2020年10月30日金曜日

0228 警視の隣人

書 名 「警視の隣人」 
原 題 「All SHALL BE WELL 」1994年 
著 者 デボラ・クロンビー 
翻訳者 西田佳子 
出 版 講談社 1995年2月 
初 読 2020年10月30日
 
 キンケイドのアパートの階下に住んでいた女性が亡くなった。彼女は末期のガンで、在宅で緩和ケアを受けながら過ごしていた。第一発見者は、訪問看護師と偶然居合わせたキンケイド。当初は自然死と思われたが、キンケイドの勘になにかが引っかかる。そして、彼女の生活の世話をしていた女性に彼女が自殺を望んでいたと聞かされて。

 今作は、ダンカンの自宅周辺での事件ということもあり、最初はプライベートな捜査から始まり、ジェマも巻き込んでいく。おのずとジェマがダンカンの私生活に触れることになり、ジェマはダンカンと自分の生活を比べて、僻みとはいわないまでも、落ち着かない気分になる。ジェマをそんな気分に陥れたダンカンの普段の生活ぶりや、ダンカンの住んでいる場所、そして事件現場が気になって、例に寄ってグーグルマップとストリートビューで捜索。ちょっとストーカーになった気分を味わう。

 ロンドンから地下鉄に乗って北西、ハムステッド駅で下車。地下鉄の出入り口もシック。街並みはヴィクトリア様式?赤煉瓦と白い窓の縁取り、鋳鉄の街灯、石畳の道路。まさに日本人が思い描く英国。まだ海外旅行に行ったことはないが、最初に行くのはイギリスにしようと心に決める(笑)。
 

地下鉄ハムステッド駅の出口
駅の周辺

ピルグリムス・レーンの入り口
 駅前の通り(A502)を下っていくとロズリン・ヒルの表示。左手には、ロズリン・ヒル教会。さらに進むと、左手にピルグリムス・レーンの入り口がある。
 ピルグリムス・レーンはこんな感じの車1台通行出来る程度の一方通行。建物と緑に囲まれた上り坂。真っ直ぐ進めばハムステッド・ヒースの公園に突き当たる。たまたまですが、空も美しい。もう少し上ると、左手のカーリングフォード・ロードの入り口に至る。




ピルグリムス・レーン側から
カーリングフォード・ロードを眺める










 カーリングフォード・ロードは、両側にヴィクトリア朝様式の3階(4階?)建ての住宅が並ぶ閑静な住宅街。階段を上ったところが1階ですね。建物裏側の写真はないが、地階に面して庭があり、階上には錬鉄の手すりのついたバルコニーがあるのでしょうね。左側の写真の左側の住宅の3階部分のどれかがキンケイドのアパート。(キンケイドの部屋が最上階、という記載が他の巻にあるのだけど、2階の住人の話がどこにも出てこない。メゾネットってわけでもなさそうだが。)


 “彼女はしばらく運転席に座ったまま耳をそばだてた。カーリンフォド・ロードの静けさにはいつも驚かされる。・・・・・壁はすべて赤煉瓦だが、白い窓枠のせいでいかめしい感じが和らげられている。エントランスのドアが明るい色に塗られているのも個性的だ。”

 作中にあるように、たしかにドアがカラフルに塗られているが、それでもしっくりと落ち着いている。写真は、ピルグリムス・レーン側からみて左手の住宅の並び。北向きにドアがある側で、ここまで坂を少し上がってきているので、多分建物の裏側の上階のバルコニーからは、北部ロンドンの夕景が見渡せるのだろう。これらの住宅の3階のいずれかにダンカンが住んでいる。。。。ここに実際に住んでいる人たちは、小説の舞台になっていることを知っているのだろうか。

“昼食にはフリーメイソンズ・アームズという店を選んだ。チーズとピクルスを載せた黒パンに、飲みものはラガービール。、庭先の白いプラスティックのテーブルが空くまで待たなければならなかったが、待つだけの価値はあると思えた。日当たりが良かったし、ウィロウ・絵オードからヒースまでを見渡せる最高の場所だったのだ。”

