原 題 「The Cellist」2021 年
著 者 ダニエル・シルヴァ
翻 訳 者 山本 やよい
出 版 ハーパーコリンズ・ ジャパン 2022年4月
初 読 2022年4月25日
文 庫 600ページ
ISBN-10 4596429251
ISBN-13 978-4596429254
読書メーター https://bookmeter.com/reviews/106114147
2020年3月〜2021年4月。
世界はcovid(新型コロナウイルス)に支配されている。
ガブリエルは、故郷のイズレエル谷のラマト・ダヴィドに程近いナハラルのコテージをオフィスから適正価格以上(←ここ、ポイント!)で賃貸し、妻と子ども達とともに、エルサレム旧市街の自宅からコロナを避けて仮住まいしている。
双子たちは5歳になり、田舎暮らしで日焼けして、人間の友達とは遊べなくとも羊や牛やひよこを友として逞しく成長中。一方のガブリエルは新しくオフィスが入手したガルフストリームに現金入りのスーツケースを乗せ、人工呼吸器や検査薬や医療用防護衣を世界中で買い付けて、国内の病院に配布。ガブリエルの行動に、政治家への転身の準備か・・・とのマスコミの噂も。
当のガブリエルはそんな噂は歯牙にもかけず、コロナ対策の傍らオフィスでイランの核開発関連施設の破壊や要人謀殺の陣頭指揮も執っている。
そんな折、ガブリエルの命の恩人でもある旧友のイギリス在住のロシア人富豪が毒殺される。
今はMI6のケラーと恋仲になり、イシャーウッドの画廊の後継者として地場を固めつつあるサラ・バンクロフトも事件に巻き込まれ、事態を看過できないガブリエルはMI6のグレアム・シーモアやケラーと協力して動き出す。
殺されたヴィクトル・オルロフが追っていたのは、ロシア大統領(ウラジーミル・ウラジーミロヴィチ(プーチン、と書かないのは“フィクション”の体裁を維持するため?)が西側に不正に蓄財した財産とその違法な手段。ロシア国庫から莫大な資金を不正に海外に持ち出し、西側の悪徳金融機関を通じて大規模なマネーロンダリングを行い、不動産投資や様々な方法で蓄財している、その資金洗浄ネットワークにいかにして潜入し、機構に打撃を与え、その金を奪い獲るか。これまでもガブリエルが血で血を洗う闘争を繰り広げてきたロシア大統領との戦い再び、である。
しかし、あまりにも規模が大きい話になっているためか、物語中盤に到るまで解説的な文章が続いて大きな動きがなく、かなり地味な印象。それに、ちょっとストーリー展開が安直な気もしないでもない。過去のガブリエルの恋人アンナ・ロルフ(第2作『イングリッシュ・アサシン』)や、他にも過去作に登場した人物が再登場し、なんとなくオールスター登場のサービス回っぽい感じもあって、いよいよシリーズもグランドフィナーレかな、という感じもする。
イギリスパートには必ず登場する、ダートムーアのワームウッド・コテージのおなじみの面々も登場。執事のパリッシュも相変わらずのご様子なのが嬉しい。パリッシュの有能な相棒のミズ・コヴェントリーは、これまでただの料理番の役どころだったが、じつはロシア語も堪能な元諜報部員であった。ケラーがお気に入りの彼女は、彼が滞在するときには必ず特製のコテージパイを用意する。食材に豚肉は避けるようにと言われて、パリッシュは客人にイスラエル人の友人が含まれていることを察する。ここは、『英国のスパイ』で爆弾テロの標的となったガブリエルが担ぎ込まれて、治療を受けたりもしたMI6の隠れ家である。
そして、もう一つ、ラストに大きな山場がある。そう、アメリカ大統領選挙だ。
ロシアとの真っ黒な関係が取り沙汰されていたトランプ氏であるが、あの選挙選最中のQAnon絡みの騒動は日本人の記憶にも新しい。と、いうか件のQからの情報発信が日本発祥の巨大匿名掲示板(2ちゃんねる)の関係者が米国で運営する4chanと8chanで行われていた事実にはちょっと驚く。2ちゃんねるなんて、ネットリテラシーをわきまえた大人の遊び場くらいに思っていた身としては、これが大衆扇動の凶器になりうるという事実に,認識の甘さを突かれた思いだ。
