなのが酷く残念。
 だけど、島津は、巽の死報によって透が生きる力を全て失って、動くこともできずに床にへたって項垂れているときに、透の頬を張って「どうしてほしい?」「どうしてほしいんだ?」と透が自ら求めるものを、繰り返し問うんだよ。自発性をまったく失ってしまった透への、生きる為におのずから欲することを思い出させるこの問いが、この後の透を生かしていくのだろう。たとえその時透が自らもとめたのが、島津のサド行為だったとしても、さ。

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