 キンケイドとジェマとトビーが昼食をとった、フリーメーソンズ・アームズはこちら。うーん。素敵ですね。なんなんだ、ダンカン!こんな素敵な街で一人暮らししてんのか!うらやましすぎるぞ。

 ちなみに店内はこんな感じ。

 さて、もう一カ所、食事シーンを紹介。
 ドーセットに日帰りで聞き込みに出張った帰り、ハムステッドに帰り着いたキンケイドは、家に直行せず、ふと寄り道を思いつく。

“キンケイドはふいに思い立って左に曲がった。スパニヤーズ・ロードは、暗くなってきたヒースの丘を渡る橋のようだ。・・・・バス停に人が立っている。やがて、道路にせり出したビショップの料金所が見えてきた。そこを通りすぎ、スパニヤーズ・インの混み合った駐車場で場所を探す。車を止めたとき、古いパブのドアが開いた。光が漏れ、暖かくて美味しそうな匂いのする空気が漂ってきた。”

 数分後には、ソーセージとポテトフライとサラダを盛った皿とビールを手に、テーブルに落ち着くダンカン。どんな料理にもポテトフライは付いているんだろうな、と思われる。
 店内のバー、落ち着いた室内のテーブルの写真、一番下の写真は店の料理の一つ。多分肉のパイ、かなあ。イギリス料理にはある種の「定評」(笑)があるが、どれも美味しそうに見える。本場のフィッシュアンドチップスを食べてみたい。ここまで写真はすべてグーグルマップからの借用です。ありがとう。
 さて、ハムステッド観光案内所はこの辺りで閉店することにして、以下、レビューにもどる。
 階下の女性、ジャスミンが思春期を過ごした村を尋ねるダンカン。庭仕事をしていた老女に身分証を示すと、

「そんなに偉い人にはみえないけど」
キンケイドは笑い声を上げた。
「それはどうも。ぼくも同感です」
 丹念に聞き込み調査を進めながら、一人の女性の人生をモザイクのようにつなげていく。しかし、彼女を殺した目的がその遺産だったとしても、容疑者はいれど、決め手がない。一方で、ジェマの葛藤も感じ取る。
「ほかに悩みがあるんじゃないのか?不公平な男社会の中で、きみはいつも平然として闘っているじゃないか。自分の地位を守ろうと必死で頑張っている。敵の二人や三人はつくっただろうし」
 彼女の悩みを聞き出し、経済的な苦境に同情しつつも、子育てで両親の援助を受ける、という現実的な選択をなかなかすることができない彼女のプライドを、柔らかく指摘するダンカン。
 「ご両親のことも少しは信じてあげるといい———きみをこんなにいい子に育てあげた人たちなんだから」

 ジャスミンが残した日記を辿りながら、ごく近くにいたはずなのに、何も知らなかった女性の人生を掘り起こす。見えてきたのは、時間の流れとともに自然に解きほぐされていたはずの人生のもつれが、悲しい偶然で再び固く結び合わされてしまった現実。誰かが悪かったわけではなく、不運だったり、少し力が足りなかっただけで、悲劇は起こりうる。それでも、そこから新しい関係も生まれうるのだ。劇的な事件ではなく、むしろこの静かさが現実的で、胸にこたえた。

2020年10月28日水曜日

0227 警視の休暇

書 名 「警視の休暇」 
原 題 「A Share in Death 」1993年 
著 者 デボラ・クロンビー
翻訳者 西田佳子
出 版 講談社 1994年3月 
初 読 2020年10月25日

