2022年5月26日木曜日

港のヨーコ・横浜・横須賀(大人の休日 番外編)〜横浜市歌〜



小中学生時代を横浜で過ごした市民(旧市民も含む)は、ほぼ全員が『横浜市歌』を歌えます。(ちなみに彼らに出身を問えば、神奈川県ではなく、「ヨコハマ」と答えます。)
なんとなれば、小学校に入学すると「校歌」より先に「市歌」を覚えるからです。
毎週の朝礼で、校歌より先に歌い、最初の音楽の授業で習い、確実に覚えます。
私の小学校時代、副教材として配布された『ポケット歌集』には、最初のページに横浜市歌が掲載されていました。

歌を習うだけでなく、歌詞の意味もちゃんと習います。(私が習った記憶を再現してみます。)

我が日の本は島国よ 
日本は、このような島国です。
(地図付きです。初めて世界の中の日本を知る瞬間です。)→世界地理
朝日輝よう海に 連なりそば立つ島々なれば
「日出ずる国」であることをを知る瞬間でもあったかもしれません。東から登る朝日に煌めく海と照らされゆく島々のイメージです。→歴史・古典・地学も?
あらゆる国より船こそ通え
航空なんてメではありません。貿易の中心は船。世界中から船が集まるのです。→社会科
されば港の数多かれど この横浜に優るあらめや
特に云うことありません。横浜isナンバーワン です。日本中・世界中に港は星の数ほどあっても横浜が一番なんです、というハマッ子の誇りが溢れるところです。(きっと神戸市民は、神戸港に同じくらいの愛着を持っているに違いない、函館も、その他の港もしかり、と想像します。)
昔思えば、苫屋の煙 ちらりほらりと立てりしところ
横浜が開国港に選ばれたのは、人の少ない寒村だったから。江戸からの距離が近くも遠くもなく、外国の干渉を程良くコントロールできる地理だったからでしょう。その名前のとおり、白い浜が横に広がり、漁師の家や街道沿いにまばらにある茅葺きの民家から囲炉裏の煙が上がるような漁村の風景だったのだろうと想像します。小学校1年生が、初めて郷土史に触れる瞬間です。 →生活科・郷土史
今は百船百千船 泊まるところぞ見よや
「百」「百千」が実数ではなく、「もの凄くたくさん」「数え切れないくらい多い」という比喩表現であることを教えられます。国語表現の入り口です。 → 国語・古語表現
果てなく栄えて行くらん見よう 飾る宝も入り組む港
横浜の宝は、この港。未来永劫この横浜港が栄えていくことを見届けよう、というインプリンティング。横浜市民の完成です。 ※ ←本当は栄えていくらん御代をなので、これは私の記憶まちがいです。果てしなく栄えていく御代を飾る宝はこの港である。という強い強い自負を感じるラストです。



おまけ Y校校歌(ちなみ卒業生じゃありません。かつて高校野球中継で何回も聞いて、好きになっただけ。『商人我ら(あきびとわれら)』の歌詞が大好きです。横浜は貿易と商業の町なのです。伝統のY校(横浜商業高校)は、市民の誇りです。(すくなくとも、〇十年前は・いまはどうなのかしらね。)


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