先にも書いたが、今年初めに『エイダン・ウェイツ』3作を読んで、そのあまりの可哀想さに心を痛め、傷ついた心を癒やすために、それはそれは幸せな気持ちにさせてくれるジョシュ・ラニヨンを読み、勢いで禁断のBL本『囀る鳥ははばたかない』に手を出し、流れで『聖黒』をオススメされ、いきおいで、自分の中の「やおい」の源流を確認すべく、『翼あるもの』に回帰。
これが、2022年上半期の遍歴。
だがしかし、ここまで栗本薫『東京サーガ』を読んできて、心中は茫茫たる焼け野原である。
今更、『ムーン・リヴァー』を読んで感動した、なんて自分のレビューを読み直すのも恥ずかしい。いや、栗本薫って、小説一篇だけなら、力業で読者を感動させる力はあるよね。ただ、その一作だけを都合良く、調子よく書いちゃうから、前後の作品とのつじつまがまったく合わなくなるだけでさ。そして、往年の読者であれば知っている、だけど私はすっかり忘れていた事実。このひと、小説書きとしては、劣化の一途を辿ったよね。
晩年(というには若いが)、自分の同人レーベルや、自分の公式HPを作り、いわゆるメジャーな出版社を介せずに好きなものを垂れ流す安楽さに身を任せるようになってからは、さらにそれが加速したのではないかな。それにしても、栗本薫の絶筆となった『トゥオネラの白鳥』の破壊力たるや、凄まじいものがあった。こんな風にして、自分の作品世界をぶち壊す作家がいるのか。いや、なんか、人間の振りして人間社会を破壊しにかかる未知の宇宙からの侵略者のようだと思ったよ。この人、本当に栗本薫? 中の人、実は違ってるんじゃない?ってくらいの違和感と衝撃だった。作品レビューについては詳しくは私のレビューを見て下さい。二度とは書きたくないので。そして、「栗本薫よ、なぜにこうなった?」という嘆きに彩られてはいるがじつは純然たる好奇心、も頭をもたげている。だた、それを追求するのは、私の時間が勿体ない。それに、現に生きている関係者・親族も若干はいるわけだし、無関係の他人があげつらうもんでもないしね。さて、これまでに読んだ本を、まとめておこう。
◆『真夜中の天使』・・・・レビューなし
再読するかも不明。『悪魔のようなあいつ』を見た後でコレを読んだら、シリーズの屋台骨のイメージ(なんか凄い本だったby中学生だった私)が、瓦解(なんだ、ただの二次創作だった)になるのは確実みたいなので、今は怖くて読めない。
◆『翼あるもの』
多くの人の少女時代の記憶に燦然と輝く名作。
第一部 生きながらブルースに葬られ・・・・・今西良を巡る、作曲家・風間俊介妄想の書。
良がスターだ、大スターだ、天才だ、特別だ、と風間の言葉だけがだらだらと語られるが、いっこうに今西良の人物像が見えてこない不思議。
第二部 殺意・・・・・今西良のGSグループ〈ザ・レックス〉のかつてのツイン・リードヴォーカルの片割れだった森田透の凋落と、苦悩と、愛と、献身と、解脱。ただただ、透ちゃんが苦しむの書だけど、あまりにも鮮烈なイメージに圧倒される。サドの島津正彦登場。
◆『続・翼あるもの The END of the World』
単行本未収録(たぶん)。「栗本薫・中島梓傑作電子全集2 【真夜中の天使】」に収録されている。透の最愛の人・巽竜二が殺された日の出来事。島津正彦が包丁を握りしめたまま固まっていた透に、「ひとりで逝くのが怖けりゃあ、一緒にいってやる」と口走り、透を苛んだ後に生身の体を重ねる。透と島津の関係性が決定的に変化した、ターニングポイント。巽の死んだ時期が定まらないのがこのシリーズ大きな特徴。①巽の死んだのは、2クール分のドラマの最終回の撮影時。つまり、撮影開始から6ヶ月後という設定。②島津の透への虐待(サド行為)は出会ってから(つまり例のドラマ撮影中から)1から2年くらいは続いた。③島津の透への虐待は、巽が死んだ時に島津が透に加えた酷いサド行為が最後で、以降はぴたりと止まった。の記述を、そのときどきで都合良く書き流してるんで、良く分からないことになっている。こういうことをまったく気にしないのが栗本薫。なお、ここで島津が生身で透を抱いているのは、のちの『ムーン・リヴァー』と矛盾しないか?という気がしないでもない。良がスターだ、大スターだ、天才だ、特別だ、と風間の言葉だけがだらだらと語られるが、いっこうに今西良の人物像が見えてこない不思議。
第二部 殺意・・・・・今西良のGSグループ〈ザ・レックス〉のかつてのツイン・リードヴォーカルの片割れだった森田透の凋落と、苦悩と、愛と、献身と、解脱。ただただ、透ちゃんが苦しむの書だけど、あまりにも鮮烈なイメージに圧倒される。サドの島津正彦登場。
◆『続・翼あるもの The END of the World』
◆『朝日のあたる家』