 キンケイド警視シリーズ最初の一冊。
 警視になりたてのダンカン・キンケイドです。
 部下のジェマ・ジェイムズ巡査部長にうらやましがられながら、田舎の会員制リゾートホテルで一週間の休暇を取るダンカン。警視に成り立てで、3週間ほど休みも取らずに猛烈に働いていたらしい。ジェマもダンカンもなにやらへろへろになっている。ヤードは「表向きには」昇進したての警視が冠状動脈閉塞の初期症状を示すほどの過酷な労働を強いてはいない、のだそうで、いずこも同じ労働事情になんとなく親近感が湧く。リーバスも「清教徒的な労働観念」について何か言っていた気がするが、日本と英国の気質にはなんだか近いものを感じるよな。
 ダンカンはハンサムな30代半ば、乱れ気味のキャラメル色の頭髪、鼻筋がちょっと曲がってる、というところまでは良しとして、「チシャ猫のような笑顔———いたずらっぽさと優しさが半々に入り交じった、心から相手を安心させる笑顔」・・・・・ってどこがやねん!!こんな顔されたら安心どころか不安しか浮かばない。

 などと書いてから風呂の中で考えたのだが、これは、新型コロナ感染症流行下のマスク論議で散々指摘されていた、「日本人は目の表情でコミュニケートするが、欧米人は口元の表情でコミュニケートする」、というやつなんだろうか。
 私は(というか多分日本人は)チシャ猫のぎょろりとしたあの目に意識が行くが、欧米人ならチシャ猫のような笑顔といわれたら、口角ををにーっとつり上げた口元を連想するんだろうな。でも、だからといってその笑顔が「心から相手を安心させる」かどうかは多いに議論の余地があるかと思うが。
 他にも『カナリヤを殺したばかりの猫のよう』など猫の例えが多い。確かに証言を求めて相手に忍び寄る様子はネコ科っぽいような気もする。先に読んだ『警視の謀略』ではすっかり落ち着いていて、鷹揚な風情は崖上にただずむ大鹿のようだと思ったのだけど。30代、独身、警視になりたての新進気鋭のダンカンは、身軽で気が強く、健全に女性が大好きな雄猫であった。そしてちょっと意外だったのは、ダンカンが大卒でなかった事かな。日本の警察機構でいうキャリア組のようなイメージを持っていた。警察に入ってから、奨学金で大学に行く機会があったのに、志願しなかった、とのこと。
ヨークシャー サットンバンク ダンカンが昼寝
こちらはジョージ王朝様式のお屋敷 スワビーハウス

 そして事件は、休暇で訪れた田舎のリゾートホテルで起こる。せっかく警視になりたてというのに、捜査権限もない一宿泊者として事件を捜査する様子は、警視というよりもまるで私立探偵のようだ。
 殺されたのはホテルの副支配人で、宿泊客全員が容疑者、全員が怪しい。地元警察のナッシュ警部がもっと優秀だったら、きっとダンカンが第一容疑者に祭り上げられたところだったろう。しかし残念ながら彼の最初の判断は「自殺」。ダンカンは納得がいかない。ついつい口出しするも、“ヤードのお偉方”であるダンカンが地元警察に疎まれるのはお約束。ナッシュの部下のラスキン警部補はヤードに引き抜きたいほどの有能ぶりなのだが。
 シリーズ第1巻はアガサ・クリスティのような英国ミステリの様式美を踏襲。

2020年10月22日木曜日

0226 警視の謀略

書 名 「警視の謀略」 
原 題 「TO DWELL IN DARKNESS」2014年 
著 者 デボラ・クロンビー
翻訳者 西田佳子
出 版 講談社 2020年7月 
初 読 2020年10月22日
 