作中でガブリエルは、これがアメリカを混乱に陥れ、アメリカ民主主義を根底から脅かすロシアの情報戦略であること、そして大統領就任式に企図された大統領暗殺計画を把握し、これを未然に防ぐ為に大統領候補の元に飛ぶ。しかし、ロシアの本当の狙いは大統領ではなかった・・・・・
ダニエル・シルヴァが参考にした、オラツィオ・ ジェンティレスキ作『リュートを弾く女』 |
今回シルヴァは、米大統領選の混乱とホワイトハウスへの暴徒の乱入、というアメリカ民主主義の危機を目の当たりにして、後半を大幅に書き直したという。あらためてWikiでQAnon関連のコンテンツを読んだが、人はいかに簡単に荒唐無稽な話を信じることができるのか、また『信じ』たが最後、どこまで愚かな行動に走ることができるのか、とこれまた暗澹となる。今、コロナで学校でもオンライン授業が大規模に導入され、国のICT計画で、小学生まで一人一台タブレットが用意される時代となった。
ネットリテラシー教育が追いついていくのか、情報弱者や判断能力の低い層が喰いものにされないように、どのように防御していくことができるのか、決して人ごとではない。人は、信じたいものを簡単に信じてしまい、そして一度信じたら、なかなか意見を変えることができない存在だ。そして、「仲間」がいないと生きていけない生き物でもある。様々な理由から分断され、孤独感を味わっている人々が、ネットの裏に潜む悪意からどのように身を守っていけるのか、これからの社会のあり方を方向付ける上で、非常に重要な課題であると感じている。
それにしても、これまでダニエル・シルヴァのプーチン&ロシア嫌いは偏執的な域なんじゃないかと感じたりしていたのだが、こと、現実がウクライナで示されているのを見ると、いやはや、と驚き・・・・というか嘆息。シルヴァの情報筋のアドバイザーは当然ながら明かされていないが、いつものことながら、この巻末ノートを世に出すために小説を書いているのではないかという気すらする。なにはともあれ、巻末は必読。
アルテミジア・ジェンティレスキ作 『リュートを弾く自画像』 |
前にもどこかで書いたけど、ダニエル・シルヴァは人体の強度については少し考えを改めたほうが良いと思うよ。ガブリエル、これまでにも肺を損傷するような銃創2回、爆弾テロに遭遇すること3回・・・いや、4回か。(イングリッシュ・アサシン、英国のスパイ、ブラックウィドウ、灼熱のサハラ)、シェパード犬に噛まれて左手を骨折し、爆弾テロのガラスの破片で腕の腱を痛め、ボコボコに殴られて、全身打撲と顔面骨折と100針縫う大怪我・・・・。翻訳されているだけでコレだからね。(あ、いや、サウジで胸を撃たれた話は翻訳されてないや。)そういやあ、バイク事故で石畳みで背中をすりおろしたこともあったっけ(『告解』)。あのときは頭蓋骨骨折もしていた。それ以外にも、ルビヤンカで殴られて眼窩を骨折して失明の危機、とか、階段から突き落とされたらしいとか、未訳本の方にもいろいろ。おまけに、今回は文字通り瀕死の重傷。
ガブリエル、若作りに見えるけど、もう70歳だからね。労ってあげようよ。ジャンプヒーローはもう卒業させてあげて!
ほんと、スパイ小説のヒーローは数あれど、ガブリエルほど、穏やかな引退生活を送らせてあげたいと願うキャラクターはいない。大好きなベネツィアで、愛する妻子に囲まれ絵筆を握り、老後の穏やかな時間を過ごさせてあげたい。ガブリエル引退まで、あと1作か2作だろうか。もう、祈るような気持ちだ。
ガブリエル・アロンシリーズ。次作は『Portrait of an Unknown Woman』 2022年7月刊行予定です。さて、ガブリエル引退まであと7ヶ月。しかし、タイトルからしてまた女絡みだなあ。
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