Ⅰ ・・・・・33歳になった気だるい透ちゃんが、自分が死んだ巽と同じ歳になっていることにしみじみ驚いている。歌手再デビューを27歳でリタイアした後は、男娼生活に戻り、いまはジゴロとして、島津のマンションからも離れ一人暮らし中。島津・野々村とは友人となり、おたがいに安否を確認しあう仲。そして巽の命日、巽の墓の前で、透は良に再会する。横浜山手の外人墓地の中に巽の墓はないだろう、とかは言いっこなしで。きっと近くに日本人墓地もあるのさ、とか読者の思いやりで考えていたのに、後の作品で(どれだかは忘れたが)栗本みずから「外人墓地」と語ってしまう痛恨のミス。だけど、それはさておき、良い物語に仕上がってる。
Ⅱ ・・・・・透の為にKTVの職とキャリアを投げ打った島津のために、透も頑張る。島津はフリーランスとなって映画を作るために渡仏。島津の愛情と庇護にあらためて気づき、大いなる安らぎを得る透である。少しづつ、良との距離がちぢまり、反比例して良と風間の関係は崩壊に近づいていく。
Ⅲ ・・・・・風間が入院し、風間の代わりに透が良の身辺の世話を焼くことになる。
Ⅳ ・・・・・遂に精神が失調した風間が良に手をかけ、良は負傷して入院し、良と風間、そして透はマスコミの攻勢にさらされることに。入院中の良のために、透はあえて記者会見に臨むが記者会見の場で透の過去もあげつらわれ、収拾がつかなくなる。良はマネジャーに「透が好きだ」と言い放ち、自分の意志で生きたい、という良の求めに応じて透は良を病院から連れ出して逃避行。ついに透と良が結ばれる。SEXにもの凄いコンプレックスを抱える良を、透が己の性で癒やしていく。これはこれで、私は良いと思うよ。
Ⅴ ・・・・・横浜から敦賀、武生と地味に逃げ続け、体を重ねる良と透。透に愛されるほどに、良は自信と自我を回復させ、そして決断する。東京に戻ろうとした二人は東京駅の新幹線ホームでマスコミに囲まれ、迎えに駆けつけた島津が二人を救出しようとするが、そこに現れた良の元妻アリサと現彼氏によってトラブルとなり、透が殴られて負傷。病院で意識を回復した透は、すべてが終わったことを島津に告げられ、そして「お前は優しい」「愛している」と島津は語り、透は大いなる安らぎの中で・・・・・・。なんだか凄く良いものを読ませられたような気分にさせられるのだけど、ちょっと冷静になると、これでいいのか?と。
◆嘘は罪
良を失い、地位も名誉も金も失った風間、失意の書。最初の数ページだけ、さすが商業出版用に書いたやつは、文章もきちんとしているし、一定のレベルには達しているよな。と思わせられたのだが、ただし、最初の数ページのみ。すぐに、脳内ダダ漏れだらだらトークが始まり、風間の自意識なのか薫の自意識なのか渾然一体となったクソみたいな思考をぶちまけられ、溺死しそうになる。“嘘の歌は歌えない”忍と、“どんなに世の中から蔑まれてどん底でも、生きていかねばらない”風間に、薫が自分を重ねた、とも読めるが、それ、アナタの勘違いだと思うよ。
◆ムーン・リヴァー
栗本薫への回帰にあたり、ついうっかり最初に読んでしまった、栗本薫の死後に発行された島津と透の最後の日々。良い作品だと思います。ええ、私は感動しましたよ。ちょっと語りがくどいところもありましたけど、近年の他の作品ほどじゃ、ありません。単品なら、十分に読み応えもあり、読む価値もあり、だと思います。表紙と共に、美しいです。ただし、時系列的にいろいろとおかしい。なぜ、島サンが62歳なんだよ。島サンがバリバリの壮年期で壮絶な癌死するのと、いい加減枯れてきた島サンが、覚悟の死をするのでは、後者のほうが気分がよかっただけだろうが。だれか薫の自作年譜に島津の年齢も書き入れてやってくれればよかったのに。
◆キャバレー
〈矢代俊一ブランチ〉の最初の一冊。薫若かりしころの書。俊一19歳。場末のキャバレーで武者修行中。若さが甘酸っぱい、世間知らずで向こう見ずな若者(矢代)が愚かにも危険に巻き込まれ、他者の犠牲の痛みの上で大人になる、という定番。ちょっと時代を感じさせるけど、無難にまとまっている小説。
◆死はやさしく奪う
矢代俊一の先輩サックス奏者、金井恭平の純愛。普通のハードボイルド・ミステリ。金井が良い味わいを出している。金井に接触する刑事さんも良い。ハードボイルドってこういうのだよね、って感じの小説を書きたかったんだよねって感じ。
◆黄昏のローレライ/キャバレー2
『死はやさしく奪う』で殺人を犯し、8年の刑期を終えて娑婆に出てきた金井も登場。米国人妻を伴って日本に帰国した矢代俊一が巻き込まれるトラブル。キャバレーの滝川さん、滝川部下の黒田登場。ここで起きる出来事は、シリーズ終盤〈矢代俊一シリーズ(栗本の個人レーベルの同人誌)〉では、おそらくこれが書かれた当初とはまったく違う意味が与えられている。
◆身も心も
2022年6月末時点で未読
同人誌シリーズについては、別途。
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