 例によってグーグルマップとストリートビューを眺め、地理を確認しながら読む。
 ダンカン・キンケイド警視は、スコットランドヤード(ロンドン警視庁)殺人課から、ホルボン署(地図ではホルボーン)の刑事課に異動している。
 降格ではないものの、事実上の左遷。異動から2週間たってもそのショックから立ち直れていない。で、地図を見てみると、意外や、近い。直線距離にして2kmくらいだろうか。感覚的には、桜田門の特捜部から赤坂署の刑事一課に異動になったくらい?な訳だが、やはり左遷は左遷。ましてや、育休からようよう復帰して、バリッとスーツを決めて出勤してみたら席がなかった、という惨い仕打ちを受けての転勤、という事情もあり、気持ちの切り替えが上手くいっていないキンケイド警視の物憂い朝から話は始まる。
 それにしても、育休明けで職場に出勤したら、個人オフィスも机も荷物も片付けられて辞令が置き去りにされているってどんなパワハラだよ。そんな彼の鬱屈した気持ちが漏れ出ているものか、あたらしい部下達ともいまだしっくりいっていないようだ。とくに、直属のパートナーとなるべき警部補のジャスミンは何かにつけてダンカンに対する反発を隠さない。本来気さくで部下にも分け隔てのないダンカンが取扱いに困っている様子。

 そんなダンカンの新しい職場にもたらされるターミナル駅の爆発事件の第一報。
 事件の起きたセント・パンクラス駅は、ハリポタで有名なキングス・クロス駅の東隣で、この2駅は地下鉄のキングスクロス・セントパンクラス駅でつながっている(らしい)。セント・パンクラス駅はビッグベンみたいな立派な時計塔を持つレンガ造りの重厚な建物で、本の表紙はこのセント・パンクラス駅。各章の冒頭には、この駅の由来や歴史に関する引用がおかれているため、なにか、これらの歴史や再開発に絡んでくる事件なのかと思いきや。・・・・・そうでもないのか。
 事件現場には、駅の再開発に反対する学生運動グループがいた。どうやら爆発火災の中心となった焼死体は彼らのグループの一員らしい。そして、ゆがんだ自己愛が原動力となっている学生運動グループに紛れ込む「プロ」。より大きな陰謀はまだその姿を見せず、ひそやかな気配を漂わせるだけ。不穏な空気感が全編を包む。
 しかし、何より痺れたのは逮捕状読み上げのシーン。水戸黄門なみの決まりっぷり。昔の刑事ものドラマも思い出したよ。 
 なかなかダンカンに打ち解けなかったジャスミンは、どうやら白人の男性上司が持っている「はず」の偏見に予防線を張っていたのか。(ジャスミンはインド系のようだ。)
 事件の捜査のために休日出勤したダンカンのもとに「パパの職場見学」にジェマと子供たちが訪れ、ダンカンがアジア系のシャーロットを愛おしそうに抱っこしながらジャスミンに紹介すると、かたくなだった敵愾心が氷解する。こうなるともともと優秀なので、それは役に立つ部下に大変身。

 事件の真相は意外な方向に展着するが、しかし、たしかになにか別の陰謀の存在が感じられ、ダンカンを不安に陥れる。そして、ラストの衝撃。次号を待て!って感じで、くうううう。待ちきれん!   

 どんなに忙しくても、きちんと家に帰り、子供たちと会話を交わし、事件で心が荒んだときには子供の寝顔を眺めて癒される。優秀な警官であり、指揮官であるとともに、よき夫、よき家庭人でもあるダンカンが温かい。


 なお、作中で「テムズ渓谷署」というのが出てきたが、これはテムズ・ヴァレー警察のことだよね? これまでも出てきたよね? 訳語は統一したほうが良いんじゃないかな〜?と小さな声で言っておく。

2020年10月17日土曜日

0225 クロッカスの反乱

書 名 「クロッカスの反乱」 
原 題 「THE CROCUS LIST 」1985年 
著 者 ギャビン・ライアル
翻訳者 菊池 光 
出 版 早川書房 1995年4月 
初 読 2020/10/17

「プレイペン作戦」 
 核攻撃危機下における首都要人移送作戦である。
 ヘリで首都の国王・政府要人等を直接「核」の影響の及ぶ範囲外に緊急輸送する秘密作戦。ヘリは飛び立ったら戻ってこないのでプレイペン作戦を指揮する現地指揮官は、そのまま残留し、必要とあらば(可能な状況であれば?)後方残留作戦(敵占領下における組織的レジスタンス戦)に移行する・・・・・・ 

 首相の退任でジョージ・ハービンガーとともに首相官邸を去ったマクシムは、陸軍のロンドン管区に異動している。ハービンガーは国防省に出戻り。ハービンガーって、国防省の文官だったのか。
 マクシムは自分の出身部隊に戻ったわけではないらしい。もともとSASで海外勤務となっていた期間が長くて出身部隊と縁が薄くなっているところに、首相官邸付きの空白期間が加わり、マクシムの履歴はいささか危機的な状況に陥っている。少佐になって幕僚大学校に進むタイミングで中東で戦傷を受けて、6か月の時間とチャンスを既にフイにしており、有能である事は誰もが認めているものの、軍幹部に昇進していくためには是非とも(政治と社交に)必要な妻もテロで失っている。今回の配置は、せめてここロンドンで余暇のたっぷりある任務を割り当てて、異性と出会い再婚するチャンスを与えようという軍の温情であるらしい。目下はプレイペン部隊に割り当てられ、後方残留作戦やらの研修・演習の日々。

 そこに突然、ロンドンを騒がず事態が起こる。
 もと軍人の老公爵(王族)が亡くなり各国要人が集まる盛大な葬儀が行われる。
 そこにアメリカ大統領まで来ることになり、警備上の大問題となる。ひそかにプレイペン作戦の予備段階が発動し、大統領警護の特別編成小隊の指揮はマクシムが担うことになった。そして葬儀のさなか、寺院の中で発砲されたAK47。犯人はマクシムに発見されて手榴弾で自爆、ソ連製の武器をあからさまに使った凶行に、ソ連の立場を損いたい勢力の関与が疑われる。

 マクシムは国内外のもろもろの思惑を収拾するために「命令からの逸脱行為」やら「無謀な追跡」やらの責任を問われてて生贄にされかねない事態に。つくづくと不運な男である。しかしマクシムが気になるのは我が身の無事より事実。「ロシアとのかかわりをどうやってもみけすのか?(出来るのか?)」 若干天然気味の斬れ味鋭いツッコミが彼の持ち味である。(笑)
 そんなこんなで、自分の身を自分で守らざるを得なくなるマクシム、そして、そんな立場にマクシムを追い込んでしまったジョージは、なれない諜報活動に首を突っ込む羽目になる。前巻までは辛うじて保たれていた上下関係も、首相官邸を離れればもはや「友人」としか言いようのない関係で、こうなると、どう見てもマクシムの方が天然なだけに強い(笑)

 アグネスに対してはマクシム、紆余曲折の末なんとか「愛している」との自覚に達し、今後の展開が楽しみ。今回、なぜせっかくのチャンスに童貞ティーンエイジャーみたいなことになってしまったのかは謎(笑)。次は上手にベッドインできると良いのだが。

 そして、なんと言っても今回の一番のお気に入りは、プレイペン作戦本部の副本部長だ。退役陸軍少将。現在のマクシムの上司。ご老体なんだろうが、いやあ、しみじみと格好良い、筋金入りの軍人。マクシムにこんな理解者がいて本当に良かったと思う。

 「ハリイ。きみは孤独な道を歩んでいるようだな・・・・」

 「よろしい。3時間与える。連絡がなかったらわしがなんとかしなければならん」

 自由裁量を許すだけでなく、その責任を取ることまでも請け負ってくれる立派な上官である。人間、こういう上司の下でなら、120%以上の能力を発揮するものだ。今時はこういう人物は貴重品かもしれない。
 他の人のレビューをみるとこの本、他のマクシム本にくらべてそんなに評価が高いわけではないのだが、いやあ、面白かったわ。全体的に派手さはないが、じっくりと読ませてくれる。政治の姑息さも、官僚組織のあれこれも、スパイ組織のこれそれも。結局の黒幕がアレとか、あいつも仲間だったのか、とか、ちょっとラストのインパクトが物足りない気もするけど、どうやって収拾したのかも気になるけれど、その後ちゃんとベッドインできたのか、とかも色々と気になるけれど、なにしろ、マクシム少佐の為人を味わう本なので(笑)
それにしても、最終的に某モスクワの諜報機関とはどのように落とし前つけるんだか。ハリイの身の安全は守られるのか???

2020年10月11日日曜日

0224 マクシム少佐の指揮

書 名 「マクシム少佐の指揮」 
原 題 「THE CONDUCT OF MAJOR MAXIM」1982年 
著 者 ギャビン・ライアル 
翻訳者 菊池 光 
出 版 早川書房 1994年4月 
初 読 2020/10/11

 マクシム少佐2冊目。
 事件やストーリーを読むというより、マクシム少佐の為人を楽しむ本。
 「それは、ロマンティックなたわごとだよ。」
 「軍人はロマンティックなのです。」マクシムが平静な口調で言った。「彼らは、戦争映画を見て、奇妙な服装をし、自分たちを竜騎兵近衛隊員といった奇妙な名で呼ぶのです」
 あくまで平静で、穏やかに表情を変えずに語るハリイ・マクシム少佐であるが、実は沸点けっこう低め。内心は、任務で死ぬことを義務として受け入れている若い元SAS隊員が、無謀な諜報活動に消耗品のごとく利用されたことに怒り心頭。そして、こういう時の彼は無言で行動にでるのだ。今回は、スパイ活動でも超有能なことを証明するマクシム少佐である。自分を監視していたMI6の諜報員二人組を、無線も使えず、応援を呼べないエリアに誘い込み、急襲し、殴り倒し、車載の無線機を完膚なきまでに破壊し、拉致し、拷問(?)の恐怖を加えて自白を得る、お見事な手腕である。実戦向きではない気取ったMI6要員に対して、対IRAのテロ・諜報対策を、頭にではなく体に叩き込まれているSAS舐めんな、って感じですかね。清々しいまでの実力行使。やられた方には哀れを誘われる(笑)。
 それにしても、マクシム少佐の本は4冊しかないので、読むのがあまりにも勿体なく、なかなか先に進めない(笑)
 少佐は決して正義漢ってわけではなく、形容するに一番しっくりくるのは、義務に対する忠誠とやはり軍人としての矜持。それは自分が実行するだけでなく、部下、もしくは若い兵士のそれに対して応えるべき上官の義務としても存在するわけで、今回はそういう、部下を持つ上官としての心意気がキモ。
 事は東ドイツの政治指導部の人員刷新に端を発した諜報戦から、どんどん巻き込まれて深入りし、こうなってくるとおいそれとは手を引けないマクシム少佐は、ジョージが差し出した書類に微笑を湛えてサインをして、手勢を連れて決戦に臨むことになる。
 マクシムが署名した書類は、過去日付の辞表。万が一マクシムが失敗してその行動が白日の下に晒されたときに、英国政府が非難されないようにするため。「彼は数日前に辞任しており、イギリス政府は彼の行動に一切関知していない。彼は相応の責任を問われるであろう」とか言うためのものか?組織の捨て駒である。

「ひとつだけ。この件に関するわたしのやり方を考えると、極秘などということは問題ではなくなる。大勢の人間が—もちろん、向こう側だが——何が起きたか知ることになります」

 奪われた人質を奪還するため、あくまでも、戦闘員、それも精鋭としての作法で動くマクシムと部下(全員が元SASだ)は、交戦の前に、身元が判明する可能性のある持ち物を全て外す。
 “みんな、自信にみちた静かな態度で立っていた。アグネスは、彼らが自分の死体の身元がわからないようにしたのに気づいて、思わず身震いした。”
 アグネスがバックアップに付き、手勢を引き連れて敵に対するマクシム少佐。その戦いは片やサイレンサー付きの軽機関銃と拳銃(スパイ側)、片や手榴弾と散弾銃(マクシム側)という圧倒的武力差。極秘などということは問題でなくなる、というマクシムの予告どおり、人的資源の欠如を殺傷力で補って、静かに事を済まそうなどとは毛頭考えていない。結果は敵スパイの死に際のセリフ「軍人とは闘いたくない」。しかし、マクシム側も仲間を喪うことになる。そして、その結果は、はやりマクシムが背負うのだ。「俺が指揮官だった」

 アグネスとの一線を越えかねているのは、再び恋人を持つ喜びよりも、もう一度最愛の人を喪う可能性のほうが心に堪えているのだろうな、と推測する。実家で育つ一人息子の小学校のPTA(?)の奥様連が「人柄のよいマクシム少佐」をとにかく誰かと結婚させようと画策していて、それを微笑を湛えてかわしているマクシムの非番のひとときも微笑ましかった。

2020年10月6日火曜日

0223 孤独の海

書 名 「孤独の海」 
原 題 「THE LONELY SEA」1985年 
著 者 アリステア・マクリーン 
翻訳者 高津幸枝他 
出 版 早川書房 1992年12月 
初 読 2020/10/6
 
『女王陛下のユリシーズ号』のアリステア・マクリーンの唯一の短編集。処女短編『ディリーズ号』、ドイツの誇るビスマルク号が沈むまでの数日間『戦艦ビスマルクの最後』 他。

『ディリーズ号』
とても良かった。
わずか13ページの短編であるが、文中では語られない、じいさんと二人の息子の人生がありありと思い浮かぶ。妻に先立たれた船乗りが、残された幼い二人の息子を男手ひとつで育てあげる。おそらく、海に長く出ている間は近所の農家の奥さんに息子達は預けられたかもしれない。息子達に慕われ、尊敬される船乗りの親父。息子達は父親の背中を見て真っ直ぐに育ち、やがて彼らも船乗りになる。二人は救助艇に乗組み一人は艇長となる。荒れた海にさらわれた見ず知らずの幼い兄妹を、見過ごしにはできない父親譲りの正義感。そのような息子達を誇りにする父親。こんな事は事細かに一言も書かれていないが、そうであろう、と老船乗りグラントじいさんの背後に語られない人生が浮かび上がってくる。
 そして嵐の夜の荒れた波間に、息子達と、筏に乗せられた子供達を見つけたとき、グラントじいさんは、息子達が助けようとした幼い兄妹を荒れた海からすくい上げることを選択する。助けられるチャンスは一度だけだった。無情というのも軽々しい、万感の思いが軍艦ユリシーズの最後に通じる。

『ラワルビンジ号の死闘』
 ちょっと気になった一文だけ。「手に入れた情報の正確さと完璧さに匹敵するのは、その情報がベルリンへ送られる迅速さくらいのものだろう」・・・・・日本語として、どうよ。原文読んでいないからちょっとわからないけど。「手に入れた情報の正確さと完璧さと並んで、その情報がベルリンに伝達される早さも比類ないものだった」くらいが自然な感じだろうか。

ドイツが誇る〈シャルンホルスト〉と〈グナイゼナウ〉の試航海の餌食になった英国武装商船ラワルビンジ号の悲劇。再三のシャルンホルストからの降伏勧告に応ぜず徹底抗戦を図り、撃沈。なんというか、あまりに文章が淡々としていてこの行動をどう受け止めるべきなのか困る。結局240人の経験豊かな乗組員が船と艦長と運命を共にした。玉砕は日本軍の専売特許じゃなかったんだな、と改めて思う。

『戦艦ビスマルクの最後』
ドイツが誇る戦艦ビスマルクと、イギリス人の誇り、戦艦フット。どちらも誤った情報と、指揮官の驕りや判断の誤りの集大成の結果沈んだのか?イギリスの戦艦フットが、あたかも日本人にとっての戦艦大和のような、海軍を象徴する艦だったことが良く分かる。それを沈めたビスマルクを執拗に追いかけるイギリス海軍。しかし、丹念に双方の証言を重ねれば、見えてくるのはイギリス側もドイツ側も誤認と失策を積み重ねた挙げ句の「戦果」だったようだ。

【備忘録】デンマーク海峡
 アイスランドとグリーンランドの間の海峡。なぜここがデンマーク?と思ったので調べてみた。アイスランドは1918年に独立するまでデンマーク領で、グリーンランドは今もデンマーク領なんだそうだ。そうだったっけ。そうだったんだ。現在の国土の大きさで舐めることなかれ、デンマークはかつては海洋国家。学生時代は、地図帳を見ても,陸しか見ていなかったような気がする。しかし、バルト海の出口に位置し、北海に直面し、さらにドイツにフタをする格好のデンマークは、どう見ても軍事・通商の要衝ではないか。イギリスを海洋国家として見るべきであるように、ヨーロッパ史を海を視点の中心に据えると、これまで勉強してきたものからだいぶ違ったものが見えてくるのだろうな。

さて、このあと数話読んだが、艦が次々に沈む描写に気持ちが滅入ったので、今回はここまで。

2020年10月4日日曜日

翻訳本は儚い

 近いうちにいつか、必ず読もうと思っていた未入手の未読本をAmazonで巡回すると、いくつかすでに絶版になっているものがある。ドン・ウインズロウの『犬の力』が、マケプレでしか手にはいらないって、どういうこと!? それに『ダルジール警視シリーズ』の初期の本も、もう新本では手に入らないようだ。本当に、本は長く世にあるようでいて実は儚い。小説が消耗品だなんて思いたくないな。読むのはいつでもできる(本当か?)でも、安価に手に入れられるのは今しかないかもしれない。と私の中の本の虫がささやく。

2020年10月3日土曜日

御書印プロジェクトが楽しそう

御書印プロジェクトなるものを発見しました。→ https://note.com/goshoin 

御朱印ならぬ御書印。写真は上記の公式ブログから拝借しました。
素敵ですね。全国書店巡りだそうです。
店主さんのお名前とメッセージなども入っているようです。
本さえあればいくらでも籠もっていられる読書家達では全国行脚は難しいかもしれませんが、全国に散らばる読初メータの読み友さんなら、身近な本屋さんで印をもらって、見せあいっこしたら、案外全国制覇もできるかも? こういうしかけで本屋さんが盛り上がると良いですね。
私も中古本探しではついAmazonを多用しがちですが、我が町にも素敵な古書店さんもいくつかあります。身近な本屋さんは大切です。こだわりのある良質な本屋さんは本当に、貴重。
頑張ってほしいですし、応援したいです。

2020年10月2日金曜日

翻訳家タグ

翻訳小説を愛する者たちのために(?)素晴らしい仕事をして下さっている翻訳家の皆様に敬意を表して、翻訳家タグを追加。通常、本棚に並ぶ文庫本の背表紙には翻訳家さんの名前は載らないので、あれ?この人の翻訳、前にも読んだことある。どの本だったっけ?っとなったときの検索用に。ただし、リストが長い。

2020年10月1日木曜日

2020年9月の読書メーター

9月の読書メーター
読んだ本の数:1
読んだページ数:519
ナイス数:381



奇跡の巡洋艦 (ハヤカワ文庫 NV (649))感想
いよいよドイツ側の一冊。同じような語り出しだが、何しろドイツ艦だ。もう、鷲舞を読む時のような覚悟でこっちは臨むのだが、例のリーマン節である。主人公は寡黙なディーター・ヘヒラードイツ海軍大佐、重巡洋艦《プリンツ・ルイトポルト》艦長。悲劇ははなから折り込み済みなので、できれば格好良い「ロマンチックな愚か者」を堪能したいのだが、そこはリーマン、今回も極めつけにイヤな身内の敵、ライトナー司令官が終始同乗している。これがとにかくイヤなやつで。まるで靴の中に入った小石のように、いらいらチクチク、異物感が半端ない。
読了日:09月30日 著者:ダグラス・リーマン

読書メーター